「お嬢ちゃんたちの管理が行き届いているな。よく働く連中だ」
チュウザン特有の強烈な朝日が射し込むアマミキョブリッジでこう言ってのけたのは、東アジア共和国連合軍・チュウザン駐留部隊──通称山神隊所属・伊能大佐だった。
「ご協力感謝致します」顔も眉毛もついでに黒目の色も濃いこの連合の軍人を相手に、フレイは堂々と相対している。「お嬢ちゃん」などと半分侮辱の言葉をかけられたことに対しても、全く動じる様子はなく、それどころか微笑みすら見せていた。
「しかし驚きましたよ、まさかあのフレイ・アルスターがここにいるとは……ヤキンで行方知れずになって以来、貴女は伝説化していたのですがね」
「事情は上からお聞き及びのことと存じます」「承知していますよ、故ジョージ・アルスター元外務次官のお嬢さん。故意に姿を隠したわけではない程度、理解出来ぬ自分らではございません」
この一言に、ブリッジ後方で固唾を飲み二人の会話を見守っていたオペレータたちが、改めて驚きの声を上げた。フレイがヤクザの娘と本気で信じていたオサキなどは、自分の無知に舌打ちしていた。だがリンドー副隊長は相変わらず、鼻毛抜きをやめない。ブリッジ内を無遠慮にうろつきモニターをいじるこの連合軍人を、やはり遠慮なく頭からつま先まで眺めている。「まさか、あんたらのウィンダムに助けられるとはな。仰天だよ」
「誤解しないで頂きたいものですな、リンドー艦長。連合とはいえブルーコスモスばかりではない」
「悪いが、誤解はそっちだ。ワシャ艦長でも隊長でもない、シュリ隊副隊長だ」
「まぎらわしいなぁ。隊長は誰なんです」頭をかきつつ、伊能はおどけてみせる。リンドーはサイドモニターのうちの一つを顎でしゃくる。そこではトニー隊長が散々走り回り、隊員たちをいつも通り怒鳴りつけながらも負傷者を搬送していた。「隊長はああいうのに任せるに限る。二番手は楽だよ」
「隊員らの前で言うこっちゃないでしょうが」
雨がようやく上がり、明るくなっていく大地。ブリッジのメインモニターには、ドックに収容されたばかりの連合艦が映し出されていた。伊能たちのウィンダム部隊が配備された、スペングラー級モビルスーツ搭載型強襲揚陸艦・タンバである。蒸気を吹き飛ばすように照りつける陽の光が、破壊された街の惨状を容赦なく露にしていく。
「自分も、血液が逆流する処でした」フレイは言葉とは裏腹に、唇に浮かんだ笑みを崩さない。「まさか自分たちが戦闘を行なっている間に、連合がプラントに宣戦布告とは」
 


PHASE-10 開戦



「この船を乗っ取るつもりかな、連合は」
連合のウィンダム部隊が半ば強制的にアマミキョに乗り込んできて、数時間。
カズイはアムルと共に、船内の回線チェックに回っていた。アムルと一緒の作業に心を躍らせつつも、カズイは連合軍の存在に恐怖を隠せない。しかし、アムルはそれほど気にしていないようだ。監視モニターのディスプレイ部分の損傷をチェックしつつ、呟く。
「連合がアマクサ組にとってかわるだけでしょう? 私はその方がいいと思うけど」
普通なら、連合と聞いただけでコーディネイターなら嫌悪を示すはずなのに──カズイはアムルの横顔をまじまじと眺める。よほどフレイが嫌だったのか、この人は。分かるけど。
「それより、どうしてそんなに怖がるのよ?」不思議そうにアムルはカズイを見やる。連合の軍服を見た時のカズイの怯えようは、ただ事ではなかったのだ。
「俺、一応アークエンジェルに乗ってましたから」
「平気よ。貴方は降りていたんでしょ、オノゴロの時。尤も、サイ君は分からないけど」
その名前に、カズイは改めて首を縮めた。自分たちを裏切った友人の存在を、必死で頭から追い出そうとしているのに。だがアムルは、カズイの心も知らずにサイの話を続けた。「でも、当然の罰かも。組織を裏切る人は、結局人も裏切るのよ。誠実な人だと思っていたのにな」
がっかり、という口調でありながら、アムルの横顔は無邪気で可愛らしい。少なくとも、カズイにはそう見えた。


テロ攻撃の負傷者を収容し、いつも以上の地獄と化した医療ブロック。アマミキョの収容施設だけでは足りず、野外に臨時病棟を設置している。病棟といっても、テントだが。
「血液、最低あと4単位は必要よ! それから生食2リットルを投与っ」「血液、まだ来ません!」「開胸セットは?」「何もかもが足りない! アラームだけうるさくても困るのよっ」「贅沢言うな、医療モニターがあるだけマシだ」屋外の泥道にまで負傷者は溢れ、大量の蝿が患者の傷にたかっていく。
スズミ女医やネネのテントでも、負傷者を10人ほど収容していた。医師も看護士も全員吹き出る汗を我慢し、蒸気のこもる中で怪我人の傷を切り開いていく。胸をさっきの子供の血で汚した医師が、白衣を脱ぎ捨てながらその母親の動脈を注意深く診る。泣き叫ぶ中年親父を看護士たちが押さえる。日付が変わってから、麻酔なしでの腕、脚の切断回数はこのテントだけで10回を超えていた。
そのすぐ後ろで、山神隊の風間曹長が涼しい顔で薬棚の検査を行なっていた。スズミ女医とネネたちがまた一人、大量出血中の負傷者を必死に処置している。「ネネ、吸引して! 左心室が破れてる」「修復不能ですよぅ」「諦めないで! 最後までやるっ」
風間はそんな医師たちの会話を背後に聞きつつ薬品リストに書き込みをしながら、冷徹に言い放った。「やめなさい。血液が無駄になる」
その言葉に、思わず何人かが反応してしまう。風間はその豊満な胸と顎でリストを挟みながら、薬棚の中を強引にかき回していた。彼女こそが、昨夜運河沿いでサイとミストラルを救出したウィンダムパイロットだったのだが、ネネもスズミもそうとは知らない。その間にも患者の血液は噴き続け、アラームが鳴り響き、必死の除細動のかいもなく、生命がまた一つ消えていく。
それでも治療を続けようとする看護士たちを制し、スズミ女医は遂に手袋を脱ぎ捨てた。「死亡時刻、午前7時21分」
ネネが思わず怒鳴った。「いつもなら、助けられましたよっ」
「負傷者の数を考えなさい!」スズミ女医は乾ききった唇の皮を噛みちぎり、テントの外へ出て行こうとする。風間はその肩を素早く押さえた。「甘ったれないで下さいね。今は戦時下です」


外の喧騒とはあまりお構いなしに、アマミキョ内部の作業ブロックはいつも通りのベルトコンベアの音が流れていた。
そんな中で、サイはヒスイにメロンパンを渡していた。明らかに警戒心を露にして見上げるヒスイに、サイは笑ってみせる。「色々迷惑かけてるから。たくさん食べないと、仕事も辛いでしょう」
だが、ヒスイは受け取ろうとはしない。端末に向き直り、黙々と作業を続けるだけだ。しかも、予想だにしない返答まで投げつけられた。「ホント、迷惑です」
クマの濃くなっているヒスイの目がじろりとサイを見上げた。きっと、俺のクマはもっと酷い状態になっているんだろう。そう思いながらも、サイは何とか笑みを崩すまいとする。「悪いと思ってるんだ、本当ですよ」
だがヒスイは、さらに痛烈な言葉を浴びせていく。「他のメンバーのポイントの為に、わざわざあの戦場に出て行ったというのなら、やめて下さい。そういう恩着せがましさ、好きじゃないです」
カズイ以上にくぐもった言葉だったが、傷つく言葉には違いなかった。差し出したメロンパンを引っ込めることも出来ぬまま、サイは他の作業員たちのくすくす笑いを聞くことしか出来なかった。大体ミストラルをオシャカにしかけただけじゃねぇか、アイツのやったことは。女の気をひきたいもんだから。最早あんな女しかいないってか。
と、その時不意に横からメロンパンを取り上げる手が現れた。「貴重な好意に、貴重な食糧。無下にすれば今のご時世、命を落としますよ。お嬢さん」
山神隊・広瀬少尉だ。骨ばった痩身にぶ厚い唇、そして神経質そうな目と銀縁眼鏡がやけに特徴的なその軍人は、何の感情もこもらぬ目でサイを眺める。「サイ・アーガイルだな。話がある」


第3ブリーフィングルームで、サイは伊能大佐と広瀬少尉の二人に尋問を受けるハメになった。
「自ら志願しアークエンジェル乗員となった貴様は、本来ならば連合軍において相応の処分を下される筈だが」横柄なほどの広瀬の声が響くが、そんな台詞はサイの想定範囲内だった。連合軍がアマミキョに乗り込んできた昨夜から、こうなることは覚悟の上だ。
「アスハ代表の手前もある。また、状況が状況だ。ユニウスセブン落下、そして開戦の衝撃はチュウザン全域を覆っている。南方の状況も不穏であり」立たされているサイの前を、ポケットに両手を突っ込んだまま広瀬が何度も往復し、伊能は奥の机で呑気にかた焼きそばをかきこんでいる。
「今回のような連合過激派による騒乱も後をたたないが、さらにこの北チュウザンはザフト寄りの者も多く居住している。この国は火薬庫みたいなもんだ。アマミキョもまた例外ではなく」
「広瀬少尉。本題に入れよ」うまそうにパリパリ音を立てて食事をしながら、伊能が先を急がせた。広瀬は明らかに不満げにその上官を睨んだが、ぐっとこらえてサイに向き直る。「コロニー・ウーチバラでアマミキョが襲撃を受けた際、貴様がテロリスト側と内通していたとは本当か?」
単刀直入ではあるがあまりの言葉。サイは反射的に顔を上げていた。「まさか! ありえません、自分が何故襲撃者などと」
「ミントンで貴様がザフト兵を逃がしたことは調べがついている。ウーチバラを襲った一団も、恐らくザフトの手の者だろうというのが連合上層部の見解だ」
「しかし、ウーチバラを襲ったのはザフトだけじゃありません! ザフトは自分たちを助けてもくれたっ」必死で抗弁するサイを、広瀬は強引に遮った。
「否定したい気持ちは分かるが残念ながら、噂になっている。アマミキョ内部でな」
サイは冷静さを保とうとしたが、どうしても衝撃を隠せない。もう噂など聞かないように努力していたのだが、まさか自分がそこまで敵視されていたとは。
と、伊能が突然狂ったように笑い出した。「また噂レベルの調査か! 怯えてるじゃねぇか、婚約者殿が」
その笑いに、過敏すぎるほどに反応した広瀬が目を剥いて反論する。「しかし、プラント落下がザフトの差し金と明白になった以上、内通者は徹底的に洗い出す必要が」
「馬鹿野郎! もう一度兵学校からやり直せっ」頬張っていたニンジンが飛び出すほどの勢いで、いきなり伊能は怒声を轟かせた。「何の為に俺たちがウィンダムでこの地に降りたと思っている。裏切り者を炙り出す為か?」
「否。全力で護る為です」広瀬は即答した。尤も、伊能への不満はその膨らませた厚い唇に如実に現れていたが。
「分かってるなら時間の浪費はやめ、作業に戻れ。アーガイル、貴様もだ」
一旦は死まで覚悟したが、どうやら、不問に終わったらしい──途端、サイの腹から場違いな音が漏れた。少しだけ安心したのだろうか、姿勢は緊張していても空腹は正直だ。伊能が噴き出した。
「も、申し訳ありません」サイは真っ赤になって腹の虫を抑えようとした。あまりの鳴りように、広瀬まで思わず横を向き、手元の書類に目を落とすふりをしている。「えー、ヒトフタサンマルの作戦行動は……」
「食う?」伊能がさりげなく、サイにかた焼きそばの残りを差し出した。


その尋問をこっそりとドア裏で聞いていたナオトは、サイの出てくる気配に気づいて身を隠した。
「やっぱり、プラントを落としたのって、ザフトだったんだ」既にその事実はアマミキョ全体にも知れ渡っていたのだが、そのことがまたナオトの人間不信を倍増させてもいた。サイと話をしようと彼は待っていたが、プラント落としの光景を思い出すとどうしても自分から話しかけることが出来なかった。「サイさんがザフトと内通していたなら、ザフトを逃がしたのも、ティーダを壊そうとしたのも納得できるし」
昨夜フレイにパイロットを降ろされ、ヤケを起こしているナオトの幼い頭脳は、単純な結論を強引に導き出していた。尤も、そう考えたのはナオトだけではなかったのだが。
と、その時。「どーしたのかな? ティーダの名物実況パイロット君!」いきなり背後から肩を叩かれ、ナオトは思わず絶叫する処だった。連合軍山神隊・真田上等兵だった。
「そろそろ、アストレイの葬式だよ。レポートは君の役目だろ?」


陽光の下、四散したM1アストレイの回収作業がなされていた。作業を抜けられるクルーは全員がその廃墟に集い、命を落としたパイロットを葬送する。
「無残に焼けただれた港が、太陽の下にその残骸を晒しています……昨夜未明、連合からプラントへの宣戦布告も知らぬまま、多くの人々がその生命を散らしました」
山神隊に監視されながらのレポートがうまくいくはずもなく、ナオトは途中で録音を止めた。あまりの惨状は、ナオトの力では伝えることすらままならない。濡れた灰の間から蒸気が立ちのぼり、強い日の光が目の前の廃墟やアストレイの右脚部を焼いていく。


率先してパイロットの弔いを行なったのは、フレイだった。無残に散らばったアストレイのパーツを回収し終え、コクピットの残骸から辛うじて発見されたパイロットの遺骨を埋める作業が、淡々と進められていった。
薬瓶一杯ほどの黒炭と化した骨を埋葬した後、フレイはその場にそっとハイビスカスの花束を置いた。花束とは言っても物資不足で、2、3輪の造花しか用意出来なかったが。恋人を亡くした男の絶叫が、澄みわたった天空にこだまする。
カイキたちアマクサ組もクルーたちと共に、埋葬の様子を見守っていた。何とか歩けるほどにまで回復したマユも、包帯姿のままカイキに連れられてフレイを見ていた。
フレイは弔いを終えた後、しばらくの間、破壊された街の跡をゆっくりと歩き──ふと足を止め、腰を屈めた。そこは全壊した食料品店の残骸らしく、「毎夕5時よりタイムサービス」「生鮮食品3割引」などと書かれた派手めの看板が焼け残っている。その下から、フレイは両手に収まる程度の大きさの黒こげの塊を取り出した。
しばらく目を落とした後、親指でフレイは表面をなぞり、やがて両腕で抱きしめる。まとわりついてくる蚊を、振り払いもしない。「すまない。私が来るのが遅すぎた」
その後ろから、マユが声をかけた。「フレイ、それ何?」
カイキはフレイの抱くものの正体を素早く察知し、マユを下がらせようとした。「見る必要はない、お前は」
「いや、構わん」既にカイキとマユに気づいていたフレイは、振り向きもしないまま二人を止めた。「子供の頭だ。ここで母親と一緒だった」
「すごいね。人間だったの、それ?」マユの包帯の間から見える瞳は、あくまで無邪気だ。そして口調も朗らかだった。「火って、そんな風に人間を焼けるんだ。おもしろーい!」
「何が面白いんだ!」突然背後からかけられた叫びに、マユもカイキも振り向いた。レポートを終えたナオトが、マユを追ってきていたのだ。
「貴様! 近づくなと言ったはずだっ」敵意を露骨にしたカイキは、ナオトからマユを庇うように立ちはだかる。だが、マユはその手をどけて嬉しそうに走り出した。「ナオト! どうしたのっ、さっきのレポート元気なかったよ?」
「人がこんなに死んで、元気になれるかよ! 君の足元だって、まだ人がいるかも知れないんだぞ」
ナオトの指摘したとおり、マユは崩れた建物の残骸を平気で踏んでいた。今マユの立っているのは、冷蔵庫の上だ。それに気づいても、マユは意味が分からない。「ナオト……いつもと違う、何かあったの?」
「別に何も」ナオトは不機嫌な表情を隠そうともせず、横を向く。「君が元気になってくれて、僕は嬉しいよ。それだけ確認したかった」
「うん! 私はいっつも元気だよーっ」マユは未だに病院着のままで、身体中包帯だらけだったが、にも関わらず両腕を振り回してぴょんぴょん飛び跳ねてみせる。焼け残った冷蔵庫の下で、卵がいくつも割れる音が響いた。その音が面白いらしく、マユは何度も飛び跳ねる。「ね! また一緒にティーダに乗ろうねっ」
「飛ぶな!」ナオトの大音声に、マユはぴたりとジャンプをやめた。相手の感情が掴めず、マユはしげしげとナオトを見つめる。ナオトは視線を逸らし、今度は聞き取れないほどの小さな声で呟いた。「ティーダは、降ろされたんだ。そっちの人にね」
ナオトは、向こう側にいるフレイに顎をしゃくる。フレイは何も言わずにナオトたちを眺めていた。突き刺すような視線が、ナオトを捕らえる。「だから、もう君と一緒には乗れない」


数日間の必死の救助作業の後、アマミキョは山神隊に護衛されつつ、ナンザン港を出て北チュウザン首都・ヤエセに向かった。勿論、ナンザン修復作業の為何人かのクルーは残している。
ヤエセは川を隔てて、コーディネイターの街とナチュラルの貧民街に分かれる街だ。コーディネイター中心の川向こうは文具団の勢力下にあり、当初アマミキョが拠点を置く予定だったが、山神隊は東の貧民街側に拠点を据えることを主張した。
アマクサ組と山神隊でひと悶着が発生しそうになったが、フレイの一声でアマミキョはどちらにも接近した場所へ移動することになった。「川沿いのヤハラならば、どちら側にもすぐ飛べます。船体を分離させ、アマミキョの活動範囲を広げることも可能だ。アマミキョコアブロックは東側に置きます」
「十分です。お恥ずかしい話だが、我々が欲しいのは戦力だ」タンバ艦長・山神少将は連合軍人にしては丁寧すぎるほどに、言ってのけた。「特にティーダにカラミティの改造型は魅力的です。勿論、貴女のIWSPもね……アルスター隊長」白髪が目立ち、そろそろ退役の年齢にさしかかっていそうな容貌だが、まだまだその眼光は衰えていない軍人だった。
「期待して頂き、光栄です。単刀直入に仰られると、こちらも助かる」
「それだけ、こちらの余裕がないということですよ。海に面した街の多いこの国は、どこも素晴らしい拠点となる。逆に言えば、どこであろうとザフトに狙われる可能性が高いということです。それにここは人的資源も豊富だ」
「南チュウザンの動乱の件もありますし、ザフトが混乱に乗じてチュウザンを狙う危険は十分あるでしょう。こちらも、貴方がた連合軍がいて下さることは心強い」
クルーの中にはアムルのように、連合がアマクサ組の支配を押しのけてくれることを期待する者も少なからずいたが、フレイが連合内部でも伝説的人物である以上、山神隊も彼女にとやかく言うことは許されなかった。しかも、アマクサ組の管理体制は山神隊の中でも高く評価する者が多かったのだ。従って、隊を率いる山神も必然的にフレイに対して、このような物言いになる。互いに、助けを必要とする立場であることに違いはなかった。
こうして、山と川に挟まれた小さな村落──ヤハラで、アマミキョはヤエセ少年更生院での作業に取りかかることになった。


フレイの元婚約者だからと言って、サイの待遇が変化するはずもなかった。ザフトの内通者という嫌疑をかけられ、さらに彼の立場は悪化したとも言える。
ヤハラへ移動した後も、サイは作業ブロックでのデータ入力業務以外に、深夜から早朝にかけての肉体労働に従事し続けた。体力もいい加減限界に来ていたが、それでもカタパルトそばの倉庫で寝るよりは、屋外で居眠りしていた方がまだマシだったとも言える。何しろ連合との協力体制に入り、連合嫌いのハマーや整備士たちの不満は増大していたのだ。
「奴ら、まんまとフレイの嬢ちゃんを騙しやがった! あの糞ダヌキどもがっ」部屋で眠ろうとすれば、必ずスパナを放り出す大音響と共にこんなハマーのダミ声が聞こえてくる環境は、さすがのサイもうんざりだった。「俺は信じないぞ、連合など!」「だけど、フレイさんも連合の外務次官の娘で」「知るか! 俺は目で見たことしか信じん、今のフレイ嬢は俺たちを護る女神なんだ、畜生っ」
ティーダやアフロディーテに手を入れるたびに山神隊が介入し、ハマーが騒ぎを起こし整備が進まなくなっているという話は、サイも耳にしていた。
そんな整備士たちのストレスは、決まってサイへの暴力となって降りそそがれた。鍵もろくにない部屋に侵入され、靴を便所に捨てられるなどは当たり前で、逆に私物を入れられてありえない盗みの疑いをかけられて殴られるのも日常茶飯事となった。作業着を切り刻まれたり、家族や友人へ書いた手紙を開封された上破られたりも一度や二度ではなかった。尤もサイに嫌がらせをするのは、他のクルーも同じだったのだが。


川沿いにあったヤハラの更生院は、プラント落下時の洪水で半壊していた。そこに収容された子供たちの為に学校を造り、教育を行なう──それがアマミキョの当初の目的だったが、今は勿論救助・修復作業の方が先だった。施設は勿論、村を支えていたサトウキビ畑も壊滅している。川向こうの文具団の工場も、プラント落下直後に度々ブルーコスモスの襲撃を受け、十分な稼動がままならなくなっていた。
さらに、この地域特有の豪雨が毎日の熱射をぬってクルーたちを襲っていた。夕方から朝にかけて、必死でミストラルを操縦して残骸をとりのけ、畑や堤防を修復しようとするサイたちの上に、滝のように容赦なく雨が降りそそぐ。雨が冷たくはないのが唯一の救いだった。
そして皮肉なことに、サイ一人を攻撃することで全員が結束してきた現実を、サイ自身感じずにはいられなかった。俺を笑ってミストラルごと泥の川に突き落としながら、この前までいがみ合っていたコーディネイターとナチュラルの隊員同士が肩を叩き合っている──俺のアンパンを横から奪っていったコーディネイターが、ナチュラルの女の子にそれを分け与えている──
中でもショックだったのは、作業ブロックでヒスイにまで無視された現実だった。サイが入力業務の件で少しヒスイにアドバイスをしたことがあったのだが、その時は彼女は黙ってサイの言葉を聞いていたものの、直後に他の作業員の女性たちに助けを求め、涙まで見せていたのだ。
「あんたも辛かったね、あんな奴にひどいこと言われて」「負けちゃ駄目だよ」「ヒスイさんは凄いよ、私だったら同じ空気吸えないさ」「あいつのキーボード、触るのもイヤだしね」
そのように励まされた経験が今までなかったのだろう、ヒスイは「大丈夫。私、頑張ります」などと言いながら女たちの中に溶け込んでいた。サイが来る前は、おそらく全員から無視されていたであろうヒスイが。
それらの事実を知ってか知らずか、山神隊の連中もサイをめぐる騒動に介入はしなかった。勿論直接的な暴力を目撃すれば止めに入ったものの、彼らは問題そのものを解決しようとはしなかったのだ。


「どうして、アマクサ組のやり方に迎合するんですかっ」
アマミキョを見下ろすことの出来る高台で、ナオトは山神隊の真田に堂々とくってかかっていた。ナオトもまた、連合が乗り込んできたことでフレイたちの統制が崩れることを、少なからず期待していたのである。真田は山神隊の中では最年少の21歳で、ナオトの話しやすい相手でもあった。
「僕らは、ナチュラルとコーディネイターの差別なんかない国から来たんです。なのに、この船で差別されるなんておかしいですよ。真田さん何とか言ってきて下さいってば、僕の言うことなんてあの人たち全然」
「下っ端の俺に言われても困るんだけどなぁ。フレイ・アルスターのやり方に介入しない、それが山神艦長からのお達しなんだよ」
「落ち着けよ、パイロット君」真田の後ろから、軍人にしては小柄な体格の時澤軍曹が牛乳瓶を手に、ひょっこりと顔を出した。「とはいっても、今は違うんだっけ。降ろされて他人に八つ当たりは、男のやることじゃないぞ」
「そうだよナオト君、本来あれは君のようなド素人が乗るものじゃない。俺たちのウィンダムの操縦で、勉強するんだね」
「まだスカイグラスパーがやっとのお前が言うか、真田」
時澤に差し出された牛乳を一気飲みしながら、ナオトは喋り続ける。「違います、許せないんですよ。オーブは自由と平和の国です。なのに、アマクサ組はその理念を踏みにじって、カガリ代表まで馬鹿にして!」
「誰、カガリ代表って?」真田がきょとんとして呟いた。いきなり話の腰を折られ、ナオトは思わず真田を凝視してしまう。時澤がウンザリというように眉間を押さえた。
「ウズミ・ナラ・アスハの娘で現・オーブ代表だ。いくら何でもウズミ元代表は知ってるよな」
「いや俺、山神隊配属前は情報処理一辺倒だったもんで」
「すまない、ナオト君。真田は政治や歴史とか、からっきし駄目なんだ。あのフレイ・アルスターの名前出されても、一人だけ無反応だったし。教育係の自分が、どれだけ恥をかいたやら」
ナオトは大きな目をさらに丸くした。「フレイさんって、連合の中じゃそんなに有名なんですか?」
「そうだね、ザフトのラクス・クラインほどじゃないけど。実際、2年前は彼女を連合のラクス・クラインに仕立てようという動きもあったようだ。父親を失いながらも、健気に軍に志願した勇気ある少女……そしてザフトの捕虜になりながら、見事に生還した。素晴らしい宣伝材料だろう? ヤキンでドミニオンが撃沈された後、行方不明になっていたようだけど」
真田がそこで再度、話の腰を思いっきり折った。「誰すかそれ? ラク……」
「勘弁してくれ、これ以上漫才はゴメンだ」時澤は蝿を追っ払うように真田の言葉を振り払うと、話を続けた。「自分らが知ってるのはそれだけだ。2年前から今まで彼女が何をしていたのか、一切は闇の中だよ」
「本来連合の人間だったら、さっさと引き取って下さいよ。どうしてチュウザンやアマミキョで、あんな横暴を働くんですか、彼女は」
「君の言い方も十分横暴だなぁ」時澤は身体を揺らして笑った。腰を下ろしてしまうと彼の身長は、ナオトの方が大きいくらいに見える。「ここだけの話……上からの命令だよ。フレイ・アルスターに手を出してはならない。
それに彼女たちのおかげで、アマミキョは今の処、支障なく活動している。少なくとも、個々の業務処理能力は正当に評価されていると自分は見る」
軽めではあるがきっぱりと甘さを拒絶するその言い方に、ナオトは失意を覚えた。さらに時澤は口調を切り替えて、立ち上がる。「これ以上は、君と馴れ合うわけにはいかない。いかにオーブと連合が条約を結ぼうとしているとはいえ、ね」
思わぬ現実を突きつけられ、ナオトは腰を浮かせていた。「まさか! カガリ代表がそんなことをするはずが」
「カガリ代表自身も、恐らく条約締結を望んではいまい──しかし無力だ。君たちから見れば彼女は女神にも等しい存在なのだろうけど、連合、特に東アジア共和国の者らにしてみれば彼女は傀儡にすぎない」
「何ですって……やっぱり貴方たちも、代表を馬鹿にして!」
「怒らないで聞いてくれ。たった18かそこらの少女に、一国の首長が務まると本気で思っているのかい、君たちは? 経験もない若い女性が政治を任され表舞台に立って、国が混乱した例は歴史上、少なくないんだよ。おそらくセイラン家か、それに準ずる者たちが彼女を動かして何とかオーブを支えている。理念は立派だと思うが今のオーブはどう考えても、連合と手を結ぶのが得策だろう」
「でも、ラクス・クラインは……」ナオトが言いかけた時、先ほどからずっと草原の上でノートパソコンをいじっていた真田が、振り向いた。
「ありましたよ! ラクス・クラインのデータ。最新映像、これでしょう」
真田の端末には、ナオトの尊敬するあの薄紅の髪の、伝説の少女が映し出されていた。彼女は祈るように手を合わせ、画面の向こうの視聴者に向けて必死で訴えかけている。
「この度のユニウスセブンのこと、またそこから派生した昨日の地球連合からの宣戦布告、攻撃。実に悲しい出来事です。再び突然に核を撃たれ、驚き憤る気持ちはわたくしも皆さんと同じです。
ですが、どうか皆さん! 今はお気持ちを沈めて下さい。怒りに駆られ想いを叫べば、それはまた新たなる戦いを呼ぶものとなります」

「さ、真田! 馬鹿野郎、こんなもの何処でっ……広瀬少尉にでも見つかってみろっ」ナオトへの威厳は何処へやら、時澤は目を白黒させて映像ウィンドウを閉じさせようとする。だが、真田は得意げだった。「言ったでしょ、自分は情報処理のエキスパートですよ。チュウザンは連合の中でも中立寄りなんです、ザフト側の映像があったって不思議じゃないと思いまして」
「しかしなぁお前」時澤と真田がやり合っている横で、ナオトは夢中で映像を見つめて、両手まで組んでいた。漫画であれば目に星が3つほど点灯していそうな顔である。
「ラクス・クライン……水の証が、復活したんだ!」
「最高評議会は最悪の事態を避けるべく、今も懸命な努力を続けています。ですからどうか皆さん、常に平和を愛し、今またより良き道を模索しようとしている皆さんの代表、最高評議会デュランダル議長をどうか信じて……」


同じ映像を作業艇・ハラジョウで眺めながら、フレイはルージュを引きなおしていた。ニコルが画面操作をしながら、ラクスの歌声に聞きほれている。だがやがて車椅子を軋ませつつ振り向くと、彼はフレイに笑いかけた。「似たようなこと考える人って、いるものですね」
フレイは紅筆の長さを調整しつつ、鏡ごしにラクスの映像を見ていた。「だな。しかし、デュランダル議長は致命的なミスを犯している」
「遅かれ早かれ、そのミスは修復されますよ」
「そうなったら、困るのは我々だぞニコル」
「でしたね。尤も、簡単に修復されるようじゃ、僕らがここまでする価値もないですけど」舌をぺろっと出しつつ、ニコルは画面に向き直った。「それにしても彼女、よくなりきってるなぁ」


サイにとって屈辱的なことは、地元住民にさえ既に自分の噂を流されているという現実だった。
更生院修復及び学校建設の為に、熱射と豪雨の中を駆けずり回る自分に向けられる視線が酷薄なものになっている事実に気がつくのは、そう遅くはなかった。おそらく、他の隊員たちが自分のことを言いふらしているのだろう。ザフトの内通者だの何だの。
自分にお菓子をねだってくる子供らを、怒鳴り散らしながら急いで母親が引き離す光景を、サイはもう何度も経験した。──近づいちゃいけません!
まぁ、そうだろう。自分の格好を見ながら、サイは思う。意地でブリッジの制服を着続けているものの、暴行を何度となく受けたおかげで所々が破れている。泥や血のしみがあちこちについて、襟や脇のあたりも汗で黒ずみ、顔も傷だらけだ。洗濯は何とか続けているものの、風呂にはもう何日も入っていなかった。尤も、豪雨がシャワーがわりになってくれるので臭いは大したことはないだろうが──それでも、作業ブロックに入ると決まってヒスイや他の女性たちに嫌な顔をされた。
まるで子供だ、アマミキョの連中は。大体、昔の海外救援隊と違い、アマミキョに乗ったクルーは職を求めて乗り込んだ人間も多い。つまり、志の高い者もいるがオーブ最下層の者も多いということだ。面接試験はあったものの、篩にかける為ではなく配属先を決める為のものにすぎない。だからこそ、ハマーのようなアル中まで乗り込んでくることになる──
学校建設の為の土地を整備しながらそこまで考えて、サイは自分に失望した。眠いんだな、俺は。
今自分が辛いからといって、他人を卑下するようでは人間、おしまいであろう。降り積もった土砂や焼けた木材を取り除く作業を、燃えるような夕陽の下で延々と行いながら、サイは考え続ける。
自分がターゲットになって、アマミキョが結束するのならそれもありだろう。実際、プラントを再び敵としたことで、分裂気味だった連合が再び組織の結束力を取り戻しつつあるのだ。敵を作るということは、組織をまとめる上で最も手っ取り早い方法なのかも知れない。敵とされた方はたまったものではないが。
ふと周りを見ると、近所の子供たちが小さな木材を振り回し、ちょっとした乱闘を起こしていた。「連合の核攻撃、失敗したんだってなー。ざまーみろ!」
まだ5歳程度の子供たちだろうか──そのうち三人ほどは結構身なりも良く、力も強そうだったが他の子たちは何日も泥の中で遊んでいたような格好をしている。身なりの良い方の子供らが、他の子たちを次々に殴り、蹴り、砂場に突き落とし、泣かせていた。
その時、たかが子供の喧嘩ですまされない言葉が、飛んだ。「無駄な抵抗はもうやめろよ」「お前らナチュラルがいくらやったって、俺らにかなうわけないんだから!」「そうそう、ナチュラルの友達なんか、いるかよ!」
──やめてよね。僕が本気を出したら、サイが僕に──
状況をしっかり把握する前にサイは反射的に、シャベルを地面に叩きつけていた。乾いた音が大地に反響し、驚いた子供たちが振り向く。だが子供たちが怯えて逃げ出す前に、サイは大股で強引に子供たちの間に立ち塞がり、言葉を吐いた子の首根っこをつかまえる。沈む夕陽の中、平手うちの音が響いた。
「やめるんだ! どんなことがあっても、人を辱めちゃいけないっ」
あまりのサイの剣幕に度肝を抜かれた子供たちは謝ることも抵抗することもなく、ぎゃあぎゃあ泣き喚きだして走り去っていく。
自分がしてしまったことに改めて気づいたのは、子供たちがいなくなって数秒後だった。子供を殴った、その血豆だらけの手をサイは眺める。
駄目だ、俺は。未だにキラとフレイとの、あの砂漠の記憶に縛られている。キラの苦しみなどまるで理解しようとせず、フレイの悲しみも知ろうとせず、一方的にキラを憎んだあの時──
あの時と今と、何が違うんだ。ただ、今は相手がキラでなく子供であった為に、自分は怒りを思い切り、ひ弱な相手にぶつけることが出来ただけだ。
フレイの平手やカイキの拳の方が、理由があるだけ今の自分よりも遥かにマシだろう。今、自分は憎しみと衝動だけで、子供を殴った。人を辱めているのは、俺だ。
「最低」ふと投げつけられた言葉に振り向くと、看護士のネネと操舵手のオサキが、連れ立ってこちらを見ていた。今の言葉はネネの口からぽつりと出たものらしい。
オサキはもう、言葉をかける価値すらないというようにぺっ、とその場に唾を吐き捨てた。そのまま二人は、サイを振り向きもせずに持ち場へ戻っていく。
同班で、しかも最初は比較的仲の良かった二人から蔑視されるのは、他のクルーたちから忌み嫌われるよりもサイの心を沈ませた。二人とも、何だかんだと言いながらもブリッジや医療ブロックで、度々サイを助けてくれたのに。ネネなどは、ひょっとしたら自分に気があるのではなどと思ったこともあるくらいだ。
カズイも、ナオトも、サイから離れた。もはや俺には、誰もいない──


 

 

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