アマミキョ医療ブロックでも、患者たちの間に戦闘の噂が広がっていた。
ベッドから抜け出し、相変わらず血と尿にまみれたままの床を歩きながら、サイは患者たちの明白な不安を感じ取っていた。中にはサイを医師と間違えてすがりついてくる子供もいる。「ねぇ、僕たち死んじゃうの?」
「大丈夫、アマミキョが守るよ」サイはにっこりと笑顔になり、そんな子供たちの頭を撫でながら病棟を出て行く。
行き先は外の、作業用M1アストレイだった。サイが独断でアストレイの改修を開始してから、既に3日が経過していた。
勿論サイの怪我はまだ治っておらず、アストレイにとりついているサイを発見する度に風間やスズミが止めに入る。だが、サイは聞かなかった。
5度目にスズミ女医が止めに行った時にはもう、サイはアストレイのコクピットに乗り込んでマニピュレータの調子を確認していた。炎天下のコクピット内は蒸し風呂だったが、サイは構わず作業を続けていた。
「川のこちら側はコーディネイターの街、ザフトもそう悪いようにはしないはずよ。だからこそ、フレイさんも医療ブロックはこちらへ下げたんじゃないの」わざわざ作業用の足場を使ってコクピットに乗り込んできたスズミは、サイに忠告する。一応、山神隊に聞かれぬよう、小声で。
「お忙しい中ありがとうございますと言いたいですけど、そんな保証が何処にありますか。俺に言わせれば、こちら側にアストレイ1機のみってのは怠慢もいい処ですよ」
サイはスズミに構わず、OSを起動させる。右手だけでシステムを立ち上げると、サイはディスプレイの表示を確認していく。「スタートアップは問題なし。右脚部のサスペンションが若干いかれてるけど、ミストラルのアームを一部拝借すれば何とかなるな。スラスターの出力は最大で60%か、せめて75%あれば飛行出来るんだがな。残る問題は武装……イーゲルシュテルンだけ使えてもなぁ。アーマーシュナイダーは使い古しだし、第一デバイスドライバが合うかどうか」
と、その時機体の下にトラックが到着した。荷台には数発のスティレットが固定され、ワイヤーでくくりつけられている。投擲噴進対装甲貫入弾──手投げ爆弾である。この前のダガーLなどの、この地を襲撃したテロリストたちの置き土産だ。「サイー、まだ公園のあたりに2発埋まってるってぇ!」
トラックの運転席から、泥まみれになった少年が元気よく顔を出した。まだ10歳にも満たない子供だ。サイは右腕を大きく振って答える。「お疲れさん! もう十分だ、休んでくれっ」
「約束のチョコレート、忘れんなよ!」運転席から3人ほど子供が転がり出て、サイとアストレイに手を振る。スズミが驚いてサイの右腕を掴んだ。
「何考えてるの、子供に爆弾運びなんて!」
「俺も最初は驚きました。でも、ザフトが攻めてくるって知って、自主的に俺を手伝ってくれたんです。ここの子供たちはみんな、こういう事を当たり前のようにやってくれる。それがいいのか悪いのか分かりませんけどね」
サイはスパナを口にくわえて、動かない左腕を庇いつつ座席周りの調整を始める。蝿がサイの腕や頭の包帯に何匹か張りついていたが、サイは一向に気にしなかった。


ナガンヌ空港そばの宿泊所裏で、ナオトの話はようやく終わった。ミリアリアは額を押さえてため息をつく。「サイの馬鹿……フレイのことなんて、メールには一言も」
「あの人らしいですよ。嫌なことは公にせずに、全部自分でしまいこむ」長く嫌な話を終えて、ナオトは不機嫌そうに腕を組んで体育座りを決め込んだ。
未だ地表を焼き尽くしている太陽は、木の間からしつこく二人の顔を刺そうとする。それに手をかざしつつ、ミリアリアは呟いた。「言いたくないのは分かるわ。2年前もそうだった……サイは人のことばかり心配して、自分のことは全部棚上げ」
「そういう偽善、嫌いですね。だからザフトにも利用されたんだ」
ナオトは駄目だこりゃ、と言いたげに肩をすくめ、両手首をひらひらさせておどけてみせる。だが次の瞬間、ナオトはまたもやミリアリアにつねり上げられた。今度は頬だ。下手に拳で殴られるより痛い。
「いだだだだだ! ちょっとやめて下さいよ、僕これでもテレビに出る人間で」
「偽善やきれいごとの何が悪いの!? みんなで正直に心の闇をさらけ出して暴力を振るう方がいいとでも? そういう暴力が嫌で、あんたはアマミキョから逃げ出したんでしょうが!」
ナオトはミリアリアの手を強引に顔から引き離す。やっぱりこの人も、偽善の塊じゃないか。
「僕は逃げてなんかいませんよ! みんなが狂っていくのが耐えられなかっただけだっ、正当な自己防衛です」
「それが逃げたってことよ! サイがどんな気持ちでフレイと相対していたと思うの? どんな思いであんたを守ろうとしていたと思ってるのよっ」感情的になったミリアリアはナオトの襟ぐりを引っ張り上げる。だがナオトは負けずにその手を叩き払った。
「知ったこっちゃないですよ、サイさんがマユや僕を傷つけようとしたのは確かなんですから! フレイさんを出し抜こうとして、僕たちをザフトに売ったんだっ」
だがミリアリアも引き下がろうとしない。さらにナオトのネクタイを掴み、体重をかけて草むらへ押し倒す。傍から見れば妙な勘違いをされかねない光景である。「確たる証拠もなしに思い込みだけで判断、それでよくもまぁマスコミ名乗れたもんだわ。その減らず口は何の為にあるの? その無駄に大きな目は何の為にあるのよ!」
「じゃあ、サイさんがそんなことしないっていう証拠がありますかっ」倒されたナオトの目に、加速度的に曇っていく空が見えた。湿気がこもり、張りつめた空気。スコールの前兆だ。
しばらく逡巡した後、ミリアリアはようやくナオトから手を離した。「証拠とは言えないけど」姉のような仕草でナオトを起こすと、スーツの土を払い落としてやり、ゆっくりと話し始める。「そのハマーって人みたいになったことが、私にもある。感情を剥きだしにして、傷つけてはいけない相手を殺そうとしたことが。その時止めてくれたのが、サイだった」
「それだけじゃ……」
「いいから聞きなさい、今度は私の話よ。
フレイ・アルスターは、もう、いないはずなの」


カーペンタリアを出発したザフト艦隊は、既に北チュウザン首都ヤナセから南へ600キロの海域まで迫っていた。
アマミキョ捕獲へ執念を燃やすヨダカ・ヤナセがカーペンタリアでかき集めることの出来たのは、ボズゴロフ級3隻。このクラスの潜水母艦は、ザフトで唯一の海洋戦力である。
旧台湾とフィリピンの間の海峡(ルソン海峡)を通過したあたりで、ヨダカは艦橋で副官に尋ねていた。
「ミネルバからの連絡は?」
「オーブ出港時に連合・オーブ両軍の攻撃を受けたらしく、修理補給の為カーペンタリアへ直行です。とてもこちらの支援は無理ですね」
「役立たずのひよっ子どもが。オーブでパフェでもパクついていたんじゃなかろうな」
イラついて髭を撫で回すヨダカを、オペレータの一人が茶化した。「今度合流したら、チュウザンの焼酎でも飲ませてやりましょ」
「南国の酒はキツイそうだからな。浮かれた若造どもには、いい薬だろうよ」
眼前のモニターに映るものは、CGで描かれたチュウザンの島影。そこには連合艦隊を示す紅い光点が、点滅しながら増えつつある。ヨダカはディスプレイと、カタパルトの様子を交互に睨みながら呟いていた。「東アジアの防衛線だけあって、連合も必死だな。南チュウザンが落ちれば、楽に攻略出来るものを……」
「議長の仰せでは、仕方ありませんよ。誰もタロミを怒らせたくはないですからね」
「タロミ・チャチャに手を出すな──か」
カタパルトでは、グーンと共にアッシュの調整が進められていた──全長20.65メートル、重量50.59トンのザフトの最新鋭水陸両用モビルスーツである。半漁人を思わせるどぎつい蛍光緑の装甲は特殊部隊らしくなく、ヨダカ自身は好きになれなかったが、今は色を気にしている時ではない。
「それに、目的は攻略に留まらんからな。アマミキョ捕獲、それが我らヨダカ隊の最優先事項だ」
「連合の量産型は他部隊に一任、ですね」
ヨダカの黒目がアッシュを眺めつつ、目前の戦闘に心躍らせて光り出す。
「その為の悪趣味アッシュだ。ミントンでの赤っ恥、あの借りは返させてもらう。ティーダを引きずり出すぞ!」


ナガンヌ空港では、スコールが本降りになり始めていた。だがナオトは、たった今ミリアリアから聞かされた話に、スーツの肩が濡れそぼっているのにも気づけなかった。ミリアリアはそっとナオトを屋根の下へ移動させる。
「初めて聞きました……フレイさんが死んでるなんて、サイさんは一言も」
ナオトの目は、驚愕に見開かれたままだ。
2年前起こった事実──キラ・ヤマトの伝説の裏をミリアリアから聞かされたナオトは、身体の震えを止めることが出来なかった。
婚約者であったサイとフレイは、2年前のヘリオポリス襲撃の際、共にアークエンジェルで逃げのびた。しかし父親の死から、フレイは変わってしまった──復讐の為、フレイはサイに一方的に別れを告げ、キラに近づいた。その中でキラは次第に我を見失い、サイを傷つけ、自らも傷ついた。キラもサイもフレイも戦火の中で仲間、恋人、自分、あらゆるものを失っていき、離れ離れになる──
最後に迎えた結末は、キラ、ミリアリア、そしてサイの目の前でのフレイの爆死。
「そんなひどいこと、ヤキン関連のどの文献にもっ」
「書いてあるわけないでしょ。書く必要もないし……カズイからも、何も聞かなかったの?」
「サイさんが、口止めしてたんだな」フレイの過去をカズイが喋ろうとした時、確かサイはかなりの剣幕で止めていた。そりゃそうだ、こんなことはうかうかと本人の前で喋って良いことじゃない。
ミリアリアはじっとうつむき、唇を噛む。「きっとサイは、自分だけで始末をつけるつもりなのね。キラの処へ、フレイを連れて行く為に」
ナオトは草むらの間に座り込み、頭を抱えてしまった。雨はますます強くなったが、混乱しているナオトは雨など忘れていた。「僕は、何も知らなかった」
何と、自分は無知だったのだろう。そして何と愚かだったのだろう。
しかも無知の上に、無理解だった。
フレイとキラ・ヤマトにつけられた、癒えようのない傷。にも関わらずサイは、キラを支えてアークエンジェルで戦い続けた。あれほどの力を持つコーディネイターキラ・ヤマトを、ナチュラルでありながら陰で支え続けたのだ。その結果、無数の惨劇を目にし、最後にフレイの爆死を目の前で見て──
しかし2年後の今、アマミキョにフレイは現れた。サイたちを弄ぶ支配者として。
死んだはずの元恋人が眼前に現れ、どれほどサイは混乱しただろうか。部外者のナオトですら訳が分からないのだ、サイはきっと発狂してもおかしくなかったに違いない。
それでもミリアリアの言う通り、サイはそんなフレイをキラの処へ連れて行くつもりなのだろう。その為に、どれほどの苦難が押し寄せようとも。
ナオトはようやく理解した。サイが何度殴られても、アマミキョでフレイと接触し続けようとしていた理由を。フレイの暴走を止めようとしている理由を。どんなに見下されようと傷つけられようと、サイはいつだってフレイと正面から向き合おうとしていた理由を。
サイは、何とかしてフレイを元に戻したいのだ。それも自身の為ではなく──恐らく、キラの為に。
「人間、壊れちゃうよ。全部自分だけで何とかしようなんて」
そしてナオトは知った。自分がティーダに乗ることに対して、決して良い顔をしなかったサイの心情を。
──大きすぎる力は、君を壊す。
サイは恐らく、キラを思い出してナオトにこう忠告したのに違いないのだ。追いつめられていくナオトの心理状態を心配して、砂漠でのキラをナオトに重ね合わせたのだろう。だからサイはいつだって、必死にナオトを助けようとしていた。ダガーLの自爆からナオトとティーダを守ったのだって、サイの改良したTPシステムだったじゃないか。
それなのに、自分は一体サイに何と言った? フレイの写真まで投げつけて。
──サイさんがコーディネイターだったら、こんなことにならなかったのに!
──本当は、コーディネイターが憎かったんでしょう。
──もう誰も、貴方のこと信じませんよ!
自分にコーディネイターの血が混じっているのをいいことに、かつてのキラ以上にサイを傷つけていた事実に、やっとのことでナオトは気づいた。
言葉というものは、何と恐ろしいのだろう。感情のままに飛び出した言葉というものは、ナイフ以上に人を傷つける。
少しでも話してくれれば、打ち明けてくれれば、自分は絶対にサイにあんな酷いことは言わなかったのに!
それでもあの時サイは土下座までして、信じてくれと頼んできた。今でもその姿は、鮮烈に瞼の裏に蘇る。怒りにまかせて張り倒されても仕方がないほどの言葉を、ナオトは吐いたのに。
「自分だけで決着をつけたい気持ちは分かるけど、無茶すぎるわ。肝心な時に助けを求めないんだから」
ミリアリアは立ち上がる。雨の中でもその栗色の髪は、元気に跳ねていた。「私、アマミキョに行くわ。フレイの正体を確かめる」
「僕が行きます!」ナオトも咄嗟に立ち上がった。「ミリアリアさんは駄目ですよ、せっかく何日も待ってたんでしょ。オーブには貴方を必要とする人がたくさんいますよ」
「それはそうだけど、サイとフレイの件は最優先よ。当然キラが関わるんだから、尚更」
「だけど、今チャンスを逃したら今度いつオーブに戻れるか」
「待てばいいわ。何だったらフレイに頼んでみるわよ、相当権限あるみたいじゃない?」
ミリアリアは頼もしいウインクと共に微笑む。そして少し斜に構え、ナオトに意地悪く聞いた。
「それより、貴方こそいいの? 私はにっくきサイの友達よ、簡単に信じてもいいの? アマミキョの噂に簡単に流された癖に。私だってザフトのスパイかも知れないわよ、何たってザフト兵の恋人がいたんだから」
「本当かどうか、サイさんに確かめます」こうなると、ナオトの行動は早い。荷物を取り上げ、早速空港に背を向けて歩き出す。さすがのミリアリアも、この方向転換の早さには驚いたようだ。
「僕は確かめもせずに、サイさんを責めた。ジャーナリストとして、一番やっちゃいけないことをやったんです。フレイさんのことも、マユのことも、ティーダのことも、僕は色々なことを確かめずにアマミキョから出てきてしまった。逃げ出したんです!」
今も一人でアマミキョで苦闘を続けるサイに比べ、自分は何と子供だったろう。帰ろうと思えばオーブに帰ることも出来るのに、サイは絶対にそうはしなかった。なのに、自分はサイへ加えられた暴力を目撃しただけで逃げ出した。自分を守る為? 冗談じゃない。ただ臆病だっただけだ。
だが、ナオトが思いに逸るあまり走り出そうとしたその時──
空港中に、目覚まし時計のベルにも似た警報が響きわたった。


山神隊の母艦タンバではこの時、カタパルトそして各ウィンダムのコクピットに、矢継早に山神艦長の指示が飛んでいた。
<索敵によれば現在、ザフト軍はチュウザン南方バシー海峡を抜け、二手に分かれて北北東へ移動中。主力と思われるグーン部隊は東側よりヤハラへ直接侵攻、当該部隊が陽動である可能性は52%。チュウザン本島の裏側から大回りされる危険もある、絶対に制空権を渡すな!>
時澤軍曹が小さい身体をすばしこく動かしつつウィンダムに飛び乗り、続いて真田も時澤支援の為にスカイグラスパーで出撃していく。
<伊能、広瀬、風間各部隊は東側の主力殲滅へ向かえ。ナガンヌ方面にもザフトの艦影を確認した、時澤隊は至急ナガンヌ空港防衛へ回れ>
ウィンダムのOSを立ち上げつつ、時澤は真田と通信を交わす。 「真田、ジェットストライカーの調子は?」
<上々です。噂のインパルスを切り裂いてみせますよ!>
戦闘に対する恐怖から来ている真田の大口。台詞とは裏腹に緊張に満ちている彼の心に、気づかぬ時澤ではなかった。
「残念だが、ミネルバもインパルスも来ないよ。それよりシート周りの最終点検を忘れるな」
こっちには山神隊のウィンダム以外に、ディープフォビドゥン部隊がいる。しかもあのファントムペインが加勢に来る。後方にはアマミキョのカラミティに「血のストライク」に「輝きのブリッツ」がいる。いくらザフトとはいえ、こいつらを前に勝てるはずがない。
この時の時澤軍曹に、そのような油断は決してなかったとは言い切れない。さらにそのすぐ横から上から、伊能、広瀬、風間らの頼もしいウィンダム部隊が出撃していくのだ。大丈夫だ、俺たちは死なない──数で勝るという事実は、安心と同時にそんな慢心を味方に与えてしまう結果となる。


アマミキョでは、警報が流れる中でクルーが避難民を船の各ブロックへと誘導していた。アマミキョは既にいくつかのパーツに分かれてヤハラ区域に点在しており、そのどれもが避難所となる。
コアブロックのカタパルトでは、当然フレイ、カイキがそれぞれの機体に乗り込んでいた。
いつも通り軽く首を捻ってメットの調子を整えたフレイは、カラミティへ指示を出す。「カラミティは砲撃戦装備で後方待機。全力でアマミキョを守れ、ヤハラの空を汚すウツケは全て叩き落とせ!」
<了解。しかしカラミティが最も空を汚すぜ、多分>
フレイはそんなカイキの冗談にも、眉をぴくりとも動かさない。「味方を撃ったら貴様も叩き斬る。行け」
<カイキ・マナベ、カラミティ、出るぞ!>
エメラルドの巨体を滑らせて、カラミティがカタパルトから地表へと飛び出していく。フレイはさらに、カタパルト奥のティーダと通信を交わした。
<ラスティ、ティーダの調子は?>
ティーダのコクピットには既にマユが待機しており、ナオトがいた前席ではラスティが座席の調整をしていた。OSの立ち上がり具合を睨みつつ、ラスティは赤い髪をかきむしろうとして誤ってメットに手をぶち当てる。「サスペンションは全く問題ないが、どうも俺とこの機体は合わんね」
<わざわざ自らの士気を低下させるような言葉、吐くものではないぞ>
「だって、ハロも俺のこと好きじゃないみたいだし」
ラスティの言う通り、彼とマユとの間に座っている黒ハロの眼は、何処となく元気のない点滅を繰り返している。マユはそんなハロよりさらに重症のようで、ラスティが乗り込んでから彼女は一言も口をきいていなかった。ティーダのシステムのスタートアップを白けた顔で眺めているだけだ。


ヤハラ東の海域から、ザフト部隊が次々と侵攻してくる。海の戦士であるグーン、ゾノ、そして空の騎士バビ、ディン。伊能・広瀬・風間のウィンダム部隊の前には、未だ噂の新型は現れてはいなかった。
ヤハラの海に広がる浅瀬で、伊能たちのウィンダムはこのザフトの大群を迎え撃つことになった。だが、連合側はその6倍ものウィンダム部隊をヤハラ東海岸に配備していた。山神隊はその中心だ。「ディープフォビドゥンもいる、功を焦るなっ広瀬!」
先行して早くもバビ2機と撃ち合いを始めた広瀬少尉のウィンダムに、伊能が通信を送る。だが、返ってきたのはいつもの皮肉っぽい返事だった。<そっくりそのままお返ししますよ、その台詞!>
風間のウィンダムも広瀬に続く。広瀬機がビームサーベルを抜き放って縦横無尽に飛び回りバビの注意をひきつけ、それに追従する風間機が、広瀬機を盾にする形で陰からバビを撃つ。いつもは言い争いばかりしているこの2名だが、攻撃フォーメーションは見事なものだった。雨の空に次々と上がる火球の間を、広瀬と風間のウィンダムは青い盾とジェットストライカーを輝かせながら飛んでいく。
その背後の伊能大佐は、突如海から飛び上がってきたグーン3機を相手に激闘していた。伊能は浅瀬にウィンダムを走らせつつ波を蹴り上げ、この忌まわしい大王イカを思わせる敵を全機撃ち落とす。ゾノと違ってグーンに格闘能力はそれほどない、恐れることはない。水中から近づき脅かすだけが特徴の腐れイカだ。尤も伊能が狙撃している間に、味方のダガーLが2機犠牲になったが。
そして伊能は確信した──
バビとグーンを半々に混ぜただけのこの大仰な編成、雑な攻め。
明らかに本来のザフトではない。やはり陽動──だとしたら、本隊はどこだ? 裏か? 空港か? 


ナガンヌ空港付近の岸壁にも、ザフトが上陸作戦を敢行していた。勿論、集まっていた群衆は大パニックに陥っていた。逃げるはずだった空の出口から、攻め込まれている?!
「これじゃ、アマミキョも危ない」ナオトは突然のことに、どう動けばいいのか分からず棒立ちになってしまっていた。マユもおそらくティーダに乗っている。ブリッジも医療ブロックも大変な騒ぎだろう。サイは、カズイは、ミゲルやラスティは、真田たちは、オサキは、アムルは、ネネは、スズミ先生は──フレイは。
そうしている間にも空港のすぐ近くで爆発が起こり、火柱が上がるのが見えた。滑走路の方向だ。
せっかく、みんなの元に戻りたいと願ったのに──ナオトは胸元のフーアのお守りを握り締める。
「こっちよ!」ミリアリアはそんなナオトの腕を引っ張って走り出していた。逃げまどう人々の流れとは逆方向へ。つまり、たった今火の手が上がったのとあまり変わらぬ方向へ。「アマミキョへ行くつもりなら、道はあそこしかないわ。道路は封鎖されるだろうしっ」
「何処ですか?」
「決まってる。空よ」
二人は走る、走り続ける。しかしその上空に、早くもディンにバビが飛来してきた。しかも合計5機も。施設を完全に破壊する気か──
人がまだ残っているだろう林が空襲される。ナオトとミリアリアの目と鼻の先で、爆発が起こった。轟音と共に二人は地に伏せ、爆風に耐える。が、さらにバビは空から群衆に銃口を向けた。
「卑怯だ! 人造人間の癖にっ」
勿論そんなナオトの暴言が、バビのパイロットに届くわけがない。
モビルスーツに対して人間とは、何と小さいのだろう。しかもあのバビ──三角帽子を思わせる頭部を持つ紫の巨体は、空を飛んでいる。ミリアリアが咄嗟に彼の両肩を掴んだが、彼女の手も震えていた。
しかし、その銃口が光に満ちた瞬間、閃光からナオトたちを敢然と守ったものがあった。しっかり地上に根を降ろし、人々の前に立ちはだかった青と白の鋼鉄の巨人──その右肩部に刻まれた「天海」なるシンボルマークに、ナオトは見覚えがあった。
「時澤さん!?」
さらにその上空を、スカイグラスパーが滑空していた。今自分たちを守ってくれたのが時澤なら、あのスカイグラスパーに乗っているのは、真田上等兵だろうか?


「道路封鎖ですって!?」アマミキョ医療ブロックでは、スズミ女医が悲鳴を上げていた。戦闘による負傷者が続々と運ばれてくるというのに、血液バンクは既に空っぽに近い。にも関わらずのこの事態に、スズミのみならず他の医者も看護師たちも動揺を隠せなかった。スズミもネネもお互いに、隈の濃い顔を見合わせる。「Oマイナスは節約に節約してたのに」「軽傷患者さんから頂くしかないですよぉ」
奥で寝ていたサイも、このただならぬ様子に飛び出した。「俺、O型です! 採血して下さいっ」
「悪いわね。血液空輸用のヤナセ第14ヘリポートと、連絡途絶なのよ」スズミは即座にサイを座らせ、血液を採った。ネネもサイの二の腕を駆血帯で縛りつつ、不安げな表情を見せる。「ザフトの上陸地点に近くて、非常に危険な状態だそうですよ……どうしよう、ヘリは勿論使えないし」
その間にも、狭い医療ブロックの通路へ次々に患者が運ばれてくる。腕のちぎれた中年女性。目をえぐられた子供。モビルスーツの空薬莢の落下で潰された母子。スズミもネネも用がすむとサイを放り出し、既に叫ぶことも出来ない負傷者にとりついていた。
悲鳴。泣き声。怒号。叫び。血の臭い。隅で膝をかかえ、たった一人で震えている幼児。内臓物の悪臭。転がっている誰かの指の一部。床に広がる嘔吐物。
ストレッチャーの音と豪雨の音が交差し、遥か彼方からは遠雷のような響きも感じる──空襲だ。
「言わんこっちゃない!」気づくとサイは、朱色の作業ジャンパーを肩から引っかけ、外へ走り出していた。左腕はまだ動かず、足も胸もまだ痛むが、大丈夫。自分は五体満足なんだ。


ナガンヌ上空では、ジェットストライカーをひらめかせた時澤他2機のウィンダムが、バビ2機とビームの応酬を繰り広げていた。「空への道は死んでも守る! 真田、来いっ」
<了解!>真田の緊張気味の応答が、時澤のコクピットに響いた。時澤は敵機に包囲されつつも、バビのビームをシールドで見事に防いでみせる。Gに耐えつつ火線をかいくぐる時澤機。普段は柔和な仏のような時澤の口元に、今は不敵な笑みが浮かんでいた。「空戦に背丈もナチュラルも関係ないこと、教えてやるっ」
真田のスカイグラスパーが時澤機に追従し、こちらはやや危なっかしい動作でバビのビームをくぐり抜ける。<時澤さん、もうバッテリーがないでしょう!>
スカイグラスパーに搭載されたキャノン砲でディンの翼を狙いつつ、真田は時澤を案じる。自分たちは背後の空港を守らねばならず、その点もバビ部隊より不利だ。しかし、時澤はまだ応答を返す余裕があった。
「何の為にお前がいる! それと、たまには『軍曹』と呼べよ」言いつつ、時澤機はバビにビームサーベルで襲いかかる。と、バビが胸部の複相ビーム砲を撃ってきた。アンチビームシールドで時澤機が閃光を防ぐ。空が白く染まる──その光で、バビに一瞬の隙が生じた。
「魔術師気取りか、三角帽子君!」ほぼゼロ距離に近い位置から、時澤機はシールドの裏に隠されていたミサイルを撃った。
雨空を染める紅の爆発。その直後に、時澤機のバッテリーが警告を発した。


時澤たちの戦いを上空に見ながら、ナオトとミリアリアはようやく目的地に着いていた。そこは、空港近くの緊急用発着所。既に他の戦闘機は全機出撃しているらしく、あとは小型輸送用ヘリ数機しか残っていない。当然警備兵がおり銃を向けられる二人だったが、ミリアリアは堂々と叫ぶ。「この子はモビルスーツパイロットよ! 道を開けてっ」
その勢いに、警備兵は思わず銃を逸らした。
行くんだ、戻るんだ、サイの処へ。マユの処へ。フレイの処へ。アマミキョへ! ミリアリアとナオトの思いは、一緒だ。
その瞬間だった──時澤機がバビにミサイルを発射したのは。またも土の上を滑るように伏せるナオトとミリアリア。大気を包む炎の臭い。だが、ミリアリアはすぐに立ち上がりナオトを強引に引っ張った。ナオトは空を見る──何と、バビはまだ爆散してはいなかった。モビルアーマー形態に変化し、炎をかいくぐり、時澤機に迫ってくる三角帽子・バビ。


さすがの時澤も、バビのしぶとさには若干怯みを隠せなかった。バッテリー切れまで、残り5秒。
余裕を持ちすぎたか。考えてみれば、3年前まで何をやっても、こいつらにはまるで歯が立たなかったんだ。モビルアーマーに変化してさらに火力を強めたバビが、時澤のウィンダムに襲いかかる。
時澤機はジェットストライカーを切り離し、それをバビに怒りに任せて投げつけ、さらにありったけのビームを撃ち込んだ。どうやらそのうち一発がバビのエンジンを直撃したらしい。時澤機が地上に降りた瞬間、空がまたもや閃光に染まる。
バビの尖った図体が四散し、そのパーツが地上に墜落していく。勿論ヘリ発着所の施設も、バビ墜落の被害を受けた。時澤は舌打ちを禁じえなかった。
その間にも当然、他のバビやディンは攻撃を止めてくれるはずがなく、時澤機を狙ってくる。他のウィンダムは既に撃墜され、火柱が轟々と上がっていた。
まだか、真田。あのスカイグラスパーから新しいジェットストライカーを受け取れば、形勢逆転のチャンスもある。時澤はくいいるようにモニター上のスカイグラスパーを確認する。全速力で滑空しているのだろうが、今の時澤にはドン亀そのものだった。


雨と鉄屑と炎が次々と降りそそぐ中をどうにかナオトとミリアリアは走り抜け、飛び立てる状態にある小型ヘリにたどり着いた。本来は一人乗りであろうそのヘリに、ミリアリアはナオトの尻を蹴飛ばすようにして彼を乗せる。「操縦は出来るわね?」「はいっ」
だがナオトがヘリに乗り込んでエンジンをかけた瞬間、またしても前方に炎が上がった。時澤機を狙ったバビのビームが、ナオトたちのすぐ前のヘリを直撃したのだ。
幸いナオトたちのヘリに被害はなかったが、視界を炎で防がれてしまう。だが、ナオトの目にはまだ時澤たちの戦いが見えていた。
時澤機がスカイグラスパーからジェットストライカーを受け取り、再び息を吹き返して上空を舞おうとする。が、そこで生まれた一瞬の隙を見逃すザフトではなかった。
スラスターを噴かして飛び立った時澤機の左後方の地上、待ち伏せていたディンが時澤機を狙う。いち早くそれに気づいたのは、真田だった。
ウィンダムをかばうようにして、スカイグラスパーは前に出る。その結果──
ナオトは見た。ディンのランチャーから発射された炎が、スカイグラスパーの右翼を貫く光景を。
さらにナオトは見た。上空50メートルの空域で炎上するスカイグラスパーから、コクピットの脱出装置と共にパイロットが飛び出していく光景を。炎と雨の中、パイロットが落下していく光景を。
そして、ナオトの眼球はさらに衝撃的な映像を映し出す。
「どうして……パラシュートが開かないんだ」
脱出装置はパイロットを乗せたまま、50メートル下の地上へくるくる回転しながら落ちていく。揚力も推力も働かない、ただ重力に任せて落下していく脱出装置。明らかに動作不良だった。
不運なパイロットが真田上等兵であることを、ナオトは既にその肉眼で確認していた。
真田さんが、落ちていく。僕を励ましてくれた真田さんが、最後に僕を心配してくれた真田さんが、炎の中へ落ちていく。手を合わせながら。逆さになり、まっすぐに、大地に向かい、手を合わせて。
──あれが、「祈り」だろうか? 
AD時代の遺物であるはずの言葉が、何故かナオトの中で閃いていた。
宗教は勿論、歴史などまるで知らないはずの真田が、祈っていたのか? 死の前に? 何故?
2秒後にはもう、真田の身体は炎の地表に叩きつけられ、装置と共に砕け散っていた。
「こんなの、嘘だっ! 真田さああああんんっ!!」
叫んでいた。ヘリの操縦桿を掴んだまま、ナオトは叫んでいた。
「知ってる人?!」ミリアリアが驚いて肩を揺さぶったが、ナオトには何も聞こえない。胸元のフーアのお守りが、揺れていた。
その叫びは勿論、時澤がウィンダムコクピットで発した絶叫とほぼ同じものだった。


真田の命が消し飛んだその頃、サイはM1アストレイに乗り込んでいた。
右手だけでOSを立ち上げ、システムの状態を確認する。作業用プログラムから戦闘用への切り替えは、何とかうまく行ったようだ。イーゲルシュテルンの動作も問題ない。
モニターに、豪雨で曇るヤハラの森が映し出される。時折炎の照り返しが来る。機体の足元に、スズミ女医が慌てて走りこんできて何やら叫んでいるようだが、サイは何も聞かないことにした。
「キラ、フレイ──見ていてくれ。俺は行く!」
サイは右腕だけで操縦桿を掴み、機体の動作を確認した。ナチュラルでも動かせるよう、キラが調整したモビルスーツだ。腕、腰、脚、その他各所にワイヤーなどでくくりつけたスティレットの状態を見つつ、サイはアストレイを動かし始めた。最初は緩慢に、しかし次第に滑らかな動きでアストレイは歩行を始める。
雨よけの布地をばっと頭部から取り払い、サイのアストレイのカメラアイが光る。
カタパルトも、発進オペレートも何もない、たった一人のサイの出撃だった。目標はヤナセ市街地──第14ヘリポートの防衛。


エンジンをかけたまま錯乱状態に陥ってしまったナオトに、ミリアリアが叫ぶ。「行くのよ! 飛びなさいっ」
開放されたままの昇降口から、煙と雨が吹き込んでくる。一人乗りのヘリには本来ナオト以外は乗れず、ミリアリアは身体の大半を外側に出したままというかなり中途半端な体勢でステップに足をかけていた。それでもミリアリアはナオトの腕を、折れよとばかりに掴んていた。そのおかげで、ナオトはどうにか冷静さを失わずにすんでいたといえる。
だが次の瞬間、またしてもヘリの左後方あたりで大爆発が起こった。警備兵が吹っ飛ぶのがミラーで も確認できた。怒りにまかせて時澤がディンを撃墜した、そのディンの墜落による爆発だった。
その時、ナオトの腕を掴んでいたミリアリアの手から、突然力が抜けた。
爆発を背後にして、ミリアリアの身体が二度ほど跳ねる。身体から力が抜けていくらしく、彼女は肩を押さえて倒れこみそうになる。
「ミリアリアさん! どうしたんですかっ」
「……大丈夫、ディンの破片が当たっただけ。急いで!」
ミリアリアは痛みをこらえながらも、何とか笑顔を見せる。ヘリはナオトの操縦に従い、やっと浮遊を始めていた。エンジンの激しい振動。
ミリアリアは強風と豪雨に煽られながらもどうにかヘリにすがりつこうとしたが、出来ない。手をヘリの窓にかけようとしたが、その努力も虚しくミリアリアの身体は背中から崩れていき、振り落とされる。ヘリの窓についた血。それはあっという間に雨で流れていく。
その瞬間ナオトは確かに、ミリアリアの唇が、こう動くのを見た──サイを、フレイを、お願いよ。
「嫌だあっ! 僕だけじゃ無理だ、ミリィさんっ」飛び立っていくヘリからでも、ミリアリアの肩口からの出血がわずかに見えた。泣き叫ぶナオトをよそに、ミリアリアの身体はそのまま乱暴に大地に転がされていく。
すぐにでも駆け降りて助けたかったが、もうヘリは15メートルほども浮遊していた。バビやディンの攻撃はまだ続く──炎の中、ミリアリアの姿は瞬く間に見えなくなっていった。

 

つづく
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