M1アストレイを駆るサイは、豪雨の中どうにかヤナセ第14ヘリポート付近の封鎖箇所にたどり着いた。
PHASE-12 疾走する魂
ナガンヌ上空の戦闘空域を、ナオトを乗せたヘリは奇跡的に脱け出そうとしていた。バビ、ディンの火線は未だに空を切り裂き、そして時澤のウィンダムの怒りも止まっていなかった。
ナオトは壊れた水道のように涙を流しながらも、しっかりヘリの操縦桿を握り締めていた。窓に一瞬だけ付着していたミリアリアの血痕は、既に雨が跡形もなく消し去っている。
ミリアリア、そして真田上等兵。自分に道を指し示しながら自分の前から消えてしまった二人のことを、ナオトは懸命にその小さな頭で考え続けていた。二人の想いを。
僕に真相を教え、僕を送り出してくれたミリィさん。
アマミキョから逃げ出そうとする僕を、何とか説得しようとしていた真田さん。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい──貴方たちの言う通り、僕はきちんと物事を見るべきだったんだ。僕にしか出来ないことをやるべきだったんだ。それなのに、僕がアマミキョに戻る前に──
「どうして貴方たちは、消えてしまったんだ! フーアさんたちと一緒にっ」
また一つ、黒い空に火球が生まれる。真田と同じように、また命が一つ消えていく。
交錯する閃光は何度かナオトのヘリをも貫きそうになったが、時澤のウィンダムがすんでの処でナオトを守っていた。激しいノイズ混じりの通信が、ナオトの元に響いてくる。
<そこのヘリ! 自殺する気かっ>
いつもの穏やかさからは考えられぬほどに激した、時澤の怒鳴り声だった。
「時澤さん! 僕です、ナオト・シライシですっ」豪雨とエンジン音にも負けず、ナオトは怒鳴った。相手が息を飲む音がわずかに聞こえる。
「お願いします、僕をアマミキョに戻して下さい! アマミキョはどうなってるんです」
襲いくるバビから、時澤機は懸命にヘリを守る。<後方で待機中だ。君があと5分早ければ、真田も喜んだだろうに!>
サイのアストレイと対峙したアッシュのパイロットは、若干18歳の少年だった。ヨダカ隊の一人で、アマミキョ及びティーダの動向を探るべく潜入作戦を命じられていたが、目標の半分の道程も行かぬうちにアストレイに発見されてしまったのだ。
パイロットはその紅と白の装甲に見覚えがあった。例のストライクの動きを導入してオーブで開発された、ナチュラル用モビルスーツ。武装は右腕のアサルトナイフ以外に見当たらず、おそらく作業用機体。だが、モビルスーツである以上油断は出来ない。隊長ヨダカからは既に、万が一発見されたら容赦なく撃破せよとの指令を受けている。
しかもオーブは現在、プラントの敵なのだ。
相手はおそらく味方に急を伝える為であろう、踵を返すように機体を翻した。これを見逃すわけにはいかない。とにかく動きを止める!
アッシュの意外なほどの身軽さを利用して、彼は一気にビルを崩壊させてアストレイに追いついた。動きですぐに分かった──こいつは、ナチュラルだ。しかも軍人ではない。少なくともパイロットとしての訓練は受けていないはずだ。民間人か?
「悪いけど、黙っててもらわにゃ困るんだよっ」
作戦遂行の為、派手な火力の応酬は出来うる限り避けたいが、あいにくどういう訳かこのアッシュにはミサイルランチャーだのビーム砲だの、威力優先の武器しかない。彼は仕方なくアストレイに肉弾戦を挑む。
まあいい。このビームクローでナチュラルのコクピットを貫くぐらい、鼻くそをほじるくらい簡単なのだから。
襲いかかってくる怪物の爪。サイはどうにか貫かれる前に間一髪で機体を逸らしたが、同時にアストレイの左腕がいとも簡単にもぎ取られ、宙に舞った。
衝撃と共に、サイの身体が大きく右へ弾き飛ばされる。何とか機体はその場に踏みとどまらせたものの、反動で今度は左にのめる。シートベルトが身を切り飛ばすほどにサイに食い込んだ。
負傷している方の腕が激しくコクピットの壁にぶつかり、雷鳴の如き痛みにサイは呻く。さらに、メットをしていたにも関わらず頭を激しくサイドのパネルにぶつけ、耳が一瞬遠くなり温かいものが額を流れ出す。唇の間からその液体の味を感じた時、サイは頭部の傷が完全に開いてしまったことに初めて気づいた。
「これじゃ、勝負にもならない!」
この機体はあくまで作業用。従って、戦闘を想定した衝撃吸収システムはコクピットに施されてはいない。おまけにサイはパイロットスーツも着ていない。だが、それでもサイは耐えた。
左腕が取れたおかげで、機体重量は減っている。バランスの調整が若干難しいが、身軽になったことは確かだ。
しかし、何という相手の速さだ! これが、コーディネイターの力か。改めてサイはザフトの強さを思う。思っている間に、相手のクローの内側に仕込まれた機関砲が火を噴いた。
アストレイ、キラ、頼む、よけろ、よけてくれ!
激しく揺られほうぼうに身体をぶつけながら、サイは絶対に操縦桿から右手を離さず、機体の操作を続けていた。祈るように──
祈り? 誰に? キラに? フレイに? いや、誰へでもない。
──神に。
その一瞬の祈りが少しは通じたのか、アストレイは見事なステップを繰り返しながら市街地を駆け抜け、機関砲の雨をくぐり抜けていた。そして自ら機体を転がすようにしながら落ちた左腕を拾い上げると、アストレイはビル陰に回りこんだ。迷路のようなこの市街地、たとえザフトの索敵機といえどもこちらに若干の地の利があるはずだ。
もうこの時点で胸の傷も開き包帯が紅に染まっていたが、サイはここで止まるわけにはいかなかった。吐き出される息でバイザーが曇る。その息にも、血の臭いが混じっている。
フレイ、見ていろ。これが俺の意地だ。あの砂漠で、営倉に入れられた時から俺は決めたんだ。
どんなに負けても、どれほど苦しくても、どれほど恥をかこうとどれほど叩きのめされようと──
「俺は絶対に、心だけは折れるつもりはない!」
意外に素早いアストレイの動きに、アッシュのパイロットは戸惑いを隠せなかった。
尤もそれは、普段目にする連合の量産機よりも少しは早いというだけの話で、決してザフトのパイロットの手を煩わせるだけの技量があるというわけではなかったのだが、それでも若いパイロットを苛立たせるだけの効果はあった。
ヨダカの声が蘇る──気をつけろ。あのモビルスーツには、キラ・ヤマトのデータが組み込まれている。
「コーディネイターに頼らなきゃ、戦闘すら出来ない癖に!」
作業用の癖に。民間人の癖に。ナチュラルの癖に。劣等種の癖に!
この地域特有の熱と湿気とやまぬスコールが、彼の苛立ちをさらに強めていた。
こんなモノに少しでも手こずるような事態になれば、自分のザフト兵としての尊厳にかかわる!
今、彼の若さは、アストレイへの敵意となって剥きだしになっていた。本来なら相手の脚だけ蹴飛ばして川に戻り作戦行動を続行すれば良かったものを、彼はそうは出来なかった。
そして彼は見た。アストレイが既に使い物にならぬはずの左腕を拾い上げ、暗いビル陰に回りこむ光景を。小賢しい。迷路に誘い込もうなどと、そんな小手先戦法が通用するか!
アッシュのビームクローが、アストレイの隠れたビルを直撃する。崩壊しかかっていたビルはあっけなく粉砕され、ガラスと鉄骨の嵐が豪雨に混じる。
その瞬間、モニターにアストレイの左腕が大写しになった。砕いたはずの左腕が、アッシュに向かって突き出されている!?
彼はその時になって初めて気づいた。その左腕内側に、装甲貫入弾スティレットがワイヤーでくくりつけられていることを──
とっさに防御姿勢を取るのと、大爆発が起こったのはほぼ同時だった。
スティレット自体の火力に加え、アストレイ左腕の破片が榴散弾のように飛び散り発生した爆風は凄まじかったが、爆発の衝撃は勿論アストレイのサイをも直撃していた。いや、相手の被害よりも物理的ショックはひどかったかも知れない。
メットのバイザーは割れ、包帯は血でまみれ、サイの意識自体が朦朧とし始めていた。
サイはそれでも頭を上げる。ディスプレイが、機体の破損状況をけたたましく伝えてくる。致命的損傷を示す、真っ赤な点滅ばかりだ。だが、まだ何とか脚部も右腕も動く。機体の傷みを伝えられるということは、まだ動けるということだ。
サイは冷静さだけは何とか保ちつつ、前方モニターを見る──そして息を飲んだ。
相手は、ほぼ無傷だった。ビームクローの一部がひしゃげている以外は。
「馬鹿な! フェイズシフトだってのかっ」
いや──違う。サイはすぐさま自分の言葉を否定した。装甲ではない。相手の技術だ。
サイは唐突に、コーディネイターたちと作業をしていた時のことを思い出す。自分がどうしても一度では覚えられない作業手順を、アスランはメモることもせずに一度教えられただけで完璧に覚えた。逆にディアッカに「メモる必要なんてないぜ、簡単だから」と言われて説明されたバスターの通信システムを、どうしてもサイやミリアリアは一度で理解することが出来なかった。しまいにはミリィはキレてたっけ、100文字以内で説明しなさいよ!って。
どれほど俺が急いでドタバタと作業をやろうとしても、あいつらはテキパキと、俺の倍以上の速さでこなす。俺の決死の一撃など、彼らはこのように簡単に握りつぶせる。
しかし、と同時にサイは思う。そんな有能な人間たちだからこそ、利用されるんだ。
俺たちがキラを利用したように。俺がナオトを戦わせようとしたように。
ぬうっと緑のモビルスーツが装甲を光らせ、再びアストレイに迫ってくる。背中に装備されたミサイルランチャーは、まるで紅い斑点を持つ白の毒キノコか、もしくは毒虫の卵に見えた。光る単眼。サイの内股が、恐怖で痙攣を起こしかけている。落ち着け、ペダルはテンポ良く踏むんだ、歌うように、踊るように──
サイは頭部バルカン・イーゲルシュテルンを狂ったように撃ちながら、懸命にアストレイを再び疾駆させる。スラスターの出力ががくんと落ちている、さっきのようなスピードは出ない。
当然のことながら、相手はすぐに追いついてまたしてもクローを突き出してくる。その動きがやや感情的になっているのが、サイにも分かった。もし背部のミサイルランチャーでも撃たれたら──
振り回されるクローの一撃を何とかかわし、くねくねと折れ曲がった道路を駆け回って再度ビル陰に飛び込みつつ、サイは思う。
キラ──すまない。お前が感じたこの恐怖もコクピットの閉塞感も、俺たちは全然知らなかった。そりゃ、腕の一つも捻られるさ。
ナオト──申し訳ない。俺はお前を、無責任な言葉一つでこんな場所に押し込んだ。嫌われて当たり前だ。
フレイ──どうして君は、こんな戦いに……
そこまで考えた瞬間、サイの視界いっぱいに光が弾けた。
自分がビーム砲を使ってしまった。このしぶといナチュラルは、遂に自分にビーム砲まで使わせた、畜生!
サイの推測どおり、アッシュのパイロットは動揺していた。アッシュのビームクローが一本使いモノにならなくなった、ただそれだけのことだったが、その損害は十二分にこのザフトパイロットの激昂を誘ったのだ。
相手の必死の抵抗がなければ、彼はここで自分の怒りを激発させることもなく、ただいつものように爪垢を弾くようにコクピットをなぎ払い、若干の心の痛みと共に先へ進むだけだったのに。
だが、こともあろうに相手は、この俺の機体に傷をつけた。俺のプライドにも。
その感情は、モニターで未だ爆砕していないアストレイを確認した瞬間、さらに燃え上がった。
ハハ、面白い。ビルごと吹っ飛ばしたつもりだったのに。アストレイはその向こうの銀行に叩きつけられ銀行ごと倒壊しつつ、関節部全てから煙を上げながらも、まだカメラアイも腕も脚も動いていた。意外にアッシュのビーム砲の火力は小さめらしい。
彼の若い激情に油が注ぎ込まれ、さらなる炎上を始める。「後悔するなよ、俺を怒らせたこと!」
瓦礫に埋もれて動けないアストレイに向かって、アッシュは突進を開始した。もうビーム砲など使わない、肉弾で倒してやる!
大丈夫。俺は大丈夫。左腕以外は動く、心臓も動いている。
視界は血で真っ赤になっているが、何とか右目は無事だ。計器類もまだ大分生きている。どこかで回路がショートして火花を散らす音が聞こえるが、生きているディスプレイで確認する限りまだ機体の損傷は5割を超えちゃいない。絶望的損傷などではない、大丈夫。
ビルに叩きつけられた瞬間などは、全身の骨が砕け散りその骨の破片が心臓と胃と腸と脳を直撃したかというほどの衝撃がサイを襲ったものだ。「死」という真っ赤な文字が幾つも溢れかえって頭の中を満たした。メットの下部が血の混じった嘔吐物で埋まり、その一部が漏れ出してサイの胸へと流れていく。
それでもサイは驚異的なことに、すぐに体勢を立て直した。
こちらに向かってくるアッシュを確認した時にはもう、サイは血だらけの右手袋で操縦桿を力いっぱい引き絞っていた。応えてくれよ、アストレイ、キラ。俺はまだ、生きてる。
どうやらあのビームクローとスティレットは、何とか互角に戦えるらしい。それなら!
サイの思いが、アストレイの半壊したシステムに通じたか──瓦礫に埋まり、煙を発していたアストレイの右腕が、軋みながら持ち上がる。そのマニピュレータにはアーマーシュナイダーが握られていた。目標はただ一つ──あの怪物の単眼。
サイはペダルを踏み込み、一息に機体を起こした。何とかアストレイは反応し、ギリギリと関節を熱で軋ませながら身を起こす。大丈夫、雨がこの熱と煙を少しは冷やしてくれる。
こんな戦闘方法しか取れないとは実に情けないが、仕方ないだろう。俺は頭が悪いのだから。
女にハメられ、カズイや他のクルー全員から虫の如く扱われ、ヤケっぱちになったんだろうか、俺は? ああ、何とでも言うがいいさ。ナチュラルの意地を見せたいのかって? そうかも知れない。その為に命を削るのかって? 2年前ストライクに乗った時の俺は、フレイを亡くした時の俺は、命を削る真似すら出来なかったじゃないか。
アッシュが突進をかましつつ、アストレイのアーマーシュナイダーを叩き払う。壊れかけのその武器は武器を握り締めていた手首ごとあっさりとビームクローで払われ、宙に舞う──
だが、その瞬間こそがサイの狙いだった。幸い、腕部までは破壊されなかった!
ビームクローを振り上げたその隙を利用して、アストレイは相手の懐に切断された右腕を強引に押し込んだ。サイは一気にその腕をアッシュの顔らしき部分へ押しつける。
口があるなら、飲め。このアストレイの手首から流れる血を。俺の血を!
その腕の内側にもまた、あのスティレットが装着されていた。しかも3発も。
スティレットの鋭い先端とアッシュの装甲が激突し、豪雨の中で火花を撒き散らす。その瞬間、サイは自らアストレイの右腕を切り離した。電磁の閃光が軽くアストレイの右肩を駆け抜けたかと思うと、その腕部は盛大に爆砕され、アッシュにくっついたままアストレイ本体から離れていく。サイはスラスターを全開にして機体を後退させた。1秒後──
アッシュの装甲に食い込んだ一発目のスティレットが爆発し、それに合わせて他2発のスティレットも誘爆していく。勿論、アストレイの右腕も。
その威力はさっきの左腕爆発よりさらに強烈で、半径50メートルほどが一瞬にして閃光に呑まれた。
ヤハラの空域──アマミキョコアブロックのすぐ上空では、カラミティの砲線が炸裂していた。
上空から襲いくるバビやディンの部隊を、市街地への墜落は出来る限り避ける形で海岸線沿いに落ちるよう、狙い撃つ。カラミティの大火力だからこそ出来る芸当だった。
その火線の間から、フレイのストライク・アフロディーテが飛び出した。光と豪雨を潜り抜けて向かってきたバビに、フレイ機は空中肉弾戦を挑む。双対の対艦刀を閃かせ、丁度河川の上空でフレイ機はアーマー形態のままのバビの腹に刃を叩き込む。バビはそのまま川へと墜落。爆発による水柱。どうにか、市街への損害は避けられた。
だがなおもフレイ機の背後から、新たなバビが襲い来る。そのままフレイ機は首だけ180度回転させ、頭部バルカンを放って応戦。
<フレイ! 民間施設を気にしてちゃ、戦闘にならねぇっ>
カイキの通信がアフロディーテのコクピットに反響したが、「偽善的戦闘と言われようと、この地は私の血液! 汚す者は許さぬっ」
言いながらフレイ機はカラミティのそばに降り立った。互いに背中を合わせるようにアマミキョの前方に立ちはだかる2機。
「この攻め、やはり正直すぎるな。こんなものはザフトではない」
フレイの呟きに、カイキが応答する。<川からも来るってか?>
「ヤエセ河川ポイント19、23、34には既に連合が警戒網を張ってある。河川から潜入される事態は想定済みだ。だが、気になる──こうも単純な攻めは」
と、その時突然通信に割り込みが入った。アマミキョ内で待機中のティーダからだ。マユの叫び声──
<フレイ! 何か来る、足元!>
瞬間、フレイは叫んでいた。「カイキ! 真下を撃てっ」
同時にアフロディーテのバーニアを全開にする。カイキもまたそのフレイの意図を察し、背面のビーム砲・シュラークと胸部のエネルギー砲・スキュラを同時に撃ち放った。カラミティから生まれた力の閃光が、大地を割る。
その光の中から現れたのは──アッシュが3機と、ゾノがおそらく4機ほど。「ほど」というのは、カラミティの最初の一撃でゾノらしき物体が煮溶かされ、熱と光でくっついてしまった為だ。
そしてさらに現れたのは、全身をドリルで覆った黒いモビルアーマー──「ジオグーンか!」フレイは唇の間から皮肉めいた笑みを漏らす。
地中機動試験評価型グーン、その制式仕様。ザフト軍の特殊潜行型モビルスーツだ。地中への穿孔能力があり、敵拠点へのピンポイント攻撃を行なう──そんな情報はとっくにアマクサ組は掴んでいたのだが。
<まさか、これほど早く投入するとは!> カイキがまたしても、コンソールパネルを叩いたようだ。
ジオグーンの外部スピーカーから、野太い軍人の音声が豪雨の中、轟く。<突貫工事、完了。ティーダを頂きに上がりました、お嬢様方!>
それは間違いなく、ウーチバラ及びミントンでアマミキョを襲った執拗なる男、ヨダカ・ヤナセのものだった。
眼前の大地を破り突如現れたザフトに、アマミキョ船内は混乱を極めた。避難民を誘導していたカズイも、またしても悲鳴を上げる。「地中からなんて、聞いてない!」
ブリッジでもオペレーターのディックが各地の異変を次々に報告していた。「さらに第2、第3河川警戒ポイントからザフト機上陸! まっすぐこちらに向かってますっ」
リンドー副隊長は既にこの事態を見越していたか、ただ一人平静に呟く。「目的を、わざわざワシらに絞ってくるとはな。よほどこの船に恨みがあると見える、あの男」
ノイズ混じりの通信を必死で解析していたアムルも、思わず怒鳴る。「そんなにティーダって大事なもの?」
「ティーダだけじゃねぇ、アマミキョもだ! ザフト野郎」オサキが操縦桿を握り締めつつ、前方にのしのしと近づくジオグーンを睨みつけた。ジオグーンの生んだ大地の亀裂から、次々とアッシュやゾノが虫のように這い上がってくる。早速フレイ機とカラミティが応戦しているが、何せ相手の数が違う。ザフトの新型が、まとめて来やがった!
「山神隊は何してやがる! ナチュラルの意地を見せてくれよっ」オサキは目の前に広がる爆光に耐えつつ、叫んでいた。
既に十数機もの味方が撃墜された海岸線で、その破片を踏み越え浅瀬を飛び越え、広瀬、風間、そして伊能のウィンダムは未だに駆けずり回っていた。真田上等兵の死も、ザフトの地中からの潜入も、彼らはまだ知らない。
広瀬機に肉迫するゾノ。いい加減バッテリーが切れかけ、消耗戦を強いられていた広瀬機はゾノの爪に捕らえられ、一息に水中に引きずりこまれる。
「広瀬! だからあれほど爪には気をつけろとっ」伊能の叫びも、広瀬機には届かない。
水中ではウィンダムに勝ち目はない。コクピットを握りつぶそうとするゾノの爪。凄まじき腕力。広瀬を守るはずのコクピットブロックが、恐るべき震動と共にひしゃげていく。伊能の言う通り、俺はツメが甘い。だから爪にやられた。シャレてる場合か、畜生!
さらにゾノは深くまで潜り、広瀬機にとどめを刺そうとしていた。急速な圧力上昇で広瀬は一瞬、全身の血が沸騰した感覚に陥る。コクピット下部からは海水が流れ込んでいた。ノイズが激しくなるモニターの向こうには、撃墜された味方機の破片が無数に浮遊している。
「こんな処で、棺桶になれるか!」
広瀬が意地で盾を振り上げた瞬間、眼前でゾノが閃光と共に破壊された。朦朧とする頭を振りつつモニターーを確認する。この光と爆発の威力、恐らくディープフォビドゥンの魚雷だ。やはり海中では頼りになる。
広瀬はエネルギーに気を配りつつ上昇をかけながら、味方機を確かめる。やはりそこにはディープフォビドゥン3機と、それから──
「何だ、あのエイリアン気取りは!」あんな機体は連合にはどこにもない。水色に輝く円盤状のモビルアーマーが、盛大な火力でゾノ3機を海中で爆散させていた。その火力は、広瀬たちのウィンダムは勿論、連合自慢の水中機ディープフォビドゥンにも全くひけを取らなかった。いや、倍以上あるのではないか?
「ラスティ! ティーダはまだ出られないの?」ティーダのコクピットで待機を命じられていたマユは、叫んでいた。前席のラスティは思う──マユがこんな焦りを見せたことはあっただろうか?
「無理だ、奴らの狙いはティーダなんだぜ」モニターごしにカタパルト内を見ると、スカイグラスパーにミゲルが乗り込み、調整を行なっているのが見えた。
それだけで、状況がただ事ではないことは理解出来た。まさか、あの片腕でやる気か? ラスティの思惑をよそに、またマユが後席で叫ぶ。
「ラスティには分からない? この感触──何かが近づいてくる」
「こんな時にボケるなよ。ザフトなら、目の前だっての」
「違うの。どんどん近づいてくるの。感じるの。私たちを想う力が、近づいてくる。
ねぇラスティ、これが人を想う力なの?」
こんな時に、一体何を言っているんだ。ラスティは一瞬マユを蹴飛ばしたい衝動に駆られたが、ふと気を取り直してディスプレイを見る。通常はニュートロンジャマーで殆ど見えないはずの敵が、ティーダのディスプレイにははっきりと映し出されている。その恐るべき機能をラスティは勿論知っていたが、今はどうなるものでもない。敵を示す真っ赤な三角で、自分らは囲まれている。周りの河川から、次々に紅い三角が増えていく。海岸線などは、味方を示す青い表示が次々に紅に染まっていく。
「神経をカラにして。ラスティだって、ティーダに乗っていれば感じるはずだよ」
「だから、俺はティーダと相性悪いんだってば」言った途端、ラスティは頭の中に、一陣の風のように何かの幻がよぎるのを感じた。
何だこれは。豪雨と閃光をつっきる小型ヘリの幻影。ラスティには辛うじてそれしか見えなかったが、マユにはそれが何だか、即座に分かったらしい。
「ナオトだ! ナオトが帰ってきたあ!!」マユの弾けるような笑顔。同時に黒ハロが、威勢良く飛び跳ねた。「ナオト、ナオト、オモイダケデモ、チカラダケデモ!」
奮戦する時澤機は混乱の中、いつの間にやら後方に遠ざかっていた。もう通信も出来ない。その代わり、ナオトは遥かかなたに次々と広がる光条を見た。豪雨の中に広がっていく紅蓮。
ヤハラは完全に戦場となっている。その中心にいるはずのアマミキョは。サイは。マユは。カズイたちは、アマクサ組は──
ナオトは想いを操縦桿と共に、一直線に前方に傾ける。と、ナオトの左手の河川付近の市街地で、ひときわ激しい火球が広がった。既に無人となったビルを薙ぎ倒し、道路を駆け抜けていく爆光。
「誰? 誰が戦ってるんだ、こんな処で!」
胸に去来する嫌な予感に、ナオトは動揺していた。確かここは、アマミキョ医療ブロックが使うヘリポートの付近。移動していなければ、医療ブロック自体も近いはずだ。あそこにはアストレイが1機しかなかった。あれを調整していたのは、確か──
ナオトの動悸が激しくなる。まさか、そんなはずない。だってあの人は大怪我してたんだ、アストレイに乗れるわけが。他に誰かが乗ったはずだ、山神隊か、他に乗れる人はたくさんいるはずだろう! なのにどうしたんだ、この嫌な予感は?
ナオトの不安はそのまま操縦桿を、爆炎の方向へと向けていく。
これで、少しは足止めになるはずだ──
自分の血が飛び散ったコンソールやディスプレイを眺めながら、サイは思った。さすがにスティレットをこれだけ喰らわせれば、いかにザフトの新型とはいえ無事ではすまないだろう。尤も、俺もアストレイも瀕死だが。
辛うじて作動しているディスプレイを確認すると、どうやらアストレイは両腕を失ったまま棒立ちになっているらしい。火柱の中で豪雨はいつしか黒い雨となり、モニターを汚していく。そのモニターも、左半分が使い物にならなくなっていた。カメラアイがやられたらしい。
だが、サイの考えはまだまだ甘かった。炎と瓦礫の中からの殺気に、サイは思わず身を起こす。胸の傷から盛大に血が流れ出し、シートに海を作る。
「おい……まさか」まだ無傷だってのか、とサイが絶望する前に、突然炎の中からビームクローが飛び出した。こんなに長かったのか、この爪は!
クローは長い上に、よく曲がりもした。カメラアイ破損で出来た死角で、一瞬クローの先端が見えなくなる。その直後──
モニターの映像が激しいノイズと共に遮断され、コクピットが暗闇に満ちた。だがそれも瞬間的なことで、その0.5秒後にはサイの身体ごとコクピットは、自動車がガードレールに車体を引きずるような轟音と共に揺すぶられ、1秒後にはクローはコクピットの一部を貫いていた。中心を貫いたわけではなかったのは、最後の幸運か。
眼前のハッチが飛び散り、豪雨と煙が一気にコクピットに吹き込んだ。ケーブルやら電子回路の残骸やらが細かく砕かれて火花を散らしてサイの上を踊る。
それでもなおサイは、操縦桿から手を離さなかった。倒れるな、踏みとどまれ、どうか──
だが、どんなに必死の祈りであろうと何度も通用するわけはなく、アストレイはクローの衝撃に耐え切れず、サイを乗せたまま勢いよく大地へ横倒しになった。
機体がコクピットごと、地面に叩きつけられる。半壊したコクピットの中、ちぎれたコードが無数に火花を散らす。そして砕けたハッチの残骸が、無情にもサイの動かない左腕を直撃した。
「ぎゃあああぁああああああああああああぁああああああ!!!」自分でも、人のものと思えないような悲鳴を上げたと思った。腕に食い込んだ、熱を帯びた破片。全身を貫く死の恐怖、痛み──
これは罰だ。キラやナオトをこんな戦いに叩き込んだ俺の。フレイを理解出来なかった俺の。何も出来なかった俺の。畜生、今だってこいつを止めることすら、俺は出来やしないじゃないか。
カズイの力になることも、アムルを説得することも、ブリッジにいることさえも、俺は──
意識が遠くなる。顔に吹きつける雨。どうやらバイザーも飛んだようだ。直接肉眼で、外の光景が見える。壊れたモニターよりも視界は良好。そこにぬうと立ちはだかるは──ザフトの新型。緑がかった装甲が、熱で今や赤黒く焦げている。
そいつはもう片方の爪を振り上げ、アストレイを豚のように解体しようとしていた。まずは頭部を捻り潰しにかかる。双対の紅の角を持ち、人間の顔に酷似した頭部。それが砕かれようとする。
面白い──俺ごときに傷つけられたのが、そんなに悔しいか。見ていろ、それが最後の罠だ。
アッシュのパイロットは、完全に我を失っていた。さっきの爆風で吹き飛ばされて頭をぶつけ、額から血を流してしまったのだ。
この野郎、この俺に血を流させやがった、ザフトの俺に! ただの緑服だが、それでもプライドはあるんだ。
倒した相手のハッチから、わずかに人間の姿が見えた。予想通りの民間人。パイロットスーツも着ていない、しかも包帯で腕を吊っている──こんな相手に、俺は血を流す羽目になったのか!
激情に任せ、彼はその機体を破壊しにかかる。相手を無力化するというその目的はとっくに達成している、しかし彼はおさまらなかった。ストライクと似た形状を持つ頭部が、キラ・ヤマトに作られたそのシステムが、憎かった。
が、その頭部を掴んだ瞬間──彼は違和感を覚える。この、マニピュレータに食い込んでくる感触は……まさか、頭部にまで!?
「また、装甲貫入弾……っ!」彼の叫びを巻き込みながら、アッシュはまたも爆炎に包まれる。
「命が……消える?」
突然ティーダのコクピットで、マユは胸を押さえてうずくまる。「誰かが消える。私の知ってる人が消える。強い想いが消えていく。誰? 消えてしまうのは、誰?」額を流れる汗。顔は真っ青だ。
その異変に、ラスティは慌ててフレイと通信を繋いだ。
ジオグーンやアッシュと対峙していたフレイに、またもマユからの通信が割り込む。
<フレイ! サイだ、サイが消えちゃう!>
反射的に、フレイは頭を上げる。
丁寧に紅の塗られた唇が、わずかに震えていた。ティーダからのその通信が何を意味するか、フレイは既に分かっていた。即座に彼女は応答する。「マユ、場所は分かるか!?」
<何コレ、私の中に流れてくる! フレイ、これが死ぬってことなの? 誰かが死ぬってことなの? 怖いよ、怖い、怖い、嫌、嫌、嫌、いやああああああ!!>
<落ち着けマユ、どうした、落ち着け! 俺の声を聞いてくれっ>
<フレイ! ヤエセ第14ヘリポート近くだ、アストレイで単独出撃したらしい!>
マユ、カイキ、ラスティの怒号が交錯する中で──フレイは静かに俯く。その両手が、しっかりと操縦桿を握り締める。残りエネルギーは、76%。
眼前でアッシュのビームクローが、アフロディーテに向かって突撃をかましつつあった。
「子羊を蹂躙する愚か者ども……全て消え去れ!」
轟くフレイの言葉。彼女が再び瞳を上げた時、その瞳孔は奇妙な形に開いていた──
フレイのSEEDが、弾けた瞬間だった。
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