ナオトの目から、涙がビー玉の洪水の如く溢れ出していた。
PHASE-13 父の呪縛 Revelation.Version
「サイを責められるのかよ、このアフロのイカレっぷり!」
改修中のアフロディーテを前にしたキャットウォークの上で、ミゲルは堂々とフレイを怒鳴りつけていた。「関節モーターが両側きれいに2個ずつ飛んで、足先の無理な改造のせいで直立状態すらヤバヤバ、それに一体あのアッシュにどんなトドメを刺したんだよ、ケーブルがマニピュレータに絡みつきまくって指関節までちぎれかかり! 挙句の果てには借りたジェットストライカーをたった一度でオシャカ! 山神少将が穏やかな方だから良かったようなものの、これがブルーコスモス寄りの軍人なら俺ら全員斬首モノだぜ? なぁフレイ頼むよ、これじゃウィンダムか、オーブのムラサメでも買った方が安くつく」
ミゲルの説教を風のように聞き流しつつ、フレイは前髪のほつれを直していた。そして説教が一段落した頃を見計らい、いつものねぎらいの微笑みを見せる。「すまないと思っている。私はいつも感謝しているぞ、今回は特にご苦労だった、ミゲル」
そして、彼女はミゲルに向かってウインクまでして見せた。それを見て──ミゲルは勿論、その場にいたラスティ、ニコルまでもがぎょっと顔を見合わせた。
見かけは、うら若き少女の可愛らしいウインク。だがそれは、彼らアマクサ組にとって、特別な意味があった。ミゲルは一瞬ぐっと言葉に詰まる。
フレイは微笑みを崩さぬまま、ミゲルを挑発するように語り続ける。「大丈夫だ、このアフロディーテはまだ戦える。上半身のみだがTP装甲も強化されている。そこらのダガーLとは違うのだ」
フレイは再度、ミゲルにウインクを送る。見ようによっては求愛のしるしとも読めるウインク。後でお茶でもしよう。大丈夫、私の奢りだ、心配ない──
ミゲルは意を決したように一歩を踏み出し、「俺は、あんたが心配で!」
その叫びと同時に、フレイの頬がパチン、と鳴った。子供をなだめる時のような軽い平手。
衝撃を喰らったのは、叩かれたフレイよりも叩いたミゲルの方であろう。とんでもないことをしてしまった──やってしまってから自分の隻腕を茫然と眺め、完全にうろたえているミゲル。
「いい平手だ。その調子で頼むぞ」フレイは全く怒る様子もなく、頬を押さえつつもミゲルの肩をぽんと叩く。そしてラスティを連れ、今は無人のティーダの方へ歩いていく。「ティーダのセンサーの感度──また上昇したのか? データを」「フレイ、俺も聞きたいことがある。ティーダは一体何なんだ?」「質問をする時は、もう少し具体的に整理しろ」
連合の少年兵姿のままの、引き締まったその後姿を見ながら、ミゲルはへなへなと腰を落とした。「勘弁してくれよ……本来なら絞首刑だぜ」
そこへ、ニコルの車椅子が寄ってくる。「大丈夫、ミゲル先輩は命令を実行しただけですよ。フレイも自制したいんでしょう……僕らの種の為に」
ニコルはふと、キャットウォークごしに自分の足元に広がるカタパルトへ視線をやる。そこでは、偶然カタパルトに顔を出したナオトに、弾丸の如くマユが飛びついていた。
「ナオナオナオナオナオトー!!」素っ頓狂な叫び声に、ナオトは勿論周りの整備士全員の目が丸くなったが、そんなことを気にするマユではない。「会いたかったっ、ナオト!」
しかもマユはカイキの手で包帯を外されている最中だったので、上半身がほぼ素っ裸という状態でナオトに抱きついていた。あまりの勢いに押し倒されたナオトの目の前で、マユの包帯と、その奥の成長途上の胸が奥ゆかしく揺れる。
「ぼ、僕も会いたかったよ……相変わらずで、良かった」
顔を真っ赤にしながらも、ナオトはマユを抱き上げ、包帯を直そうとする。幸い、マユの怪我はほぼ治っている。ナオトは自分のことも忘れてほっとしたようだ。ナオトの方が、ヘリ墜落時の負傷もあってかなり酷い状態だったのだが、サイの件もあって自分の負傷などどうでも良くなっていたらしい。ついさっきも、いつも通り動き回ろうとしていてニコルが注意したばかりだ。
その光景を、少し離れたティーダの足下から、カイキがポケットに手を突っ込みつつ眺めていた。ナオトやマユは勿論、この光景を上から見ているニコルにも、カイキの心の底は読み取れない。彼の心にあるものは、嫉妬か、愛情か、執念か、それとも──
とりあえず、ニコルは車椅子を重そうに動かし始めた。「帰ってきたからには、調査を続けなくちゃ。ナオト君のSEEDの可能性も」
ザフトの侵攻を退けてから、数日。
久々に晴れ渡ったヤエセの空の下で、先の戦闘で失われた兵士たち、そして民間人への弔いが、しめやかに行なわれていた。弔われている者たちの中には勿論、山神隊の真田上等兵──現在は二階級特進により、伍長──も含まれている。
山神隊は一同に介し、一糸も乱れず整列しつつナガンヌ空港に向けて敬礼を送る。だがその中で、真田の教育係だった時澤軍曹は、感情を堪えきれていなかった。熱射の真下で微動だにせず敬礼を送りながら、彼の目からはただ涙が溢れる。そんな時澤に、風間曹長が横から黙ってハンカチを差し出していた。
スカイグラスパーの焼け跡から時澤がようやく探り出した、指の先ほどの量の僅かな骨片。砂粒のようなそれを、山神少将は海に向かって風に乗せる。軍帽を取ると、彼の白髪と顔に刻まれた皺が、頼りなげに揺れた。散っていく真田の欠片と共に。「人死ににも、順序というものがあろうに……」
調整中のティーダの前では、フレイとラスティが問答を繰り返していた。「人の心を読むモビルスーツなんて、そりゃ邪道と言われるさ」とラスティが言えば、「兵器にそのような大それた真似が出来るものか、存在を感じるだけだ」とフレイは返す。
さらに今は、そこにカイキが加わっていた。「だが、マユの神経に如実な影響を及ぼしている。それは危険だ、チグサにとっても」
「言ったはずだぞ。ティーダにマユを乗せているのは、チグサ復活の為だ」フレイは冷静だった。
「分かっている! だが、マユが──あいつが、感情を覚えている! 少なくとも、『会いたい』という感情をっ」激したカイキは、思わずティーダの左脚部外側の装甲を叩いていた。まるで、ティーダがマユを殺す、とでも言いたげに。
そこへ突然、彼らの背後から堂々と声がかけられた。「素晴らしい白さだね。これが、この国の新型というわけだ」
一番早くに殺気を感じ振り向いたのはフレイだ。そこにいたのは──
「先日はお世話になりました、お嬢さんがた。この地で山神隊と共に作戦行動を行なうことに相成りました、地球連合軍第81独立機動群・通称ファントムペインです。自分は指揮官のネオ・ロアノーク大佐。以後お見知りおきを」
それは亀にも似た仮面をつけた、金髪の男だった。仮面の色は制服と同じで、黒というよりもグレーと表現した方が良さそうな色で統一されている。
その背中にくっつくように歩いているのは、3人の少年少女たち。いずれも連合の少年兵の服装をしているが、フレイが一目見て顔をしかめたほどだらしなく制服が改造されていた。
突然、その中から水色の跳ねた髪が特徴的な少年が飛び出して、遠慮なくフレイたちとその後ろのティーダを見つめた。その瞳に、全く邪気はない。「あの白いモビルスーツ、スゲーな! スティング、ステラ、ネオ、見てみろよ! あそこにはカラミティもあるっ」キャットウォークを跳ね回りつつ、その少年は奥で修理中のアフロディーテに気づく。今にも飛び降りそうな勢いで、少年は手すりから身を乗り出した。「あっはぁ! あのダガーL、ズタボロじゃんっ」
「無礼を申すな! アフロディーテという名があるっ」フレイは彼を叱りつける。さらに彼女はネオに向き直り、堂々と対峙した。「名乗る時は、その貧相な仮面を外したらどうですか大佐殿。貴方がたの格好といい、連合のエリートとは思えませんが」「正直、保育園だ」カイキも突っ込む。
ネオが答えるより先に、水色の髪の少年が叫んだ。「助けてやってその言い草、ねぇだろっ」
さらに、ネオの横に付き従っていた兄貴風の緑色の髪の青年もフレイに怒鳴る。「お前ら民間のモビルスーツじゃ、俺らにかないっこねぇ癖にっ」「アウル、スティング、いい加減にしろ」ネオが元気すぎる少年たちを制する。だがフレイは間髪入れずにネオたちを見下げ、前髪を払った。「強奪したモビルスーツで威張るな、ウィンダムで同じ働きをすれば褒めてやるがな」
この一言に、ネオはともかく少年たちは動揺したらしい。強奪の事実が、こんな民間船にまで広まっている──? さらにフレイはスティングに視線をやり、「それとそこの少年、袖の中の銃口が丸見えだぞ。どうした、私たちが怖いか」
きれいに刈り込まれた少年の緑髪が、びくりと跳ねる。ネオが口元を引き締め、スティングを見やった。
「全くお前たちは……大変失礼しました」「謝ることなんかねぇ! ネオ、この船本当ならとっくに俺たちが接収しててもおかしく」「スティング! フレイ嬢の前だぞ」ネオはスティングの銃を取り上げつつ、少年たちの感情を強引になだめる。
だが騒動が収まると、ネオは改めてフレイに向き直った。「無礼と知ってお聞きしますが、フレイ・アルスター嬢。貴女も仮面を被っておられるのでは? メンデルの皇女様」
俺は貴様の秘密を知っているぞ。いかにもそう言いたげなネオの問いだったが、フレイはいささかも動じなかった。「世の中とは面白いものですね、大佐。ウーチバラを襲ったはずの貴方がたが、今ヤエセを救うとは。アマミキョを堂々と探る理由づけの為かどうかは知らぬが、この国をあまり甘く見ない方が良い。今のうちに忠告しておきます」
「分かっておりますよ。今は一時休戦ということです……
って、ええいもう、腹の探り合いはよそうフレイ嬢、苦手なんだよそういうの。俺は、君が俺の記憶の切れ端にいる理由を知りたいだけだ」
ネオは面倒そうに両手を振り上げる。ごく軽めの、いかにも兄貴分らしい口調に切り替えながら。だがフレイは容赦しなかった。つかつかと歩み寄り、少年たちに聞こえぬように言い放つ。「子供の記憶を奪っても、ですか? 記憶を求める貴公が、子供で記憶遊び。皮肉なものだ」
「その説教は、ウーチバラの宙域で聞き飽きたよ」おどけてみせるネオ、だがその胸倉をフレイが掴む。
「しかしその後も、彼らの記憶を弄んだ。あの少年たちに、アフロディーテやカラミティ、ティーダの記憶は明らかにない。貴公の率いるファントムペインの人員から推測するに、ウーチバラであの少年のどちらかは、私に撃破されたはず」
「やれやれ、確かにアマクサ組の情報網は素晴らしい。それに貴女のその怒りっぷり……同じ行為を行なう者を許せぬ、というやつですか?
逆に聞こう、貴女が率いているアマクサ組の子供は何です? ティーダに乗っていた子供は? そして貴方自身は何者だ?」
「質問を質問で返すやり方は気に食わん!」フレイが珍しく、生身の人物に対して激昂を露にしたその時──
「駄目だよ、人を怖がってちゃ駄目なんだよ!」調整中のティーダのコクピットから脱け出していたマユが、いつの間にやらネオの周りをうろついていた。正確には、ネオの背中に隠れている、連合少年兵服の少女の周りを。マユは無邪気にその少女の腕を引っ張っていた。
「ねぇ、その制服の改造方法教えてよ! 両肩をそんなに上手に出すのってどうやるのー? 私がやるといつも破れちゃうんだぁ」マユは強引に少女をネオから引き剥がそうとする。何も知らない者が見れば、中学生ほどの女子同士の戯れにしか見えない。
だが少女は最初はぽかんとマユを見つめていたものの、出てくるどころかさらに怯えてしまい、「嫌だっ、何する!」金髪を激しく揺らして、ネオの背中に抱きつくように隠れてしまった。カイキが無造作にマユを引き離し、そのカイキをスティングが睨みつける。
「やれやれ、誰のせいでステラが怖がっていると思っている?」ネオは少女の頭を優しく撫で、フレイを仮面の下から凝視する。言葉は軽いが、口調はもうその軽さと比例することはなかった。
「彼女の具体的な記憶は消えても、深層心理に恐怖は植えつけられている、というわけか。人の肌と肉と神経の力だな」フレイはようやく、ネオから手を離す。
「今はマユに感謝するのだな。アマミキョとこの国を汚せば、今度は容赦なく貴様らを撃つ」それだけ言い残すと、彼女はカイキやマユと連れ立ち背中を向けた。
ナオトはずっと、サイのベッドのそばで彼の話を聞いていた。
あの後に襲ってきた高熱からようやく回復したサイ。そんな彼に、ナオトは必死で懇願していたのだ。全ての真実を話してくれるように。ヘリオポリス崩壊の状況、アークエンジェルで起こった過去の事件、フレイの死の真相、2年前の悲劇の全てを。
「全部話してくれるまで、僕ここを動きませんからね!」と言い張り、本当に一晩動かなかったナオトにサイも遂に折れ──そして話した。2年前だけではなく、つい最近に起こった事件までも話した。つまり、チュウザンでフレイと再会した時のことも、サイは包み隠さずナオトに打ち明けたのだ。
「……どう判断していいのか、未だに俺は分からない。だけど、フレイは生きて、俺の目の前にいる。だったらそのことだけを、事実として受け止める──その時から、俺は決めていた」
そこまでサイが話した時にはもうナオトは、ボロボロ零れる涙を押さえることが出来ないでいた。正確には、サイがストライクを動かした話のあたりから、ナオトの涙は止まっていなかったのだが。
そんなナオトの頭に、サイは包帯だらけの手をぽんと乗せる。「ごめんな、ナオト。俺も頑固だった、フレイのことを一人で抱え込むなんて、そりゃ嫌われたってしょうがないよ。ミリィの言うとおりだ……な、カズイ」
え?とナオトが振り向く。カーテンで他の区画と仕切られているだけで、医療ブロックの騒音が容赦なく響いてくるサイの病室。そのカーテンに今、一つの小さな人影が映っていた。サイの一声で、その影がびくりと動き──カーテンの間から、おずおずと顔を覗かせた。
「お前にも本当に申し訳なかったと思ってる、カズイ。俺が誘っといて、詳しい話もしないで、また戦闘なんかに巻き込んだ。お前が怒るのも当然だよな」
その言葉で、カズイはうつむき加減になりつつも、やっと部屋の中へ入ってきた。そしてサイから眼を逸らしつつ、報告する。「あの……ミリィ、無事だったって。山神隊から聞いた」
「ホントですか!?」ナオトの顔がぱっと明るくなる。同時にサイの表情にも安堵が溢れる。サイもまた、ナオト以上に心配だったのだ。
2年前、苦しみも悲劇も共有した仲間──そして今離れてなお、彼女はサイやフレイを思い、ナオトをアマミキョへ戻させた。いわばナオトは、ミリアリアの分身だ。サイが全てを話すつもりになったのは、ナオトを通じてミリアリアの思いの強靭さを知ったからとも言える。それだけに、ナオトからミリアリアの負傷を聞かされた時には、サイはナオトよりも動揺したものだ。
「それで、今彼女は何処に」先を急いで問うナオト。だが、カズイは半分怒鳴るように現実を突きつけた。「帰ったよ。連合による強制帰還さ。プロパガンダに使えない記者なんか、連合はいらないらしいね」
「そんな……ミリィさんがいないんじゃ」ナオトはがっくりと肩を落とす。サイもどっと疲れが出たのか、ため息をついてしまっていた。口では「良かった。オーブに帰れば、ミリィも安全だよ。尤も、また飛び出すだろうけど」と言ったものの。
「オーブだって、今後どうなるか分からないさ。条約締結と同時に、カガリ代表がセイラン家の息子と結婚なんかするらしいし」カズイはぶっきらぼうに言い放つ。
「ケッコン!? まままさかあの、もみあげユウナとカガリ代表が、ですかっ?」ナオトは肩だけでなく腰まで落としてしまう。「何てことだ、僕らの女神が……あんな馬鹿に汚されて」
「落ち着けよナオト、カガリ代表にとっては良い話とも言える。今までがおかしかったんだ、あの歳で一国を担うなんて」サイはそう言いつつも、カズイにも改めて問いただす。「本当なのかカズイ? 俺もここ最近噂話に疎くなってたから、推測はしていたが具体的な情報は聞いてなかった……まさかそこまで話が」
「やめてくれよ。俺だって動揺してるんだ」カズイはぷい、とそっぽを向いてしまう。だがその時、ナオトは突然顔を上げ、サイをまっすぐ見つめた。「しょーがないです!」
そして立ち上がり、サイの手を握りしめる。「じゃあ僕が、サイさんを全力で守ります、必ず!」
「は?」サイとカズイは同時に声を出してしまう。だがナオトの表情は真剣そのものだ。「嫌だったって駄目ですからね、フレイさんやアマクサ組に何をされたって、僕がミリィさんの代わりにサイさんを守りますから! 一緒に、本当のフレイさんを取り戻しましょうねっ」
勢いあまって、ナオトはサイの右腕を捻らんばかりに握ってしまっていた。「いやそのナオト、熱意は分かる、すごく嬉しいよ、でも……痛い、痛いよコラっ」
「す、すみません」慌てて身を引くナオト。このちょっとした騒ぎに、看護士のネネまでが顔を覗かせていた。
「でも、サイはこれからどうするつもりだよ? この船でやってくのは、もう……」カズイがまたしてもぽつりと、現実を呟く。サイを下から睨みつけるような小さな瞳の中には、未だにサイへの疑惑が潜んでいた。そんなカズイに、ナオトは噛みつく。「空気読んでくださいよカズイさん! 負け犬の感情ばっかりでモノ言ってっ」
「お前は馬鹿か? 現実にサイは、裏切り者なんだよ!」
「サイさんの話を全然分からずに! ミリィさんの言葉、カズイさんにも聞かせてやりたいよっ」
「だけど、サイがザフトを逃がしたのは事実だっ」「ちょっと、やめなさーい! ここは病室よっ」掴み合いの喧嘩を始める寸前のナオトとカズイを、ネネが仲裁した。
「やめてくれ、ナオト。確かにカズイの言うことは現実だ」二人を静めるように、サイは言った。「だけどカズイ、悪いけど俺には船を降りるという選択肢はない。だから、今からでもうまくやっていく方法を考える」
そこでサイは、少しばかり悪戯っぽく笑って見せた。「でさ、ちょっと相談。結構前から考えてたんだけど……」
「料理教室う?」
数週が経過し、ようやくサイが作業に出られるまでに回復した頃──
トウキビ畑で山神隊に作業を監視されつつ、オサキ、ネネ、そしてヒスイの三人が陽射しをよけて休憩していた。
「少ない食糧を有効利用する為の、調理方法の研究だそうですよ。サイさん、調理場の隅で色々と苦戦してるみたい」ネネがオサキとヒスイにヨーグルトジュースを配りつつ、状況を説明する。
同じグループに偶然振り分けられたということもあってか、オサキとヒスイは全く性格を違えてはいるが妙に気が合い、最近共に行動することが多くなっていた。尤も、彼女らが結束するのは主にフレイや山神隊やコーディネイターたちへの文句を言う時ぐらいであったが、それでも今までパソコンの前で閉じこもっていたヒスイにとっては大きな進歩と言えた。またオサキにとっても、コーディネイターばかりに囲まれて窮屈していた処に現れた、元ブリッジ要員のナチュラルの女性ということで、ヒスイは案外話せる相手となっていた。
最大の共通要因は、ネネを含めた三人共、傷ついたサイに思わず駆け寄った人間たちということだった。
「アタシは嫌だね、何でこのクソ忙しい時にママゴトなんざ。第一ネネ、お前だってサイを軽蔑してたじゃねぇかよ」オサキはジュースをまずそうにストローで啜りつつ、ネネを睨む。だが、ネネはあっけらかんとしたものだ。「サイさんは助けてくれましたから。オサキさんだって本当は、ブリッジにサイさん、いてほしい癖に。それに、同グループのよしみもありますし」「別にいてほしいってわけじゃ。いたら便利、ぐらい?」「またまた、照れ方分かりやすいなー」「そんなんじゃねぇ!」
強い日差しの中で、ネネもオサキもじゃれあいながら土の上に思い切り素足を伸ばす。ストローをくわえて黙ったままのヒスイも、それに倣って白くむくんだ脚を放り投げた。大丈夫、今は監視の目は緩い──この時、「乾いた南国に大根が6本。いいねぇー」などと、ファントムペインのスティングとアウルが双眼鏡で覗いていることなぞ、三人は知らなかったが。
「同グループってんなら、ハマーでも誘えよ」「嫌ですよとんでもない! あの人が来たらブチ壊されるだけじゃないですか」「意外と話せるかも知れんぜ? 今もまた瞑想室に逆戻りらしいし、少しは懲りたんじゃね、あの人間嫌いのド差別野郎も」
その通り、ハマー・チュウセイは再びフレイに瞑想室送りにされていた。
心を入れ替えるどころか、敬愛するフレイに殴られたことで自虐的になった彼はますます酒に溺れ、新たな暴力事件を起こしていたのだ。しかも、お菓子をねだって寄ってきたナチュラルの子供を本気で殴るという、最悪の事件を。
「冗談じゃないですよ。帰国させなかったのが不思議なくらい。今日あたりで出てくるみたいですけど」ストローを噛みつつ、ネネは呟く。
その時、唐突にヒスイがたどたどしく言葉を口にした。「あ、あの、料理教室、ですよね……それって、別の意味で嫌な予感がするんですが」
ネネとオサキが顔を見合わせる。と、突然畑の向こう側から、この世のものとは思えぬ絶叫が轟いた。もう大分聞きなれた、ナオト・シライシの叫びである。
オサキたちが慌てて現場に踏み込むと、大地に仰向けにぶっ倒れているナオトと、必死で彼を介抱しているサイと、それを遠巻きに見て震えているカズイがいた。ナオトがたった今手をつけたであろうランチボックスの中には、無造作に盛られたサンドイッチらしき物体があった。
「ナオト、何もそんなにガツガツ食うことないだろ?」泡を吹いたままのナオトを揺さぶりながら、サイは涙声で訴える。カズイが涙ながらに突っ込む。「味わわないように一気に食べたから……畜生、予想出来た惨劇だったのに」
「そんなにヤバイもんか、生タマネギのサンドイッチって」
サイのとぼけた言葉に、オサキらは絶句する。ネネは思わずナオトに駆け寄った。「ナオト君、吐き出して!」
ネネにナオトをぶん取られた形になったサイは、おろおろとカズイに弁解する。「やっぱり、干しマンゴーかジャム入れた方が良かったかな? ここってタマネギには結構困らないだろ、簡単に栄養とるにはいいかと思」「馬鹿野郎!」
皆まで言わせず、オサキが肩を震わせながら叫んだ。「殺人料理作って許されるのは、古今東西美女だけと決まってるんだよ、ドアホ!」
そして「みじん切りのマヨネーズあえならまだしも、タマネギの輪切りのみはないと思うよ」とカズイ。さらにヒスイも辛らつな発言をする。「サイさんがふられた理由、分かったような気がする……」
だが、そのちょっとした小さな惨劇もそこまでで終わった。トニー隊長の、いつもの罵声と共に。
「何を騒いでいる、ヤエセ西部工場で爆発事故だ!」
<現場はここより5キロ北西、トミグスクの森の中と思われます。文具団の人工山中の工場ですが、被害・負傷者は今だ不明。既に山神隊が先発しています>
ティーダのコクピットに、ブリッジの通信が次々に入ってくる。ティーダには既に、マユとナオトが待機していた。ナオトはフレイから直接命じられていた、「貴様にとって絶好の取材対象だ、来い」と──
「良かったねナオト、もう一度乗れて!」朗らかな顔で前席のマユが振り向く。「こんなにあっさりと再搭乗を許してくれるなんて、思わなかったよ。何考えてるんだろ、フレイさんは」
それに、借りたブリッジの制服に作業用ジャンパーをつけたまま、という格好で乗り込んで良いものか。「タマネギ騒動の最中、いきなり呼び出されたからなぁ」などとナオトが気にしていると、マユはそれを察したように笑った。「今回はテロじゃないってば、あくまで人助け。ガスさえ気をつければ、全然危なくないって。取材するなら、ティーダの中が一番安全なんだよ」
「それにしたって、すぐにまた僕を乗せてくれたのは、どうしてかな。カガリ代表の手前ったって、代表も今頃は……」
「ティーダのセンサーが、まだ判断出来ていないの。コーディネイターかナチュラルか、どちらのOSに切り替えるべきかって。ナオトが長く乗りすぎちゃったんだよね。
ティーダには、パイロットに合わせて自動的にシステムをリライトする機能がある。そこへ、どちらでもないナオトが乗ってきたから、ティーダは迷ってる。今のところナオトはサブで、優先度は高くないから混乱はしていないけど」
「他のパイロットが乗ってきたら、システムが乱れるってことか。まるで生き物だね、ティーダのOSって。で、最優先にされているのは」
「勿論、私! ティーダ、マユ・アスカ、ナオト・シライシ、出ますっ」マユの元気のいい声と共に、ティーダは太陽の輝く空へ飛んだ。眼下には、既に出ているフレイのアフロディーテと、カイキのソードカラミティ、山神隊、そしてファントムペインのガイアガンダム、紫のウィンダムが見える。
「どういうことだ? ただの爆発事故に、これだけの部隊を出すなんて」
男は、熱射の泥道をひたすらよろよろと歩いていた。
湿った暗い牢から解放されて数時間。酒という名の薬がとうに切れてしまっていた彼に、この国の太陽ほど苦しい洗礼はない。
舌が、皮膚が、唇が、神経が、肉が、血が、伸びすぎた無精ひげが、アルコールを求める。側溝を流れる下水でさえも、美味そうなワインに見える。頭を掻いてみると、大量のフケが爪に付着する。それすらも酒粕のように見え、男は頭を掻いてはそれをひび割れたぶ厚い唇に持って行くという虚しい作業を続ける。
脳の内部を叩く雷鳴。それは吐き気に変わり、男の全身を麻痺させ、地面に倒れさせてしまう。
「ロゼ……ロゼ」
男の汗臭い胸元から零れるものは、古びたお守り。それを握り締めながら、男は顔を上げる。
その目の前に広がったものは、彼の故郷だった。
そう、これは俺の森だ。オーブ西部の森の奥、俺たちは会社員時代に貯めた金で静かな暮らしをするつもりだったんだ。そうだ、俺にはそれだけの才能も手持ちもあった、俺も家内もコーディネイターだったから。何も宇宙なぞに上がらずともオーブならば、オーブの中で閑静な避暑地であれば、俺たちも娘も迫害されず、十分生きていける。
朝は鳥の声と共に起き、昼は土を耕し種を蒔き、夜は娘と星空の下、花火でもやる。娘は蛾を嫌がるだろうが、すぐに慣れるだろう。
そう、あの森は約束の土地。俺たち家族の森。煙がわずかに出ている、あれはロゼの狼煙だ。俺は今まで何をやっていたのだろう。ロゼをあんなに待たせて。
お父さん、今夜花火やろう。線香花火、オーブの名物、お母さんと買ってきたんだよ。だからあまり、お酒飲まないで。
種を蒔いたら、花火やろう。お父さん──
「ハマーさん!? 危険ですよ、そっちはっ」
怪我が何とか回復し、サイはアマミキョ本来の作業の一つ、農地開拓に戻ることをようやく許されていた。土を掘り返し岩を砕き、畑を耕す。種を蒔く前段階の作業だ。
同時にサイには若干時間的余裕も出来、それ故にタマネギ騒動の如き惨劇も起こったわけだが、そんな個人的状況に何ら構わず事件は起こる。
一つは今、サイたちの作業場から目と鼻の先で起こっている爆発事故。もう一つは、たった今ハマーが暴走気味のオープンジープに乗りながら、事件現場の森へ突っ込んでいくという異様な光景だった。
サイは慌てて、転がしておいたバイクに飛び乗ってハマーの後を追う。ハマーのジープは泥を跳ね飛ばしながら、舗装もろくにされていない道をジグザグに暴走していた。明らかに、正常者の運転ではない。
「また飲んでるのかっ」舌打ちをするサイの頭上を、紫のウィンダムが滑空していく。そのすぐ後から、耕したばかりの大地を無遠慮に踏みつけつつ、黒い獣が跳ねていく。
2年前、砂漠で見たザフトのモビルスーツにも似ている──それもそのはず、ザフト製の新型機を連合が強奪したものだそうだ。名は「ガイアガンダム」。ザフトが連合からモビルスーツを奪った瞬間以降、自らの運命を大きく変えられたサイとしては、強奪された機体と聞くとどうしても複雑な思いで見上げずにはいられない。そこにいた基地の人たちは、どうしただろう?
だがそんなサイの思考などお構いなしに、ガイアはサイとハマーの間に乱暴に前脚部を割り込ませる。もしかして、このパイロットも正常者じゃないのか? 脆い土が割れ、乾いた砂が巻き上がる。横転するバイク。サイは危うくガイアに踏み潰される処だった。ガイアは全く気づきもせずに、地響きを鳴らしつつ森の方角へと駆けていく。
サイは転がったバイクを立て直し、もう一度ハマーを追った。既にジープもサイのバイクも、現場近くの森へとさしかかっている。森の奥で火柱が上がっている、ここまで煙が見える。
ただの事故じゃない。サイは直感していた。
泥を散々タイヤに巻き込み、その上森に入ったせいでハマーのジープは大幅にスピードを落としていた。その片側にバイクを寄せたサイは必死で叫ぶ。「戻って下さい、ハマーさん! 貴方がいないと、整備班が成り立たないんです! フレイの機体だって修理が追いつかないっ」
しかしスピードが上がらぬことに躍起になっているハマーは、サイの叫びなど全く聞こえていない。ただ、森の奥を目指してエンジンを轟かせるだけだ。しかしサイは、その厚い唇から漏れる呻きをはっきりと聞いた。
「この地は、故郷だ! ロゼの大地だ! 俺の家だ! 俺はここで種を蒔く、そしてロゼと花火をやるっ」
そこには既に、整備士として仕事をこなしていたうるさい職人はおらず、ただ幻覚に踊らされているアルコール中毒者の姿しかなかった。サイはそれを止めることも出来ず、共に森の奥へと突っ込んでいく。
「こんな山に、こんな大きな工場があったなんて」
ナオトたちを乗せたティーダがたどり着いた場所は、ヤエセ北西部の山を抉り取るようにして建造された工場だった。この山自体自然のものではなく、文具団が土地を買い取って山を造成したものだが、その山の裏側全てを切り取るように工場が出来ていたとは。しかも、ヤエセ中心街からは全く気づかれない形で。
フレイたちが向かったのは、ナオトが今いる地点よりもさらに遠く、工場の反対側だ。500メートルは離れている。爆発はそこで発生したとされている。実際、先ほど火柱が上がったのもナオトたちのいる処よりはほど遠い。
「こっちはまだ無事みたいだ、ガスも検知されてない。まだ人がいるかも知れない、見てくるよ」ナオトはマスクだけつけてハッチを開き、ワイヤーでティーダから降りた。
「ティーダに乗ってた方が安全だってのにー」マユはコクピットから離れぬまま、工場へと歩き出したナオトに向かって身を乗り出す。だが、その声はあくまで呑気だった。
「いいんだ、君はここで待ってて。久々にレポーターらしい仕事をしたいしね。それにティーダが無理に入ったら、人を踏んじゃうかも知れないだろ?」
「踏んだらいけないの?」
ナオトは諦めたように首を振る。どう言えば、マユは分かってくれるのだ。人が死んだら、悲しいということを。ナオトは怒りを精一杯抑えこみ、胸元のフーアのお守りをかざしてみせた。
「僕の大切な人たちは、モビルスーツに踏まれて亡くなった。分かる? 了解? 分かったら、おとなしくそこにいてくれ!」
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