<先日の、ヤエセ西部トミグスク・文具団管轄第15工場でのガス爆発事故の続報をお伝えします。
連合・チュウザン合同軍が現地時刻午後2時30分に現場に突入、作業員及び周辺住民の救助活動を開始したことは事件直後にお伝え致しましたが、その後自分が見た現場は事前の報告とは大きく食い違うものでした>
医療ブロックで足の手当てを受けながら、サイは枕元のビデオモニターでじっとナオトのレポートを見ていた。画面からはナオトの声と共に、ティーダのカメラが捉えた現場の映像が続々と映し出されている。サイの額を覆っていたガーゼを取りながら、スズミ女医も黙ってナオトの声に耳を傾けている。
<我々が到着した時には工場は激しい炎と黒煙に包まれていました。作業員と見られる方々52名は3名を残し、既に全員の死亡が確認されています。しかし、工場敷地内ではガス及び有害化学物質の流出は確認されませんでした。
一体、工場内で何があったのでしょうか。
我々が目撃したものはガスではなく、出所不明のストライクダガー3機、ダガーL2機でした。救助活動に入った軍を攻撃してきたそのモビルスーツが、作業員を殺害したものと思われます。これはガス爆発に見せかけた、テロ行為だったのです>
画面に、赤い非常灯に照らされた工場構内が映し出された。ナオトの声は淡々と──いつもの彼らしくもなく、実に冷静にレポートを行なっていた。確実に連合に握りつぶされるレポートであるにも関わらず。
<連合チュウザン駐留軍・山神隊がこのモビルスーツ部隊に応戦、現在テロは完全に沈静化しています。しかしさらに調査を行なった処、工場内部の様子は異様でした。行政官庁に届けられている業務内容とは全く違うもので埋め尽くされていたのです>
破壊された巨大ガラス管が幾つも画面に映っている。サイはなるべく冷静さを失わぬよう、スズミに補足説明をしていた。「画面下に転がっている鼠の尻尾のようなものは赤ん坊の脳髄でしょうね。既に切断された女の子の手足も見ました」
「ブルーコスモス直属のバイオ研究者なら喉から手が出るほど欲しいはずよ、この施設」
スズミの吐き捨てた台詞に答えるように、ナオトの声が続く。<ここで生産されていたものは、鉄鋼などではなく──
生きながらに死んだ、人間の成れの果てでした>
突然映像は切り替わり、カメラがぐるりと回転しつつ工場の天井を映し出す。心臓を内側から撮影したらこんな感じだろうか。赤黒い光に染まった空間が鼓動する。撮影者の感情を映し出すように。
若干のノイズの後、金属が擦れる嫌な音と共に画面の中の防御壁が砕かれた。火花と金属片を散らすティーダのマニピュレータが一瞬映る。その向こうに展開されるは、生き血の詰まったガラス管で満たされた空間。
あの時ナオトがいた場所だ。ナオトが父親と共にいた場所。俺とハマーさんがやっと助け出された直後に見た地獄。
今度はナオトが撮影したものではなく、マユがティーダで突入した際の映像なのでブレが酷い。それでもやがてカメラはまっすぐに、朱に染まったガラス管の列──その間で蠢く人間たちを捉える。白衣の男に三体の獣。
「あれ、少女だそうです」サイは冷静さを保とうと努めるあまり、唇の皮を歯で食いちぎっていた。なおもレポートは続く。
<現在軍では生存者を収容の上、回復を待って事情聴取を行なう予定です。自分は単独で当工場への潜入を試みましたが、その際に工場センターブロックにて、管理責任者と推測される男性と接触しました。
チュウザンの子供たちを集めて過酷な人体実験を行なっていた事実を、男性は自ら明かしました。この映像で展開される地獄が、ヒトの未来へ繋がると──彼は自らの行為と実験施設を肯定したのです。その直後に彼は絶命しました。テロリストと化した子供たちに襲われて>
「自分の父親だぞ」サイは思わず顔を背けてモニターのスイッチを切りかける。その手をスズミが止めた。「しかも、マユちゃんまでかばってるわね」
その時だった。ナオト・レポートが驚くべき事実を語ったのは。
<彼はさらに僕の前で語りました。ヒトの進化を担うべき人間──SEEDを持つ者の存在について>

 


PHASE-14  アークエンジェルを追え!



作業艇ハラジョウ内部の医務室では、いつも通りマユが清潔なベッドに寝かされていた。そばにはきちんとカイキがついている。
アマミキョ医療ブロックより遥かに静かなその病室で、マユは実におとなしく点滴を受けていた。彼女の細い腕に音もなく流れこむ薬液を眺めながら、カイキは不器用に笑顔を浮かべようとする。だが、出来ない。
マユの枕元にはテレビモニターが備えつけられ、現在のカタパルトの状況が映し出されている。真っ白く輝く機動兵器・ティーダのカメラアイが、画面ごしにこちらを凝視していた。カイキは憎々しげに睨みかえす。シーツのように白いその装甲が、カイキの目には血塗られて見えた。
分かっていたはずじゃないか、モビルスーツは血染めの兵器だということぐらい。
と、マユが突然口を開いた。「殺そうって思ったの。殺さないと、って思ったの。あんな気持ち初めて………今までは、ただ撃っていただけなのに」
カイキは何も答えられない。いや、解答はあるがマユに提示すべきものではなかった。
あの工場で、ティーダがマユに激烈な影響を与えたのは明白だ。カイキ自身が、ティーダを通じてナオトの感情を味わったのだから。
それは彼にとって、三つの意味で屈辱だった。
まず単純に、性的暴行に対する嫌悪感。次に、あの憎たらしい子供──ナオトの感情と自分を同調させてしまった事実。そしておそらくマユはカイキよりも遥かに強く、ナオトの心と連動してしまっただろうこと。
すなわち、ナオトが受けたと同じ暴行を、マユは──
カイキは考えただけで自分の拳を握りつぶしそうになるその思考を、無理矢理追い払った。
ティーダの性能を考えれば仕方のない結果だ。カイキとしても、マユがティーダの潜在能力をここまで引き出すとは予想出来なかった。おそらく、チグサ復活の時は早まっただろう。本来は喜ばしいことだ。
モニターの中では、フレイが現れてキャットウォークの上でティーダを眺めている。すっと背筋を伸ばし、ティーダの白い頭部を見上げているフレイの後姿は、いつも通り美しさを保っている。特に腰のあたりで引き締まったスカートのライン、連合は女子制服の美学ってやつを理解している──尤も、ステラとかいうエクステンデッドは別だ。見てくださいと言わんばかりのあの着崩し方は何だ?
そこまで考えた時、唐突にマユが尋ねた。「お兄ちゃん。お父さんって、何?」
一瞬血の塊が喉に詰まったような感覚がカイキを襲ったが、それでも彼は優しげな表情を作ってマユの額にくっついていた髪を撫ぜる。「俺にもお前にもいないモノだよ。誰が言ってたんだ」
「フレイが言ったの。私がナオトのお父さんを殺したって」
カイキはぎょっとして、思わず画面のフレイを睨みつけていた。丁度彼女は画面外の誰かに声をかけられたらしく、ちょっと振り向いて言葉を交わすとカイキの凝視をよけるかのようにフレームアウトする。
さらにマユの言葉は続いた。「お父さんがいなきゃ、子供は生まれてこないんでしょう? お父さんにとって、子供は大切なものなんでしょう?
なのにどうしてナオトのお父さんは、ナオトを傷つけたの?」
簡単だ、俺たちの親父と同じだったからさ。
だがその分かりきった答えも、カイキはマユに告げることは出来ない。黙って点滴の落ちる速度を調整することしか、カイキに出来ることはない。いつもの投薬と注射では全く足りないようだ。マユの為には、多少の危険を冒してでも薬液の濃度を上げるしかないのか──これ以上、憎しみや殺意を感じさせないようにする為には。
「駄目だ」マユが寝息を立て始めたことを確認しつつ、カイキは首を振る。マユの身体に負担をかけるわけにはいかない、チグサの為には。「ティーダは必要なんだ。俺たちに、チグサに」
呪文のように繰り返されるカイキの言葉を聞く者は、誰もいなかった。


<SEED。Superior Evolutionary Element Destined-factor──優れた種への進化、その担い手。かつて学会で発表され、議論を呼んだ──>
ナオトが辛うじてピンマイクで録音した男の声が、医療ブロックの一室で流れる。サイとスズミはひどいノイズ混じりのその声に、必死で聞き耳をたてていた。貴重な証言だったが、録音者のナオトが冷静さを失っていた為か男の声は途切れ途切れだ。わずかに聞き取れた単語は、「キラ・ヤマトに並ぶSEED保持者」──サイは息を呑む。まさかこんな処で、キラの名を聞くとは。
男の声を遮るように、ナオトのレポートが再び被る。口調は先ほどより若干弱めになり、声がかすれてきている。
<彼は、ティーダのパイロットとなった僕の中に、SEEDを見出した。ハーフコーディネイターである僕の精子を独断で採取し、人体実験の犠牲となった少女たちに分け与えた。
世界を革命する子供が欲しい──それが、彼の願いでした>
「何故そこまで冷静に喋れる、ナオト!」サイはビデオモニターに思わず拳を叩きつけていた。
レポートを命じたフレイも解せないが、ナオトの反応はそれ以上に不可解極まりない。父親であった事実こそ隠しているとはいえ、自分が性的暴力をふるわれたなどと公然と数日後に語ることの出来る子供なぞ、そうそういるわけがない。
「このレポート、決して無駄にはならないわ」スズミがエンドマークを確認し、落ち着きはらってスイッチを切った。「勿論公には出来ない、でもこうして私たちが知ることが出来た。特に貴方が知ったことは大きいわね」
「ナオトの奴、全く変わらないんです。いつもより明るいくらいだ。明るさを装って自分を騙してる。そうやって生きてきた、そうやって生きるしかなかったんだ!」
笑う門には福来たる──オーブ古来のそんな諺を、あいつはいつも信じていた。ドジだけど明るい自分を演じ、自分にも他人にも親にすら笑顔で媚び続けることで、ハーフコーディネイターとしてこの世界で何とか生きてきたのだろう。フレイにその真実を暴露されてからドジをやることは少なくなってきたものの、破滅的なほどに突飛な行動が増えてきた気がする。
「だったら、こちらもいつも通りに接するしかないでしょうね」スズミは一つ溜息をつきながら、手元の書類をかき集めた。「ただ、このままだと何処かで爆発してしまう。貴方が無茶をしたようにね」
言われて、サイは思わず自分の左腕を眺めた。ギプスはようやく取れたものの、まだ熱を帯びた痛みは残っている。ハマーを追いかけて工場崩落に巻き込まれたおかげで、治りは明らかに遅くなっていた。
そのハマーも今は、医療ブロックで隔離され治療を受けている。事件直後には相当の鬱症状が出ていたらしく、自傷行為を何度も行なったようだ。ナオトの傷とティーダの能力は、無関係の人間まで巻き込んでしまった。
スズミは疲れのたまった肩をならしつつ、サイを諭す。「心療内科は専門外だからあまり当てにしないでほしいけど、ナオト君の回復には思い切った荒療治が必要かも知れない。勿論、モビルスーツに乗っていない時にだけど」
相変わらず医療ブロックの喧騒が、カーテンの向こうから響いてくる。ストレッチャーが廊下を走る車輪の音、そして怒鳴り声。母を呼ぶ子供の悲鳴、ネネがそれを宥める声もはっきり聞こえる。
ろくでもない音の満ちる空間でサイは思考を巡らせる──ナオトの傷。それと共に、自分やハマーが工場で感じた感覚。そして──
「SEEDって一体、何なんだ?」


ネオ・ロアノークもまた、カイキやハマー、そしてサイと同じ感覚を味わった者の一人だった。
間違いなく、あの工場はステラたちを育成したロドニアと同様の研究施設だ。何故チュウザンにそのような施設があるのか疑問は尽きなかったが、何よりネオの頭に引っかかっていたのは突入時の感覚だ。
男であれば一生涯ご免こうむりたい感触だった。尻の穴にマシンガンでも突っ込まれた方がまだマシだったろう。
同じく突入に参加したステラにも確認を取ったが、彼女は何も感じなかったらしい。勿論、この非人道的施設に対する嫌悪感を剥きだしにしてはいたが。
「あそこは嫌。ロドニアはもっとキレイだった!」
事後処理という名の焼却作業に当たっていた山神隊の連中も同じだ。彼らは清濁併せ呑むという言葉を理解している為か、散らばった脳髄や腕や太ももを一斉火炎放射でてきぱきと焼き尽くしていた。時澤軍曹などはしばらく鶏肉が食べられなくなったようだが、どうやら特異な感触を味わった者はいないらしい。
気がつくとネオは連合艦から離れ、夕闇の中をアマミキョへと向かっていた。申し訳程度には冷房の効いた艦内にいつも居座っている為か、この国の暑さと湿気は特にこたえる。電気も水道もろくに復旧しないままの村落を、ネオはゆっくりと歩き続けた。
ユニウスセブン落下のおかげで海岸線が歪み、港は壊滅し、田畑や森は焼かれ、しかも内部からのテロが激化しているこの国──コーディネイターにでも頼らなければもはや立て直せない島国。それでいて、強化施設を建設していた国──ここにはある。俺の記憶に関わる何かが。
作業が遅々として進まないトウキビ畑の隅から、鎮魂歌でも奏でるように大量の虫やカエルたちが夕方の唱和を始めている。
仮面の下が実に蒸し暑く、脱いでしまおうかと思ったその時。「おっさん、10アースダラーちょうだい」
振り向くとネオの足元には、夕闇に紛れてくっついてきたらしい子供たちが群がっていた。顔を跳ね回る虫をものともせず、真っ黒に汚れた顔で次々に手を差し出してくる。
「おっさんじゃない、お兄さんだ」ネオは微笑みながら腰を下ろし、懐から何個かキャンディーを取り出した。金を出せば子供の親がすぐに取り上げて酒や薬に使ってしまうことを、ネオは知っていた。手のひらの上にきれいに包まれたキャンディーを乗せられ、子供たちは最初は戸惑いつつも次第に笑顔になっていく。
その時だった、ふとした呟きが聞こえたのは。「やっぱり似てるよ、フラガさんに」「しっ、聞こえるぞ」
ネオが振り向くと、岩だらけの道ばたから二人の青年が顔をのぞかせていた。うち一人はネオが話をしたい相手でもある。どうやらこの子供たちは、彼らが引率していたらしい。
「申し訳ありません、すぐに帰しますから!」左腕に包帯を巻いた眼鏡の青年が子供たちを呼ぶと、彼らは相当なついているのか即座に青年の方へ集まっていく。ネオはその青年に、気楽さを装って声をかけた。
「サイ・アーガイルだね。元婚約者に会いたくないか?」


「実験体の搬送は完了しました」調整中のティーダを前にして、フレイにニコルが報告する。キャットウォーク上で車椅子はなかなか動かしづらいが、ニコルはもう慣れていた。「山神隊を説得するにはミゲル先輩も骨を折ったみたいですけど、どうにか2、3日中には南第16への搬送ルートに乗りそうです」
そこへ、ティーダのコクピットから降りてきたラスティが意気揚々と加わった。「ティーダのメインセンサー、最大時で通常の146%増しで動いてたぞ。フレイ聞いてるか通常の146%じゃなく、増しだ! 約2.5倍っ、設定上ありえん数値を叩き出すのも時間の問題、アマミキョとの連動性も上がってるし、このまま行けばスケジュール25%前倒しも夢じゃない!」
ラスティから手渡された小型モニターを一瞥し、フレイは喜びの感情を全く交えずに呟いた。「これほどの心理グラフのブレは想定外だったな。サブパイロットのみならず、メインのマユにまで強い影響を及ぼしている」
その言葉に、小躍りまでしそうな勢いだったラスティは一気に肩を落とす。「俺だって分かってるさ、何が原因だったかって」
ニコルも浮かぬ顔だ。「さすがに驚きましたよ……まさかSEEDに対して、あんな手段をフレイがとるなんて」
フレイは氷柱のように鋭い視線をニコルに向ける。「侮蔑はよせ、私ではない。
しかし、さすがは父の息のかかった者らというべきだな。あのような採取方法をとるなど……」
冷徹にそこまで喋った瞬間、彼女の言葉は中断された。突然割り込んできた怒声によって。「何が採取だ!」
カタパルト入口にやってきたサイの叫びだった。群がってきた整備士たちをものともせず、サイはフレイたちへ大股で近づいていく。「ナオトをあの施設へ向かわせたのはフレイ、君の判断だってな。父親がいると知っててナオトを放り込んだのも君なのか?」
まだ治らないサイの左腕をラスティが捕まえようとしたが、サイは乱暴にそれを振りほどいた。ニコルはサイの剣幕に若干気おされながらも、懸命に車椅子を操作してフレイの前方へ出る。彼女を守るように。「やめて下さいよ、何度目ですかその無意味な抵抗」
「抵抗じゃないよ、質問だ」
ただ一点だけ、常日頃のサイの反逆とは違う処があった。彼は今回、手強い味方──連合のネオ・ロアノークを引き連れていたのである。
ラスティの口から、皮肉がこぼれた。「考えたもんだなぁ、自分一人じゃフレイとの謁見すら不可だから大佐の手を借りる、か!」
だが仮面の男は落ち着きはらい、サイの前に出る。「おいおい誤解するなよ、彼を誘ったのは俺だ。それにしても不思議な光景だな、連合のお嬢さんが赤服と共にいるとは」
「我々アマクサ組に軍属は無関係──それを示す為の、連合服と赤服の共存です。ご理解願いたい」フレイは手ぶりだけでニコルとラスティを下がらせ、サイに向き直った。「何故、ここに来た?」
「聞きたいことが山ほどあるからね」サイは間髪入れずに一息に吐き出した。「ナオトの父親が君に何と言ったか、俺は覚えている。あの男に姫とまで呼ばれる君は一体誰だ? それにナオトをどうするつもりだ、キラと同じように利用するつもりかっ」
「自分こそ、ナオトを利用したじゃないか。ナオトを乗せるきっかけを作った奴のいうことか!」ラスティがすかさずサイに怒鳴ったが、サイは負けなかった。
「その責任を感じているから、ここに来ている。それにフレイだけじゃない──
君たちだって、本当は死んだはずの人間なんだろう?」
その言葉に、ニコルが車椅子のハンドレストを掴む手が一瞬、震えた。
サイはカタパルト階下のアフロディーテを見やる。機体の左脚部にはミゲルがとりついて汗を流している。彼はこの騒動には全く気づかず、接合部分の機動テストの真っ最中だ。「エルスマンが証言してくれたよ。あそこにいる彼も、君たちも、本当は亡くなっているはずだって」
「そんなに船外投棄されたいのかっ! 戦死者名簿の混乱ぐらいどこでも──」ラスティが思わず反論しかけたが、それをネオが遮った。
「俺自身も聞きたいね。あの施設の建設理由に、アルスター嬢の目的を」
仮面の下からの射るような視線が、フレイをまっすぐに突き刺した。さらにサイがもう一歩を踏み出す。「教えてくれ、SEEDのことを。ナオトがあんな目に遭わなければならなかった理由を!」


驚いたことに、フレイはサイとネオを易々と作業艇ハラジョウへといざなった。
当然、彼らが入場を許可されたのは入り口付近の何の変哲もないブリーフィングルームまでだったが、それでもサイにとって大きな前進と言えた。何しろ今までは、フレイに近づいただけで殴られるという有様だったから。
「ナオト・シライシのレポートに偽りはない。ただ一点、マユの行為をかばった以外はな」
意外に天井が高く、象牙色を基調にした落ち着いた雰囲気の部屋の中、フレイはサイとネオを中央の丸テーブルに案内しながら、手元の資料とノートパソコンを操作しつつ切り出した。「彼の父親がその生涯を費やし、息子まで生贄とした”SEED”の因子──
宇宙のコーディネイターと地上のナチュラルとで二分される世界の中、新たに提示された概念だ」
テーブルに、車椅子のニコルが静々と三人分の氷水をついで持ってくる。その表情は明らかにフレイへの不満で溢れていたものの、彼女の視線は十分にこの少年を黙らせるだけの力があった。車椅子のモーター音が流れニコルが背中を向けるのを確認すると、フレイはさらに説明を続けた。
「格闘などの緊迫した状況下において突如覚醒し、バーサーカーの如き戦闘能力を発揮させる因子──これがSEEDの通説だ。
宇宙という特殊環境下での戦闘を重ねる中、突然変異を起こして誕生した新人類。人類の進化を担う者。呼び方は色々ある」
「遺伝子の改良を重ねた結果じゃないのか」唐突にフレイから突きつけられた概念の凄まじさにサイは戸惑いつつも、脳みそをフル回転させて事実の分析に努める。だがそれを遮るようにフレイは続けた。
「違う。ナチュラルもコーディネイターも関係なく、SEED保持者は出現する。
遺伝子工学に携わる者にとって非常に魅力的な学説だが、因子発生のメカニズムは未だに解明されていない。全ての人間が持ちうる潜在能力という説もあるが、逆にこの説を完全否定し単なる火事場の馬鹿力とする説もある。未だにSEED保持者の能力の覚醒は、モビルスーツによる戦闘時の急激な機動力上昇以外に具体例が確認されていない故、信じぬ者がいて当たり前だが」
そこでフレイは手元の書類から目を離し、サイをまっすぐに凝視した。
「サイ。お前は今まで数多く接しているはずだ、SEED保持者と」
「何だって?」口に含ませていた氷水を噴きそうになったが、サイは何とか氷ごと飲み込んだ。咳き込みを押さえながら、サイは脳内の人物データベースを探る。
「やはり、キラが保持者だというのか? それにアスラン・ザラ」
戦闘中に突然ストライクガンダムが驚異的な機動を行なう場面を、サイは何度となく目撃していた。大気圏突入前のデュエルとの戦闘、砂漠の虎との対決──そして何度となく自分たちを救い、オーブやヤキン戦を戦い抜いた、フリーダムやジャスティスのマルチロックオンシステム。大戦後にモルゲンレーテ社においてデータ解析が行なわれたが、あの機能はコーディネイターのテストパイロットでも殆ど使いこなせなかった。
あれだけキラが自由自在にフリーダムで飛び回り、しかもコクピットを外して相手を撃墜するなどという芸当が可能だったのは、元々の能力も優れているのだろうがSEEDによる処も大きかったのかも知れない。アスラン・ザラにしても同様だ。
思い返せばヤキン戦の時など、二人とも常時SEEDが発動していたのかも知れないというほど二機の動きは異常だった。
そして、SEEDがナチュラルでも持ちうる因子とするならば──
「フレイ、君もか」
大気圏突入時、あれほど涼しい顔をしてアフロディーテから降りてきたのは、SEEDが覚醒していた為か。常時ミゲルが機体の破損を気にかけなければならないほどのフレイの機動も、SEEDの為か。俺を助けた時だって──
「光栄なことに、そうらしい」フレイの解答は、実にあっさりしたものだった。笑みすらたたえてサイを見下す。「自分自身には把握しがたいものだが、調べさせた研究員によれば確実なようだ」
「まさか、そんな冗談!」
「まさかはこっちだ。この期に及んでまさかまだ私に普通の少女でいてほしいのか、サイ?」
完全に心を見透かすような言葉は、サイにそれ以上の反撃を許さなかった。水滴のついた冷たいコップを握り締めるより他に、サイに出来ることはない。
フレイはさらに語り続ける。「キラ・ヤマトにアスラン・ザラに関してはお前の読み通りだ。そして──カガリ姫やラクス・クラインも保持者だ」
サイは今度はコップを取り落とす処だった。その動揺を感じ取ったのか、ネオが彼の心情を代弁するように言葉を継ぐ。「アークエンジェルで反旗を翻した連中ってわけか。一箇所に集まりすぎじゃないのか? 貴重な因子なんだろう、このデータによれば二百万人に一人程度の」
「理由はある」フレイは間髪入れずきっぱりと言った。「SEEDは磁石のように引かれ合う。ネオ・ロアノーク大佐──貴公の空間認識能力と同じに」


シュリ隊の手で作られた、プレハブの仮設住宅。ユニウスセブン落下や相次ぐテロにより家を失った人々は、ここに移り住んでいた。もっとも全員を収容するにはほど遠く、シュリ隊は昼夜問わず仮設住宅の増設作業を続けている。その一角に、公園とおぼしき砂地があった。
そこはいつもはサイが子供たちに読み書きや球技を教えている青空教室だったが、今は日がとっぷりと暮れ、子供たちの姿はない。代わりに三人の少年少女たちが切れ切れの街灯を頼りに、バスケに興じている。この地方の強烈な陽射しに慣れていない彼らにとっては、夜が一番の活動時間だった。しかも今、上官はいない。
ゴールネットも何もない状態でのバスケだったが、彼らはサイの使った黒板をネット代わりに走り回っていた。虫だらけの白い灯の下でボールの取り合いをしているのは、スティング、アウル、それにマユ。だが、彼らがボールの奪い合いを始めて数秒経過した後──
「このドアホ、いつになったらルール覚えるんだよ!」突然アウルがボールを乱暴に地面に叩きつけた。走りこんできたスティングがアウルの肩を押さえる。「ゲームにマジになるなよアウル」「ゲームにもならねぇから腹が立つんだっ」
投げつけられたボールを両手で大事そうに抱えたままのマユは、きょとんとしてアウルとスティングを見比べる。「ボール取って、黒板に当てればいいんでしょ? やっちゃうよー」先日の事件が嘘のようにマユはにこにこと笑い、一人で黒板に向き直る。そのマユからアウルが強引にボールを奪おうとして、二人は揉める。「ちがーう! ゲームにゃルールってもんがあるんだ」
「マユ、あれだけ言っただろう? ボールを持ったまんま走るなって」スティングが眉間を指で押さえながら、二人の間に割って入った。マユはその言葉が理解出来ないようで、すぐに反論する。「やだよスティング、ドリブルなんかしたらすぐにボール取られちゃうじゃん」
「そーゆールールなんだっつーの!」激怒したアウルがマユに掴みかからんばかりに怒鳴りまくる。だがマユも負けずに言い返した。「モビルスーツで同じことしたら、殺されちゃうよっ」
スティングはその言葉に一瞬ぎょっとして、辺りを見回した。ステラの姿は──ない。当たり前だ、今はゆりかごの中のはずだものな。
アウルはマユに頬を思い切り鷲づかみにされながらも懸命にマユの頭を押さえつけていたので、マユの台詞に含まれていた地雷に気づかなかった。「戦場とバスケは別モノだ!」
そう言いながらもアウルは意外なまでに強いマユの腕力に、いつの間にか地面に倒されていた。スティングはその光景を眺めながら、いつの間にかマユの細い手足を睨んでいる自分に気づく。
別に色っぽいからではない、色気の点ではステラの方が遥かに上だ。
細さに比例しないあの腕力は、一体何だ? ファントムペインたるアウルが、遊び半分とはいえあそこまで簡単に押し倒されるとは。
気がかりなことはまだある。強引にスティングたちのゲームに割り込んできた時のマユの笑顔は実に朗らかだったが、今考えれば目の焦点が合っていなかった気もする。ステラやアウルが暴れる時は決まって薬物を投与されるものだが、その薬物の量が若干多めだった時の顔とそっくりだ、あの笑顔は。その笑顔で、マユはスカートの中をスティングに丸見えにしながらアウルと取っ組み合っていた。
「あははは、アウルの顔おっかしー」「うるせぇ思いっきり人の頬掴みやがってっ」


「二年前の記憶を失っていた流浪人──しかもナチュラルでありながら、短期間で実力を認められ大佐にまでのし上がったのは、ひとえにその能力の高さ故だろう」フレイの言葉の矛先は、ネオを執拗につけ狙っていた。彼女は手元のコップを取り、一旦氷水を唇へと流し込む。
「レーダーの効かぬこの宇宙時代、人の動きを感じる能力は貴重だ。それはSEED発現の前段階とも言われる、ヒトの大脳の進化の証でもある」
「記憶が? しかも二年前って……」サイは思わずネオを凝視する。だが、グレーの仮面は指を軽く頭の横で回し、おどけてみせた。
「化物見る目で見てくれるなよ、そう珍しいことじゃない。お恥ずかしいことだが大戦で、脳が傷ついちまったらしくてね。
この仮面も傷隠しさ、俺はこれでも見栄えを気にするもので」
「ふざけた仮面の由来などどうでも良い、今は貴公の力の話だ」フレイにはネオの軽さは全く通用しない。それを理解してか、ネオは改めてフレイに向き直り衿を正した。
「ザフト軍でキラ・ヤマトを苦しめたラウ・ル・クルーゼを知っているか?」フレイは手元の写真をネオに突きつけた。そこには白い仮面をつけた金髪の男性が写っている。「彼は貴公と同様の能力を持っていたことが確認されている」
持っていた──過去形ということは、既に今はいない男性なのだろう。サイはネオの横からその写真データを眺める。ザフトの白服が眩しいが、仮面で隠された表情からは何も読み取れない。この男が、キラを苦しめただと?
世界樹攻防戦、カルバーニ艦長、ヴェサリウス受領などの輝かしい戦績が並ぶその隅に、サイはヘリオポリス、そしてアークエンジェルの名を発見した。そういえば、アスランやディアッカを統率していた隊長の名は──
「面白いだろう? お前たちの住まいを壊し、アークエンジェルやキラを執拗に追い続けた男だ。そして、私を捕虜としていた男でもある」
サイは弾かれるように立ち上がった。「フレイ! 君、ザフトでの記憶が……」
落ち着いてなどいられない。この男はザフトでフレイと共にいた。フレイを捕らえ──この男は、何をした?
俺たちの生活を奪い、キラを苦しめ、アークエンジェルごと俺たちを焼こうとした。俺たちは皆、完全に運命を狂わされた。ヘリオポリスの避難民、フレイの父親、トール、みんなこの男が消したというのか。
メンデル付近でフレイをたった一人でポッドに詰めて捨てたのもこの男か? あの時、宙域で痛々しく交錯したキラとフレイの叫びを、サイはただ聞いていることしか出来なかった──
そしてサイは気づく。キラが救出しようとしていた、ドミニオンからの脱出ランチ。あれを撃ったのも──つまり、フレイを撃ったのも──
だが、サイの頭が煮えたぎる血で沸騰しかけた時にはもう、笑うフレイの唇が眼前にあった。「無様なナチュラルの代表格たるお前に、いいことを教えてやる。
大戦後の調査によれば、彼はナチュラルだったそうだ。嬉しいだろう? ナチュラルでもザフトの幹部になり、キラ・ヤマトと対等に戦いうるのだ。もっとも、能力があればの話だが」
気がついた時サイはプリントアウトされた写真データを握り潰し、その手でフレイの肩に掴みかかろうとしていた。ネオは突然のサイの暴発に、慌てて彼の両肩を押さえつつフレイに向き直る。
「やれやれ、あの可愛い車椅子君のハッキング能力かい。俺は嬉しいよ、自分も知らぬ自分を発見できた。例の事件で俺が感じた嫌悪感も説明がつく。
それほどの能力者、連合が放っておくはずがないな……ってオイ、いい加減落ち着け」
ネオに組み伏せられそうになりつつもサイは押さえきれず、フレイに叫ぶ。いるんだろ、元のフレイがその胸の中に。目覚めてくれ、今すぐ! 目覚めて、冗談よって言ってくれ。暴走フレイがこれだけキラについて語っているのに、何故君は目覚めない? やっとキラを思い出せたと言ってくれよ、畜生! 「そんな重大な情報を、どうして君が知っている! 君たちは傭兵のはずだっ」
「アマミキョを護る為だ」フレイは相変わらずの調子で言い放った。サイが握り締めたクルーゼのデータをひっ叩くように取り上げると、もう一口氷水を飲む。サイを侮辱したばかりの唇が、冷たく濡れた。
「大佐の言う通り──今の世界で、因子保持者やそれに類する者たちがまともに生存出来ると思うか?」
その一言に、サイの思考は水を流し込まれたように冷静さを取り戻す。
答えは明白だ──利用され、潰される。ナオトなどは父親にすら材料として扱われ、傷つけられた。
フレイの言葉はさらに流れる。「彼らは本来ならばコーディネイターとナチュラルの垣根を超え、失われた神に代わる存在となりうる者たちだ。彼らがアークエンジェルに集い、先の大戦を終結させる力となった事実を見れば分かるように、二分された世界を結合させるには彼らの力は不可欠だ」
サイを席につかせ、ネオは今度こそ笑みを完全に口元から消してフレイを凝視した。
「逆に言えば、敵に回ればこれほど恐ろしい奴らはいないということだな。ジンを初めて相手にした連合軍の如く、叩き潰されちまう。だから出来るだけ捕まえたい、と?」
フレイはネオの問いには直接は答えず、書類を素早くめくり続けた。「SEED同士は勿論、因子を持たない人間たちもSEEDに引き寄せられる傾向がある。
だからこそ、カガリ姫やラクス・クラインは支持を集める」
「チュウザンの研究施設では、そこまで解明が進んでいるというわけか。連合がこの国の疑似中立政策を放置するわけだ。国を三つほど滅ぼしてでも手に入れたい情報だよ、お偉いさんにとっちゃ。主導しているのは文具団か?」
「オーブのモルゲンレーテとて、モビルスーツ開発技術を連合に売っていた。連合のご機嫌を取らねば、この星で生きるのは難しい」
さらにフレイは立ち上がると、テーブル上に散らばった書類を軽く手で叩いた。「今のアマクサ組の任務はこの船を護ることだ。同時にSEED保持者を探し出し、因子を解明し、保護することはアマミキョのさらなる力となる。すなわちこの国を救うことにもなる」
その為に協力しろってのか。サイにとってその言葉は、到底納得のいくものではなかった。そんな訳の分からない因子の為に、ナオトや──もしかしたらキラまでもまな板の上に乗せる気か、君は。
「保護? 監視じゃないのか、それは! ナオトをティーダに乗せ続けて傷つけたのはその為か! 君こそが、因子保持者を陵辱しようとする愚か者じゃないかっ」
唾が飛びそうな距離までフレイに詰め寄り、サイは叫ぶ。またもや両肩をネオに押さえつけられたが、フレイは冷静だった。しばらくサイの罵りを黙って聞いていたが、やがて両腕を組んでサイを見据え、彼女は言った。
「これだけは言っておく。先日のナオト・シライシの件は事故だった。
無能なら無能らしく、四の五の言わずにこれだけは信じろ。信じなければ船外投棄だ」


ネオに諭されつつサイがハラジョウを出た頃には、既に日はとっぷりと暮れていた。
諭されたと言ってもかなり強引な形であり、サイは全く納得出来ていなかった。フレイを押し倒してでも真相を聞きだしたかった。しかしネオに頭から氷水までぶちまけられては、引き下がらざるをえない。
「申し訳なかった。ああでもしないと、君はますます痣を増やしちまうと思ってね」とりあえず心配そうな風を装い、ネオはサイの頭を見やる。しかしヤエセの熱気とサイの怒りは、かなり短時間で濡れた頭を乾かしてしまったようだ。
点滅を続ける白い街灯に、蛾が桜のように舞っている。ネオは作業用に停めてあったトラクターの陰にサイを誘った。掘削作業が中断している畑のふちに、二人は並んで腰を下ろす。
「君と彼女のことなら聞いてる。彼女を信じられず、激してしまうのは理解出来る」
「熱くなりすぎました。こちらこそ申し訳ありません」大きなため息と共に、サイの肩から力が抜けていく。一体どういう強化をされたんだと叫びたかったが、それだけはネオの前では言えなかった。そこまでこの男に話すつもりはない。「だけど、頭が爆発しそうだ」
「爆発しない方が変だよ。連合のアイドルだか傭兵どものボスだか知らないが、彼女は一体何なんだ。しかもSEED持ちだと?」
「自分も彼女の存在自体、疑問です。アマクサ組もティーダの件も。今度のことでますます疑問が増えました。
だけどあのフレイが信じろと言うなら、今は信じて動くよりほかはないです。これまでもそうしてきましたから」
自身に言い聞かせるように、サイは呟く。昼間日光をたっぷり吸い込んだ土の熱さが、靴の裏から伝わってきた。
夕暮れ時のカズイの一言が、不意に蘇る。あの人、似ていないか?──
言われてみれば、雰囲気が何処となく似ていた。だからサイも、この男を利用することを思いついたのだ。
でなければ、連合の大佐に迂闊に近寄ることなど出来なかった。脱走兵である自分たちは、いつどのような形で言いがかりをつけられるか分からない(実際、連合の収容所に家族ごと収監されたというアークエンジェルクルーの噂を、サイは耳にしていた)。
それに、この男の声は──ウーチバラの宙域で聞いた、あの声に似ていた。ティーダの力を通して伝わってきた、懐かしい声と。
「それに、変なのは彼女たちだけじゃない。貴方もです、ロアノーク大佐」
この時にはもう、サイは軽く笑ってみせるだけの余裕を取り戻していた。目の前の仮面は、少しばかり意表をつかれた、とでも言いたげに首をかしげる。
「貴方を最初に見た時から、初めて会ったような気がしなかった」
サイは真面目に話したつもりだったが、ネオがコーヒーでも飲んでいたら盛大に噴いていたことだろう。思わぬ言葉に咳き込みながら、ネオは茶化す。「女に言え」
「本当です。2年前、随分お世話になった連合の軍人さんがいて……家を壊されて逃げてきた自分たちにとって、兄のような人でした。
ナチュラルだったのに、その頃からモビルアーマーの扱いに関しては天才的で。戦いに身を置きながら、血の臭いを感じさせない気さくな人でした。何度も俺たちを助けてくれた。
あの人がいなければ、俺はここにいません」
「アークエンジェルにいた頃か?」
サイの全身が一瞬、硬直した。いくら懐かしさを感じるとはいえ、相手は連合軍人だ。俺だけじゃない、カズイまで巻き込んでしまう──
そのサイの動揺を察したか、ネオは両手を挙げておどけてみせた。「大丈夫、アークエンジェルの件なら散々話したじゃないか。俺はそれほど狭量な男じゃないよ、それより続きを聞かせてくれ。
その男、今どうしてる?」
「亡くなりました。俺たちを守って」
蝉の声が畑の上に流れ出し、それに遅れて蛙の奇声が響き、凄まじく音程の外れた協奏曲を鳴らしだした。
陽射しはないが土から立ちのぼる湿気は半端ではなく、サイもネオも身体から噴き出す汗に耐えている。夜空は立ち込める蒸気で濁り、星の輝きは鈍い。
沈黙した場を取り繕うように、サイは慌てて笑顔を作った。「欲を言うなら、もう少し女性に関してアドバイスが欲しかったですね。俺とフレイが深刻になった時、あの人が割って入ってくれたらと思ったこともあります。甘えだと分かっていますが……あの時は、そんな余裕はクルーの誰にもなかったし」
仮面の下のネオの表情は全く読み取れない。まるであの写真の男だ。つい喋りすぎた自分に気づき、サイは頭を下げた。「すみません。関係のないことを」
そんなサイに、ネオはゼリーパックを差し出す。「本来はタバコの方がいいんだが、君は一応ナチュラルの未成年だしな」
サイは丁寧に礼を言いつつ、ゼリーの封を切った。「大佐の処に、2年前のフレイと同じような年頃の子たちがいますよね。貴方をとても慕っているみたいだった、特にあの女の子。
女性の扱いがうまい処まで、貴方はあの人とよく似てます」
「彼女は女じゃない、子供だよ。確かにアルスター嬢とそう年は変わらんはずだが、アルスター嬢は遥かに大人だ。背負っているブツが違う」
「フレイは船と部隊を率いていますからね。貴方と同じに」
「そうじゃない」ネオは呟いた。その横顔によぎった尋常ならざる影をサイは見逃さなかったが、その意味までは分からない。ゼリーの吸い口に食いついたまま、サイはその仮面を凝視することしか出来なかった。
ネオの呟きはさらに流れる。「俺も知りたいんだよ、彼女が背負っているものを。だから君に声をかけた。彼女がいれば、俺の記憶の手がかりが掴める気がしてね」
カエルの鳴き声が昼間の掘削機以上の騒音となっている。生態系の崩壊で、ウシガエルが異常繁殖しているのだ。しかも図体がでかい為か鳴き声もひどい。今は闇に消えて姿は見えないが、彼らは確実に夏の夜の風情の破壊者となっている。
ネオはやがて立ち上がり、腰についた土を払った。「ティーダ、アマクサ組、アマミキョ、SEED──俺の空間認識とやらで考えてみるに、彼女はどえらいものを抱えている」
「ティーダの力も理解不能です。神経に入り込み、感情を伝播させるモビルスーツなんて……フリーダムよりよほど反則だ」
「分からんかねぇ。彼女は知ってほしかったのさ、君に」
「何をですか」サイは泥だらけの自分の作業靴を見た。一日の疲れが汗と一緒に流れ出してくる。同時に、無能と自分を嘲るフレイの唇が脳裏にちらついた。思わず土を爪先で蹴ってしまう。そんなサイに、ネオは口元に微笑みすら見せて言った。
「今自分が持つ力の意味を。そしてこれから自分がやろうとしていることを。その為に、彼女は君をハラジョウに招待したんじゃないのかい?」
そういえば、フレイはあっさり自分がSEED持ちであると暴露した。SEED保持者と疑われることの危険性を、彼女自身の口で散々語ったにも関わらずだ。
「やれやれ、俺はオマケだな」ネオは声を上げて笑い出すと、乾ききっていないサイの頭に大きな手を乗せた。乗せたと言ってもさすが軍人、サイにしてみれば叩かれたに等しかったが。
信じてやれ──仮面の奥に隠されているはずの眼差しが、そう自分に告げている気がした。


 

 

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