「すごいじゃないですか!」
アークエンジェルの一報を聞いた瞬間のナオトの反応は、サイの予想と寸分違わぬものだった。涙さえ出そうなほどに目を潤ませて空中を見つめ、サイの前で両手を組み合わせてみせる。まるでキラ・ヤマトに祈るように。「やっぱりフリーダムは僕らのヒーローだったんだ。カガリ代表をユウナの手から救ってくれたんだ!」
今回のアークエンジェル追跡命令により、サイは元いた部屋──つまりナオトやカズイと同じ三人部屋に戻ってきていた。さすがのアマクサ組も、サイを特別扱いしなければならない事態となって待遇を上げざるを得なかったらしい。サイからすれば今までが酷すぎ、ようやく元の状態に戻っただけの話だったが。
部屋の隅の寝台では、カズイが膝をかかえたままサイとナオトに背を向けている。本を読みふけるふりをしてはいるが、全く本に集中せずこちらの会話に耳をすませているのが、サイには分かった。
そんなカズイを気遣いつつも、サイは眉間を揉みつつナオトを諭す。「お前、状況分かってるのか? オーブから代表が消えたということがどれだけの一大事か」
「ユウナと結婚させられて、本格的に連合の言いなりになるよりマシでしょ」昨日大鍋を投げた瞬間の表情はどこへやら、ナオトは笑顔ではちきれんばかりだ。
「アスハ代表が行方をくらましたところで、条約は今さら失効しやしない。オーブがなおさらセイラン家の言いなりになるだけだ」
「それでも、僕らにとってカガリ代表はオーブの女神なんです。ユウナなんかに取られるの、嫌ですよ。サイさんは嬉しくないんですか?」
ナオトは唇を尖らせ、サイの態度を不審がる。英雄キラのそばにいたはずのサイが、キラの行動を疑うような姿勢を見せていることが理解出来ないようだ。
怒鳴り出したい気分をこらえつつ、サイは話す。「俺には分からない。アスハ代表には代表なりの覚悟があってあの結婚を決めたはずだ、なのにキラは何も声明も出さずに代表をオーブから奪った。これは立派な反逆行為なんだ、ナオト。キラたちが何をしたいのか、俺には……」
「僕には分かりますよ」ナオトは胸を張ってみせる。「キラさんとアークエンジェルの人たちは、オーブの本当の理念を守りたいんですよ。中立を守るはずのオーブが連合と条約を結んで戦争に加担するなんて、セイラン家の方針こそ反逆行為でしょ」
一体この子供はティーダに乗って何を見てきたのだ。中立を守るということが現実の最前線では殆ど無意味だということを、ナオトは未だに理解出来ていない。アマミキョの中ですら、コーディネイターとナチュラルの対立は根深いのだ。ティーダに乗っているお前が中立だオーブだ救援隊だとどれほど叫んでも、相手は撃ってきたじゃないか。挙句の果てにお前は──
そんなサイの心境も知らず、ナオトは無邪気に言ってのける。「ねぇサイさん、僕も一緒に行けますよね。ティーダのパイロットは僕とマユしかいないんだし!」
その言葉に弾かれたように、隅で無視を決め込んでいたカズイが不意に立ち上がった。そのまま彼はサイたちに一言もなく、本を放り投げて部屋を出て行く。
「待てよ! おい、どうしたんだよカズイっ」カズイのただならぬ様子に気づいたサイは立ち上がり、廊下へ飛び出した。そのままカズイに追いつき肩を掴むが、彼は乱暴にサイの手を振り払った。
小刻みに震える拳を後ろへ隠し、カズイは呟く。「俺も、行かなきゃならないのかよ。もう一度あの船に乗り込めって言うのかよ」
ナオトよりも、カズイの心情の方がサイには理解出来た。カズイはごく普通の民間人でありながら、自分たちにつられるようにアークエンジェルで戦いに参加し、幾度となく死の恐怖を味わったのだ。アラスカでブリッジに直接砲を向けられた瞬間の光景は、彼のトラウマになっているに違いない。
カズイにとってアークエンジェルは決して思い出の仲間たちの船ではなく、死の詰め込まれた血塗られた船だ。それが通常の人間の感覚であり、あれ以降も積極的に戦いに参加した自分やミリアリアの方が異常なのかも知れない──サイはよくそう思うことがあった。流されることなく自分たちと離れ、オーブでアークエンジェルを降りる決断をしたカズイを、サイは心のどこかで尊敬していた。
「大丈夫。カズイは俺と違ってオーブ戦で下船したんだし、エターナルとの通信コードやフリーダム関連のシステム構築だって分からないだろ。俺一人が行けば十分だ」
サイに言われ、カズイはほっと胸をなでおろす。だが同時にサイの言葉に、やや男としてのプライドを傷つけられたのか、今度は逆のことを言い出した。
「フレイがそう言ったの? 役立たずはいらないとか」
今のフレイなら言うだろう──サイは確実に予測出来た。しかし、だからどうした。「フレイは関係ないだろう。主張する権利を自分から放棄するなよ」
「だけど……」カズイは暫く逡巡し、さらにサイの気分を削ぐような言葉を吐いた。「アムルさんは? 彼女は、行くって?」
サイの中で、怒りの感情が針でつつかれたように刺激される。カズイがはっきりと決断出来ず苛つきを抑えられない理由は、あの女の為か。あの女は──
豪雨の光景が蘇る。あの時彼女は、俺を笑っていた。カズイを抱きしめるふりをして、俺を笑っていた。血を流し、なされるがままに骨を砕かれた俺を。あの時の傷は、今もことあるごとに半身を貫く。
その怒りは、サイの言葉に微かな棘を含ませた。「もっと関係ないだろ。ブリッジ勤務なら、行くんじゃないか」
 


PHASE-15 破られた黙示録



「やる気のない者に来られても足手まといなだけだ。奴らが重要視するのはお前だからな」
カズイの件に対するフレイの答えもまた、サイの予測通りだった。
ブリッジに向かう通路を彼女に連れられ渡りつつ、サイは久しぶりのブリッジ区域の、独特の新しい建材の匂いを噛みしめる。
俺にはここが合っている。ブリッジの制服を着続けていて良かった──
やがてブリッジへ通じるエアロックが、軽快な空気音と共に開かれる。前方へ大きく広がるアマミキョのメインモニター、そこからヤエセの晴れ晴れとした朝の海が広がる。修復された港には次々に連合駐留部隊が到着し、基地設営作業が開始されていた。
「第12ブロックのパージ、どうなってる?」「食糧のEルートへの配送は後回し、そっちはゴンドラとクレーンが優先だよ! 許可証も忘れるな」「ちょっと8班、作業が5フェイズも遅れてる!」
指令が出されたのが12時間前であるにも関わらず、アマミキョの分離作業も意外に順調に進んでいる。
一番目立つ操縦席には、オサキことサキ・トモエがいつものヘソ出し制服で待っていた。久しぶり!とでも言いたげに、彼女は橙の髪を跳ね上げてサイにウィンクしてみせる。
だが、それ以外のブリッジ組の表情は決して晴れやかではない。特にアムルは、サイの方を一瞥しただけでそっぽを向き、コンソールに視線を落としてしまった。
また、彼女と作業をすることになるのか──それを思うと高揚した気分がやや苦々しくなったが、相手も同じことだろうとサイは思い直した。意図しなかったとはいえ、自分は彼女の心を微かながらも覗いてしまったのだ。彼女の、母親と婚約者の死を望む心を。
「オイ、色眼鏡」と、サイは背中から突然鈍重な声をかけられた。リンドー副隊長だ。背後から気配もなく妖怪爺のように近寄り相手を脅すのは、この人物の特技だ。副隊長お得意の歴史講義中に居眠りをしていて、彼に音もなく近づかれて脅された者は数知れない。
「勘違いせんようにな。まだブリッジ勤務を許したわけじゃない、あくまで連絡役だ」
ボソボソ言いつつ副隊長は、サイにぶ厚い紙のマニュアルを押しつける。「新しい緊急時作戦コード表。敵はアークエンジェルのみに在らず、ザフトの領域に踏み込むことにもなりかねんのだ。出発までに叩き込んでおけ」
彼の世代の人間は、電子媒体よりも紙のほうを好む者が多かった。ジャマーの影響の為に、磁気に弱い電子媒体よりも旧式の紙媒体を積極的に使用する人間は、AD時代よりも増えている。
「了解しました」サイは丁寧に礼を言いつつ、5センチほどの厚さもあるマニュアルを受け取った。その重みが、サイには嬉しかった。
俺は戻ってきたんだ。たとえそれが、キラたちの不可解な行動によってもたらされたイレギュラーな事態だったとしても。
手近なコンソールの上でマニュアルを広げつつ、サイはブリッジに飛び交う怒声を聞いていた。事故も騒動も相変わらず絶えることのないアマミキョだが、ブリッジ組は最初のパニックが嘘のようにてきぱき指示を出している。オーブの英雄がアスハ代表をさらったという突拍子もないニュースにも、さらにそれを追跡せねばならないという事態にも、彼らなりに感情を抑えて対応している。副隊長の恒例の講義と、フレイたちの統制が効いているということか。
サイがふと横を見ると、ブリッジを超然と監視するフレイの細い顎がすぐ隣にあった。「フレイ。ティーダも連れていくのか」
ずっとナオトの状態が気がかりだったサイは、搭載中のモビルスーツリストを見て聞かずにはいられなかった。
カエルスープ騒動から一夜明け、ナオトはようやく回復しつつあった。フレイの地雷の如き荒療治と、サイの血が効果を示したのだろうか。それでも先ほど、アークエンジェルの事件を聞いた時の反応は異常だった──レポーターが取るべき態度ではない。
フレイの応答は実に素っ気なかった。「当然だ。アマクサ組とティーダは切り離せぬ」
「だったら、ナオトだけでも降ろせないか」
「それが出来るならやっている。黙示録を起動可能なのはマユとあの子鼠しかおらんのだ」
「やめろ! 大分回復はしたが、今のナオトは何をしでかすか分からない。あいつの顔を見ただろう、子供に武器を持たせるな!」
「アークエンジェルはもっと何をしでかすか分からん。奴らは子供の駄々で代表をさらったようなものだ、修正の為にもティーダは不可欠だ」
間違いない。フレイはアークエンジェルとキラに、ティーダの黙示録をぶつける気だ。ティーダの「ブック・オブ・レヴェレイションシステム」──通称黙示録。
あの一発逆転の反則武器は、下手をすればフリーダムでも止まってしまうだろう。だが今のナオトが、それを承知するとは思えない。キラに会いにいくならともかく、キラを止める為に自分がティーダに乗せられるなど。
サイが反論しかけた時、アムルのもとへ通信が入った。「副隊長、山神隊から連絡です。風間曹長と時澤軍曹、それからモビルスーツ隊の同行が決定したそうです」
「大天使の喇叭に吹飛ばされぬようお祈り致します、とでも伝えろ」フレイが副隊長に代わりアムルに言い渡す。アムルは明らかに不満げな表情を見せながらも、向き直り通信を続けた。
釈然としないまま、サイはマニュアルをたぐる。今は目の前の状況に対応するしかない。俺が大局を見据えられるようになるのは、一体いつになるのだろう。
と、フレイが突然サイの手を掴んだ。「何をしている?」
「何って……見りゃ分かるだろ。ブリッジの感触を取り戻さないと」
「そうではない。その肩だ」
ナオトにえぐられた肩の傷は、無造作に包帯が巻かれたままだった。今でもじわじわと痛んでいるが、サイはフレイに言われるまで傷のことなど忘れていた。
「心配してくれるとは珍しいな。かすり傷だし、ほうっておいても治る」
おそらくナオトが鍋を投げた時、フレイは自分だけが傷つくつもりだった。そこに俺が割って入り結果的に俺が傷ついた──まさかそれを気に病んでいるのか。元のフレイならともかく「この」フレイが、そこまで俺を気にするとは。
嬉しいねぇ、とわざと皮肉っぽく言いかけた瞬間、サイの頬が思い切り張り飛ばされた。怒声が轟く。「自分の若さと身体を過信するな! お前はコーディネイターではないのだぞ、南国の雑菌を甘く見てはならん! 直ちに医療ブロックへ行ってこいっ」


さらに半日後には、アマミキョ周辺の動きは一気にせわしくなった。ネオたちファントムペインを乗せた連合艦J・Pジョーンズが、一足先にチュウザンを発ったのである。
ザフト軍がインド洋前線基地に向けてカーペンタリアを発ったとの情報を受けての、急遽の出航だった。カーペンタリアから目と鼻の先にあるインドネシアに、連合はカーペンタリア攻略の為に基地を設営していたが、ザフトの侵攻により危険な状態になっているという。
ファントムペインの代償として、チュウザンには多くの連合軍駐留部隊が次々に到着していた。山神隊の指導とシュリ隊の協力により、基地の設営も進んでいる。住民の中には進んで基地設営の協力を申し出る者もいた。ディープフォビドゥンやユークリッドを始めとした様々な新型の威容に、チュウザンの子供たちは純粋に喜んでいた。
「本来、シュリ隊や地元住民に基地設営の協力などさせるべきではないのですがな」
揚陸艦タンバの甲板からヤエセの海を眺めつつ、タンバ艦長山神は傍らのフレイに慇懃に礼を言った。「ご協力感謝いたします、アルスター隊長」
「誰しも無差別テロはご免被りたいのです。尤も、一番の理由は賃金でしょうが」そばにカイキとトニー隊長を従わせ、フレイはそっと陽射しをよけるように前髪に手を触れた。「それにしても連合軍人らしからぬ物言いですね、山神艦長。ブルーコスモスの強硬派が幅をきかせるこのご時世、色々とご苦労も多いのでは」
フレイに言われて、山神は思わずその白い頭を掻いた。「いやはや、よく言われます。何しろ我々山神隊は、腕は確かですがアクの強すぎる連中が多いもので、少々偏屈な老体でなければ勤まらん。未だに名称に旧日本の漢字を使いたがる者どもと、笑われておりますよ」
傍らに直立している伊能大佐と広瀬少尉は、特にその言葉に気を悪くした様子はない。彼ら自身も自らの性格を熟知しているのだ。ただ伊能は一言ぐらい反撃せずにはいられぬらしく、つい口を挟んでくる。
「貴女もかのナタル・バジルールの如き物言いをなさいますな、アルスター隊長。随分前に貴女を映像で拝見した際は失礼ながら、戦場に出るべき女性ではないと思っていたものですが」
「ナタル・バジルール──彼女に例えられるとは光栄です」フレイはそっと眼を伏せる。「記録によれば、私は彼女と共にアークエンジェルやドミニオンに搭乗していたそうで……ご存知の通り、その記憶は私の中から失われておりますが」
フレイは眩しげに、光溢れる空を見上げた。「彼女はかつてのアークエンジェルの良心とも言える存在だったと聞きます。同型艦ドミニオンで若き命を散らせた件は実に悔やまれる。彼女がいれば、アークエンジェルも今回のような行動は起こさなかった」
「全くです。バジルール大佐の遺志を無駄にせぬ為にも、かの船は捕らえねばなりません」山神の目には、柔和ながらも強い光が宿っていた。
だが今度は広瀬が口を挟んでくる。「しかし、目的も行き先も不明な奴らの追跡など、砂漠でホウセンカの種を探すようなものですよ。いっそここに来てくれりゃ、時澤たちも行かずにすむものを」
「広瀬少尉、それはない。俺たちがいる限りな」伊能は笑って手元のノートパソコンを広げる。「消息は分からんが、奴らの行き先は限られている。いくらアークエンジェルでも、補給なしで飛べはせんよ」そのディスプレイにはインド洋からユーラシアに至るまでのの海図が表示されており、インドやスリランカなどの国々が黄色で塗られている。オーブが条約を締結するまでは中立だった国々だ。
それを見ながらフレイも言う。「スカンジナビア王国はアスハ家と親交が深い。セイラン家の支配に、スカンジナビアは今ひとつ良い顔をしていなかった。おそらく彼らはその保護下に入ると思われます」
「馬鹿な! オーブからは地球の真裏だ」思わず広瀬が叫んだが、伊能は手でそれを制す。
フレイはさらに続けた。「確かに、いかに彼らといえどもまともにスカンジナビアに向かうとは思えません。だがその道中は、アスハ寄りの国々も数多い。そこに表示されている国がそうです──これらの国々はオーブが条約に加盟した今でこそ連合側ということになりますが、内部の親アスハ派の連中には、当然オーブ本国に通報せず奴らを匿う者もいるでしょう。おそらくその者たちを頼りに、奴らはインド洋経由でスカンジナビアへ抜けていく」
「おめおめと奴らを受け入れる港がどこにある。連合が黙っちゃいないぞ」広瀬はなおもフレイに詰め寄ったが、彼女は冷静だった。
「アスハ派とはそういう連中です。カガリ姫は未だに普通に姫と呼ばれるほど未熟ではあるが、その父ウズミの影響は計り知れない……しかしおかげで、奴らの位置は絞り込める」
広瀬はその言葉で何とか怒りを抑えこんだ。それでも困難な作業には違いない、と如実にその厚い唇は語っていたが。
そんな広瀬に、伊能はノートパソコンを押しつけた。「調べてみろ、ザフトの動きはどうなってる? 今最も警戒すべきはザフトだ」
広瀬は素早くキーを叩き、3秒で別画面を呼び出した。「今朝の緊急連絡以降、情報は入っておりません。ファントムペインも向かったことですし、突破される危険性は少ないと自分は考えますが」
「だから貴様は甘いというのだ、広瀬」伊能がすかさず突っ込む。「例のミネルバ隊やらに来られてみろ、いかに亀仮面殿でも無事ではすまんさ。アマミキョのミントンでの戦闘記録、見ていないとは言わさんぞ」
広瀬は今度はやや骨ばった頬を膨らませてみせた。「伊能大佐、言動にはご注意願います。今の発言は……」
「上層部への背信か? 俺は直感の男だからな」伊能はあくまで飄々と答える。呑気と取られても仕方がないその態度に、広瀬はさらに逆上した。「他人事ではありません! インド洋を突破したザフトが、万が一このチュウザンに来たら」
「その心配はない、広瀬少尉」広瀬と伊能の言い合いには慣れているらしい山神艦長が、ようやく割って入った。「この島に攻め入るには、奴らには今のところ、南のカーペンタリアからの道しか残されていない。インド洋を突破したとて同じこと。その道程には南チュウザンが構えている」
「タロミ・チャチャですか。未だに態度保留の頑固爺が……ザフトを牽制してくれたおかげで北チュウザンも安全になってくれたのはいいが、何を考えているやら」伊能が茶化すように言うと、フレイがその言葉を継いだ。「彼の方法は狡猾で利口です。アスハ家のように単に中立を声高に叫ぶだけでなく、連合とザフト双方の弱みを握っている。だからザフトも迂闊にチュウザンを攻められなくなった。
コロニー・ウーチバラを北チュウザンが守りきった今、大気圏外でも侮れぬ勢力と言えるでしょう」
フレイは彼方の海へ視線をやる。既に出航したJ・Pジョーンズの姿は水平線の向こうに消えていた。「このチュウザン、守る為にも──必要なのだ、種は」


J・Pジョーンズのブリッジでは、フレイと全く同様の冷ややかな視線で、ネオがチュウザン海域の青空を見つめていた。
おそらく同じように、向こうも俺の痕跡を睨んでいるだろう。
緊急の召集だった為に、アマミキョで相変わらず戯れるスティングたちを呼び寄せるのはかなり骨の折れる作業だった。スティングにアウルはまたしても医療ブロックの看護師たちにちょっかいをかけてスズミ女医の激昂まで買い、ステラはステラでマユという娘にスカートをめくられ、洒落にならない大騒動になる寸前だった──
しかし、本来はあのままにさせておいた方が良かったのだ。アマミキョでマユやサイたちシュリ隊に出会い、ファントムペインの子供たちは一瞬だけでも本来の子供らしさを取り戻していた気がする。
ウーチバラでは、撃ったはずの相手なのに。記憶を消去していたとはいえ、スティングやアウルがあそこまで彼らとじゃれあうとは思わなかった。ステラの身体に刻まれていた恐怖も、幾分かおさまったようだ。
ネオはその仮面の下で静かに誓っていた。世間の騒動が少し治まったら、俺はまたあいつらを連れてこの国に来る。スティングたちの為に。そして、俺の記憶の真実を取り戻す為に。
「待っていろ、フレイ・アルスター──メンデルの皇女」
ネオがつけたフレイの通称が、自然に唇からこぼれる。その通称の意味を、彼自身は未だ把握していない。この言葉の意味が分かるのは、俺の記憶が完全に戻る時だ。
だが哀しいかな、この時神ならぬネオ・ロアノークは何も知らなかった。これから彼自身や子供たちを待ち受ける運命を。
インド洋で間もなく自分たちの部隊がウィンダム30機と共に撃破されることは勿論、スティングもアウルもそしてステラももう二度と、チュウザンの草原を走ることはないという未来を。


アマミキョの分離作業は順調に進んでいた。
チュウザンに必要な人員と作業区域はこの地へ残し、アマミキョはブリッジやカタパルトのコアブロックを主としてアークエンジェルの追跡及びアスハ代表保護の任務を遂行することになる。
だがこの船は、その後にさらにユーラシア方面の救援へも向かうことになっていた。
ユーラシア方面への救援隊派遣は、元々アマミキョの予定でもある。ユニウスセブン落下の影響が大きな痕跡を残し、さらに今後最前線となることが容易に予測される地域だ。必然的に、アマミキョが救うべき人々は激増する。
しかし傷跡の深さは、チュウザンも一緒だ。いくら連合の大部隊が到着し内乱が減少傾向にあるとはいえ、ザフトの勢いも脅威には違いなかった。いかに南チュウザンがザフトを牽制したとはいえど、それだけでこの島を守ることが出来るのか──
作業がひと段落した深夜の調理場で、マニュアルを読みふけりつつ一人鍋をかき回しながら、サイはその頭の中で思考を巡らせていた。
南チュウザン。隣国でありながら、未だに正体の掴めぬ国だ。
かの国を率いるヤミー・オーガ党党首、タロミ・チャチャがザフトを牽制し北チュウザンへの侵攻を食い止めたという話も、サイは俄かには信じられなかった。未だに旧時代の宗教色の濃いあの国は、同じ国名を冠していながら北チュウザンの住民たちにとっても不可思議な存在らしい。
だがフレイは、タロミ・チャチャの態度を髪の毛ほども疑っていなかった。客観的に見れば、いつ手のひらを返されてもおかしくないというのに。北チュウザン内の反乱の半数ほどは、オーガ党の過激派が引き起こしたものだという確たる証拠もあるのだ。
一体、隣国に何があるというのだ。フレイがタロミを信用し、あれほど固執していたこの土地からアマミキョを引き離す理由は何なのか。
腕に巻き直された包帯にそっと手を触れ、サイは考える。
「姫」──ナオトの父親は、確かにフレイにそう言い放った。
フレイ自身の告白によれば、フレイはヤキンで救出された後チュウザンの研究所で強化され、アマミキョを守る傭兵となった。連合の外務大臣の箱入り娘だったはずが、二年後には強化された二重人格の女兵士になってしまった──はずだった。
だが、フレイが語った「SEED」が、その話を混乱させる。彼女自身から渡された資料が正しければ、SEEDは強化されて植えつけられる代物ではありえない。
俺に無邪気に香水をねだっていたあの頃から、フレイはSEED持ちだったというのか。
そいつは、彼女の守るべきチュウザンを離れてまで欲しいものなのか。埋もれたキラの記憶がフレイをそうさせるのか、フレイ自身のSEEDがSEEDを欲するのか、サイには判断出来ない。それにしても──
畜生、夜の仕事をしているとか強化されたとか告白された時に、もっともっと突っ込んでおくんだった。
サイは今更のように、フレイと再会した時の会話を思い出す。何故俺は、元婚約者がいかがわしい仕事をしていると知っても無視を決め込んだ? フレイの心に触れるのが怖かったのか。俺にもっと聞いて欲しかったんじゃないのか、あの時のフレイは。
だからミントン出航直後に、フレイはあのシャワー室でわざわざ危険を冒して俺に自分の正体を晒した。あまりの現実に、俺は聞かされるがままだった──身体を無理矢理いじられたと彼女自身から告げられたにも関わらず、俺は受け流していた。状況が状況だったから──そんなことが理由になるか!
ゆえに、三度目に元のフレイが現れた時俺に告げた言葉は、「貴方のことなんか、思い出さなかった」だったのだろう。
SEED、姫、タロミ、それらの不可解な単語と共に激しい後悔が心臓を貫く。元のフレイが俺の前にもう一度現れることなど、あるのだろうか。そもそも──サイはその先の思考を強引に断ち切る。
サイの頭ではかなり前からフレイに関して、一つの仮説が渦を巻いていた。それはサイ自身、絶対に認めたくはない禁忌とも言える説だ。禁断の領域に思考が及ぶたびに、サイはそれを追い払っていた。
だがその仮説ならば、彼女の殆どの行動は見事なほどにつじつまが合う。ただ一点を除いては。その一点をもって、サイは心臓を引きちぎる勢いで自分の仮説を否定していた。
「オイ。プラントじゃお目にかかれん料理が出来てやがるぜ」
迷走するサイの思考が、不意に肩を強くどつかれて中断された。
久々に聞くだみ声。慌てて振り向くと、ハマー・チュウセイが腕を組んでいた。
サイは一瞬彼の後ろを警戒したが、どうやらハマーは一人で調理場に来たようだ。ガーネット色の小瓶を手にしてはいるが、酒の匂いはしない。
サイは少し胸を撫で下ろし、ハマーに笑顔を向けてみせる。「良かったです、調子が戻って。ハマーさんがいないと、整備班も気合が入らないようですし」
「当然だ。フレイ嬢のお許しも出たことだし、はりきってアークエンジェル討伐に向かわせてもらうぜ」
この人まで行くのか。サイは一瞬ぎょっとしたが、よく見るとハマーの様子は今までになく冷静に見える。ハマーは下から舐めるようにサイを睨みつけぶ厚い唇をすぼめると、不器用にサイの鼻先に小瓶を突きつけた。
「入れてみろ。少しはマシな料理になる」
いくら何でも、この人物から渡されたブツをホイホイと料理に入れるほどサイはお人よしではない。注意深く栓を開け、匂いをかいでみる。全てのくだらぬ思考を吹飛ばす刺激臭が、サイの鼻孔を突いた。「工業用アルコールじゃないですか!」
「グッハハハ! てめぇのポリバケツスープよかマシだろっ」
爆笑され、サイは改めてかき回していた鍋を見──素晴らしい悲鳴を上げてしまった。配給用の固形ポタージュに手を加えたつもりが、目の前では何故か明るい青色の液体が沸騰していたのだ。ハマーの言うとおり、まさにポリバケツブルーである。大方パッケージを縛っていたテープでも一緒に巻き込んだのだろう。横に置いたマニュアルと自分の思考に耽溺しすぎた。慌てて火を消すサイの背に、ハマーの笑いがさらに飛んだ。
「同時に二つ以上のことを考えられねぇとはさすがナチュラルだな。まさか約束まで忘れちゃいねぇだろうが」
熱しすぎた鍋の中身を一気に流して処理しつつ、サイは首だけはきちんとハマーに向けて答えた。「忘れるわけありませんよ。ロゼさんの種でしょう」
ハマーはひゅうと皮肉っぽく口笛を吹く。よく覚えていたな、とその唇が語っていた。サイは手早く鍋を洗いながら言う。「必ず約束は守ります。だからそれまで、無茶はしないで下さいね」
「俺も男だ。ロゼの種を植えられるまで、貴様に手は出さねぇ」
ポケットに手を突っ込み人を睨みつけ、今にもツバを吐きそうなどす黒い面構えは変わらないものの、ハマーの内面は驚くほど変貌していた。あの雨の日に殴られ割れた腕は今でも痛むが、そのサイの腕を見据える眼には幾分か悔悟の色が混じっている。
だがサイが答える前に、ハマーは背を向けてしまった。その薄汚れた作業着の背中が、ふと呟く。「それから……きちんとあの子鼠を守れ。 あんな状態でティーダに乗せてみろ、被害を食らうのはこっちだ。ガキを守るのは大人の役目だぞ」
サイはその言葉で確信した。やはりあの工場で、ハマーはナオトの中にロゼを見ていたのだ。
ティーダの力がハマーのトラウマを呼び起こし、医療ブロックの隅で彼は朽ち果ててしまうかと、サイは危惧していた──が、今の表情を見る限りその心配は無用だったらしい。ハマー自身の強さが、彼をそうさせたのだろう。サイはそう考えていた。
しかし、サイとの約束がなければその強さは決して呼び起こされなかったことを、サイ自身は気づいていなかった。


翌日午前、分離作業の完了したアマミキョコアブロックはチュウザンを発った。
サイやナオトを始め、アマクサ組、アムルやオサキのブリッジ組、さらには整備班にはハマー、医療ブロックには勿論ネネとスズミが待機している。さらに山神隊の風間曹長に時澤軍曹も、ウィンダムとディープフォビドゥンと共に乗り込んでいた。
食糧班にはヒスイもいる。しかもトニー隊長の補佐役だ。ルーチンワークとはいえ耐久力のいる緻密な仕事がアマクサ組に評価されての大抜擢だったのだが、何よりヒスイ自身が自らを変えたいという意思が大きかったのだろう──サイやオサキたちとの出会いは、彼女の転機となりつつあった。
知った顔が大勢乗り込んできたことは頼もしいが、彼らと行くのは最前線であってサッカー場じゃない。それを思うと、サイは素直に喜ぶことが出来なかった。
サイが最も驚いたのは、カズイまでが乗り込んできたことだった。
好きな女がいるというだけで一緒に戦場へついていく行為がどれだけ危険か、サイは身をもって知っている。二年前にあれだけ反省したはずなのに、カズイはまた同じ過ちを犯すつもりだろうか。
フレイもカズイの同行に関しては何も言わなかった。やる気があるならついてこいということだろう。問題はカズイがアークエンジェルではなく、明らかにアムルが目的で乗り込んできたことだ。
自分と一緒にアマミキョに乗ってきた時は、確たる意志があったはずなのに──アムルに船内の状況を嬉々として報告しているカズイを見ながら、サイは歯噛みをせずにはいられない。
カタパルトではナオトが俄然やる気を見せ、自らティーダの調整を行なっている。キラ・ヤマトやアークエンジェルに会えるという気持ちがそうさせるのか、彼は行く手の危険も知らずにマユと共に「黙示録」のテストまで行なっていた。意気揚々と。
インド洋の連合軍基地がザフト軍に撃破されたという緊急連絡が入ったのは、彼らが出発して20時間後のことだった。


その連合基地を突破したザフト艦──ミネルバには今、ヨダカ・ヤナセの部隊が合流していた。
先日チュウザンの地でまたもやアマミキョに煮え湯を飲まされたヨダカは、その怒りと執念の爪をさらに研ぎ澄ましてミネルバに乗り込んできた。他でもない、今度こそティーダとアマミキョを捕らえデュランダルへの贄にすべく、彼らと交戦経験のあるミネルバ隊を利用しようというのである。
ジオグーンで痛い目を見、部下を失い、自らもその頬に火傷を負ったヨダカは今度は5機のグゥルとゾノ部隊を引き連れていた。
「既にアマミキョのチュウザン出発は確認した。あの島国では無理でも、海の上に出たとあらばいくらでも攻められる。何としてでも奴らのモビルスーツと船内の不穏分子を捕獲せよ──これはデュランダル議長直々の指令である! 諸君の知る通り、例のモビルスーツは神経を削り取る禁忌の兵器だっ」
ブリーフィングルームで声を轟かせ、黒い豪腕を振り上げるヨダカ。その襟元には燦然と「FAITH」の印が輝いている。
ヨダカはクルーを見回し、さらに声を張った。艦長のタリア・グラディス、背後には副長のアーサー、そしてミントンで作戦行動を共にしたレイ、ルナマリア、そしてシン・アスカの姿も見える。
全員が不審げな顔でヨダカを見ていた。当然だ、三度もあの白ブリッツと血のストライクに苦汁をなめさせられた自分が、こともあろうにFAITHだなどと、ひよっ子どもには理解しがたいに違いない。それを分かりつつ、ヨダカは敢えてFAITHの証を掲げてみせた。
「プラント国防委員会の直属下となるこの証の意味、諸君らには分かるであろう! それだけこの捕獲作戦が、プラントの命運をかけた重大な任務であるということだ。
例のモビルスーツ、連合の手に渡してはならぬ!」
やや興奮気味にまくしたて大仰に腕を差し上げるヨダカに、まずタリアが冷静に問いかけた。「お言葉ですがヨダカ隊長、この作戦はミントンの時と同様、文具団の船を襲撃すると同義です。かの船がテロリストの集団ではないことは、貴方もご存知でしょう」
「あの時とは状況が全く違う、成金社長の件なぞ放っておきたまえグラディス艦長。奴らは既にプラントの敵ぞ」
ヨダカは今度は激昂を封じ、逆に極めて冷静な口調を装いタリアを睨みつける。だがそこにアーサーが割って入った。「しかし、民間の救援隊には違いありません。モビルスーツを積んでいるとはいえ、今の東アジア情勢を鑑みるに致し方ないことと思われます。今時、傭兵の一部隊もない救援隊など──」
「だから攻撃するなと? そんなことでよくインド洋を突破できたなトライン副長。奴らはただの傭兵部隊やジャンク屋どもとは違う、ミントンで痛い目に遭っておいてまだ分からぬか!」
その時、控えていた赤服の若者の中から、ひときわ鋭い言葉が飛んだ。「そりゃ感傷的にもなるよな。よりによってオーブの偽善船に手こずるなんて」
シン・アスカだ。黒髪に紅の瞳を持つ、若きインパルスのパイロット。その横で彼の言葉に驚き、慌てて肘で彼をつついているのはルナマリア・ホークだ。「シン! 貴方はまた上官にっ」「関係ないだろ、事実だ」
そんな二人の後ろから、聞きなれぬ声が割り込んでくる。「よせ、シン。ブリーフィング中だぞ」
シンは明らかに反抗的に瞳をぎらつかせ、背後に視線を走らせた。そこにいたのは、深いエメラルドの瞳を持つ、色白の若き赤服──ヨダカやタリアと同様、FAITHの襟章をつけている。
「来たな、噂の英雄殿。アスラン・ザラ」ヨダカは皮肉たっぷりに彼を見下げ、腕を組んでみせた。
パトリック・ザラの息子。赤服を着ていながら、2年前ザフトを裏切りプラントに銃口を向けた男。オーブで隠遁していれば良かったものを、開戦するや突然プラントに逆戻りした最強の蟷螂──それがヨダカの、アスラン・ザラ観だった。
デュランダル議長の考えは理解しかねる。三度もアマミキョを逃した自分をFAITHに任命する行為もヨダカ自身納得出来ていなかったが、その上このアスラン・ザラまでFAITHに任ずる? 議長への忠誠は変わらぬつもりだが、先日までオーブで偽名を名乗り代表の護衛をやっていた男を──
しかし、ヨダカはこうも考える。今回の作戦だけで考えるならば、アスランの存在は好都合だ。この男はオーブの中枢を知っている、ティーダの情報も彼から引き出せる可能性がある。
そしてアスランは自ら、ヨダカに疑問をぶつけてきた。「お聞かせ願いたい。現在ミネルバはインド洋を突破したばかり、隊員は疲弊しております。
にも関わらずミネルバを使い、貴公がアマミキョとそのモビルスーツにこだわる理由は何です?」
小僧っ子が──ヨダカは舌打ちを抑えつつ、クルーの眼前に広がるディスプレイに戦闘データを映し出した。ディスプレイの上で、「禁忌の白ブリッツ」が踊り出す。コロニー・ミントンでの戦闘記録だ。同時にヨダカはアスランの横顔も確認する。
──どうやらこの男も、感情を制御する術を知らぬと見える。分かりやすく眼を剥きおって。
ヨダカはそんな心中は一片も見せず、淡々と説明した。「血のストライクもどきにカラミティの改造型も恐ろしいが、問題はこの白ブリッツもどきだ。パイロットの腕が並み以上の上、オーブのレポーターを名乗りこちらをかく乱してくる。最大の脅威は、奴の装甲から発振される光だ」
交戦記録が次々にモニターに現れる。ルナマリアが思わず腕を押さえた。
無理もない。あの時彼女は真正面から、ティーダの光を浴びたのだ。ザクウォーリアの装甲を剥がしにかかるティーダ、そして光の発振──その戦闘記録を目撃し、アスランはいつしかその身を乗り出していた。勿論モニター上では光の威力は抑えられ、単なる発光するブリッツにしか見えないが。
「この光はおそらく、ミラージュコロイドシステムの応用だろう。視覚から光、聴覚から音で訴え、パイロットの神経と精神を直接攻撃する。実に忌まわしき条約違反機体だ」
慎重に会話に耳を澄ませていたレイが、ヨダカの代わりにアスランに声をかける。「ご存知なのですか? ザラ隊長」
「いや……俺は知らない」
アスランが敢えて否定で答えていることを、ヨダカは見抜いた。その細い顎を張り飛ばしたい衝動を丁寧に抑え、ヨダカはおどけてみせる。「おいおいザラ隊長、失望させないでくれ。オーブ中枢にいたのならば、アマミキョのモビルスーツリストぐらいは把握しているだろうと思っていたが」
「一護衛官に分かることではありませんでした」
固い横顔でアスランはヨダカに答えるだけだった。あくまでオーブを擁護する気か。
その時、またしても紅の瞳の少年が口を挟んだ。「全く、オーブらしいモビルスーツだよ。だけど任せてください隊長、あの光の対抗策は考えてあります。ミネルバの整備班は優秀なんだ」
シンは「隊長」という言葉を、明らかにヨダカに対して使っていた。それも、本来の隊長であるアスランに聞かせるが如く。「今度こそ撃ってやるよ。あの紅のストライクごと、俺が!」
言うが早いか、シンは勝手にブリーフィングルームから飛び出していく。
彼の思わぬ行動に、アスランが赤服の裾を翻して追いかけた。「シン、勘違いするな! 命令は撃墜じゃないっ」「今のオーブに与するなら、貴方の意見でも聞けませんよっ」
ルナマリアまで彼らを追って駆け去っていく。「二人とも、子供じゃないんだから!」
辛うじて礼儀がなっていたのは、ヨダカに丁重に隊員の非礼を詫び、白ブリッツの光の解析結果を提出したレイぐらいのものだった。
何なのだ、今のザフトの若者どもは。FAITHたるアスラン・ザラが入って少しはミネルバ隊も統制が取れたのかと思ったら、ますます悪くなっている。シンとアスランの間には部外者が見ても分かるほどに溝があり、しかも彼らを追いかけていったルナマリアはこともあろうに、会議中に度々アスランに色目を使っていた。
タリアやアーサーの苦労を思い、ヨダカは先ほどまで剥いていた彼女らへの心の矛を少しだけおさめた。


ミネルバのハンガーでは、各機体のOS書き換え作業が急ピッチで進められていた。整備班長マッドの怒声が響く中、パイロットもそれぞれの機体に乗り込み、整備班のヨウランやヴィーノと共に念入りにチェックを行なっている。
シンが作戦会議中堂々と叫んだ通り、「忌まわしき白ブリッツ」への対抗策は進んでいた。各機体のコクピット部の遮光フィルタを強化するのは勿論、ミントンでの戦闘記録を元に例の機体から放射される光と音を解析し、その波長パターンを割り出したのだ。尤も、具体的に分析していたのはシンではなく主にレイだったのだが。
「パターンが分かったとはいえ、フェイズシフトがなきゃ防げないんじゃ、私の出る幕なしね」
ザクウォーリアのコクピットで、ルナマリアが愚痴る。その上から、ヴィーノがコンソールパネルを覗き込んでいた。「大丈夫、ヨダカ隊長がグゥルを5機も持ってきてくれたんだ。ルナもレイも移動砲台になれる、この前みたいに溺れたりはしないさ」
「でも、興味深いよな」隣のインパルスガンダムのマニピュレータで最終調整を行なっていたヨウランも、額の汗を拭いつつルナマリアに声をかける。「ここまで念入りにフェイズシフトシステムを修正したのなんて久しぶりだ。一定の帯域を持つ光と音の波動をシャットアウトしてコクピットに伝わらないようにするなんて、最初は夢物語かと思ったよ」
ヴィーノがわざと欠伸をしてみせる。「500万回のパターンテストの為、俺たち今日も徹夜なんだけど。何で遮光フィルタじゃ駄目なのさ?」
「ある程度の防御は効くらしいけど、ヨダカ隊長によれば完璧に防ぐ方策が必要なんだと。モニター切るって手もあるけど、危険すぎるしな。それに問題は光だけじゃないし」
「だけどどんな機体なんだか、楽しみだよなぁ。機体を壊さず人間だけ止めるなんて、整備士がラク出来るよ」ヴィーノが調子に乗って笑った。
「ちょっと。光を喰らうのは私たちよ!」能天気なヴィーノの言葉に、ルナマリアは腰に手を当てて膨れっ面をしてみせる。「時々とんでもなくデリカシーのないこと言うあんた達の癖、抜けてないのね。アスハ代表に怒鳴られて思い知ったはずでしょ。自覚しなさい!」
ヴィーノは慌てて首を横に振る。橙の前髪がぶんぶんと可愛く揺れた。「ごめんごめんルナ、だけどメカマンとしてはつい血が騒ぐんだよ」
「そーいうこと」ヨウランがヴィーノを庇うように、陽気に加勢した。そしてインパルスの中のシンに声をかける。「なぁシン、うまく捕まえてこいよな。間違えるな、くれぐれもあの機体だけは壊さないでくれよ」
「くどいぞヨウラン。俺はそこまで問題児じゃない」
そんなミネルバクルーのやりとりを、少し離れたセイバーガンダムのコクピットで、アスランはじっと聞いていた。直接声は聞こえないが、陽気な会話は無線で響いてくる。
その脳裏には先ほどのティーダの戦闘記録と──カガリの慟哭する姿が交互に浮かんでいた。
オーブの首相官邸でティーダの報告を受け、ユウナに乗せられるがままにナオト・シライシをパイロットに任命してしまった件に関して、カガリは代表らしくもなく髪をかきむしっていた。
そのカガリが目下のところ行方不明だという事実が、さらにアスランの心を曇らせる。しかもカガリを浚ったのはアークエンジェルであり、あのフリーダム。ということはおそらくカガリは無事でいるのだろうが、一体キラは何を考えている? 
インド洋の戦闘でシンと対立した件もあり、アスランは焦っていた。それに加えて、今度はティーダ捕獲作戦だ。
アスランがオーブを出る前に行政庁に入っていた情報が正しければ、未だにナオト・シライシはティーダに乗っている。無邪気そのもののあの少年とティーダの存在は、一時煙草に手を出したほどカガリの重荷になっていた。
しかも問題の船──アマミキョに乗っているのはティーダだけではない。あのサイ・アーガイルもだ。
キラのヘリオポリスでの学友で、二年前のヤキン戦ではアークエンジェルで共に戦ったこともある。あの時、ディアッカと違ってどうしても自分はアークエンジェルの連中になじめなかった。当たり前だ、自分は彼らの同志や住居を撃ったのだから。
そんな自分に最初に声をかけてきたのは、サイだった。サイの協力がなければ自分はアークエンジェルと、ろくに連携が取れなかったはずだ。その彼をまた──
いや、何も撃つ必要はないのだ。そうだろう、カガリ──アスランは自らと、消息不明のカガリに言い聞かせた。
ティーダを捕らえてナオト・シライシを引きずり出せばすむことだ。撃墜命令ではないことにむしろ感謝すべきだろう。カガリの心を少しでも軽くする為なら、この作戦は好都合じゃないか。目的ははっきりしている。
アスランはふと、インパルスの調整を続けるシンの方を見た。インド洋の戦闘後に行き過ぎた行動をした彼を諌めて以来、どうもシンとはうまくいかない。さっきの作戦会議で見せた態度は何だ。
爛々と燃えるあの紅の瞳を思い出しながら、アスランは悪い予感を隠せなかった。
直感でうまくいくはずがないと分かっており、なおかつそれが逃れられない道である時、人はうまくいくと必死で自らに言い聞かせる。この時のアスランがまさにそうだった。


 

 

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