かくして、アマミキョはマラッカ海峡を抜けて即、ミネルバと接触──交戦状態に陥った。
「カラミティは砲撃形態でアマミキョ直上を守れ。ティーダは奴らをギリギリまで引きつけてから撃て。タイミングはマユに任せる」アフロディーテでいつも通りメットの調子を確認しつつ、フレイはティーダやカラミティに通信を送っていた。ティーダの真っ白な機体の中で、マユは笑顔で答える。
「りょーかい!」マユの能天気な返事とほぼ同時に、アフロディーテがカタパルトを滑り出撃していく。続いて、カイキを乗せたカラミティが甲板へ通じる作業用エレベータに乗り込んだ。ヘルダートしか撃てないアマミキョの代わりに、カラミティが砲台となるのだ。
「すぐ行くよ……お兄ちゃん」マユはカラミティを眺めつつ、唇から呟きを漏らす。
その「兄」という言葉には二重の意味があったのだが、久しぶりに被るヘルメットのバイザーを不器用に調整しているナオトに、到底その意味は分からない。ただそんな彼も、フレイの指示に疑問を投げかけることは忘れなかったが。「ギリギリまで? 危険すぎるじゃないか。大体撃てって、何を?」
「決まってるでしょ、黙示録!」
そのマユの声をブリッジで聞いたサイは、通信を繋げずにはいられなかった。「二人とも、黙示録の起動は慎重に。あのザフト部隊との接触はおそらく二度目──何らかの対策をしている可能性はある」
アマミキョやアフロディーテ、カラミティだって、ティーダ対策の遮光フィルタを装備しているからこそあの光に耐えられるのだ。でなければアマミキョはティーダの光で、ウーチバラでとっくに自滅していただろう。
だが、サイがそう言おうとするより早く、ナオトの反論が飛んできた。<大丈夫ですよサイさん! これでも僕は腕を上げたんです。この前の模擬起動試験でラスティさんに褒められたの、知ってるでしょ>
サイは胃の左上あたりに鈍い痛みが走るのを感じたが、その瞬間カタパルト中に久々の怒声が響いた。<うるっせえぞこのパガキが!>
これまでなら、サイの胃痛と頭痛の最大要因になっていたハマーの声だ。ちなみにパガキとは、随分前から整備士たちの間でのナオトの蔑称である。「半端なガキ」。
<奴は馬鹿なりにてめぇを心配してんだよ! フレイ嬢の命令だから仕方ねぇが、本来ならてめぇなんぞモビルスーツにゃ一番乗っちゃいけねぇ人種なんだ!>
だが、ナオトはハマーにさらに反抗する。<あんたこそ、整備士なんて一番やっちゃいけないよ! 今更サイさんの肩持とうっての? 虫が良すぎるよこのアル中っ>
工場の事件でサイとハマーの間で僅かながら邂逅があったことを、ナオトは知らない。かくして、怒気に満ちたハマーのぶ厚い唇からは、文字に起こすのが憚られるほどの罵詈雑言がマシンガンの如く飛び出し、結果的にサイの胃痛を促進させた。
「こんな時に喧嘩しないでくれ! マユ、カタパルトに留まって黙示録発動ってのは無理か?」
<いくらサイの頼みでも無理ありすぎ。遮光フィルタにも限界があるし、みんなが怪我しちゃうよ。ってなわけで、マユ・アスカ、ナオト・シライシ、いっきまーす!>
行きますと言っても甲板行きのエレベータに乗り込むだけの話であったが、それでもマユもナオトも俄然やる気だった。その結果引き起こされる事態も知らずに。
フレイのアフロディーテとシン・アスカのインパルスは、早くも空中戦に突入していた。
正面から正直に突撃してきたインパルスの心意気に、フレイは二刀流のアサルトナイフと皮肉で答える。<久しぶりだね、坊や!>
一旦剣を交えたかと思うとすぐにオーバーヘッドキックの要領でインパルスに蹴りをかますアフロディーテ。その際、インパルスを馬鹿にするように頭部バルカンを連射することもフレイは忘れない。インパルスは盾で見事にいずれの攻撃も防いだが、その盾が一瞬だけ邪魔になり、気づいた時にはアフロディーテに下方に潜り込まれていた。シンは叫ぶ──「相変わらず馬鹿にして!」
下から撃たれたビームを、シンは素早くインパルスを分離させてかわす。そして分離させたままのチェストフライヤー──つまり、ビームライフルを持ったままの上半身をアフロディーテに突撃させる。そのビームライフルから、光が放たれた。
「分離機構を使えてないとか、言ってたよなぁ!」ミントンで、子供のように扱われた屈辱をシンは忘れていなかった。あらかじめ簡単なプログラミングを施しておけば、このような変則攻撃も可能なのだ、インパルスは。
思わぬ攻撃に、アフロディーテは一瞬だけ虚をつかれた。向かってくるチェストフライヤー自体は難なくよけたものの、分離させているパーツ自体から攻撃が繰り出されるとまでは予測していなかったのだ。その光がコクピットを貫く数瞬前に、何とかフレイは光をかわす。援護してくるカラミティの閃光──
しかしその光条の間をぬって、グゥル(MS支援空中機動飛翔体)に乗った紅のザクウォーリア、白のザクファントムも空中を滑降しつつ、射撃をかけてきた。この間に、インパルスは難なく再び合体してしまっていた。一気に攻撃にさらされるアフロディーテ。
それを庇ったものは、山神隊時澤の操るウィンダムだった。盾で見事にザクファントムのファイアビーの業火を防いだ時澤機はジェットストライカーを翻し、フレイに通信を送る。
<異常ですよアルスター嬢……敵性とはいえ民間船一隻に、これほどの攻撃をっ>
舌打ちと共に、フレイはIWSPのパワーを全開にして飛翔した。「必死なのだな、議長も」
確かに、ミネルバ側も必死であった。特に、自分が乗リ込んだグゥルの機動に四苦八苦させられているルナマリアなどは。
ただでさえ射撃は苦手だというのに、慣れないグゥルに自分のザクウォーリアを乗せられて、ルナマリアは機動を保つのに精一杯だった。その上、海の向こうからは無数の光条が飛んでくる。「やっぱり、移動砲台なんて無茶よ! 接近戦だったら、こんな」
<愚痴を言っている間に撃たれるぞ、ルナマリア!>通信の向こうから、レイの叱咤が飛んでくる。
「でも、目的は例のモビルスーツの捕獲でしょ。私たち、戦いに来たんじゃないってのに!」
<向こうはそうは思っていない。こちらもだ>
レイに現実を突きつけられると同時に、ルナマリアは別スピーカーから飛び込んできた声を聞いた。<連合の犬に、オーブの偽善船。お前ら、お似合いだよ!>
勿論、シンの叫びである。怒りをビームサーベルに変え、シンは一気にアフロディーテを叩き落しにかかった。大空へ逃げていく紅の機体に、それを追うインパルス。
「私、甘いの?」
しかし、彼女の呟きに答えるかのように、インパルスとアフロディーテをさらに追っていく機体があった。紅のモビルアーマー──セイバー。彼女の敬愛するアスラン・ザラだ。
戦況がこのまま進めば、相手を撃沈しかねない。シンやヨダカの勢いを目撃したルナマリアは危惧していた。しかし、オーブとザフト両者の事情を知っているアスランなら、何とかしてくれるかも知れない──きっと、事を穏便におさめる方法を知っているはずだ。アスランなら。
ルナマリアはわずかな希望を、アスランに見い出していた。手のひらに乗せた雪のかけらの如き希望ではあったが。
そのセイバーでは、アスランがアフロディーテの機動を訝しんでいた。「どういう事だ? あの紅の機体、まるでシンを試すように……」
カラミティから来る雨あられの炎を、モビルアーマー形態のセイバーは最小限の動きで見事にかわしていく。光は紅の翼をすり抜けすり抜け、虚空に向かって消滅していく。
アマミキョ甲板上で待機するカラミティにティーダを、アスランは既に肉眼で確認できた。一旦青空に舞ったセイバーは、太陽を背にしてモビルスーツ形態に変化する。目標はただ一つ。太陽を浴びた絹のシーツの如く輝くあの白い機体──アスランには考えがあった。ヨダカは激怒するだろうが、これが自分のやり方だ。
「アマミキョ、聞こえるか! 自分はザフトのアスラン・ザラ!」
直上に占位した紅のモビルスーツからの声に、アマミキョクルーはざわめいた。さらに畳みかけるように、声はブリッジに響く。<それとも、アスハ代表元護衛官、アレックス・ディノと言った方が通りが良いか? アマミキョの諸君!>
サイはアスランの声に、思わず立ち上がってしまった。まさか、こんな処でかのアスラン・ザラと再会しようとは。勿論、他のクルーたちにも動揺は拡大していたが。「あの噂、本当だったんだ」「姫の護衛が、ヤキンの英雄だったってヤツか」「それじゃ、彼はザフトに戻っちゃったってこと? 何故?」
そんなざわめきをよそに、アスランの呼びかけは続いた。<貴船が民間船ということは承知の上だ。突如として当方から威嚇をかけたには理由あってのこと──
即刻全ての攻撃を中止し、ガンダム・ティーダをミネルバに譲渡せよ。ミネルバ艦長、タリア・グラディスよりの伝言だ>
船内中が固唾をのんでアスランの言葉を聞く。食糧班で待機していたヒスイなどはまたもパニックを起こし、トニー隊長に叱咤されていた。
<その条件さえ飲めば、こちらもアマミキョ乗員に一切の危害は加えない。約束する>
<信用出来るか! その甘言で、何万人のナチュラルを殺してきたっ> カイキの叫びと同時に、カラミティの双肩の砲・シュラークが再び火を噴いた。素早くモビルアーマーに変形した紅の機体は、ナチュラルであれば一瞬で気絶するであろう速度で回転を繰り返し、火線を回避する。
太陽を遮る紅の機体。サイはその色を中途半端だと感じた理由が分かった。パイロットがアスランだからである──
「今更ザフトの言葉をぬけぬけと信用するナチュラルなど天然記念物だよ、アレックス君は甘いねぇ」
リンドー副隊長がほくそ笑む。その言葉に、誰も反駁はしない。一度交戦した相手なのだ、船内中をひっくり返されてもおかしくはない。いつの間にやらザフトにいるアスランの意図もはっきりしない以上、サイも迂闊にアスランを信じることは出来なかった。
甲板では、砲撃を展開するカラミティのすぐ背後にティーダが位置していた。完全にカラミティに守られる形になっているティーダの中で、マユは上空のセイバーとの距離をひたすら計測している。「100……80……70……目標、射程距離内」
黙示録──ブック・オブ・レヴェレイションシステムはいつでも発動可能だ。ナオトも、入力に2回失敗しつつもどうにか全フェイズをクリア。あとはマユの最終判断に委ねられている。
だが、マユはナオトにもう一つの課題を与えていた。現在セイバーとの距離を計測しているのはマユだが、ナオトはさらにその後方から迫るインパルスの距離を計測しなければならなかったのだ。マユによれば、2機が同時に射程距離内に入って来なければ意味がないらしい。
その時にはもう、インパルスはアフロディーテを追いつつも真っ直ぐにアマミキョ甲板に突っ込んできていた。「目標までの射程距離、200……って速すぎる!」ナオトは必死で、モニターで激しく明滅するターゲットフレームを睨み、神速の動きのインパルスを追う。
<種が、向こうから二つも飛んできやがった>カイキの嘲笑がスピーカーから流れたが、ナオトは気づかない。あまりに集中していた為、アスランの呼びかけもナオトには聞こえていなかった。
「ティーダ、黙示録起動フェイズ終了! 照射まで残り12秒」ティーダをモニタリングしていたアムルが叫ぶ。瞬間、アマミキョの遮光機能も作動した。ブリッジのみならず全ブロック外壁部分にフィルタがかかる。ブリッジの窓も、紗がかけられるように陰が落ちていく。ブリッジが、一時的な夕闇に包まれる。「全ブロック、フィルタ作動確認」「カラミティ、アフロディーテ、及び時澤機のフィルタ作動確認。風間機──確認できません、照射範囲内に機影なし」
「起動は今までで最速だ。ナオト──やる気なのか」そう呟くサイの口調も表情も、決して明るくはなかった。
「僕にSEEDがあるのなら──弾けろ!」ナオトの叫びと共に、ティーダはその外殻から一気に光を放った。
瞬間、ティーダが核爆発でも起こしたかと錯覚させるが如き爆光が、海上を、青空を覆い尽くしていく。大気圏内での、初の「黙示録」発動の瞬間だった。
観測衛星は現在全てが破壊されてしまっているが、もしそんなものがあれば確実に、マラッカ海峡近くに半球状に広がる光のドームが捉えられていたことだろう。
閃光に包まれるアマミキョ。遮光フィルタをかけた筈のカラミティだが、ティーダの光は今までとは明らかに違った。カイキは思わず声を上げる。「光量が増してやがる! 大気圏内では、こうも違うのか?」
「照射確認!」後方で状況を見据えていたミネルバでは、タリアがアーサーの驚愕をよそに冷徹に光を見ていた。遮蔽されたブリッジの中、モニターごしにティーダの光を見ているので、ミネルバクルーに直接の影響はない。震動と共に、わずかに声のようなものが聞こえるだけだ。だが、光の中にいる者たちは──
タリアは海中の状況を示すモニターを確認する。光点が三つ、アマミキョに向かって突き進んでいる。ティーダの光を見れば、今回の作戦の重要性は嫌でも理解できるはずだ──ヨダカは言い放っていた。それを今、タリアはまさに実感していた。
タリアは続いて指示を出す。「ルナマリアとレイを急ぎ退避させて。メイリン、インパルスとセイバーの状況は!」
「不明です! この光で、電波障害が著しくて……」
「アソの状況は?」アソとは、ヨダカが乗り込んできた小型潜水艇だ。現在はミネルバの直下を潜行しており、ヨダカ隊は既にアソから出撃している──ミネルバに搭載予定のグゥル3機も、未だにアソに残っていた。大気圏飛行が出来ないザクを擁しているミネルバで、グゥルは貴重なのだ。
タリアは何故かこの時になって、残りのグゥル3機が気になった──その不安は、後に的中することになる。
「イレギュラーな事故とはいえ、親への愛憎がここまで効果を及ぼすとはな」遥か上空まで退避したアフロディーテの中で、フレイは光を見て呟く。その唇に、いつもの皮肉っぽい笑みはなかった。光から心を閉ざすように、彼女は目を瞑り自己の内部へと篭っていく。
フィルタをかけたとはいえ、ティーダからの光はウィンダムやアストレイぐらいなら吹飛ばしてしまうほどの圧力を伴っている。時澤のウィンダムが、光の中でコントロールを若干失っているのが見えた。
しかしその時、ルナマリアやレイのグゥルはさらにコントロールを失っていた。発動に気づいた2機は素早く退避したが、それでも凄まじい光量だ。ルナマリア機は空中で立ちすくんでしまう。「あの光──嫌アアアアアアアアッ!!」
ミントンの悪夢再び。操縦桿を握るルナマリアの指から、一気に痺れが広がっていく。光の悪魔は1秒の間に脳に伝わり、彼女の心そのものの動きを止めようとする。鍛え抜かれたザフトレッドの魂でそれを跳ね除けようとしても、光と震動と気圧はパイロットスーツを通過してルナマリアの眼球、毛穴、耳、指、全てから入り込んで彼女を侵食していく。戦うな、戦うな、戦うな、衝動を消せ、鎮めよ、忌まわしき感情を消滅させよ!──何者かの声が、心臓を直接叩く。
それでも、一度この感覚を味わっているルナマリアは何とか冷静さを心の何処かで保っていた。光の中で確認は出来ないが、レイも同様だろう。それにしてもあのド真ん中にいるシンは、アスランは──
その一瞬を、ルナマリアは衝かれた。<惑うなルナマリア! 下だっ>
レイの声と共に、足下のグゥルが突然爆発する。足場を失い、そのままルナマリア機は海へと落下していく──ウィンダムがこちらに照準を合わせているのがはっきり見えた。ウィンダムの肩に刻まれたロゴ「天海」までが、光の中で輝いているのが分かる。撃たれたのだ、私は。連合のウィンダムなんかに!
レイのザクファントムがすぐに追いつき、ルナマリア機を庇うように前に出て敵を撃つ。だが、そのまま落下して着水した瞬間、ルナマリアはザクファントムのグゥルまでが撃ち落される光景を見た。
信じられない。グゥルをとはいえ、あのレイがああも易々と撃たれるとは。
向こうのパイロットの技量ではない。この光だ。あの白いモビルスーツの光が、私を、レイを惑わせた。
そう、レイが戸惑っている──これまた信じられない出来事だが、ルナマリアはそれが分かった。彼女と同じようにやられていくレイの神経細胞を、ルナマリアは肌で実感していた。
アマミキョブリッジもまた、あまりの光の量にフィルタの調整が追いついていなかった。ブリッジクルーの中には、光を間近に見て目を回してしまった者もいる。
サイは自らの両腕が痺れていくのを自覚しながら、それでも甲板上のティーダをモニタリングすることは忘れなかった。「ナオトの力か!?」
そんなサイの肩を、がしりと掴む手があった。唐突にブリッジに現れたミゲルだ。「そのようだな。短期間でここまで成長するとは、俺も驚いた」
「成長と言うのか……これが」
「成長だよ。正義だろうと憎しみだろうと、力になりゃ戦場なら何でもいい。だが気をつけろ、ザフトを甘く見るな!」
その声と共に──太陽が無数に満ちた空を、一気に滑降する怪物が現れた。しかも2体。
こちらをブリッジごと捕まえようとするように、人型の怪物2体は光の膜を突き破る。ブリッジ中が悲鳴で煮えきる。そして、床を走る震動──甲板に着地された!
怪物がモビルスーツだとサイが気づいたのは、その時だった。
ザフトの新型2機は、見事にティーダの「黙示録」を突破してしまったのだ。トリコロールカラーの筈のモビルスーツは、今や光を背にして真っ黒に見える。そのストライクもどきが、サイに──つまりブリッジに直接、銃口を向けた。
見かけはストライクに似ているが、そこに乗っているのはキラではない。オーブに対する憎しみの塊がある。キラとはおよそ正反対の、焼けつくような激しさがある。光の中で、サイは何故か確信した。
汗びっしょりになって顔を上げた時、ナオトの目の前に展開されていた光景は、一瞬では信じがたいものだった。ティーダの光をものともせず、紅のモビルスーツが甲板に降下し、自分らへ近寄ってきたのだ。
「まさか! 黙示録が破られるなんてっ」驚きと絶望で、ナオトは思わずコンソールパネルに突っ伏す。「SEEDは、まだ割れないのか。父さんをあんなに狂わせたSEEDなのに、どうして! 割れろ、割れろ、割れろよ、これ以上僕を傷つけるなよ、畜生!」ナオトの怒りで、胸元のフーアのお守りが揺れた。噛みしめた歯の間から唾が飛び出し、バイザーを汚す。にも関わらず、ずいと近づいてくる紅のモビルスーツ。
しかし、こんな時でもマユは朗らかだった。「へー、意外。結構早く対策しちゃったんだぁ、サイの言う通りになったね。かえって好都合だけど!」
ナオトがその能天気さを責めようと口を開いた瞬間、さらなる衝撃がティーダを、アマミキョを襲った。
「海中からの攻撃です! 第13外壁に被弾、損傷度4!」「グーン2機及び新型1機、接近を確認! 二時の方向ですっ」
グーンの魚雷が、アマミキョの腹を直撃したのだ。サイたちクルーの眼前のモニターが、アマミキョ船体の被弾状況を示すウィンドウに切り替わる。グラフィックで描かれた船底の一部が黄色に変わっており、さらに赤い部分が点滅している。その赤は次第に拡大していた。
「風間曹長は何してるんだ! ディープフォビドゥンで出たはずだろっ」「まさか、逃げたの? あの連合の女!」
その時、再びアスラン・ザラの叫びが轟いた。<やめるんだシン、民間船だぞ! お前はティーダの接収に回れっ>
甲板に降り立った紅のモビルスーツは、半ば強引に同僚の銃口を逸らそうとした。<しかし、隊長!><インド洋で民間人を救ったお前が、今度は理由もなく民間人を撃つのか!>
その一言で、ようやく銃口は逸らされた。どうもこのパイロットはアスランに反抗的らしい──まるで、自分とナオトのように。揺らめく光を通じて、サイは何故かそこまで掴めてしまった。
畳みかけるようにアスランの声は響く。光の影響か、やや息を切らしてはいたが。<サイ・アーガイル! そこにいるのならば聞いてほしい、ヤキンの同志として>
サイ自身が驚くより先に、全員が一斉にサイを振り向く。この状況下で、すがるようなクルーの視線がサイに刺さる。アスランの声はさらに続いた。<君たちがまごうことなき民間救援船であること、自分はよく判っている。
だが、このような危険な光を放つモビルスーツを君たちに委ねるわけにはいかない──それがザフト側の見解だ>
ティーダはエネルギーを消耗しきり、すぐに機動出来なかった。その中で、ナオトもマユもじっとアスランの言葉を聞いていたが、やがてアスラン機の頭部がぐるりとティーダに向いた。
<ナオト・シライシ、君はそこから降りるんだ。アスハ代表は苦しんでいた、君のことで!>
その言葉の意味を、ナオトはすぐに理解出来ない。
馬鹿な。アスハ代表は喜んで僕をティーダパイロットに任命してくれたんじゃないのか? あのビデオレターの笑顔は僕へのプレゼントじゃなかったのか?
「いくら貴方が護衛官だったからって、そんなの信じられません! カガリ代表は僕を認めてくれたんです」
<それは違う! 君を乗せたのはセイラン家の意向だ>
「信じませんよ、代表を裏切った貴方の言うことなんか! 僕を惑わそうったって無駄ですっ」
シンといい、今の子供は聞き分けのない奴らばかりか──アスランは頭を抱えそうになった。
フェイズシフトの改良でかなりの震動を防いだとはいえ、身体を直接侵食してきた光の威力は未だ消えず、メット内の髪は汗でまみれ手の震えは止まらない。ティーダの力がこれほどとは、アスラン自身予測出来ていなかったのだ。
アマミキョからの応答はない。いるなら返事をしろ、サイ・アーガイル。もし駄目なら、ナオトの意志がどうあれ強制的にティーダを接収するしかない──
その時だ、横からカラミティが緑の巨体を突進させてきたのは。<裏切り者が! 汚ねぇ手で、ティーダに触るなっ>
インパルスが即反応し、咄嗟に対装甲ナイフをカラミティの左腕に突き刺す。火花が跳ね、カラミティの腕は空を飛び──
さらにその1秒後には、跳び箱の要領でインパルスがカラミティを飛び越え、ティーダに組みついていた。
「やめてくれ、アスラン! ナオトたちに手を出すなっ」組みつかれたティーダを見て、サイは思わず叫んでいた。「君たちの言い分はよく判った。甲板で暴れるのはどうかやめてほしい、みんなが怯える。
だが、俺の力ではアマミキョも、ティーダも、どうにもならない! 君だって、自分の一存で母艦が動かせるわけじゃないだろう!」
<それは、そうだが……>
念の為、サイはリンドー副隊長を振り返る。当然だが、彼は白髪頭を縦に振りはしなかった。
その間にもティーダは頭部を掴まれ、敵機に押されていく。揺れる甲板。腕を飛ばされ踏み台にされたカラミティも、どうやら動けないようだ。ティーダの圧倒的な光は、ザフトのみならずカイキにも著しい影響を与えてしまったらしい。肝心のフレイからの通信は──ない。
その時、じっと様子を見守っていたミゲルが、突如として通信権を奪い取った。「サイの言う通りだ、アスラン・ザラ!」
信じられないとは、まさにこの事だ。幽霊がスピーカーから飛び出してきたのか?
先ほどの光とは別の衝撃に、アスランの両腕が一息に固まる。瞳孔が縮む。これは……この声は。
<久しぶりだな。俺のこと覚えてるか? アスラン。黄昏の魔弾こと、ミゲル・アイマンだ>
組みつかれているティーダは次第に甲板を滑り、海へ落下寸前の処まで追いつめられていた。ストライクもどきが、自分を追い込んでいる──その恐怖に、ナオトは半分パニックになる。
「マユ、どうしよう! このままじゃ」
それとは対照的に、ストライクもどきを間近に見るマユは落ち着いていた。「大丈夫。お兄ちゃんはね、絶対に私を殺さない」
相手の眼光をモニターごしに見ながら、マユは嬉しがっていた。バニラアイスを乗せたパンケーキを前にした、空腹の子供のように。「つかまるのは私たちじゃない。お兄ちゃんだよ」
その言葉と共に、マユは驚くべき行動に出た──相手の真正面で、ハッチを開いたのである。
ティーダには二人のパイロットがいる。一人はナオト・シライシ。オーブ出身のレポーターの少年──そこまでは、シン・アスカも把握していた。
しかし、まさか二人目が「彼女」だとは誰が予想出来ただろう。ゆっくりと、こちらを恐れもせずに開かれるティーダのハッチ、その奥にいた少女を見て──
今度こそ、シンの全身の血液が凍った。ヨウランとヴィーノのおかげで例の光は突破出来たが、これだけは彼らの力でも、どうにもならない。
マユが笑っている。笑顔ごと炎に吹き飛ばされたはずの妹が、目の前で微笑んでいる。
これは夢か。俺はやはりあの光に囚われてしまったのか。
──いや、違う!
何かが激しくシンの中で蠢いた。俺の記憶は確かだ。飛ばされたマユの片腕を、あの焼け焦げた臭いを、俺は、俺の身体はよく覚えている。
だが、シンが自らを律しようとしたその時、マユの声は再び響いた。
<お兄ちゃん……ずっと探したんだよ>
目の前のモニターに映し出されたマユは微笑んでいる。今にも涙を零しそうな瞳が、こちらを向いている。こちらだけを見ている。俺を抱きしめるように、両腕を広げて。
シンは思わず、インパルスの腕をティーダに伸ばしていた。その瞬間──
がら空きになったインパルスの背後を取った紅の機体があった。鮮血を浴びた、紅のストライクが。
<腕を上げても、精神が退行しては無意味だな、シン・アスカ!>
「何をやっている、あの小僧っ子どもは! 既に予定時刻を1分オーバーだっ」海中を進みアマミキョに狙いをつけるモビルアーマー・アッシュの中で、ヨダカは一人ごちていた。
チュウザンにおける戦闘では悪趣味なショッキンググリーンをしていたアッシュも、ヨダカの要請で強制的にグレーのカラーリングを施されていた。海中でじっとアマミキョの船腹を睨みつつ、従えてきたグーン2機を待機させる。グーンが撃った魚雷は、アマミキョの左わき腹を掠めている。船内は大騒ぎだろう。だが、沈めるわけにはいかない。ティーダの謎を解くまでは。
先ほどの光は、深めに潜行し計測していたヨダカも息を飲んだほどだった。どうやらティーダの力は大気圏・海中無関係に影響を及ぼすらしい。しかも、どうやらパイロットが腕を上げたのか、機体が強化されたのか、前回のデータより明らかに光量が強くなっている。
しかし、海上の連中は何をやっている? ミネルバとアソがそろそろ接近する時間だ──ヨダカはグーンに信号を送る。数秒後にはグーンの魚雷が発射され、再びアマミキョを襲った。
「17、28外壁被弾! 第21ブロックに浸水!」「敵艦が近づいてくるよぉ!」
続けざまに来た衝撃に、アマミキョブリッジクルーは混乱を極めていた。操舵手オサキも必死でアマミキョのコントロールを失わぬよう努めるが、魚雷の直撃回避が精一杯だ。「このままじゃ、船底が割れっちまうよ!」
そんな中で、甲板に降り立ったはずのザフト機2機は突っ立ったままだ。フレイのアフロディーテはそのうち1機をがっしりと捕らえている。相手のコクピットに真っ直ぐビームライフルを向けて──あのストライクもどきに、だ。
しかも、ストライクもどきに相対しているティーダはハッチを開き、マユが身体を乗り出している。あれだけ激しく闘っていた相手が、マユを見ただけで動きを止めた。蜃気楼のように揺らめく空気の中、サイはその不思議な光景を眺めているしかなかった。アスランまで、ミゲルと会話をした途端に明らかに動揺している。一体どんな魔法を使ったのだ、アマクサ組は?
「判るだろう? 二人とも怯えているのさ、俺たちに──形勢逆転!」
通信機を握ったままのミゲルはサイの肩を叩きつつ、落ち着いてアスランと会話を交わす。「アスラン。真実を知りたいのなら、まずお前が降りて来い。『みんな』が待ってるぜ」
<馬鹿な……先輩は、ヘリオポリスで>
「愚痴愚痴言ってる間に、可愛い後輩が死んでもいいのか?」
予定時刻経過を確認したミネルバは、僚艦アソと共に前進を開始した。海中に落下したルナマリア、レイ両機は既にミネルバに回収されている。ヨダカ隊の攻撃は続いていたが、ティーダの「黙示録」照射以降、肝心のアスラン、シンからの応答がない。
「インパルス、セイバー、耐えてます! 機体を確認しましたっ」メイリンの弾んだ声が響き、同時にカタパルトからヨウランとヴィーノの歓声が艦内無線を通じて聞こえたが、タリアの表情は優れない。
あの光が人体を直接傷つけるものである以上、機体が無事だからといって油断は禁物だ。タリアは歯噛みをしながら、メイリンに再度の交信を命じていた。そして彼女は呟く。「ティーダを手中にすれば、全ての争いは終わるというの? ──ギル」
フレイ──君はまた、卑劣な方法を使うのか。
ワイヤーを伝い静かに機体を降りてくるアスランを見ながら、サイは拳を握らずにはいられない。フレイがどうあってもティーダを譲渡しないつもりならば、アスランたちには諦めて帰ってもらうしかない。アスランたちが譲歩しないのならば、待つものは破滅だけ。
「副隊長、自分に提案があります。作戦コード"LOVE IS BUBBLE"の実行を!」
サイは立ち上がり、リンドーに向かい正面切って言い放った。その言葉に、リンドーも無精ひげを引っ張り上げる。意外な意見を言われた時の彼の癖だ。「確かに、アレなら基本的な戦法ゆえ乗員どもの対処も早いだろうな。アマミキョの損害は避けられんが」
「同じ損傷なら、生きのびる可能性の高い方に賭けるべきです」
だがそこへ、アムルの悲鳴が飛んだ。「駄目、5番チューブが壊れています! サイ君、ここが作動しないとその作戦は……」
サイの腹は決まっていた。その為に俺がここにいるのだ。「自分が手動で動かします。それなら問題ないでしょう」
オサキが驚いて怒鳴りつける。「バカヤロウ死ぬ気か! 作戦通りならあそこは危険区域──」
「やると言ったらやるんだ。これ以上、フレイや子供たちにあんな真似をさせるわけにはいかない。副隊長、指示を」サイはリンドー副隊長の意向を改めて確認する。すると副隊長は一見面倒くさげに言った。「好きにしろ。但し、戻ってこいよ」
アップテンポの曲調と共に、軽快なジャズが船内に流れる。作戦発動のサインだ。
愛は泡。愛はトラブル。本気で愛してるフリしてよう。本気になるのはご法度。今のサイにとって結構な皮肉でもある歌詞を繰り返すこの歌は、どうやら副隊長お気に入りの昔のアジアの歌らしい。
この曲は、作戦実行及び退避の合図。乗員たちは一斉に指定区域へ避難を開始する。この曲の意味を理解していない者の為にカズイとトニー隊長が走り回ったが、フレイとリンドーの教育が徹底していた為か、迷う者は殆どいなかった。
サイは、既に水が流れ込んでいる船底近くを走りながら問題の5番チューブへ向かう。アムルの嘘では?という考えがチラと頭を掠めたが、そんな嘘がすぐにバレることぐらい彼女も承知しているだろう。皆が退避していく方向とは真逆へ走りながら、サイは水を蹴飛ばして忙しくチャンネルを切り替えつつインカムに叫ぶ。「負傷者の運搬は7Aからストレッチャーを使え! 大丈夫、浸水はレベルBで止まってる。カズイ、食糧班で負傷者発生だ、そっちを優先しろ」
被弾の影響か電気が止まり暗闇に沈む船底を、サイはインカムと会話しながらひたすら走り続ける。
そして曲が2回目のリピートを開始した瞬間、サイは5番チューブに到着した。
油混じりの水は既に彼の膝あたりまで来ている。あたりに人は誰もいない──誰かの明日を支える素敵なお仕事。歌だけが虚しく流れる。
チューブに通じる扉を開き、サイは体躯の半分ほどもある非常用のレバーに両腕をかける。予想以上に重く閉じられたレバーにサイは苦戦しながらも、何とか数十秒後にはレバーを半分ほど回した。チューブの向こう側で微かな手ごたえがして、手元で点滅していた安全装置のランプが緑から赤に切り替わる。「ロック解除、確認しました」──その時。
「無駄だ。この船は包囲されている」
ミゲルも味な真似をしてくれる。よりによってこんな場所までこの男を誘導するとは。サイは肩を落とし、観念したように両手を挙げる。
「久々の再会で、第一声がそれかい。相変わらず不器用だね」
サイは背中を向けたまま、念の為後方を確認した。ザフトのパイロットスーツを着用したアスラン・ザラが、銃口を向けて立っている──予想と寸分違わぬ光景に、サイはもう一度ため息をついた。
「君がザフトに戻っているとは思わなかったな。どういう心境の変化? アークエンジェルが代表をさらったのと、関係あるのか」
妙に度胸がすわってきたと、サイは自分で自分に感心してしまった。アスランはサイの問いに、僅かに動揺を見せている。「お前も、アークエンジェルを知らないのか」
「彼らのせいで俺たち、無理矢理チュウザンから引っ張り出されてきたんだけど。その様子じゃ、君も何も知らないみたいだね。ラクス・クラインの復活の件も」
アスランの表情がまた変わった。自分ではきっと何も表情を変えていないつもりなのだろうが、少しばかり経験を積んでしまうと相手の瞳の動き、瞼の角度で心情の変化ぐらいすぐに読み取れる。サイはそんな自分が、多少悲しくもあった。
「ナオトが、水の証の復活がどうたらとか言ってた。変だと思ってたけど、君のザフト復帰と何か関係ある?」
「お前が知る必要はない。頼むから、俺にお前を撃たせるな」
サイは思い切ってアスランに向き直った。恐怖より悪戯心の方が先に立ってしまっている。「やっぱ何か知ってるんだ」
「質問をしているのは俺だ。要求をしているのもこちらだ。素直にティーダを渡してもらおう、出来ないなら責任者を出せ。死んだ戦友を騙る人間がこの船にいる、そいつなら何か分かるだろう!」
サイに向けられたアスランの銃口が震える。やはり先ほどのミゲルの声は、彼に相当のダメージを与えていたのだ。ミゲルが、アスランの死んだ戦友──サイはディアッカの忠告を思い出す。気をつけろ、ここは幽霊船だ。
その時だ。静かな水音と共に、可愛らしい少年の声がりんと響いたのは。
「無駄ですよ、アスラン。その人、何も知りませんから」
闇の中から、水をかきわけ現れる車椅子。その上に乗せられた、薄緑の柔らかな髪の毛を持つ少年が、純真な瞳をゆっくりと上げた。
アスランの身体が、雷鳴に撃たれたように激しく震えだす。知らない人間が見たら、精神を病んだと思われても仕方のない挙動だ。
「まさか」「ニコル」「お前が」その時アスランの発した大量の意味不明の呟きの中から、サイはやっとこの3つの単語だけを聞きだした。最初は、下半身のないニコルの姿に驚愕しているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
対するニコルは、全く怯えることなく言葉を紡ぐ。「お久しぶりです、アスラン。父と母はお元気ですか?」
「貴様ら──マユに何をした!」
シンは、動けないインパルスのコクピットで虚しく叫ぶ。分かることは、目の前でマユが笑っている。それだけだ。いや違う、マユの姿をした何かが笑っている。
そしてあろうことか自分は、マユに踊らされてみすみす捕虜となった。パイロットスーツを着てはいるが、マユの無邪気な笑顔は2年前と全く変わらず、輝いている。しかし今のシンとマユの間には、アフロディーテのビームライフルの銃身が割って入っていた。その銃口は真っ直ぐ自分に向けられている。
俺の記憶は、確かだ。マユはあの時、人としての形を留めていなかった。服も肉も肌も全てが一瞬で焼けて崩れ去り灰となり、流れるはずの血すら全て蒸発し、辛うじて原型を留めていたのは片腕だけ。
それが、こんな笑顔になって戻ってくるはずがない。頭ではそう理解しているが、シンの中で喜びの感情、悪夢の記憶、そして大きな疑問が激しくぶつかりあい冷静な判断を一気に消滅させていく。マユが生きていた、マユが生きていた、マユが──だが、何故?
「簡単だよ、お兄ちゃん。私たちはね──」
「貴方がたを求めて、蘇ったんです。探しましたよ、アスラン」
激しく動揺しながらも再び銃を構えるアスランに、サイは思わず感心していた。アスランは今度はその銃口をニコルに向ける。「旧ザラ隊の名を騙る亡霊を乗せた船──イザークたちから噂は聞いていた。それがアマミキョだったとはな。もう少しあいつらを問い詰めておくべきだった」
「確かに、偽者と罵られても仕方ありませんね。何しろ貴方の眼前で、僕はストライクに斬られたのだから。この脚も車椅子も、その時の恩恵ですよ」
サイは思わずニコルと、その失われた下半身を見つめた。やはりこの少年は、かつてキラが殺めた──つまり、間接的には自分が殺めたとも言えるのだ。
そんなサイの心情を察してか、ニコルは笑った。「気にしないで下さい、サイさん。『戦争だから、仕方ない』そうですよね、アスラン」
笑みをたたえた優しい表情ではあるが、ニコルの言葉にはほんの少しずつ、氷のような棘が含められていく。「2年前、貴方がアークエンジェルと合流したと聞いた時──正直、僕はとてもショックでした。こんな身体で、僕はどうすることも出来なかったけど。貴方は僕の父や母、そしてプラントを裏切ったことになったのだから」
「そうそう! アスランの為に作った曲、破いたりしてたよなぁ」明るい口調と共に、不意にアスランの背後を取る影──アスランはそのまま両腕を取られ、羽交い絞めにされる。「おひさ、アスラン! ルームメイトぐらいは覚えてるよなぁ?」
「ラスティ……君まで、一体これは何の茶番だ!」
ニコルはそれには答えず、淡々と語り続ける。「でも、結果的にアスランが戦争を止める力になったと聞いて、僕は嬉しかった。
貴方がカガリ代表のもとでオーブにいることも、寂しいけれど当然と思っていました。貴方は平和と正義を尊ぶ人ですから。
だけど、何故今頃ザフトに戻っているんです?」
笑ってはいるが、ニコルの言葉は辛らつだ。アスランは震えを必死で隠しながらも、それに答えようと努める。「ニコル、俺はこの戦争の根を絶ちたい。父が犯した罪を償いたい、俺に力があるのなら。プラントならそれが出来ると思った。カガリも納得してくれた。
俺はもう二度と、お前のような犠牲を出したくなかった。だからプラントへ……」
サイには分かった。アスランは、未だに自分が何をしたいのか分かっていないのだ。目標とするものが大きすぎて、自分の力をどう使っていいのか悩み、あがいている。今の曖昧な言葉が何よりの証拠だ。
ニコルも瞬時にそれを見抜いたようで、さらに言葉を畳みかける。「で、議長の口八丁でおめおめアスラン・ザラに戻ったわけですね。ついでに地位まで頂いた。気がついた時にはザフトへとんぼ返り。代表も可哀相だな」
「違う! オーブに戻った時には、もうカガリとセイランの婚約が成った後で、しかもオーブはザフトと交戦状態だった!」
抗弁するアスランを、ニコルはちょっと眠たそうな眼で眺めていたが、やがてゆっくりと口を開いた──
「ラスティ。解放しましょう、そのクズ」
捨てちゃいましょう、そのオモチャ。そんな口調でニコルは言い放ったのだ。優しげな少年の口から飛び出したあまりの言葉に、アスランやサイは勿論ラスティまでが驚愕する。
「はぁ? だってお前、あれだけアスランを……」「いいんですよ、ラスティ。音声聞けば、フレイだって納得してくれます。悔しいなぁ、やっぱりフレイの言う通りだった。僕の価値って何なんだろ」
台詞とは裏腹に、ニコルはちょっと肩を竦めてサイに笑ってみせる。勿論、サイには彼らのやりとりの意味は半分も分からない。船底に虚しく流れ続ける歌は、3回目のリピートを終えようとしていた。これが終われば、遂にアマミキョは動く。けど、今だけ愛してるフリしてよう。お手軽に幸せを手にしよう──
曲が終わった瞬間、微かな震動が水面を揺らし始めた。歌の代わりに全員の頭上で、工事現場の掘削音が鳴り始める。同時に、サイの通信機からミゲルの声が轟いた。<急げ、サイ! もうすぐパージが始まる>
「ねぇ、出てきて。お兄ちゃん!」マユが身体を光の中に晒したまま、ストライクもどきに呼びかけている。
その不可解な光景を、ナオトは理解できなかった。マユの「お兄ちゃん」とは、カイキではないのか? 何故ストライクもどきのパイロットが「お兄ちゃん」なのか? このマユの行動に、フレイもカイキも何の反応も見せないのは何故だ。
あらかじめ、計画されていたことなのか。ナオトの小さな頭でも、そこまでは読めた。しかし次の瞬間──さらに不可解な現象が発生した。
ストライクもどきのコクピットハッチが開き、パイロットが姿を現したのだ。しかも、大きく身を乗り出して、無防備にマユを見ている。
そして1秒後。船体を、大きな縦揺れが襲った。
ニコルが叫んだ。「サイさん、乗って!」自分の車椅子に乗れ、というのだ。戸惑うサイに、さらにインカムからミゲルの怒声が響く。<この状況でお前に何かあったら、俺らがフレイに殺されちまうんだよ! 早くしろっ>
君たちは一体何なんだ。そう怒鳴りたいのをこらえつつ、サイはニコルの車椅子に飛び乗った。そしてニコルは、ラスティに捕らえられたままのアスランに向き直る。「忠告しておきます。貴方、今のままじゃ何処行っても、長続きしませんよ。
どんな事情があったにせよ、外部から見れば貴方のやっていることは裏切りの繰り返しです。恐らく貴方は今後も、同じことを繰り返す」
反論しようとするアスランの腕を、ラスティが素早い動作で掴んだ。いつの間にやら、ラスティの手には注射器が握られている。パイロットスーツの上から、彼は半ば強引にアスランの左腕にその針を突き刺した。
見る間にアスランの両膝が力を失い、その身体はラスティの腕にもたれかかる。明らかに朦朧としていくその意識に追い討ちをかけるように、ニコルの言葉が響いた。「一つだけ、教えてあげます。
もうすぐ、議長の計画が発動する。その後です、僕らの姫が立つのは──
その時、貴方の願いは叶います。戦争を止めたいなんて、本気で貴方が考えているならばその願い、僕らが叶えます」
アマミキョの異変をヨダカが海中で察知したのは、その時だった。
待機していた彼の眼前で、規則正しい動きで外壁が滑り、中のコアに近いブロックが飛び出してくる。船が必要以上に傾かぬよう、両側のブロックが海中深くで船体から離れた。そして吹雪を撒き散らすような噴射と共に、まっすぐに海中を走り出す。まるで核弾頭のように。
それを目撃し、ヨダカは瞬時に相手の目的を悟った。間違いない、位置からしてあれはエンジンブロック──グーン部隊に全力で叫ぶ。「散開! 奴らの攻撃だっ」
違う、モビルスーツへの攻撃ではない。素早くブロックを避けた後にヨダカはすぐに悟り──総毛だった。喉が潰れんばかりの怒声をコクピットに轟かせる。
「ミネルバ、アソ、全速で回避! 突貫されるぞっ」
だがヨダカの叫びより早く、ミネルバ側は予想だにせぬ「敵」の攻撃を察知していた。アーサーが声を上げる。「馬鹿な! 民間船が魚雷などっ」
その時には既に、タリアが素早く指示を送っていた。「違う、魚雷がわりよ! ウォルフラム、迎撃用意!」
魚雷で迎撃を目論んだタリアだが、マリクの悲鳴が響いた。「駄目です、射線上にアソが待機中です!」
「くっ……全速で回避! アソを下がらせ、総員衝撃に備えて!」
間に合わない。瞬間、激しい震動と共に、海中から閃光が走った。チェンの怒号が響く。「アソ、直撃ですっ!」
「嘘……ザ、ザフト艦からの爆発を確認!」アマミキョブリッジでは、アムルが驚きと共に報告していた。同時に、クルーの間から歓声が沸きあがる。一番騒いだのはオサキだ。「やったぜ、サイ!」
「まだ終わったわけじゃない、油断するな。アーガイルからの連絡は?」リンドーがミゲルを睨む。ミゲルはいつになく表情を曇らせる。「それが、パージ開始より通信が途絶えて……」
そのミゲルの言葉を中断する大声が、ティーダから響いた。通信機を割るかのような勢いのナオトの叫びだ。
<何だコレ!? ティーダのレーダーが変です! 海と空から……味方機? こんなにたくさん? どうして?>
そのタイミングとは少し遅れて、アマミキョのレーダーにも異変が起きた。アマミキョとザフト艦を一気に覆い尽くすか如き味方機・味方艦のシグナルが、レーダーに現れている。味方機の信号ではあるが、それはイナゴの大群を思わせる不気味さがあった。
一分前まで光で溢れていたはずの空と海が、同時に曇り始める。それは天候の変化によるものではなかった。
★劇中歌出典:「LOVE IS BUBBLE」 song by BONNIE PINK
つづく