サイとラスティが背もたれの部分につかまり立ち乗りし、さらに気絶したアスランをラスティが担ぐ──
そんな状態で、ニコルの車椅子は浸水区画を爆走していた。あまりの速度に全員がまともに海水を浴びているが、気にしてはいられない。車椅子が通過した途端、すぐ後ろで次々にシャッターが閉じていく。その向こうは一息に海水で満たされているだろう。
アマミキョの損傷はかなり重大だ。作戦がうまくいったのかどうか、サイにはまだ分からない。アマミキョは無事逃げのびられたのか──作戦終了用のBGMが今、船内に流れている。今度はリンドー副隊長お気に入りの童謡らしい。まげてのばして、おほしさまをつかもう。おひさまをあびよう。おそらにとどこう──
アマミキョクルーは軍人ではない。作戦発動時の信号として軽快なBGMを流すのは、船内の動揺を防ぐ為という理由が大きい。同時に、侵入者に作戦実行を悟られぬ為でもあったが。
それが見事に功を奏したか、少なくともクルーはきっちり動いた。外がどうなったかはまだ分からないが、今のところ船は致命傷は負っていない。アマミキョのエンジンは既に予備に切り替わり、猛然と唸りを上げている。今までとは逆方向へ、船が逃げ出しているのだ。
何度目かのターンをニコルが行ない、サイは波のごとく撥ねる水を被りながら、必死で車椅子に喰らいつく。
「大丈夫ですよ、サイさん。見事に彼らをハメてくれましたね」サイの心境を見抜いてか、ニコルが悪戯っぽくウインクしてみせる。瞬間にニコルは潮水を被ってしまったが、それが非常に愉快だったらしく、彼は少年らしい笑い声を上げた。先ほどアスランを凝視していた時の冷たい笑みが嘘のように。「こんなに楽しいのって、久しぶりだなぁ!」


戦闘区域の空を瞬く間に埋め尽くしたものは、連合の誇る最新量産機──ウィンダム。
その合間から漏れる太陽の光を遮るように、ダガーLも所狭しと飛んでゆく。ジェットストライカーから噴き上がる熱気が、大気を覆い尽くしていく。
その信じられぬ光景を前に、ティーダの中でナオトは呆然とするしかない。そして、信じられぬ事態はそれだけではなかった。
ティーダのマニピュレーターには今、なんと──ザフトのパイロットが捕まっているのだ。
「危なかったねー、お兄ちゃんっ」マユの小さな肩が、ナオトの目の前でくっくと揺れている。「驚いたぁ、いきなりハッチ開けて出てくるんだもーん。そりゃ落ちるってば」
君が言うな。ナオトは突っ込みそうになりつつも、ティーダ備えつけのカメラで掌の中のザフトパイロットをモニターごしに見ていた。パイロットは、ティーダの指の何本かで強引に身体を締められながらも懸命に銃を構えようとしている。その声が、ナオトの耳に直接届いた。大気を圧する連合機の爆音にかき消されそうになりながら、パイロットは言っている──「マユを使って、俺に何をした!」
何故? 聞きたいのはナオトの方だ。何故あんたが、マユの名を知っている? 
何故コクピットから出てきて、しかも衝撃で落下するような阿呆をやったんだ? 
ナオトは思わず、さっき黙示録を起動させたばかりの黒ハロを見つめる。ハロは疲れたとでも言いたげに、目の部分をハの字にしていた。眠っているつもりか。
しかし、ナオトがハロやマユを問い詰めるより先に、ティーダの指が動いた。マユが大笑いする。「マユがいなきゃ、今頃甲板で首もげてたってこと、分からないかなー。お兄ちゃんっ」
途端、装甲が軋む音を軽く響かせつつ、ティーダの指がパイロットに圧迫をかける。彼の紅のパイロットスーツが反りかえり、声が消える。恐らくメットの中で彼は白目を剥いているだろう──「このまま水遊びしよっか? 昔みたいに」
ウーチバラ付近でフレイがやったことを、全く同様にマユが繰り返していた。マユは相変わらず、語尾に音符がつきそうな口調で恐ろしいことを言う──ナオトは叫ぶ。「マユ、やめろやめるんだ!」
ほぼ同時に、遠ざかっていくザフト艦──実際はアマミキョが遠ざかっているのだが──に、連合機が雨あられとビームの滝を降らせていく。ティーダのレーダーが、味方機を示す無数の信号で溢れかえっていた。空も、そして海も。


海から来たものは、まさに怪物だった。
「それ」を導くものは、山神隊・風間曹長の駆るディープフォビドゥン。巨大貝を思わせる双対の耐圧装甲アレイが、海を切り裂き猛進する。ウィンダムに比べどっしりとした機体、そして群青と白のカラーリングは、深海であっても今のアマミキョには眩しく、そして頼もしく見えた。さらに後方から、同型機体が軽く10機は風間を支援していた。その背後、深海の闇から「怪物」が迫っている──山神隊やアマミキョを軽く飲み込みそうな闇を負った何かが。
後退してきた時澤のウィンダムが、Nジャマーで途切れがちになりつつも海中の風間と交信する。「曹長、この部隊は一体?」
<間に合ったようですね。軍曹の言うとおり、敵接近直前に全力で撤退して、緊急連絡かけて正解だったわ>
「救援はありがたいが、どこの高機動艦だこれは……インド洋に、こんな艦は」
<自分も分かりません。ライブラリ照合も不能でした──しかしまさか、アマミキョの名を出しただけでこれほどの増援が来るとは>


「逃げたんじゃなかったのね、あの連合女」アマミキョブリッジでは、通信状況を睨みつつアムルが呟いていた。その皮肉に被せるように、すぐに別の通信が入ってくる。「あ……潜水中の艦からです。先導する、我に続け──繰り返す、先導する我に続け──どういうこと?」
同時に、サイからの通信も回復した。<こちらアーガイル。現在、船底第12Aブロックを移動中。3名とも無事、ザフト兵1名を確保。作戦進行状況の詳細をお願いします> オサキとミゲルが同時にほっとため息をつき、リンドー副隊長が含み笑いをする。
状況確認を続けていたディックが報告した。「船体損傷度は14%。ベンガル湾まで耐えるには、ギリギリですね。味方が来てくれて良かった」
「無意味だったのかしら、サイ君の作戦」アムルが呟いたが、すかさず胸と髪を揺らしてオサキが叫んだ。「んなわけねーだろ、もし救援があと30秒遅れてたらどうなってたと思ってやがる!」
他のオペレータたちも、口々に意見を述べる。「そうだよ、ブリッジだって撃たれてたかも知れない」「でも、ヘタな抵抗をしたせいでザフトを刺激したかも……」「人質まで取って」
リンドー副隊長が白髭を引っ張った。「肝心のお前らが作戦概要を理解せんでどうする。船体を軽くしてスピードを上げ、最短距離最大戦速で基地へ逃げる──目的は相手の撃沈ではない、全力の撤退だ。この程度で、ザフト艦が沈むわけがなかろう」
モニターの向こうの海では、そのザフト艦──ミネルバの付近から、黒煙が見えた。その煙はどんどん遠ざかっていく。
 


PHASE-16 ラクス・クラインの香り



「アソ、カタパルト部分に損傷!」「救難信号が出ていますっ」「目標、撤退していきます」
ミネルバのブリッジで、バートやチェンの怒号が交錯する。
「カタパルトに? じゃあ、アソに残ったグゥルは!」アーサーが負けじと絶叫していた。
タリアの予感は当たってしまった。アソの状況詳細は不明だが、貴重なグゥルをみすみす眼前で無駄にしたのは確実だった。しかし、それどころではない損失をミネルバは被ろうとしている!
「インパルスとセイバーは!?」
タリアの拳が握られる。光は突破しましたが、おかげで優秀なパイロットごと最新鋭機体がつかまりました──そんな馬鹿げた報告をしようものなら、その場で射殺されても文句は言えまい。いやその前に、彼らを失えばミネルバには死あるのみだ。メイリンの背中をタリアは睨んだが、返ってきたのは動揺まじりの応答だけだった。「駄目です、交信不能……あ、いえ」
「どうしたの」
「海中の敵性艦より、国際救難チャンネルによる通信です! ザフト艦は全ての攻撃を即時中止し、航行を停止せよ──」
その間にも勿論、連合軍からの攻撃は続いていた。「これしきの攻撃っ……ザフトを舐めるな!」マリクが必死で操舵するが、雨あられと降りそそぐビームを回避するのが精一杯だ。
これでは、傷ついたアソも浮上出来ない。当然、これ以上アマミキョを追うなど不可能だった。


ニコルやサイたちは、迫る海水の恐怖からようやく逃げ切った。
全員が頭からぼたぼた潮を垂らしていたが、サイ以外は笑っている。目覚めぬアスランを見やりながら、ニコルは呑気にその頬を突っついていた。「ちょっと無茶だったかなぁ。僕個人としては今のこの人、いらないですけど。多分フレイだって」
ラスティも笑う。「フレイがいらないと言っても、御方様がいるだろ。確保した以上、連れてかないと」
──さっきから、こいつらは何を話している?
サイは周囲の安全を確認すると、すぐさま車椅子から飛びのいた。きっと俺の目は不信に満ちている。「ありがとう。助けてくれて、感謝するよ」にこりとも笑わず、サイは言った。
さらにサイは問いただす。「君たちアマクサ組は、みんなチュウザンに命を救われたのか。そして何らかの目的で、アスランやキラを追いつめようとしている。SEEDの為なのかい?」
ニコルとラスティの顔から、微笑が消えた。ただ、動揺もしていないようで、やっぱりなと言いたげに顔を見合わせている。サイはニコルに向かい、さらに強く出た。「さっき君がアスランに言ったのは、どういう意味だ。『姫』ってのはフレイの渾名か? アスランの願いが叶うってのはどういう意味だ!」
銃があれば、俺はきっとこの二人に向けていた。そう確信しつつも、サイは感情を抑えつつ淡々と続ける。「君たちが現れて、アスランは嬉しかっただろうと思う。俺だってそうだから。
フレイが、俺の前にもう一度現れた。それだけで、俺は嬉しかった。
フレイと共にいられる、話が出来る、触れ合える。それだけで、どんなことだって耐えられた。アスランも、多分キラだって同じだ」
ラスティが一瞬だけ、サイから視線を背けた。良心が咎めるのだろうか。だがニコルの方は、じっとサイの言葉を聞いている。濡れた前髪から覗く瞳に、先ほどの子供っぽさは欠片もない。
サイは拳を握る。「だけど、その想いを利用して君たちがキラやアスランを冒涜しようとするなら、俺は許さない!」
「面白い冗談ですね」子供のように鼻をすすりつつ、ニコルはさらりと言った。「許さなければ、どうするんです? 僕らを倒して、ミントンの時みたいにアスランをザフトに返しますか? それとも、アストレイで暴れますか? 
腕折られるよりひどい目にあいますけど」
ニコルの袖の中の銃口が光っている。サイはそれ以上何も言えず、口を噤むしかない──俺は無力だ。
「心配しなくても、お前に危害は加えないよ。動くのは俺たちだ、お前は傍観者にすぎない」赤服のポケットに手を突っ込みつつ、ラスティが言う。ニコルがその言葉を継いだ。
「だからこそ、フレイは貴方を巻き込みたくないんです。その気持ちだけでも分かってあげるのが、元婚約者のつとめでしょう」


ミネルバを何とか振り切ったアマミキョの前に現れたものは、海中から突き出した巨大カタパルトだった。ナオトの目に一瞬怪獣の口腔のように映ったそれは、軽く十枚を超える隔壁を次々と開いていき、中を露にしていく。その内部はモルゲンレーテで見たどのハンガーよりも整備され、最新型の信号灯が点滅してアマミキョへ通信が送られていた。
驚くべきはその巨大さだ。怪物カタパルトはティーダどころかアマミキョを船ごと悠々と飲み込み、そして今、ナオトはティーダの中から外の様子を興味津々に眺めている。明滅する信号灯の橙の光を頼りに、ナオトはアマミキョを収容した大型エレベーターの威容を知った。さらにそのエレベーターは、アマミキョの上で隔壁を何重も閉鎖しながら下へ──海底へと潜っていく。「すごい……インド洋にこんなものがあったなんて。まるで海底要塞だ」
「まるで、じゃなくて本物だよっ」マユが嬉々として答える。
「知ってるの?」
一体この要塞だか潜水艦だかがどの程度の大きさのものか、素人のナオトでは想像もつかない。そしてさらに想像つかないのが、今目の前にいる少女の素性だ。
ナオトの運命を変えた少女、太陽に乗る少女、大好きな娘──マユ・アスカ。
彼女の「お兄ちゃん」は未だに、ティーダの掌にいる。ぴくりとも動かない。どうやら圧迫で意識を失ったらしいその身体を、マユは人形遊びでもするようにティーダの指でいじり回していた。


アマミキョがカタパルト内部に収容されてすぐに、アフロディーテもカラミティもアマミキョから姿を消した。ティーダもアマミキョカタパルトに収容されたが、ナオトは即刻降ろされ、ティーダとマユはフレイたちアマクサ組と共に消えた。
そして、捕らえていたシン・アスカとアスラン・ザラの両名も、アマクサ組のされるがままに運ばれていったのである。
ナオトにはどうすることも出来ぬまま、状況が流れていく。さらに悪いことに、床を引きずられるようにして運ばれていくアスランを偶然モニターごしに目撃してしまい、ナオトの怒りは再び目覚めてしまった。「あの、裏切り者」
そして、他のアマミキョクルーたちはといえば──


「何故出られんのだ、我々は中立の救援隊だぞ!」
トニー隊長の怒号が、皆が集まった食堂に虚しく響く。相手につかみかかったトニーだが──
「ここから先は軍事機密だ、愚か者!」無様に殴られ、トニーの決死の抗議はそれ以降封じられてしまった。
要塞内にアマミキョが収容されるや否や船内に乗り込んだ兵士たちは、南チュウザン国の黒の軍服をまとっていた。アマミキョから外部に通じる出入り口全てを封鎖し、彼らは敏速かつ厳重にクルーの監視体制を整えたのだ。
クルーは全員比較的スペースのある食堂に集められ、不安に満ちた時間だけが経過していく。
「私たち、捕虜になっちゃったの?」アムルがカズイの背中にすがりつつ、彼の耳元で恐怖を露にした。そんな彼女に、カズイは彼らしくもなく我を張ってみせる。
「大丈夫ですよ、あれはチュウザン兵ですし。僕らの味方です」


曲がりなりにもブリッジ要員であるサイは、何とかカタパルトへの移動を許された。
ナオトの様子が心配だったサイは一目散にティーダへ向かったのが、既にティーダはそこには無く、ナオトがただ一人、ハンガーの隅で体育座りでむくれていた。
サイが声をかけた瞬間、ナオトは思いきりヘルメットを床に叩きつける。「畜生! アスハ代表を裏切った上、ティーダを降りろだなんてっ」
唖然とするサイの前で、ナオトは立ち上がった。「アスラン・ザラですよ! 代表の護衛官が、代表のいない間にザフトに戻って今度は代表に銃を向けるって、これが裏切りでなくて何です?」
ほら見ろ、アスラン──サイは思った。自分がどういうつもりでいようと、他人にはこのように見られるのだ。
「ナオト、俺も彼に会ったよ。アスランは今でも、オーブや代表の為を思っている」
「サイさんは甘いですよ」ナオトの大きな瞳は、またしても激しい怒りに満ちている。メットを叩きつけただけではおさまらず、ナオトはさらにメットを蹴り飛ばした。「僕はレポートします! アスラン・ザラの裏切りを、オーブに送ります。幸い、ティーダのカメラで映像もたっぷり撮れましたよ。大戦の英雄、オーブの獅子を裏切る。決まりだな」
「落ち着けよ。俺は彼と話した、代表は納得済みらしいんだ」
「そのまま信じる人がいますか! 早くザフトで手柄を立てたいからって、代表の名まで使って僕を惑わそうったって、そうはいくもんか」
その時、激情するナオトの背後に、猫のように忍び寄る影が現れた。それは、要塞内へ消えたはずのフレイ──
サイが止めようとするより早く、フレイはナオトの左腕を有無を言わさず掴み、引き寄せて羽交い絞めにする。「ちょっ……何するんです、フレイさんっ」
「来い。ナオト・シライシ」
フレイはそれだけ言うと、強引にナオトのパイロットスーツの二の腕あたりをナイフで刻み、肌を剥き出しにした。ナオトは精一杯暴れようとするが、首もとを絞められていてはろくに声も出ない。
サイは叫ぶ。「フレイ! 君はどういうつもりで!」
「離して下さい! 降りろと言ったり来いと言ったり、貴方は勝手だよ……っ!?」
さらにフレイは、ポケットから注射器を取り出した。文句を言っている間にその針がナオトの腕に刺され、瞬く間に彼は意識を失ってしまった。
「いい加減にしろフレイ! 君たちの目的が分からないっ」
サイは思わずフレイに突進したが、返って来たものは怒声と平手うちだけだった。「お前は、来るな!」
張り飛ばされながら、サイは感じた。いつも以上に厳しい声と力だが、いつもと微妙に違う。
フレイが、今、憔悴している? 「この」フレイが?
そのサイの疑念は次の瞬間、確信に変わった。頬を押さえながらサイが振り向いた時、フレイは一瞬、自分の掌を見つめていたのだ。自分の行為に戸惑うかのように。
だがすぐにフレイは冷酷さを取り戻し、ナオトを担ぎあげた。信じられぬ力だ。
「安心しろ。無事に帰す」


その数時間後には──
要塞内の一室で、二人の人物が再会を果たしていた。
一人はフレイ・アルスター。連合の制服を整えた彼女は静かに畳に正座し、ひれ伏している。
旧日本の和室を思わせる9畳程度のその部屋は、一見してとても海底要塞の要所には見えない。決して派手に飾られているわけではないにしろ、隅にはスズランが、優雅な風情を漂わせつつ活けられている。造花ではない。
フレイは、伏したままの姿勢から一寸たりとも動かない。そして上座にいるもう一人の人物は──
「ウーチバラからよくぞここまで……ご苦労でした、フレイ・アルスター」桜色の柔らかな髪を腰まで伸ばし、紫の絹地に髪の色と同じ、桜の花びらを散らした着物をまとった少女。大きな青い瞳に、皺ひとつない白い肌。年は16、7ぐらいにしか見えない。その前髪には、満月を模った大きな黄金の髪飾りが光っている。
彼女は優美な笑顔を浮かべてフレイを眺め、衣擦れの音を響かせて座った。背後の、雪の結晶を模した蝋燭──に見せかけたミニライトにそっと手を触れ、彼女は暖かな光を灯す。温度も気圧も光も、最高級レベルで調整されているこの部屋だが、わざわざこのようなミニライトを導入したのはこの少女の発案だ。手元の光を効果的に使うことで、どのようにも自分を見せられる──
「御方様こそ、ご機嫌麗しゅうございます」フレイは畳に額をつけた姿勢から動かない。
「頭を上げても良いのですよ」少女はにっこりと微笑んだ。その言葉で初めて、フレイは顔を上げ少女と目を直接合わせることを許された。
「この度の救援、感謝いたします。まさか、御方様が直々に『オギヤカ』を率いて出られるとは。予想外でした」
「こちらも予想外でしたわ──二つの種を同時に確保できるなんて、滅多にありませんもの」
うっふふ、と声に出して少女は笑う。「ですから、来てしまいました。さすがはフレイですわね、ティーダとアマミキョの調整も順調のようで、安心しました」
フレイは黙したまま、ぴくりとも笑わない。「ウーチバラにおけるティーダの戦闘実験の結果はお聞き及びのことと思います。イレギュラーは発生致しましたが、チグサ計画はおおむね問題なく進行しております」
「思わぬ拾い物がありましたわね。きっと、神様が味方しているのですわ」
「残るは、アマミキョコアの統合作業ですが」
「ふふ。大事なこと、お忘れではなくて? キラ・ヤマトを──」
フレイはその言葉に、表情こそ変えなかったがわずかに肩を反応させてしまう。「現在、捜索中であります」
少女はまた笑った。少女の背後から照らされる光が少し強くなり、白い頬に美しき陰影を作る。「わたくしにとっても貴方にとっても、キラ・ヤマトは大切な方です。そのことをゆめゆめお忘れにならないで下さいね。
貴方のここ数ヶ月の行動ログを見せて頂きましたが、どうも他のことに気を使っているような気がしてなりませんの」
金糸の織り込まれた畳縁に沿ってきれいに揃えられたフレイの指が、微かに折り曲げられる。思わず拳を握ろうとするように。「私は常に、御方様と国の未来を考えております──それにしてもそのお姿、心配でなりませぬ。お身体に異変は?」
少女は細い手を唇に当てて、子供のように笑い続ける。「話を強引に切り替えないで下さいな。二時間跳ね回っても平気ですわ」


要塞内に拘束され、24時間。
アマミキョ内食堂では、依然としてクルーたちが不満を募らせていた。そこに山神隊の時澤と風間が状況報告に入ってきたが、答えは到底クルーを満足させるものではなかった。
「残念だけど、あと48時間はこのままよ。出来るだけ時間を短縮出来るよう、こちらもかけ合ってみるけど」風間が大きな胸の下で腕を組み、クルーたちと同じタイミングでため息をつく。
時澤がさらに言い添えた。「連合軍が駄目でアマクサ組がOKとはね……やはりここは、南チュウザンの管轄下か。居心地悪いよ」
それを黙って聞いていたサイは、山積みになった桃を取って思い切り齧りながら考え込む。チュウザン軍は、食糧と生活用品は腐るほど提供してくれた。それ故、クルーも意外なほど冷静さを保っていられた。指の間から汁が零れるほど新鮮な桃も、その恩恵だ。
連れて行かれたナオト。MSと一緒に消えたアマクサ組。捕らえられたアスラン達。SEED因子。死者の復活。
全て、南チュウザン──タロミ・チャチャと関係があるものだとしたら。
サイの思考を補充するように、オサキが口を挟む。「ティーダの光も、どんどん力を増してやがるし……気味悪ィ。ナオトが連れて行かれたのはそのせいか?」
カズイもぼそりと呟いた。「それに、黙示録が照射された時のあの感じ。一体何なんだ?」
サイは弾かれたように振り返る。「やっぱりお前も、何か感じたのか。ウーチバラの時と同じに」
「サイも?」
「私もです」ちょうど医療ブロックから顔を出していたネネも手を上げた。「患者さんも言ってましたよ。ほぼ全員、鐘の音と一緒に天の声を聞いたって。戦いを鎮めろ──」
風間と時澤はその反応に、顔を見合わせる。「私にはあまりピンと来なかったけど」「正確には、攻撃衝動を強制的に抑える麻薬のようなものと思う。フィルタがあったとはいえ、軍人にとって決して気分のいいもんじゃない」
「それだけじゃ、ないよ」カズイがおどおどと声を出す。「あのストライクもどきのパイロット──光の中で彼を見た時、強烈な憎しみを感じた。モニターで見ただけだったけど、気配とかそんなチャチなものじゃない」
カズイに続いて、ようやくパニック症状から復活したヒスイも発言する。「私も……そのせいかしら、また怖くなったのは」
彼女の恐怖は今でも消えてはいないようで、まだ全身を小刻みに震わせている。その細い肩を、オサキが軽く片腕で抱き寄せた。「オーブを許さない、ってんだろ。本気で撃たれると思ったよ」
そこで一旦、全員が黙る。では何故、あのパイロットは突然動きを止めた?
サイは思い出す。あの時ハッチを開いたマユを見て、明らかにパイロットは動揺していた。ナオトではなく、前席のマユを見て。
アマクサ組が連行したのはSEED持ちのアスランとナオトに、彼。とすれば、彼もまたSEED持ちである可能性が高い。
アスランに対してのニコルたちと同じように、マユがあのパイロットと何らかの関係があるとすれば──フレイが次に取る行動は。
サイの歯が、思い切り桃の中の種を噛んだ。絶対にそれはまずい。下手をすれば、フレイもキラも二人とも死ぬことになる!
そこまでサイが考えた時、突然食堂のエアロックが開いた。そして入ってきたのは、実に懐かしく思える顔──「皆の衆、久しぶり!」ふくよかな図体に、ビジネスマンらしからぬTシャツ姿。刈りそろえられた短髪。
「ムジカ社長!」全員が、わっと彼の周りに集った。ミントン以来の、アマミキョの真の主人の帰還であった。「みんな、大変だったな。ミントンからここまで、本当にご苦労さん」


朦朧とした意識の中、ナオトは何処かから漂う香りに気づいた。
これは──何の花だろう。スズランかな? それに、あの歌声は、確かに聞いたことがある。
「シン・アスカもアスラン・ザラも、未だ完全覚醒には至っていません。シンはSEEDのコントロールが出来ず、アスランに至ってはヤキン以来、覚醒はないと思われます」
あの女。フレイさんの声だ。何を話しているんだろう?
衣擦れの音が響き、芳香が強くなる。別の人がいる。女の子? 
それにこの歌──メロディーは、「水の証」だろうか? いや、ちょっと違う……
「まぁ! この子ですわね。噂のハーフ君」
誰かが僕を覗き込んでいる。笑っている。悪い感じはしない。見たことがある。誰だろう?
「彼に関しては、分析にはまだ早いかと。未だ一度も覚醒しておりません」
「あら? シライシ博士の報告では、確かに因子保持者と」
「たとえ彼がそうだとしても、コーディネイターとして生まれていない者にSEEDは危険すぎます。リストからカガリ・ユラ・アスハは除外したではありませんか、何故今ナオト・シライシなのです」
「フレイ・アルスター。『ナチュラルを超えた』貴方がそのような物言いをなさっては困ります」
どうしたんだろう。フレイさんが黙り込んだ? 「あの」フレイさんが?
誰なんだ、この女の人は?
「うふっ、そう怖い顔をしないで下さいな。
わたくしが、会いたかったのですよ。だから無理を言いました──」
視界が揺れ、笑顔が目の前に飛び込んでくる。──って、まさか! この人は……
この人、プラントで歌っていたはずじゃないか。いつの間に地球へ降りたんだろう。
僕の女神様が、どうしてここに? どうして僕に微笑んでるの?
「あらあら、少しびっくりさせてしまったようですわ──子供は、おねむの時間ですわよ」
優しい声と共に、ナオトの意識がまた遠ざかる。最後に聞こえたものは、2年前から敬愛していた少女の言葉。
「シンとアスランは、ゆりかごに乗せておきましょうね。特にシンには、あまりに刺激が強かったでしょうから」
「マユに罰は。あの娘の悪戯、看過するにも限界があります」
「いりませんわ。必要ありませんから」


「みんな安心していい。ここにいれば、ジェネシスでも撃たれん限りザフトの攻撃の心配は無用だ。何せ、南チュウザンに文具団にオーブ、共同出資の機動要塞『オギヤカ』だからねぇ」
食堂のモニターで、社長は簡単に要塞の概要を説明していた。勿論チュウザン兵に見張られている為、どのような武装があり、規模がどれほどかも明かされなかったが。
それよりサイが気になったのは、南チュウザンと文具団が手を組んでこの要塞を生んだという現実だ。南チュウザンは、資本主義を貫き勢力を広げる文具団が気に入らないのではなかったか?
横でカズイが「信じられないな」と呟いていたが、サイはじっと社長を睨んでいた。大人の世界には全く色々ある──主義主張が対立しても、利益が一致するならば十分ありうる話だ。特にこの社長の、割り切る性格からすれば。
「今は無理だが、いずれ君たちにも内部は公開される」そう言いつつ社長はモニターを指した。色とりどりに飾られたショッピングモールが、次々と映し出される。レストランがあり、洋品店があり、本屋、映画館、街路樹まである。「要塞」の概念からはかけ離れた「街」──それが「オギヤカ」だった。
「みんなが夢見た海底都市・竜宮城。南チュウザンの出資と文具団の技術、双方が組み合わさり夢は実現した。主義主張は超えられる、ここはその象徴だよ」
社長はウインクをかましつつ、さらに今後の方針の説明に入った。「このままオギヤカはアマミキョを乗せ、潜行したままインド洋を抜け紅海へ向かう。オーブの出兵に合わせてアークエンジェルが動く可能性は高いと、アマクサ組も僕も見ている」
食堂がざわめいた。「出兵って……どこへですか」「聞いてなかったのかよ、地中海のあたりらしいぜ」「やっぱり、オーブも巻き込まれるの?」「そんな処へ行って、何する気だよアークエンジェルは」「だいたいどこにいるんだカガリ代表! セイランの思うままじゃないか」
社長がパンパンと手を叩き、見張りのチュウザン兵が軍靴を三度鳴らした。その音に、クルーの騒ぎは一気に止まる。「はいはいみんな静かに! アマミキョはここでたっぷり補給をするし、みんなは何も心配せず仕事をしていればOK。必ずアークエンジェルとカガリ代表は現れる! それまでは、ゆっくり魚料理を楽しんでくれ」
その冗談に、クルーの興奮はいささか収まり、笑い声すら漏れてきた。自信たっぷりに胸を張ってみせる社長──それを、サイは一人じっと睨んでいた。
この男は、フレイを買った。フレイを弄った。フレイの言葉が正しければ。


食堂から出て行く社長を、サイは素早く追いかけた。周囲でチュウザン兵が目を光らせていたが、サイはそれでも堂々と社長の正面に回りこむ。
「社長! お願いがあります……ナオト・シライシを、ティーダから降ろして下さい!」
社長はしばし驚いたように目を丸くしていたが、すぐにいつもの悪戯っぽい表情に戻った。但しその目は、じっとサイを観察している。
その注意深い視線で、サイは改めて自分の姿に気づかされた。腫れのひかない、何度も殴られた頬。額には青痣がある。左腕に巻かれた包帯は未だに取れない。制服も何度も洗ったり縫ったりしていたが、染み込んだ血や泥の跡はしっかり残されている。血豆だらけになり膨れた手。靴も、つい1週間前に取り替えたばかりなのにもう磨耗していた。
なんて姿で交渉をしている。これでは、馬鹿にされても当然ではないか──サイはひどい羞恥を感じずにはいられなかった。だがそんなサイの肩に、社長は軽く手を乗せる。
「苦労かけたね。副隊長から、君のことは色々聞いた」
思わぬ言葉に、サイは顔を上げた。社長はさらに言葉を継ぐ。「今回、ここまでアマミキョが逃げのびられたのは、君のおかげだ。ティーダがあそこまで無傷でいられたのも、君の改良したTPシステムのおかげだろう。大気圏のことは、不幸な事故だった。それが、副隊長と僕の見解だよ」
社交辞令と分かっていても、社長の言葉はサイの心をわずかながら癒した。その優しさに、サイは思わず折れそうになる──駄目だ、ここで下がってはいけない。
「ですが、自分はナオトとマユを守りきることが出来ませんでした。これ以上、自分は子供たちをティーダに乗せていたくないんです! マユはアマクサ組のパイロットである以上降ろせませんが、ナオトは違います」
「何を言っているんだ。ナオト君だってパイロットだよ、やる気もある」
「やる気がありすぎるから危険なんです。素人が戦場でヘタにその気になっても、死ぬだけだ」
社長の顔から、不意に笑みが消えた。下落していく株を冷たく見守る目つきになっている。そして彼の口から出た言葉は、絶望的な結論だった。「残念だが、それは出来ない」
「何故です! アスハ代表のお許しがないから? オーブの視聴者の意向? それとも──」サイは口を噤んだ。SEEDの件まで口にするのは危険すぎる。
「最大の理由は別にある。最大の出資者、タロミ・チャチャだよ」
思わぬ言葉に、サイは一瞬返す言葉を失った。まさか──南チュウザンの王者が、何故?
社長は歩きながら早口で語り始める。「ナオト君をティーダに乗せる真の理由は、彼の意向だ。アマクサ組がアマミキョに関わるのも。そこまで来ると、民間の一企業に出来ることは限られてくる」
「フレイが強化人間としてモビルスーツに乗っているのも、タロミの意向ですか」あまりの事態に、サイは思わず勇み足をする。言ってしまってから後悔したが、もう遅い。サイは感情に任せて言葉を走らせていた。「アマクサ組の上に貴方がいて、さらにその上にタロミがいるんですね。フレイやマユたちを弄って、あんな人間にして、みんなを翻弄して、貴方がたは何をしたいんだ!」
社長は歩みを止め、もう一度サイを見つめた。「そういう風に聞いているんだ……」
社長の鋭い視線と、サイの怒りに満ちた眼が空中でかち合う。「違います。一部はフレイ自身から聞きましたが、あくまで今のは自分の推測です」
「元婚約者としては、複雑だろう。だが、どうにもならない。
君には、どうすることも出来ない」
分かっていた現実を、サイはまたもや突きつけられる。二年前から散々思い知らされている現実を。
「君には何もしてほしくない、それがフレイ嬢の願いでもある。個人的な意見だが、その方が君の為だと思うね」
「何故です!」
「守秘義務」社長は唇に太い人差し指を当てる。軽妙な仕草に見えるが、こうなると絶対に彼は口を割らない。
「諦めるんだ。フレイ嬢は、既に君とは住む世界を違えている──二年前から、分かっていたはずだろう」


裸のままで眠らされているシンとアスラン。彼らの身体は保育器にも似たガラスの装置の中へ横たえられ、生まれたばかりの赤ん坊も同然の状態で注意深く観察されていた。
二人は今、自らの悩みも迷いも憎しみも全て捨て去った、理想的な表情を保ちつつ寝息をたてている。但し、その腕から脚から鼻の穴に至るまで、身体中にチューブがまとわりついていたが。
その二人を、フレイとニコルが仲良く並んで眺めている。ニコルはその手をアスランに伸ばそうとしたが、彼とアスランたちの間は強化ガラスの壁で隔てられていた。
ニコルの細い指が動く。まるで、ガラスを引き裂いてそのガラスでアスランを刺そうとでもするように。その肩を、そっとフレイが押さえた。「失望するのは分かる。ミゲルやラスティとて、想いは同じだ」
「だけど、ここまで不甲斐ない人だったなんて。彼は最も理想的な種だと思っていたのに」
「セイバーとインパルスのデータは取れた、ザフトの新技術も既にこちらのものだ。可変機構に分離機構、そしてヴァリアブルフェイズシフトは最高だ。老中たちも文句はあるまい」
それでもニコルの横顔は冴えない。フレイはさらに言葉を継ぐ。「芽の出ぬ種を持っていた処で、土を腐らすだけだ。お前はよくやっているよ、サイの前では見事に自分を抑えた」
「ああでもしなきゃ、どうかしそうでしたから──もし、キラ・ヤマトが同じ状態だったら、貴方は今と同じくらい大人でいられますか?」
ニコルはアスランを見つめたまま動かない。ガラスに触れた彼の手が、拳になって固められる。
そんな少年の小さな頭を、フレイは無造作に片腕で抱き寄せる。姉が弟を強引に諭すように。
「私だったら、前歯の二、三本は折っていたよ」
「僕だって、脚があればそうしてました。だって、これじゃ僕たちの存在は何です?」フレイの腕に抱えられ、ニコルはそっと呟いた。
その静けさを打ち破るように、少女の甲高い声が響いてきた。「フレイー! お兄ちゃん返しちゃうってホント?」
元気に走りこんでくるマユ。後ろからはいつもの如くカイキがつき従っている。マユはガラス壁に駆け寄ったかと思うと、「お兄ちゃん」を興味津々で見つめ出した。「お兄ちゃん」は、今はその紅の瞳を見せることなく、静かに眠っている。夢中で「兄」を見つめるマユを、もう一人の兄──カイキは何の感情も見せずに眺めていた。
フレイは、そのカイキに現状を告げた。「南西20キロの海域で、ミネルバがこちらの回答を待っている──このままでは、迂闊にアマミキョも出られぬ。
SEEDが未完成である以上、奴らは返した方が得策だ」
「えぇ〜、つまんなーい」ニコルとは対照的に、マユは子供そのものに膨れてみせた。だがフレイはそんな彼女を無視し、カイキの肩を強く掴み、壁に一息に押しつけた。マユに聞こえぬよう、フレイはカイキの耳もとで囁く。カイキの、跳ねた草色の髪が、フレイの頬をつついた。「キラやアスランと違い、シン・アスカの種は未だ発育途上だ。その状態でマユの姿を見せればどうなるか、分からぬお前でもなかろう」
「俺だって、予想出来なかったさ」フレイの強い視線と吐息を避けるように、カイキは横を向いた。精悍ではあるが、どこかに少年っぽさの残された横顔。引き締められた唇から、言葉が漏れる。「まさか、あんな風に自分をさらすとは」
そんなカイキの襟を、フレイは破れんばかりに掴む。「チグサに会いたいならば、もう少し自分を律しろカイキ。計画に万一があれば、最も後悔するのは貴様だ」




★劇中歌出典:「まげてのばして」 作詞・Nancy G.Claster

 

 

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