「笑わせないでよ」キラを抱き起こそうとするサイを見下げつつ、フレイはなおも笑う。「かわいそう? この私が?」
細い指で鎖骨を指し示して自らを誇示し、フレイはサイに対してあくまで威厳を保とうとする。「キラを超えた私を、貴方は哀れむっていうの、サイ?」
だが、サイも意地で彼女を無視した。「医務室行こう、キラ。立てるか?」
キラの血がサイの頬に触れる。あの2年前でも、これほどまでにキラが傷ついたことはなかったかも知れない。ましてや、自分たちの前で血を見せることなど。
ごくごく自然に、サイはキラを支えて立ち上がる。フレイが殴れとけしかけた相手を、サイは迷うことなく支えた。キラの体温が、流れる血や湯と共にサイの身体に伝わる。血の臭いが鼻腔をつく。そうだ、コーディネイターだろうと何だろうと、キラはただの人間なんだ──そんな当たり前のことを、サイは改めて感じた。
そしてナオトを振り返り、サイは言う。「ナオト、帰るぞ。アマミキョへ」
「へ?」いきなりのサイの提案に、さすがのナオトも唖然とする。「でも、だって、マユは!」
「マユも一緒にだ。山神隊と一緒に帰ろう、ナオト。
ここにいたら、お前たちのような子供はおかしくなるだけだ」
「待ちなさいよっ」今度こそ、怒りをはっきりと露にしたフレイがサイに噛みついた。「アマクサ組がいなくなったら、アマミキョがどうなると思ってるの!」
それでもサイはキラを抱えたまま、堂々と宣言した。「君はここで、好きなだけキラをなぶっていればいいさ。でも、俺はやらない。絶対にやらない」
睨みあうサイとフレイ。両者の視線は宙で拮抗し合い、おさまってきた炎を再び爆発させんばかりの勢いでその感情はぶつかる。フレイの顔から、さきほどの皮肉な笑みはきれいさっぱり消し飛んでいた──そのあまりに強い視線に、サイは一旦眼を逸らす。叶わないと分かっている相手に正面からぶつかり続けるのは馬鹿のやることと、いい加減サイも心得ていた。その代わり、さらに冷酷な言葉を相手にぶつけてやる──血だらけのフレイの姿を横目に見て、サイは言った。「フレイ、君も医務室行ったほうがいいな。
その傷が、本物の傷ならね」
フレイの額の火傷に、肩から流れ続ける大量の血。おそらくこの傷を見た為に、キラはまともにフレイと話し合うことが出来なくなってしまったのだろう。フリーダムとアフロディーテが激突した際もそうだった、フレイの傷を見たせいで、キラは錯乱し全く攻撃が出来なくなってしまった。それを見越して、フレイは怪我を偽装した──
サイの心臓が怒りで煮えたぎる。何故そこまでしてキラを攻撃する、この女? 
さらに彼はマリューやカガリを見据え、感情をぶつけた。「貴方たちもアークエンジェルやフリーダムを使って、好きなだけ戦争ごっこをしていればいいでしょう。俺はやりませんけど」
この船のせいで、この船の行為のせいで、ナオトもマユもフレイもおかしくなった。しかもカガリもキラもマリューも、誰一人として自分たちの方向性に関する具体的なビジョンを持っていない。今までの意見を総合すると、ただ、オーブを乱す戦いを止めたい──それだけだ。
ラクスがいたのなら、また違っていたのかも知れないが──黙りこくるばかりのマリューを見て、サイの口調はさらに激しくなる。「全く、情けないったらありゃしないよ!」
その乱暴な言葉に、思わずカガリが反応した。「待て、サイ! 今のは聞き捨て……」
だがそのカガリの反論も、カイキに首元を押さえつけられ簡単に封じられてしまう。これほどたやすく、一国の代表が無様に屈するとは。サイは荒ぶる感情を抑え、そんなカガリを冷たく眺める。
「違います、姫。こんな女とこんなアークエンジェルに、心を乱されてのこのこついてきた自分が情けないんですよ、姫」
代表を姫、などと二度呼称した自分は、カガリの目にはユウナ・ロマ以上に汚らわしい存在に映っているに違いない。サイはそう自覚しながらも、キラを抱えてナオトの手を取った。スプリンクラーと炎の弾ける音を聞きながら、サイは女たちに背を向けて立ち去ろうとする。
本当は叫び出したかった。喚いて泣いて、フレイの斧を奪ってアークエンジェル中を滅茶苦茶に荒らし回りたかった。俺たちが、アマミキョが、オーブ軍が、山神隊が、戦場から死体を掘り起こして埋葬し、潰れかけのビルから子供を救助し、焼き尽くされた街に学校を作ろうとしている時に、この船は一体何をしてくれているんだ!! 
サイが何とか感情を爆発させずにいられたのは、キラの精一杯の懺悔と、ナオトやマユの存在があったからだ。今ここで自分が暴れたら、ナオトらのような子供はどうなる? 暴発する心をどうにか制御し、サイはフレイから立ち去ろうとする。
だが状況は決して、サイを解放しようとはしなかった。
「こっち見なさいよ!」罵声と共に、サイの背中が蹴り飛ばされる。鋼鉄のブーツだ──肺が潰れるかという衝撃と共に、サイの身体はキラやナオトと一緒に吹っ飛ぶ。炎で熱せられた床にまともに顎をぶつけるサイ。ナオトとカガリの悲鳴が交錯し、視界がぐるりと回った。倒れ伏すとほぼ同時に襟ぐりを破れんばかりに掴まれ、サイの顔は強引に突き上げられる。
右手でサイを捕まえ、左手で大きく斧を振りかぶるフレイが、そこにいた。視界の隅ではキラが這いずり、手を伸ばして彼女を止めようともがいている。それにも構わず、フレイの叫びが艦内に轟いた。
「ふざけないでよ。私に何もしてくれなかった癖に!」
その時、サイは目撃した──フレイの涙を。
自分に向かって斧を叩きつけようとしているフレイ。その怒りに燃える瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちていたのだ。
サイに馬乗りになったフレイ。彼の頬にフレイの涙が次々と零れ落ちる。その溢れ出る感情は斧の切っ先よりも容赦なく、サイの心を叩きのめす。
「私とキラが何をしていたか気づいていた癖に、何もしなかった。
私もキラもどんどん壊れていったのに、何もしなかった。
パパを亡くした私の目の前で、家族を見せびらかした!
キラもトールもいなくなって私が一番つらかった時に、いきなり突き放した、抱きしめてもくれなかった!」
ああ──フレイの記憶は、ここまで戻ってきたのか。それとも、思い出さなくてもいいところだけ戻ってしまったと言うべきか。感動すべきか慟哭すべきか、サイには分からない。
ずっと、本当のフレイに戻って欲しいと願っていた。しかしそれが最悪の形で今、キラとサイの前に現実として吐き出されている。斧を宙で静止させたまま、狂った少女はサイを罵倒し続ける。
今フレイの指摘したサイの行為は、殆どが良かれと判断してやったことだった。だが、俺の判断はいつもどこかで状況を狂わせていたのかも知れない。アマミキョで自ら窮地に陥った時もそうだったように。
2年前、フレイとキラにとって良かれと願ってサイが取った行動の殆どは、ここまで彼女を傷つけ、狂わせていた。その事実はサイを強く打ちのめし、たった今とった行動すら深く後悔させる。
あの時と同じように、俺はフレイを傷つけてしまった──俺がフレイを突き放した直後、フレイが何をしたか俺は忘れたのか? 危うくディアッカを撃つところだったじゃないか、フレイは。
そんなサイに、フレイはさらに言葉をぶつけた。
「私が死んだ時だって、泣きじゃくってもくれなかった癖に! 今更サイなんかに私を取り戻す権利、あるわけないのよ!」
「やめなさい、フレイさん! サイ君は何もしなかったんじゃない、出来なかっただけよ」
善意から出たであろうマリューの叫びが、さらにサイを打ちのめす。
そう、俺はあの時──君が死んだと聞いた時、何も出来なかった。泣くことすらも。
俺が無理矢理にでも、キラから君を取り戻していれば。
ストライクとは言わないまでも、アストレイやスカイグラスパーに乗っていれば。
君を突き放さず、連合から無理にでも奪ってアークエンジェルから逃げていれば。
──何度繰り返したか知れない「もしも」が、サイの脳裏を駆けめぐる。
「そうよサイ、貴方は何も出来なかった。自分が一番分かっているんでしょう、この無能!
サイだけじゃないわ。ここにいる誰も、私には何もしてくれなかった。私には誰も、誰も、誰も!!」
炎の中で紅の髪を振り乱し、フレイは斧を持ったまま叫び続ける。そんな彼女に向かって、サイは呟くことしか出来なかった。「やめろよ。その言葉は、俺以上にキラが傷つく」
横でずっと痛みに耐え、顔を伏せているキラをサイは眺める。自分は無力であるが為にフレイを助けられなかったが、キラは違う。力があるにも関わらず、フレイを救えなかった──その慟哭は、今でもキラの心を蝕み続けているに違いない。
「いつまでキラを庇い続ける気なの、アンタは? 今更そんな偽善!」
「じゃあ君は、俺に何をして欲しかったんだ? 君の目の前で家族との再会を喜ぶような大馬鹿な俺に、一体何をして欲しかった? 俺が無理矢理、フリーダムとプロヴィデンスの戦闘に割って入ったりしたら、どうなるかぐらい分からない君じゃないだろう」
フレイの斧の切っ先を正面に見ながら、サイはさらに声を落とした。「尤も、あの時そうしていればと──何度も思ってるけどね。今も」
サイを掴んでいるフレイの手から、僅かに力が抜ける。その群青の瞳の中で、不死鳥のような光が蠢いたと感じたのは、サイの錯覚か。
「俺は、死ねば良かったんだ。あの時、君と一緒に」
その言葉を聞いた瞬間、フレイの顔色がさっと変わった。
一瞬にしてその狂気が消失し、涙は頬を汚すただの分泌物でしかなくなる。偽の傷から血塊が少しばかり剥がれ、サイの顔にぱらぱらと落ちた。彼は直感した──「フレイ」の感情が消え、「彼女」が戻ったと。
斧を軽く放り出し、片手でサイを引きずり起こしたと思うと、フレイは彼の頬を平手で叩いた。実に軽快な音が、炎の燻る音と響きあう。
思いもかけないフレイの行動。サイが顔を上げた時既に、壊れた少女の姿はなかった。ただ、ここに来る前と同じような、「アマミキョの女王」フレイが、傲然たる態度で腕を組みサイを見下していて
──その唇から漏れたものは、静かな罵倒。
「愚か者が。誰が貴様に、死を望んだ」
このフレイの変容に、まるで彼女の額に第三の目でも開いたかの如く周囲が騒ぎ出す。カイキが不敵に笑い、カガリは声を失い、マリューはその威容に思わずたじろぐ。
そういえば皆は知らなかった、このフレイを。今更のようにサイは思い出し、キラを振り返る。キラは息を潜め、何も言わずに「この」フレイを見つめていた。声を上げて驚くかと思ったが、キラは冷静だった──その大きな両の眼球に、しっかりとこのフレイを焼き付けようとしている。
だが、誰も入り込めないと思われたこの状況にいきなり突入を敢行したのは、意外な人物だった。
「お取り込み中申し訳ありませんが、緊急連絡です艦長!」
おずおずとしながらも無理矢理に精一杯声を張り上げたのは、ブリッジにいたはずのダリダ・ローラハ・チャンドラ二世。
煮えきった状況をどうにか出来るのは、殆ど何の関係もない第三者なのかも知れない──だが、サイがそう思ったのもつかの間で、チャンドラはさらに厳しい現実を全員に突きつけた。
「ディオキア近海で、ミリアリア・ハウ嬢がザフト軍に拘束されました。報道で映像が流れています!」


<爆発音感知から15分経過──現時刻において、目標に変化なし>
ディープフォビドゥン内部でアークエンジェルを監視していた山神隊・風間は、深海の闇にその機体を隠して冷静に状況を観察していた。彼女の機体にワイヤーで繋がれたままのスカイグラスパーでは、ラスティが水漏れ中のコクピットの補修を続けている。
「そろそろラストフェイズ開始か。ニコルたち、うまくやってるかな」闇に沈んだコクピットの中で、ラスティはふと呟いた。
<ラスティ君、何か?>耳ざとい風間の声が、コクピットに響く。ラスティは笑いつつ、大仰に肩を竦めてみせる。
「いやぁ、水漏れと男臭さが酷いっすよ」何しろ今スカイグラスパーのコクピットには、キラによって撃墜された他の乗員が4名ほどギチギチに詰まっているのだ。「ホント風間さん、替わってもらえません?」
<こっちでもモニターしてるけど、まだそちらの酸素は7時間分残存しているはずよ。我慢しなさい>
「へいへい、連合のお姉さまはお利口なこって。コーディネイターだからって何でも出来るわけじゃないんすけどね」
<皮肉を言ってる場合?>
そうだった、とラスティは自分の頭を軽く小突いた。ナチュラルとコーディネイターの差を乗り越えた処に存在するのが、自分たちアマクサ組だったはずだ。いや、ナチュラルとコーディネイターの枠に留まらず、全ての人間に厳然と存在する枠組みを乗り越える計画の為に組織されたのがアマクサ組だったはずだ──
なのに、そのアマクサ組の自分がつい偏見を漏らしてしまうとは。


サイは久しぶりに、アークエンジェルのブリッジにやってきた。だが状況は、懐かしさを覚える暇もなく容赦なく進行していく。
ブリッジのモニターはひっきりなしに、囚われたミリアリアの報道を映し出している。オーブ出身の記者ミリアリア・ハウ、ザフト領内で拘束す──
「黒海沿岸地方全域に、この報道が流れているようです。彼女は現在、ディオキア基地に拘束されている模様」操舵士ノイマンが冷静に告げる。
チャンネルを切り替えると、拘束直後のミリアリアの姿までが鮮明な映像として捉えられていた。明らかに、右頬が腫れている。
サイはすぐに映像の真意を悟った。一介のかけ出しの記者が軍に拘束されるなど、今のご時世日常茶飯事であり、これほどの大々的な報道にはなり得ないはずだ。
マリューもサイと全く同じ考えに至ったらしく、呟く。「次に来るのは、アークエンジェルに助けを求めるよう脅されている彼女の画……ってとこか」
カガリも事の重大さに、ただ消沈したまま俯いていた。「旧インジェ岬北端、ザフト暫定基地──拘束場所まで明確にされているとはな。これ以上分かりやすい罠はない」
だが、そんな一同の中でただ一人、状況の意味を掴めていない者がいた。
「どういうことです? ミリアリアさんを助けに行かないんですか、アークエンジェルは?」
無理矢理サイにくっついてきたナオト・シライシである。彼は憧れのアークエンジェルのブリッジに入れたことに感激しつつも、ミリアリアの置かれた状況に単純に怒りを露にしていた。何しろナオトにとってミリアリアは、自分をサイのもとへ、アマミキョのもとへ、真実のもとへ連れ戻してくれた恩人なのだ。
そんなナオトの心を理解しながらも、サイは彼の状況の読めなさに思わずこめかみを押さえる。
「あ。馬鹿にしてます? サイさん」
「ナオト、これはザフトの罠だ。アークエンジェルをおびき出す為に、ミリアリアを捕らえて報道という形でアークエンジェルに伝えている。
この映像はアークエンジェルへの、ザフトからの脅迫状なんだよ」
しかしそこで引き下がるナオトではない。「だったら、受ければいいじゃないですか! サイさんはミリアリアさんを助けたくないんですか、ずっと友達だったんでしょ?」
助けたくないわけないだろう。サイが怒鳴りそうになったその時、ブリッジに落ち着いた声が響いた。「ナオト君の言う通りだ。ミリィを助けなきゃ」
いつの間にか医務室から出て、オーブの軍服を着込んだキラだった。カガリが思わず叫ぶ。「バカ、寝てろ! 怪我してるんだぞ」
サイもまた、絆創膏を頬中に貼った状態のキラに言わずにはいられない。「キラ、気持ちは俺だって分かる。だが、今のこの船にそれは無理だ、フリーダムだって万全とは言えないだろう」
「それに」マリューも冷静に分析する。「今度は向こうも、恐らく防衛線を敷いている。フリーダムやアークエンジェルの対策もしてあるでしょうし」
「いつも奇襲だったのが、今度は先手を取られたわけですね」チャンドラが唇を噛み、皮肉っぽく呟いた。
「そんなの関係ないでしょ!」一同の不甲斐なさに、ナオトが怒鳴る。「アークエンジェルはオーブの誇る無敵の英雄なんですよっ」
「ナオト。悪いが、君が思っているほど私たちは万能ではない。ラクスがいれば、話はまた別なのだが」カガリは、誰とも視線を合わせぬまま呟くだけだ。
「それに、彼女を人質に取られている以上、迂闊に攻撃も出来ない」追い打ちをかけるようにノイマンが言った。
「だからって、みすみすミリアリアさんを見殺しにしようって言うんですか!?」両の拳を固めてナオトは吠える。万一今ミリアリアを放置すれば、彼は間違いなくアンチ・アークエンジェルの先鋒となろうという勢いだ。マリューやクルーたちの、ねぎらいとも哀れみとも取れる視線がサイに注がれた。
だが、キラは傷だらけの顔でナオトに微笑む。「僕たちに、仲間を見殺しにするなんて選択肢はないよ。安心して」その微笑は、ナオトの顔を紅潮させた。憧れのキラに、優しく力強く諭された──それだけで、ナオトの憤激はようやく静まった。
「だが、現実問題としてどうする? 今入ってきた情報だ──」サイは慣れた手つきで、かつて散々いじったコンソールを片手で操ると通信を解析した。「48時間以内に彼女は簡易裁判にかけられる。容疑は、テロリストへの情報漏えいだ」
「私たちが、テロリストだと!」弾かれたようにカガリは立ち上がった。仮にも一国の代表が、テロリスト呼ばわり。この情けない事態に、カガリは怒りに震えずにはいられない。
サイが皮肉をこらえつつ情報のさらなる解析を試みかけたその時、不意に声が響いた。
「当然だな、カガリ姫。オーブの理念を守るというお題目があるにせよ、客観的に見れば貴方がたのやっていることはテロだ」
いつの間にかブリッジ出入口に立っていたのは、かのフレイ・アルスター。後ろにカイキを堂々従えた彼女に、つい先ほどの狂乱は微塵も感じられない。
ブリッジ中を一瞥するとフレイはそのまま、ずいとモニター前に歩み寄る。大写しになっているミリアリアの映像に、フレイの影が被った。「見事なまでの八方塞がりだ。迂闊に救助には行けぬし、だからといって彼女を無視すれば、アークエンジェルの行動原理に大きく傷がつく。今ナオト・シライシが激怒したように、世論は反アークエンジェルへ大きく傾く。協力者は激減する──
このような見え見えの罠に対してすら何も出来ぬとは、アークエンジェルの威光も地に落ちたものだな」
悠然と状況を見据え、一瞬で周囲を掌握する「強化」フレイ。サイが密かに「姫フレイ」とも呼ぶそのフレイは、その威厳のみでクルー全員を黙らせていた。
本当にこれは、強化されただけで身につく類のものだろうか。身体全体から漂う、人間の気品というものは──サイは疑問に思いながらも、ただ彼女の行動を見ていることしか出来なかった。
そして、フレイはカガリに向かい、その細い手を差し伸べる。「ただ、手がないことはない。姫のご意向ひとつですが」


約3時間後、夜明け前の深海。
サイは相変わらずブリッジで、とめどなく溢れ続ける情報を整理していた。
久々に座るアークエンジェルのオペレータ席。そのコンソールはアマミキョより数段使い心地は良かったが、同時に思い出されてくるのが2年前の恐怖だ。
あの時自分たちは、何度ブリッジを狙われ、死にかけたことだろう。カズイは間に合わないと分かっていながら、逃げ出しかけたことすらあった。あの時に比べ、何という高みの見物をしているのだ、この船は。今度はオーブと連合、そしてザフト、互いに総力を結集させた戦いに介入しようとしている──
こんな忌々しい船の存在があるのなら、先手をうってしまおうというザフトの目論見はサイにも分かる。連合がサイとフレイを使ってアークエンジェルとの交渉役にしたように、ザフトはちょうどディオキアにいたミリアリアを利用したのだ。
操舵席には依然として、アーノルド・ノイマンが控えている。自動操縦に切り替わっていたが、ずっとここを守っているのは彼の性分だろうか。今ブリッジにはサイとノイマンの二人だけで、マリューたちはブリーフィング中、キラやナオト、マユはカタパルトデッキでティーダの右腕修復中だった。ティーダの右腕部武装・トリケロスは運良く戦闘中にアークエンジェルに拾われ、今その接合作業を行なっている。
と、ノイマンが突然沈黙を破った。「似てるな、バジルール大佐に」
勿論、あのフレイ・アルスターの件だ。ノイマンは操舵輪の調子を見つつ、静かに語った。「貫禄、威厳、気品、どれをとってもフレイ嬢のものではない。例の条件をあっさり代表に呑ませた処など、自分は大佐が降りてきたかと思ったよ」
「降りてきた?」サイはコーヒーを注ぎ、ノイマンに渡す。そこで初めてノイマンはサイを振り返った。何事にも動じない落ち着いた風情は、2年前と全く変わっていない。
「君たちの世代はもう、そういう言い方をしないかな。
亡くなったはずの人間の魂が、別の人間に宿って再び現世へ蘇る──それが、『降りる』ということだ。
尤もよく考えれば、大佐はあのような駆け引きは嫌いなかただったがね」
駆け引きと聞いて、サイは3時間前を思い出してしまう。強引、傲慢を象徴するかのようなフレイのやり方を──


フレイがカガリに差し伸べた手──ミリアリア救出作戦の概要は以下のようなものだ。
現在、アマミキョは丁度旧インジェ岬北端・ディオキアザフト暫定基地周辺に停泊している。アークエンジェルから直接フリーダムやルージュが出撃するのは危険すぎる為、アマミキョからアマクサ組が潜入工作を行ない、密かにミリアリアを救出する──
そして救出後のザフトの反撃に備えて、ティーダ・アフロディーテ・カラミティ・山神隊はアークエンジェルから出動し、そのままアマミキョへ帰還。その間にアークエンジェルはまんまと逃げおおせるというわけだ。
当然、この作戦はアマミキョ及び山神隊へのリスクが大きい。そこで、フレイは次のような条件をアークエンジェルに突きつけた。
まずは、作戦の要となるティーダ・アフロディーテ・カラミティ、そして山神隊の機体の補修。次に、アマクサ組と山神隊による、アークエンジェル内部の捜査。
さらに絶対条件としてフレイが提示したのが、アマミキョ及び山神隊による、アークエンジェルの常時監視。ついでに、今後のアマミキョの人命救助活動には積極的にアークエンジェルが協力するよう努める──
「最後の条件だけは努力義務です、姫。こちらとしても精一杯譲歩させて頂きました」
などと、フレイは堂々とカガリに言ってのけたのだ。
あまりのことに唖然とするカガリに、フレイは畳みかけた。「オーブの民草、大事な仲間を救出する為なら、造作もないことでしょう。アークエンジェルの引渡しを迫らなかっただけありがたいと思って頂きたい。連合軍が我々についてきた本来の目的は、貴方がたの逮捕なのですから。
それとも、監視されて困ることでもおありか? 姫」
絶句するカガリは、肩を震わせることしか出来ない。フレイはそっとカガリの耳元に顔を近づけ、囁いた。紅の髪と金髪が、触れ合う。「今後のダーダネルスでの戦闘介入にも支障が出る、か? 姫」
カガリが驚いて頭を上げると、目の前でフレイの濡れた唇が笑っていた。「姫。貴方はご尊父の意思を継ぎ、オーブを再び戦火に落とすまいと努力して来られた。世界広しといえども、ハーフコーディネイターが堂々と胸を張り、アイドルもどきにまでなれる国はオーブぐらいのものだ」
ちらりとフレイはナオトを横目でみやり、ナオトは思わずそれに反駁してしまった。「僕はアイドルじゃありませんっ、レポーターです!」
だが当然のようにフレイはナオトを無視し、カガリを責め続ける。「なのに何故今、その努力を放棄し、剣を持つ?」
口ごもるカガリの代わりに、キラが答えた。「じゃあ、カガリはどうすれば良かったというの? 努力しても、どうにもならなかったのに」
先ほどの慟哭が嘘のように、キラは堂々とフレイに対峙している──が、サイはその答えに思わず舌打ちした。「この」フレイが一番嫌うタイプの答え方だ。
予想通り、彼女は冷たくキラを拒絶した。「質問に質問で回答するような無礼に答える義理はない。その甘い選択の結果として、ミリアリア・ハウが危機に瀕しているではないか!
これは姫だけではなく、ここの全員に言えることだが」フレイはブリッジクルー全員を眺めわたし、コンソールを指でコツコツ叩いた。「相手に分かってもらえないというのならば、分かってもらうまで話し合う努力をしなければな」
カガリがここで初めて息巻いた。「だが、最初に剣を使ったのはザフトだ!」
「だから自分も剣を振りかざし、民を巻き込むというのか? ミリアリア・ハウに降りかかった災いは、今後オーブの民全員に降りかかりかねん災いだ、姫」
いつのまにかフレイは敬語を使わずカガリと話していた。カガリは頭を振りながら、その言葉を必死でかき消そうとする。「私に選択肢はなかった! オーブに私が留まっても、どうにもならなかったんだ!」
嘘だ、とその時のサイは思ったものだ。カガリやアスハ派には内外の協力者が多数存在し、それ故アークエンジェルもたっぷり補給をしつつ行動出来る。カガリは官邸でセイラン派に囲まれ、キサカもアスランも離れてしまい孤立していたと言いたいのだろうが、それは彼女の思い込みに過ぎない。その気になれば、スカンジナビアでもインドでも、もしくはセイラン家以外の派閥でもモルゲンレーテなどの大企業でも、幾らでも協力を求め、ザフトとの和平を講じる道はあった。そもそもセイラン家とて、決してオーブの平和を乱したいわけではない。話せぬ相手ではなかったはずだ。──尤も、二十歳にも満たぬ少女であるカガリにそれほどの交渉力を求めるのは、非常に酷なことではあったが。
暫くの間の後、フレイは失望した、という素振りでカガリから目を離した。「二年前のパナマ・ザフト軍降下の際、降伏を申し出たナチュラルの兵士にザフトが何をしたか、姫はご存知か?
『ナチュラルの捕虜なんかいるか』──と、重突撃機銃で狙撃したそうだ。生身の人間を」
カガリ、キラ、そしてサイまで含めてクルー全員に戦慄が走る。凄惨な光景が繰り広げられていたとは聞いたが、まさか──未だに自分が戦争の現実を把握していなかったことに、サイは歯噛みした。「その兵士たちの中には、少年兵や民間の看護師もいたと聞く。私が何を言いたいか、お分かりか?」
ここまで言われれば、どんな馬鹿でも分かる。今、ミリアリアがどのような仕打ちを受けているか、だ。
カガリは状況の重さに耐え切れず、遂に立ち上がった。フレイと対峙する為ではなく、自室へ逃げ込む為に。止めるキラやマリューを振り切って、カガリはブリッジから逃げ出そうとした。
だがブリッジのエアロックが開いた瞬間、カガリの足は止まってしまう。そこに立ち塞がっていたのは、小さな少女・マユ。
瞬時にサイは気づいた。浴場の事故の直前、マユが自分を浴場から誘い出したのもフレイの策略だったことを。邪魔な自分をキラから引き離しておいて、キラを自らの手で思う存分叩きのめした──同じように、マユを使って代表を叩き潰す気か。
蒼白になって息を弾ませるカガリを、マユは笑って見上げる。フレイが鬼なら、マユは鬼の子だった。可愛らしい大きな黒い眼球がくるりと動き、その小さな唇は心を抉る言葉を吐く。
「また、逃げ出すの? 私のパパやママを殺した時と同じように、オーブを見捨てて。
貴方への憎しみを燃やしてプラントへ上がったお兄ちゃんの気持ち、また踏みにじるの?」


マユの一言が、決定打だった。
カガリ・ユラ・アスハは、提示された条件全てを丸呑みせざるを得なくなった。直後に、潜航していた山神隊とラスティがカタパルトに堂々と迎えられ、やや淋しかったカタパルトは瞬時に大混雑となった。
作戦の為、ナオト、マユ、ラスティ、カイキはずっとそれぞれの機体にこもりきりだ。尤もナオトは取材をしたいとせがんでいたが、さすがにカガリもマリューもそこまで許すわけにはいかなかった。その時にはもう、山神隊による捜査が始められていたのだ。
非常に強引な手法ではあったが、サイはフレイのやり方に何処か納得していた。アークエンジェルにはちょうどいい薬だ、とすら感じていた。
アークエンジェルにティーダとナオト、マユを任せられれば……という当初の考えも、今のサイの頭からはなくなっていた。この船にいては、ナオトたちは恐らく今まで以上の危険に晒されることになる。そもそも、キラでさえティーダのパイロット登録を解除出来ず、フレイがティーダを渡さぬと主張している限り、ティーダがアークエンジェルのものになる心配はないが。
ブリッジでノイマンと二人きりになっていたサイは、ふと彼の背中を眺める。寡黙で、実直を絵に描いたようなこの操舵士は、何故再びこの船に乗ったのだろう?
「ノイマン少尉。自分はフレイの件も疑問ですが、それ以上に分からないのが代表やアークエンジェルの行動です。キラや代表、艦長とも話はしましたが、まだ納得出来ません。
貴方は腕もあり、頭も良いかたです。自分は何度も貴方の腕に救われました。貴方がいなければ、アークエンジェルもおそらくここまでは来られなかったはずです」
ちょうど調整を終えたノイマンは、ゆっくりとコーヒーを啜った。「逆に言うなら、自分がいなければこの船は動かず、オーブが混乱に巻き込まれることもなかった。何故この船に乗ろうとしたのか?──ということかい」
「無礼を承知で、お聞きしています」
コーヒーを口にしつつ、ノイマンはぽつぽつ語り始めた。「あの人が、命を賭して守った船だからだよ。バジルール大佐がね」
サイはその言葉の意味がよく掴めない。彼女はドミニオンで、アークエンジェルにローエングリンを向けたのではなかったか? 「少尉、フラガ大佐はドミニオンの攻撃で──」
サイの疑問を受け、ノイマンは答える。「状況だけ見れば確かにそうだ。だが、君は感じなかったか? あの時のバジルール大佐の声を。
君たちはおそらく状況に対応するのに必死だったろう。だが、自分は聴いたんだ──ラミアス艦長に『撃て』と命ずる、彼女の声をね。
そしておそらく艦長も同じ声を聴いた、だから君たちに命じた。『撃て』と」
サイは勿論、何も聴こえてはいない。ノイマンの指摘通り、自分は命令に従うだけで手一杯だった。
「ドミニオンで何が起こっていたのかは勿論分からない。だが、アークエンジェルを撃つのは絶対に大佐の本意ではない。自分を撃たせたとしても守り抜く──その意思が、自分には感じられたんだよ。
だから自分は、今も乗っている。あの人が守った船を、こんな処で沈めるわけにはいかない」
人の意思が、宙域を駆け抜けたというのか。サイは俄かには信じられず、ノイマンをまじまじと見てしまっていた。が、ノイマンの目は全くの正常だ。サイを見ながら、悪戯っぽく笑ってすらいる。
「すまないね、オカルトめいた話ばかりして。こんな話は誰にもしてない。だがフレイ嬢を連れてきた君なら、分かるかと思ってね。
一応言っておくが、チャンドラもマードック整備士も、理由はまた違う。オーブで一生偽名を使って隠匿生活なんて、働き盛りにはそうそう我慢出来るものじゃないからな」
サイは、ノイマンの言葉を殆ど理解出来ないことが、申し訳なかった。魂が宇宙を駆け、再び蘇る──フレイがそうだと示唆しているのだろうか、この操舵士は。
──気をつけろ、幽霊船だ。
ディアッカの残した血文字が、サイの脳裏を掠める。同時に思い出されるのが、フラガを思わせるネオ・ロアノークの仮面、ニコルやラスティを見た時のアスランの動揺、マユを見た時のザフトパイロットの思わぬ行動──そして、フレイ・アルスター。
死んだとされる者が、生きている。この事実が、いよいよ冷たい波濤となってサイに押し寄せる。それを振り払うように、サイは別の話題をふった。これも決して明るい話題ではなかったが。
「トノムラ軍曹は、やはり連合に戻られたんですか。ご家族が心配だということでしたが」
ノイマンの口もとから、柔らかさが消えた。いつもの硬い表情に戻り、呟く。「自分もよくは知らない。だが、知らない方がいいこともある。
……夜明けまでは?」
「あと1時間です」サイはカタパルトの様子も確認しつつ答える。ティーダやアフロディーテ、カラミティの補修も、どうやら間に合いそうだ。
サイが心配だったのがIWSPとカラミティの各砲門の損傷、そして何より、達磨同然の状態となったティーダだったが、これも驚いたことに何とかなってしまいそうだ。どれもワンオフで、簡単に替えがきくものではないはずなのに──しかもティーダには、コクピットブロック周辺にラミネート装甲まで施されようとしている。アークエンジェルで使用している装甲を若干拝借し、そのままティーダにくっつけてしまえという、やや乱暴にも思えるフレイの提案だった。
ノイマンは言う。「ターミナルの海底基地が付近にあって、助かったよ。ティーダも心配ない、戦闘システムの開発データはモルゲンレーテのものだし」
海底基地といえばサイが思い出すのが、オギヤカだ。同じような力を、アスハ家も持っていたとは──「予想以上に凄まじかったんですね、アスハ家の威光は」
だが、ノイマンは感情を交えずそれを否定するだけだった。「アスハ家じゃない。ラクス・クラインの力だよ」


何故、こんなことになってしまったんだろう──
夜明けどころか外の景色など一切見られぬ、簡易便所のような小部屋の中で、ミリアリア・ハウはただ、痛みをこらえ身体を横たえていた。天井にはお情け程度の通風口があるが、そこから流れる空気はたっぷりと湿気とカビの匂いを含んでいる。魚の腐ったような悪臭は、血だろうか。
ここはディオキア暫定基地内の留置場だ。他にもザフトに対して反逆したとされる者たちが多数捕らえられ、毎分ごとに凄惨なる絶叫がどこかしらから聞こえてくる。女性の悲鳴の方が多かった。
彼女たちが何をされているか、ミリアリアには既に分かっている。戦場をくぐりぬけてきた兵士たちが、捕らえた女性たちに何をするかはどの地域でもどの時代でも同じだ。
剣ではなく、ペンと写真を使って、戦いのない世界を作っていけたら。いや、世界なんて大それたことは言わない。自分のように、大事な存在を無慈悲に失うような人間を、一人でもなくしていきたい──そう誓って、旅立ったはずだった。
しかし待っていたものは、ただ何も出来ない冷たい現実。
チュウザンに行っても、サイと会うことも出来なかった。フレイの真実を見極めることも出来ずに、自分は強制的にオーブへ戻された。
あいつは──ディアッカは、プラントに戻って再びザフトの一員としてプラントを守っている。彼に比べて、自分はなんと無力だろう。ラクス・クラインの偽者のライブを、鉄柵ごしに撮影する程度が関の山とは。しかも、偽者と分かっていても証明することさえ出来ない。
それどころか今、自分はザフトに拘束され、あろうことかアークエンジェルをおびき出すエサとして使われている。
無力な上、力ある者の足を引っ張る──そんな自分が情けない。痣の出来た首筋のあたりを、涙が落ちていく。
アークエンジェルはきっと、自分の救出に動いてしまうだろう。自分がどれほどのニュースになっているかは、ミリアリア自身ザフト兵から聞かされている。
オーブの理念を守り通そうと立ち上がったアークエンジェルが、志を同じくする仲間を見捨てたとあっては、世論を味方につけるのは非常に難しくなる。そこまで予測して、ザフトは私を捕らえた──気づかずにうろうろしていた自分は、何と愚かだったろう。アスラン・ザラとの接触に成功したというだけで、舞い上がっていたなんて。
鉄の床の冷たさが、彼女の身体を震わせる。殴られた脚と胸はまだ痛み、内出血を起こしていた。
ここからでは、今が朝か夜かも分からない。カメラは勿論、時計も奪われている。捕らえられてからおよそ24時間。ろくに眠れず、食事も取れていない。左足の小指の痛みは、未だに全身を駆け巡る。靴を脱がされ、無防備になった裸足を軍靴で踏まれた時の痛みだ。
「力が、欲しい」ミリアリアは呟く。呻きと共に。


深海奥に隠された、クライン派の基地・ターミナル──そこから半ば強引に搬入された機材を使い、アークエンジェルは急ピッチでモビルスーツの補修を進めていた。マリュー、マードックが忙しくたち働き、キラはティーダのOSをチェックしている。その英雄の姿をナオトは嬉しそうに眺めていたが、その後ろではフレイたちアマクサ組がそれぞれの機体にとりついていた。
そして、山神隊のスカイグラスパーとディープフォビドゥンも、豊富なバッテリーを詰め込んでいる真っ最中だ。作業用タラップで移動しつつ武装の詳細を指示しながら、時澤は不満げに風間を振り向く。
「いいのかな、監視なんて生ぬるい措置で。彼らはお尋ね者だよ」
風間は注意深くディープフォビドゥンのセンサーをチェックしながら、素っ気なく答えた。「こちら側に正規の連合軍はたった二人。こんな処でハイ、貴方がたを逮捕します!なんて言い出してみなさい、蜂の巣にされてもおかしくないわ」
「アルスター嬢が動かない以上、自分らは何も出来ないってことか」
当のフレイはアフロディーテに乗り込み、ラスティと脚部関節の装着作業を見張っていた。アフロディーテは首が破損し、両脚部が飛ばされてはいたものの、元々が量産機ダガーLだったこともありパーツそのものはすぐに確保出来たようだ。新たなパーツを装着し元のシステムと100%連動出来るかはまた別問題だったが、そのへんはフレイがうまくやるだろう。そう山神隊に確信させるほどの力強さが、今のフレイにはあった。
「それに、彼女の出した条件で今後、この船の動きをトレースしやすくなったのは確かだわ。拘束したも同然の状態よ」
「確かに、アマクサ組の捜査は徹底していたよ。ゴミ箱や洗面所はともかく、トイレの配管まで手を入れるとはね。何を漁っていたのやら」
「甘いわね、軍曹は。漁ってるんじゃない……取り付けてるのよ」
言うと風間はポケットから、オペレーター用のインカムを取り出した。「これは仕込み式ね。ここに仕掛けるなんて大胆すぎる気もするけど」
「まさか……それ、盗聴器!?」仰天する時澤に、風間はウィンクしてみせる。「ティーダの能力を使えば、Nジャマーで隔絶された遠距離でも、この船を捕捉できる」
「だから、アマクサ組はあれほど余裕でいたわけか。すぐ拘束に向かわなかったと聞いた時は、自分らは打ち首かと思ったけど」
「ただ、それでもアークエンジェルはやるでしょうね。ダーダネルスでの介入を」


ザフト兵のくぐもった声と、重い扉に手をかける音が響く。どうやら自分は、別の場所に移送されるらしい。マスコミ対策の映像を撮られるようだ──情報のネタを得るはずの自分が、ネタにされてしまうとは。ミリアリアは唇をかみ締めたが、どうすることも出来ない。
「んだよ、まだ何もしてねぇだと? お前ららしくもねぇな」
「しかし、これは上官の命令です。人質に傷をつければ、どのような報復がなされるか及びもつかぬと」
傷なら十分についていると叫びたかったが、ミリアリアはひたすら息を潜め、男たちの会話に耳をすませる。
「バカヤロ、人質にしたってだけで十分報復理由にはなるさ。その為にグフまで呼び寄せたんだろ? ともかく1時間後に移送だ、お前らが食わないなら俺が食うぜ?」
通常の食事を意味する言葉でないことは、ミリアリアはすぐに分かった。ロックの開閉音と共に、乱暴にドアが開く。そこに傲然と立ちはだかっていたのは、黒いサングラスをかけた、緑服の金髪の男。若干軍服を着崩し、両手をポケットに突っ込んでいる。
およそ軍人らしからぬいでたちに、ミリアリアは一瞬恐怖を忘れて目を見開いてしまった。男はニッと笑う──剥かれた鋭い犬歯が、輝いた。「なーんだ。ナチュラルにしちゃ、結構可愛い顔してんじゃん」
男は無造作にミリアリアの襟ぐりを掴む。彼女の身体は軽々と引っ張り上げられ、息が詰まった。恐ろしい力だった。怒鳴り声──「俺の獲物だ、お前らその気ねぇなら向こう行ってろ!」
背後の軍人たちの眼が、光っている。「見張りは二名以上でとの規則であります」
「ドアホ、したいならしたいと素直に言いやがれ。命令とスカートってのは、破る為にあるんだよっ」
ミリアリアにはもうはっきりと分かった、自分が何をされるかを。昼夜問わず聞かされたあの悲鳴を、今度は自分が上げる番になることを。男は舌なめずりをしつつ、彼女の襟をさらに引っ張る。汗にまみれたシャツが若干破れた。「おっと残念。Bの65ってとこか?」
あくまで軽妙な口調。この調子で、他の娘たちやナチュラルを傷つけ続けたのか、ザフトは!
ミリアリアの心は怒りと恐怖で燃え上がったが、女の力ではどうにもならない。男はいきなり彼女を床へ押し倒し、胸をわし掴む。手錠のかかった両手首を押さえられ、その拍子に服が胸元から一気に裂けた。
彼女に馬乗りになったグラサンの背後から、軍人二人の影がぬぅと近づく。止めようとするのではなく、参加しようとしているのだ。ミリアリアの、剥き出しになった白い肩と緩んだブラジャーの紐を見て。
ザフト兵の前では押さえに押さえていた涙が、恐怖と共に零れ落ちる。叫ぼうとしても、口を肘で強引に塞がれた。
日常茶飯事だ、自分の身に降りかかることも十分予測していた、でも──
「そこの便所なら、もっと面白い刑が出来ます」全く面白くもなさげな、ザフト兵の囁きが流れる。下卑た笑いを漏らすでもない、感情のこもらない瞳。整列を命じる時と同じような口調。「ナチュラルの反逆女にはちょうどいい。自分たちは、シャンプーと呼称しております」
力があれば。力さえあれば、こんな奴らは潰せるのに。
力が、力が、力が欲しい! 助けて、助けて、助けて
──トール!!
ザフト兵の汗ばんだ手が、ミリアリアの臍あたりに伸びた。上半身を押さえつける、金髪のグラサン。両脚は男二人の軍靴に踏みにじられ、彼女の心も身体も、ザフト兵三人に押し潰されようとしていた。
だが、剛毛の生えた手がいよいよミリアリアのベルトにかかった、その刹那。
部屋中に走った閃光と共に、目の前の金髪が踊るように立ち上がった。サングラスが投げ捨てられる。
ザフト兵の悲鳴と呻きをここで聞くとは思わなかった。何発か、肉に鉄槌が食い込むような音が鈍く響く。涙で視界がぼんやりかすみ、ミリアリアは何が起こったのか一瞬では把握出来なかった。
「んな扱い方じゃ、お姫様に嫌われるぜ!」
金髪男が右腕をさすりながら悠然と、ザフト兵二人に流星の如き蹴りを食らわしていたのである。
一瞬にして床と接吻させられた男が、それでも必死で金髪の足首を掴む。「ミゲル・アイマン……貴方ともあろう者が、ザフトを裏切るか!」
だがその言葉を受け、金髪はその眼を細める。わずかに橙を帯びている瞳が、鋭く光った。「俺は黄昏の魔弾、ザフトの尊厳を守る男。裏切ったのはお前らだ!」
そのままミリアリアの身体は彼の左腕で軽々と持ち上げられる。まるで子供を肩車でもするように彼女を抱えると、ミゲル・アイマンを名乗るその男は軍人二人を蹴り飛ばし気絶させ、颯爽と部屋を飛び出していった。

 

つづく
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