「芸無しが。強奪作戦などという阿呆がそうそう何度も成功すると思っていたのか」
閉ざされた格納庫の中に、少女のりんとした声がひびきわたる。落ち着いた低い声だが、冷たい。
少女の足もとに転がされているのは、3人の兵士。
「先の大戦が終了してからもなお、戦闘行為を継続するザフト兵の脱走部隊が少なからず存在するとは聞いていたが、このように落ちぶれているとはな」パイロットスーツに細い身を包んだ少女は、天井の隙間から漏れるわずかな朝の光を浴びながら先を続ける。「補給をろくに受けられぬものだから民間を襲い海賊まがいの行為をし、貴様らはこのコロニーにたどりついたというわけだ。ザフトの為に……聞いて呆れる。
そのような下賤の者どものなすことなど、こちらは全てお見通しだ」
少女は拳銃を手に持ってはいるが、銃口は相手に向けられていない。ただし、3名の兵士のうち2名は既に腹から血を流してその場に伏しており、即死もできぬまま視線を宙に漂わせている。彼らは全員、アキレス腱を撃ち抜かれていた。
「暗号の杜撰さに通信手段のお粗末さ、コーディネイターの風上にもおけぬ代物だったな。その連合兵の装備、どこから調達したかまでは聞かぬ……そんな偽装で連合兵に化けられるとでも思っていたのか。ザフト兵かそうでないかなど、生命の危険に瀕した際の身体能力を見れば即座に分かるというに」
少女は血のように紅い髪を揺らして振向く。着用しているものは髪の色と同じ、全身真紅に染められたパイロットスーツ。肩のところできれいに切りそろえられた髪はわずかにウェーブがかかり、両サイドの髪は頭の後ろで小さくまとめられている。髪の紅さと対照的な白い肌が映え、足もとには、兵士たちの流した血が飛び散っている。彼女はそれを、落ち葉でも踏みつけるように踵で潰した。
「しかし、これだけは聞いておかねばならぬ。
このコロニーを持つ国が新興の、ごくわずかな島国と知っての狼藉か?」
兵士は答えない。少女の、群青の瞳を睨み返しただけだ。それが現在の彼に出来うる精一杯の行動だった。朝の光が格納庫内部の天井隙間から漏れ、少女のすらりとしたシルエットが浮き彫りになる。分厚いグラブに包まれた紅い手が兵士の顎をぐいと掴んだ。
「違うな。貴様らの目的は単なる強奪ではない。
マユ。テレビを」兵士を無表情に見つめたまま、彼女は後ろに控えていた部下に命じる。すると、その場にそぐわないやけに脳天気な応答が返ってきた。
「アイアイサー!」ベージュのブレザーに紅いスカートという制服姿の娘が、ちょこんと正座してにこにこ笑いながら血まみれの右腕を上げていた。黒髪を後ろで二つに分けて先端を結んでいる。左腕にはしっかりと、まだ銃身が熱いであろうマシンガンが抱きかかえられている。ちなみに彼女が正座している場所は、倒れたザフト兵の上。勿論兵士は蜂の巣になり息絶えている。
「でもー、その前にこれ食べていい? おなかすいたよー」彼女は倒された兵士の懐から、既に携帯用戦闘食を取り出していた。ピンク色のクッキー状のそれをわしづかみにして、娘は包装を不器用に破く。
「おいしー! イチゴ味だよ、これっ」動かない兵士の上に、ぼろぼろと食べかすが飛び散った。その言葉に、紅い髪の少女はわずかに顔をしかめる。彼女の心を代弁するように、さらに別の男の声が響いた。
「どれだけ豊かな食生活してやがるんだ、ザフトの脱走兵様がたは」ボサボサの髪を後ろで無造作にまとめたコート姿の男が、制服の少女のすぐ横に控えている。彼の背後にもザフト兵がいた。但しこちらも、壁に頭から叩きつけられ、そのまま脳漿で壁にへばりついている。
「ねーお兄ちゃん、おいしいよっ。多分こっちがバナナ味」
「マユ、その前に顔拭くんだ。それにしてもこいつら一体、誰に買われたんだ? よほど飢えてたらしいな」
返り血を浴びたままだった娘の頬を、男がそっとハンカチでぬぐう。マユと呼ばれた娘はにこにこと嬉しそうに笑い続け、携帯テレビを取り出した。「もう始まってるかなぁ、朝いちウーチバラ♪」
スイッチを入れると、軽快な音楽と共に女性アナウンサーの明るい声が流れ出す。
『只今時刻は、ウーチバラ時刻で午前8時20分です。それでは本日のメインレポート! あの、悲劇のヤキン・ドューエ戦終結から2年、平和を守り、戦乱から人々を救う船が、ついに出航の日を迎えました! シライシ記者が現場からお送りします。シライシさーん』
それに答えるように、男性レポーターの声が流れる。滑舌は悪くはないがまだまだ若く、緊張気味ということがありありと窺える声だ。
『はいっ! こちらはウーチバラ宙港区画正面ゲート前。太陽の光が本日もコロニーウーチバラ内部を照らし、これから月軌道へと旅立つ私たちの「アマミキョ」を守るように、大気が温まっていく朝であります。天候予定表によりますと本日は快晴、絶好の出航びよっ……日和です』
「ナオトってば、また噛んだねー」聴きながら、マユがキャハハと笑う。
「またあのレポーターか、あの喋りでコーディネイターだってんだからな。こいつらといい、コーディネイターといっても最近はクズが多いのか?」
「でも、ナオトはまだ14歳だよー。それでニュースでレポートやってるんだから、すごいってば。それにナオトは」
「黙れよ。お前はナチュラルで12でパイロットだろうが」男は不機嫌そうにマユの言葉をさえぎった。
『連合に加盟している東アジア共和国内にありながら、コーディネイターとナチュラルの融和を図ってきた国、チュウザン。現在内乱と飢餓に苦しんでいるかの国に対して、2年前同じように壊滅の危機に晒された我が国・オーブが出来ることの象徴、それが緊急救援船・「アマミキョ」である──カガリ・ユラ・アスハ代表の言葉です。
大戦終結から2年。しかし世界各国では未だ紛争の火種が絶えることはなく、東アジア共和国の中でもオーブと親交の深いチュウザンも現在、南北に勢力が分散され対立が深まっている状況です。
オーブ政府は昨年9月27日──ヤキン・デューエ戦終結記念日に、チュウザンへの緊急援助隊及び復興協力隊の派遣を決定し、チュウザンの新興企業「文具団」と協力しつつ、総員320名で構成された援助隊・シュリ隊を結成。さらに、シュリ隊を乗せチュウザンそして世界各国の紛争地域へと赴く予定の輸送船の建造の模様が一般公開され、つい先日完成式典が行なわれたのはご承知の通りです。
その船「アマミキョ」は現在、このコロニーウーチバラ宙港区画に停泊中であります。では、今から宙港内部を移動してみましょう』
「最後に補給を受けたのはいつだ? そして何処だ?」
紅い髪の少女は流れる声を無視し、あくまで冷静に相手に尋ねる。勿論相手は答えない。
『現在ウーチバラ宙港では港湾施設内部でアマミキョの調整が続けられております。全長245メートル最大幅41.5メートルの巨大な船。オーブとチュウザンを結ぶ友好の架け橋となり、国際平和の礎となるであろうその姿はここからでは見えませんが、我々は昨夜、アマミキョに搭乗するNGO・シュリ隊の方々、そしておなじみ「文具団」社長・ムジカノーヴォ氏にお話を伺って参りましたっ! VTRどうぞ』
「要は、プロバカンダだよね。オーブの」マユが晴れやかに言い、彼女にお兄ちゃんと呼ばれた男が答える。「分かったような口をきくな、プロ「パガ」ンダだ。それより、始まるぞ」
兵士を前にした紅毛の少女の声が、皮肉めいた呟きに変わる。
「なるほどな。母上……これもテストのうちというわけですか。娘の居場所に軍を送り込むとは、貴方らしい冗談だ」
彼女はゆっくりと、銃口を兵士の額へとポイントする。その目に憐憫はひとかけらとして存在しない。激しい声だけが兵士の耳を、脳をつんざく。
「貴様らには息子はいるか? 娘は? 未来を約束した女は? その女に産ませる子のことを考えたことがあるか?
次の世代にこのような世界を押し付けること、男として恥ずべきこととは思わぬか!!」
「いるわけないよ、この人。だってブッサイクだもん、見てよ」マユが、自分の座している下の兵士を揺さぶって言う。残り少ない血がさらに流れる。男が被せるように呟く。「分かってるさマユ。やりたいんだよ、いつもの」
マユと男は顔を見合わせ、そっと笑いあった。マユはひとつウインクする。「フレイは、祈りたいんだよね」
今度こそ逃れられようもない。死への恐怖による引き攣りが始まり兵士の顔がゆがんだ。股間からは血とは別の、温かいものが流れ出していた。
紅毛の少女はあくまで静かに、怒りをこめつつ歌うように言い放つ。
「貴様らは、神の存在を知っているか?
再構築戦争より前の時代、人々はこのようなケースにおいては神に祈ったそうだ。神なるものが確固として存在した時代の話だが。
しかし貴様らは知らぬだろう。神が失われ、争いと差別と保身にまみれた時代の人間には、祈りという行動の概念そのものが理解できないはずだ。願うこと、祈ることならあるかも知れぬ、しかしそれは誰への祈りだ? 説明できる者はいるまい。当然、神たるものの存在も、分からぬ。
だが私は祈る、貴様らのために。次の世代の無惨さも見ることなく楽に死にゆく貴様らのために。
心正しき者の歩む道は、心悪しき者のよこしまな利己と悪虐によって行く手を阻まれる。愛と善意の名において暗黒の谷で弱き者を導く者は幸いなり。なぜなら、彼こそは真に兄弟を守り、迷い子たちを救う者なり。よって我は怒りに満ちた懲罰とおおいなる復讐をもって、わが兄弟を毒し、滅ぼそうとする汝に制裁を下す者なり」
 


紅毛の少女の銃口が火を噴き、銃弾が正確に相手の額を撃ち抜いたその頃、
ナオト・シライシは、宙港内部通路でまたしても壁に頭部を激突させていた。

 
「やれやれ。本日3回目」
あまりの痛さに空中で頭を抱えるナオトを、カメラマンのアイムがはやし立てる。「中継が止まった瞬間にやるなってばよ」
ところどころまだつっかえはするものの、ナオト・シライシは今日も無事にレポートを続けております。と、心の中で自分にエールを送った瞬間にこれだ。「あらぁ。最高の画になったのに」ディレクターのフーアもさも残念だという顔をする。
いつもどおり、真面目にネクタイをしてスーツを着込んだナオトに、アイムとフーアがいつもどおりついてナオトのレポートを興味深げに見守り、そしていつもどおり笑顔でナオトが中継からVTRに行きフーアがOKサインを送った、その瞬間の出来事だった。しかし今回はただひとつ、いつもどおりでないことがある。それは、ここ──つまり、コロニーウーチバラ宙港区画内部通路──が無重力空間だということだ。
ナオトは頭を押さえながら、顔を赤らめ大きな茶色の瞳をますます大きくしてスタッフ2名を振り返る。何せ、無重力空間というものはナオトはここ、ウーチバラに来るまで体験したことがない。オーブ本土で生まれ育ち、オーブでTV局に入社し、オーブでTV番組の仕事に携わっていたナオトである。希望の報道に回ればいずれ宇宙に出ることもあるだろうと思ってはいたが、これほど早くなるとは思わなかったのだ。
「リフトグリップで曲がるって、こんなに難しかったんですね」無重力空間を想定して、通路の左右に備え付けられた人員移動用装置=リフトグリップは、秒速2mから7mで一人の人間を通路に沿って移動させる。現在ナオトたちのいる宙港区画のような場所では必要不可欠なものだが、慣れない者はまごついてしまう。特に曲がる時は一旦レールが切れるから不便だ。
「ナオトなら慣れるよ。コーディネイターなんだろ」こういうデリケートなことをさらりとはっきり嫌味なく言うのはアイムの良いところである。
「半分だけですよ。だからこんなミスをする」ナオトはまたも顔を赤らめ、グリップを握りなおしながらばつが悪そうに笑った。
「だから好かれるの、貴方は」手馴れた手つきでターンして、フーアはあっという間にナオトを抜き去る。24歳のやり手のディレクターで、しょっちゅうコロニーと本国を行き来していた女性である。当然、こういう場所でスカートなぞ履いてくれるはずがなかった。
「オーブでは、ね。プラントじゃ禁忌の存在ですって」フーアの短めの髪の匂いをかすかに感じながら、ナオトはゆっくりと身体を移動させていく。通路の向こう側から壁の向こう側から周り中から、人の怒鳴り声や作業艇の警告音が聞こえてくる。出発前だけのことはあり、えらいこと騒々しい。機器のチェック、船体の整備、人員移動。
「大丈夫かなぁ、僕自信ないですよ。こんなレポート久々だし……ずっとバラエティとか料理番組ばっかりでしたから」
「大丈夫だよ、お前がまだ子供だってことぐらい、視聴者全員分かってる。いくら半分コーディネイターとはいえ、14歳になったばっかのガキにそんな期待ができるか」
14歳。
そう──ナオト・シライシは、14歳のTVレポーターだった。
プラントでは、コーディネイターは通常15歳で成人扱いされる。2年前の大戦では15歳で戦場へ出たものも数多い。であるから、14歳(入社時は13歳)であるナオトがテレビ局で働きカメラの前に立ってレポートしていても何ら不思議はないだろうというのが、オーブ・SUNテレビ局アナウンス部部長の理屈だった。
「この前インタビューしたシュリ隊の人たちの中には、当時17歳でヤキンを生き抜いたナチュラルの、しかもオーブの学生さんがいましたよ」ナオトはアイムに軽くくってかかる。
「アークエンジェルに乗ってたって噂の眼鏡だろう? ナチュラルじゃまだ未成年のはずだが、随分大人びた応答しやがってたな」
「大人びたじゃなくて、彼は実際大人」フーアの声が二人の間に割って入った。
「自分が子供ってことは理解してます。でも僕は、戦争を止める役に立てればいいんです。今は利用されててもいずれ報道を」「ナオト、熱くなると今度はその鼻っ柱ぶつかるぞ」
ナオトは前に迫った壁に気づき、慌ててグリップから手を離し次のリフトグリップに取りつく。安定するとナオトは息をつき、スーツの懐からメモを取り出した。さっきレポートで読み上げた文章が書かれているが、その所々に赤い矢印がつけられている。
「慣れたけど、あまり好きじゃないなぁこういうこと」
フーアが空間を滑りながら器用に横からメモを覗く。「いいのよ、コーディネイターでもバカはバカで子供は子供。それをみんなに印象づけてもらわなきゃ」
「出た、カガリ姫名言その15」アイムがカメラをいじりながら囃す。
「それとナオト、人間嘘をつく時は8の真実に2の嘘をくっつける。貴方の場合は8が」
ちょうどその時、ナオトは本日4回目の頭と壁の激突をやってのけた。アイムとフーアは二人で口をそろえる。「天然だし」

 

PHASE-01 爪先の月

 

ウーチバラ宙港に収容されている緊急救援船・アマミキョ。
その周囲ではノーマルスーツ着用の整備員が何十人となくとりつき、最終調整のための怒号が飛び交っている。
全長245メートルというその姿は、かつてのアークエンジェルよりは小さいが外装や内部は十分にアークエンジェルを連想させる作りになっている。サイ・アーガイルは外部からブリッジへと向かう通路をリフトグリップで移動しながら、そう思わずにはいられなかった。アークエンジェルほど鋭さを誇る船体ではなくどちらかといえば飛行船を思わせる丸めの船だが、カラーリングは白を中心に灰・赤・青が基調で、大きな翼が左右にある。これはムジカノーヴォ社長の趣味であろうが。
アマミキョに乗船することが決まった時から──もっと言うならばシュリ隊入隊が決定した時から──社長からは直接といわず間接といわず何度も言われていた。アマミキョそしてシュリ隊の目的は人命救助・施設修理など緊急救援隊としてのもの以外に土木建築・農林水産・保健衛生・教育などの長期にわたって援助していく必要のある分野など多岐にわたるが、決して戦闘を目的とはしないこと。あくまでもシュリ隊は、チュウザンの「文具団」とオーブのモルゲンレーテ社によって結成された、民間の非政府組織であること。
だからこそ、サイはこの船を選んだ。もっとも、大きな理由は他にもあったが。
既にシュリ隊320名は数日前に入隊式を終え、おのおのの能力によって役割を分担されグループ分けされ乗船している。その時からここでの寝泊りが始まっているので、もう顔見知りとなったメンバーも数多い。
「サイー、こっちもちょっとは手伝ってくれよぅ」カズイ・バスカークがかなり遅れて、背中に機材を背負い何とかリフトグリップで体勢を整えつつ声をかけてきた。なんといってもサイにとって心強かったのは彼の存在だろう。
ダメもとでシュリ隊に誘っていて良かったとサイは思う。アークエンジェルに乗っていた時の経験が経験であるだけに来ないと諦めていたが、カズイはギリギリになって列車に駆け込んできた。あの時の嬉しさをサイは忘れていない。
「そうはいかないよ、E26区画端末の回線がおかしいんだ。ことによったら直接行かないと」そういうサイも今は、片手でグリップをつかみ片手でノートPCを支えて目は画面を追い続けている。カズイを振り返る余裕すらない。
「んな殺生な……整備班のあのオッサン、本気で怖いんだよ。船内はまだ重力制御かかってないからってこんな、身体よりデカい機材持たされるなんて無茶苦茶だ! 嫌がらせだよ、こんなのブリッジまで運べなんて。作業着は暑いしさ、いいよなぁ制服組は」
「奇遇だな、俺もブリッジ行きだ。それと文句言う前に夏用の作業着に着替えろよ、見てても暑い」
しかしカズイが文句を言いたがるのも分かる。カーマイン・レッドを基調に仕立てられた制服やタイに装着されたブルーのバッジは立派なものだが、それはサイ達ブリッジ組のみの特権であり、カズイら通常のメンバーは作業着か普段着着用である。もっとも制服だってそれほどシャレた代物ではない。サイはとっくに夏用の半袖に着替えて作業中であるが、一見して何処のハイスクールかと自分でも思った。
サイとカズイは医療ブロックに近づく。船内は用途ごとにいくつかのブロックに分けられており、主だったところは指令部(ブリッジ)、今サイたちが通過している医療ブロック、メンバーが寝泊りする居住ブロック、食糧備蓄ブロック、教育ブロック、そして……中央カタパルト。
つまりこの船は、モビルスーツの運用が可能なのだ。
「で、会えたの?」カズイはようやくサイに追いつく。医療ブロックでは大勢の医者と看護士が無重力下で医療設備を整えようと悪戦苦闘中だったが、一人の看護士がサイに気づき、床にベッドを固定する作業をしながら笑顔でサイの名を呼び手を振った。長めの茶髪を後ろでひとつに結んだ、黒目の大きいかなり可愛い丸顔の娘であったが、残念ながらスカート姿ではなくしっかりスラックスを着用している。サイが返事をしようとした途端に彼女の上に女医の、冷静ではあるが厳しめの声が飛ぶ。
「ネネ、よそ見やめなさい点滴台が浮いてる、あと引き出し全部固定したんでしょうね注射針が浮いても知らないわよ!」
「すっすいませんっスズミ先生、あー早く重力元に戻らないかなぁ」「レクチャーで何度もやったでしょう。無重力下で救助活動することだってありうるの、尿飛び散ったらどう対処する?」
看護士は慌てて作業に戻る。PC画面から少し目を離してそれを見ながら、サイは黙って目くばせするぐらいが精一杯だった。「知り合い?」カズイがすかさず聞いてくる。
「ネネ・サワグチ。女医さんのほうはスズミ・トクシ。作業してる間に普通に話してて仲良くなる奴がいるだろ、そのうちの一人だよ」
「俺はできないなそんなこと、今やることで精一杯だ。で、会えたのか」
「お前も結構しつこくなったな。会えるわけないさ」
目は画面を追い手はグリップを掴んで器用にターンをこなすサイだったが、そんなカズイの言葉にどうしても思い出さずにはいられない。

 

あの日、炎の中にその命を吹き飛ばされたはずの彼女を。
二度と会えるはずがないと思っていた彼女を。
それなのに、再び出会ってしまった彼女を。

あの時見た光景が忘れられようはずもなかった。
炎に包まれる繁華街。崩落したビルの間から見えた機体──人の顔を持つモビルスーツ。青と白を基調にカラーリングされた型式番号GAT-02L2、ダガーL。
炎の照り返しで赤鬼の如く輝く頭部。その鬼の目に当たる部分つまりカメラアイを真正面に見た瞬間の、彼女の表情。明らかに、自分の知っていた彼女ではない。ナイフを目の前に構え、恐怖など微塵もなくただ、戦いへの高揚と喜びと冷酷さが同居している不敵な笑顔。
姿形は同じであっても、あのような顔を彼女ができるわけがない。
しかも彼女は自分を抱えて飛び回り、崩れかかっているビルの壁をピッケル一本で駆け上り、モビルスーツに飛びついて……
どれほど生まれ変わったとしても、あのような真似が彼女に出来るはずがない。
あんな言葉が、彼女の口から出るはずがない。「貴様は私が護る。だから私に従え!」



「あいつのこと考えると頭が混乱するよ。当分その話題は厳禁」
「でも、そのおかげでサイの時間も動き出した。違うか?」
横幅5メートルの通路には勿論他に人間や荷物が多数行きかっており、サイとカズイは何度もぶつかりそうになる。階段を上昇しメインゲート付近まで来た時、通路の向こう側でひと騒動が持ち上がっていた。人だかりの中から、ヒステリックな女性の声が響き渡る。
「やめてよ、私は解放されたの! 家族だからって毎日毎日無口な食事に参加させられてあとは山のような皿洗い、もうたくさん」
叫んでいるのは、金色の豊かな髪を紅い髪留めでまとめあげている20代半ばの女性。「アムルさんだ」カズイが声をあげた。
「誰?」「アムル・ホウナ。数学の先生だよ、結構優しくしてくれるんだ」カズイは率先して人だかりの中へ飛び込む。彼にしては珍しいことだ。
カズイに気づいたアムルは吊りあがった眉を一瞬さらに吊りあがらせたが、すぐに困ったような笑顔を浮かべた。「ごめんなさいバスカークさん、母とこの人がこんな処まで私のこと探してきて」
「貴方のことが心配だったの」おそらく母親であろう、50代ぐらいの銀髪の女性がアムルの服の裾をしっかり握る。「ごめんねアムル、でも私は母様の為にも、貴方の花嫁姿を」
「あの人、バイオリニストのミヨシ・ホウナじゃないか?」カズイに追いついたサイがそっと耳打ちし、カズイは黙ってうなずいた。アムルは人目を気にしつつ、控えめに叫ぶ。
「全部手紙に書いたでしょう。子離れしてよ、私に甘えないで。母さんは昔からずっとそう、出来もしない夢を子供におしつけた結果出来たのが私よ。そのくせ自分のバイオリンで私に雑事全部押しつけて。押しつけがましく彼まで連れてきて」
彼女は母の後ろにじっと立ち尽くす長身の男を、上目遣いで軽く睨む。その横顔にサイは既視感を覚え、思わずその場に背を向けた。カズイが一瞬迷い、仕方なく慌ててサイを追う。口論はまだ続いている。「アムル、何度繰り返せばいい? 俺は君がいなきゃダメなんだ、君が最高なんだよ」「貴方には他に誰もいないじゃないの」「やめてよ、二人の好意は私を殺す。皿洗いと風呂掃除と満員電車で、私を何度殺せば気が済むの?」
「何だよ、あの女」サイは吐き捨てるように呟く。
自分と決別した時の彼女の顔に、アムルの顔はひどく似ていた。2年前の砂漠の夜に彼女を呼び止めようとした時、虫けらでも見るように自分を見返した彼女の目を、サイは思い出さずにはいられない。
「カッコイイだろ? 彼女。夢を追いかけて、家出してきたんだってさ」追いついてきたカズイが、顔を紅潮させてサイに呼びかける。
「何処がだよ」サイにはカズイの神経が理解できない。「家族も婚約者も捨てて自分探しの旅もいいけど、残される人間のことも少しは考えろ」
「いろいろ複雑な家庭の事情があるんだよ、コーディネイター同士の母娘でもさ。第一世代と第二世代の間で結構家族関係壊れてるところもあるらしいよ、子供の才能が思ったほど伸びないとか孫がなかなか生まれないとか」
既に彼らはメインブリッジに向かう通路に入っている。さすがに320名収容ともなると人の行きかいと熱気が激しい。と、向こう側から小型通信機を3つほど胸に下げた少女がグリップでこちら側に滑ってきて、サイに向かって怒鳴った。
「第3フェイズ完了予定時刻を14分もオーバーしてる。規律がなっちゃいないねこの船」
なっちゃいないのはお前の服だとサイは言いたくなり、思わず笑ってしまう。名前はサキ・トモエ、17歳。元は連合軍に所属していたがすぐに除隊になったらしい。いくら船内推定平均温度が摂氏27度を超えそうな勢いだとはいえ、裾を破って無造作に結んだTシャツにショートパンツという恰好で走り回られていては除隊の理由も知れようというものだ。
「笑ってる場合かサイ、コード705の作業効率が落ちまくってる。時間当たり25台じゃ話にならないよ、いくら慣れない作業でもメインなんだからしっかりやれって連絡して。124とも連動してるんだからあそこが止まったらブロック全体の作業が止まる。カズイあんたも雑談禁止、今ブリッジ見てきたけど隊長が爆発寸前だよ?」
「そりゃ大変だ……はい、完了っと」サイはおもむろにノートPCを閉じる。サキはすれ違いざま、さらに大声で怒鳴っていく。「これが軍隊じゃなくて良かったよ、アマミキョが軍艦だったら全員往復ビンタものだ。あと、さっき喫煙所にたむろしていた連中誰だよ?」
「整備班の奴らじゃないの?」カズイが大声で返すが、既にサキはグリップで一つ向こうの角を回った後だった。
「ヘソ見えてたし……全くもう」ぶすくれながらカズイが呟く。「でも確かに思うよ、緊張感に欠けてる。軍隊でもないこんな処、もし襲われたらひとたまりもない」
「縁起でもないこと言うんじゃないよ」サイはPCを小脇に抱えてグリップのスピードを上げる。
「分からないさ。元はこのコロニー、軍事目的で造られたんだろ? いくらムジカ社長が購入したとはいえL3だし、前は結構な被害を受けたっていうし、ヘリオポリスのあった場所には近いし何かヤな予感が」
「よせって。社長がしっかり説明してくれただろう、だからこそ武装もしてる」
「作業用アストレイ3機で何をどう戦えっていうんだよ」
「カズイ。俺たちがやるべきことは他にある、だからお前もここに来た、そうだろ?」

 

太陽と月と地球の重力の中和点・ラグランジュポイント。この点は月軌道上にL1からL5まで存在し、その周辺にスペースコロニーが建造されている。地球から見て月の反対側にあるL3に、オーブとチュウザンが共同開発した円筒型コロニー・ウーチバラがあった。同じL3にはオーブの資源衛星ヘリオポリスがあったが、前大戦でザフト軍の襲撃を受け崩壊している。
ウーチバラは元々東アジア共和国の軍事要塞として建造されたものだが、戦争激化と共に多くのコロニーが被害を受ける中ここも例外ではなかった。軍事要塞であるがために甚大な被害を受け、連合が放棄せざるを得なかったこのコロニーだが、ヤキン・デューエ戦終結と同時期にチュウザンの「文具団」社長トレンチ・ムジカノーヴォがオーブのモルゲンレーテ社と提携、コロニーごと購入したのである。そしてわずか2年の間にムジカノーヴォ──通称ムジカ社長──は見事、オーブの協力も得ながらウーチバラを工業用コロニーとして復活させたのだ。
世界を動かすのは思いでも力でもなく、金である。そんな言葉が、大戦後国土の復興に苦慮するオーブで流行した。
「結果、人口2万人の工業都市。うちコーディネイター推定3千、見事な中立状態ではございませんかね、ジュール隊長?」円筒型のコロニーの外壁を真下に見ながら、ジュール隊副官ディアッカ・エルスマンは緑のノーマルカラーで塗装されたザクウォーリアの降下を開始させる。既に後方支援用のガナーウィザードは装備済だ。巨大なコロニー外壁が眼前に迫る向こう側に、蒼く光る地球が見える。
「その中に裏切り者どものゲリラ数十名さえいなけりゃな! ボルテールに配属されて間もないというのに、何度目だこのゲリラ討伐は!」顔を真っ赤にして下手をするとコンソールパネルをぶっ叩く勢いであろうイザーク・ジュール隊長の顔が、モニターなしの通信でも手に取るように分かる。横からスカイブルーの隊長機・ザクファントム(ザクウォーリア上位機種)が接近し、ザクウォーリアの右肩部分に触れる重い手ごたえがあった。
「しかし、どうも作戦内容に無茶がありすぎやしませんかね、隊長? 場合によっちゃあの船の強制捜査っての」軽くはあるものの皮肉っぽい敬語を使い、ディアッカはイザークの答えを待つ。「やるべきは元ザフトの臆病者だろ? しかも出発の直前って」
「それ以上喋るな。ザフトの脱走兵の大馬鹿者だからこそ、俺たちが叩く必要がある! いいなっ」
「本気で信じてるのか、隊長?」本気なわけがない。ディアッカはその後の妙な間の沈黙で確信した。
「……時間だ。ボルテールとの通信は?」
「良好。しかし隊長、民間人への被害は最小限に」
「貴様! 作戦前の議論をまぜっかえすな、議長のお目こぼしを忘れたかッ」
それ以降、イザークは通信を一方的にぶち切ってしまった。隊長としてあるまじき行為と思いつつ、ディアッカはそれを容認する。戦争はとっくに終わったというのに、ゲリラどもは一体何を考えている? その怒りは二人とも同じだ。
2機のモビルスーツは少しずつ速度を上げていく。
オーブ国内は、例のムジカ社長と彼の所有する緊急救援船・アマミキョの話題で持ちきりだそうだ。当然、その出航の日ともなればマスメディアも押しかける。現に、オーブのテレビ局がわざわざ現場までやってきたというではないか。
「いてくれるなよ、ミリィ」ディアッカは、今では立派なジャーナリストになっているであろう愛しい少女の笑顔を思い浮かべながら、機体を接近させていった。


ブリッジに飛び込んだ瞬間サイは、目の前で逆さに浮遊していたスーツ姿の少年とまともに頭を激突させた。
「すっすいません、僕まだ慣れてなくてっ」衝撃でさらにぐるぐる回転しながら、少年はサイに必死で謝る。数日前インタビューを受けた、オーブのSUNテレビのレポーターだった。
「大丈夫だ落ち着いて、最初は誰でもそうなんだよ」サイも痛みを押さえつつ、少年の腕を押さえて自分も手すりにつかまった。既にブリッジには数名のシュリ隊メンバーが待機し、計器の最終チェックを行なっている。ブリッジの最後列には、この船の所有者であるトレンチ・ムジカノーヴォ社長が鎮座し、艦内無線で連絡を受けていた。その周りに、記者証をつけたマスコミ関係者が3名。少年もその一人だ。
「君、この前も頭どっかにぶつけて大騒ぎしてなかった?」運んできた機材を受け渡し汗みどろになったカズイがブリッジ前方へ行くのを見ながら、サイは軽口をたたく。「ナオト・シライシ記者だったよね。よく頑張るよなぁ、俺が13の頃なんてまだ鼻たらしてたよ」
「申し訳ありません、この前14になりました!」ナオトが朗らかに答える。
ブリッジ内部では、アマミキョ出航シュミレーションがちょうど5万回目を終了していた。シュリ隊隊長のトニー・サウザンが明らかに無意味な大声をあげつつ席の間を飛び回り、各作業の進捗状況をチェックしている。40を超えているはずだがいささか大人げない。本来隊長たるものは自分から動かず、もうちょっとじっとしていてくれたほうが都合がいいのだが、とサイは思う。
それと対照的なのが、副隊長のリンドー・エンジョウ。社長の横でその巨体(ご老体と言ってもいい)をでんと座らせたまま、白髪混じりの頭をかきむしり鼻毛を手で直接いじっている。しかし垂れ下がった瞼から覗く細い眼は決して眠ってはいなかった。
社長が船内無線を切った。公式の場でも絶対にTシャツにジャケットという自らのスタイルを崩すことのない、40歳の青年実業家。
無造作に見えてきっちり整えられた短い黒髪、少々肉付きの過剰な体格。一見どこにでもいそうな、親父になりかけの青年といった容貌の彼だったがこれでも、水晶機器生産で世界第5位の業績を挙げ、PC・有線ネットワーク・ジャンクフード・果てはフェイズシフト装甲の自動車開発といった部門にまで手を広げている「文具団」社長である。大戦終結後、混乱を極めた世界市場に乗じて一気に景気の波を自分の方向へ呼び寄せた、数少ない人物だ。早くもナオトを押しのけてフーアが社長の前に陣取り、準備を進める。これだから女は、と言いたげにアイムが肩をすくめた。
だが、常日頃は飄々としたその横顔は、今ほんの一瞬だけ固くなった。社長は横の副隊長に小声で囁く。「工業区画39で動きがあったようです。来ますかね」「陽動だけな。ティーダの移送はまだか」「うまく本隊を叩いていれば、彼らの移動力なら十分間に合います」「血気盛んな脱走兵どもだ、何するか分からんて」周囲に聞こえないくらいのボソボソ声の会話が、社長と副隊長は共に得意だ。「出航準備のために工場を一時停止、コロニーの電力を60%まで落とすということにしといてよかったですよ。それでも本国に帰らずここに残る従業員も多いわけですが」「呼んでもないのにマスコミまで来おって」
サイは付近のモニターを借り、ナオトの取材に応じていた。「これが、アマミキョの予定航路。今俺たちがいるのがL3だから、月軌道に沿ってL4まで行って、被災したコロニーを中心に回るんだ。太陽光を集めるミラーの開閉機構が破壊されてずっと昼のまんまっていうコロニーもあるし、居住区画の一部が破壊されて狭くなりすぎてスラム化したコロニーもある」
「緊急救援が必要なところが多いから、直接行くってことですね」
「その後がチュウザン本国。チュウザンを拠点として、要請があればどこへでも救援に行くっていう寸法だよ」
横からカズイが口を出す。「しかし、マスコミがこんな処まで取材に来るとは思わなかったな」
「僕が許可した」ムジカ社長が手を挙げた。もういつもの飄々とした口ぶりに戻っている。「勘違いするなよ、彼らは歓迎すべき客人だ」
「社長、大分以前から話題になっている件なのですが」フーアが早速用件を切り出した。しかし社長は先回りする。「中央カタパルトでしょう」
「作業用モビルスーツが使用するには規模が大きすぎる、軍事目的か否かでオーブの一部では議論になっていますが」
「オーブの社説にはよくそんな論調が見られますね。本土に被害を受けたというのに、未だにオーブには分かってない人が多い。わが国チュウザンの実情もです。ご理解願っているのですがね」
「しかし、オーブ国内では救援活動の意義を疑問視する声も多く」
社長はウインクと共にサイに話を振った。「君なら分かるよねサイ君。一度でも行けば、チュウザンで救援活動を行なうには自衛手段が必須だということぐらいは」
ナオトが顔中をクエスチョンマークにしてサイに向き直る。サイは黙ってうなずいた。
一度行っただけの旅行で、初めて行った島国で、生まれて初めて行った街であのような目に遭ったのだ。テロの確率がどれほどのものか知れようというものである。社長は自信たっぷりに身振りを交えて語る。
「そのための傭兵部隊と対空機関砲16門です。僕に言わせればこれでも足りないくらいだ」
「その通り!」突然トニー隊長が割って入る。「支援協力の成功には、地元への理解・地元の協力体制、何よりも地域住民の復興への意思を尊重することが不可欠! その為にもチュウザンの受け皿・つまりカウンターパートとなるムジカ社長へのご理解ご協力を願いたい!」
しかし、フーアはなおも食い下がる。「ですが、武装があるがために攻撃を受けたという事例も実際にはあります。現に、L3宙域にあった中立コロニーヘリオポリスは──」アイムがもう一度肩をすくめた。「やめろって。元住民がそこにいるよー」
言うまでもなく、サイとカズイのことである。カズイは思わず目を背けたが、サイは答えた。「構いません、事実ですから」
「忘れないでほしいが、今は戦時下ではない。
それに、大丈夫。アマクサ組は強い。彼女らはチュウザンを救おうとする者ならば、絶対に護る」
ムジカノーヴォ社長がいつものように、自信たっぷりに笑顔で啖呵をきったその瞬間──
アマミキョに、激震が走った。

 

 

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