強烈な縦揺れ。
その場にいた者でシートベルト未装着の者は全員、突然の衝撃によって身体を宙に浮かせた。ナオトも勿論例外ではなく、ブリッジの天井と床に見事に1回ずつ身体を打つハメになった。慌てて彼をサイとアイムが支えた瞬間、ブリッジ前方からオペレーター・ディックの叫びが響く。
「居住区画第14ブロックで爆発です! 被害状況不明、モニター転送します」
ブリッジの緊張が一気に高まった。テロ? ゲリラ? 爆発? コロニーで? 揺れる船は心の動揺を呼び、さまざまな感情が一瞬のうちにかけめぐる。船のほかの区画も同じだろう。サイはナオトを落ち着かせて床を蹴ってブリッジ前方へ文字通り、飛んだ。
アマミキョのブリッジはやはりアークエンジェル同様に外へむき出しの形となっており、大きくスペースを取ったフロントガラスから180度外周が見渡せる。勿論今は格納庫の四重シャッターしか見えないが、フロントガラスの一部が早速テレビモニターに早変わりしてウーチバラの各区画を映し出した。そのうちの一つに今、巨大な火柱が映し出されている。
不安が現実になった。サイはモニターの中の、青空を汚す黒煙と紅蓮の炎を見ながら奥歯を噛みしめ、所定の位置に飛び込んだ。アマミキョでサイに与えられた役割はメインオペレータ、3人いるうちの一人である。
黒煙の中心がズームアップされ、早速隊長トニーの焦り満々の怒号が飛んだ。「漏電か、ガスか、本当にテロなのか!? 被害状況は!」サイの隣席の女性オペレータ、ヒスイ・サダナミが悲鳴を上げる。「分かりません、現在調査中です」いつもはおっとりとした目立たない物静かな、長い黒髪の女性であるが、さすがにキーボードを操る手が震えている。勿論、彼女に戦艦のオペレート経験はない。ドミニオンに乗ってたっていうあいつのほうがよほど役に立つだろうとサイはつい思い、自分を笑う。
また、あいつだ。女を見るといつもこうだ。どこまでいってもあの娘しかないのか、俺は!  
「おいでなすった」社長と副隊長だけが、状況を冷静に眺めている。トニーの怒号はまだ響く。「みんな何してる、とっとと持ち場につけ! 急いで!!」
「急げって……どこにだよ」カズイが床に這いつくばりながら呟いた。ナオトたちテレビクルーも、何とか手すりにつかまり体勢を整える。その間にもたて続けに震動が襲いかかり、映像の中の炎が二つ、三つと増え、ついに火柱を映し出していたモニターが受信不能となり、光の砂嵐となる。
「駐留中のオーブ軍より緊急連絡です、地下32番格納庫付近よりモビルスーツ3機確認!」ディックがさらに上ずった声で叫ぶ。黒い肌に白目の面積の多めの眼球を持つ童顔の19歳。
「はいはい、わっかりましたよオーブさん」社長はいかにも軽い調子で言ってみせる。それが虚勢なのか余裕なのか、サイには判断が出来なかった。社長と副隊長はまたも二人だけの会話をする。
「思ったとおりだ。あそこの住民を半強制的にでも退避させといて正解でしたよ」「さすがはアマクサ組の読みだ」
アマクサ組。アマミキョ護衛のための傭兵部隊。サイは未だその全貌を知らされていない。それにしても人の家が壊されているというのに、何がさすがなのか。
「モビルスーツだってぇ!?」トニーがまたも悲鳴を上げ、サイの席まで来て拳でシートを叩いた。「ザフトか、連合かっ、何機だ!? 迎撃はどうなってる!!」「先ほど申し上げました、3機確認です。侵入経路不明、オーブ駐留軍、チュウザン軍共に出動しています。回線14は駄目だ、17を。頼みます」サイは素早くキーボードを操り、ヘッドホンでウーチバラ管制室と直接連絡を取る。新たな映像がサイのモニターへ回される。
映し出されていたものは、既に真っ黒になり塵と化した商店街と信号と車の残骸と、燃えさかる炎、そして──
「モビルスーツ、ジン!! 宙港区画より1.3キロ地点っ、リュウタン広場付近です!」
メインスクリーンに映し出されたジン。その頭部から突き出した特徴的なトサカ、全身を覆う巨大な翼。
「管制より連絡! ジン3機全機、32番格納庫に収納されていたものと同一ですっ」「この間の賊どものやつかよっ!」「とっとと解体しときゃよかったんだ、軍の間抜け野郎どもが」
鈍く光る単眼のカメラアイがモニターごしにブリッジクルーを睨んだ瞬間、激しく画面が歪み出した。
「電波干渉!?」トニーが叫ぶ。
「戦闘行為ってこと……? こんな処で?」フーアが茫然としながら、ノイズだらけになるメインスクリーンを見つめる。桃色にきれいにネイルアートされた爪が、手すりに食い込んだ。
「言ったとおりですよ左まきさん、だからこそ僕は最初お断りしたわけですが。公平中立を謳うジャーナリストとして身をたてるおつもりであれば、自衛手段を考えてください」そのままフーアとの会話を打ち切り、社長はブリッジ前方へと移動した。
「隊長、非常措置だ。全作業を一時中断しフェイズRに移行。ディックとヒスイは船内状況の確認。それからサイ、全区画に緊急連絡。船内警戒態勢をレベル5へ。……マニュアルってこれで良かったですね、トニー隊長?」
トニーは一瞬面食らった。ここで社長にてきぱきと全ての指揮権を握られていたのでは隊長の面目は丸つぶれである。そこまで読んで社長は隊長にあえて声をかけたのだ。トニーの顔色がさらに真っ赤になる。一瞬でも静かになってくれるのはありがたいとサイは思った。
社長はさらにサイとナオトのそばに寄り、囁いた。「どう思う? この出方」
サイは船内全区画に通じる回線を開きながら答える。「この宙域に必ず、ジンを補佐すべき艦がいるはずです。管制からはザフト艦からの警告があったと聞きましたが」「鎮圧の為に攻撃部隊をよこしたらしいよ、ご親切に」
カズイが叫んだ。「まさか! ここが戦場になるってんですか、勘弁してくださいよ」
「カズイ落ち着け」サイはあくまで冷静さを保とうと、社長との会話を継続する。「オーブとチュウザン軍だけで対処は出来なかったんですか、ザフトが介入してきたらややこしくなります」「俺に言われても困るよ、決めるのは軍だ」「それと考えられるのが、ミラージュコロイド艦による奇襲。モルゲンレーテで噂に上ってました」「さすがはヤキンの生き残り。君がここに来てくれて良かったよ」「だとしたら管制は大混乱ですよ。熱紋照合が出来なければ……」「早急に決めつけることはない、問題は奴らの狙いだ」刻々と変化するモニターの表示を見ながら、社長はサイの肩を叩く。
するとそこへナオトが割り込んできた。「そんな、あれって条約違反になったんじゃないですか!? 冗談じゃないですよそれじゃ条約なんて無意味じゃないですかっ、やっと戦争が終わって条約が結ばれて、僕があの時必死で噛み噛みでレポートしたのはなんだったんですか!!」
「君も声大きいよ静かに」サイは回線へと通じるスイッチを入れた。「船内の皆さんに緊急にお伝えします。先ほど、ウーチバラ居住区画第14ブロックで爆発が発生しました。現在オーブ駐留軍および管制室と協力体制をとり、状況を確認中です。
なお、所属不明のモビルスーツが確認されたという情報もあり、警戒態勢をレベル5に移行しています。すみやかに全作業を中断し、落ち着いて付近の安全な場所に避難するようご協力をお願いします。これは訓練ではありません。繰り返します…」
「女の方が良かったかな」小声で社長が呟くのが聞こえたがサイは一切を無視してひと通りの放送を終えた。隣のヒスイの手は未だにキーボードの上で震え、あまつさえ小声で意味の繋がらない単語を呟きだしている。冷静な放送が出来るわけがないのは傍目にも明らかだ。
副隊長が後列で座ったまま、ブリッジ全員にはっきり聞こえるように呟いた。「住民の避難状況はどうなっとる?」
ディックが即答する。「30秒前にウーチバラ統括本部より、避難勧告が発令されました。オーブ・チュウザン合同軍の誘導による避難が開始されています」
「フーン」副隊長は鼻毛を引っ張った。「アマミキョにゃ収容可能か?」
誰かが声をあげる。それこそこの船の任務だ!
サイは急いで隣席のヒスイのモニターをチェックし、収容可能人数を割り出した。「作業進捗状況から計算しますと、420名が限界です」
社長はためらうことなく決断した。「よし、トニー隊長。付近住民のアマミキョへの誘導を開始してくれ!」
「そんな、社長!」トニーは意味なくまた叫ぶが、社長はたたみかけた。「ここが一番安全だ、シュリ隊初仕事頼むよ」
トニーは躊躇していたがやむなく指示に従う。「分かりました。ウーチバラ統括本部およびオーブ駐留軍に連絡!」
「やってるって」ディックの吐き捨てるような呟きをサイは聞き逃さなかったが、あえて無視した。
と、フーアが立ち上がった。短く切ったウェーブの髪が揺れる。「私も協力します、車を貸してください! 住民の皆さんに避難を呼びかけてみます」
社長への対抗心か純粋な正義感かそれとも蛮勇か──何だこの女。サイはカズイと顔を見合わせる。
つられるようにして、ナオトも立ち上がる。「ぼ、僕も行きます! それ僕の仕事ですから!!」 止められるわけもなかった。恐怖からの反動か、目が一気に使命感で輝きだしている。
カメラマンのアイムも調子に乗っていた。「俺も行くぜ。こんないい画のチャンス滅多にねぇ!!」
「ご協力感謝します。ゲートは搬送用5番使って、出たとこの第3倉庫前に何台かありますから好きなのかっぱらってください。あ、くれぐれも安全は自己責任で」
気持ちを一気に冷めさせるような社長の言動に、ナオトはむっとして社長を睨むがすぐに踵を返し、床を蹴って飛び出していく。サイが呼び止めようとしたがそれより早く、テレビクルー3名は出て行った。
「止めないんですか」カズイがサイの心境を代弁するように社長に叫んだ。「サイ、嫌な予感がする。まるであの時の」
「俺たちみたいだな」あの時とは言うまでもなく、2年前アークエンジェルに乗る決断をした瞬間のことだ。

 

ナオトはリフトグリップの速度を最高値にして、ゲートへの最短経路を進む。というよりも、滑空している。さっきまでよたよたとグリップにしがみついていたのが嘘のように。フーアがようやく追いついたが、声をかけるのが精一杯だった。
「どうしたのよ、貴方らしくもない」「当たり前でしょ! なんだってこんな処でモビルスーツが暴れてるんです、絶対許せません」
グリップが一旦つきる曲がり角で、ナオトは思い切り壁を蹴って曲がるべき方向へ正確にターンした。爆発音と震動が続く中、ナオトは蹴りの勢いで空中できれいに一回転して次のグリップへ飛びつく。
「たきつけたの私だけど」「すげー」フーアとアイムの小さな驚きの声も、ナオトには聞こえていない。船外の人々のざわめきに混じる轟音。
「何なんですかあの人たち、僕には分かりません。何で平気でいられるんだ、あそこで震えていた女の人が一番普通です」
ナオトの言葉に、少年らしい青臭い怒気がこもる。「分からない方がいいわね」「戦争慣れしてる、って奴か」
「だいたいムジカ社長は無責任すぎます! 目の前で自分のコロニーの人たちが死のうとしているのに、平然としていられるヴァカ社長、ありえませんよ? ちょっと聞いてますか二人とも、僕はあのサイさんって人もですね」
フーアがため息をつき、アイムがカメラをいじりつつ彼女に声をかけた。「14だから」


アマミキョ周辺は船の内外問わず大混乱に陥っていた。揺れで打撲傷を負った者、安全な場所を探して走りさらなる混乱を呼び起こす者、事態を放り出してそのまま動かない者。アムル・ホウナは騒動の中、母と婚約者により港湾区画のゲート外へ連れ出されていたが、そこに避難民が押し寄せ結局母たちと共に後戻りするハメになった。
狭いゲートに殺到し押し合いを続ける人々の中で、骨を砕き内臓を押しつぶそうとする圧迫感に耐えながらアムルは冷静に呟く。「満員電車への耐性が、こんなとこで役立つとはね」彼女の視線の向こうでは、必死でアムルの名を呼ぶ母が群衆に押し流されていった。彼女の婚約者と共に。
「恥を知れ。世間を知らないバカが」

 

混乱する正面ゲートを避けて裏側の搬送用ゲートから飛び出し、重力下へと戻ったナオトたちはすぐさまオープンタイプのジープに飛び乗った。
既にコロニーの空には、オーブ軍の戦闘ヘリコプターが出動している。「ヘリを貸してもらえばよかったかしら。それからウーチバラ支局への連絡もしなきゃね」ハンドルを握りながらフーアは呟いた。
「あそこだ。リュウタン広場25区画っ」アイムがカメラを片手に車体から身を乗り出し、同時にナオトもハンドマイクを握りしめてほとんどハコ乗りの体勢となった。風をまともに受け、ナオトのネクタイが激しく煽られる。住民の中にはきっと、自分の顔を知っている視聴者もいるはずだ。行く先の青空が黒煙で燻られ、顔にあたる風には灰が舞う。重力の中へ戻り、ずっしりと体内の血液が下がるのを感じたが、ナオトは思い切り頭を上げた。
避難を続ける人々が、ナオトたちのジープと逆方向へ移動していく。泣き喚く子供の手を無理やり引っ張る母親、ぐったりとして動かずベンチに横になる女性、疲れきった様相で女を背負う男、親を見失いぎゃあぎゃあ叫ぶ少女、あろうことか喧嘩をおっぱじめている男女。路地裏からはさらにドスの効いた男たちの罵りあいが聞こえる。「コーディネイターなんぞここに住むからだ!」鈍い音。コロニー中に鳴り響くサイレンが、さらに人々の混乱を煽り立てる。
そこへナオトの絶叫が、ジープに備えつけられた拡声器から轟いた。道路上の煙を吹き飛ばし、わめき声をかき消し、ヘリを撃ち落さんとする勢いの叫びが。
「ウーチバラの皆さん、こちらオーブSUNテレビの緊急放送です!! リュウタン広場付近で只今爆発が発生、テロの可能性もあり現在状況を調査中です! 万が一の場合に備えて皆さん、落ち着いて避難行動を開始してください! 争わないで! 混乱しないで! 落ち着いて! 軍と統括本部の指示に従い最寄のシェルターに避難してください!!」
アイムはとっくに片手で耳栓をしている。はっきりとした大声、これこそナオトの半分のコーディネイターの血がなせる技だった。なるべく外の放送が聞こえていそうにない小さな路地を中心にジープは回り、ナオトたちは誘導を続ける。なるべく被害の大きそうな場所へ、負傷者もいるであろう場所へ。必然的にジープは、ジンの暴れる方向へと近づく。

 

付近の路地裏を走る、3つの人影があった。紅いパイロットスーツの紅毛の少女に制服の少女、そしてロングコートの男。
路地裏に積み重ねられたゴミや荷物を軽々と飛び越え、男たちが殴り合いを始めた一角を無視し、3人はシャッターの降りた地下通路へのゲートへたどり着く。人一人がやっと通過できるくらいの小さなものだ。
紅毛の少女が慣れた手つきでグラブを外して真っ白な手を出し、ゲート入り口の指紋照合に手を合わせた。シャッターが開き、少女はさっと身体を向こう側へくぐらせる。そこへナオトの絶叫も聞こえてきたが、少女は振向きもしない。
「ティーダを頼むぞ」それだけ言って彼女は向こう側からシャッターを閉めた。「アイアイサー!」制服姿の少女がおどけて敬礼してみせる。
男が彼女の腕を取り、猛然と走り出した。少女の胸元から黒い球体がこぼれおちる。「あ! ハロ!」
「ハロハロ、オーマイゴッドン!」球体はぴょんぴょん道路を跳ねて叫び、走り出す少女のあとを自動的に追いかけていく。積み重ねられた古いダンボールと低いビルが立ち並んだ向こうに炎がちろちろ蠢いているのが見え、さらに黒い巨像のような物体が動いているのが見えた。それがジンの左脚部だということは、大部分の住民は知らない。住民にとってそれは、自分たちの家と生活空間を破壊するツノつき怪獣以外の何ものでもない。それがジンだろうがズンだろうがゾンだろうが知ったこっちゃないのだ。

 

ナオトの放送は区画監視カメラの音声回線を通じ、アマミキョブリッジにも入っていた。そのあまりの大声に、サイは思わず感心してしまう。
「さすがリポーターだな」まさかブリッジまで直接この声が届いているわけではないだろうが、一瞬そう錯覚させるほどのはっきりした声だ。
「でもさ、あいつが一番落ち着くべきだっての」カズイが突っ込む。
「医療ブロック、開けときますか隊長?」社長がトニーにお伺いをたてた。トニーは今更気づいたかのように顔を上げる。「社長、作業が中断している今では…」
すかさず副隊長が言った。「今の揺れと混乱で負傷者が確実に出とる。隊長、ワシがお前さんなら医療ブロックはそのまま救急体制に移行だ。勿論救急班も動かせ」隊長を見ながら、副隊長は嫌味を込めて笑う。尤も、嫌味というニュアンスがトニー隊長に伝わったかどうかはおおいに疑わしかった。
致し方なく隊長が指示を送る。「分かりました、本日只今をもってアマミキョ医療ブロック開放! サイ、通信頼む」
サイは再度回線を開いた。「医療ブロックに緊急連絡。医療班は作業を続行、負傷者の受け入れをお願いします。医療ブロックへ…」


「えぇ〜っ? サイさん、冗談やめて下さいよぅ!」医療ブロックでは、ネネが空中に散乱した大量の点滴袋を片付け中に、まだ固定の終わっていないベッドに頭をうちつけたところだった。他のところでは既に指示前に負傷者が運ばれ、医師と看護士が飛び回っている。
スズミ女医はサイの指示が終わるか終わらないかのうちに、壁に据えつけられた端末から直接ブリッジへ通信していた。「受け入れはします、しかしせめてここだけでも重力制御をかけてください!」
 

ナオトたちのジープはさらに爆走する。ジンの通過した跡は既に道路が寸断され、瓦礫の山となっているがジープはそれを飛び越えた。砂煙の向こうに、ゆっくりと移動中のジンが視認できる。全部で3機、うち1機は黒と紫で塗装され、通常のジンなら後ろへ飛び出している頭頂部のトサカが前面に飛び出している。あれがリーダーだろうか?
そのうちの一機、ノーマルカラーで塗装されたジンがMMI-M8A3・76mm重突撃銃を上げる。銃口が光り、またしても火柱が上がる。昨日ナオトたちが寄ってフーアがアメリカンの濃さに仰天し、洗剤味のチャーハンにアイムが文句をつけた喫茶店が、0.5秒でコッパ屑と化して宙に舞った。
まだ新しかった街並みが一瞬にして炎に包まれ、塵の中へ崩れ去っていく。ナオトは昨日は閉店大安売りをしていた洋品店を見つけたが、そこにはまだショーウインドーの中に少女がいた。恐らくこのドサクサの中で盗みにでも入ったのだろう、小脇に新品の靴を抱えている。すぐその上を、オーブ軍の戦闘用ヘリコプターが通過していった。巻き上がる塵の中、ナオトは少女に向かって手を振り上げ、叫んだ。
「最寄のシェルターは手前のコンビニを右に曲がって10m! 走って!! 駄目ならアマミキョに!!」この声でジンなんか吹き飛ばせたら。ナオトはそう思わずにはいられなかった。
その時、ナオトは見た。
避難民たちとは逆の方向、まっすぐにリュウタン広場へと向かっていく、制服姿の少女を。ベージュのブレザーに紅いスカート、あの制服はオーブで見覚えがある。胸元の赤いリボンが印象的なあれは、中学の制服だったろうか?
あまりにもすばしこい少女の走り。揺れや轟音などもものともせず、転がっていた1m四方のコンクリートの瓦礫を長い黒髪を跳ねさせながら飛びこえ、路地裏へと駆け去る。少女の周囲に次から次へと燃える瓦礫が落下していくが、驚異的な素早さで彼女はかわして駆けていた。
それをナオトは目で追った。自分と同い年くらいであろう、そんな娘が一目散にジンの方へ? 「駄目だ、逃げて逃げて逃げて!! そっちにはモビルスーツがっ」ナオトは叫ぶが、少女は振向きもしない。少女の横顔にジンへの恐怖は全くなく、ただ大きな瞳を嬉しさに爛々と輝かせているように見える。口元には笑みすら浮かんでいる。
炎と共に、ジンの21.43mの巨体が近づく。ジープは少女と同じ方向へとまっすぐに走りこもうとしていた。つまり、ジンの向かってくる先に。
「フーアさん、これ以上は危ないです。戻りましょう!」ナオトは少女を気にしながらも、身に迫る危険への恐怖にさすがに耐えられなくなっていた。しかしアイムもフーアも既に、異常な興奮の中にあった。恐怖よりも目の前の被写体なアイムに、無謀とも思える正義感を振りかざすフーア。
「バカ言え、こんないい画見逃せるか! あのトサカ野郎の下まで突っ込むっ」
「まだ誰か残っているかも知れないでしょ、ナオトっもっと呼んで!」
ジープはリュウタン広場の直前、巨大ロータリーにさしかかっていた。そこは二層構造の道路になっており、今ナオトたちが走っているのは上層部分である。また少女の姿を見たと思ったら彼女は道路わきから、高さ3mはあるであろう下層へぴょんと飛び込んだ。ナオトは思わず身を乗り出し少女を呼ぶ。その瞬間、少女のいたはずの場所に閃光が走った。一瞬後に来る爆風。衝撃でジープが止まった。
と同時に、ナオトは車から飛び出す。少女が気になった。子猫のように敏捷に、スカートを翻して髪をなびかせて爆風の中へ走る幼い少女、なんという異常な画だろう──
思いより先に、身体が動いていた。
「どうしたの!?」フーアが後ろで叫ぶ。どうもジープはタイヤをやられたらしく、アイムが車体を叩いて憤っていた。
「すいません、まだ避難してない娘がいるんです! 僕呼んできます」
「待ちなさいナオ──」
フーアが叫んだその時、真っ黒い影が空とナオトを隔てた。
次の瞬間、ナオトの身体は重い衝撃に宙に吹っ飛ばされる。まともに道路に叩きつけられ、ナオトの頭の中に火花が散った。
どうにか気は失わずにすんだものの、後から後から大小さまざまな瓦礫が嵐のようにナオトの上に降りそそぐ。さらに、彼自身が倒れている道路自体が、ゆっくりと傾ぎ始めていた。
ナオトはどうにか身体を支え、フーアたちのいた場所を振りかえった。そこにあったものは──
炎の照り返しを受け、緑色に輝く鋼鉄の壁。
それがジンの右脚部だということに気づくまでに、数秒かかった。
ジンの向こう側に、恐らくフーアたちがいるのだろうとナオトは思った。思い込もうとしていた。だが、向こうにいるはずのフーアの声が聞こえない。アイムの声が聞こえない。吹き飛ばされて怪我でもしたのだろうか? ああ、だからやめようって言ったのに。
オーブ軍のヘリコプターが近づき、一瞬煙が晴れて青空がのぞく。太陽光がジンと、その足もとの光景を照らし出す。
口の中に砂が大量に入り、熱のこもる空気に喉の水分が奪われていく。息が熱い。名を呼ぼうとする。しかし、さっきまであれだけ出ていたはずの声が出ない。
そして、ジンはミサイルポッドの装着されたずっしりと重い右脚部を宙に上げた。駆動音が耳に轟く。
重量78.5トン。その足の下にあった現実は。


葬式。死亡登録。局への死亡届。遺体確認。墓ってどこへどうやって頼むんだっけ。家族への連絡。火葬? 土葬? そもそもこれはまともな葬式が出来るか。飛行機が墜落した時って確か、──


ナオトの脳は現実を直視できず、そんな単語が後から後から意味をなさないまま飛び交っている。
一瞬見えた碧い天空をナオトは仰ぐ。そこにそびえたっているものは、今しがたナオトの目の前の二つの命を踏み潰した、鋼鉄の怪獣。
型式番号ZGMF-1017。拠点制圧用のM68パルデュス3連装短距離誘導発射筒を脚部に装着しさらに重量を増したであろう、モビルスーツ・ジン。
背部に装着された白い翼が、太陽光を受けて灰の中で煌いた。
大きく見開かれたまま瞬きすら出来なくなったナオトの目から、涙があふれる。ジンの姿がその視界で揺らめいた。
「警察……誰か、警察、呼んで」
すぐ頭上の建造物が崩れかかり、ガラスや燃える窓枠が落下してきたが、ナオトはそれをよけることすら出来なかった。放水車の音とサイレンが鳴り響く。警察? そんなものが何の役に立つ。それでもナオトは呟き続け、やがて喉から叫びがほとばしる。
「お願いだ、誰か、警察を……警察………早く。
人殺しだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!」
次の瞬間、ジンが再度跳躍し、脚部のあたりの道路が一気に沈下した。そのまま機体は翼を広げて次の目標へと向かう。しかし二層構造の道路はその衝撃で砕け、ナオトを巻き込んで崩壊していく。

 

ナオトの声が音声回線から途絶えた。ジンを映し出していたはずのモニターは真っ黒な煙と電波干渉により著しく視界不良になり、殆ど何も分からない。
さっきナオトたちのジープが、リュウタン広場付近まで近づいた処まではサイも確認していた。そこはもう広場というより戦場だった。オーブ軍の爆撃が始まり、ジンも応戦している。
今しがたジンが跳躍して移動しナオトたちのいたあたりに飛び込んで、二層構造となっていたはずの道路は崩落している。ジンは姿勢を制御しながらなおもオーブ軍への銃撃を続けていた。
「あの、バカ野郎」やはり止めるべきだった。サイの胸が激しい後悔でかきむしられたが、その時モニターとは別のウインドウに変化があった。
社長が後ろからサイに指示を送っている。「サイ、遅れてすまない。アマクサ組のデータ送っといたから、確認して」
送られてきたものは機体情報とパイロットデータだった。機体は3機、いずれも今まで確認してきたアマミキョ搭載の作業用モビルスーツとは明らかに違う。そしてパイロットデータを見て──
サイの手が止まった。
心臓も止まるかと思った。
サイの異常な様子に気づいたカズイが隣からそれを覗き込み、当然のことながら、叫ぶ。「ちょっと待ってくれよ! 悪い冗談やめてくださいよ、社長っ」
カズイの台詞はそのまま、サイの心情だった。ただ、サイは叫ぶことすら出来なかっただけだ。
「あー、サイ君にはちょーっとだけ刺激が強すぎたかなぁ? ごめんごめん」
呑気に笑う社長の気が知れない。モニターに映し出された無機的なデータと、見間違えようもない写真データとを見比べるサイの拳が握られ、爪が掌に食い込んだ。写真だけでも信じられないのに、その上このデータは一体何だ? こんな時に俺をハメて何の得があるってんだ、社長?
隣のヒスイは既にその場にいられずブリッジの端で吐き気をこらえていたが、サイにはもう彼女を気遣う余裕はない。
「こういうことか。君があの時言った言葉!!」
サイはもう一度確認する。そのデータを──
16歳。女性。傭兵部隊・アマクサ組一番隊隊長。
モビルスーツ・ストライクアフロディーテ専属パイロット。チュウザン出身のコーディネイター。
名前は──フレイ・アルスター。

 

何秒、いや何分経過したか分からない。
ナオトは、自分の腹の上でかなり乱暴に跳躍する物体の感触で、目を覚ました。
「ハロハロ! 警告、アラート! マユ、オーマイゴッドン!!」
それが通称「ハロ」と呼ばれる球体のメカであることはすぐに気づいた。確か、プラントの歌姫ラクス・クラインが持っている映像を何度か見た覚えがある。ただし今ナオトの目の前で跳んでいるハロは、桃色に塗られたラクスのそれとは違い、真っ黒だったが。
ナオトは何とか現在の状況を確認した。さっきまでいた二層構造の道路が落ち、その勢いで地盤が崩れてナオトは地下道まで落とされたらしい。どこかで水漏れの音がして、悪臭が漂っている。身体中が砂と瓦礫と木材に埋まっていたが、ナオトはどうにか起き上がることに成功した。手が土に触れる。これは、えぐられた地面だろうか? ナオトは心臓を冷たい手で鷲掴みにされた感触を覚えた。
ここはコロニーだ。もし、コロニーの地表を構成している土がえぐられ、構造物が剥き出しになったら。
頬に手を当てると、涙と泥でぐちゃぐちゃになっている。手がまだ震えている。嗚咽が喉から漏れる。
ハロはそれに気づいているのかいないのか、目を2度ほど光らせるとくるりと90度回転してナオトのもとから跳び出していった。それに導かれるように、ナオトはよろよろとながら立ち上がる。
どうやらそこは地下倉庫らしき場所だった。今の衝撃で天井が崩れ、いくつもの機械の破片が散乱している。中には明らかにモビルスーツの一部であろうという物体まである。勿論今は電気は通っておらず真っ暗で、誰の気配もない。
未だに爆発音が近くに聞こえ、亀裂の入った天井から小さな塵が落ちる。ハロはそれにも構わず跳んでいく。「マユ、警告警告!」
ナオトの視線の先、瓦礫の山の向こうには、一体の白いモビルスーツが見えた。
確か見覚えがある。あの形は以前取材中にオーブのモルゲンレーテ社で画像を見た機体、ブリッツガンダムではなかっただろうか? 大戦中に連合の手でモルゲンレーテ社で製造され、ザフトに強奪された機体だ。好奇心のあまりナオトが発見してしまったデータで、勿論報道は禁じられた。しかしカラーリングが違うのがすぐに分かった。ブリッツはステルスシステム「ミラージュコロイド」を使用していた機体で、特殊粒子を定着させる為に機体全体が黒く塗装されていたが、今ナオトの目の前にあるモビルスーツは、ブリッツの黒い部分が全て白く塗りなおされたかのようだ。真新しい機体のようで、その白自体が輝きを放っているようにすら見える。
しかし今、白いモビルスーツはどうやら地上からジンの攻撃を受けたらしく、仰向けに倒されている。少なくとも数秒前まではジンの攻撃に耐えしっかり立ち上がっていたようだ。勿論天井には大穴が開き、そこから地上の光が射していた。太陽光と炎の光。
倒されたモビルスーツの胸の部分が開いている。おそらくコックピットなのだろう、人の頭が動いている。
ハロはまっすぐにモビルスーツの方向へ跳びはねていく。「ハロハロ、マユ、アラート!」
ナオトは思わずモビルスーツに近づいた。人間と同じ顔を持つ機動兵器。オーブの理念を貫き、オーブを戦火から護る力が、今ここにある。
「ハロ! どしたの!?」コックピットから、この状況下にしてはずいぶんと明朗な声が響いた。ハロはコックピット目がけて跳び上がり、そのまま向こうへ姿を消す。
そして、コックピット──つまり、モビルスーツの開いた胸部からゆっくりと立ち上がった者は。
「君は……」
炎の中を、目を輝かせて走り抜けていたブレザー姿の少女。ジンを目の前にして、四肢を躍動させてスカートを翻して飛び跳ねていた少女。
ナオトが、どうしても追いかけずにはいられなかった少女だった。
ハロは彼女の胸に抱えられ、彼女は不思議そうに大きな瞳を見開いてナオトを見つめる。ナオトはしばらく、その愛くるしい丸顔に心を奪われていたが、すぐに正気を取り戻し状況を見極める。
異常だ。彼女は明らかに異常だ。何故なら。
その左腕がだらんと下へ垂れ下がり、肩から血が流れ落ちて腕全体を真っ赤に染めている。ベージュの上着の布地も半分がた、紅に染まっていた。炎の照り返しが彼女を照らし出す。放水の音が高くなる。そして、どこかでジンの駆動音まで聞こえる。なのに彼女はこちらを見ながら、にっこりと笑ったのだ。
「ナオト!? 貴方、ナオト・シライシだよね!!」少女は目を輝かせ、顔いっぱいに嬉しさを表現する。しかしその顔からは血の気が完全にひいていた。「私、貴方のこと知ってるよ。すごいすごい、こんな処で有名人に会えるなんて!」
少女は身を乗り出した。しかしその時、天井の向こう側つまり地上でジンが再び動き出す姿が、ナオトの視界の隅で確認できた。
ジンの単眼が、明らかにこちらを狙って光る。
「駄目だ、伏せて!」ナオトは思わずモビルスーツの機体によじ登り、コックピットに飛びついていた。だがジンの重突撃銃が火を噴こうとしたその瞬間、ジンは背後から攻撃を受けて吹っ飛んだ。重い鋼鉄の巨体が地上に激突したその衝撃でまたしてもナオトたちの上に瓦礫が降る。中には火を噴いている落下物まであったが、ナオトはそれを払いのけて少女のもとへ急ぎ、コックピットに飛び込んだ。どうやらこの機体は複座式で、前後に座席がついている。ナオトはためらうことなく前部座席に滑り込み、少女の腕を取る。その出血量に、ナオトの方が蒼白になった。少女は脳天気に目を輝かせる。「良かった、ちょっと困ってたの。腕が動かなくなっちゃって」
「おかしいよ、どうしてこんな血が出ていて笑っていられるんだ、君は!」ネクタイを素早くほどいて、少女の止血を行なう。ネクタイは黴菌の巣だと聞いた覚えもあるが、この際仕方がない。
「だいじょーぶ、お兄ちゃんが助けてくれるから。ぜーったい!」唇を紫色にしながら、苦痛を全く感じていないという顔で少女はにっこり笑った。「私、マユ・アスカ。これからアマミキョを護るの、よろしくね!」
少女はどうやら、機体を起動させようとした最中に攻撃を受けたらしい。コンソール・パネル内のモニターでは、既に機体が動き出そうとしているのか、6つの文字列が紅く明滅していた。

Generation
Unilateral
Neuro-link
Dispersive
Autonmic
Maneuver

TIIDA

「TIIDA……てだ。太陽?」
ナオトの前に、ハロが飛び込んだ。その口部分が大きく開かれ、ハロの中が丸見えになる。ナオトにはさっぱり用途の不明な機器が詰まっていたが、何よりも彼の目をひいたものは、
ほんのり紅色に染まった、小さな貝殻──ではなく、きれいな珊瑚色に塗られた爪が、一片。
その爪の先は、小さな白い三日月が描かれている。
見間違えようもない、フーアの描いた爪だった。彼女の大好きな絵柄だった。三日月の表面には黒く固まった血が少々飛び散っている。何とも皮肉なことに血の赤黒さが、三日月をより美しく見せていた。
そんな爪が、指の一部分と一緒に、ハロの中に入っていた。ちょっとばかり見えている白い骨は、第二関節のあたりだろうか。

 

二度と、誰も殺させない。
二度と、誰も殺させてはいけない。
こんなこと、絶対に許してはいけない。
こんな異常事態に、僕はもう耐えられない!!
 


ナオトはそっと指に手を伸ばす。
目の前で血を流しながら、なお嬉々として戦おうとする少女。目の前で無惨に命を絶たれた同僚。どうしてなのか分からないまま破壊されていく生活。宇宙の片隅で崩れていく、小さいけれどそれぞれが大切にしていたはずの、人々の空間。
コンソールに浮かび上がった「GUNDAM」そして「TIIDA」の文字が、問いかけていた。この状況に対して、今お前が出来ることは何だ。
今、力を手にしたお前に出来ることは何だ。
フーアの指を胸ポケットに入れる。彼女の指を心臓に感じる。ナオトの中で、凄まじき怒りが恐怖とパニックを超越した時──

 

ガンダム・ティーダの双眼が、煌いた。

 



 
 

 

つづく
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