アークエンジェルは再び、ダーダネルスの戦線のド真ん中への介入を敢行した。
こうなる前から、随分言われていたことだ──サイは思う。
キラのやり方では、その場で命を救いはしても、本当にその兵士を救ってはいない。
キラが殺さずとも、キラの後に続く者たちが、キラが救ったはずの命を奪う。残るものは、キラ「だけは」やっていない、という事実だけだ。
それが戦争だからと片付けてしまうのは実にたやすい。戦争の中で、キラのような行動を取る者の方が異常なのだ。
あのラクスですら2年前は、自分を守る為にザフト兵たちを殺さざるを得なかった。そんな中で、キラだけは殺しをやらないということに、一体何の意味があるのだろう? 今ティーダを見て気絶した兵士を見ても一目瞭然のように、キラは命を奪いはしないが、助けてもいない。
では、戦いの中で人を救うには、一体どんな方法があるのだろう? 解決不能としか思えない命題だが、サイたちアマミキョクルーはその使命を帯びて駆け回っているのだ。
サイは考え続ける。助け出したオーブ兵たちはこう言っていた──カガリ代表が、敢然と自分たちの前に立ちはだかり、戦いを止めようとしたと。ルージュに乗って、戦闘のド真ん中に割り込んで。
だがその結果は、サイたちの眼前に拡がる血腥い光景だ。サイの駆る作業用アストレイは、装甲の紅がもはや泥にまみれて見えなくなり、サイ自身も作業服を泥と血と潮で汚している。三日三晩延々と続いているこの救助作業は、いつ終わるとも知れなかった。医療ブロックや食糧供給所では、優先順位を巡って兵士と民間人が何度も小競り合いを繰り返している。
暴れるだけ暴れてわめき散らし、被害を拡大させて勝手に退散した。結局のところ、カガリもキラも何の役にもたっていない──いや、本当にそうだろうか?
サイは考え続ける。それでも彼らの行動には、何らかの意味があったと思いたい自分がいる。志を違えたとはいえ2年前は、自分が乗っていた船なのだから。
炎上する艦から脱出を果たしたオーブ兵たちの一部は、アークエンジェルに移ったという。アークエンジェルに行けという、上官命令によって。
その上官や将兵たちが何を思い行動したのか、サイには知るすべもない。だが、必死で自らを貫こうとしたキラとカガリの想いは、おそらく彼らの心を動かしたに違いない。ナオトの主張も、全てが的外れというわけではないのだ。
ふらふらとアストレイを動かしながら、サイは本日12隻目の救命ボートの収容にかかる。アークエンジェルが正しいかどうかよりも、破壊された浜辺の混乱をどうにかすることが優先だった。日が昇る前から作業をしているが、昼近くなった今も全く片付かないどころか、続々と溢れる負傷兵・避難民たちの為に一層混乱は倍増している。シュリ隊の中にすら、疲労で倒れる者がいた。
潮に汚れたサイの右手が、思わずコンソールパネルを叩く。「どちらにせよ、奴らの尻ぬぐいさせられてるのは俺たちなんだ、畜生!
散々戦場荒らし回った挙句にトンズラしやがって、お前らは片付けられない子供かこの野郎!!」
サイの口汚い叫びは隣のナオトを若干驚かせただけで、あとは黒く汚濁した海へ虚しく吸い込まれていった。
PHASE-20 強襲! デストロイ
夜もすっかり更けた頃。
ようやく作業を終えたサイはアストレイを降り、ハンガーで生ぬるいコーヒーにありついていた。アフロディーテやティーダは既に戻っている。アマクサ組の作業艇・ハラジョウに何とはなしに目をやると、ラスティがフレイに何やら息せききって話していた。
フレイの様子は、アークエンジェル接触前と何ら変わりのない威厳を保っている。あくまで冷厳で、高慢で、威圧的──
一体、俺やキラに見せたあの狂乱ぶりは何だったのか。彼女の記憶は、キラとの接触により完全に戻ったのではなかったのか。
だが、依然として「姫」フレイは、フレイ・アルスターの身体を占領したまま、どっしりと構えている。そこに、元のフレイが介入する隙間などないとでも言いたげに。
アークエンジェルから帰還して以来、フレイはサイとまともに口をきいていなかった。ティーダからサイを強引に降ろさせたことからも、そしてそれを直接サイに告げもしなかったことからも、フレイの怒りがどれほどのものか知れようというものだった。
──それでも、彼女の中で、フレイは確かに生きている。
サイは思い出す。アークエンジェルで、俺は確かにフレイの言葉を聞いたんだ。俺を責めるフレイの言葉を。
──そういう利他主義なところ、昔っから大嫌いだったのよ。
──私が一番つらかった時に、いきなり突き放した、抱きしめてもくれなかった。
──私が死んだ時だって、泣きじゃくってもくれなかったくせに。
──今更サイなんかに私を取り戻す権利、あるわけないのよ。
彼女の放った言葉の刃は、今もサイの心を蝕む。だが一方で、サイはその言葉に安心している自分に気がついてもいた。
何しろ、2年ごしでやっと、フレイの本音を知ることが出来たのだ。自分の情けなさと罪深さをフレイに正面から非難されたことで、サイの心は何処か軽くなっていた。勿論、深く傷ついてはいたが。
サイは靴の泥を丁寧に落とした後、毅然としてフレイの方に歩いていく。微笑みを装って。
俺は確かめなきゃいけない。
「フレイ。君に礼を言うのを忘れてたよ──ありがとう」
突然会話を中断され、僅かに怪訝そうな表情を見せて振り向くフレイ。「何の話だ」
その瞳には相変わらず愛も情も欠片も感じられなかったが、それでもサイは畳みかけた。「ティーダが海に落ちた時、君はティーダの上空で戦うのを避けた。あそこでバビを撃つぐらい、君にとっては造作もないことなのにね。
おかげで、ナオトもマユも俺も助かったよ」
「本気で感謝しているのなら、私が暇な時にしろ。今はミーティング中だぞ」
「君が暇な時なんてないだろ。ともかく、ティーダは助かった」
サイはさらに一歩を進め、フレイに正面から近づく。フレイが思い切り頬を叩ける距離まで接近しながら、サイはさらに呟いた。「ずっと気になっていたんだ、君のあの行動。
でも、嬉しかった。君の中にまだフレイがいて、ちゃんと息をしていて、俺たちを守ってくれた──そんな気がして。
勿論、フレイが未だに俺に気があるなんて、露ほども思っちゃいないけどね」
訥々と語るサイの言葉で、ラスティが大仰に両手をあげる。「せつねぇな」
その仕草と台詞が何を意味するものか、この時のサイには分からなかった。フレイはラスティを軽く視線で制し、ついで冷たく答えを返す。「ティーダの力はもう十二分に知っているだろう、アレはアークエンジェルとアマミキョをつなぐ鍵となった。今後アマミキョを守る為にもティーダは不可欠だ、とうに分かりきっていることを確認するな」
何処か気乗りのしない口調で、用意していた台詞をつまらなげに喋っている──そんな感覚を、サイは彼女の声に感じた。その声には、いつもの迫力が少しばかり欠けている。何かに失望しているが、その失意を何とか押し隠そうとしている声のようにサイには感じられた。
フレイは、俺の何に失望したのだ? 俺がフレイの存在確認をしたことが、彼女にとってはそれほど不都合なことだったのか?
おかしい──いつもの俺なら、こういう人心の機微を読むのは比較的得意なはずなのに。相手がフレイだというだけで、これほどまでに読めなくなってしまうものか。
フレイはそんなサイの心を知ってか知らずか、強引に話題を打ち切った。「それより、船内の騒ぎを知らんのか。
喜べ、ユウナ・ロマ・セイランがアマミキョにご搭乗なされた。お前をお呼びだぞ」
「どういうつもりであの船を泳がせておくんだい、えぇ!?
あの船はオーブからカガリをさらい、オーブの運命を決める戦いを壊したテロリストどもだ! 放置するなら君らも同罪なんだよ、分かっているのかいっ」
オーブ軍人数名を引き連れてアマミキョに強引に乗り込んできたユウナ・ロマ・セイランは、可哀相なほど激情していた。サイがナオトを連れてブリーフィングルームに入った時には、既にフレイ、トニー隊長、リンドー副隊長、山神隊がユウナの小言の嵐を聞かされていた。トニー隊長以外は全員、冷ややかな目でユウナを眺めている。それほどまでに、彼の取り乱しっぷりは凄まじかった。
入ってきたサイを見るなり、ユウナは思い切りサイに駆け寄り両腕を掴んできた。「アーガイル君! 君なら分かるだろう、僕の気持ちが!
僕はカガリをあの忌々しきフリーダムに奪われた上、今またフリーダムとアークエンジェルに邪魔をされたんだ。オーブを守る為に自ら出陣したというのに、しかもカガリの偽者まで現れてっ」
「アスハ代表は偽者なんかじゃありません!」サイが答えるより早く勢いよく叫んだのは、サイに半分無理矢理連れてこられたナオトだった。ユウナの命令だからとサイに何十分も説得されたナオトだが、その表情は勿論ぶすくれている。
ティーダに自分を乗せたのがカガリではなく、この大げさ極まりない高慢な男であったという現実が、ナオトの苛々をさらに増幅させていた。「僕はちゃんと代表にお会いして、話もしました。あそこにいたのは間違いなくアスハ代表なんですよ!
僕に言わせればね、貴方のほうこそ代表の人気を利用した、偽の……」
そこまでナオトが言わぬうちに、サイが慌ててナオトの口を塞ぐ。
ナオトの言葉でさらにいきり立つかと思われたユウナだが、意外にも彼は若干表情を和らげ、なめまわそうという勢いでナオトを上から下まで検分する。「ほぅほぅそうか、君がナオト君か。よく頑張っているの、知ってるよ。
ティーダのパイロット君がどうしているか知りたくて、来てもらったんだ。やっぱりテレビとはだいぶ印象が違うものだね」
ユウナに褒められても、ナオトはちっとも嬉しがらないばかりか、ますますふてくされて黙り込む。はっきりと子供扱いされたのが気に入らないのだ。
サイはその心情を察しながらも、ナオトを押さえながらユウナに謝罪する。「申し訳ありません、救助活動で気が立っておりまして。長旅と戦闘でお疲れのところ、大変な無礼をお詫びします」
「言葉だけは受け取っておくよ」サイの態度にユウナは一気に高慢さを取り戻し、壁でも飛ばす勢いでふんと鼻を鳴らす。「そんなことより、君たちはアークエンジェルをどうするつもりなのかね、えぇ? 捕捉しておきながら何もしないでは、意味がないじゃないか! 今回だって、事前に情報が掴めていれば被害を未然に防ぐことも出来た!
アーガイル君、僕は君がキラ・ヤマトの友人だというから信頼したんだよ。君なら彼を止められるとっ」
見ようによってはパントマイムのようなコミカルに腕を振り回してユウナは叫び、しまいにはサイの胸に縋りつく。その言動にも関わらず、ユウナが(不人気であるにしろ)代表補佐という役職についていられるのは、この憎めない、道化のような仕草による処も大きいのだろう──サイは感じた。
「お言葉ですが」沈黙を続けていたフレイが、ずいと一歩進み出る。「アークエンジェルやキラ・ヤマトを止められるほどの戦力は、アマミキョには存在しません。ご存知の通り、キラ・ヤマト操るフリーダムは、単機で戦局すら左右するほどのモビルスーツ。おまけにアークエンジェルは世界最強を謳われる戦艦で、現在は潜水機能まで備えております。
ザフトのエース級を次々に撃破したあのフリーダムの威容、貴公もご覧になったはず……アークエンジェルを追跡可能となっただけでも、ありがたいと思って頂きたい」
「フレイ・アルスター! その言い方はあまりにも不躾ではないかねっ」ユウナはさらに激昂し、今度はフレイに向かって指を突きつける。「僕は君が最強の女性傭兵として、オーブの為に蘇ったと聞いたからアマミキョの護衛にしたんだよ。なのに、何の役にも立っていないじゃないか! IWSPまで貸したというのに」
その言葉に黙っていられなくなった風間が口を挟んだ。「セイラン殿。現在アマミキョは、ほぼ予定通りの航行及び救助活動を継続しております。それは、アルスター嬢率いるアマクサ組の護衛による処が非常に大きく」
「連合の方々は黙っていてもらえますかね」ユウナは背を逸らし、並んでいた風間と時澤を見下げる。ちなみにユウナの背は時澤軍曹を首1.5個分ほども超えていた。ここに山神や伊能がいたのなら、ユウナの態度も変わっていただろうに──時澤が歯ぎしりするのが、サイにもはっきり分かった。「これはオーブ国内の問題なんだよ、君たち!」
ユウナはさらにフレイに向き直る。「誰もアークエンジェルと戦えなどとは言っていない。アークエンジェルの情報を掴めたのなら、通報する義務があるはずだ。君らはそれを隠蔽したんだ!」
「お伝えしたはずですが」フレイは全く動揺する様子もなく、しれっと言い放った。
ユウナの顔が真っ青になり、ついで真っ赤に変わる。「虚言を弄すようなら、今ここで僕が君を叩っ斬ることも可能なんだぞ!」
「こちらがアークエンジェルの情報を隠して、何の得があるというのです? 嘘と思われるのでしたら、直ちにアマミキョの全艦監視システムを調べて頂ければよろしいかと。ログは残っているはずです」
自信に満ちたフレイの態度に、ユウナの方が今度は傲慢さを失う。サイも感じた──フレイは嘘は言っていない。だとすれば、嘘を言っているのは。
サイは思わずユウナの背後のオーブ軍人たちを見た。ユウナの激しい視線もサイと同じく、彼らに注がれている。非難と軽蔑の入り混じったユウナの目を見て、サイは痛々しさすら感じた。軍人たちはただ状況が掴めず、お互いの顔を見合わせている。そこに嘘があるのかないのか、サイには判断が出来なかった。
だが、ユウナは彼らを責めることはしなかった。責めることが出来なかったのだ。怒りに満ちたユウナの目が一瞬にして、縋りつく犬の目に変わる──お前たちまで、僕を裏切るのか。お前たちまで、僕に嘘を言うのか。
フレイはユウナの背に容赦ない言葉をぶつける。「おそらく内部で伝達が遅れたのでしょうな、意図的なものである可能性も否定しませんが。どちらにせよ軍という組織においては致命的だ、今一度情報伝達の体制を確認されてはいかがかと思いますが」
「ち、違う。きっと誰も信用しなかっただけだよ、戦闘への介入なんて……」
「では、我らが一命を賭してアークエンジェルを追跡したのは全く無意味だったということになりますね。貴重な情報も、活用出来ねばただのゴミだ」
「違うよ、誰がそんなことを言ってる!」
ユウナは必死で取り繕ったが、既にオーブ軍内部で何が起こっているかは、サイだけでなくほぼ全員がおぼろげに理解していた。部下と司令官との信頼関係という点において、現在のオーブ軍は壊滅的と言えた。哀れみにも似た空気が室内に充満する。
ユウナを眺めるオーブ軍人たちの目つきは、最初から冷ややかだった。慣れない戦闘が続く中、おそらくユウナは気を張っていただろう──味方であるはずのオーブ兵たちからもこのような軽蔑の目で見られながら。
好きになれない男ではあるが、サイはその立場にいつしか同情していた。よほどの鈍感でない限り、味方からのこのような蔑視には耐えられまい。味方に嫌われているその事実を理解しているからこそ、ユウナは荒れている。
「だいたい、ありえないだろ! 一国の代表が行方をくらまし、自軍の戦闘に介入するなど。あってはならないことなんだ、例えそのカガリが本物だろうと、偽者として成敗するべきなんだっ」
室内の空気も読まず、頭を抱えるユウナ。その姿に、サイは酷く萎れたものを感じ取った。明らかにユウナは疲労している──でなければ、一応オーブ政庁では切れ者で通っていたはずの彼が、カガリを殺せなどと公然と口に出来るはずがない。
「そんな無茶苦茶な!」間髪いれずナオトが叫ぶ。「あんた、自分が何言ったか分かってるんですか!?」
「何も知らない子供は黙っていてくれたまえっ」今度はユウナはナオトに媚びることなく、怒声を浴びせた。「無茶苦茶なのは奴らの方だろう。オーブを僕らに押しつけて、自分たちは雲隠れしたあげく戦争ごっこだと? そんな馬鹿が通用するほど、政は甘くないんだよ」
「戦争ごっこをしてるのはセイラン家じゃないか!」ナオトはなおも叫ぶ。「連合におべっか使ってオーブを戦争に巻き込んで! 代表はそれが嫌だったから、あんたが嫌でたまらなかったから、あんたから逃げたんだよっ」
言い分は分かるが、これはあまりにも暴言だった。サイは必死でナオトを押さえる。「やめろ、ナオト!」「やめませんよ! いい機会なんです、ここで言わなきゃ誰が言うんですかっ」
ナオトとユウナのヒートアップは止まらない。ナオトの言葉に本気で怒るほどに、ユウナは我を失っていた。「子供だからといって、何でも許されると思うな! 僕は君を激励する為にわざわざ来たのに何だね、その態度はっ」
「嘘つくな! 僕らをお前の好きに操ろうったって、そうは」
その瞬間、室内に鈍い拳の音が響き渡った。頬を思い切り殴られ、ナオトの言葉が中断される。
場にいた者たちは全員、呆気に取られて目の前の光景を見ていた。オロオロしているばかりだったトニー隊長も、事態を傍観していたリンドーも、風間も時澤も、冷徹を貫いていたフレイまで。
殴られたナオトは勿論のこと、ユウナも半分腰を抜かした。
最も驚いていたのは、サイだ。何故ならナオトを張り飛ばしたのは、他でもない自分だったから。
ナオトとユウナの間に仁王立ちになったサイは、自らの行動に動揺しながらも静かに呟く。「立場をわきまえろ、ナオト。今の発言は銃殺ものだ」
ナオトを殴ったばかりの拳は腫れ、震えていた。サイに殴られた──その事実に何も言えなくなったナオトに背を向け、サイはユウナに向き直る。そして直ちに、ユウナの足元に頭を伏せた。
「自分の監督不行き届きです。二度までも大変な非礼をはたらいたこと、お詫びさせていただきます」
土下座の体勢を一片たりとも崩さず謝罪するサイに、ユウナも少しばかり冷静さを取り戻した。「いや、すまない。頭を上げてくれたまえ……僕も言いすぎた」
このような態度を取られるのは久しぶりだったのか、ユウナは姿勢を崩そうとしないサイに対して慌てふためいてすらいる。「カガリを殺そうなんて、とんでもないよ……僕こそ銃殺ものだ。
戦いというのは皆を狂わせるものなんだね」
緊張が若干解けたこの瞬間を逃さず、フレイが声をかけた。「セイラン殿──貴公は若干お疲れのようだ。少しアマミキョで休まれてはいかがですか、今なら最上級のココアもご用意出来ます」
サイの心を見抜いたかのようなフレイの言葉。調子を取り戻したユウナはまたも仰々しく手を上げた。「是非、そうしてもらいたいものだね」
その時だった。ルーム内に警報と、マイティの悲鳴が響き渡ったのは。
<ワルシャワより緊急入電! 正体不明の大型モビルアーマーが、ロシア方面より進撃中! ザフト軍駐留中の都市を中心に、被害が拡大しています>
全員が一斉に顔を上げる中、ユウナは一人、喜び勇んで拳を突き上げた。「やったぞ! 連合の逆襲だっ」
ベルリンより東へ約200キロ、ノテチ川の流域をアマミキョは飛ぶ。
重い黒雲のたちこめる中、マイティとアムルの声がブリッジ内を交錯する。「状況、出ました。現在、アンノウンは9都市を壊滅させ、ベルリンへ向かっています」
「ポズナニの連合軍との通信、未だ回復しません! んもう、どうしてこんなにジャマーが強いの?」
アムルが苛々と唇を噛んだその時、サイとリンドーがブリッジに戻ってきた。その後ろから、当然のようにユウナも堂々と入ってくる。一同は仰天したが、ユウナは悠々と言い放った。
「心配することはないさ、皆の衆。これはオーブと連合にとっては大チャンスなんだよ、ザフトに蹂躙されてカオス状態だったユーラシアを一気に取り戻せるんだ。あの戦略兵器・デストロイで!」
いかにも物騒な名のついたその兵器を、さも自分が開発したかの如く喋るユウナ。そんな彼を、全員が訝しげに眺めていた。戦略兵器などというのは彼なりの過剰形容だろう──そう判断したサイは、通信を続けようとする。だがそんなサイの左肩を、ユウナが抱きつくように押さえた。彼の象徴ともいえるもみ上げがサイの頬にかかる。さすがのサイも、これには鬱陶しさを感じずにはいられない。「これで君たちの仕事も、ぐんと楽になるはずだ。もうヨーロッパで、ザフトに襲われることもなくなる!」
さらにサイの右側にいつの間にかやってきたリンドー副隊長が、サイの耳にボソリと呟いた。「ティーダはどうなっとる?」
これが両方女の子だったら──サイはちらりと不謹慎なことを考えたが、すぐに答える。「現在、アマクサ組と共に半径50キロ以内を調査中です。しかしニュートロンジャマーの影響が酷く、ティーダの能力をもってしても通常の通信状態を保てない状況です。先行している山神隊との連絡は、既に途絶しています」
「だろうな」リンドーは呑気なのか苛ついているのか分からない口調と共に、鼻毛を抜く。「知っとるだろうが、ここより北東僅か100キロの地点は、あのニュートロンジャマーが撃ち込まれた地域──だからこそ、ティーダの通信機能が不可欠になる」
ブリッジを、少しばかり沈黙が支配した。ここが、かつて大災害を引き起こし、今なお戦乱の引き金となっている「ニュートロンジャマー」の在り処の一つ──人類史上、最も大きな傷を負わされた地。
サイはモニターごしに眼下の風景を見る。黒雲の下、低い山々が連なっている。その間をぬうようにして河が走り、河に寄生するカビのように村が点在していた。山の麓あたりには、破壊し尽くされ復興の兆しも見えない、古い都の跡がわずかに見える。
「ニュートロンジャマーは簡単に言えば、大地を破壊しつつ地中へ潜るドリルだ。こいつは今も潜り続け、地殻変動を絶えず引き起こしている。ここには元々森しかなかったんだがな──おかげさんで、住民の趣味は森のハイキングから山登りになっちまったそうだ」
ユウナが得意げに続ける。「この辺りは戦略上重要拠点だ。元々連合の勢力が強かった処に撃ち込まれた、忌々しいドリル。だが連合の抵抗もなかなかのものでね、さすがのザフトも手を引かざるを得なかった地域なんだよ。一番大きな理由は、これほどの大規模な地殻変動をザフトが予測出来ていなかったことにもあるけどね」
「地上を舐めた若い奴らのやりがちなミスだよ。
尤も、ザフトも諦めたわけじゃないがな。ナチュラルに対するテロは絶えないときく」
「それも散発的なものですよ、副隊長」ユウナは胸を張った。「デストロイで、そいつらも一掃出来るはずです」
そう簡単にいくだろうか。ユウナの能天気さに一抹の不安を覚えつつも、サイはティーダとの通信を継続する。ナオトの不安定な精神状態が、サイには気がかりだった。自分が殴ったことで、ナオトは多少目を覚ましてくれるのか、それとも。
山に隠れるようにして低空を航行するアマミキョ。ティーダはその直上を飛んでいた。但し、電源ケーブルつきで。
「どうして山の向こうに行っちゃいけないんですか!?」
アマミキョとケーブルで繋がれたティーダの中で、ナオトは喚く。途切れ途切れの通信で、サイの冷静な答えが返ってきた。<ジャマーの影響が強すぎるんだ。ティーダの通信機能でもこれだけ信号が乱れてる。山神隊とも連絡取れないだろう?>
ティーダの横を飛んでいたアフロディーテが、ゆっくりとティーダの右腕部に機体を接触させる。フレイの通信が割り込んできた。<今最重要なのはティーダの通信機能だ。山向こうで何が起こっているのか、調査した上で情報をアマミキョに持ち帰る──それがお前たちの役目だ。
うかうか向こうに行って撃墜などされては、困る>
「だからって」ティーダの背部から尻尾のように生えたケーブルが、ナオトには気分が悪かった。「こんなケーブルつけたまんまじゃ」
アマミキョ側でティーダのケーブルを引っ張りつつ通信状態を維持しているのは、ソードカラミティだった。カイキの怒鳴り声が、ぶつ切れながらもコクピットに響く。<この状況じゃ、ティーダの通信機能だけで1分でバッテリー上がっちまうんだよ! 説明聞いてなかったのかっ>
「分かってます! だけど、もっと他にやり方が」
その時、前席でじっと黙りこくっていたマユが突然叫んだ。「ナオト、黙って! 何か聞こえる」
言われてナオトは我に帰る。今、操縦系統の7割はマユに委ねられていた。バイザーごしに覗く彼女の頬に、能天気さは無かった。マユの膝の間の黒ハロは、両耳を立てたまま静止している。
モニターで確認出来るものは、次第に荒ぶる空と、連なる黒い山々だけだ。「何も見えないよ、マユ……静かなだけで」
「誰かが叫んでるの。
やっつけなきゃ……こわいものは……ぜんぶ」
ナオトはマユが何を言い出したのか、理解出来なかった。元々彼女の言動は不思議なことだらけだったが、今のはいつもと少し様子が違う。「やっつけなきゃ……こわいものは」
メットにそっと左手をあて、マユは呟く。誰かがマユを乗っ取りでもしたかのように、その目は焦点が合っていない。
ナオトが異常に気づいてマユの肩に手を置いたその瞬間──
地形を表示していたディスプレイが一気に染まる。熱源を示す、鮮烈な紅で。
心を揺さぶる雷光が、ティーダを切り裂かんとして轟く。それに負けじとナオトは叫んだ。「目標、捕捉しました! 三時方向、距離は──」
だがナオトが早口でまくしたてるよりも早く、天空を割るが如くの轟音が空域を襲った。
コクピットに警告音が乱舞する。同時に、マユが絶叫した。
「い、嫌あああああっっ……怖い、怖い、怖い!
……コワイ?」
ティーダそのものには何らの物理的被害はなかったのだが、それでもマユは身体中を掻きむしりシート上で暴れ出す。もはや操縦どころではなかった。
<マユ! どうしたっ>
ナオトが慌てて声をかけるより早く、カイキがマユの異常に気づいて通信に割り込んだ。ケーブルが引っ張られる──ナオトは後席から何とかマユを押さえ込んだが、それでもマユの狂乱は止まらない。「怖い、こわい、コワイ……何で? どうしてこんな風に感じるの?
ナオト、お兄ちゃん、サイ、助けて、助けて……こんなの嫌だよ、痛いよ、こんな嫌なもの感じたくないよ!」
「マユ! お願いだ、落ち着いて」メット同士がぶつかる痛みを感じつつも、ナオトはマユを押さえ込む。柔らかな少女の肩の肉が、スーツごしに感じられた──だが同時に、ナオトの脳裏を閃光のように、何かが駆け抜けていく。見えないはずのものが、見えてくる。
それは、光が織り成す破壊の光景だった。
逃げ惑う人々を容赦なく薙ぎ払う光。
生きとし生けるもの全てを焼き尽くし蹂躙する光。
これは何だ? 僕の頭に展開されるものは何なのだ? どうして僕が、見られないはずの光景をこんなに近くで感じている?
ナオトの眼前で、なすすべもなくゴミのように爆散していくバビ。
ナオトの眼前で、何も出来ずに吹飛ばされていく子供。
幻にしては強烈すぎる感覚と光景が、ナオトの脳を刺激する。同時に襲ってくるものは、自分は何も出来ない、無力感。
マユの叫びはなおも続いていた。マユはおそらく、これと似たような光景を見ている──ナオトよりももっと強く。
「マユ、しっかり!」ナオトの叫びは虚しく響くだけだった。そしてその瞬間、突然別の感覚がナオトに襲いかかる。
やっつけなきゃ……こわいものは……ぜんぶ!
それは、光の中から突出した、憎しみと恐怖。消えていくものたちの命の残骸を突き破って、恐怖の感覚がティーダを刺す。
「駄目だ!」ナオトは殆ど本能から絶叫したが、届くはずもない。空が一瞬光に包まれ、ディスプレイには再び紅の円が表示される──
ナオトの頭の中で、幼い少女が、赤ん坊を抱いた母親が、彼女たちを庇おうとしたザフト兵が、四肢をちぎられ塵も残さず焼かれていく。
同時にナオトを襲ったものは、両腕と両脚を胴体から引きちぎられる痛み。全身を焼かれる熱さ。
一瞬で血が沸騰し、血管が爆発する。内臓が粉砕される──心臓は逆流し、0.5秒後に元に戻り、何回かそれを繰り返した末心臓としての機能を喪失し、やがて動きを止める。
死に至るであろう様々な激痛が、ナオトを襲う。いずれの痛みも一瞬で終わったが、ナオトは直感していた──
僕の身体に、今、たった今死んだ人たちの痛みが流れ込んだ。
幾つもの命がゴミのように扱われ、消えていく。その感覚を、ナオトはティーダを通じて強引に味わわされていた。ふと見ると、マユは既に目を剥いて、口から涎まで流している。気絶すら許されず、見えない縄に全身を縛り上げられたように引き攣るマユの身体。
操縦系の殆どをマユに任せていたことにナオトは思い当たった。だとすれば、マユを助けるには。
咄嗟にナオトは前席へ強引に身を乗り出し、コンソールパネルに手をやった。見よう見まねで、コントロール・プログラムを開く。「ティーダはこれより、メイン操縦系の90%をナオト・シライシへ移譲します!」
途端にカイキの怒声が飛んできた。<何言ってんだっ、このドアホ!>
「こっちの台詞です! 今度あの光が来たら、マユは死にますよっ」
ナオトが未だに慣れない手つきでパネルをいじる。操縦系再構築にかかった時間は、15秒。マユの速度の3倍かかったが、それでも全てのプログラムの転送が終了した瞬間、マユは呪縛から解き放たれた。縄を突然解かれた奴隷のように、マユはがくりとうなだれ──
そしてその痛みは、マユの上に馬乗りになった形で操縦するナオトにそのまま移動することになった。
アマミキョブリッジでは、ユウナが唖然としてモニターを眺めていた。ティーダから送られてくる熱源情報、その意味を悟って。「何だ……この破壊は」
マップ上に幾つも円を描いて広がっている紅の熱源。実際の光景が出ずとも、サイを始めとして全員がその状況の残忍さを理解していた。山の向こうで行なわれている破壊がどんなものかを。
サイたちのサポートの為にブリッジにやってきたカズイが呟く。「こんなもの、戦争じゃない」
アムルがそれに答えるように吐き捨てた。「世界を滅ぼす気なのよ、連合は」
「敵味方、お構いなしやな」リンドー副隊長がオーブ西方訛りを出しながら、ユウナに尋ねた。「これが連合の逆襲ですか、若殿」
飄々としながらも辛らつなリンドーに対し、ユウナは意味のある回答が出来なかった。「違う……僕はこんな話、聞いてない」
「2年前のサイクロプス事件はご存知でしょうな? ブルーコスモスはコーディネイター殲滅の為なら、何でもやる連中ですよ」
「リンドー副隊長、貴方が連合を嫌悪するのは分かります。オーブの国民の殆どが、連合に与することをよしとしない事実も、僕は把握している」ユウナは突きつけられた現実に錯乱しかけながらも、何とか平常心を保とうとしていた。「だけどね、この連合に逆らえば、もっと酷い目に遭わされる。2年前に分かっているんですよ、僕らは……証人がいるんだ」
ユウナはちらりとサイに目をやった。サイはユウナと副隊長のやりとりに気づいてはいたが、それよりもナオトとの通信で手一杯だった。「ナオト、何やってる! これだけ操縦系をいじったら……」
<マユが危ないんです! サイさんは何も感じなかったんですかっ>
その叫びに答えるように、カタパルトで待機中のミゲルが通信に割り込みをかけた。<すまない、フィードバックシステムの不具合だ。ジャマーの強さに比例して、ティーダの索敵能力は自動調整される。だが同時に、パイロットへのフィードバックも強くなっちまうんだ>
「手動で低下させることは出来ないんですか? このままじゃ、ナオトもマユも発狂する!」
<今の状況じゃ無理だ、システム低下はそのままティーダの機能低下を意味する。俺たちはいつ吹っ飛ばされるか全く分からん暗闇ん中を飛ぶことになるぞ、いいのか?>
ティーダコクピットからのマユの悲痛な叫びはようやくおさまりかけていたが、代わりにサイはミゲルの言葉の後ろから、彼女のかぼそい呟きを聞いた。途切れ途切れの上に殆ど意味をなしていない言葉だったが、サイはやっとのことでこれだけを聞き取った。
<だから……人を怖がっちゃダメって言ったのに。ステラの……馬鹿>
ナオトの脳裏に閃いた感覚は、次第に研ぎ澄まされていく。それはナオトが、地獄を感じることを意味していたが。
彼が感じたものは、明日を信じていた人々の心。
明日、新しいコーヒーポット買いに行こう。明日はあのCD買えるかな。明日、会社行きたくないな。明日、このお弁当、彼は喜んでくれるかな。明日は久々に息子とドライブだ。明日、あの娘にきっと告るんだ。明日、店長シフト変えてくれないかな。明日はきっと、このプログラムを完成させてやる。明日、おじいちゃんに縫いぐるみ買ってもらえるかな。
明日こそは、晴れるといいな。
マユによく似た可愛らしい少女がナオトの中ではしゃぎ、サイによく似た優しげな青年が笑顔で空を見上げる。ネネやオサキたちにそっくりな女性たちが小鳥のように笑い、フーアやアイムを思わせる大人たちが、ナオトによく似た子供を諭す。リンドーに似た老人たちが、とぼけながらも孫を抱く。
それらの人々の体温を、心を、ナオトはほぼ同時に全て実感していた。この不可思議な現象がティーダの「フィードバック」機能に起因することをナオトはおぼろげながら理解していたが、人の温度はそれを忘れさせるほど圧倒的質量をもって、ナオトの心に入り込んでくる。
そして、彼らの思い描く「明日」が全て、たった今、この数秒で塵となって粉砕された現実を、ナオトは同時に感じた。
明日はない。この人たちにはもう、明日はない。
この人たちはたった今、腕を飛ばされ、脚を潰され、首が落ち、お腹の子供と一緒に腹を割かれ、蹂躙され、焼かれていった。
明日がなくなったという事実を認めることすら出来ず、または認めようとせず、認めたくなく、ただ次々と永遠に消えていく意識。それらの意識の最期の痛みが今、ティーダに一斉に襲いかかった。
主に、強引に操縦系を切り替えたナオトのもとへ。ナオトに対して虚しさをぶちまけるように、消えていく人々はその痛みをナオトへ焼きつけ、刻印していく。
ナオトが目をつぶろうと耳を塞ごうと、痛みは光を伴ってナオトを襲い、命を焼く炎の音は精神を揺さぶり続ける。
マユの腹が光の刃で真っ二つに寸断され、つい数瞬前まで子供たちにスープを飲ませようとしていたサイが両腕を飛ばされ、血を吐き、光に飲み込まれていく。弟たちを励ましていたカガリの首がもげ、恋人と共にやっとシェルターまでたどり着いたミリアリアの両脚が、胴体から分断される。
気が狂うかというほどの光の中で、おびただしい断末魔がナオトに流れ込む。
ナオトはその向こうに、怯え続ける魂を見た。光の発生源を。
炎の中心にいる魂──人に怯え、死の恐怖に竦み、ただ震えて泣き続け、助けを求める少女の魂を。
その少女の存在を感知したことで、ナオトは正気と狂気の境目でどうにか踏みとどまることが出来た。猛然と沸きあがった彼女への感情が、ナオトを流されるままにしておかなかったのだ。
ただしその感情は、彼女への同情などではない。助けたいという想いでもない。
ナオトを支配したものは、ただ、彼女への激昂だった。好き勝手に暴れ続け刃を振り回す獣に対する怒りだった。
「許さない」
ナオトは呟く。その不気味な呟きは、気絶しかけていたマユをも揺り起こした。「ナオト、ダメ……ステラは怖がってるだけなんだよ」
だが既に、マユの言葉すらナオトには効かない。「怖がっている?
人を馬鹿にするな! 人が怖かったら、人を殺してもいいのかよ!?」
全身の筋肉を引き攣らせるほどのナオトの叫びが、天空に轟く。「怖いから、むかつくから、世界が嫌だから、生きていたくないから、だから人を殺すのかよ!?」
バイザーを割る勢いで、ナオトは唾と汗をメット内にいっぱいに飛ばして全身を怒りでたぎらせる。血管を破り、その血で光の根源を突き刺そうとするように。アマミキョから、カラミティから、サイとカイキの声が交錯したが、ナオトには何も聞こえていない。
「お前の恐怖なんか、知るか!
どんな理由があろうと、人をこんな風にゴミみたいに吹き飛ばして許されるわけ、ないだろう!」
叫びと共に、ティーダが強引に前方への飛行を開始する。アマミキョとティーダを繋いでいたケーブルは、その無茶な機動でいとも簡単に引きちぎられた。
「許さない、許さない、絶対許さない!」
ナオトは炎の中心の少女に絶叫する。その心は怒れる魂となって、ひたすら少女に殺到した。
怯えきった少女の心はティーダに確かに届いていたが、残念ながらナオトにはそのか細い叫びに耳を傾けるほどの精神的キャパシティはなかった。助けを求める孤独な少女の涙は、逆にナオトの怒りを誘発させる結果となり、羽より軽いナオトの理性は業火で灰も残さず飛ばされてしまったのだ。
「死ね、死ね、死ね、死ね!
自分のエゴだけで人を踏み潰す奴は、みんな死んでしまえ!!」
涙と共に、ナオトは咆哮する。僕の感じた人たちは、恐怖を感じる暇すら与えられずに消えてしまったんだ。死に際の言葉も、感情も、痛みも、殆ど感じられないままに! ただただ、子供みたいに暴れ続けるお前の犠牲になって!!
不幸なことに、その感情もまた──ティーダを通じて、少女まで達してしまった。デストロイに強引に閉じ込められ、ひたすら破壊を繰り返す力なき少女、ステラ・ルーシェにまで。
ナオトの感情が伝わり、少女の恐怖が一気に剥きだしになる。ティーダとアマミキョに向かって。
怖い、怖い、怖い、こわい、こわい、コワイ、コワイ、コワイ!!!!!
「うるさい! お前なんか、消えろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
ナオトがステラの心を完全否定した、その瞬間──
ディスプレイに表示されたマップに、再び紅の円が広がる。激しい警告と共に。
暴走するティーダを止めたのは、フレイのアフロディーテだった。ティーダの右脚部を強引に抱きかかえるようにして機体を止めたアフロディーテ。そして接触回線を通じて、フレイは自分たちの危機を悟った。ティーダパイロットたちよりも早く。
「アマミキョ、回避だ! 三時方向に高エネルギー反応!」
ブリッジでフレイの声を聞きつけたリンドーは、咄嗟に反応していた。「取舵! 出力最大、対地角度を35度に修正、降下しつつ回避だっ」
「落っこっちまうよ!」回避という言葉に戸惑った操舵士・オサキに、サイは叫ぶ。「構わない! 直撃よりマシだろ、全員衝撃に備えて!」
サイは無意識のうちに船内オールで叫んだ。リンドーとユウナに、出すぎた真似をした──との謝罪をこめて目配せしながら。
この時、リンドー以外のクルー全員は、自らに迫った危機を実感していなかった。戦闘が行なわれているのは山の向こうだ、だから自分たちは大丈夫──自分たちは救助部隊だ、戦闘には関係ない。山が自分たちを、惨劇から守ってくれるはず。そんな油断を、クルーの誰も彼もが何処かに宿していた。直撃の可能性を示唆したサイですらも。
だが次の瞬間、クルーたちの眼前で、その山はいとも簡単に爆砕された。空の向こうで肥大しきった、光の波によって。
黒くそびえたち、アマミキョの防壁となっていたはずの山々が、大量の土くれと木々とを天空に噴き上げて木っ端微塵になる。
山までが兵器で吹き飛ぶ──その信じられない光景に息を呑む暇もなく、サイたち全員を、光が包み込む。サイたち全員が、惨劇の舞台に引きずり出される。
モニター中が熱源を示す紅で染まりきり、ブリッジを満たした壮絶な悲鳴は警告音でかき消される。さらに彼らを襲ってきたものは、命そのものを揺さぶる衝撃。
「いやああぁ! 嫌っ、死にたくない、助けて!」マイティがオペレーターの役目も忘れ、髪を振り乱し叫ぶ。カズイは光から出来る限り自らを隠そうとして、反射的にアムルの後ろに隠れてしまう。
こんな重い衝撃はアークエンジェルに乗っていた時は勿論、アマミキョに乗ってからも一度もなかった。自分の足下の床が、間もなく熱で盛り上がり、自分と共に炎となる悪夢が、サイには見えた。
混乱の中、サイはこれだけを叫ぶ。「左翼、第二エンジン損傷! メインA、D、Gブロック、コントロール、電気系統に被害が拡大しています! 主電源自動停止まで、残り3秒……」
サイが皆まで言い切ったその瞬間、ブリッジの電源が落ちた。サイたちの生命を頑丈に守ってきたアマミキョのシステムが落ち、狂気に満ちた圧倒的な光がアマミキョを襲う。悲鳴も、衝撃も、痛みも、全てを飲み込んで。
オサキが必死で舵を振り回してアマミキョの船体と格闘するのがサイの視界にちらと入り──
次の瞬間、暗闇の中でサイの身体は見えない衝撃に吹き飛ばされた。他の多くのクルーたちと共に。
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