ナオトの眼前で、閃光と共に山が四散した。
「通信途絶!? アマミキョがですか」
ここは北チュウザン首都・ヤハラに配置された、連合軍駐屯地。山神隊・広瀬少尉が報告を受け、その性格に似合わぬ素っ頓狂な声をあげて机をぶっ叩いた処だった。
「アークエンジェルの捕捉に成功したというのに、友軍の攻撃に巻き込まれるとは……何という体たらくだ」
しかしこの衝撃の報告にも、伊能大佐はいつも通り冷静かつ呑気な態度を崩さない。「そう言うな広瀬、あのような戦略兵器レベルのモビルアーマーが存在するなど、連合上層部のごく一部しか把握しとらんという話じゃないか。さすがのアマクサ組でも、あんなブツは手に負えんよ」
戦略兵器、の部分に嫌悪感を込めつつ、伊能は堅焼きそばをぱくつく。「風間と時澤もついている。大丈夫だよ」
この伊能の態度にイラついた広瀬は、今度は隊長の山神少将へと話を振った。「しかし隊長、アマミキョが消息を絶った地点はあのニュートロンジャマーの撃ち込まれた、いわゆる暗黒地帯です──容易に外部からの救出活動は出来ない!」
山神は分厚い報告書に目を通しながら、こちらも呑気そうに息をつく。「広瀬、急いても仕方あるまい。フレイ嬢とアマミキョ、そして我ら山神隊の力を信じようじゃないか」
聞いている者の気分を苛々させるほどゆっくりしてはいるが、それでも有無を言わさぬ口調で山神は広瀬に告げる。「アマミキョ不在の数週間、我々山神隊がどれだけこの地のテロを壊滅させていると思っている? だから、風間も時澤も大丈夫。勿論アマミキョも」
「説得力のあるお言葉、ありがとうございます」根拠は何もありませんが、などとつけ加えたくなるのを必死でこらえている様子の広瀬。自分の荒ぶる神経を鎮めようとするように、縁なし眼鏡を注意深く直す。
そんな彼を眺めつつ、山神は話題を変えた。「広瀬、君には別の任務があっただろう。南チュウザンに向かったという例の貨物船の情報は?」
広瀬はその言葉に、すぐさま姿勢を正す。「ハイ、件の船は旧台北方面に向かった後、南チュウザン管轄下と推定される人工島に到着。その後の消息は不明です」
伊能が脇から言葉を継ぐ。「タロミ・チャチャが大量に流しまくってるっていう噂の島のひとつか」
「臨検の結果、ガス・爆発物・ウィルスなどの危険物は発見されず。しかし積荷の組成検査によると、蛋白質らしき有機物が30%以上との結果が出ています」
「穏やかじゃないな。密入国者か、それとも逆か──」伊能もこの報告に、目を光らせた。
「ただ、それ以上の調査は国際法に抵触するとのことで、手出しが出来ず……」
「畜生め。タロミ・チャチャのお膝元で無けりゃ、ひっぺがしてやったんだが」
拳をバキリと鳴らす伊能を横目で睨んでから、広瀬は再び山神の机を両手で叩いて迫った。鼻先が今にも山神と激突しそうな勢いで。「山神艦長、自分にこの件の調査を続けさせて下さい。撮影された人工島遠景写真には、実験施設らしきものが確認出来ます。先日のヤハラの工場といい、この国には何かがあります」
「分かった。但し、条件がある」広瀬の勢いにも、山神は動じない。静かに立ち上がり、血気盛んな彼の両肩を叩く──「くれぐれも、深入りはするな」
サイがようやく意識を取り戻したその時、すぐ目の前では豊満な乳房が頬に触れんばかりの勢いで揺れていた。着崩した制服の間からわずかに見えるそれは、真っ裸より淫靡な風情があった──わずかに紅に染まった闇の中、サイはゆっくり頭を振ろうとしてまた意識を失いかかる。一体どうした、この状況は? アマミキョは? フレイは、ナオトたちは、みんなは──少しして、聴覚も戻ってくる。
「サイ。サイ、起きてくれよ、頼むよ! もうお前しか頼りにできないんだっ」自分を揺らしているこの声は、もしやサキ・トモエことオサキのものだろうか? まさか、彼女がこんな涙声を響かせているとは。
サイの周りは紅の非常灯がわずかに明滅しているだけで、あとは殆ど闇だ。やはりオサキが大きな胸を揺らしつつ、自分を起こそうとしている──瞬間、サイは我に帰った。「オサキ! どうした、状況は……っ」
慌てて起き上がろうとして、サイは意図せずオサキの胸に顔を埋める格好になってしまった。「サイっ! 気づいたんだな、良かった……良かった!!」オサキが感極まってサイを抱きしめる。おかげでサイは今度は、彼女の胸による窒息死の危険に晒される羽目になった。
オサキの鼓動の速さと熱さを頬に感じながらも、サイは慌ててその肌から自分を引き離す。こんなことをしている場合ではない。「お、落ち着いてオサキ。状況を伝えてくれ」
自分の行為に気づいて真っ赤になり、オサキも手を離す。だがすぐにうなだれて、周りの闇を見回した。「アマミキョは不時着した。ブリッジは見ての通り、当分使用不能だよ……それと副隊長が」
暗さに慣れてきた目を凝らすと、慣れ親しんだアマミキョブリッジは散乱した瓦礫で溢れかえっていた。コンソールパネルはほぼ8割が埃と灰を被り、至るところで火花が散っている。ブリッジ自体が捻り潰されかけたのか、正面のメインモニターは強化ガラスが大きく歪み、結晶の如き亀裂に全体が覆われていた。いつもブリッジで窓がわりにしていたモニターは明らかに、もう使い物になりそうになかった。
だがそれよりもサイが気になったのは、先ほどから響いているスズミ女医の声だった。「脈が落ちてる、生食を追加! 代表補佐っもう少しきつく縛って、それじゃ止血にならない!」
サイはポケットから懐中電灯を取り出し、瓦礫の上を這いずるようにしてその声のする方向へ進む。見ると、リンドー副隊長がコンソールパネルの間に倒れていた。
どうやら瓦礫の下敷きになったらしく、腹と右太ももから大量出血しているのが、懐中電灯の白い光で確認出来た。すぐに駆けつけたらしいスズミ女医が応急手当をして一命をとりとめたものの、リンドーの容態は思わしくないようだ。
皺だらけの顔面を蒼白にしたまま、それでもリンドーの意識ははっきりしているようで、サイを見て笑ってすらいる。「こんなトコでヘタうつとはな。サイ、今日の講義は中止な」
「それどころじゃ!」サイは急いで副隊長の状態を診た。素人目でも、既に右足が使い物にならないほど潰れているのが分かる。どかした瓦礫から伸びているケーブルが何本も、副隊長のすぐそばでバチバチ火花を放っていた。その右足を、震え続ける手で何とも頼りなく押さえているのは、ユウナ・ロマ・セイランだった。「僕をかばってこうなったんだ。うぅ、助けてくれサイ君……ち、血は苦手なんだよ」先ほどまでの威勢はどこへやら、ユウナの顔色は明らかにリンドーより蒼白だった。
「すんませんな代表補佐どの」対してリンドーは余裕なもので、笑いながらユウナを気遣う。「ワシは貴方を突き飛ばしただけのことですよ。大変失礼いたしました」
サイはオサキに副隊長の止血を任せつつ、囁く。「カズイたちは?」「みんな船内の確認に行ってるよ。ティーダやアマクサ組が助けてくれたから、墜落は逃れたけど……」
「何てこった」サイは再び瓦礫の上を這い回って、生きているモニターを探す。左肩を何処かにぶつけたらしく、うまく腕が動かない──また傷が悪化したようだ。
「フレイ、ナオト、マユ、山神隊、誰でもいい応答してくれ!」6台めのモニターで試した処、ようやくブツ切れの通信が返ってきた。<無事だったか、サイ>
フレイの、いつも通りの冷たい声。だが今のサイにとっては実にありがたい応答で、思わず安堵のため息が出た。さらにフレイは冷静に続ける。<我々はハーフムーンの村落より約3キロ北の山麓に不時着した。現在は例の戦略兵器もどきの脅威は過ぎ去っている。だが、騒ぎを聞きつけた村人たちが集まってきている──ブリッジの稼動状況は?>
「85%の壊滅状態だ。当分は予備の第二ブリッジを使うことになるだろうね」
「第二ブリッジ? あそこ、眺めはいいけど攻撃に対して無防備なのが嫌なんだよなぁ」オサキがリンドーの包帯を押さえながら会話に割り込んだが、サイは小声でたしなめた。「縁起でもない発言は自重してくれよ」
軽く膨れてみせるオサキを横目に、サイはさらに途切れ途切れの通信に耳をすます。「ナオトとマユは?」
と、元気なマユの声が思い切り通信に割り込んできた。<ティーダは無事だよっ、サイ!>
その声に、サイはほっと胸を撫で下ろす。ナオトの状態が状態だっただけに、サイはティーダがいつも以上に気がかりでならなかったのだ。「良かった……ナオトに替わってくれ」
<それがね、出たくないって>
「は? 今度は何だ」サイはつい、苛立ちを声に出してしまう。だがマユは明るく質問で返してきた。<僕がステラを呼んじゃったって言ってる。僕のせいだって、だからサイたちに顔向け出来ないんだって。
ねぇサイ、どういう意味?>
俺が聞きたいよ。サイは喉元まで出かかった怒声を抑え、優しく言った。「二人とも無事ならそれでいいさ。ティーダが動かせるなら、村に被害がないかどうか二人で確認してきてくれるか」
<オッケー!>元気な返事と共に、マユの通信が切れる。
その時だった。突然サイの背後から、強引にユウナ・ロマ・セイランが通信に割り込んだのは。「アルスター嬢、アマクサ組の諸君、アマミキョクルー、全員に話がある。全艦には繋がるか?」
サイの返事を聞くより先にユウナは、通信権をサイから奪い取り大声で言い放った。「諸君、耳ある者は全員よく聞いてくれ」
いきなり何をするつもりだ。サイは嫌な予感を覚えつつも、別の壊れかけの通信用モニターで艦内の通信状況を確認した。幸い、被弾した倉庫などのごく一部を除き、全艦の通信は正常だ。勿論、強烈なジャマーによる影響は多少あるが。
ユウナはそんなサイを尻目に、堂々と声を張り上げる。「救助船アマミキョは不幸にも戦闘に巻き込まれ、ブリッジにおいてリンドー・エンジョウ副隊長が負傷した。よって現時刻より、この私、ユウナ・ロマ・セイランが臨時にこの船の指揮を執る!」
「って、え!? おいちょっと待てこのモミアゲ野郎!」すかさずオサキが叫び、船内の各所からざわめきが起こるのがサイにも聞こえた。が、ユウナは構わず続ける。演説でもするように、右の拳を大きく振り上げ──
「並びに、只今よりサイ・アーガイル通信士を、副隊長補佐に任命する!」
食堂で落下した大量の食器を片付け、散乱したトマトスープの後始末をしていたカズイとアムルも、このユウナの宣言を耳にして仰天した。
「まさか……サイが? 副隊長に?」「違うわカズイ君、補佐よ」
アムルはカズイの間違いを冷静に正してはいるが、床に流れたスープを拭く手は微かに震えている。スカートに血のようにスープが染み込んでいるのにも気づかないでいる。それでも口調は極めて平静を装っていた。「名ばかりの役職でこき使われるハメになるわ……大変よサイ君、これから」
ユウナの声が流れ続けるスピーカーから目を背けるアムル。カズイはその首筋を見つめながらも、サイに対して暗い感情が湧き上がるのを自覚せずにいられなかった。
どうして、サイが。どうしてサイばかりが。友人の突然の昇格を素直に喜べない自分を、カズイは汚いと思った。
だがユウナの宣言に最も驚いたのは、他でもないサイ本人だった。
半壊したモニターと格闘中だったサイはこの言葉を聞いた瞬間、危うく自分の額でモニターを完全破壊するところだった。「な、何言ってるんです貴方は! こんな時にジョークはやめて下さい」
「僕はいたって真剣だが? こんな時だからだよ」ユウナは全く笑ってはいなかった。胸を大仰に張って全艦に告げる。「知っての通り、アーガイル君は2年前アークエンジェルに乗り、あの凄惨なる激戦の中を駆け抜け、戦場を生き残った英雄の一人だ。今、アークエンジェルは不幸にもオーブを裏切る結果となったが、アーガイル君はアークエンジェルとは袂を分かち、自らの判断で平和に向けて奮闘を続けている。
彼こそ、この船を導くに相応しい人物だ! そうは思わないかね、アルスター嬢!?」
自らの力をフレイに誇示するように、ユウナは外部のアフロディーテに向かって喚く。
当然、フレイは拒絶するだろう。突拍子もないユウナの提案も、フレイの一言で却下されるに違いない。全く、タチの悪いジョークが好きな人だ──
だが、そう思い込んでいたサイの耳に飛び込んできたフレイの言葉は、サイの諦念を180度引っくり返すものだった。<私なら構いませんよ、代表補佐殿。アマクサ組には私から言い伝えておきます>
サイだけでなく、ユウナまでもがフレイの返答に呆気にとられる。このサイの昇格は、フレイに対してユウナが自らの力を示す意味もあったようだが、その目論見は軽く崩されたようだ。<しかし、見事なまでに意見が一致しましたなユウナ殿。貴方がやらねば私が任じていた処でしたが>
嘘をつけ。サイは心中でフレイを汚く罵りつつも、助け舟を求めるようにオサキやスズミを見る──だが彼女たちも異論はないらしく、オサキなどはにんまり笑って親指を突きたててすらいる。サイは思わず反論せずにはいられなかった。「ちょっと待てよ! 副隊長の意志は……」
サイは未だに呻き続けるリンドーを振り返る。が、出血に苦しみつつもリンドーはぼやいていた。いつもの調子で。「何してる? とっととトニー隊長と合流して船内総点検と負傷者の救出だろうが……文句言う前に動け、副隊長補佐!」
灰が真っ白い雪の上に静かに積もりゆく。そんな野原をのそのそと動き、周囲の森を確認するティーダ。やがてナオトは、灰の向こうに集落のようなものを発見した。
「村? 人が住んでるのか、ここに」ティーダのカメラでよく見ると、前時代的なレンガ造りの小さな家々が並び、各家には煙突が見える。雪と灰の降りしきる中、煙突から細く白い煙がのぼっている家もある。人を焼く炎ではない、人を育む炎がある証だ。
「良かった、アマミキョが村に落ちなくて」ナオトは煙を見て、ほっと一息つく。と、マユがその言葉に疑問を提示した。「どういう意味?」
「どういうって……アマミキョが村に落ちたら、村の人たちが死んじゃうじゃないか」
「関係ないじゃん、アマミキョには。それって悪いこと?」
ナオトのむかつきが再び心を吹き荒れ始める。「君は、ステラって娘は大事な癖に、他の大勢の人たちはどうなってもいいのかよ」
マユはますます分からない、という顔でナオトを振り向く。本気で意味が分からないらしく、何処か不安げにナオトに縋りつくようにも見える表情──ナオトはその顔を、可愛くない、と感じた。
「ナオト、違うよ。だって、ステラを殺しちゃ駄目って最初に言ったのはナオトでしょ、覚えてないの? 『女の子は守るべき存在』って、カイキ兄ちゃんに言ったんでしょ?」
「ウーチバラ出た時のことかよ」あの時確かに自分は、ウィンダムに乗っていた少女を助けようと飛び出した。それがマユの言う、ステラという少女だったのか──偶然とは恐ろしい。しかし、だから何だというのだ? あの時とは状況が違うのに。
「なのに今、ナオトはステラを殺そうとした。何故?」
「彼女が大勢の人を殺したからだよ。自分より弱い人たちをね」
「分からないよ」
「僕は君が分からないね!」ナオトは容赦なく、マユに罵声を浴びせる。マユは大きな黒い瞳でじっとナオトを見つめていた。無数のクエスチョンマークで形成されているかのような瞳の黒さ──
もしや自分は、マユを傷つけてしまったのか。少しばかり自省したナオトは、マユに言い聞かせる。「ステラは、悪いことをしたんだ。とても悪いことを。だから──」
「だから殺すの? 分からない」
ナオトは返答につまる。人間として当然の常識をこの娘に教えるには、一体どうしたらいいのだ?
その時、左のモニターが動く生き物の姿を捉えた。クローズアップしてみると、それは紅いマフラーを着けてコートを着込んだ小さな少女だった。
雪と灰で沈んだ世界の中、その紅は一段と眩しく見える。恐れもせず、不思議そうにティーダを見上げている、栗色のツインテールの少女──年は10歳ぐらいだろうか。マユよりも幼い。
「まずい、踏む処だった」ナオトは慌ててハッチを開き、氷点下の外へ身を乗り出す。「君! ここにいちゃ危ないよ、離れてっ」
途端に、少女の顔が花のようにぱっと咲いた。「やっぱりそうだ! ナオト・シライシだよねっ」
アマミキョ内部は、大津波直後のように荒れ果てていた。食堂では皿という皿が飛び散り(ガラス製ではないので割れなかったのが幸いだったが)、運動施設は破壊され、トイレは半数近くが使用不能となり、居住ブロックの一部で火災が発生していた。不幸中の幸いか、カタパルトでの負傷者は少なかったものの、それでもアマミキョが受けた被害は甚大だった。
「君がいてくれて助かる。私だけでは身がもたなかった!」サイの突然の昇格にも、トニー隊長は嫉妬の欠片も見せずに諸手を挙げて歓迎していた。二人とも首から10数個の通信機をネックレスの如くにさげ、ひっきりなしに船内各所と連絡を取り合っている。サイとトニーの主な仕事は、負傷者の医療ブロックへの搬送と船内破損箇所の確認──尤も、アマミキョが少なくとも1週間は動けない程度の損傷であることは確定していたが。
トニーと一緒に走りながら、サイは精一杯の笑顔を返す。「みんながてきぱき動いてくれるから助かってます。思ったほどのパニックには陥っていないようですし」と同時に、通信機との会話も忘れない。「アムルさん、L20ブロックお願いします。外壁作業用の通信パネルが損傷してるらしい……ディック、体育倉庫は後回しだ、医療ブロックへの連絡通路の復旧作業に回ってくれ。それから医療班へのヘルプもあと5名追加! 食糧班は全員大至急食堂へ、ボンベ破損のアラートがそのままだっ」
全速力で走ってくる隊員たちに何度もぶつかり文句を言われながらも、トニーは状況の判断に努める。「船内は良いとしても、問題は外だな。あの光で、どれほどの被害が出ているものやら」
「見当もつきませんね。ティーダと山神隊が調査に出ていますが」
「いずれ避難民をアマミキョに収容せねばならん。医療ブロックはえらい騒ぎになるぞ」
「もうなってますよ」先ほどから、医療ブロックからの通信機はネネとスズミがサイに助けを求める声で壊れそうだ。「少ししたら、医療ブロックに行ってきます。パンク寸前ですよ」
「ごめんねカズイ君、ちょっと行ってくる」食堂の床に飛散したトマトスープの処理をようやく終えたアムルは立ち上がり、振り向きもせずにサイの指示に従い出て行った。代わりに食堂のボンベの状況確認にやってきたヒスイも、彼女なりに冷静に動いて文句一つこぼさずに作業にかかる。
元食糧班だからと、無理矢理ここに連れて来られたカズイは、そんな彼女たちをぼんやりと横目で眺めていた。晴れない心のままで。
ハマーがサイに反抗してカタパルトで騒ぎを起こさないかとカズイは密かに懸念していたが、今のところそんな兆しはない。以前はあれほど、サイを目の仇にしていたはずのクルーが、今は結束してサイの指示に従って積極的に動いている。
それが非常事態ゆえの結束であることもカズイは薄々感じていたが、彼は同時に、サイの底力を感じた。そして、その力に嫉妬する自分も。
何故だ。何故サイはこれほど簡単に人を操ることが出来る? 人を導くことが出来る? アムルさんもまた、サイに従って行ってしまった。
それは、カズイがどれほど求めても手に入らない力だった。
自分がここにいる理由も、あれほど嫌がっていた戦場に再び出てきてしまった理由も、サイに導かれたからに他ならない。
その力に──今、俺は、妬いている。
雪の積もった丘を小さなブーツで慣れたように下りながら、紅いマフラーの少女はお喋りを続けた。「ずっと見てたんだよ、ナオトのこと。ティーダに乗ってからの活躍も! ホント嬉しいよ、伝説のヒーローに会えて」
「で、伝説?」雪に足をとられて、大分遅れながらもナオトは少女についていく。「そんなに僕って有名だったの? オーブだけかと思ってた」
背後に置いてきたティーダとマユを気にしながらも、ナオトは無邪気な少女の言葉に嬉しくなる。
「ハーフコーディネイターなら、誰でも知ってる!」少女は元気よく答え、栗色のツインテールを子犬の耳のように揺らしながらナオトに抱きついた。「地上のプリンセス・カガリ姫に選ばれた、伝説のハーフレポーター、ってね! 私たちの希望の星なんだよ、ナオトは」
その言葉に、ナオトは少女をまじまじと見つめた。今まで誰にも感じなかった暖かなものを、ナオトはその少女の中に感じる。「それじゃ、君は」
少女は満面の笑みをナオトに見せた。「私、メルー。貴方と同じ、ハーフコーディネイターだよ!」
ナオトとメルーが雪の中ではしゃぎ、遠ざかっていく。その様子を、ティーダコクピットでマユがじっと眺めていた。「なんで……?」
メルーの紅のマフラーを見つめるその瞳に、感情はない。「なんだろ?」
そこへ、カイキの乗るソードカラミティが現れた。ゆっくりティーダに近づき、右肩部に触れる。カイキの声が、マユに届く。<マユ。独りか?>
「お兄ちゃん!」マユの声が嬉しさに跳ねる。思わずティーダをソードカラミティに抱きつかせかかるマユ。雪が脚部で舞い上がった──だが、マユの表情はすぐ沈む。「私……変だ」
<何があったんだ。話してみろ>カイキは、マユに対してはどこまでも穏やかで、どこまでも優しい。マユはその優しさに、少しずつ心を吐露する。「ナオトとケンカしたの。
ナオトを見ると、胸がざわつくの。あの子と一緒にいるナオトを見ると、ざわつくの。ナオトが行っちゃうと、胸が痛いの。どうして?」
<お前には俺がいる。大丈夫、何も心配いらないんだ>
「私がステラみたいになったら、ナオトは私を殺すのかな?」
<そうなったら、俺が奴を殺すさ>
カイキのこの言葉に、マユは思わず反応した。「それは駄目!」
カラミティは雪の中で、暫く沈黙する。マユは一瞬、自分の言った言葉が理解出来ないというように目をぱちぱちと瞬かせた。ナオトの姿は、もう見えない。
何故、行っちゃうの? 何故、マユの言うことが分からないの? 何故、あの子と、行くの?
カイキの重い声が、マユの耳に届く。<俺はお前を殺さない。俺は死ぬまでお前を守る。例えお前がどうなろうと──誓ったんだ、お前が生まれた時に>
だがその声は、マユの心までは届かない。
「マユが女になりかけている?」
アマクサ組作業艇・ハラジョウには大した被害はなく、隊員はほぼ通常通りの作業をこなしていた。フレイはニコルとモニターを観察しつつ、カイキの言葉を聞いている。
「あれは嫉妬だ、間違いない。あんな感情まで覚えるとは……あの小僧め!」カイキは乱暴に壁を踵で蹴る。嫌な金属音がこだました。
モニターを眺めたまま、フレイはカイキに一瞥もくれずに言う。「カイキ。いい加減、マユ・アスカに感情を割くのはやめろ。お前が欲しているものはチグサだ、マユではない。中途半端な思いは、互いの破滅に直結するぞ」
「俺は割り切れないんだよ、あんたらみたいにはな」カイキがフレイに向けた言葉は、僅かな狂気を帯びていた。その気配に、ニコルがそっと振り向く。「カイキ・マナベ。知っているでしょう、フレイだって、そう割り切って行動出来ているわけじゃないですよ」「俺らだってそうだぞ。自分だけが特別と思うな」ラスティもカイキを諌める。「イレギュラーまで計算に入れた上での計画だ」
「そりゃ、そうだがっ」カイキは目を背け、たまらなくなってその場を出て行く。フレイはそれにも構わず、データの解析結果に目を通していた。「アークエンジェルの動向は確認出来たか?」
「は、はい」ニコルはカイキを気にしながらも、フレイに答える。「アークエンジェルはデストロイの進撃を確認後、一路ベルリンに向かっています。ザフト軍の緊急要請で、ミネルバも同時に向かいました。
そして予想通り、デストロイのパイロットはステラ・ルーシェでした。運命の舞台装置は整った、といったところですね」
「俺らは遥か東でおあずけ喰らっているわけだがな」
ラスティの突っ込みを横目で睨みつつ、ニコルはフレイに向き直る。車椅子がやや不協和音をたてた。「だから、やっぱり彼を呼んでおけば良かったんですよ。彼さえいれば、ミリアリア・ハウの件でもあれほど苦労はしなかったかも知れないのに……というかその前に、キラ・ヤマトを完全に手中に出来る可能性だってあったんですよ」
だが、フレイは冷たくニコルを睨んだだけだ。「私に会っても動かなかったキラが、奴にほだされて動くと思うか?」
その視線に、ニコルは黙るしかない。「……思いません、すみません」
そんなやりとりに、ラスティは苦笑した。「ニコル、切り札を今出す必要はないよ。尤も、フレイと奴の二段攻撃なら、キラ・ヤマトが落城した可能性も否定しないがね。
過ぎたことは仕方ないさ、今は俺たちが頑張らんとな」ラスティが軽くニコルの右肩を揉む。「奴さんの出番はもう少し後、ってわけですか」「そーいうこと」
その時、フレイが画面隅のデータに気づいた。「これは……ニコル、このデータは?」
「あ。フレイ、気づいちゃいました? びっくりさせようと思ったんですが」ニコルは表情を和らげ、悪戯っぽく肩を竦める。「ステラ・ルーシェの行動記録と身体データです。連合のデータベースから拝借しました」
フレイは一瞬ぽかんとしてニコルとデータを交互に眺め、苦笑した。「お前にかかっては、私などとうに裸だろうな」
「し、してませんって。殺されるの分かってますからね」
フレイはニコルの肩ごしにステラの写真データを凝視する。ニコルが得意げに続けた。「さすが、最初のデストロイパイロットに選出されただけのことはありますね、コアになりうる存在ですよ」
「これは……チグサを超える数値だ」フレイの瞳が、妖しげに光る。ラスティがその後ろから覗き込んだ。「しかも、非常に興味深い運命の出会いをしているようでありますなぁ」
と、フレイは背筋を伸ばし、優雅に立ち上がった。「シナリオは決まった。ベルリンの状況を逐次報告しろ、状況によっては私自ら出る!」
雪の丘を下りきった場所に、メルーの村はあった。周囲を山と森で囲まれており、付近にはかなり川幅の広い河もある。
心配げに村道に出てきた老人たち。その一人に、メルーは思い切り抱きついた。「おじいちゃん! ただいまっ」
「メルー! こんな時に外に出てはいけないと、あれほど言ったじゃないか」
だが、メルーは朗らかな笑顔のままだ。「すごいことがあったんだよ。ナオト・シライシ、ナオトだよおじいちゃん!」
そのメルーの言葉に、様子を見ていた村の子供たちが続々と駆け寄ってくる。メルーの後ろについてきた、ノーマルスーツ姿のナオトに向けられる視線。それは好奇の視線ではあったが、決して不快なものではなかった。
子供たちを追うようにして、親たちも出てくる。だが子供らは次々とメルーとナオトを取り囲み、遠慮なくナオトのノーマルスーツに触れる男の子までいた。「ナオト・シライシだって?」「すげえじゃん、メルー!」「あの光の取材に来たの?」「ひょっとして、ティーダも一緒なのかぁ?」「ウソウソ、見せて見せてー!」「僕らも取材してくれるの!?」「すげー、本物のパイロットスーツだ」「いや、これってノーマルスーツじゃね?」「どっちでもいいよ、ナオトカッコイー!」
遠慮のない子供たちに一斉に歓迎され、ナオトは戸惑う。オーブでも、これほど純粋な歓迎を受けたことはなかった──大抵どこへいっても、蔑視もしくは過剰な哀れみの視線があった気がする。
だが、この村は違う。子供たちは勿論、親たちや老人たちまでがナオトを憧れと愛情のこもった目で見ている。荒んでいたナオトの心に、その暖かさは雪を溶かす春の水のように流れ込んでいった。
「こら! お前たち、ナオト君が困っているじゃないか」メルーの祖父が、手を叩いて子供たちを制する。父親たちの一人が、それに呼応するように子供らを下がらせた。「そうそう、まだ危険が去ったわけじゃない。あの灰がこの村を汚さないとは限らないんだぞ」
子供らはぶーぶー言いつつも、素直にナオトから離れる。メルーはナオトと手をつなぎ、自分の家に引っ張っていこうとしていたが。
「あの!」ナオトは思い切って大人たちの背中に声をかけた。「ここに、軍属の方はいないんですか。僕たちが今まで立ち寄った地域では……」
メルーがはしゃぎながらナオトの腕を振り回す。「そーいうの、関係ないんだ。ここはオーブと同じだよ、ナオトっ」
「いや、メルー。オーブよりもさらなる中立というべきなんだよ、ここは」メルーの祖父が、顔じゅうを覆い尽くす白い髭の奥で笑っていた。ナオトは皺だらけの表情の奥に、全てを包み込む優しさを感じていた。荒んだ世界から、完全に隔絶された処にある優しさだ。
「ハーフムーンへようこそ、ナオト・シライシ君。わしらは君とアマミキョを歓迎するよ。
ここは、コーディネイターもナチュラルも無関係の地──ハーフコーディネイターの子供たちの村だからな」
つづく