「これを使え。あの男の治療には役に立つ」そう言いつつ、フレイはサイに薬瓶を渡した。
夜明け前の寒風吹きすさぶ中、ハーフムーンの村では避難民が雪原のあちこちにテントを張り、焚き火で暖をとっている。
「雪がやんだ?」避難民たちを手伝っていたナオトは空を仰いだ。灰は未だ晴れないが、灰の間の空からは輝く星が見える。ずっと眠っていたメルーが起きだして、目をこすりながらナオトに寄ってきた。紅いマフラーと耳当てが、何故か丸い子犬を思わせる。「駄目だよメルー、子供はちゃんと寝てなきゃ」「なんだか、いつもよりあったかくて目がさめちゃった」
白い雪の上に咲いたテントの中の灯火。それはこうこうと村の、まだ明けぬ夜空を照らし出す。村では今も、忙しく走り回るトニーやカズイらシュリ隊の姿があった。サイもおそらくブリッジで指示を出し続けているのだろう。それにしても、まさかサイがいきなり隊長格にまでなるなんて。環境の激変に、ナオトは未だに実感がわかない。
山からは、まだまだ続々と避難民の群れが降りてくる。山肌をぬうように蠢く橙と白の灯火の列が、ゆっくりと麓へ流れていく。
と、メルーがナオトの膝を引っ張った。「みんな、仲良くなれるといいな」いつの間に調達してきたのか、その両手にはおむすびが3個、丁寧に油紙でくるまれている。
「メルーの畑でとれた麦を使ったんだよ。みんな食べてくれるかな?」
そんな二人の背を、少し離れた小屋の陰からマユがじっと見つめていた。視線に気づいたナオトはふと振り返り、続いてメルーもマユに気づく。
ナオトは一瞬、いつになくぶすくれているマユに躊躇していたが、メルーは気にもせずマユに駆け寄る。踏み固められた雪道に、メルーの長靴が小さな跡をつけた。
「おつかれさま、おねえちゃん。どうもありがとう」
メルーがそっと両手でおにぎりを差し出す。だが、マユはその小さな手を虫でも叩くように払った。「いらない!」
呆気なく雪の上に落ちるおにぎり。目撃したナオトがメルーに駆け寄る。「何するんだ、マユ!」
唖然としているメルーを庇うようにマユの前に立つナオト。だがマユは、そんなナオトを睨みつけた。「山で雪崩が起きてるの。ティーダが必要なの。ティーダのカメラを使わないと助けられない人たちがいるって、サイが呼んでる」
「何、怒ってんだよ」マユの気迫にややたじろいだナオトの声は、少しばかりいつものキレを失っていた。
「怒る? マユは怒ってなんかいない。怒っているのはナオトだよ」
「メルーに乱暴しただろ!」
マユはその意味が掴めないようで、メルーとナオトと雪の上で崩れかけたおにぎりを順々に見ていた。明らかにマユ自身にも、メルーを叩いたという行為が理解出来ていないようだ。自分は何故、いつものように笑い飛ばせないでいるのか──そんな自らの感情を探っているようにも見える。
やがてその小さな唇からは、実に直接的な言葉が漏れた。「ティーダに戻ってって言ってるの。いつまでもここにいないでよ。ナオト、人が死ぬのは嫌なんでしょ?」
「分かったよ」ナオトは渋々メルーから手を離す。「ごめんな、メルー。行かなきゃ」
「うん。頑張ってねナオト、おねえちゃん!」メルーはおにぎりを拾いながら、ナオトに笑顔を向けた。マユにも。マユはそんなメルーからぷいと視線を逸らし、そのままアマミキョの方へと戻っていく。
いつまでもここにいないで──そんなマユの言葉とは裏腹に、ナオトはこの村に居たがっている自分に気づいていた。
雪崩に呑まれた避難民の救出へ向かい、雪山を這うように登るティーダ。その姿を、地下のモニターごしに凝視している者がいた──「モビルスーツが雪山登頂か。自分が滑落せぬようせいぜい気をつけるんだな」
ヨダカ・ヤナセ。かつてウーチバラでティーダと戦って以来、ティーダとアマミキョを執拗なまでに追い続けている、たくましい黒髭と輝く黒い肌を持つサングラスの男だ。
「こんな処で再びあいまみえるとは、俺と君は並々ならぬ運命で結ばれているらしい──忌まわしき白のブリッツに、チビ助レポーター君」
ここはハーフムーンから5キロほどしか離れていない、ザフト軍の地下基地本部。フレイの言葉通り、山を崩すほどのデストロイの猛攻にもこの基地は耐え抜いていたのだ。山の至る所に設置された監視カメラからの映像は、リアルタイムではないもののかなり鮮明ではあった。
「今回の巨大モビルアーマーの進撃により、我が基地は4割が壊滅状態に陥っています」ピート・ベンターがヨダカの背後から静かに声をかける。ハーフムーン攻略部隊として、2年前からこの極寒の地に残留し連合と戦ってきた、ザフト軍の指揮官だ。「しかし不幸中の幸いといった処でしょうな──山が崩壊し、我らにこの地を奪還するチャンスが巡ってきたのは」
ろくに非常用照明も灯らぬ薄寒い地下で、土と雪の匂いの中、二人の男が相対する。髭が伸びきり、黒ずんだベンターの顔。35歳のはずだが、10年以上も老けて見える。顎は飢えで痩せ細り、その目は度重なる戦いで磨耗し、飛び出さんばかりに爛々と輝いている。ハーフムーン奪還の為、20ヶ月以上もの間研ぎ澄まされてきた思考が、その瞳の奥に見える。
「ベンター隊長、長きにわたりこの豪雪の中にこもられたご苦労、今こそ報われる時です。正規軍から外れ、ろくな支援も受けられぬままこの氷の中、よくぞ戦われた。貴官と、貴官と共に戦う兵士たちの為に、何よりユーラシアで苦しむ同志たちの為に、議長はこの作戦を立案されたのです」
ヨダカはFAITHの証を襟に煌かせて熱弁をふるう。だがベンターの表情は、言葉とは裏腹にどこか冴えないものだった。「この好機に乗じるかの如きデュランダル議長の作戦、恐悦至極に存じます。ヨダカ隊長、実行部隊として貴官が共に戦っていただけることはこのベンター、大いに感謝しております。ですがこの作戦は……」
「反対者が多く出ていることは聞き及んでおります」ヨダカはサングラスの奥の瞳をぎらりとベンターに向ける。「しかしこのユーラシアの地を喰らう連合は、大地のことなど何も考えずあのような戦略兵器を持ち出す愚か者だ。そんな連合の虫どもに比べれば、我らの罪はまだ軽い──暴力を制するのは、結局は暴力でしかない」
「確かに議長のお考えは理解できるつもりです。連合を一掃することが出来れば、ユーラシアにも再び平穏が訪れる。地上より遠ざけられた我らコーディネイターが、ようやく土を踏みしめて子供らを草原の上で遊ばせることが出来る。それが我らの夢でした。その夢だけが、この氷の牢獄での希望でした。
しかし、その草原自体がっ」
煮えきらぬベンターの態度に、ヨダカは拳をきゅっと固める。
「プラントでは現在、次のような仮説が幅を利かせております。地球の自然重力の上ならば、再び女たちが子を孕むことが出来る可能性もあると。コーディネイターに子供が生まれないのは、我らの遺伝子のせいではなく、重力の為だと──真偽はともかく、そんな仮説が囁かれる時点で、地上を追われた我らにとってこの大地は魂の底から渇望してやまないものということはお分かりでしょう。
その為にも今回の作戦、ハーフムーン・トライアングルは必勝を期す!」
しかしベンターも、皺が刻まれた顎を持ち上げて叫ぶ。「罪を被る覚悟は、2年前にとうに出来ている。だが兵士たちは納得しない……地殻変動と貴官は言うが、その変動がどれほど恐ろしいものか、貴官はまだ分かっておらぬのだ。ニュートロンジャマーがこの地に集中的に投下されて以降、我らザフトがどれほど怒れる大地に苦しめられたか!」
ヨダカの口髭が震える。地上にいる者たちの口癖だ、プラントは地球の恐ろしさを分かっていないと──しかし、この好機を逃せばユーラシアを手中にするチャンスは逃げていき、ヨダカがティーダとアマミキョを捕らえる機会もまたまた失われる。微かな焦りが、ヨダカの声色に怒りとなって現れた。「連合の暴虐によって失われた1542名の同志を思い出せ、ベンター隊長!
この作戦は、宇宙で彷徨い続ける我らの母と子供たちの為だ」
さらなる地下から、兵士たちの声が微かに漏れ伝わってくる。ザフトの為に。ザフトの為に。ザフトの為に。基地のあちこちで、躊躇する兵士を鼓舞する仲間の声だ。
「子供たち、か」ベンターはヨダカから顔を背け、モニターで動き続けるティーダを眺める。「ときに、ヨダカ隊長。あの村の連中の処遇は」
「ナチュラル共と汚れた結果、生まれ落ちた禁忌の子供ら──話は聞き及んでいる。可哀相だが、彼らを受け入れるほどの余裕はプラントにはない」
「捨て置け、というのですか」ベンターの顔が歪む。そんなベンターの肩を、ヨダカは傷だらけの黒い手でがっしりと支えた。「生きていたとて、彼らは世界に受け入れられぬ。ならばここでコーディネイターの礎となるが、子供らにとっても幸福だ」
そんなザフトの動きも知らず、ナオトとマユはティーダで日暮れまで雪山と格闘していた。雪崩発生地点に急行し、呑みこまれた人々を一刻も早く救出する──それが、ナオトとマユに課せられた任務だ。
ティーダの指先に仕込まれた高感度カメラがこの時とばかりに活躍し、ティーダは1日で既に50人以上もの避難民を救出していた。滑落防止の為に左腕の三又巨大爪・グレイプニールを山の斜面に喰いこませ、グレイプニールのワイヤーが伸びている範囲内でティーダは必死に動き、右腕だけで被害者たちを探索し、救出する。作業中の為、右腕トリケロス内に仕込まれているランサーダートとレーザーは取り外されていた。
また一人、頂上付近に取り残されていた少女を助け出したティーダ。ついてきたM1アストレイに、殆ど全身凍傷状態の少女を手渡すと、ティーダは次の捜索を始める──日が完全に暮れてしまう前に、一人でも多く助けなければ。グレイプニールを斜面から引っこ抜き、頂上付近へ向かって再び射出。雪が蹴散らされ、中の土と樹木にしっかり爪先が食い込んだことを確認すると、ナオトはティーダを頂上へと動かした。
と、その瞬間カメラに映ったものは、山向こうの景色だった。いやそれは既に景色などという言葉で言い表せる代物ではなく、最も的確な表現をすれば「地獄」であったろう。
雪のような降灰はまだ続いており、頂上より少し下には低い灰色の霧がたちこめている。しかしよく見るとそれは霧ではなく、地上が燃やし尽くされている黒い煙だった。
灰の霧の向こうに見えるものは、紅蓮の炎。大蛇の舌のように蠢くその炎以外に動くものは何もなく、ただ破壊しつくされたビル、教会、学校、公園、道路、森、サッカー場、商店街が見える。どれもこれも確実にこの前まで人の営みがあった場所なのに、今では炎以外に動くものなど何もない。惨憺たる街の残骸だけが、そこにあった。
ナオトはその現実の前に、声もなく棒立ちになるしかない。「あ……あぁ……」
実況などとんでもない。圧倒的な事実の前に、伝える言葉は意味を持たない。
ナオトはひたすら、ティーダのカメラで暗黒の光景を撮影し続ける。そのカメラは遠距離でありながらも、崩壊した都市の内部を必死で捉えていた。寒さの中震え続ける猫を、腐敗の始まった死体を覆い尽くす無数の黒い虫を、血と油の飛び散ったままの、砕けた道路を。
世界が壊れる光景。それが、ナオトの思いついた最も的確な表現だった──が、後席でつまらなげにしているマユは、この地獄を前にしても平気な顔だった。むしろ別のことでがっかりしている口調で言う。「これじゃ夜より暗いよ。きれいな夕焼けが見えると思ったのに」
「見えるわけないだろ。人が死んでるんだぞ」
ナオトは怒りをこめて吐き捨てたが、その時マユは突然ヘルメットを脱ぎ、いきなりパイロットスーツの胸部を開いた。長い、ふわふわした黒髪がナオトのすぐそばで揺れる。「ちょっと、何してるんだマユ! こんなところでっ」
少女の匂いが、ナオトの鼻孔をくすぐる。黒ハロがぴょんぴょん飛び跳ねた。「マユ、アツイヨ、アツイヨ」
ナオトの言葉も聞かず、マユはそのまま上半身のインナーまで無造作に脱ぎ出した。真っ赤になって叫ぶナオト。「やめろったら! 風邪ひくだろっ」
街を焼く炎を背景にして、幼い少女の上半身が剥き出しになる。マニアな写真家なら喜びそうな画かも知れないが、あいにくナオトはそんな突拍子もない感性は持ち合わせていなかった。ただただマユの行動にうろたえるしかない。マユの素肌が、街の炎とコクピットの光の照り返しで橙に輝いた。まだ火傷の跡が残る少女の卵肌が、揺れる。
慌ててマユを押さえようとしたナオト。だがマユは、その細さからは想像すら出来ぬ凄まじき腕力でナオトをシートに押しつけ、続いてナオトのメットまで強引に取り上げる。首が落ちるかと思うほどの乱暴な挙動と共に、メットは外された。「こうすれば、ナオトはずっとティーダにいてくれるんでしょ」
「何言ってるんだよ! ホントどうしたんだマユ、やめ……っ?」
ナオトの叫びを封じるかのように、マユはいきなりナオトの唇に自分の唇を重ねた──重ねたというよりも、衝突させたといった方が正しかったが。歯と歯ががちんと音を立てる。同時にマユの両手は、ナオトのノーマルスーツの襟元までを開きにかかる。
ナオトの意志に反して、脚の間は一気に熱くなった。マユの両手を押さえようとしながらも、身体は正直だ。目の前で揺れるマユの黒髪、鼻、頬、閉じられた目、そして小ぶりな胸。
だがその胸を見た瞬間、ナオトは思い出してしまった。チュウザンで、父親と再会した時の悪夢を。
──父さんは嬉しいよ。これはお前にしか出来ないことだ、ナオト。
途端、吐き気がナオトを襲う。絶望と共に。
マユはまだナオトの唇に吸いつき続け、ナオトの胸元を引きちぎろうとするように手に力をこめていた。
あの時も僕は、同じようにされた──
ナオトは全筋力を振り絞って彼女を引き剥がす。悪夢を振り払おうとするように。無我夢中でマユと取っ組み合い、何とかナオトは呼吸を取り戻した。「ぶはっ! お、落ち着いてよマユ! 服を着て」
なんてことだろう、僕はマユも抱けない身体になってしまったのか。マユの身体を見てさえ、大好きな娘の身体を見てさえ、あの悪夢を思い出してしまうとは。
「マユ、お願いだ。服を着て」ナオトは息を弾ませながらも、マユの腰あたりに垂れ下がったままのパイロットスーツの上半身を彼女に被せた。スーツの両腕の部分で胸を覆ってやる。「何考えてるんだ……君は、ホントに変な娘だなぁ」
だがマユの黒い瞳は、どこまでも真っ直ぐにナオトを見つめている。歯と歯がぶつかり合うほどの不器用な接吻をしたばかりの唇から、言葉が溢れる。「マユは、ナオトとずっとティーダに乗りたい」
ナオトは思わずはっとしてマユを見つめ返した。
訳も分からず出会ったこの少女に惹かれて、この少女を守ろうとして、自分はティーダに乗った。少女のわがままと暴虐に振り回されながら、それでも自分なりに懸命に、マユを守ろうとしてきた。
その想いが今やっと、僅かながら報われた気がする。どんなに酷い目に遭っても、どれほどマユが分からなくても、僕はマユが好きなんだ。どこまでも純真で、剥いたばかりの卵のような心しか持たぬ彼女が。
「その言葉を聞けただけで、僕は嬉しいよ」胸を見ないようにして、ナオトはマユの小さな手を握りしめた。モビルスーツの操縦桿を握っているとは思えぬ、白い小さな手を。
「嬉しい? よく分かんない」
マユの言葉は分からないことだらけだけど、今何となくその謎が解けた──ナオトはそう感じた。
マユは、見た目以上に子供なんだ。それも、生まれたばかりの赤ん坊に近い。だから、普通の人間が持ちうるはずの悲しみや寂しさ、怒り、人を好きになった時の苦しさ、人から好かれなかった時の辛さ、そして人に受け入れられた時の嬉しさを、知らなかったんだ。多分、戦って人を殺して笑うことしか知らなかった。
だから、初めて人間らしい感情を知った時、ひどく戸惑う。そして僕を殴ったり、ティーダで暴れたり、メルーを叩いたり、身体が異常を起こしたりする。今のキスも、おそらくその戸惑いから来る衝動的行為の一つだ。
ナオトはそんな風に冷静に分析できる自分が少々おかしくもあったが、確かに嬉しかった。単純にマユからキスをされたことが嬉しく、自分がマユの感情形成にかなり大きく関わっていたということも嬉しかった。
僕は、ひょっとしたらマユにとって、カイキ兄さんより大きな存在になれるのかも知れない──その喜びはナオトの中で、一瞬で庇護欲に変わる。一方的な庇護欲に。
「マユ、僕はとってもいいこと思いついた。ここで一緒に暮らそうよ」
ナオトは思わずマユの両肩を掴んだ。ぽかんとする彼女を真っ直ぐ見つめながら、まくしたてる。「メルーたちと一緒に、みんなで仲良く暮らすんだ」
「ナオト、何言ってるの? マユは別にここじゃなくても……」
この子はまだ幼児だ。赤ん坊だ。だから僕が、善悪をきちんと教えてやらなきゃ。
「いや、ここじゃなきゃいけない。ティーダに乗ってたら、マユはまた痛い思いをするよ。ハーフムーンにいれば大丈夫さ、ハーフコーディネイターが生きられる場所なんだから。
だからきっと、マユだってもうモビルスーツなんかに乗らずに暮らせるよ」
マユは答えない。ナオトの言っている単語を一つ一つ吟味するように、視線を逸らしてうつむいてしまう。ナオトはちらりとモニターに広がる街の炎を見ながら、なおもマユの説得にかかる。「もう二度と、あんな光景は見たくないよ。感じたくもないよ。君だってそうだろ」
「うん。気持ち悪いのは……嫌」
ナオトはそのマユの言葉を、自分を理解してくれたものと受け取った。そうだよ、やっぱりカイキ兄さんやフレイ・アルスターじゃ駄目なんだ。あの人たちは、マユに「戦いは楽しい」とか教え込んだに違いないのだから。こんな小さな女の子が戦争を楽しむなんてこと、出来るわけがないじゃないか!
「よし。分かったら、ちゃんとスーツを着て、戻ろう」ナオトは笑顔になり、マユの右手を強引にスーツの袖に通させる。
「ところで……君にこんなことしろって教えたの、誰? まさかカイキさんじゃないよね」
そのナオトの疑問に、今度はマユはあっさり答えた。「ううん、スティングだよ」
翌朝、アマミキョ医療ブロックから外へ出る救急用進入口のあたりをほっつき歩いているスティングを、ネネがとっつかまえていた。「ちょっと貴方っ!」
収容されて3日、大分傷の具合のよくなったスティング。連合少年兵の改造軍服を両肩に無造作に引っ掛けた彼は、十分歩けるほどに回復していた。もう少しすれば作業に参加出来そうなほどに。ハァ?という顔で振り向いたスティングに、ネネは怒鳴る。「良くなったからって勝手に出歩かないで! しかもマユちゃんに一体何教えてんですか!?
サイさんとカイキさんがもうカンカンなんですけどっ」
「チッチッ」数日前の狂乱ぶりが嘘のように、軽く指を振って不敵に笑うスティング。周囲の恋愛沙汰をからかってふざける、そこらの男子学生にしか見えない。「こりゃ、大人の役目ってヤツだ。ちっとばかりあのお嬢ちゃんが悩んでいたようだから、オークレー直伝の恋愛指南を……
って、いデデデデ!」いきなりネネに耳を思い切りつねられるスティング。「つーかてめぇ、それでも看護士かよ!? 俺は怪我人……」
「うるさぁい! 子供が子供に恋愛指南してどーすんのっ」
「何だと、恋愛なんざ縁のねぇ大根足が!」
「まーた人のことを大根呼ばわり? 悪いけど、貴方よりは恋愛はしてますから!」
ややカールした栗色の前髪からのぞく大きな目が、スティングを軽く睨みつける。耳をつねる彼女の手から逃げつつ、その言葉にスティングは気づいた。「俺……あんたのこと大根って、前にも言ってたのか」
ネネの怒りの表情がふっと和らぐ。子供を宥めるような笑顔が、そこにあった。「そうよ。どうやら、そうそう完璧な記憶消去ってわけじゃないみたいね」
進入口に停めてあったスクーターに乗りながら、彼女はスティングを手招きした。「乗って。ヘンなこと子供に教える余裕あるなら、作業ちょっと手伝ってもらいます」
スティングは素直にスクーターの後席に座り、ネネと同じにメットを被る。灰色の寒空の下を、二人を乗せたスクーターは雪かきのされたあぜ道を走り出した。
作業隊によってかきわけられた泥まみれの雪は、道路脇にバームクーヘンのようになって積み重ねられている。その向こうに展開されるのは、避難民のカーキ色のテントと、ひたすらに治療を待つ怪我人の列、列、列。
「何だか、熱くなってきやがったな。雪も泥になってやがる」ネネの背中で、スティングは呟いた。寒風の中、彼は人々の無気力な表情を眺めつつ、彼らを嘲笑する。「ステラ──あの死に損ないが、ここまでやるとはな」
「そんな言い方……貴方、ステラのことあんなに可愛がってたじゃない。いつもいつも心配してついて回ってたわ、アウル君と一緒に」背中で一つにまとめられたネネの真っ直ぐな髪が、スティングの頬を撫ぜた。
「何度言や分かるんだ? 知らねぇよ」
「それともう一つ。貴方の話を聞く限りでは、この人たちを怪我させたのは貴方のせいでもある。それを何とも思わないの?」
アホか、とばかりにスティングは嘲笑った。「俺らにとっちゃ、こんな光景は当たり前なんだ。何処へ行ったって、俺らの背後には死人の群れと血の跡しか残らない。
それが俺たちの勲章であり、存在意義だ。むしろ誇りに思うね」
「そりゃあ、カッコイイことね。その後片付けをするのは私たちなんだけど」まるで子供の強がりを切り捨てるように、ネネは吐き捨てる。スティングは寒風の中笑い続けた。「あ。ひょっとして、俺を戦いから引き離そうとかしてる?」
運転中のネネに後ろから顔を近づけて、スティングはわざと舌を出した。「無駄無駄! 俺には戦いしかねぇんだよ。世界にはあんたらの知らない現実が山ほどあるわけさ」
前方を向いたまま、ネネは唇を尖らせる。「はいはい。私には貴方はただのエロマセガキにしか見えないけど」
完全に子供扱いされている。それを悟って、スティングもやや気分を害した。「んだと、胸わしづかまれてぇか!?」
やれやれ、とばかりにネネはため息をついてみせる。こんな患者はどこにでもいる。「運転中に放り出されたければどーぞ、セクハラ坊主さん」
ネネの言葉に思い切り膨れっ面になるスティング。「冗談! こんな幼児体型触って楽しいかよっ」」「なんですってぇ!」
彼自身は気づいてもおらず、気づいたとしても認めようとしなかっただろうが、この時確かに彼はアマミキョに僅かな癒しを感じ取っていた。そう、ネオやステラ、アウルとふざけあっていた、失われたあの日々と似た癒しを。
村の診療所に到着したネネとスティング。出迎えたのは、サイと村の子供たちだった。子供たちの遊び場でもある診療所近くの広場で、彼らはサイに雪遊びを教えてもらいご機嫌だったようだ。診療所の門の隣には不器用ながらも雪だるまがひとつ出来ている。
サイはスティングを見つけるやいなや、眉をつり上げて迫ってきた。「スティング! 君って奴はマユに……元気になったと思って安心してたら!」
スティングはその剣幕に、慌てて両手でサイを遠ざける仕草をしてみせる。「へぃへぃ、その説教はたっぷり聞かされたよ。そこのずん胴看護士さんにね」
ネネが即座に反応する。「一言余計です!」
「言われたくなきゃ、いい加減スカートでも履けよ。ナースなんて色気もクソもありゃしねぇ」
「えーえー、履いてもいいですよ。但し貴方の目の前以外でね!」
「副隊長補佐、こりゃあんたの仕事だ。医療ブロックの看護士と女医の制服を全て膝上丈のスカートに」
「サイさん、聞く必要ありませんよ!」
二人の応酬に、サイは苦笑する。「正直俺も、スカートの方がいいとは思うけどね。ズボンはズボンで別の可愛らしさがあるもんだ。一見無骨なズボンでも、中身は美脚。想像を膨らますのも楽しいもんだよ」
「さ、サイさんまで……」「うーん、やっぱり大人の言うことは違うね」目を白黒させるネネに、調子に乗るスティング。だがすぐにサイはコントを中断し、真顔になった。
「ネネさん。作業の合間でいい、ちょっと君に頼みたいことがある」
「え?」ぱっと顔を赤らめるネネ。茶色の瞳が真っ直ぐにサイを見つめる。
「君もそうだけど、スズミ先生は死ぬほど忙しい。君しか頼める人がいなくて」
「は、はい!」顔をほころばせて、ネネは大きく縦に何度も首を振る。18歳のはずだが、まるで中学生の少女のようだった。
そんなサイとネネを、スティングは実に面白げに眺めていた。「……分かりやすすぎ」
診療所の、薬の匂いに満ちた医務室の中で。
ストーブが焚かれ、かなり熱くなった部屋で、サイは上半身裸でベッドに腰掛けていた。その左腕を、ネネが懸命に診ている。
サイの手のひらや指を揉みながら、彼女は実に慎重にサイの反応を確かめていた。目と目がくっつくほどサイの左手を睨みつけているネネに、サイはそっと声をかける。
「ごめん。誰にも話したくはなかったけど」
「大分、神経が傷んでますね。やっぱり先生に診てもらった方が……」
「秘密を守ってくれるのは、君とスズミ先生しかいない。でも彼女は今凄まじいだろ、副隊長の治療もはかどっていないし。君しかいないんだ」
ネネの頬が上気したのは、ストーブの熱さからだけではない。眼鏡の奥のサイの瞳を間近にして、ネネは手まで熱くなる。「そんな。私は一度、サイさんに酷いことを言ってしまったのに」
ヤハラで子供を叩いた時のことか──サイはまた苦笑する。疑われても仕方のないことをやっていたのだ、自分は。「いや、君はいい子だよ……スティングへの対応見ていて、君はホントにいい看護士だと思った」
言われて、ネネは髪の毛が浮き上がるほど全身でのぼせあがったようだ。「か、看護士として当然のことですよぅ」
「スティングがああいう特殊な環境下の子供でなければ、君のいい彼氏になれそうなんだけどな」
この会話を、廊下でスティングはこっそり聞いていた。思わぬところで自分の名を出され、一瞬ぎょっとなる。
二人っきりの医務室、年頃の男女、裸の男、頬を染める女、熱いストーブ。面白い恋愛沙汰だと思って覗いていたのだが、スティングの思い通りにはコトは運びそうもない。シチュエーション的には最高だというのに……
そしてネネの声。「サ、サイさんてば。私はただ、看護士としてあの子に接してるだけですよぅ!
だいたい私、他に好きな人、いますから!」
やっぱりな──スティングはため息をつき、呟いた。そのため息に、何処かガッカリしたような気分が混じっていることに、彼は自分で驚いた。
サイにぷいっと背中を向けるネネ。彼女の真摯な気持ちに気づいていたのはサイも同様だった。
サイとて全くの鈍感ではない。ここで、「へぇ、誰?」などと聞くほど野暮ではないつもりだ。むしろ色恋沙汰には鋭敏な方だ──2年前に、鋭敏にさせられてしまったとも言える。
しかし、俺の勘が正しいとしたら、今すぐ俺は彼女に告げなければならない。彼女の気持ちが肥大する前に。
「ネネさん。これから言うことが俺の勘違いだったら、笑い飛ばしてくれ」
おもむろに口を開くサイ。ネネの背が固まるのが分かる。「どういう意味……ですか」
「俺は──君の気持ちに、応えることは出来ない」
案の定、ネネの背がびくりと鞭でもうたれたように震える。すぐに「はぁ?」とでも軽蔑の眼差しで返さなかったことからして、サイの勘は大当たりだったようだ。
「なっ、……何、言ってるんですか。意味分かんない」背を向けたまま、ネネは笑おうとしている。精一杯呼吸を鎮めながら、それでも平静を装おうとしている。声は明らかに上ずっていたが。
「分からないならそれでいいよ。馬鹿な副隊長補欠として、笑いのネタにしてくれ」
「わ、分かりませんって。何で私が、サイさんの言葉を笑わないといけないんですか? 無理です、無茶言わないで」
「ただの馬鹿男の勘違いだよ。子供たちにはいい笑いのネタになるだろ?」
「勘違いなんかじゃありません!」ネネは猛然と振り向く。その大きな目からは、今にも涙が溢れ出さんばかりに光っていた。
ネネは涙の洪水で瞼の堤防を決壊させまいと、必死でその目を見張っている。瞬き一つ許さぬというように、ネネは涙を落とすまいと頑張っていた。「なんでそんなに、自分を低く見るんですか」
ああ──俺はこの娘を、酷く傷つけてしまった。サイはまたも悔悟する。
自分を貶めるということは、自分を真っ直ぐに好きでいてくれる娘の心さえも傷つけるということだと、サイは知った。
「すまない。自虐的すぎた」
「そうですよ」ネネは再びサイの前に座り、その左手を取る。この娘の優しい指の感触を、はっきりとは感じられなくなっている。その現実が、サイは悔しかった。
やがてサイの手に、ネネの涙が遂に落ちた。消毒用ナプキンで慌ててネネはそれを拭くものの、あとからあとから涙は零れてくる。それでも懸命に、ネネはサイの手を揉み続ける。
沈黙が30秒ばかり続いた後、ネネはようやく口を開いた。「フレイさん、ですか」
フレイのことに決着をつけられないから、自分のもとへも、誰のもとへも行けないのか──単純な問いかけだった。「ああ」サイも単純に答える。
「そうですよね。やっぱりそうですよね、私ってばなんて馬鹿なんだろ」
ネネはティッシュで涙を拭き──そして思い切って顔をあげた。泣きはらした大きな目が、サイには眩しい。彼女はそれでも懸命に、笑顔を見せていた。
「応援、しますから。必ずフレイさんと一緒になれるように、私応援しますから! だから……」
ネネはサイの左手をぎゅっと握り締めた。「だから、早く手を治しましょうね」
「ありがとう。そうする」サイはネネの健気さに応えるべく、精一杯強く笑って見せた。
次の瞬間にはもう、ネネはいつも通りの朗らかな口調に戻っていた。「毎日来てくれなきゃ、ダメですよ。そうでなきゃ、効果ありませんから。私、必ず時間空けて、待ってますから」
「忙しいのに、本当にごめん」「いえ! サイさんの為なら私、火の中水の中です!」
サイは上着を取りながら、ネネに微笑む。「俺は思うんだ。君みたいな娘は、必ず幸せになれる。そうなれないというなら、こんな世界、ぶっ潰れたって構わない」
「その言葉だけで、十分です」ネネが顔を赤くしつつ涙を拭ったその時、サイの手元の通信機がまた鳴った。アマミキョ予備ブリッジからのヒスイの通信だ。<サイさん、来て下さい! 地下に妙な動きがあります>
数分後に予備ブリッジに戻ったサイは、ヒスイ、カズイ、アムルと一緒に顔をつき合わせて緑色に光るCGモニターを見つめていた。アマミキョとハーフムーンの位置を中心に、周辺の地形が立体的にモニター内に浮かび上がっている。
その約50キロ北の地下に、ニュートロンジャマー発生器の密集地帯と思われる黄色の点の集合体があった。そこから東へ約数十キロの地域にも、地下部分に同じような密集地帯がある。
ザフトの地下基地と思われる紅の三角は、ここより南西僅か5キロほどの山中にあった。まるで星雲のようなニュートロンジャマーの集合体を角として、ザフト基地が不気味な三角形を描いている──ハーフムーンを囲むように。
「ティーダからの情報を分析した結果です。このザフトの配置は一体何でしょう……」ヒスイが不安げに口ごもり、サイたちを見回す。
「動きがないのが、かえって不気味だ」カズイが言うと、アムルが姉のようにたしなめた。「怖いこと、あまり言わないの」
「この3地点の地熱は?」サイが尋ねると、ヒスイはすぐに答えを出した。「サイさんと副隊長のご指摘どおり、やはり上昇が見られます。それと、20時間前の観測時より若干、この2つのジャマー集団の位置がズレています。しかしティーダでも、それ以上の分析は……」
その時突然、ズカズカとブリッジに入り込んできた者がいた。「大丈夫! 心配いらないさ、オーブのムラサメも出撃する。それに喜びたまえ! アマミキョに、連合軍から素晴らしいプレゼントがあるんだ」
サイが若干苛々を表情に出しながら振り向くと、自信満々にブリッジのド真ん中を占拠しているユウナ・ロマ・セイランがそこにいた。
訝しげに自分を見つめるサイたちを気にする風でもなく、ユウナはパチンとモニターに向かって指を鳴らす。と、まるで手品のようにアマミキョ外装の光景がそこに映し出された。
それを見て、サイは目を疑った。映し出されたのはアマミキョ後部の、破壊された体育倉庫のあたりだ。オーブ軍の整備士たちが何人も取りついて、改修作業を行なっている──だが、元の清潔なスポーツジムに戻すのではなく、明らかに別のものを強引に取り付けようとしている。
「見たまえアーガイル君、バスカーク君! 君たちは見覚えがあるはずだ、アレに」
オーブと連合軍の手で、アマミキョの後部に強引に埋め込まれているものは、武器だった。それも、サイとカズイがよく見覚えのある──陽電子破城砲。「まさか、ローエングリン!?」
緊急時ゆえか、モビルスーツでも担げるほどの簡易型に改造されてはいたが、テレビカメラにも似た特徴的な砲口の形状はまさしく、あの脅威の戦略兵器・ローエングリンだった。
「何故です!」サイは忌まわしい黒の砲台を背後にして叫ぶ。「アマミキョは救助船だっ、あんなものを載せて一体何を」
「連合軍の好意は素直に受け取っておきたまえ。モビルスーツ用に開発されていたものだが、結構無理を言って持ってきてもらったんだよ。ザフトの位置を特定でき、なおかつあれを撃てるポジションにいるのは、この船以外になくてね」
得意げに胸を張るユウナに、サイはますますいきり立つ。「ですからっ、そもそも何故あれを撃つ必要があるんです! この船の皆に人殺しの手伝いをしろとでも!?」
「君も愚かだね」陽気さを装っていたユウナの目が、サイを見た瞬間どす黒い冷徹の色で染まった。「あの忌まわしきニュートロンジャマー、ザフト軍ごと一掃するには今しか、この方法しかないとどうして思わん?」
愚かはどっちだ──セイランはニュートロンジャマー散布地域に一気にローエングリンをぶち込む気だ。あまりの暴挙に、サイは無礼と知りつつも進言せずにはいられない。
「セイラン代表補佐。恐れながら、陽電子砲の地上使用において、環境への影響を無視することは出来ません。自分たちも2年前、地上においてローエングリンの使用は出来うる限り回避してきました。それが生命に関わる状況であってもです。
それを今、住民や避難民が至近距離にいると分かっている中での使用は危険すぎる!」
「分かっている」ユウナは不意にサイに近寄り、ぐいとその顎を掴んだ。「その環境を、取り戻す為に言っている。あのジャマーが何万となく地上に撃ち込まれ、その電磁波の影響によって人間は、大地は、絶えず破壊し尽されてきた。乱れた地磁気の影響は今もこの大地を狂わせ続けている。その災厄に、この土地だけでも終止符を打ってやるんだよ」
サイの首を絞めようとでもするように、その顎を持ち上げるユウナ。ひどい屈辱がサイの胸に広がる。「今の今まで、この地にはたやすくザフトも連合も近寄ることが出来なかった。喜びたまえ、たまたま不時着したアマミキョこそが、この光栄なる任務を果たすことが出来るのだ! これはオーブが世界の信用を得るチャンスなんだよアーガイル君。なんたる好運、なんたる僥倖!」
3基あれば地上の全てをその支配下に置くことが出来るといわれるニュートロンジャマー。それを数万単位でザフトは全地球上へばらまいた──そのおかげで起きた災厄と失われた命は今なお数知れず、連合が何年も血眼になってジャマー発生器を掘り出そうとしてもとても全ては掘り出せず、今なお世界各地で狂気のジャマーは地下深くを掘り進んでいる。その悪魔の兵器を、そんなに簡単に一掃出来るというのだろうか、この男は?
「代表補佐、お願いします。もう一度考え直して……」「嫌だね」抵抗するサイを、ユウナは一息にその言葉ごと壁まで押し付けた。「イイ顔、するねぇ。僕は君みたいな真っ直ぐできれいな眼が大好きだ、カガリを思い出すよ」
明らかにサイに対して悪意を込めた笑顔。俺はひょっとして、この男のサド心を刺激したのだろうかとサイは錯覚した。ユウナはさらに信じられぬ言葉を吐く──「アーガイル君、君に英雄になる権利をあげよう。ローエングリンを撃つのは君だ!」
ユウナの指で首元や頬をいいようにもて遊ばれながら、サイは目を剥いた。そのままユウナはカズイに振り向く。「バスカーク君も友人を手伝ってやりたまえよ。ローエングリンの使用経験があるのは、今いる連合・オーブ軍を含めても君たち二人だけなんだ。
特にアーガイル君の火器管制に関する知識は不可欠だ。実戦であの兵器のオペレートを経験したのは君だけだ、何を怖がる? アマミキョは真の救い主となるんだよ!」
ユウナはとうとうと喋り続けながら、サイの逃げ道を完全に塞ぐようにもう片方の手でサイの肩を掴む。サイはそのうすら笑いを間近で凝視しながら、先ほどのユウナの言葉の真の意味に気づいていた──真っ直ぐできれいな眼が大好きだ。その純潔が恥辱にまみれ地に這い蹲り、大きく歪む瞬間がたまらないから。
視界の隅でカズイとヒスイがオロオロと顔を見合わせている。オサキが不在で良かった、彼女がいたらユウナを殴りかねない。アムルだけは軽蔑の表情でユウナの背を眺めていたが──ああ、あの人はナチュラル以上にオーブ政府を嫌っていたっけ。
唇を噛み続けるしかないサイ。だがユウナはさらに調子に乗る。「それからもう一つ。クルーには勿論、村人たちにも武装を!」
ざわっとブリッジの空気が震え上がる。自分たちに武器を持てというのか? カズイやヒスイがさらに怯えるのが、サイにも見えた。
アマミキョクルーとて馬鹿ではない。緊急用のハンドガンぐらいは、アマクサ組の許可のもとで携行可能だ。殺傷能力は極度に低く、携行時の厳正なチェックも逃れられないが──
「銃を、老人や子供たちにも持たせろというんですか。オーブ政府らしい、矛盾に満ちた言い草ね」会社づとめの頃からオーブ政府への不満を募らせていたアムルが、ここぞとばかりにユウナを皮肉る。
「当然だよ」ユウナは構わずアムルを嘲笑した。「ザフトは必ず来る、ここにね」
その5時間後。
「こんな時にトンズラなんて、フレイさんは卑怯だ」
アマミキョのハンガーでは、ナオトがハッチを開いたままティーダを起動させていた。その後ろで、マユと黒ハロもデータ収集に余念がない。
通信ごしの時澤の声が響く。<アマミキョの修復は8割完了した、あと20時間あれば予定進路に復帰出来る。今はオーブ軍と連携して相手の出方を探ってる──忘れるな、ティーダのシステムは絶対に落とさないでくれよ。今あのニュートロンジャマーが視認出来るのは、ティーダのおかげなんだから>
だがナオトは、ハンガーにぽつんと残されたダガーL──アフロディーテが妙に気になっていた。ソードカラミティもグフも健在だし、IWSPは今スカイグラスパーに装着されている。ウィンダム2機にディープフォビドゥンにも整備士がとりつき、ハマーたちもいつものように怒鳴りあいながら作業している。しかし──
アフロディーテが通常の状態でないというだけで、これほどまでにハンガーは力を失ってしまうものか。反発し続けてきたはずのフレイ・アルスターの求心力に、ナオトは改めて愕然とする。「ただの、ダガーLなのに」
「文句言わないで、ナオト」マユが笑って顔を上げる。「ステラを助けに行くんだって。それがアマミキョの為になるんだって」
「ステラ……って、デストロイの娘かよ」ナオトは口にするのも汚らわしいというように吐き捨てる。「デストロイはアークエンジェルとザフトがやっつけたって、サイさんが言ってたじゃないか。何でその娘を助けに?」
マユは答えない。ただ、不思議そうに目の前のモニターを凝視している。「それよりナオト……何か変だよ、ジャマー」
同時刻、ザフト地下基地からジオグーンが合計6機、基地から出発していった──深く凍てついた、地中の闇へと。
地中巡航型グーンとも呼ばれるその機体は、かつてヤハラにいるアマミキョと連合の部隊を脅かしたこともある。それが一部隊となって今、ハーフムーンの地下へと直進していく。大地を破壊し、地獄へと突進していく。まがまがしいドリルを武器に。
轟音と共にひとしきり大地を揺るがし、部隊は基地を後にした。隊長であるピート・ベンターは、掘削音が完全に消えるまでの十数分、カタパルトから離れようとしなかった。恐らく、二度とあのジオグーン達がここへ戻ることはない──「これで、平穏な地上を取り戻すというのか」
ほぼ同時に、ブリッジでもヒスイが異変に気づいた。「どういうこと? ニュートロンジャマーの掘削速度が上がってます!」
尋常でないヒスイの言葉に、サイもモニターに飛びついた。「角度も変更されている……それに、ザフト基地から出撃したと思われるこのアンノウンは?」
ただならぬ事態に、カズイもアムルも、予備ブリッジの操縦桿の反応を確かめていたオサキも顔を上げた。そこへさらに尋常ならざる異変が起こる。医療ブロックの集中治療室から、リンドー副隊長の怒声が響いたのだ。<すぐにオーブ軍を呼べ、サイ! 一刻も早くザフトを止めろっ>
<副隊長、お願いですから動かないで! 傷が……>
地の底から蘇りし妖怪の雄叫びに似たものを、サイはその絶叫の中に感じ取った。「副隊長!? 何事です」
どんな時でもボソボソ声で、自分が傷ついた時さえも平静を失わなかったあのリンドーが、憔悴している。慟哭に近い叫びを上げている。それだけで、今起きている事態がどれほどのものかをその場の全員が直感した。
<ニュートロンジャマーの予測進路と到達深度を算出せい、5分以内だ!>
「アムルさん!」咄嗟にサイはアムルに命令を下す。現時点で、最も計算速度が速いのはコーディネイターの彼女だ。怨恨などに拘っている時ではなかった。
「はい!」サイの命令通り、アムルは即座にキーボードを凄まじい速さで操り出す。2分で答えは出た──そしてアムルは息を飲んだ。「このまま行くと、あと2時間32分で2つのニュートロンジャマーの集団が合流。その30秒後に、アンノウンが合流地点に突っ込む形になるわ!」
「その際に放出が予測される地磁気は……」計測結果を見たヒスイは、声も出ずふらりと倒れかかる。そんな彼女をオサキが慌てて抱きとめ、カズイが代わりにさらなる分析結果を口にする。「それにこの深さ。地下のマントル表面、ドンピシャだ」
リンドーの歯ぎしりが、通信ごしに響いた。<ザフトの阿呆共、ユーラシア大陸を吹っ飛ばす気か!>
つづく