寒空の下、ハーフムーンでは村人たちの避難が開始された。
長年この地を襲ってきた地殻変動とは比較にならない災厄が来るという情報は、瞬く間にハーフムーンを駆け巡ったのだ。大陸が割れ、引きちぎられる──
「集まれー! みんなすぐにアマミキョに集まるんだっ」スピーカーを通したトニーの大声が村中に繰り返し響き渡る。唸りをあげるサイレン。平和な村は一瞬にして、崩壊の運命に晒されることとなった。
暖炉の火が消された村長宅では、祖母がメルーの紅いマフラーを直してやっていた。小さなメルーは、不安を隠せず老婆を見上げる。「畑はどうするの、おばあちゃん?」
「……仕方あるまい」老婆はメルーのコートの襟元のリボンをきっちり結んでやる。「お前はすぐにアマミキョへ行くんじゃ」
「いや!」メルーはたまらず祖母の膝にすがりつく。「おじいちゃんもおばあちゃんも、ここにいるつもりでしょ。私も残る」
「全く、聞き分けのないことを! 皆と一緒に逃げるんじゃ、メルー」
「やだやだっ」メルーは祖母から離れようとしない。「畑がなくなったら、お日様がなくなったら、生きていけないよ! 助けてくれるよ、きっとナオトとアークエンジェルが助けてくれるから、だからおばあちゃん、ここにいよう!」
だが祖母は黙ったまま、愛する孫娘の丸っこい身体を引き離す。メルーの目線に腰を落とした彼女は、懐から包みを取り出した。それをメルーに渡そうとしたが、老婆は皺だらけの手を引っ込める。その手が震えているのは、寒さのせいだけではなかった。
「おばあちゃん、何ソレ?」いつもの麦飯とは明らかに違う重みを持つらしいその紙包みを、メルーはただ見つめることしか出来なかった。
 


PHASE-22  鮮血のサイ



メルーが渡された紙包みの中身──それと同じものを、医療ブロックのネネたちもまた受け取っていた。患者に渡すようにと指示されたその中身に、ネネは戦慄を隠せない。
それは、護身用の拳銃。
「何だそりゃ! 何があるってんだよっ」ネネの後ろから様子を見守っていたスティングが、思わず叫ぶ。震える手で、ネネは包みを閉じた。「患者さんたちを守る為なら……やらなきゃ。安全装置の外し方、復習しないと」
いつものように笑おうとして、ネネは口元を歪ませる。そんな彼女を見ていられず、スティングはイライラと床を蹴った。「馬鹿言ってんじゃねぇよ。撃てるもんか、そんな手で」
そんな彼らを振り返りもせず、隊員たちが患者たちに銃を配っていく。撃ち方をレクチャーする者もされる者も、一様に不安げな表情を隠せなかった。


刻々と状況が伝えられる予備ブリッジ。その奥のブリーフィングルームでは、サイたちブリッジクルーと山神隊が集まっている。一刻を争う事態ではあったが、どの顔も沈うつなままだ。
その沈うつの原因は主に、山神隊・風間曹長の言葉だった。
「冗談じゃないですよ! 風間さん、貴方は何を言ってるんですか」サイは風間の決断に思わず叫ぶ。時澤軍曹もまた、彼女の突飛な発言に猛然と反論した。山神隊の仲間として、人間として、そうせずにはいられなかった。「撤回して下さい、風間曹長! やりすぎです」
だが当の風間は、いつもの冷静さを全く崩すことなく答える。「サイクロプスなど比較にならないほどの規模で星がえぐられようとしている時なのよ。止める手段があるのなら、どんなことをしてでも止めるべきです、時澤軍曹。
ちょうど氷も溶け始めていることだし、ディープフォビドゥンで河から入れば可能な作戦よ」
「馬鹿な……」腕を組んだままいささかも揺るがない風間の態度に、時澤はがくりと肩を落とす。その比較的小さな身体は、堂々とした風間に比べて今やひどく萎れて見えた。
「特攻──しようというんですか。あれに」
時澤が決して言えないその言葉を、サイは代弁する。風間はいつもの調子で、広い額にかかる髪を軽くかきあげながら部屋中央のディスプレイを指し示した。平面に展開されたディスプレイ内では、CGのニュートロンジャマーがマントル表面に激突せんばかりの勢いで突進しつつある。
「このアンノウンは、開戦時にザフトが月面で使用し、連合軍の核搭載部隊に多大な被害を与えた兵器の応用──それがリンドー副隊長の推測。
こいつらが、今までザフトでも遠隔操作の出来なかったニュートロンジャマーを磁石のように引き寄せているとするならば、方法はこれしかないでしょう。
アマミキョの救難用ドリルを私の機体につければ、十分いける」
「自分が行きます」すかさず時澤が進み出た。「風間曹長、貴方はまだ若い」
「時澤軍曹、貴官のディープフォビドゥンの操縦経験はとても本作戦遂行に十分とは言えません」仲間の進言も、風間は頑固に切り捨てるだけだ。「目標到達前に敵に撃墜されたら、そこで終わりなのよ」
ずっと部屋の隅で消沈したままだったユウナが、ようやくおどおどと口を出す。「そ、そんな危険なことをしなくとも、ここから直接ローエングリンで狙えばいいじゃないか。最初の僕の作戦じゃ何故駄目なんだい」あまりの状況変化を前に、ユウナの威勢は一気に消し飛んでいた。
「言ったはずですよ。ティーダのレーダーをもってしても、地中のジャマーの位置は推測の域を出ず、誤差は50m以上もある。この誤差の発生も、ジャマーを引きつけているアンノウンの影響でしょう」風間はユウナをひと睨みし、全く臆することなく続けた。「ローエングリンといえども、その範囲をカバーすることは不可能です。しかもあの急造ローエングリンの構造上、連続発射は不可能。一度失敗すれば、再充填にかかる時間は最速でも6分。
その間に、アマミキョはザフトに叩き潰されるわ」
だからこそ、正確な位置情報が最も重要なのだ。それはサイも十分分かっているつもりだった──
しかし、だからといって風間の作戦は到底受け入れられるものではない。「アンノウンがマントルに近づく前に地中から接近して、位置を突き止めて相手を制止させて……それから」
サイはその先を続けられない。風間の提案した作戦は、まさに彼女の自殺行為といえた。カズイもアムルもヒスイも、その場にいたブリッジクルーたちは全員押し黙ることしか出来なかった。
だが、風間は自信たっぷりに微笑んでみせる。「その為の、ティーダの黙示録よ。私がアンノウンに最接近した瞬間に黙示録を使えば、敵の位置は丸見えじゃないの。
機体の誘爆の威力も考えれば、これが最も安全確実」
風間の表情は実にすっきり晴れ晴れしている。だがその言葉はサイにとってひどく残酷だった。これはつまり──
「貴方に向けて、ローエングリンを撃てっていうんですか」
サイが呟いた瞬間、ヒスイがたまらずしゃがみこむ。黒いストレートヘアが乱れ、繊細すぎる彼女の嗚咽は部屋中に響いた。
サイもまた、がくりと膝を折りそうになるのを支えるのが精一杯だった。だが、そんなサイに風間はウインクまでしてみせる。「その通り。いいわねサイ君、ちゃんと狙うのよ、ここ」
そう言って風間は、自らの豊満な胸元を親指で示した。
風間は、自らを囮にしてアンノウンとジャマーをを消滅させる気なのだ。ティーダの能力を利用して出来うる限りアンノウンに近づき、捕らえた瞬間自分ごとアンノウン及びジャマーを撃たせる。奴らがマントルに到達する前に。
サイは彼女の眼をもうまともに見ることが出来ない。さすがのユウナも、ここでは口ごもるより他なかった──サイの代わりに自分が撃つなどとは今更言い出せない。
カズイもこの状況に、口を挟まずにいられない。「敵の位置を知るんだったら、ティーダの黙示録だけで十分じゃないですか。ティーダをアンノウンの上空に接近させて黙示録を使えば」
「アンノウンが有人兵器とは限らない」風間は、僅かに残る生への可能性を無惨に切り捨てる。あまりにもテキパキと、風間は自分の希望を切り捨てていく。「皆も知っている通り、ティーダの黙示録はヒトの、魂の場所を感じるものよ。この作戦は一回きり、絶対に失敗は許されない。正確性を期す為には、強く感じられる魂が必要なの。つまり、ナオト君たちがよく知る人物が該当地点にいなければならない」
沈黙を破るように時澤が叫んだ。「どうしてそこまで! 死にたいんですか、貴方はっ」
「上官の命令が聞けないの、時澤軍曹?」熱い時澤に対して、風間はあくまでドライだった。だが時澤も怯まない。仲間を自殺させるわけにはいかない。
「理由を伺う権利はあるはず。貴方より長く隊に属している、人生の先輩としてはね」
風間の長い睫毛がふっと下を向く。まるで幼子に言い聞かせるように、風間はゆっくりと時澤を諭した。「強引なところは変わらないですね、時澤先輩。出世しませんよ」
そして風間はサイを始めとするその場の全員を見渡した。全員が、彼女を幽霊でも見るような目つきで見ていた──そして彼女は実際、これから進んで幽霊になろうとする人間だった。
膝だけでなく心まで折れそうになっているサイの肩を、風間はそっと引き寄せる。母性の匂いが、またもサイの鼻孔をついた。「私は5年前、後方支援のオペレーターだった。でもあのエイプリルフールクライシスでジャマーが投下された直後から、運命は変わってしまったの。
ジャマーは私のいた部隊の至近距離にまでばらまかれ、その影響で無力化した私の隊は全滅。仲の良かった先輩も同僚も可愛い後輩も、みんな何も出来ずに死んでいった。必死で逃げる生身の私たちを、ザフトの奴らはMSで容赦なく撃っては潰していった。
たった一人残された私も、下腹部に傷を負ってね。子供を産めなくなった」
あくまでさらりと話す風間。だがその過去は、初めて聞かされる者たちにとっては全くもって受け入れがたい惨劇だった──
ニュートロンジャマーとは風間にとって、命を賭しても殲滅せねばならないものだったのだ。遂に耐え切れなくなったヒスイが、だっと部屋から出て行く。
その後姿を眺めながら、風間は呟いた。「理由としては、それで十分?」
瞬間、時澤が風間の前にひれ伏した。血を吐く勢いの時澤の声が轟く。「風間曹長……自分は貴方に対して、大変申し訳ないことをしました! 貴方のことを何も知らず、自分は貴方を責めるような真似を!」
「顔を上げてください、先輩」風間はサイと一緒に、時澤の両肩を抱くようにしゃがむ。大の男二人を胸で抱え込む形になる風間。「山神少将に、よろしくお伝え願います。私を拾ってくださり、ありがとうございましたと……過去を詮索しない山神隊だから、私も戦ってこられたんです」
時澤は頭を下げたまま、男泣きを必死でこらえる。サイはそんな二人の姿を見ながら、自分が撃たねばならない命の重さに潰されそうになっていた。
唇が冷たくなる。俺は撃てるのか、風間さんを。かつてラミアス艦長がバジルール艦長を撃ったように──馬鹿な、出来るわけがない!
そんなサイの髪を撫でながら、風間は呟く。「亡くなった後輩がサイ君、貴方にそっくりでね。貴方、何だか他人のような気がしなかった。
ちゃんと撃つのよ、私のこと」
これが「ちゃんと護ってよ、私のこと」だったらどんなに楽だろう。こんなにも簡単に、他者に命を投げ出されるとは──
だがそこへ、アムルの声が割り込む。「風間曹長、申し訳ありません。確かに現状の回避には、その作戦をおいて他にはないと思いますが……」
申し訳ないと一応前置きをしてはいるが、その場の空気をまるで突き放すようなアムルの声。しかし今の状況下では、アムルのような冷たさが必要なのかも知れないとサイは思った。そしてアムルが告げたのは、さらに過酷な現実だった。
「作戦が成功したとしても、ハーフムーンの壊滅は回避できません。
最小限に地殻変動を抑えこんだとしても、地盤の脆弱さから考えて、衝突予想地点から半径10キロの範囲の陥没は避けられません。
そうでなくともサイ君──ローエングリンの影響で、10年は人が住めなくなるわ」


ティーダコクピット内で、ナオトはサイの映るモニターを割れよとばかりに殴りつけた。「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ、ハーフムーンがなくなるなんて、そんなの、嘘だっ!」
<現実だ、ナオト>ひどく冷たく聞こえるサイの声。モニターごしにナオトはサイを睨みつける。その視線を真正面から受け止めながらも、サイはあくまで淡々と告げた。
<俺を恨むなら、やることやってからにしろ。お前の役目は村人たちを必ず全員、アマミキョに避難させることだ。一人たりとも死なせるな。
大地がなくなっても、人が残ればハーフムーンは生きのびる! それが、風間曹長の願いでもある>
「そんな奇麗事!」
だが、なおも反抗しようとするナオトを止めたのはマユだった。「ナオト、行こう。今はメルーたちを助けなきゃ」
ナオトは後ろから自分の肩を捕まえるマユの顔を間近に見ながら、歯噛みを抑えられなかった。
やっと見つけたのに。僕が胸を張って生きられる場所を、僕がマユと一緒に生きられる場所を、やっと見つけたと思ったのに!
「畜生、畜生、畜生、畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生!!!」ナオトの怨嗟がコクピットに響く。モニター内のサイはナオトとの会話を中断し、マユに話しかけていた。
<ティーダが撃墜されれば、その時点で作戦は全て失敗だ。風間曹長の作戦がティーダの能力を要する以上、君たちには前線で動いてもらわざるを得ないが、出来るだけ交戦は避けろ。村人の救助が最優先だ。
君たちは生きのびるんだ、ハーフムーンと共に>
「了解」マユが、今回ばかりは笑わずに答えた。ナオトは激昂のあまり、サイへの返答すら出来なかったが。


カタパルト内にサイの声が続いて響く。<ニュートロンジャマー集合体甲・乙の合流まで、残り1時間22分。風間機の掘削速度から計算すると、アンノウンへの到達予想時刻は最速でも1時間15分後。ティーダの黙示録で到達及び接触を確認後、ローエングリンを発射。アンノウンを殲滅後直ちに、アマミキョは発進する。
風間機の到達から離陸までの猶予は最長で7分しかない、敏速な行動を!>
整備士たちにもこの艦内放送は届いていた。次々に出動していくMアストレイに、走り回る整備士たち。そんな中でハマーは、じっと手のひらの中の小瓶を見つめていた。
小瓶の中身はいつもの酒ではなく、ヒマワリの種。それは、ハマーの娘の形見でもあった。「やっと見つけたと思ったんだがな。すまねぇ、ここも違ったらしい……ロゼ」
その小瓶を無造作に胸ポケットに押し込むと、ハマーはすぐに振り返り部下を怒鳴りつける。「おいそこのスカイグラスパー、右翼が歪んでるぞ! せっかく虎の子のIWSPつけたってのに、傾いてどうするってんだっ」
そんなハマーの怒号を背に、Mアストレイに続いてティーダも発進していく。ナオトの激昂を乗せたまま。そして──
「風間裕子、ディープフォビドゥン、出ます」いつもと変わらぬ風間の声も響く。青い甲羅にも似た双翼の装甲アレイの先端に、不恰好なドリルを装着した風間機。小さな巨人という印象の水中用機体は、ずりずりと這うように動き出してカタパルトを出ると、颯爽と雪景色の中を滑り始める。氷の溶け出した河に向かって。
「時澤爽太、ウィンダム、出ます!」風間を上空から援護すべく飛び立つウィンダム。その空はどんよりと曇り、太陽の気配はない。見守る整備士たちが、山神隊の飛び立った後にそっと敬礼を行なった──誰に命じられたわけでもない、自然な敬礼だった。


その直後、ブリッジにアムルの悲鳴が響いた。「サイ君! ザフトが動いたわ。西側から、ディンの部隊が向かってきます。総数15機!」
やはり空から──サイはすぐに切り返した。「陽動だ、焦らないで。住民の避難は?」
「それが、まだ6割も……」「特に南の診療所が遅れてる」呟くヒスイに、後ろからおずおずと答えるカズイ。そんな彼らを、サイは睨みつける。鬼の形相になったと自覚しながらも、彼らに責任はないと分かっていながらも、サイはカズイたちを睨まずにはいられなかった──案の定、あまりのサイの気迫にカズイもヒスイも震え上がる。
陽動と分かっているのに、少ない戦力を割かねばならないとは。サイはたまらずユウナを振り返る。「オーブ軍は何をしてるんです! ムラサメは?」
「それが」サイの怒声に、ユウナは子供のように首を縮ませた。「パイロット不足らしい。やっとかき集めたのが、何とか飛ばせそうな者が2名だけで……」
もういい、あんたには頼らない。怒鳴る気にもなれず、サイはユウナから視線をふりほどく。本来ならオーブ軍に戻るべきユウナがここにいるのは、山神隊やサイに対して相応の責任を感じたからなのだろう──そこまではサイも理解していたが、正直今のユウナは足手まといにしかならない。
そんなサイの手元で、今度は医療ブロックからの緊急通信が鳴った。スズミ女医からだ。<サイ君! ネネとスティング君がまだ戻らないの。南の診療所からの患者の移送が遅れて……>
まさか、ネネたちが危ない? すかさずサイは通信を繋ぐ。「アストレイ隊、ティーダ、状況は!?」
アストレイ隊はどうやら避難活動の真っ最中で、頼みのティーダから応答はない。サイは歯噛みするしかなかった。


村の外れでは、既にディンによる空爆が開始されていた。紫の蝙蝠の如く悠然と舞うディンが、雪の村に向かって光弾を降らせる。飛び散る雪、炎に巻かれる家。泣き叫ぶ子供を抱えながら、大人たちは必死でアマミキョへと走る。
アマミキョから飛び出した紅のMアストレイが村中を走り回り、人々を手のひら一杯に抱えて空爆を避けて逃げていく。その上空で、カラミティのシュラークの閃光が炸裂した。その光とディンがまともにぶつかりあい、盛大な炎の華が散る。民家の上に。
アマミキョの甲板から、高エネルギー長射程ビーム砲シュラークを次々と発射していくカラミティ。乗っているカイキ・マナベもまた、不機嫌っぷりを増大させていた。サイの通信がコクピットに響く。<村には被害を出すな、カイキ! ディンの翼一枚落ちるだけで、家が壊れるんだぞ>
カイキはあからさまな舌打ちと共にそれに答えた。「無茶なお願いもいい加減にしろ、補欠様よぉ!」村の空全体にカラミティの光の華が咲いている状態であったが、これでも出来る限り出力は絞っているカイキだった。
その光条をぬって、ラスティの乗ったIWSP搭載のスカイグラスパーが舞い上がる。それを追うようにして、オーブ軍の部隊からムラサメが2機、戦闘機形態で飛び出した。雪景色にまばゆく映える紅白のカラーリングの機体は、すぐに上空でディンと交戦状態に陥る──
だが、素人目から見てもムラサメ部隊の劣勢は明らかだった。何せ変形機構もろくに使いこなせておらず、戦闘機のままただディンの周りをトンボのように回るだけだ。先行するラスティのIWSPつきスカイグラスパーが、レールガンの華を咲かせてムラサメと地上を守る。それに比べ、オーブの誇る新型ムラサメはひどく惨めで、ディンの火力に翻弄され逃げ回るのが精一杯だった。


スラスターで雪を吹飛ばしながら、ティーダは村長宅のすぐ前に降下する。そこには村長と老人たちがまだ避難出来ず、荷物を運び出していた。
「何をしてるんですっ、早くアマミキョへ!」ナオトはのろのろ動く彼らに苛立ちを隠せず、怒鳴る。
「皆、動くのだ。ナオト君もああ言っておる!」村長は必死で老人たちを説得していた。だが──
「わしは……いい。村長だけは生きのびて下され」
「ここはようやく見つけた安住の場。私らは皆、ここの雪が、芽吹く木々が、大好きじゃった」
そんな老人たちに、村長は声を荒げる。「駄目だ皆、何故死に急ぐ。生きなければ誰が、子供たちを守る!?」
「村長。私らはもう、疲れた」足下の僅かな荷物を取ろうとしないまま、老女が呟いた。「どれほど森が焼かれても山が砕かれても、私の足は動かん。動けん。動こうと思ってももう、ここから離れられん」
「ここの神はわしらの命──子供らと若い者だけが生き残れば、わしらはそれでいい」
「私らはここで、この地と共に果てよう」
爆音が聞こえる。アラームがコクピット内に響く。ナオトは動けない老人たちに向かって、ティーダの左マニピュレーターを伸ばした。「動けないなら力づくでも、乗せていきますよ! その為に僕たちがいるんだっ」
そのティーダの掌におずおずとながら乗り行く者、そしてその手を拒絶する者。とろとろ手に乗ってくる老人たちを待ちながら、幼いナオトはその心境がさっぱり分からず苛立ちを抑え切れなかった。砲撃音はどんどん近づいてくる──時間がない!
その時マユが叫んだ。「ナオト! メルーたちがいない。あの子たちはどこにいるの?」
「何だって?」ナオトは反射的に全てのモニターのチェックにかかった。ぐるりとカメラアイを回し、老人たちを乗せて立ち上がるティーダ。
だがその目線の先に、猛然とディンが2機突っ込んできた。どうしてこうもうまくいかないんだ──ナオトの胸で、積み重なった苛立ちが恐ろしい勢いで憎悪に変化する。「こんっっ畜生オオオオオオオオッ!!!!!」
建造物そばにも関わらず、ティーダのスラスターが火を噴く。空に飛び上がったティーダは、右掌の攻盾システム・トリケロスを振りかざす。左手に乗せられたまま、老人たちが互いにしっかりと抱きしめ合う。彼らは今、振り落とされるかティーダに握りつぶされるか撃墜されるか、その恐怖と必死で戦っていた。そんな老人たちにも構わず、ナオトはディンに吼えていた。
よくも、僕たちの希望を。僕たちの場所を。僕たちの居場所を!!
「殺す、殺す、ぶっ殺してやる、この野郎!」
「駄目っ」猛獣と化しかけたナオトを止めたのは、後席のマユだった。「サイが言ったでしょ、ティーダは村の人を助けなきゃ」
「でも!」
ナオトの反論を聞かず、マユは操縦桿を強引に自分の方へ寄せる。「戦闘は私に任せて。ナオトはメルーたちを探して!」
ナオトはディンを前にして、半ばヤケを起こして叫ぶ。「分かったよ!」ここはマユに任せる方が得策だった。
マユが巧みにコンソールをいじると、ティーダの右腕のランサーダートが矢のように撃ち放たれた。それは今までのような鉄塊ではなく、青い電撃を放ちながらディンへとすっ飛んでいく。ダートの本体が到達する前にその電撃にうたれるディン。浮遊力を失ったディンは、直後に頭部にまともにダートを喰らい、哀れにも雪の山肌に叩きつけられていく。
「これ、ミゲルが強化してくれたんだよねぇ!」こんな状況でありながら、マユはやはり楽しそうだった。


ブリッジの緊張はさらに高まっていた。通信状況を見守っていたアムルが叫ぶ。「交戦中のせい? サイ君、ティーダのレーダーの効果範囲が狭まってる!」
アムルの横顔を見ながら、カズイも呟いた。「ジャマーが強まってるせいかも知れない。それともやっぱり、アンノウンの影響か」
サイは視線だけで画面を壊しそうな勢いでモニターを睨みつけた。しかしその眼力などものともせず、ティーダの通信可能領域を示す楕円は小さくなっていく。その楕円は最初はハーフムーン全域を軽く覆いつくしていたはずなのに、今やその半分ほどまで急激に萎んでいた。その円から、南の診療所のあるあたりが外れようとしていた。握り締められるサイの拳。その手元で、無情にも診療所の位置は安全地帯を示す緑ではなく、通信不能の灰色のヴェールで覆われようとしていた。
あそこにはまだ、ネネとスティングがいるはずだ。サイはカタパルトのハマーへ繋ぐ。「南に回せるアストレイは!?」
<無理だ、こっちはカラッポ!>意外にも素早くハマーの怒声が返ってきたが、その内容は非情だった。<グフでいいなら準備するが、ナチュラル用OSはとても間に合わんぞ。それとも、こいつで行ってまた土下座するかい、副隊長補佐どの?>
皆まで聞かずにサイは無言で通信をぶった切る。その脳裏に、ネネの暖かな手の感触とスティングの悪戯っぽい笑みが蘇る。
副隊長補佐失格と言われようとも、サイはあの二人と診療所の子供らを絶対に見捨てるわけにはいかなかった。サイは、先ほど渡されたばかりの自分用のハンドガンを取りながら、医療ブロックに通信を繋ぐ──「スズミ先生、右舷B進入口にジープを回して下さい。俺が行きます」
ユウナとカズイが「えぇ!?」と同時に声を上げてサイを振り返る。ブリッジ全員の目が一気にサイに注がれるが、彼は気にもせず銃の安全装置を確認した。銃の重みがサイの手にのしかかる──重みに反して、今の状況下では心もとない存在であることはサイも分かっている。
だが、フレイのいない今、俺は少しでも守る力を持たねば。
「まだ猶予はある、慌てなくていい」弾倉を装填しながら、サイは全員に指令を下す。「左舷進入口を全て閉鎖して、浮上シークエンスの開始に備えてくれ。ローエングリンのタイミングは揃えてある、風間曹長とナオトから合図が出たら3秒で撃てる」
それだけ言うとサイは席を離れ、背後のユウナを押しのけるようにして出口へ向かった。当然、ブリッジは騒ぎ出す──「ま、待ちたまえ君!」ユウナが慌ててサイの肩を強引に掴んで振り向かせた。
「持ち場を離れて何処へいく! 君は自分の立場を……」
「診療所を見てきます」サイは即答した。「移送が遅れている患者がいます。通信が繋がらない以上、彼らを助けるのは俺の役目です」
サイはユウナの手を身体から引き剥がしながら畳みかける。「診療所には医療ブロックの貴重な戦力もいます。10分で必ず戻ります」
それだけ言うと、サイは全員の視線を振りほどいて一気に駆け出し、ブリッジを飛び出した。
「馬鹿を言いたまえ、君は曲がりなりにもサブリーダーとして……オイッ!」ユウナの声がしつこく追いかけてきたが、最早気にするサイではなかった。


ティーダは老人たちをアマミキョへ運び終えた後、すぐに村の学校へと向かった。木造の小さな建物のそばにはちょっとした林があり、その下にはまだ逃げ遅れていた子供たちが寄り添っていた。
おさげ髪のエイミーが上空のティーダを見つけ、嬉しそうに両手をかざす。「ナオトだ! みんな、ティーダだ、ティーダだよ、すっごーい!」
それを合図に、子供たちは恐怖を忘れて一斉にはしゃぎだした。降下してきたティーダに恐れもせず近寄り、その掌に遠慮なく触れる。特に男の子たちは憧れで目を輝かせている。「うわーホントだ、ホントにフリーダムと同じ顔だ!」「まっしろのモビルスーツだ!」
さっきの老人たちとは真逆に、子供たちは喜び勇んでティーダの差し出した左手に乗りこんでいく。上空に砲火が飛び交っているにも関わらず、子供たちは元気だった。
人を一人でも多く助けられるよう、少し大きめに改造されたティーダの掌。そこに着膨れした子供らを10数人ほどみっちり詰め込みながら、ナオトはほっと息をついた。
これで少なくとも、子供たちは助かる──「しっかりつかまってて!」ナオトが言うと、子供たちはきゃあきゃあと子犬のようにはしゃいだ。立ち上がるティーダ。
だがその時、ナオトはある異変に気づいた。「待って……おい! メルーは?」
ナオトの心の衝撃はそのまま震動となって子供らに伝わる。思わぬ揺れに、必死でティーダにしがみつく子供たち。エイミーが答える。「それが……メルー、来ないの」
「何で!?」ナオトの一瞬の心の安寧は、吹き飛ぶのも一瞬だった。「一緒に学校へ避難してきたんじゃなかったのか?」
ナオトに台形の公式を教えた太めの子が、泣きそうにおずおずと言う。「ごめんね、ナオト。一緒に行こうとしたんだけど、おばあちゃんが心配だって、畑の方へ……」
「嘘だろ!」子供らの存在を忘れ、慌てて機体を方向転換させようとするナオト。それをまたしてもマユが抑えた。「ナオト、みんなをアマミキョに逃がす方が先。サイが言ってたでしょ」
全てがうまくいかない悔しさと、守ろうとしたマユにたしなめられている不甲斐なさと、見つからないメルー、運命の決まってしまった村。二重三重のストレスに、ナオトは爆発寸前だった。「ザフトの野郎……!」
みんなザフトが悪い。僕たちが襲われるのも、フーアさんやアイムさんが殺されたのも、父さんが狂ったのも、母さんが離れてしまったのも、ハーフムーンが失われてしまうのも、みんなみんなザフトが悪いんだ。
そんなナオトの目から、かつての純朴な輝きはすっかり失われていた。あるのはただ、紅蓮に燃える怨讐の光だけ。


サイがジープで診療所に到着した時にはもう、その直上にまでディンが飛来してきていた。空中でムラサメが応戦しているが、診療所の中庭の林が既に爆撃を受けたらしく、激しく炎上していた。
まだ辛うじて診療所の建物は残っているが、ムラサメが頼りにならない以上、いつやられてもおかしくはない。
ジープが止まるや否や、サイとスズミは飛び降りて駆け出した。寒風と爆音の中、ストレッチャーで建物から患者を運び出してくるネネとスティング。
「サイさん、スズミ先生! 来てくれたんですか」ネネは泣きそうな顔だが、それでもサイの姿を見た途端嬉しそうに叫んだ。サイとスズミは急いで駆け寄り、ネネたちに手を貸してストレッチャーの運搬を手伝い始めた。
「早く君たちも戻れ! 作戦は始まってる」サイの怒声にも、ネネはその心情を汲み取ったようで素直にうなずく。サイがここまで危険を冒して来てくれた──それだけで、彼女の胸は感激でいっぱいだったのだ。そんな彼女を見て、ぶすっと膨れるスティング。「とにかく逃げるに限るぜ、こんなトコからはよ!」
近づいてくる砲撃音と地鳴り。凍てつく大気の中、サイの脇の下がじっとりと冷や汗で濡れる。長袖とはいえ、ブリッジの制服のままだ。ジャケットを持ってくるべきだった。
止めてあったトラックの荷台に、サイたちは四人がかりでストレッチャーから慎重に負傷者を運び込む。中は患者で溢れていた──何とか立てる者は満員電車のごとくに詰め込まれ立たされ、その足元に重傷患者が寝かされている。子供が大人たちの間で泣き叫ぶ。トイレがどんな状況か、ウィルスがどれだけはびこっているのか、サイは想像したくもなかった。
案の定、運転手が叫ぶ。「これ以上は無理だ、先に行きますぜ」
「そんな、まだ中に子供が!」ネネが懇願したが、運転手は無情にもトラックを出発させた。「このまま待ってたら、みんな死んじまう。俺だってお客さんらを死なせたくないんでね!」
捨て台詞を残して一気に遠ざかるトラック。幸いにも、ディンは爆走していくトラックには気づかなかった──スズミがネネの肩を軽く叩く。「ジープに乗せましょう。スティング君、後席空けるの手伝っ……」
その瞬間だった。突然向きを変えて戻ってきたディンが、いきなり診療所へ向けて──正確には、結構低空を飛行していたムラサメに向けて──発砲してきたのは。
ディンの紅の一つ目がギロリと診療所を睨み、重突撃銃が光を放つ。着弾。地鳴り。稲妻が至近距離で炸裂した時のように、光と音がほぼ同時にサイを、ネネたちを打った。
「伏せろっ!」「いやぁあ!」サイの怒号とネネの悲鳴が交錯する。ディンの空襲が、地上を直撃した瞬間だった。こんな無力な場所によくも!
サイは怒りと共に、雪まじりの土を噛みながらゆっくり頭を上げる。ディンとムラサメは未だ、サイたちの真上で交戦していた。戦いの火の粉がバラバラと雪のように降ってくる。そして──
診療所の裏手から、激しい火の手が上がっていた。サイの眼鏡ごしの視力でも、診療所の窓の向こうで燃えさかる炎がはっきり見える。アマミキョの皆が子供たちにと贈った千羽鶴が、燃えていた。
「ティア! ニッキー!!」引き裂くような絶叫と共に、サイより早く駆け出したのはネネだった。 子供たちの名を叫びながら、ネネは狂ったように真っ直ぐ走っていく。燃える診療所へ。
「馬鹿野郎! 無理だっ」「戻りなさい、ネネ!」スティングとスズミも叫ぶ。サイはネネを追って走り出す。診療所の炎は早くも、その内部を破壊しつつあった。入り口から子供が飛び出してくれるようサイは祈ったが、誰の姿も見えない。泣き声が中からかすかに聞こえているが、それだけだ。
その上空では、ムラサメがようやくディンに一矢報いていた。舞い上がったディン、空に拡がる6枚の漆黒の翼。そのうちの一枚の付け根を、ムラサメの垂直尾翼内に隠されていたビーム砲が貫いたのだ。本体から引きちぎられた翼は、破損箇所から電光と炎を噴き上げて地表へと落下していく。
──診療所の、真上に。
耳が潰れるかの如き爆音と共に、ネネを追っていたサイの身体は吹き飛ばされた。


同時にティーダコクピットでは、ナオトが自らの身体の異変を感じ取った。
嫌なことは積みに積み重なっていたが、それを超える不快な痛みがナオトを襲っていた。「なっ? 何だ、この感じ?」
心臓かと思ったが、どうも違う。もっと下の、胃のあたりだ。勿論食あたりなどではない。胃の下あたりに、何か酷く重い鉄塊が食い込んだ感触。
後席のマユも同じ痛みを感じたらしく、軽く呻いている。ティーダは目の前のアマミキョに、子供たちを移動させるところだったが──その子供たちも何かを感じたようで、不安げに掌からティーダを見上げていた。


気を失っていたのは幸いにも、ほんの一瞬だったらしい。サイは背中の痛みに耐えつつ頭を起こす。
既に真っ赤な業火に包まれた、小さな木造の診療所。崩れ行くその屋根にはディンの翼が、炎を撒き散らしながら傲然と突き刺さっている。門のあたりには、何故かニンジンが転がっていた。
サイは気づく──あれは、雪だるまだ。サイとネネとスティングが、子供たちと一緒に作った雪だるま、その残骸だ。
診療所の中で動けなかった子供たちの命は、既に絶望的だった。炎の中で無惨に溶け崩れた雪だるまはその象徴だ。サイは愕然と膝をつきかける。
助けられなかった。俺は、子供たちを救えなかった──
そのやや前方に、サイはネネを見つけた。うつぶせに倒れたまま、動かないナース服が見える。どうやら土砂と雪の下に埋もれたらしい。
「ネネ!」瞬間、サイは腰の痛みも忘れて転がるように駆け出した。耳は一時的に聴覚を失い、激しい耳鳴りだけが脳を叩く。地上のはずなのに、炎に巻かれているはずなのに、水の中にいるような感覚。むせかえるような、焼ける木々と土の匂い。サイはその中を、ひたすらネネに向かって走る。
うつぶせになっている彼女の身体は、腰から下が大量の雪と砂に埋もれていた。サイはネネのもとにたどりつくと、急いで彼女を土砂から引っ張り上げようとする。
良かった、両腕も肩も、何処も怪我はしていない。顔は雪のように白くなっているが──サイは心の底からほっとして、ネネの白衣を力いっぱい抱きしめ、引きずり上げた。
その身体は、サイが想像していたよりも、軽かった。サイが想定していたネネの体重の、ほぼ半分ほどに。
「……えっ?」あまりに軽すぎる。自分でも間抜けだと思った声と共に、サイはネネを抱いたまま後ろにひっくり返ってしまった。おかしい、くだらんオーブ映画ではこんな時は決まって、土砂から身体が抜けずに生き埋めなどという展開なのに。いや、そんな不謹慎なことを考えている場合では──
サイはもう一度ネネを見て、その理由を知った。
彼女の下半身が、臍の下あたりの部分からきれいに消失していたのである。


ネネを助けるべく、サイとほぼ同時に駆け出していたスティング。だが彼はサイより早く、ネネの身に何が起こったかを知っていた。
サイのいる数メートル手前で、スティングは立ち止まっていた。そうせざるを得なかったのだ。
散々馬鹿にしていたネネの、ナース用の白いスパッツ。その──中身の詰まったままの、右脚部を見つけて。
スパッツの太ももに当たる部分は黒く焼け焦げ、ちぎられた太ももの断面が露出している。右の腰の一部までが「こちら」に吹き飛ばされており、ネネの腰を包んでいたであろう下着の切れ端までがスティングには見えた。
「あんた……こんな風に見せてくれなんて、言った覚えはねぇぞ」
スティングの両膝が落ち、その手がそっとネネの太もも──ちぎられた肉塊に触れる。背後で、スズミ女医の呻きが聞こえる。それはやがて叫びに変わる。
ジープの上から全てを目撃し、あの冷静なスズミまでが絶叫していた。大人が、壊れかかっていた。
そうだ、サイは──スティングは前方を見据える。もし、あいつが壊れたら。
サイとスティングの方向へ、見事に切り飛ばされたネネの身体。その上半身を抱いたまま、サイは動いていなかった。ただひたすらに、その身体を抱きしめていた。
泣かず、叫びもせず、暴れもせず、ただサイはネネを抱きしめて、炎に巻かれる寒空を眺めていた。
その制服が、ネネの身から流れる血と体液で、真っ赤に染まっていく。あまりに強く抱きしめている為か、ネネの身体からは血のみならず、砕けた肋骨や内臓の破片までがこぼれだしてサイの両腕にのしかかっていた。

 

 

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