地表であるにも関わらず、70J式改ビームサーベルを抜き放つムラサメ。甲板の上、サイたちの眼前でアマミキョを守るべく、スティングは敢然と敵に立ち向かう。「スティング、地上でビームは!」
そんなサイの懸念を切り落とすように、スティングは威勢良く答えた。<心配ねぇよ、最小出力だ!> 空中から喰らいついてきたディンめがけて飛び上がるムラサメ。<死に体野郎ォ!>
叫びと共に、ディンが一刀両断される。血飛沫のように電光を放ちながら、爆砕されるディン──宙でくるくる回りながらアマミキョに激突しようとする残骸を、カラミティの光が粉々に弾き飛ばした。
ムラサメが強引に着艦する。背中合わせに並びたつ、カラミティとムラサメ。互いの通信がブリッジにも響いた。
<手負い野郎の援護など!><んな満身創痍で、減らず口叩いてんじゃねぇよ> 
スティングを拒否するカイキに、相手を気遣う余裕まで見せるスティング。一度は殺しあったエクステンデッドの子供らが、一瞬ではあるが共闘している──
だがその2機めがけて、次々とディンは火の玉となって押し寄せてくる。パイロットの命ごと投げ捨てて。
<物量作戦は、連合の十八番だってのによぉ!> スティングは嘲笑すら浮かべながらサーベルを振り回す。カラミティはそんなムラサメの前に強引に出、突進してくる飛蝗の如きディンどもにバズーカを撃ち続ける。
だが既に活動限界いっぱいまで来ていたカラミティにザフトの総攻撃を防ぎきることは、到底不可能だった。カラミティだけでも仕留めようというのか、ここぞとばかりに集中砲火を浴びせるディン。
「カイキ、戻れ! もうエネルギーがもたないっ」声を限りに叫ぶサイ。だがカイキの返答が来る前に、カラミティを劫火が襲う。切断される回線。
粉砕しきれなかったディンの上半身が、カラミティの頭部にまともに激突したのだ。叫びすら発せず、炎を噴いて真っ二つに折られるシュラーク。<言わんこっちゃねぇ!>カイキの声の代わりに、スティングの舌打ちが飛び込んできた。
背中から盛大に倒されるカラミティの巨体。その衝撃はアマミキョ全体にも及ぶ──激しい震動と恐怖に耐えるクルーを見ながら、サイはずっと血塗れの胸を握り続けていた。「第一甲板からカラミティを強制収容! 非常用ルートBを確保、パイロットの救護を最優先にっ」
「敵部隊、6時方向からも来ます! 波状攻撃ですっ」ヒスイの、悲鳴そのもののオペレートがブリッジを引き裂く。ユウナはサイの腰に縋ったまま震え続けるばかり、上半身を真っ黒に焦がしたカラミティは甲板に開いた緊急収容口へ移動していく。カイキの強靭な意志にも関わらず、カラミティはもう動かず、オートで動き出した甲板からカタパルトへ引きずり込まれていく。あと頼りになる者はスティングしかいない──
だがそんなサイたちの目の前で、ムラサメは果敢に空中のディンへ飛びかかっていく。
<そんなに死にたきゃ、一人で勝手に死にやがれ!> 宙でディンの上半身を組み伏せ、そのまま強引に相手機を振り回し、迫ってきたもう1機のディンに激突させる。両機が重なった処を見逃すことなく、ムラサメは一瞬で2機共をビーム刃でみじん切りにしてのける。盛大な爆発がムラサメを中心に巻き起こったが、ブリッジのモニターで見る限りさほど大きな破片は飛んでいない。少なくとも、人を吹飛ばすほどの破片は。
その手際にサイが感心する間もなく、飛来するディンは次々にムラサメの手で見事に細かな粒子となって破砕されていく。それはまるで、黒い雪のように見えた──炎に巻かれ、崩壊する白い村の残骸そのものだった。
炎の中、雄雄しく飛翔するムラサメ。スティングの通信が響く。<サイ、命令をくれ>
アマミキョ内部へ収容されていくカラミティを後ろに、なおも向かってくるディンを前に構えつつ、スティングにはまだ余裕があった。<俺には今指揮系統がない。だが俺は、お前の命令なら何でも聞く。俺はどうすりゃいい?>
既に腹を決めたスティングの声。戦う以外に存在を認められない子供──そして、そんな彼に頼らなければ生きのびられない俺たち。
ネネ、すまない。結局俺は、彼を戦わせてしまう。
「スティング、悪いが頼む」酷い情けなさに苛まれながらも、サイは静かに言い放った。「向かってくる機体は全て破壊だ。破壊して、殲滅して、撃滅して、消滅させるんだ!」
 


PHASE-23  ティーダの手のひらで



映像回線は繋がらずとも、スティングがにやりと血塗れの唇を歪めるのがサイには見えた。<最高だ。その言葉を待ってたぜ!>
戦闘機型に変型するが早いか、一直線に天空のディン部隊へ突っ込んでいくムラサメ。<一度乗ってみたかったんだよなぁ、オーブの機体!> 乾きかけた血を噛み潰し口笛を吹きながら、スティングは戦いを楽しんですらいた。腰部アーマーに装備されていた空対空ミサイル「ハヤテ」を左右1弾ずつ炸裂させ、まだ後方の空で待機していたディンすらも撃ち落す。<命中率も悪くねぇ!>
0.1秒後にはモビルスーツ形態に早変わりし、ビームサーベルとビームライフルを二刀流の如く同時に炸裂させ一息にディン3機を木っ端微塵にしてのける。<おまけに、軽いっ!>
重力に任せて落ちながらも、ムラサメは襲いかかるディンの横腹を削ぎ、首を跳ね飛ばし、胴体を撃ち抜き、腕を斬り飛ばす。そしてその破片までも、地表やアマミキョに落ちる前にビームライフルで粉砕するスティング。
一旦アマミキョに着艦したかと思うと、次の瞬間にはまた跳躍してディンの首根っこを捕まえ、誰もいない雪山へとディンを頭から叩きつける。爆発のように巻き起こる雪と炎の嵐。
血の色に染まった空気の中を、カメラアイを光らせたままのしのしと歩いてくるムラサメ。どれほどのディンが攻撃を加えたところで、もはやこのムラサメを倒すことは不可能とさえ思えた。
「これが、エクステンデッドの力……」サイは呟く。既にムラサメはモビルスーツの定義を超え、飢えて血を求める猛獣と化していた。サイの言葉と、スティングの力で。
だがそれでも、命を惜しまず大地を求めるディン部隊は果敢にアマミキョを狙う。残されたディンたちの単眼が、一斉にブリッジの中央にいるサイを睨みつける。アマミキョが民間船だということは、最早ザフトの人間の脳裏からは消えているようだ。
サイは、自分の後ろで震えることしか出来ないでいるユウナをかばうように立ちはだかる。スティングの戦いを見守る為にも、アマミキョを守り抜く為にも、ネネと子供たちの為にも、自分はここに立っていなければ。サイは紅の単眼を、血染めの顔で睨み返す。こいつが、ネネたちを殺した!!
サイは噴き出す怒りを懸命に抑えながら、ユウナに告げる。「今すぐここから避難して下さい。貴方は、オーブにとって大切な人です」
ユウナは多少決まりが悪そうにサイを見上げた。その顔に、もう傲慢さはない。「わ、悪いけど、もうちょっと居させてもらうよ。僕にだって、責任があるんだ」


前線から離脱を果たしたティーダは、そのレーダーでどうにか地中の風間機を捉えていた。ナオトは「その時」が近いことを実感する。「もうすぐ、接触する……」
風間のディープフォビドゥンはいささかも速度を緩めず、真っ直ぐに敵部隊の塊に突進している。その様子を凝視していたナオトの耳に、マユの声が飛び込んできた。「ナオト! いたよっ」
同時にティーダは、いなくなったメルーを追っていた。ナオトの脳裏に、子犬のように愛らしい栗色のツインテールが踊る。
僕と同じ、ハーフの女の子。全く躊躇せず、自分にぶつかってきてくれた女の子。迷うことなく、自分に好意を示してくれた女の子。「メルー!」
見覚えのある雪の丘に、ぽつんと二つの人影が見えた。一人はかがみこんだ老婆、そしてもう一人は紅のマフラーの少女。間違いない、メルーとその祖母だ。
メルーはこんなところまで、祖母を追いかけてきたのか──ナオトが叫ぶより先に、少女がマフラーを翻して振り向く。「ティーダ! ナオトぉ!」
笑顔で小さな両手を振っているが、涙を必死でこらえているような表情。愛する少女の顔が、コクピットのナオトからもはっきり見えた。
「メルー! 早く乗って」メルーたちのそばにティーダを降ろすが早いか、ナオトはハッチをこじ開けた。「僕たちと一緒に行こう、メルー! 村の人たちもみんなアマミキョに乗ったよ、だから君も……」
だが、ナオトがそう言い放った途端、メルーの笑顔は消失した。「駄目。駄目なの」
ナオトの手から眼を背け、ティーダに触れようともしないまま、メルーは首を振る。「ここには、おばあちゃんと神様がいるから」
何を言っているんだこの娘は。先ほどの老人たちから告げられた拒絶の言葉を、こともあろうにメルーから突きつけられるとは──唖然とするナオトの前で、祖母がメルーを説得にかかる。「すまんの、ナオト君。この娘はきかん坊で……ワシはいい、この娘だけでも助けてやってくれ」
勿論、ナオトは最初からそのつもりでいた。メルーの意志がどうあろうと、メルーをこの村と死なせるわけにはいかない! ティーダのマニピュレーターがメルーたちに伸ばされる。
「駄目だよ!」メルーはぶんぶん首を振り続ける。「私はおばあちゃんと、神様と一緒に生きるの!」「メルー! これ以上ナオト君たちを困らせてはいかん。ワシも後から必ず行くから、わがままを言うでない」
「嘘だっ」それでもメルーは祖母に縋り続ける。大きな眼から迸る涙。「おばあちゃんは、悪い嘘をついてる! ナオトとは違う、悪い嘘!」
「えっ?」ナオトは一瞬、状況を忘れてメルーを凝視してしまった。
僕が嘘をつきながら生きていることが、いつこの娘にバレたのだろう? いつかフレイに弄られた痛みが、僅かにぶり返す──だが、それも一瞬のことだった。
メルーは可愛らしい頬を涙で汚しながらも、ナオトを見つめる。その視線に、ナオトが恐れていた軽蔑の色はない。「ナオト、私分かってた。ナオトは多分、わざとドジやってるって、多分わざと嘘ついてバカやってるって、何となく分かってた。
ホントのドジだったら、ティーダに乗れるわけないもの」
「メルー、君は……」ナオトは言葉をつげない。初めて自分と分かり合えるかもしれない存在に出会えた──それだけでもナオトは嬉しかったのに、この娘は本当に自分を、自分という存在を、生き方を理解して、肯定してくれた!
「でも、ナオトが嘘ついた気持ち、分かったんだ。私にも、みんなにも分かったの。そうしないと、私たちも生きていけない時があったから。
だから、一生懸命嘘をついて、私たちを励まして、笑わせてくれるナオトが、みんな大好きなんだよ。
ナオトのは、生きる為の嘘だから」
この村に来て、メルーに出会えて、本当に良かった。ハッチに手をかけて立ち尽くしたまま、ナオトの目から自然に涙が流れ出す。
メルーの声はさらに続いた。「だけど、おばあちゃんの嘘は違う! 死ぬ為に嘘ついてるっ」
「メルー!」祖母とナオトの声が同時に雪原にこだまする。祖母のコートにしがみついたまま、メルーはナオトにも負けない大声で叫んだ。「私は祈るよ! アークエンジェルが来てくれるまで祈るんだ、アマミキョとアークエンジェルなら、きっと神様だっておばあちゃんだって助けられるよ!」
が、その願いを冷たく打ち砕く言葉が突然響いた。「メルー、アークエンジェルは来ないよ。来られないの」
コクピット後席に座ったままだったマユが、舌足らずながらも冷静に現実を告げたのだ。
「マユ……どうして君が、それを?」僕だって、ホントはアークエンジェルに助けてほしい。キラさんだったら、アスハ代表なら、こんな腐った状況も一瞬で何とかしてくれるはずなのに──ナオトの当然の疑問も無視し、マユはメルーを諭す。「だからお願い、乗って。
それがナオトの願いだから」
メルーにはっきりと嫉妬の感情を示し、メルーを拒絶していたはずのマユが今、何故かメルーを助けようとしている。その姿を不思議に思いながらも、これもマユの成長の証なのだろうかとナオトは感じた。その行動が、ただナオトの願いを叶えたいという純粋な想いから来るものだということまでは、ナオトも思い至らなかったが。
ティーダの左手が、メルーと祖母を包み込むように動く。マユの言葉の意味をどこまで理解したのか分からないが、メルーはようやくティーダの左手に触れようとした──その瞬間。
突如、赤ん坊の悲鳴のような警報が鳴り響いた。「しまった!」マユが急いで操縦桿を引き絞る。
ディンが3機と、ヨダカ・ヤナセの乗るハイマニューバ2型が、遂にティーダに追いついてしまったのだ。「畜生、こんな時に!」白い空を怨恨たっぷりに睨みつけるナオト。だがその空から飛来した巨大蝙蝠──ディンは、容赦なく銃撃を浴びせてくる。
鈍重なヨダカ機からは執拗に声が響く。<白きブリッツ! いかにしても分かり合えぬというなら、力づくで奪うまでよっ>
「メルー、早く!」彼女たちの意志も無視して、ナオトはティーダを強引に動かし、マニピュレーターでメルーと祖母を奪い取った。ちょうどティーダの左手に掴まれる形になった老婆と少女は、振り落とされまいと必死にティーダにしがみつくのが精一杯だ。ナオトの視界の隅で、紅のマフラーが力なくはためく。メルーの意志を示すように。
その時、ナオトの脳裏に何かが走った。人の魂の声──「風間さん?」


「接触したか……風間曹長!」同じ感覚を、ウィンダムで戦い続ける時澤軍曹も味わっていた。既にエネルギーが尽きかけていた処を、同じく翼を失い力尽きようとしていたディンに襲われた時澤機だったが、風間の声を聞いた瞬間に時澤の身体に力がみなぎった。
風間の最期を隊に報告する為にも、時澤は決してここで果てるわけにはいかなかった。ウィンダムの素早さと相手の図体の大きさを利用してディンの懐へ飛び込むと、投げ技の要領でディンの胸倉を強引に掴み、地表へ叩き伏せる。戦いながら時澤は、ザフトの弱体化を肌で感じ取っていた。
「特攻まで使うとは、よほどザフトも追いつめられたと見える!」プラントからの支援を失いながらも、懸命に地上を取り戻そうと戦い続けるザフトの兵士たち。だが、この極寒の地での生活は想像以上に険しく、体力はもとより思考すらも奪っていったのか。こうもやすやすと、ナチュラルである自分に敗北していくとは──
だが、そんなザフト兵に情けをかけるほどの余裕も時澤にはなかった。既にディンは無力化されていたが、ウィンダムは容赦なくコクピット付近に銃撃を叩き込んでいった。


アマミキョにも、風間の接触は伝えられていた。アムルの、比較的冷静な声が響く。「ディープフォビドゥン、アンノウンと接触! 交戦状態に入っています」
遂にその時が来た──覚悟を決めるサイ。眼を閉じて精神を落ち着けようとしても、風間機の状況が、何故かサイの脳裏に入り込んでくる。陽の光の射すことのない地中を驀進しながら、同じく命を散らそうとしている相手と対峙しようとしているディープフォビドゥン。サイは心中で風間に謝り続ける──アンノウンが無人兵器かも知れないという心配は無用だった、風間曹長。レーダーではまだ正確な奴らの位置は分からないが、貴方が死ななければならない理由の一つはなくなったんだ。
にも関わらず、風間の冷静な呟きが、ガラスを引き裂くようなノイズの向こうに僅かに聞き取れた。<あいつらも、私と同じね>
「な、何が起きているんだ?」ブリッジの中でただひとり風間を感じられず、殆ど蚊帳の外にいるも同然なユウナは、サイに縋りながら怯えている。
「ここにいるつもりでしたら、俺につかまっていて下さい」サイは目の前で未だに繰り広げられるムラサメとディンの攻防を見据えたまま、ユウナに言い放った。「そうすれば、貴方にも見えるはずです。彼女の戦いが」
サイたちの目の前で、ディンの腹に強引にパンチを叩き込むムラサメ。鮮血の如き火花が、互いの機体から噴出する。スティングは今や、完全なる戦士へと変貌してしまっていた。


風間の戦いを感じながらも、ディンの追撃をかわして飛翔するティーダ。メルーと老婆を手にしながら、ナオトとマユは決死の黙示録起動にかかる。
「メルーを早くコクピットへ!」縦横無尽に飛んでくる光弾の中、ひらひら揺れるマフラーを見ながらナオトが怒鳴る。だが、マユは首を振るばかりだ。「駄目、余裕ない」
サイの狂気じみた声がまた轟く。<ナオト、早く黙示録を! やはり今のままじゃ風間曹長の位置が確定しないっ>
「分かってます、そんなこと! だけどメルーがっ」
風間がその命を散らせる前に黙示録を起動出来ねば、この作戦は無意味なのだ。マユが先に入力を終えた直後、ナオトも奇跡的に一度も失敗せずに入力を完了させる──ナオトとマユの間で、黒ハロが叫んだ。「システム、ブックオブレヴェレイション、オンライン!」
ハロの目の点滅と共に、ティーダがその装甲を輝かせ始める。
<止まらんか、その光を振りかざし続ければ、君たちはいずれ命を!>
ハイマニューバ2型から、ヨダカ・ヤナセの声ががなりたててくる。彼が恐れてやまない、その場に存在する機体全てを無力化させる「黙示録」の光──だがその時、ナオトは動いた。
あの光を、メルーたちに浴びせるわけにはいかない。
「やっぱり駄目だ、発動前にメルーたちを!」
ナオトは急いでハッチをこじ開けながら、メルーたちを乗せたティーダの掌をコクピットへ引き寄せようとする。危険も顧みず、ナオトは力なく揺れる紅のマフラーと栗色のツインテールに手を伸ばした。「早く来い、メルー!」
あの子は自分を理解してくれた。父さんも母さんもサイさんもフレイさんも誰も分かってくれなかった僕を、あの子は分かってくれたんだ。僕に平穏をくれた、僕を受け入れてくれた。メルーは、メルーだけは、絶対に失うわけにはいかないんだ!
だがその刹那、マユの悲鳴が空を裂く。「ナオト危ない、戻って!」
同時にナオトの身体が後ろからマユに抱きつかれ、無理矢理コクピットに引き戻された──そしてナオトは目撃した。
ハイマニューバ2型のビームカービンが火を噴き、ティーダの左手を撃ち抜く瞬間を。
「……え?」光の奔流を目の前にしながら、ナオトはそんな間抜けな声しか出ない。コクピットまで白い炎が到達する寸前に、ハッチはマユの操作で閉じられた。あと少しでナオトの首が寸断されたかもというほどに素早すぎる操作で。
何が起こったのか。すぐには理解できず、また理解することを恐れ、撃たれたままの左腕をモニターで眺めることしか出来ないナオト。メルーの姿はそこにはもう見えず、ティーダの手のひらでは光が大輪の菊のように咲き誇っているばかりだった。


ヨダカ・ヤナセは、ティーダの左手に装備された巨大爪をもぎ取ろうとしたにすぎなかった。ヨダカの位置からはティーダの左手の中にあるものまでは見えず、今のティーダの挙動は巨大爪・ピアサーロックで攻撃をかける動作にも見えた──だが。
「今俺は、何を撃った?」ヨダカの胸に拡大していく、吐き気にも似た感触。目の前で溢れ出す黙示録の光と共に、その悪寒はヨダカの全身を貫く。畜生、大の軍人が光程度でこれほどまでに怯えを感じるとは!
<隊長、光が、光がぁあっ!><腕が動かない!><鐘の音が、頭に響いてっ……助けて、助けてくれぇ!>部下の悲痛な叫びがコクピットを揺るがす。噴出する光と共に、ザフト軍は電池の切れたおもちゃの兵隊のように力を失っていった。


その同時刻、風間曹長は崩壊寸前のディープフォビドゥンの中で、冷静に残りのアンノウンをディスプレイで追っていた。「まだ余裕はある。やっぱり、ありったけのスティレットを持ち込んどいて良かったわ」
が、その口調とは裏腹に、既に機体の横腹にはアンノウン──ジオグーンの両腕が、ドリルと共に突き刺さっている。地中を強引に掘削する為に両腕にドリルを装着したジオグーン。その禍々しい二つのドリルは風間機の青と白の装甲をたやすく破壊し、その牙はじわじわと風間の処まで押し込まれようとしていた。
機体の断末魔の如く、コクピットに電光が走り続ける。アラートは今や鳴りやまぬ目覚まし時計のように風間の脳を叩き、機体の損傷状況を示すモニターでは愛機のラインが0.1秒ごとに腹部のあたりから破壊され、絶望的損傷を意味する真っ赤な斜線表示に変わっていく。
「黙示録、やっと発動したのね……サイ君、後は貴方だけよ」
地中への潜航の為に装甲アレイにドリルを取り付け、ほぼ全てのパワーを掘削に回していた風間機には、既に激しい戦闘を行なう余力は残されてはいなかった。こん畜生、せめて奴らのどてっ腹に一撃でも叩き込んでやりたいのに。
満身創痍のコクピットにさらに衝撃が走る。風間の眼前のモニターの一つに大きな亀裂が入り、モニターの半分がただの暗幕と化した。もう1機のジオグーンが、今ドリルの刺さっている反対側から風間機の腰部を貫いたのだ。
コクピットの電気系統の約8割がこの一撃で落ち、風間自身も頭と肩を激しく打っていた。メットにまで大きなひびが入っているのが風間の目にもはっきりと見える。急に噴き出した汗が眼に入って痛い──と思ったら、それは頭部からの出血だった。左肩と肋骨に痛みが走る。それが骨折の痛みであることに気づいた風間は、ふと自分を嘲笑った。
死を回避する為に、人間は痛みを感じるように出来ている。そのはずなのに、死が決定づけられた今でも、こんな痛みを感じるなんて。まぁ、子宮をえぐられた瞬間とその後の激痛に比べれば、どうってことないけど。
合計四本ものドリルで挟み撃ちにされた形となったディープフォビドゥン。機体が真っ二つになってもおかしくない状況の中、それでも風間は操縦桿を離そうとはしなかった。
「サイ君、早く……!」
やがてドリルはコクピットまで到達していく。雷撃の如き光と共にコクピットの全ての電気が落ち、次の瞬間風間の眼前に、全てを押し潰す10トンの牙が現れた。一人の女の存在など軽く飲み込んでしまう、大量の土砂と共に。


その時、サイは目撃した。風間曹長の美しい肉体が、粉々に砕かれる瞬間を。そして聞いた、声帯が引き裂かれながらも叫ぶ声を。
──サイ君、撃って。早く、私を、私の命を撃って!
同じ声を聞いているのだろう、コンソールに突っ伏すような姿勢でヒスイが呻いている。カズイも揺れる床に向かって吐きかけている。
風間の最期が、鮮烈なまでにサイたちの脳裏に流れ込んでくる。恐らく彼女の背中から最後の衝撃が来たのだろう──彼女の命を頑丈に守っていたパイロットスーツが腰のあたりから溶解して破れて散り散りになり、一瞬風間の生まれたままの姿が見えた。ヘルメットが砕かれ、いつもきつく縛られていた長い栗色の髪がほどかれ、サイの眼前で大きく広がった。


「美しい。これも、見納めだ」
既に飛翔する以外にエネルギーの残されていないウィンダムを森の中でうずくまらせ、ひたすら時澤はコクピットで風間の姿を凝視していた。一時期は恋に似た感情すら持ったことさえある風間、その美しい肉体が炎の中で風船のように弾けていく。白い肌に、無数の赤い亀裂が入る──ガラス細工が砕け散る時のように、風間の身体が壊れ始める。
次の瞬間から、かつてジェネシスの犠牲となった同志たちのように醜い姿を、風間は時澤に晒しはじめた。
その光景を感じながら思わず吐き気を催す時澤。だが男として、山神隊の仲間として、軍人として、ここで風間を見届けないわけにはいかなかった。


サイを戸惑わせたことすらある大きな乳房が、脂肪や乳腺や大胸筋と共に砕かれてバラバラに弾けていく。優美な両脚は両脚共に腰からもげ、その腰までもドリルの刃で塵も残さず破壊されていく。充血しきった眼球は片方ずつリズム良く眼窩から飛び出し、脳しょうと共にちぎられていく長い髪は炎に巻かれ、肺からは壊れた水道管のように血が噴き出す。割れかけた胸を引きちぎるようにして一気に飛び出してきたものは、肋骨と胃袋と腸管。
だが、この状態でもなお、風間の魂は現世に留まっていた。サイに呼びかけていた。
──サイ君、撃って。撃ちなさい!
おそらく次の数秒で、風間自身が詰め込んだスティレットによって、この声も聞こえなくなってしまうだろう。必死で風間を消そうとあがき、必死でマントルへ特攻をかけたザフト兵たちもろとも、風間は消えていなくなってしまうはずだ。時間はもうなかった。
サイを通じてわずかに風間を見たのか、縋りついたままのユウナはサイの足元に突っ伏し、胃の内容物を床に散らしていた。それでもサイから離れなかったのは、男としての、代表補佐としての意地か。さらにユウナは呟いていた。「サイ君、見ただろ……撃て、撃つんだよ」
「了解しています」消えていく風間の命を感じながら、サイは再び胸を押さえた。
俺に力を。どうか、無力極まる俺に力をくれ。せめて、風間さんの願いを叶える力をくれ。頼む、フレイ、キラ、スティング、ネネ、ラミアス艦長、ミリアリア、ナオト、マユ、アマミキョのみんな──
もはや完全に砕かれ、炎の中の灰燼と化しかけている風間の肉体。だがサイは感じた。風間がそれでもなお、自分たちを抱きしめるが如く両腕を広げているのを──さあ、撃って! 私はここよ、まだここにいる。
「ポイント、北エリア23、ローエングリン照準!」
風間の魂が、炎と共にサイの中へ流れ込んでくる。風間だけではない──ネネや子供たち、老人たち、ザフト兵にオーブ兵、ここで死にゆく全ての者の命が、サイの中へ流れ込んでくる。一息にサイにパワーを集めていくかのように。
その中の一つを感じて、サイは思わず呻く。──あぁ、ナオト。結局お前は、彼女を助けることが出来なかったのか。
「ローエングリンッ、……」
サイに集められた命が、サイの中で最期の輝きを放ち、消えていく。ネネの血を頭から飛び散らせながら、サイは遂に咆哮した。「撃てぇッ!!」


アマミキョから放たれた閃光が、ハーフムーンの北の丘を直撃した。
その光は難なく地表を突き破り、光のドリルとなって地中へ潜り込み、数瞬でザフトの機体を蒸発・消滅させた。風間の命と共に。
光は炎と土と雪、村の全てを巻き上げて、村の人々の生活を奪い取り、巨大な泥の渦巻となって爆発を起こす。
地下深くまで到達した陽電子砲の力は、僅か10秒で一帯に地殻変動を呼び起こした。地の神を目覚めさせ、小さな村の営みを叩き潰した。
大地を割って、真っ赤に燃える炎龍が雄叫びを上げる。死の痛みに呻くように。
龍は大量の土砂と共に空へ舞い上がり、雪で白く染まっていた村を色のない、どす黒の世界へ叩き落としていく。
当然、砕かれた木、建物の残骸、土砂はアマミキョにも降りそそぐ。激震がまたもやブリッジを襲う。だがオペレーターたちは懸命に、発進シークエンスの最終確認を行なっていた。「主動力、オンライン」「E54区画、及びR24区画接続が確認出来ませんが、発進に問題なし」「カタパルトからの通信回復! 全チーム、スタンバイ完了」「主エンジン、異常なし」
傷つけられたアマミキョに、再び火が入っていくのが船内モニターでも分かった。「アマミキョ全システム、オンライン!」アムルが歯を鳴らしながらも叫び、オサキがそれに答える。「主動力、コンタクト!」
甲板では、降り行く土砂にムラサメが耐えている。その中でもスティングはまだ叫んでいた。<行けェ、サイ!>
サイはまだユウナに縋られながらも、決してこのタイミングを逃さなかった。「アマミキョ、浮上開始! 皆、舌噛むな、歯ァ食いしばれッ!」
アラートの嵐の中で、サイは指令を出し続ける。視界の片隅で避難の最終状況を確認しながら──91%、収容完了。残り9%のうち4%は、既に死亡した人間の数だ。診療所の子供たちもここにカウントされている。そして残り5%は、未だに村に残されている人間。
「許してください。どうか、俺を」サイの喉から、自然にそんな呻きが漏れた。心から血が噴き出すような痛みを感じながら、サイは叫ぶ。「飛べぇっ!」
操舵輪を必死で押し込むオサキ。大きな胸で一気にアマミキョを飛ばそうとするように、彼女は操舵輪に力をこめていた。
雪の大地が割れていく。全てを飲み込む地割れがアマミキョの元へ到達しようとしていた──「く、来る!」カズイが悲鳴を上げる。大地の亀裂の奥では紅の龍が、獲物を飲み込もうと舌なめずりをしている。おそらく村に残った老人たちも、あそこに飲み込まれてしまっただろう。
サイと共にその光景を凝視しながら、ユウナはひたすら黙り続けていた。もう彼は呻きも悲鳴も出していない。ユウナはそっとサイを見上げる──光の力を借りずとも分かった。彼はサイを哀れみ、謝罪していた。
黙示録の発動から今までずっとユウナと物理的に接触していたおかげで、サイにはユウナの心まで見えてしまった。嫌われ者ではあったが同時に切れ者で通っていたはずの彼が、戦場に出たことによって大きく歪んでしまった──ユウナの心象風景はほぼ予想通りだった為、それほどサイは驚きもしなかった。アークエンジェルとオーブ兵たちは彼に、本当に酷いことをしたもんだ。
だが、サイは一抹の不安を覚える。ユウナの心が分かったということは即ち、こちらの心もユウナに見られたということだ。
このユウナの態度の変化は恐らく、俺の心を見たことによるものだろう。彼は俺に何を見て、これほどまでに俺を哀れんでいる? ここまで落ちぶれた彼すら哀れませるほどの何かが、俺の中にあるというのか?
ひどい苛立ちを覚えながらも、サイは浮上に伴う激しい揺れに耐えていた。アマミキョには既に火が入っている──飛べ、飛んでくれ、頼む!
炎龍に飲み込まれる寸前、遂にアマミキョは再浮上を果たした。全てを押し潰す泥の嵐の中へ。


「まさか、これほどの惨劇が……」泥流に巻き込まれる寸前に何とか浮上したハイマニューバ2型の中で、ヨダカはこの事態に慄いていた。
<何という……これが議長の目的か?>戦い抜いた隊長機で駆けつけてきたピート・ベンターも、それ以上の言葉をつげない。ベンターは隊長機の証として黒く塗ったディンに乗っていたが、今やその黒も泥に塗れている。
漆黒の嵐の中でティーダの光を見失いかけ、レーダーも地磁気の乱れで狂い続けている。部隊の安否も殆ど分からないまま、ヨダカは自らの行為に戦慄するしかない。激しい手の震えと脚の緊張は、ティーダの黙示録を浴びた影響によるものだけではなかった。
それでもヨダカは男の意地で、ティーダの光を追い続けていた。生物全てを一瞬で潰していく泥と岩と炎の嵐の中、光を放ち何とか浮かび続ける巨体──
泥の中で光る宝石というものは、これほどに美しいものか。
ヨダカはそんな感傷に一瞬捕われながらも、機体をそちらへ向けようとする。だがこの嵐の中では、ハイマニューバ2型の力をもってしてもティーダに攻撃をしかけることすら難しかった。「ええい、何をしたというのだ、あの偽善船は!」陽電子砲がどのような意図によって発射されたのかも読めぬまま、ヨダカはうまく動かぬ両腕でコンソールを叩くことが精一杯だった。
だがその時、並行して飛んでいたベンター機が突然バーニアを噴かした。ティーダ──太陽に向かって、一直線に飛んでいく黒い蝙蝠、ディン。ヨダカは思わず叫ぶ。「ベンター隊長! 死に急ぐな、貴方の機体のフィルタではもたない!」
その声は虚しく土煙に消えるだけで、隊長機のディンは雄雄しくティーダへ向かっていく。既にベンター機は右脚部と両腕をもがれ、右翼から煙を噴いている。その上ティーダの光を存分に浴びていた──機体もベンター自身も、ろくに動けないはずだった。それでもベンターは死を恐れず、光に立ち向かっていく。<せめて、重力の犠牲になった皆の怨念だけは晴らさせてもらう!>
部下の命全てを背負って戦う軍人の姿が、そこにあった。ティーダの力さえも貫き、焼け焦げながらも突き抜けていく命があった。
対するティーダは、空に浮かび光を放ち続けたまま、ぴくりとも動かない。まるで魂を抜かれた人形のようだ。通常であればいい的になり、一瞬で破砕されてしまうだろう。
そんなティーダに、ベンターは全身を貫く痛みに耐えて到達しようとする。残された最後の力──胸部コクピット脇に装備された6連装多目的ランチャーが、ベンターの執念と共にその砲門を開いた。 ティーダの光は徐々に弱まっていく。炎のように突撃していくディン。
だが、ベンターの意志も命も、そこで潰えた。
ティーダに到達しランチャーが火を噴く寸前で、ベンター機は真上からビームで貫かれ、そのまま泥渦巻く炎の海の中へ叩き落されたのである。
紅の風のように飛来した血の機体──ストライク・アフロディーテによって。


多少揺れの小さくなったブリッジの中央で、サイは崩折れようとする身体を何とかコンソールで支えていた。全身が熱く、肩で息をしているのが自分でも分かる。「5時方向へ進路をとれ。被害状況を確認──生存者の救出を最優先に」
「いるわけないじゃない」吐き捨てるようなアムルの言葉が流れた。本人は口の中で呟いたつもりだったのだろうが、サイには聞こえてしまっていた。思わずアムルを睨みつけるサイだが、彼女はサイを見もせずにコンソールに向かったままだ。
拳の届く距離に彼女がいなくて幸いだった──サイは改めてブリッジクルーの様子を確認する。全員、脱出に成功した安心感よりも、眼前の大災害に心を失っていた。自分たちの引き起こした惨事に。
サイは息つぎに苦慮しながらも、指令を出す。「ティーダ、山神隊、アストレイ隊の安否確認を急げ。避難民には、モニターから景色を見ないように言ってくれ。オーブ軍との通信は続行を」
疲労と衝撃でうなだれかかりながらも、全員がサイの指示通りに動き業務を再開する。間もなく、次々と報告が入ってきた。マイティが「アストレイ隊、全機帰還を確認」と告げると、カズイも手を動かす。「カタパルトとの通信、回復したよ」
「……地中のザフト機、全て信号消失。風間機のシグナルもロストしたままです……あ、時澤機、信号確認しました」ヒスイもまた、吐しゃ物の入った袋をそばに置きながらも、震える声で報告を完了した。
冷静さを懸命に装いつつ、報告を続けるクルーたち。被害状況も刻々と入ってくる──「ローエングリン直撃地点より半径6キロは完全に陥没。9キロ離れた地点でも、噴火が観測されています」「でも、15キロ地点の街は無事だよ……尤も、デストロイにやられちゃってるトコだけど」「ヴロツワフの連合軍から通信が入りました。ハーフムーンを震源とするマグニチュード8.4の地震が観測されたそうで、こちらの安否情報を求めています」
サイは一瞬胸を撫で下ろす。少なくとも、通信が出来る程度には向こうは無事だということだ。アマミキョ側が何もせずにいたら、マグニチュードは下手をすれば10を超え、半径300キロ以上が壊滅状態に陥った可能性すらあった。風間やネネたちやハーフムーンの犠牲は、決して無駄ではなかったのだ。
と、不意に甲板のスティングから通信が入る。<おい色眼鏡。どうやらお帰りあそばしたようだぜ、お姫様と王子様と、女王様がよ>
その言葉どおり、黒雲を突き抜けてアマミキョに降下してくるティーダが見えた。正確にはストライク・アフロディーテが、棒立ち状態のティーダを空中で吊り下げるような恰好で運んできたのだが。
「ナオト、マユ。ありがとう──よく頑張ってくれた」無事に帰還したナオトとマユに対して、サイはそれ以外にかける言葉を持たなかった。ティーダからの返事もない。無理もない、おそらくナオトの精神は崩壊状態に近いだろう。
そしてアフロディーテのフレイには、サイは遂に何も言葉をかけられなかった。かけたくなかった。今更のこのこと何しに出てきた!
そんなサイの感情を嘲笑うように、カタパルトからハマーの通信が入る。<通信不通の間にフレイ嬢とミゲル殿がご帰還なすったもんだからね、こちとらIWSPの早着替えやらマニュアル発進やらでえらい騒ぎだったぜ。整備班の腕に感謝してもらいたいね>
その時だった。突如、ナオトの泣き叫ぶ声が空気を切り裂いたのは。


ティーダコクピットでは、ナオトが首を振りながら、レバーをガチャガチャ乱暴に動かし続けていた。「お願いだ、お願いです、フレイさん! メルーを助けに行かせてよ! あそこで、渦に落ちたまままだ溺れているんだ、助けてって言ってるんだ! 
マユ、フレイさん、サイさん、聞こえるだろメルーの声! お願いだよ! 助けに行かせてよぉおおおおおおおおっ!!」
ナオトは自分の中の絶望を打ち消すようにひたすら叫び続ける。どれほどナオトが操縦桿をいじっても、もうティーダは反応しない。既に操縦権は100%近くがマユに委ねられていた。後席のマユは、そんなナオトの背中を黙って見ていることしか出来ない。
<ナオト、落ち着いてくれ……状況をよく確認するんだ>
「サイさん、お願いです! メルーはティーダの手から落ちたんだ、だからまだあの村にいるんだ! アストレイはまだいるでしょ、メルーを助けてよ! あの子だけは助けなきゃいけないんだ、あの子だけは! アマミキョはメルーを助ける義務があるでしょ! あの子の声が聞こえないのかよ、サイさんにはっ」サイの声にかぶりつく勢いでナオトはモニターに喰らいつく。
<ナオト、今は戻るんだ。少し休んだ方がいい>
そんなサイの声に被せるように、フレイが通信に割り込む。<ティーダの左手を見ろ。手のひらだ>
フレイの声とアフロディーテの威圧には逆らいきれず、ナオトはこわごわティーダの手を見る。さっきまでメルーがいたはずの場所だ。
そこには既にメルーと祖母の姿はなく、ただ、キャラメルソースを焦がしすぎたような黒コゲが手のひらいっぱいにこびりついていた。その黒コゲの隅っこに、何故か紅いマフラーのちぎれかけが付着し、たなびいている。それが紅のマフラーだったと判別出来る部分はごく少なく、殆ど黒く変色していた。マフラーだと分かったのは、ナオトの記憶に残る彼女のマフラーがひどく印象的だったからだ。
しかし不思議なことに、手のひらから僅かにはみ出した部分だけが、その主の存在を主張するように紅かった。いくら嵐が吹きすさぼうと、そのマフラーが飛ばされることはなかった。
残酷な現実の象徴のように、マフラーはそこにメルーが確かにいたということを語っていた。
<ビームが彼女たちの身体の構成物の殆どを一瞬で蒸発させ、消滅し切らなかった部分はそのまま手のひらへ焼きついた──それが事実だ。貴様も彼女らの死を感じたはずだ、己の心をよく見定めろ!>
「嘘だ!」ナオトは胃そのものを吐く勢いで否定する。「嘘だ嘘だ嘘だ! メルーは僕を分かってくれたんだ、僕の嘘を分かってくれたんだ、そんなメルーが死ぬはずない! あの子が……」
「無理だよ、ナオト」不意にマユが後ろから声をかけた。笑ってもいず、怒ってもいない。ただ、冷淡に事実を告げるマユの声が響く。
それはナオトにとって、極めて決定的な一打だった。「私には、もうメルーの声もおばあちゃんの声も聞こえない。どこからも」


 

 

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