ユウナ・ロマ・セイラン、スティング・オークレー、子供たち、そしてリンドー・エンジョウ。
一息に様々な別離を体験し──ようやくアマミキョは、チュウザン本国への帰還を果たした。
ヤハラへの到着前は、ブリッジもアマクサ組も暴動発生を警戒していたが、案外に港もヤハラも静かなものだった。シュリ隊や山神隊のチュウザン残留組との合流も無事完了した。
不気味なほどの静けさの中、サイたちはすんなり帰ってきたのだ。これから確実に嵐に巻きこまれる、この国に。
サイは山神隊への帰還報告を時澤軍曹と共に行ない、自分の見た事実の全てを山神少将に報告した。ザフト軍との遭遇、南チュウザン軍の海底要塞の存在。戦略兵器デストロイの侵攻、風間中尉の死亡状況、ローエングリンの発射、地中のニュートロンジャマーを使用したザフト残党の作戦、ハーフムーンの壊滅。そして最大の懸案事項である、アークエンジェルの動向も。フリーダム撃墜の件は、山神隊にも既に伝わっていたが。
「──予定を大幅に狂わせてしまい、大変ご迷惑をおかけいたしました」サイは全てを話し終わると、山神、伊能、広瀬の前で深々と頭を下げた。娘にも等しい部下を失った山神ではあったが、彼は殆ど表情を変えず、サイと時澤の肩にその両手を置いた。「アークエンジェルの追跡も可能になり、ザフトの新型の情報も山ほど入った。君たちは本当に予想以上の働きをしてくれたよ。
アークエンジェルの処遇については、上層部で検討中だ。あとは上がどうにでもしてくれる──アーガイル君、君にとってはつらい結果になるかも知れんがな」
「覚悟はしています。キラ・ヤマトらは自らの意志で戦闘行為を行なっています。それ相応の罰は受けるべきでしょう」
「そして、彼らもとうに覚悟を決めている──そうだな」
サイは頷いた。脳裏に、キラとカガリの言葉が蘇る。
──ラクスやカガリを守る為だったら、僕は誰に恨まれたって構わない。
──私たちは相手に理解してもらうまで、私たちのやり方で尽力する。
あそこまで言い切るのだ。死ぬ覚悟ぐらい、とっくに出来ているのだろう。もしくは、絶対に逃げ切れるという自信があるからの発言だったのか。どうも後者のような気はするが、キラやラクスならば逃げ切れてしまうだろうという、根拠不明の確信があるのも事実だ。ましてや、今の連合はロゴスの騒ぎで内部からガタガタになっている。崩壊寸前の連合に、アークエンジェルを捕らえるほどの余裕があるとも思えなかった。
諦めにも似たサイの感情を悟ってか、山神はするりと話題を変える。
「それにしても驚愕はザフトの手段だ。月面で核を使用不能にしたあの新兵器が、逆にニュートロンジャマーを引き寄せる効果があったとはな。そしてマントル付近でこの二つを衝突させれば、確かにサイクロプスどころの騒ぎではすまんはずだ。風間の読みは正しかった──
しかも有人機にそいつを積んで特攻させるとは。哀れなものよ……よほど奴らも追い詰められていたのだろう」
山神はサイにゆっくりと笑顔を向ける。沈んだ声ではあったが、それでもサイはこの初老の軍人の笑顔に励まされた。
「ゆっくり休んでくれ──風間や村人たちの弔いをせねばな」
それだけ言うと、山神は白髪頭をかきながら、大きな背中を揺らして部屋を出て行った。


風間中尉やネネ・サワグチ、そしてハーフムーンの村人たちの葬式が終わった夜──
サイは久々に自室へ戻った。四畳半ほどの狭い部屋の中、カズイが共用の机で何やら本をめくっていた。
ナオトはといえば、二段ベッドの下側のベッドに突っ伏したまま、動こうとしなかった。これは今に始まったことではない。チュウザンに着く少し前から、ナオトはサイともマユとも、他の誰ともまともに顔を合わせようとしていなかった。
サイは壁に取り付けられた通信機で、しばらくブリッジとの連絡を続ける。「……はい。アークエンジェルとの通信は先ほど回復しました。アスハ代表やクルーの無事も確認済みです。KI9によるL18区域の修復状況はどうですか? 強制遮断による送信漏れが2件……では、その件も含めて明日1600からミーティングですね」
てきぱきと通信を終え、ふっとカズイの方に振り向くサイ。「アークエンジェルは無事だ。直接ミリィの声が聞けたよ、ほんの3、4秒だったけど。やっぱりティーダの通信機能さまさまだな!」
明るく言ってみせるサイだが、カズイは「……ふぅん」などと空返事をしたきり、じっと本に熱中している。見ると、どうやら女性向けの菓子の本らしい。「ホット&スィーツ」などと、それらしい横文字がピンクの表紙に大きくポップ調で書かれていた。
サイは気を取り直し、腰に手を当てて改めて報告する。「キラも、何とか生きのびたらしい。フリーダムは大破したようだけどね、やっぱりさすがキラだよな」
本心からそう思っていたサイだが、カズイの反応はやはり薄く、かつ皮肉なものだった。「まだ、キラをそんなに大事に思えるんだな、サイは」
この言葉は、サイの胸のどこかを針のように衝いた。カズイの、突き放したような言動には慣れたつもりだったのだが。「いけないことか?」
「いいことだと思うよ。だからサイは人に好かれる」カズイはそこで初めて本から眼を上げ、にこりともせずサイを見た。「素晴らしいことだよ。だけど俺には出来ないな。
俺は今でも、キラを友達とは思えない。サイとフレイの件を知ってたら、無理だよ。少なくとも俺が同じことされたら、キラを許すなんて無理だ」
「許すって……あの時は俺も、キラの気持ちも知らずにつっかかっていったから。どれだけ追い詰められているかも知らずに」
「俺はとてもそんな風に、好意的に人の気持ちを推し量れない。そんな俺だからかな」カズイはふいと本を放り投げた。「こういうことでもしなきゃ、振り向いてくれない」
見るとそれは、クッキーのレシピ集だった。今ある食糧で何とか作ることの出来るクッキーは相当限られていたが、カズイはその中から必死でいくつかを選び出し、印をつけていた。オレンジピールの入ったクッキーのレシピには花丸がつけられている。サイは思わず顔を綻ばせてしまった。
「分かった。祭りのプレゼントだな」敢えて、誰へのプレゼントなのかは聞かないサイだった。
個人的にあまり賛成は出来ないが、止める理由もない。カズイが誰かの為に行動を始めるのは彼にとってはとても良い傾向だし、彼女だって、カズイの純な気持ちに触れたら心が動くかも知れないじゃないか──この時のサイは、あまりに楽観的なことにそう考えていた(そうであってくれと願っていただけかも知れないと、後になってサイ自身猛省することになるのだが)。
「いいな、クッキーか。俺も協力するよ」
サイの申し出に、カズイは赤くなりながら素直な笑顔を見せる。さっきの皮肉っぽさが嘘のように、カズイはやたら早口で語り出した。「オレンジは結構在庫があるみたいだから、これしかないかと思うんだ。それにしてもクッキーって凄いもんだな、こんなにバターと砂糖を使うなんて、俺全然知らなかったよ。一人にだけ渡すのも悪いから一応みんなにも作るつもりだけど、これじゃとても行き渡らないな……」
「材料足りないんだったら、オレンジパスタでもいいんじゃないか? マヨネーズかけると意外にいけると思う」皮肉でもなんでもなく真顔で言ってのけるサイ。カズイはその言葉に今度は青くなる。「いや、あの、サイ……お前一体いつからそんな味覚に……頼むから、手は出さないでくれよ。助言だけ聞いとく」
「何で?」
「いや、何でってそりゃ……ナオトにも聞けよ。覚えてるか、タマネギサンド」
カズイはベッドの方に頭だけ向けてナオトに呼びかける。だがナオトはベッドに突っ伏した体勢のまま、ギロリとサイたちを睨んだ。恐ろしくかすれた声で呟く。「よく、この状況下でそんなことばかり言ってられますね。祭りなんて。たくさん人が死んだのに」
ナオトは一日中ベッドにいたにも関わらずろくに眠っていないようで、目の下に隈を作っている。サイは一目でその異様さに気づいた──マユとナオトの間にあった事件を、サイは知らされていなかったが。
「ナオト、ずっと留守にしていたのは悪かった、謝るよ。
だが、葬式はもう終わった。メルーだってネネだって風間さんだって、俺たちがいつまでも悲しんでいることを望んじゃいない」
サイは毅然としてナオトの枕元に歩み寄り、彼を慎重に諭す。だが、ナオトは枕をひっかぶった。サイから逃げるように。
サイはそれでも枕を押しのけて、ナオトの説得に挑んだ。「もうすぐ星祭りだ。みんなでこの星に生を受けたことを祝うと同時に死者を悼む、そういう願いをこめた祭りでもあるんだ。街の人たちも復興作業と同時に祭りの準備も忘れてない。ちゃんと起きて作業に参加して、レポートを再開してみたら気分も晴れるよ」
サイはナオトの肩に手を差し伸べる。だがナオトは敢然とその手を叩き払った。「祭りなんて、何の意味もありませんよ! 祭りや祈りって神様を崇めるもんなんでしょ!? なのに、メルーは一生懸命祈っていたのに、結局神様は助けてくれなかった! アークエンジェルもキラさんも、代表も来てくれなかった、僕はマユに見捨てられた!」
「ナオト! キラは神様じゃない、あの時はキラもフリーダムもアークエンジェルも来られる状況じゃなかった、散々話しただろうが」
「知ってますよ! だけど、それでも僕はキラさんと代表に助けて欲しかった、キラさんたちは僕の英雄なんだから!」
ナオトはサイを振り払いながら立ち上がり、部屋から出て行こうとする。慌てて駆け出してその左腕を掴むサイ。「ナオト、いい加減に」
「しつこいよ、離してくださいよっ」ナオトは凄まじい力でサイの腕を強引に振りほどく。「真田さんだって祈っていたのに、死んでしまった。結局神様なんていないんです!」
「ナオト、待てってば! 一体何が……」それでもナオトをつかまえようとするサイ。こんな状態の弟分を放っていくわけにはいかない──だがその思いが裏目に出た。サイの行為に一気に頭に血が昇ったナオトは、次の瞬間サイの顎に拳を入れていた。
パイロットとして幾分成長したナオトの拳は、実に強烈だった。思わぬ攻撃に、サイは壁に打ち付けられて倒れてしまう。一瞬茫然として自らの拳を見つめたナオトだったが、罵声のほうが先に出てしまった。「サイさんは、僕がティーダのパイロットだからここにいてほしいんでしょ! サイさんはもう責任者なんですから、ティーダパイロットがいなくなったら困るんでしょ!
それだったら心配いりませんよ、僕はティーダにはもう乗れませんからっ」
続いて追いかけてきたカズイの制止も聞かずにナオトは脱兎の如く部屋を飛び出し、それきり一晩戻らなかった。


アマミキョとは遠く遠く離れた場所──真っ青に晴れ上がった空の下、爽やかな風が舞い込み、鳥のさえずりが響き渡る、桜の森。
かつ、酸素と二酸化炭素と窒素の割合が常に的確に調整され、湿度も温度も適正に保たれた森。花びらは雪のように舞っているが、花粉は飛んでいない。人間の鼻孔を刺激する恐れのある花粉は、この森には必要のないものだった。
見渡す限りの桜。戦乱に満ちたこの世界では、もうお目にかかれないような風景だった。
その中心──巨大な桜の樹の根元で、桜と同系統の色の髪を持つ少女が微笑みながら目を閉じていた。その長い髪は桜の色と似てはいたが、決して桜に同化してはいず、静かに自己主張をしている。そして彼女は決して、無垢に眠っているわけではなかった。
気配を感じて、彼女は軽く欠伸をしながら目を開ける。満月の髪飾りが、風に微かに揺れた。
彼女から10メートルほど離れた桜の樹の陰から、ゆっくりと少年が姿を現す。黒髪の縮れ毛に、そこそこ白い肌。ガリガリというわけでもないがやや細めな印象。歳は15ぐらいだろうか。
「御方様──フレイ・アルスターから定時連絡が入りました。ロゴスの騒動は予想通りの展開を見せていますが、ヤハラには今のところ、主だった動きはないようです」
メモ帳を片手に、事務的に告げる少年。連合の青い少年用軍服が、この場には実に似つかわしくない。
少女は安眠を妨げられ気分を害したかのように、軽く膨れっ面を作ってみせた。「もう。貴方はまだ慣れておりませんのね」
少年は冷静さを若干崩され、明白に戸惑いの表情を見せる。「はぁ……しかし、御方様に対して失礼な口ききは」
「それとも、記憶が戻っていない……と言った方がよろしいかしら。ニコルたちはとうに記憶を取り戻していますのに、貴方はどうしたことでしょうね」
少女は実に軽い足取りで立ち上がり、草を払いながら少年にふわりと近づいた。決して重力がないわけではないという程度に重力が調整された空間の中で、少女は飛ぶようにステップを踏んでみせる。「貴方はキラのご友人でしょう? でしたら、私ともお友達ですわ。
まだ、『思い出せ』ませんの?」
無邪気に笑ってはいるが、その口調は妙な圧力を少年にかけていく。彼女たちの間の、見えないバリアが膨らむ。足元で桜の花びらが舞い、一瞬張り詰めた空気の中で小さな竜巻を起こす。
「では……」コホン、と一つ咳払いをして、少年は根負けしたかのように一息に口調と表情を変化させた。地味な無表情が、陽気なお調子者の顔に変わる。「ラクスさん、そろそろ動いてもいいころじゃないの? ターゲットの回収には成功したんだし、フレイを呼び戻そうよ」
少女はそれを聞いた途端、くすくす笑い出した。「うふっ、やっぱり『さん』づけなんですのね」
少年は気にせずに続ける。「何なら、俺が出るよ。そろそろミリィにも会いたいけどさ、まずはアマミキョとティーダ、そしてフレイに生じたイレギュラーの排除だ。早い方がいいに越したことはない」
『イレギュラー』そう口にした時、少年の深緑の瞳がわずかだが妖しげに輝いた。「老中たちよりは、役に立つと思うけど?」
少女は直接は答えず、優雅に草むらに腰を降ろしながら膝をかかえ、上目遣いに少年を見上げ、小首をかしげてみせる。だがその心中は既に決まっているようだ。白いフリルのドレスの裾が、眩しく光の中で揺れた。
少年は両手をひらひらと楽天的に振ってみせた。「友人が友人を殺す。結構ドラァマだと思うよ。嫌いじゃないだろラクスさん、そういう演出」
「調子に乗りすぎですわよ」にっこり満面の笑みを見せる少女。少年は肩を竦める。
「俺だってそろそろ働きたいんだよ。フレイもラクスさんもザフト組ばっかり重宝してさ……あいつら妙に情け深いところあるから心配なんだよなぁ」
「情けは大事ですわ。ただそれは、甘さとは別物……彼らにはその点を理解していただく必要がありますね」少年からメモ帳を受け取り、少女の笑みはふっとかき消える。「アークエンジェルもいよいよ活発な動きをしてきたようです……忙しくなってまいりますわね。
ねぇ、ラクス? 聞こえて、ラクス・クライン?」少女は遥か彼方の青空を見上げ、両手を大きく上げてみせた。
その視線の先の青空が、彼女の視線が通過したあたりを中心に、円で切り取ったようなぼうっとした闇が現れる。その闇の向こうには、青空よりも遥かに広大な星海があった。少女はその星々に向かって呼びかけるように、言葉を投げる。
「フレイはキラのもの、ラクスはキラのもの、キラはラクスのものですわ。そしてラクスは全て世界のもの、世界は全て──私のもの」
桜の花びらの中を踊るように回りながら、歌うように声を響かせる少女。少年は、また始まったとでもいいたげに、苦笑しながらその光景を眺めていた。


星祭りを二日後に控えた夜。
サイは、通路でばったりフレイに出くわしていた。そして思わぬ提案を突きつけられる──
「潜入捜査?」
戸惑うサイに、何食わぬ顔でフレイは続けた。「山神隊のおかげで、ヤハラの状況は現在は沈静化している。だが、ニコルの報告によれば川の向こう側で妙な動きがあるらしい」
「川向こう──文具団の工場街か。ロゴスの存在が暴露されたにしては、変におとなしいと思っていたよ」
サイは思い出す。あそこはかつて、フレイと再会し、2年ぶりにデートをした場所だ。自分の気持ちに決着をつけるつもりでいた、そんな場所。
考えてみれば、あの街で全ては始まったのだ。動かなくなった俺のネジが、錆つきながらも軋み始めた場所──そして、モビルスーツに乗るフレイを初めて見た、炎の街。
考えにふけるサイをよそに、フレイは冷静だった。淡々とした口調もそのままに、驚くべき言葉を吐く。「出来るだけ少人数で向かう。私とお前の二人だ」
サイは取り出したメモ帳を落としそうになった。「ふ、二人? 俺と君が? アマクサ組は……」
「ヤハラとアマミキョの守りの為、他の者は全員残す。山神隊も了承済みだ、さっさと準備をしろ。あと12時間後だ」
「明日かよ!」サイは思わず突っ込まずにはいられない。「明日はアマミキョもヤハラも総出で祭りの準備だろう? 指示を出すべき俺と君が場を離れるのはまずい。この土地では、祭りはまだ重要な行事なんだ」
「前夜祭だからこそ、警戒する必要はあるだろう。それに、指示を出す役はトニーとニコルだけでも務まる。ちょこまか動ける私たちが率先して内情を探る必要がある」
「それだけじゃない、ナオトのことも気になる」
あれから船内中を探し回ったサイだったが、どこに隠れたのやら、ナオトは見つからなかった。ラスティから事情も聞くことは出来たものの、マユとナオトの間に何やら諍いがあったということ以外、何も分からない。やや怒気のこもったラスティの口調から、ナオトがマユにまた暴力をふるった可能性があることは分かったのだが──そのせいか、カイキに至っては、もはや誰もマユに触れさせまいとしていた。
「諦めろ」フレイはぽつりと言葉を吐く。「お前に保護者はもう無理だ。今後はティーダはマユ・アスカのみで動かす。ティーダの開発研究班がもうすぐインドから到着する予定だ。マユだけでも十分動かせるようにな。
その方が、あの小僧にとってもお前にとっても喜ばしいだろう」
「ナオトがティーダに乗らずにすむようになれば、確かに安心だけど……」サイは自分の腕に噛み付いてきたナオトを思い出す。ティーダに乗る理由を失ったと思い込んだ時のあの荒れようは、尋常ではなかった。単純に降ろすと決まっただけでは、話は済まない気がする。ナオトは、もっと強い力でティーダに縛られてしまっている──そして、そこまでティーダに縛りつけてしまったのは俺だ。
そんなサイの思慮を断ち切るように、フレイは咳払いをして向き直った。「居場所はニコルが掴んでいる、心配はない。
それと──分かっていると思うが、私服で来い。アマミキョの者と気づかれるはまずい」
サイが行くことを既に決めているようなフレイの口調。仕方なく、サイも同意する。「分かったよ……確かに、制服はまずいな」
サイも祭りの準備をすすめながら、妙な壁をヤハラの村民たちから感じていた。アマミキョから恩を感じているとはいえ、ロゴスの存在が暴かれてからは村の人々の態度は少しばかり冷たくなっている。サイやカズイから飴をもらった子供が、いきなり親に手を引っ張られて彼らから遠ざけられたこともあった。
──偽善者の船。
それが、ヤハラでのアマミキョの現状だった。リンドーがいない今、責任者たる自分はこの状況をどうすればいいのか。この村を、人々を助け続けることが出来るのか。予想される戦乱から守ることは出来るのか。
それを探る為にも、文具団への潜入捜査はいい機会になるかも知れない。サイはそんな風に無理矢理思考を切り替えることにした。
だが、何とか頭を整理したサイに向けて、フレイはさらに驚くべき言葉を発した。「私も、一旦『中』へ籠もる。フレイ・アルスターを一日貸してやる。
その方が、スパイにもテロリストどもにも気づかれまい」
「へ? ちょっと待てフレイ、今のってどういう……」「言葉どおりの意味だ、さっさと業務の引継ぎをしろ」
サイがたじろぐ間も与えず、それきりフレイはそっぽを向いてさっさと通路の向こうへ去っていった。
「それって……」


「デートじゃねーかよお!(じゃないですか!)」
オサキとヒスイが同時に目を剥いて叫んだ。
ブリッジで思わず立ち上がった二人の女性は手を取り合い、サイを取り囲む。「やったなサイ、長年の艱難辛苦が報われる時が来たぜぇ!」
ヒスイを強引に抱き寄せながら、サイにも抱きつくオサキ。大きな胸が、サイの耳たぶをくすぐった。
「ちょ、ちょっとオサキちゃん大声はまずい、極秘事項なんだから」注意するサイだが、オサキは聞かない。「アタシに打ち明けた時点で極秘もクソもあるか! この女たらしがぁ〜」
「私、オサキさんが無理矢理聞きだしたように聞こえましたけど」
抱きしめられながらも小さな声で突っ込むヒスイに、オサキに髪をぐしゃぐしゃにされるサイ。「いや俺は、業務の引継ぎをしたくて……ちょっと痛い痛いっ」
「アタシは嬉しいんだよ、コノヤロー。人の祝福は素直に受け取れコノヤロー」
頭をぶつけ合いながら三人が騒いでいる横では、アムルが我関せずな顔でコンソールパネルを叩いていた。そのアムルを横目で見ながら、カズイがマニュアルのページをめくりつつ頬を赤らめている。その目の下には薄く隈が出来ていた。
カズイが深夜に調理場を使って、慣れない手つきで何やらこしらえていたことは、サイも知っていた。その材料も、厳しい統制の中カズイが昼間、いつもの倍働いてやっと得た報酬だった。
祭りの影響で、非常事態の中であるはずなのに皆が妙に盛り上がってきている──船内の高揚感を、サイもはっきりと感じていた。多くの命を失った喪失感と、将来への不安とからくる不気味な盛り上がりなのか、それとも単なるお祭り騒ぎなのか、サイには分からなかったが。
「しかも明日って前夜祭ですよサイさん! そのまま次の日になれば……」ヒスイもサイに向かって両手を組み合わせながら、黒い前髪の間で目を輝かせる。少女のように。「想いを伝えるチャンスじゃないですか」
久しぶりに明るい雰囲気になったブリッジに、突然怒声が響いた。サイの目の前のディスプレイに赤ら顔が映る。<浮かれてんじゃねぇぞオサガリ副隊長どのが!>
カタパルトで整備中のハマーだ。ナチュラル嫌いは少しばかり緩和されてきた彼だが、アル中の症状はそう簡単に抜けはしないようで、顔だけでなく目も若干赤い。<町中がきな臭いんだ、いつ何があるか分かんねぇ! デートだ何だと、遊んでる暇なんざあるかクソナチュラルどもが>
「へいへぃ分かりやしたよアル中コーディが! フレイの命令なんだ文句あっかっ」オサキは強引に回線を切ってしまった。アタシらだって、コトの深刻さぐらい分かっている──そう言いたげに、オサキはでんとサイの横のオペレーター席へ勝手に腰を落とした。
サイはそんなオサキにちょっと苦笑しつつ、カズイに小声で問いかける。「ナオトは見つかったか?」「見かけないな……」カズイはぼんやりと答えを返すだけだ。「あの時出て行ったきりだ」
アムルの件だけで一生懸命になっているカズイに、ナオトを気遣えと言うのは無理があった。サイはもう一度、カタパルトの映像を確認する──ティーダのコクピットにはマユだけが乗り込み、ラスティと一緒に調整中だった。何処を見回してみても、ナオトの姿はなかった。


早朝、ヤハラの街。
度重なる戦乱やテロで何度も焼かれながらも、この街の人々は必死で立ち上がり復興作業に勤しんでいた。山神隊・広瀬もまた、ウィンダムを作業用装備に変更し、半壊して崩れかかっている建物の撤去作業──つまり、破壊作業を行なっていた。そこは1ヶ月前に酷いテロ事件があったばかりの場所で、道路には瓦礫が散乱し、周囲は半分焼け野原と化していた。
周囲に人がいないのを確認し、朝陽を浴びながら崩れかけのビルに丁寧に爆弾を設置する灰色のウィンダム。そんな作業を黙々と行ないながら、広瀬はコクピットで別のことを考えていた。
──謎の人工島に、マスドライバーの存在。タロミ・チャチャの宗教復活宣言。力を増していくティーダ。文具団とタロミの関係。ロゴス騒動にも関わらず、アマミキョを潰そうとする大きな動きが未だに見受けられないのは何故だ?
山神や伊能に止められれば止められるほど、この国を取り巻く状況の不可解さに首を突っ込まずにはいられない広瀬だった。単独での潜入捜査を山神に願い出たこともあったが、未だに認められていない。それがさらに、広瀬の探究心に拍車をかけていた。
──今回のアークエンジェル追跡により、ティーダは予想以上に能力を増して帰って来た。アマミキョも……
広瀬はティーダの能力が、パイロットだけではなくアマミキョの乗員にも何らかの影響を及ぼしている可能性に思い当たっていた。
軍属経験があるとはいえ、サイ・アーガイルがあれだけ正確に風間を撃てたのは、何故だ? 急造仕様のローエングリンランチャーは、通常のものよりも非常に扱いづらく、試射では殆どが的を大きく外れる有様だったという。にも関わらず、サイは見事に風間ごと敵を貫き、ユーラシア大陸の危機を救った。
「風間の命を、感じたから──というのか?」
んな馬鹿なと一笑に付したい広瀬だったが、サイの淡々とした事実の報告と、時澤が持ち帰った戦闘ログを見る限り、それ以外の可能性が考えにくい。
思い出すのは、ヤハラの工場の事件でサイが自分に言った一言だ。──何も感じませんか? 広瀬少尉。嫌悪感のようなものを。
その後、思い出すのもためらわれるような人体実験場の真実が暴露された。さらに、ナオト・シライシが癒えることのない傷を負わされたことが明らかになった。
ティーダは、魂を感じさせる能力をアマミキョ乗員に植えつける。だからこそ、風間は自身の命をサイに撃たせたというのか。あまりに非科学的で、広瀬自身は全否定したかった。
「もしそうなら……トコトン罪深い奴らだ、ティーダを作った奴らは」
眼鏡の奥で、広瀬は皮肉屋の細い目を光らせる。「そして、フレイ・アルスター。ジョージ・アルスターの一人娘。チュウザンにて、不可解な復活を遂げたアマミキョの女王……
連合からお姫様を寝取るとはね。何を考えている、タロミの野郎」
広瀬が思いを巡らせていたその時、軽い警報音が鳴った。ウィンダムの作業半径10メートルに人間が入り込んできたことを知らせるアラートだった。ウィンダム脚部を走り去る小さな人影が、肉眼でも見えた。「おい、死ぬ気か! 危険だから素人は下がって……」
広瀬はスピーカーごしにその人物に呼びかけたが、彼は下がろうともせずウィンダムをキッ、と睨みつけてきた。大きな眼。
少しだぶついている茶色のスーツを着込んだその少年を、広瀬はよく覚えていた。「ナオト・シライシ……どうした、こんな朝っぱらから取材か?」
広瀬はハッチを開き、直接ナオトに呼びかける。ナオトが早朝から取材に出かけるのは珍しいことではないが、その時は必ずアマクサ組か山神隊の誰かがついていた。
しかし今は彼は一人だ。表情は硬く、顔色も悪い。身体に似合わない大きなデイバッグ。広瀬の問いに、ナオトは消え入るような声で返した。「祭りに行きたいんです。そのぐらい、いいでしょ」
いつもの大声とは正反対だ。ウィンダムの指先の作業用マイクが、何とかその声を拾う。「んなデカい荷物持ってか。アイドルコンサートの徹夜組にでも入るつもりか?」子供への説得というのは広瀬にとって最も不得意な分野だったが、大事なティーダパイロットだ。降ろされたとはいえ。
朝の薄闇の中、焼かれた隣のビルから煙がたなびく。「昼ならともかく、今は危険だ。状況はいくら君でも分かってるだろうが」
「僕が降ろされたの、知ってるでしょ」
「それでも、ティーダを動かせるのは君とマユ・アスカしかいない。ティーダとアマミキョに乗っている以上、君には責任があるはずだ」
案の定、ナオトの目は反抗的な光をたたえ始める。「ハーフを散々痛めつけてきたくせに、連合はハーフに頼るんですね」
怒るな、俺にもこんな時期があった──そう自分を宥めすかしつつも、広瀬はこの少年に対する苛立ちを抑えられなかった。「常識を言ってるんだ。ハーフかどうかなんぞ聞いてない」
ナオトはその言葉を無視し、ウィンダムの前で踵を返す。広瀬は思わず身を乗り出した。「おい待てよ! まさかお前、脱走とか……」
<広瀬! 作業中に何してる>ナオトを追おうとしたその時、伊能の声が割り込んだ。同時に、広瀬の背後からぬっと伊能のウィンダムが現れた。その後ろには、もう晴れやかな青空が広がっている。
「げ、伊能……大佐」危うく呼び捨てにしかかり、広瀬は慌てて敬称をつけ加える。その時にはもう、ナオトの姿は街中へかき消えていた。モビルスーツからでは、特定の人間一人を見つけ出すのはかなり難しい。それこそティーダの能力でもない限り。
舌打ちしたいのをようやくこらえながら、広瀬は伊能と通信を繋ぐ。「大佐、ナオト・シライシがつい先程までそこにいたんです。たった一人で、何やら思いつめているようで……」
「考えすぎだ、広瀬」伊能の答えは簡潔だった。「まだ14だぞ、祭りがあれば騒ぎたくもなるだろ」
不満が唇から爆発しそうになるのを抑えつつ、広瀬は冷静さを懸命に装って反論する。「貴方は楽天的すぎます。ハーフムーンでの事件を考えると、何が起きても不思議では……」
「だから言ってるんだ。少し気分転換が必要なんじゃないか? 船に閉じこもったままじゃ、ティーダにも周りにも悪影響だ」
瞬時に広瀬は悟った。伊能が、既にパイロットとしてのナオト・シライシに見切りをつけているということを。
アマミキョの守りの要であるティーダを散々勝手に使った上、相方であるマユを殺そうとまでしたのだ。本音を言うなら、脱走したいならさせてやれ、といったところなのだろう。勿論軍人である以上、そんなことは口が裂けても言えないが。
伊能がナオトを見捨てた背景には、インドから来るティーダの開発研究班とやらの事情もあるのだろう。もしマユが一人で十分ティーダを動かせるならば、ナオトはもうアマミキョから降りた方が良い──その方が本人の為でもある。そういった伊能の考えは、広瀬にも読み取ることが出来た。
しかし、何かが広瀬の脳裏で引っかかる。あの少年を放っておけば、ティーダにもアマミキョにも洒落にならない事態が待っているかも知れない。
直感のみで物事を判断することは広瀬が最も嫌う行為ではあったが、今はその忌まわしい「勘」に頼らねばならない必要を感じてもいた。

 

つづく
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