「今朝までここに住んでいた人たちは、今朝まで何も知らなかった。
自分の生活が壊されるなんて夢にも思わなかった人たちが、ここにはたくさんいたんです!」
コロニー中に、ナオトの大声が響き渡っていた。彼はティーダの外部スピーカーをオンにして、目の前のジンハイマニューバ2型、マユが言うところの黒ジンに叫んでいた。ここは宇宙だがコロニー内だ、少なくとも空気を通した音声は届くはず。
その間にも黒ジンは、再び斬機刀で襲いかかる。マユの指示が飛ぶ。その通りに手は動かし、口は全く別のことを喋っている。ティーダのトリケロスと黒ジンの刀が激突し、コロニーの空に鈍い金属音が鳴り響く。火花がナオトの眼前に散った。
「僕は昨日まで取材していたから分かるんだ。明日のバーゲンを楽しみにしていたOLさん、今日の夜の番組を楽しみにしていた子供たち!
今貴方が撃った喫茶店には昨日、一生懸命パソコンを修理していた男性がいました。お皿を割ってげんなりしていた店員さんがいました。隣のバーでは、本土で行なわれるサッカーの試合を楽しみにしていたユニフォーム姿の応援団が夜遅くまで騒いでいたんです!
彼らの誰か一人でも、貴方がたに今日襲われると想像した人がいると思いますか! いるわけないですよ!!」
滑舌のよい少年の、怒りに満ちた声が轟く。そんなナオトを見ながらマユは、相変わらず笑っていた。「お馬鹿なのその人たち、退去勧告聞いてないんだもん。バーゲンなんかやる店も馬鹿、ついでにナオトもバ……右ペダルもうちょい踏んで!」
ナオトは指示にだけは従った。トリケロスに刀が食い込み、ティーダのエネルギー残量が少しずつ減少していく。フェイズシフトに比べ消費電力を節約できるトランスフェイズ装甲を持つとはいえ、このままでは結果は火を見るより明らかだった。ナオトはそれでも叫び続ける。
「理由を聞かせてくださいっ、どうして僕たちを撃つんです!?」
一瞬、トリケロスからの手ごたえが途絶えた。コックピットを揺さぶっていた相手の刀の震動も消失する。ふとナオトが顔を上げた時、黒ジンから音声が聞こえてきた。同じように外部スピーカーを使用している。
<その声は子供だな? 何故子供がモビルスーツに乗っている!>あくまで冷静な、年配の男性の声だ。
ナオトはすかさず応答した。ヘリコプターとサイレンの音にかき消されるようなナオトの声ではない。「僕はオーブSunTVのレポーター、ナオト・シライシです。軍人じゃありません、本来貴方と剣を交えるべき人間じゃない!
今、後席には怪我をした女の子がいます。道を開けてください」
相手はそれに対し、ふっと笑ったような反応を返してきた。スピーカーごしでもかなり明確に分かる薄笑い。
<戦場で名乗りあいたぁ、再構築戦争以前でもそうそうやらんぞ>そして黒ジンも名乗りだした。ただし刀はそれ以上絶対に下がらない。<坊主、俺は元ザフト軍──現・傭兵部隊ヨダカ隊隊長ヨダカ・ヤナセ。これは勧告だ、通りたければまず武器を捨てろ、機体から降りるべし!>
思わぬ応答に、マユが脚までばたつかせて爆笑していた。「テロリストにも仁義があったんだ」この局面で何故弾けたように笑えるのか、ナオトには理解ができなかった。そういう娘なのか、彼女は?
黒ジンのトサカが眼前に迫った時、相手から通信が入った。よりクリアーな音声で相手の言葉が伝わってくる。アジア訛りのある親父の声。<坊主、今貴様が乗っているオモチャが何だか分かってるのか? 危険なんだよ、そのモビルスーツもあの船も!>
「アマミキョが危険ですか? ナチュラルや文具団が憎いなら、そうはっきり言ってください!」
<感情ではない、文具団の力が危険なんだ。何故ムジカが慈善目的などであんな船を手間ひまかけて造ったか、理由を考えろ!>
「広告塔ってことでしょうっ」アマミキョの船体を見た時、少々高めな宣伝費だとナオトも感じていた。が、広告というものは高くつくものだと勝手に自分を納得させていた。
<貴様は口達者なだけの馬鹿な子供だな、ムジカの危険性を知らん!>
黒ジンは機体の重量にモノを言わせ、ビームカービンを抱えた側の腕で思い切りトリケロスを弾き飛ばす。
いち早くマユは対ショック姿勢をとったが、ナオトは完全に無防備だった。機体が地に堕ちかかったが、ナオトは一瞬の判断でペダルを踏み込み、どうにかティーダの巨体を支える。しかし強い反動でベルトが食い込んでスーツの右肩口は裂け、ナオトは顔を思い切りコンソールに激突させた。唾と一緒に大量の血がパネル上に垂れる。唇の内側にかなり大きく傷を作ってしまったらしいが、それでもまだ声は出る。舌は切っていない。後ろを確認する、マユの傷は──まだ大丈夫だ。
「傭兵さんですよね。誰からの依頼か知りませんけど、社長の危険性を人に納得させるほうが先でしょ!」
叫ぶと同時に血の塊がパネルに飛んだ。唾と一緒に、生暖かいものが喉のあたりを流れて服に染み込んでいた。ナオトは一旦競り合いをやめ、一息に機体を後退させる。咄嗟にマユが後ろで機体を操り、トリケロスの先からビームサーベルが飛び出した。
盾から光の刃が突き出たことよりも、後部座席での素早い操作にナオトは驚愕していた。「そんなことも出来るの!?」
マユはにっこり笑いながら、手元のキーボードを操る。「ナオト変な顔ぉ。赤鬼だよ、鏡見たら?」
ナオトが操作したよりずっと早い機動でティーダの右腕が動き、黒ジンに斬りつける。しかし黒ジンは左肩に装着されたシールドで防いだ。対ビーム用にコーティングされた盾だ。なおも相手からの通信が轟く。<頼むから落ち着け坊主、大人はそばにいないのか>
「亡くなりましたよ、貴方たちに踏まれて! いったいどんな死に方をしたか教えてあげましょうか」
ナオトはジンの単眼を目の前に、相手に怒鳴りつける。その間に彼はコックピットの下を探り、SunTVウーチバラ支局へのチャンネルを開く。電波干渉による雑音は相変わらずだ。繋がってくれ──
「男性と女性一人ずつ、大人がいました。僕をいつもバックアップしてくれた人です。13歳の時から1年以上、ずっと一緒にいたんです。
それでもあの潰れた身体は、どちらがどっちかすら分からなかった。服の切れ端で、どうにか女性だと判断できたくらいです。
貴方がたのジンの脚で潰されたジープの中に彼らはいました。まだらの箱に見えました。潰れたジープの中で、人間だったものが平べったい箱になってたんです」
はっきりした言葉。これを感情と共に、なおかつ冷静に、ほんの数秒で喋る。それがレポーターの仕事だ。
マユが回線に響かないよう声をかける。
「こっちは任せてナオト、操作系の80%は回せるしハロもいるから」相変わらず呑気な口調だが、すぐ外では火花が輝いてコックピットも軋みだしている。
「ごめん、ちょっと我慢してて」その瞬間、支局への回線が繋がったことを示す表示が、モニターに現れた。
SunTVウーチバラ支局は現在、上を下への大騒ぎだった。
住民への避難を呼びかける放送が続いているが、局のスタッフたちは大部分がまだそこにいる。そして、騒動の中飛び込んできた通信に、スタッフはさらに仰天させられることになった。
<ウーチバラ支局、聞こえますか! こちらナオト・シライシ、現在リュウタン広場付近モビルスーツ内! ジンハイマニューバ2型の攻撃を受けています、聞こえますか!>
その間にも、支局の上空では出撃した戦闘ヘリの群れが轟音を放つ。
ナオトの言葉はなおも続く。
「二つの身体が一緒になってました。変な意味じゃありません、文字通りひとつだったんです。頭蓋骨は砕けて脳髄が噴出してましたが、割れた頭蓋の中に眼球が3つ見えました。多分、頭の中にもう一人の頭がめり込んだんです。カメラを持ったままの腕が、ひじのあたりで4センチぐらいの皮膚だけで繋がっていました。身体の大部分が車内に散逸していました。女の人の指が砕け散って、その破片は今、僕の胸ポケットにあります。
全部、貴方たちのジンがやったことです」
喋っている間に黒ジンの斬機刀がトリケロスのビームサーベルを振り払い、返す刀でティーダに襲いかかってきた。ナオトはまたしてもトリケロスでの防御を余儀なくされた。
黒ジンのトサカがさらに近づく。ハイマニューバ2型は通信機能が強化されていると聞く。おそらくこのトサカのおかげで、相手の舌打ちまでクリアに聞こえるのだろう。
<坊主、だからモビルスーツってのは危険なんだ。人と相対している自覚を失わせる。相手の機体が爆発しても命を奪ったという自覚はない、あっても慣れる。人を直接殺すよりその慣れは早い、代わりに人殺しの快楽もないがな>
「慣れって言葉、自分の行為をごまかすのに丁度いいですね。フーアさんたちは、生身だったんですよ!」
<諦めな! ここは戦場になっちまったんだ>
「納得できませんよ、もう戦争は終わったんです! 貴方がたの行為は、人殺しです」
<いにしえより何万回となく繰り返された禅問答をするな、聞き飽きた!>
この間に、操作系統がほぼ後部座席のマユに移った。勿論前部座席より能率は格段に落ちるが、マユの座席が上方にスライドし、後部からでもモニターで全周が見渡せるようにはなる。ナオトが待ってくれと声を出そうとした時にはもう、マユは後部のペダルを踏み込んでいた。
相手の声はまだ響く。こちらの動きに気づいたのか、体勢を整えている反応が通信からも分かる。
<残念だな。言葉の脅しもその程度か、オーブのチビ助レポーターさんよ。
ってか貴様はコロニー外へ吸い出される人間を見たことがあるのか!
護る側がビームサーベルはやめいっ>
「ありゃりゃ、敵に指導されちゃったよ! そっちだってビームカービン使ってるくせにっ」マユは平気でビームサーベルを突き出したままの姿勢でティーダを動かす。トリケロスを一瞬だけ後ろへ傾ける、するとパワーのありあまっていた相手の刀が上に逸れた。
メインノズルを噴かし、ティーダの機体を一旦沈ませるようにしたマユは斬機刀の真下を信じられぬ速度で潜り抜け、壊れたビルの間を低空飛行するように走り出した。
「ダメだマユ、コロニーでビーム兵器はご法度」ナオトはまたも前方からの重圧に耐える。今度のは自分でやった動作ではないだけに余計キツイ。
「最小限度だってば、大丈夫!」マユはとても楽しげに、ティーダを自分の手足の如く慣れた手つきで操る。怪我のことなど忘れているかのよう──いや、最初から怪我なんて彼女には関係ないのか? ナオトはまだ操縦桿を握っていたが、先ほどまであった重い手ごたえがない。ほぼマユの側にモビルスーツの操作系統は移ってしまったのだ。
なんて冗談だろう。マユを守ろうとしてこのモビルスーツに乗ったというのに、彼女を運ぶことすら満足に出来ないとは。乗った時の啖呵は一体何だったんだ。しかも自分より彼女のほうが、明らかに操縦技術は上だ。まだ腕から血を流しているというのに。
テロリストが、自分の説得に全く応じないことぐらいは脳天気のナオトでも予想していたが、それ以上にマユのことは衝撃だった。
ティーダは巨体を走らせながらトリケロスと反対側の腕をさっと相手に向ける。瞬間、ティーダの腕に装着されていたドリル状のものが黒ジンに向かって飛び出した。反動で機体が揺れる中、モニターでナオトは武器を確認する──
ピアサーロック「グレイプニール」。有線式誘導の巨大クローだ。ワイヤーに繋がれた先端が一気に黒ジンの右に回りこむ。どうやらクローに仕込まれているロケットで軌道がコントロール可能らしい。
さきほどまでのナオトの喋りとトロい動きに、さすがの傭兵も油断して隙を取られたか。右腕のビームカービンにティーダのクローが襲いかかり、閉じたままのクロー先端が黒ジンのビーム兵器を叩き落した。「やった!」ナオトは思わず叫ぶ。
くぐもった怒りの呻きと共に、通信が遮断された。
ナオトの言葉および戦闘の状況は、生放送中のウーチバラ支局から避難中の住民たちのラジオ・携帯電話・その他使える限りの各種メディアに流されていた。電波干渉されているとはいえ、それほど影響は強くない。コロニー内部までならまだ電波は届く。勿論、アマミキョブリッジにも。
アフロの戦闘状況をモニターしていたサイは、突然飛び込んできたレポーターの少年の声に、一瞬耳を疑った。
「ナオト……生きてた!?」サイが思わず出した声は、自分でも驚くほどに安堵に溢れていた。激しい後悔と共に諦める処だった、まだ初々しい少年の命。それが今、ティーダと呼称されるモビルスーツに乗っている?
しかし、続くナオトの言葉で、サイたちは残る二人のテレビクルーの無惨な死を否応なく知ることになった。座席の下で嗚咽を続けていたヒスイが、ナオトの放送に遂にブリッジを飛び出す。隊長が怒鳴ったが、その他に誰も止める者はない。
「戦闘中に実況か」「避難民のこと考えろっての、吐く奴いたらどーすんだよ」「おい、第3と第8ゲートで騒ぎが」「後ろのジンはどうなってるの!」「ええいみんな、冷静になれ!」
ブリッジに怒号が響く中、サイは急いで回線を繋げる。しかし相手は目の前の状況に夢中なようで、アマミキョに応答を返さない。だが──
<現在、こちらリュウタン広場よりレポート中。テロリストのものと思われる機体は3機確認しました、うち1機は既に撃墜されています。爆撃によるコロニーの被害は、肉眼で確認したところこの広場周辺が最も激しく、コロニー外壁への影響が心配されます。港口から広場にかけての大通り沿いにまだ残っている皆さんは、落ち着いて付近のシェルターに避難してくだっ…!>
激しい金属音が響き、雑音で一旦ナオトの声が途絶えた。あいにくティーダの映像は電波干渉の影響で見えないが明らかに、攻撃を受けた衝撃音だ。
「ナオト! 戦闘中に阿呆な真似するなっ、死ぬぞ!」サイは叫ばずにはいられない。一体何をおっぱじめたんだ。正規パイロットはどうした?
<失礼しました! リュウタン区画13から28までの区域の被害が最も著しく、4割のビルが倒壊し、火災やガス漏れが発生しています。犬が逃げ回っています。道路が砕けています。昨日の夜までネオンで輝いていた看板が、瓦礫になっています。
軍による救出活動が間に合っていませ……ちょっとそこの人たちっ、何で足もとにいるの早く逃げて、その絵が大切なのは自分にも分かりますが今は逃げて!>
なんという馬鹿な子供だろう──サイだけでなく、その場にいた全員が思った。モビルスーツに乗る戦場カメラマンの噂なら聞いたことはあるが、モビルスーツに乗る戦場レポーターだと?
<上空太陽光ブロックにも警戒して下さい。それから爆撃地点では空気漏れが発生する危険があります、絶対に爆撃地点には近づかず、落ち着いて軍の誘導に従って下さい>
リンドー副隊長が相変わらず笑っている。「多少は分かっとるようだな。外壁から第2防壁への部隊がまず侵入、数十秒後に外壁破壊の陽動部隊、また数十秒後に太陽光ブロックへの侵入が始まる。コロニー攻略の正攻法だ……当然このケースじゃ勝手が違うが」
「既に本隊はいませんよ。アマクサ組が処理した」社長が、モニターいっぱいに戦闘を続けるアフロディーテを顎で示した。もう敵の後続部隊が集まっている。新たに集ってきたモビルスーツは、型式番号GAT-04、ウィンダム。ジェットストライカーを装着した、大気圏内飛行が可能なタイプ、これが5機。
イザークは突如として現れた紅い機体のパイロットとすぐさま通信を開いた。そして驚愕の事実を知る。
「敵艦がいないだと!?」通常、モビルスーツ部隊は母艦なしでは行動できないはずだ。のっぴきならない事態にイザークは心中でのけぞったが、目はあくまで向かってくるウィンダムを警戒している。
<慌てるなザフトの隊長殿、肉眼で見えなかっただけの話だ。レーダーに映らん、熱紋照合不能、電波妨害はある……これだけの条件が揃えば答えは分からぬか?>
イザークの手元の通信画面には、相手の姿もかなりはっきりと映し出されていた。イザークは思い出す──
2年前、まだ自分がストライクを仇として追い回していた頃に、この紅毛の女とは会ったことがある。
ウィンダムがアフロに発砲する。紅の機体は走る光を巧みにかわし、巨大翼の推力を生かしてウィンダムの足もとに回りこみ、一気に接近戦に持ち込んだ。
宇宙空間において上下の区別はないが、モビルスーツに乗っているとどうしても足元がお留守になりがちである。パイロットが人間である以上それは人間の感覚として当然のことであるが、紅い機体はその特性を存分に利用し、ウィンダムの下方に積極的に回りこむ戦法をとっていた。
しかも今、敵は仲間を一瞬にして撃墜され、逆上している。感情の昂りは必然的に隙を生み出す。よって、足もとから股間に向けて攻撃を喰らうという事態も発生する。さっきのダークダガーLのように。
「やはり、ミラージュコロイド艦?」イザークとアフロディーテパイロットとの通信を聞きながら、サイは呟いた。
社長が手をたたく。「この国にわざわざそんなもんを駆り出すとは、連合もよほど資源が足りないと見えるね」
その時、ブリッジから出たはずのカズイが飛び込むようにして戻ってきた。しかも女連れで。
サイは横目でその二人の姿を確認し、舌打ちをしそうになる。アムル・ホウナ──さっき母親と騒ぎを起こしていた女。
「住民の避難状況がえらいことになってる! あんなに船に乗せて大丈夫かよ」カズイが叫んでサイのもとに駆け寄る。
「カズイ気持ちは分かるけど、今ブリッジの状況を」サイは周囲に聞こえないようカズイに忠告をしたつもりだったが、トニーの怒号にかき消される。「ブリッジには要員以外入れるな! ってかバスカーク、貴様も入るな!」
アムルが負けずに怒鳴りだす。「失礼ね! 緊急事態だからこそ一般クルーも知る権利があるの、船内や港口の騒動を知ってるの!?」
さらにサキが言う。「そうだよ、だいたいブリッジクルーが大勢怪我してんだ。少しでも使える奴は入れろっての」
その時、またしても大きな揺れが来た。金切り声と怒鳴り声が交錯し、各所で異常を示す赤ランプが明滅した。ベルトをしていなかったサキとアムルとカズイの身体が宙に舞う。
避難状況を見ていたディックが悲鳴混じりに叫んだ。「宙港区画第12ブロック、大破! 警報レベル、7へ移行!」
すぐにモニターに港口の状況が大写しにされる。宙港を構成するブロックのあちらこちらで火花やスパークが発生し、一部は黒い煙と共に真空の宇宙へと砕けていく。「避難民のすぐ近くじゃないっ!」身体を支えながら、アムルが叫んだ。
幸いなことに、爆発が起こったのはアマミキョが停泊している発進口とは相当離れた場所だったが、それでも4重の隔壁に穴が開き、1気圧差の宇宙へ空気が漏れ出していた。ノーマルスーツを着用した整備士たちが空気の奔流に飲まれ、真空へゴミのように投げ込まれていく。思わずサイは拳を握り締め、呟く。「ティーダ、カラミティ、何してる? 応答をくれっ」
「まずいねぇ、そっちに侵入されてたか」社長がちっともまずくなさげな様子で腕を組んでいた。
「ジンでは小回りが効かんから、せまい港口ではさぞかし動きにくいんだろうよ。だから侵入速度も遅い、迷子にもなる」リンドー副隊長は顎をかきつつブリッジ全体を眺める。
「奥の弾薬庫にちょっとビームが当たれば、港全体が消滅しますからね」カズイが訳知り顔で副隊長の言葉を補足した。途端、サキが顔を蒼白にして振向く。「バカっ、何アホ言ってんだお前!」
「オサキちゃん、静かに」サイはモニターを注視しながらも、嘆息したい気分だった。カズイの発言で場が異常に緊張したのは確かだが、注意を促したつもりであろうサキの怒号で混乱が倍加している。
サイは横目で社長と副隊長を確認する。無責任なのか余裕なのか、彼らは特に何の指令も出さず、まだ悠然と席に腰掛けたままだ。
「ちょっと、コロニー壊れちゃうってこと?」「内側からのジンの攻撃だ、大穴が開きかけてる」「防衛はどうなってんだ、対空ビーム基地は!?」「もうとっくにやられたって、管制から連絡が」「ザフト野郎め、俺らに何の怨みがあんだよっ」
加速する混乱に追い討ちをかけるように、ディックが叫んだ。「ザフトとは限らないだろ、ナチュラルの分からず屋! 外から攻撃しているのは連合だ!」 彼に加勢する声も響く。「そうよ、さっき守ってくれた人だってザフトでしょ」
外を映し出しているモニターでは今まさに、連合の新型量産機のウィンダムがビームを港口に浴びせんと攻撃をかけている。アムルが身を乗り出し、カズイにわずかな非難の目を向けた。「連合って……さっき貴方、ザフトのゲリラって言ったじゃない」
カズイは彼女に見咎められ、身体を縮こまらせる。「すいません僕にも理由が分からない。でもあれも、ザフトかも知れませんよ」
「どっちでもいい、どっちもウーチバラを荒らしてんだよ!」強制的に場を治めようとするサキの声が轟いた。
「いい加減にしてくれ……」サイは戦闘状況を見守りながらも、手で額を押さえずにはいられない。
「統制が必要か」ストライク・アフロディーテのコックピットで、フレイ・アルスターは冷酷に呟いた。回線が繋がったままのアマミキョブリッジから、喧騒の様子が漏れ出してくる。そこへ、イザークのザクファントムから再び通信が入った。
<貴様、ラウ・ル・クルーゼを知っているか?>
コロニーの太陽光ブロックへ向かうと思われるウィンダムが3機、空域から離脱する体勢に入っていた。フレイはすかさず背中のレールガンをぶっ放す。勿論、コロニーには当てない角度で。ウィンダムは左右に大きく展開したが、そのうち1機がまともに閃光の犠牲となり、火球と化した。
「C.E.70年2月22日世界樹攻防戦に参加、モビルアーマー37機戦艦6隻を撃破しネビュラ勲章受章、6月2日グリマルディ戦線で、連合第3艦隊を壊滅させる。71年1月25日、連合の最新機動兵器奪取目的でコロニー・ヘリオポリスに侵攻。9月27日、ヤキン・デューエにて戦」
輝くコロニーを背景に流れていくザクファントムを横目で見ながら、フレイは早口で呟いた。
<違う、貴様は会ったことがあるはずだ! 自分は貴様の顔を知っているっ、フレイ・アルスター!>
馬鹿にしたような棒読みの相手にキレたか、イザークは回線が裂けんばかりに怒鳴りつけてきた。フレイはその時ほんの少しだけ、相手の言葉に興味を示す。「そうか。私はどんな女だった、イザーク・ジュール?」
<ハァ!?>狼狽の声が響き渡ったが、フレイは畳みかけるように続けた。「頭の悪い奴だな。単純にお前から見た印象だけを言えばよい、愛人か、奴隷か、それともただの少女か」
<その全部だ!>
フレイの、薄く紅のひかれた唇に含み笑いが浮かんだ。彼女の瞳には、コロニーの外壁を流れるように飛んでいくウィンダムがしっかり映っている。そのうち1機は、さっきレールガンの火線をナチュラルとは思えぬ速度でよけた──
<俺忘れてないぜ、あんたのことっ>間髪いれず、ザクウォーリアのディアッカから通信が割り込んだ。<忘れられないよ、ありゃ>
「お前には聞いていない、無礼な割り込みをするな」
<そっちこそ無礼じゃねーの? 助けてもらったのは感謝する、でも俺らはそもそもあんたらがモタモタしてっから>
<ディアッカ! 口が過ぎるぞ>イザークの怒鳴り声が心地よくコックピットに響いた。
<ハイハイ……だけどフレイだっけ、あんた確か……うわっと!>ザクウォーリアが危うく左側からウィンダムの砲撃を喰らいかけ、オルトロスを撃って相手を避ける。
<奇跡って結構起こりうるもんか!
にしても随分変わったな、今のあんた見たらキラやサイが驚くぜ>
「ミリアリアも、だろう?」
一瞬、ザクウォーリアの動きが鈍くなる。そこは軍人、さすがにウィンダムの火線を防げぬほどの狼狽ではなかったが。
「なんだ、振られたのか?」フレイは無遠慮に言い放ちつつ、エネルギーゲージの残量を確認した。
<平気で傷口えぐるのは昔と一緒かよ!>
<貴様ら、楽しげに戦闘するんじゃない! エレカ(電気自動車)の運転でももう少し警戒するぞっ>
「ジュール隊長こそ気をつけろ、あのウィンダム!」
フレイが注意を払っていた1機のウィンダムは、輝きを放つコロニーのガラス面のあたりを蛾のようにウロチョロしつつ、コロニー側の対空ビームを易々とかわす。コロニー外壁の至近距離ゆえ、思うように長距離ビームなどの攻撃ができないフレイたちをあざ笑うかのように、そのウィンダムはあっという間にコロニーの太陽光採取ブロックの壁面を破った。
雪のように真空へ舞い散るガラスの破片の中を突入していくウィンダム。その光景はフレイの眉間に皺を寄らせたが、それもほんの一瞬だった。
「そちらは任せたジュール隊長、私は港口へ戻りアマミキョを守る!」
言い終わらぬうちにフレイはアフロディーテをターンさせ、最大戦速で港口へ戻っていく。イザークとディアッカの怒声がほぼ二人同時にフレイを追った。<待てよ紅いお嬢様、コロニーが!><敵前で逃げるかっ>
「エネルギー消費が激しい、突入のち戦闘状態に入れば3分で活動限界だ」
フレイはコンソールパネルの横のエネルギーゲージを睨む。既に赤い警告表示が明滅している。
ゲッ、と呻くディアッカの声が回線から漏れた。<その装備だな。軽々とよくここまで動かしたものだ>これはイザークの声。
だがフレイの表情は、全く焦りの色を見せてはいなかった。状況を楽しんですらいるように見える。「心配するな。開闢神の名を持つ船を汚す不届き者、この手で黄泉の国へ落とす!」
フレイの声がサイの回線にも届き、カズイが横から囁いた。「本当に、二重人格だ」
勿論、カズイがこんなフレイを見るのは初めてである──彼女の生存はサイが既に話してはいたが。
後ろではリンドー副隊長がトニー隊長に指示を出すという、奇妙な光景が続いている。「ハラジョウからカタパルトに整備士を待機させろ、それからエネルギーパックを用意だ」
ハラジョウとは、既にアマミキョ船内に収納されているアマクサ組の小型移動艇だ。そこにはアマミキョの整備班ではない、専任の整備士が待機している。
相変わらず社長は、呑気に脚まで組んでいる。「最大戦速でコロニー反対側から飛んだからなぁ、無理ない」
サイとカズイの横に寄ったままのアムルは、強引に身を乗り出してモニターを眺めていた。「ね、母の居場所分かる?」
頭の中で彼女を「非常識」のカテゴリに放り込みそうになる衝動を抑えつつ、サイは正直に告げた。「混乱を見てきたでしょう、分かるわけないですよ。すみません、何せまだ3820人が残ってますから」
アマミキョ収容可能人数はとっくに超過しているが、未だにコロニー内のシェルターにも船にも避難していない人々がこれだけいる。「救助艇が軍から出ます、船外区画第3班ワイヤー準備お願いします」マイティの、ややヒステリー気味の放送が該当区画に響く。
チラリとサイを見下げつつ、アムルは呟いた。サイにだけ聞こえるように。「やっぱりナチュラルね」
サイは気にしないことにした。コーディネイターも多いブリッジ組の中で、ナチュラルというだけで馬鹿にされるのは今に始まったことではない。
勿論その言葉はカズイには聞こえず、彼はサイに急かすように言った。「お母さんとはぐれちゃったんだよ彼女。まだ宙港区画にいるはずだ、第5ゲートあたり。回線あるだろ、探せないかな」
サイは思わず声を荒げる。「バカ言うなお前、見つかるわけない!」
アムルがさっさとコーディネイターのディックのもとへふわりと流れていくのを横目に見つつ、サイは小声になる。「お前も見ただろ、彼女は家を捨てた。今更母親をどうする気だ」
カズイは反論した。「だとしても、心配には違いないよ」
その間に、アムルの依頼を受けたディックが、凄まじきタイピング速度でモニターを次々にチェックしていった。勿論、それまでの業務は継続しながら──コーディネイターならではの神業だ。
宙港区画内はどこも人々の山でごたごたになり、中には既に回線が切れている場所もある。
誰が誰だかなど分かろうはずもないと思われたが、その時──
どこからか、バイオリンの音色が流れてきた。
Ich ging mit Lust.
マーラーの"緑の森を楽しく歩いた" 再構築戦争前の、旧世紀時代の名曲だ。
ゆっくりと目覚める春の森を思わせる素朴なメロディーは、このコズミック・イラの時代になっても失われることなく弾き続けられている。
それは、避難民たちの中から回線を通じてブリッジまで届けられた音だった。コーディネイターの名演奏家の手によって奏でられる音階。その音色は不安に怯える人々を、少しの時間ではあるが和ませていく。
アムルは一瞬、かすかに不快そうな表情を見せて顔を上げる。だが、この時彼女の顔を正面から見つめたとしても、おそらく誰もそれが不快の表情とはわからないだろう。ディックの得意げな声が響いた。「いましたよ、ミヨシ・ホウナさんでしょ! 第26救助艇の桟橋だっ」
シェルターが確保できなかった避難民が続々と詰め込まれていく宙港区画の一部が、モニターに映し出された。80台ある救助艇に乗り込もうという人々がごったがえし、一部では暴動も発生していたが、バイオリンの調べが流れている区画ではそれほどの混乱はないようだ。
やや映像に乱れが入るモニターの中心に、バイオリンを弾き続けるアムルの母──ミヨシ・ホウナと、バイオリンのケースと荷物を持ちそばに控えるアムルの婚約者が映し出される。幸い、重力制御が働いているらしい。
サイは感じた。娘に届けられる母の音階だ。混乱する人々を和ませようとしているのではなく、たった一人の娘を思っての音色だ。
ふとアムルを見ると、彼女は映像を見ていられないというように視線を逸らし、手を胸の前で組み合わせている。
「こんな呪いで、人を縛って」 彼女の唇から呻きが漏れる。
大抵の人間はこのアムルの姿を見れば、普通に母の身を案じる娘と思うだろう。しかし、サイの中で何かがひっかかった。
冷静すぎる。
そしてサイは再び思い出してしまう。父親を目の前で失ったフレイ・アルスターの狂乱ぶりを。
フレイのあの絶叫を間近で聞き、後の変貌ぶりを目の当たりにした挙句自分の人生まで大きく変えられたサイとしては、今のアムルの態度が冷酷にすぎる気がした。
フレイが異常だっただけなのか。あの時フレイはまだ15歳で、アムルは確か25歳。大人だ。
大人が親の危機的状況を前にした時というのは、こんなものなのか?
「ちょっと待ってっ、冗談でしょ!?」
戦闘を続けるナオトの眼前で、オーブ軍の戦闘ヘリのうち数機が一条の火線のもとに叩き落される。上空に生まれた火球、その向こうから現れたものは、ジェットストライカー装備のウィンダム。ザフトのみならず連合の量産機から攻撃を受けてるってのか、しかも今度は空から。
炎に包まれるウーチバラ上空を舞うウィンダムは2機。そのうち1機は次から次へとオーブ軍ヘリを、ハエでも叩き落すように粉砕していく。落とされるヘリによって、さらに被害は拡大していく。
<坊主、災難だな。奴ら、コロニーへの被害っての考えてやしない>ヨダカの音声が、ナオトのモニターから再び漏れた。マユの機転によりビームカービンを叩き落し、バーニアを噴かして全速力で逃げたティーダだったが、黒ジンはなおも追ってくる。
「何で連合まで、ここを撃つの」
「社長の人徳だって、フレイが言ってた。ちょっと目立つけど、飛ぶよ!」
大通りに出たティーダは再びバーニアを噴かし、低空飛行を始めた。血液が全て背中に回るような圧力がナオトの身体に来る。魂が半分がた持っていかれるというのは、本当だ。
開いたままの回線から、SunTV支局からの通信が入っている。
「もうすぐウーチバラ支局だ、どうにか連絡つけてスタッフの人たちも避難させて──」
その時、爆光がティーダの行く手を遮った。ウィンダムの空襲だ。
ナオトの心が逸る。あの先には支局がある。回線からは、スタッフが混乱しながらもなお、放送を続けようとしているのが聞こえる。ナオトの実況まで電波に乗せてくれた、優秀で無謀なスタッフたちだ。
これ以上、大事な人たちを失うのは嫌だ。フーアもアイムも失った今、支局までがなくなったら自分は何処へ帰ればいいのだ?
「皆さん、感謝します! でももう危ない、早く逃げて、お願いしますっ」
ナオトは空を舞うウィンダムを、目から血が出るほど睨みつけながら叫ぶ。支局の、かなり目立つ「SunTV」の碧いロゴのついた巨大な看板、そして真新しい卵色の建物はあの下のはずだ。
回線から響く女性の声は、明らかに空襲に怯えていたがナオトを懸命に呼び続ける。ナオトもそれに応え、出来うる限り状況を伝えていたが、その時上空のウィンダムの翼──ジェットストライカーから、空対地ミサイルドラッヘASMが地上に向けて発射された。
再び閃光が一帯を支配した瞬間、支局からの音声が、激しい金属音や悲鳴と共に途絶えた。
相変らずバイオリンの音が響く中、突然別回線から轟いた少年の絶叫がアマミキョブリッジの空気を切り裂いた。
ナオトだ。サイは急いで呼びかけるが、相手は意味不明の言語を叫ぶばかりでこちらの声は聞こえていない。
「ティーダのそばだ、TV局がやられた」副隊長が社長に目線を送った。社長の組まれた脚が元に戻り、欠伸でもしそうだった表情が急激に引き締まる。
まだティーダは健在だが、ハイマニューバ2型とウィンダムが2機迫っている。ナオトの心情を思い、サイはコンソールパネルをぶっ叩いた。
たった14歳の少年が、一瞬にして同僚を全て失ったのだ。しかも、目の前で。ナオトの、もはや意味をなさぬ叫びがサイの心臓をえぐる。
一方で、砲撃の音が徐々に近づいてくる。侵入したジンが港口内部で暴れているのだ。アマミキョの揺れも激化する。オーブとチュウザンの合同軍が既に出動していたが、港口にいるのは作業用のアストレイM1が大半だった為、ジン1機に苦戦しているという状況だ。
「ね。今ジンとあそこ、どのくらい離れてる?」アムルがモニターの母を指し、ディックに尋ねた。演奏中の母の姿を凝視しながら、アムルの横顔は依然として動かない。「お願い──」
──ジン、撃って。
信じられない呟きを聞いたような気がして、サイは思わずアムルと、その横のディックを振向いた。
サイとアムルの視線がかち合う。ディックは何も気づかず、状況をまとめようと苦慮している。勿論、サイのそばのカズイも気づいてはいない。
気のせいだ。サイは必死でそう思おうとする。俺がおかしいんだ、いくらなんでもそんな母娘がいるはずがない!
一瞬、怪訝そうな表情を浮かべてアムルはサイを見る。しかしすぐに心配げな色を瞳に浮かべ、彼女はまた母の姿に視線を戻した。
聞いてはいけないことを聞いた。見てはいけないものを見た。
サイはそんな気がしてならなかったが、状況はそんな人々の思惑とは全く関係のない方向へと転がっていく。
「ナオト、帰れなくなっちゃったねー」マユは笑って前部座席のナオトを覗き込む。
何故、笑える。何故、この状況で。
ナオトの絶叫は、虚しく炎の中へ消えうせていく。かつてTV局だった建造物が、真っ黒な瓦礫となって燃え落ちていく光景を前に、ティーダはただ立ち尽くす。
何もできなかった。モビルスーツに乗りながら、レポーターという職業についていながら、フーアさんもアイムさんも、支局の人たちも、誰も助けられなかった。濁流に飲まれていく他ない自分を痛いほどに感じながら、ナオトはうつむいたまま、膝の上に涙を落としていた。
身体中に激痛が走る。胃の内容物が喉までせりあがっていたが、どうにか飲み込んだ。半分ナチュラルの身では、所詮これが限界なのか。
敵接近の警告音がけたたましく響いていたが、ナオトは何もかもがどうでもよくなりかけていた。
呻くこと、叫ぶこと、泣くこと、そして──同僚の後を追うこと。そんなことしかできないのか、僕は。フーアの指が、ポケットの中で静かに揺れる。
<ナオト。ナオト・シライシ! 大丈夫か、応答をくれ!!>
聞き覚えのある声に、思わずナオトは顔を上げる。コンソールパネルのディスプレイ上に、アマミキョからの画像が映し出されていた。眼鏡の青年の、心配げな表情が見えた。
ナオトの顔を回線ごしに見たであろう相手が、一瞬息を飲むのが分かった。よほどひどい顔をしていたんだろう、実際唇からはまだ血が滴っている。だが、相手の青年──サイ・アーガイルはすぐに気を取り直して通信を続けた。その背後から流れている音楽は何だろう?
<良かった。ずっと応答がなかったから、心配だった。
君が無事でいてくれて、俺は嬉しい>
「違う、僕は無力です。何もできなかった、誰も助けられなかった、今だって囲まれてっ」あとは嗚咽にしかならない。マユは後部座席でコックピット脇のキーボードを操っている。シャコンと乾いた音と共に、ミニサイズのディスプレイが飛び出した。
<そんなこと、ない>サイのしっかりした口調が、ナオトの胸に意外なほどの強さで響く。<君たちの誘導のおかげで、港口付近の居住者はほぼ9割避難完了したんだ。君たちがいなければ、君の声がなければ、この人数は助けられなかった>
回線の向こうで爆発音が轟く。画像が一瞬乱れ、サイの表情も険しくなりかける。しかし彼はすぐに笑顔になり、ナオトとの通信を続けた。明らかに、ナオトを励ますための作り笑顔だったが──
今のナオトには、笑顔を作ってくれるだけの思いやりが、嬉しかった。異常極まりない状況の中での普通の笑顔と強い言葉が、嬉しかった。
<こっちは大丈夫、心配するな。必ずティーダと、マユ・アスカをアマミキョに帰還させるんだ。いるんだろ、彼女>
ナオトは後ろのマユをそっと振り返る。と、ハロがマユの脚の間にあるコンソールに飛び乗った。そこにはちょうどハロが乗れる──というよりも、ハロが乗る為であろう電極つきの円形の窪みがあった。ハロの上部の蓋が開き、マユが同時に、ピアノを弾くようにキーボードを操り出す。ハロ内部のディスプレイに、凄まじい速度で文字列が流れ出した。
「ちょ、何するんだマユ!」
「囲まれてるってば、上と後ろから」上空には2機のウィンダム、後方にはハイマニューバ2型の状況に変化はない。尤も、ウィンダムとハイマニューバ2型がお互いに牽制し合い、ちょうど濃い黒煙に隠されたティーダは今の所攻撃を受けずにすんでいる。さらに後方から、味方であるソードカラミティの機体も肉眼で確認できるまでに接近していた。
<泣くなよ、ナオト。君の帰る場所はまだある、この船に>回線の向こうで爆発音が轟き、女性の悲鳴や絶叫まで聞こえてきたが、サイは唇を噛みしめつつ笑顔を作る。軽く親指まで突き出してみせるサイを見て、ナオトの全身に再び、熱い波が蘇った。
この人まで、死なせてたまるか──!
心にそう念じた時、後部座席でマユが叫んだ。「ナオト聞いて、黙示録を使うっ!」