──早く来て、シン! この子、まだ息がある! 救急セットを!
──嘘だろ……おい、こんな血まみれでか!?
──海水は飲んでないみたいね。あ……待って、肋骨が折れてるみたい! ごめんね、痛かった?
──ルナ。気絶してんだ、聞こえるわけないだろ?
──気持ちの問題よ。可哀相に、こんなにぼろぼろになって……あぁ、傷に潮水しみてるし! 早く洗浄しないと!
──まーた始まったよ、ルナの病気が!
──ヴィーノ、うるさい! 口じゃなくて手を動かしてよ、何の為にアンタたち呼んだと思ってんの!
──おい、何だこれ? よくラクス・クラインが持ってたハロかな? 元は真っ黒だったみたいだが。
──海水か何かで塗装がはげたかな? こっちも負けず劣らずボッロボロだなぁ。
──もしかして、この機体のコアってことは……ありえないか。
──そんなことはない、ヨウラン。どんな些細なパーツでも見逃すな! 特にこの機体のものは。
──全く、……命令された時だけ、うるさいんだからなぁ。
──シッ、聞こえるぞヴィーノ。
──あ、レイ! そっちの連合機のパイロットはどうだったんだ?  ……ん……そうか、了解。
──手の施しようがなかった。すまない。
──お前が謝ることじゃないよ。それにしても、こんな子供が血まみれで海を漂流って……この怪我だって、乗る前からもう傷だらけだったみたいだ。一体、あそこで何があったんだ?
──とにかく、全部まとめて艦長とヨダカ隊長に報告よ。……もう大丈夫、大丈夫だからね。すぐに助けてあげるから!



 


PHASE-31 北チュウザン解放作戦




南チュウザンのタロミ・チャチャが突如、国境を破り北チュウザン領海内への侵攻を開始したというニュースは、瞬く間にアマミキョ及びその周辺地域にも飛び火して燃え広がった。
不吉な夢を見てから、わずか3日後のことだった。サイはザフト軍に加え、南チュウザン軍の侵攻ルートを考慮に入れて住民の避難計画を実行せねばならなくなり、おちおち眠ってもいられない日々が始まった。
南チュウザン政府は度重なるテロで弱体化し、内部でも激しい政争が起こっている。軍が南チュウザンとザフトへの対応をするので手一杯で、とても住民の避難にまで手が回る状況ではない。必然的に、アマミキョと山神隊が住民の避難を一手に引き受けることになってしまっていた。
「もう南方の、イシガキやイリオモテでは連合と南チュウザンの戦闘が始まってる。避難民は今まで以上に集まってくる、可能な限り受け入れてくれ」
今もブリッジで、サイはオサキたちや各ブロックリーダーに、懇願に近い形で指示を続けていた。「各地域からの退避ルートはこんな感じだ」
サイはモニターに、オサキとヒスイとの3人でほぼ徹夜で作成した地図をその場の全員に表示してみせる。左曲がりの茄子のような形の北チュウザンの島──その中に、赤と青に色分けされた矢印が幾つも幾つも描かれていた。下方には北チュウザンより少し大きめの、南チュウザンの島々が描かれている。
「今のところ、南チュウザン軍の本隊は西回りのルートをたどっている。おそらくザフトもジブラルタル経由で西から侵攻してくるから、西側のトミグスク、ウラソエ付近の海は三つ巴の戦いになる可能性がある。ここは絶対に回避して、北東のウルマの港を目指してくれ。特に南西部にいるブロックは、住民をかき集めて大至急避難だ」
アマミキョは分離機構を備えた救助船だ。この危機に先んじて、サイとトニーはアマミキョを可能な限り北チュウザンの各地域にブロックを分離させ、避難活動を行なっていた。まさにこれが功を奏し、アマミキョは比較的効率よく避難民の救助に当たることが出来ていた。島の南西部に避難用ブロックを多めに配置しておいたのは、不幸中の幸いというべきか。
それにしても、チュウザンにオーブとほぼ同時期に地殻変動が起こっていて助かった──不謹慎かも知れないが、サイはそう思わずにいられない。もし地殻変動が起こっておらず、北チュウザンの大地が旧日本の琉球と同じ面積だったとしたら、とっくにここは南チュウザンに踏み込まれていたに違いない。
「ザフトはともかく、南チュウザン軍の西回り部隊が陽動だったら?」「そうだよ、もし東回りで大軍に来られたらどーすんだ」
クルーから疑問の声が上がったが、サイは冷静だった。「島の南東部を中心に、連合が艦隊を展開させている。本隊が万一東回りだったとしても、多少は時間稼ぎをしてくれるはずだ」
「うわ、山神艦長に聞かれたら怒られそう……」オペレータのマイティがふくよかな唇を尖らせる。
「山神艦長ご本人がそう仰ってたんだよ。ともかく、連合軍や山神隊が頑張ってくれている間に、俺たちはウルマに避難民を集めるんだ」
「何でウルマなの? もっと北にも港は……」
「ブレイク・ザ・ワールドの影響で、未だにウルマより北の港湾施設は回復していない。ウルマが使えるようになっただけでも、幸運だったんだ」
「あとさ、ザフトの基地はカーペンタリアにもあるんだろ? そっちからも来たらどうする?」
「それはない。カーペンタリアの部隊は、オーブ用に残してあるはずだ。ザフトにしてみれば、オーブにいるジブリールが第一の目的だからね。
万一カーペンタリアから来るとしても、位置的に考えてまず攻められるのは南チュウザンだ。ここじゃない」
次々と上がる疑問に、サイはてきぱきと答えていく。あくまで可能性、推測にすぎないことだらけだが、それでも皆を安心させる為に、サイは落ち着き払い、時には笑顔さえ見せていた。
「もし、もしもよ、ウルマが駄目になったら?」
「考えたくはないけど、それは恐らく、南チュウザンかザフトがこの島を完全掌握した時だ。
ウルマは山神隊が死守するから安心しろ……伊能大佐のお言葉だよ。
ザフトが直接ウルマを叩きに来ないとは限らないが、西の本隊よりは手薄だろう。それに、ウルマにザフトが来ると考えた場合、ザフト側の時間的ロスも大きい。
だからその間に、俺たちはみんなを連れて逃げるんだ。最悪の場合、ウルマからオーブへ脱出するルートも確保してある」
オーブへの脱出と聞いて、皆がしんと静まってしまった。ユウナが幅をきかすオーブへ? あろうことか、ジブリールを匿ったっていうオーブへ? ザフトに攻め込まれる可能性のあるオーブへ? そもそも俺たちまで攻められるハメになったのは、半分ぐらいオーブ政府のせいだってのに?
何も言わずとも、クルーの顔が雄弁に文句を言っていた。
「皆、そう不安そうな顔をするな! オーブが駄目でも、アークエンジェルがいるじゃないか! 心配はいらん!!」
トニー隊長が例によってガハハと笑ったが、サイは勿論引き攣り笑いしか出ない。冗談か本気か知らないが、今のオーブよりよほど危険な奴らをアテにしてどうする。案の定、皆が笑わないのでトニーは小さくなるしかなかった。「……すまん」
サイは気を取り直し、続けた。「そんな事態になる前に収束するよ。もう、戦いなんてみんな嫌なんだ。
被害が大きくならないよう、出来るだけ住民を保護する──みんなはそれを最優先に行動してくれ」


トニーに連れられ、サイは午後から工場の稼動状況を見る為外出した。
昨日のスコールが信じられないほどの、からりと晴れた青空。湿気を含んだ大気はいつでも身体にまとわりつくが、もう慣れた。その分、たまに来る風が心地いい。
ちょうど季節なのか、農場のヒマワリ畑は満開だった。その膨大な黄色の花弁は青空の下、素晴らしい自己主張をしていた。
「大分、君も焼けたもんだなぁ! 私ほどではないが」笑いながらトニー隊長はサイの肩を叩く。
「毎日毎日4つも5つも工場と農場回ってたら、そうもなりますよ。サラリーマンの営業みたいです」
「しかしおかげで、薬と食糧は予想以上に確保出来た。あとは電気の問題だが、今日の備蓄ガス工場の交渉がうまくいけば、何とかなるだろう」 トニーが喋るのをよそに、サイは砂だらけの道端ではしゃぐ子供を眺めた。
最近、子供たちはサイに気づくと「算数のお兄ちゃん」と言って慕ってくれるようになった。最初はアマミキョに否定的だった親たちも、だんだんとサイたちクルーに好意に近い感情を見せるようになってきた。
解体作業の後、炭で焼いた豚肉をごちそうしてもらったこともある。味噌をかけて葉っぱでくるんで焼いたあの肉は、サイの人生のうちでも全く経験がないほどの美味さだった。
「サイ君。最初は大変だっただろうが、君も本当にここが好きになってきたようだな!」トニーに言われて、サイはふと胸をつかれた。
彼の言うとおり──ずっとこの国にいるうちに、サイはそこはかとない愛情に似たものをこの地に感じ始めていたのだ。
フレイと再会したこの街。ずっと錆びついたままだった俺のネジが、再び動き始めたこの街。失っていた涙を取り戻したこの街。愛する者を抱きしめたのもこの街だった──
「そうですね……オーブ以上に親しみを感じているかも知れません。
そりゃ、最初は殴られるわ蹴られるわで、正直帰りたいと何度思ったか知れないです。
でも、フレイやナオト、アマミキョのみんなや隊長やリンドー副隊長、色々な住民の方々と出会って分かりました。
俺たちは、アマミキョでつなげられた運命共同体、いわば家族なんだって」
たとえそれが、ティーダによって作られた強制的なつながりだったとしても──そう言いたくなるのをサイはこらえた。いつかきっと時が来たら、皆にこのことも話をしなきゃな。「そのアマミキョがいる国を、嫌いになれるわけがないでしょう」
ネネやメルー、風間や真田の顔が頭をよぎる。「いなくなった人たちの為にも──この地の人たちは、必ず守ります」
サイはトニーと共に、丘の上から海沿いの街を見下ろした。吹き抜ける熱風が髪を揺らし、ネクタイが翻る。
必ず守るさ──フレイ。ナオト。マユ。
ここは、お前たちが命がけで守った場所。お前たちが帰ってくる場所なんだから。


「タロミ・チャチャは北チュウザンのイシガキ・イリオモテ・ミヤコ島および周辺海域の領有権を主張、さらには『神の復活』宣言に続いて『神国』宣言まで表明した模様です」
山神隊母艦・タンバのブリーフィングルームで、時澤軍曹が淡々と状況を告げていた。「どうもその内容を要約すると、連合にもザフトにも属さず、神を崇め奉ることを是とした国づくりを行なうとのこと。いずれの国の内政干渉も許さず、いずれの国の内政にも関与せず、絶対中立を貫く。そして、ナチュラルもコーディネイターも無関係に国民として受け入れるとのことです」
「突っ込みどころが多すぎるが、まず何だ、その神ってのは? まさかタロミ・チャチャ本人がそのまま現人神ってんじゃないだろうな」
伊能大佐がすかさず問いただすが、時澤は冷静だった。「違います。タロミの言う神は、その土地に遥か昔から根付いた神の存在──つまり、土着の神々のことです。オーブで言うところのハウメア神のようなものですね。
タロミは、科学の進化とコーディネイターの出現によって消失した神の権威を、チュウザンで復活させるつもりのようです。土着神を崇めることで、ナチュラルもコーディネイターも無関係な世界を目指す。オーブとはまた違った形の中立国……でしょうか」
「中立だなんて、冗談じゃないわ」時澤の言葉に、すぐさまキョウコ・ミナミが反論した。「言うこと聞かなければ隣国を攻めるのが中立なの? いずれの国の内政にも関与せずって、もう既に北チュウザンに攻め込んでおいて何を言うのよ!」
「タロミら南チュウザンの民にとっては、北チュウザンは一つの独立国ではなく、自分たちの領土なんですよ。つまり彼らにしてみればこの地は現在、連合軍や資本主義に不当に支配されている、自分たちの国なんです。侵攻が進めば当然、南方諸島のみならず北チュウザン全域の領有権を主張してくるでしょうね」
「貴方、よくそんな風に冷静に言えるわね……彼らにとってはこれは侵攻じゃなくて解放だとでも言いたいわけ? 私は断じて許せないわ。何が絶対中立ですか!」
「中立というか、第三勢力、でしょうか?」
「まるでアークエンジェルね。言うこと聞いてくれないなら連合でもザフトでもどこでもおかまいなしに攻めるあたりは!」
アークエンジェルと聞いて、部屋中がざわめいた。時澤は売り言葉に買い言葉で、つい感情を交えてしまう。「ミナミさん、私情を挟まないでください。
アマミキョによる調査で、彼らはオーブの理念に基づいて行動していることが判明しているのです。他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入せず──ですから彼らは、純粋に世界の平和を願って……その」
時澤が思わず感傷的になったのは、アークエンジェルをかばう為というよりミナミへの敵愾心という部分が大きかった。時澤自身──というより山神隊全員、アークエンジェルに良い感情は持っていない。何せアークエンジェル追跡調査の途中で、風間が犠牲になったのだ。時澤もいつもの論理的な反論が出来ず、どうしてもあやふやな言い方になる。そもそもアークエンジェルの行動は、時澤の論理で順序だてて説明出来るような代物ではなかったが。
そんな時澤の心持ちを知ってか知らずか、ミナミは容赦のない反論を続けた。「やっぱり同じじゃないですか、争いに介入しないと言いながら武力介入をしてるじゃありませんか! オーブの理念がどうこうは知りませんけどね、彼らのやっていることは立派なテロ行為なんですよ!
しっかり理由が分かる分、タロミの方がまだマシと言えるわね」
つんと顎をそらし、ミナミは言ってのける。つい頭に血が昇りさらに口を出しかけた時澤を、山神艦長が止めた。「おーちつけ、時澤! 今はアークエンジェルの件で言い争っている時ではない!」
伊能が淡々と続ける。「問題は、この宣言でザフトがどう出るかだ。さらに危険視されることは間違いない。プラントには神なんぞいないからな」
それを聞いて、新人の竹中が息巻いた。「構いませんよ! 元々ザフトとは戦うつもりでいたんだ、望むところです」
熱血すぎる新人は、一刻も早く戦いたくてたまらないらしい。「いざとなったら、期待している。だが、命を粗末にするなよ」山神はため息をつきつつ、別件を伊能に尋ねた。「広瀬からの連絡は?」
伊能は首を横に振るだけだ。「3日前に途絶えたままです。アマミキョの連中は何人か、不吉な夢を見たとか言っているし、シネリキョは音信不通……
どうなってるんだか、あの島は」
吐き捨てるような伊能の言葉。滅多にないことだが、言い知れぬ大きな不安を感じた時の伊能の癖だ。恐らく山神自身が感じていると同じ不安を、伊能も感じているのだろう。
真田、風間に続いて広瀬までもを失うことになるのか──だが、山神は反射的に白髪混じりの頭を振った。
奴は必ず帰ってくる。情報を得て、必ず生きて帰る──それが、広瀬少尉のシネリキョ調査にあたり、山神が提示した条件だったのだから。


「オーブの直前に、北チュウザン攻め、でありますか」
タリア・グラディス艦長の前で、明らかに不満げな顔でシン・アスカは答えた。すかさず副長のアーサー・トラインがたしなめる。「シン、艦長の前でその態度は!」
「いいのよ、アーサー」タリアは硬い表情を全く緩めることなく話を続ける。「シン、これは侵攻ではありません。南チュウザンからの不当な侵略、そして連合の支配下から北チュウザンを解放する為の戦いなのよ。
さらに言うとミネルバには、別命が下されています」
タリアはシンの背後に控えていたルナマリアを見やった。「例の機体と少年は、ヨダカ・ヤナセに預けたのね?」
「はい。今朝がたヨダカ隊との合流時に、カーペンタリア行きの輸送艦に移しました」
「分かりました」タリアは一息つくと、改めて艦長室に集まったミネルバ隊──シン、ルナマリア、レイ、そしてアーサーの顔を見回した。「これより、我々ミネルバはザフト本隊とは別行動を取り、ヨダカ隊と共に北チュウザン・ウルマを目指します」
はぁ?と言いたげな顔で、シンとルナマリアが同時に手を挙げた。「すみません、艦長。作戦の意図が見えないのですが……」「北回りで、連合軍を挟み撃ちにするということですか? ですが、ミネルバとヨダカ隊のみでは」
タリアはゆっくり首を振る。レイが彼女の代わりの如く、静かに言った。「目標は、あの救助船……アマミキョ、ですね?」
「その通りよ、レイ」やっとタリアの表情がほんの少し柔和になる。「但し、今回の目的は、救助船アマミキョの衛護及び船体・乗員の保護です」
今度こそシンが大声を上げる。「はぁ!?」ルナマリアも黙ってはいられない。「で、でも艦長、今まであの船は私たちの敵だったんじゃ……」「そうですよ、奴らだって俺たちを攻撃してきた」
その抗議を、タリアは一言で諌めた。「これまで、私やヨダカ隊長が一度でも、あの船を撃沈せよと命じたことがあったかしら? あの船はあくまで民間の、しかも避難船なのよ」
アーサーがタリアの言葉を補足する。「いや、自分も最初に聞いた時は驚きましたがね。理由は、君たちが例の海域で確保した機体にあるんだ。
あの人工島にタロミ・チャチャの息がかかっていることはヨダカ隊長の調査から判明している。どういう理由か知らないが、謎の光と共に人工島が沈み、君たちを苦しめたあの機体の残骸が漂っていた──これはデュランダル議長も、疑問視しているんだ」
レイが静かに言う。「つまり、あの機体は南チュウザンの手でデータを取られている可能性が高いというわけですね。すると、あの機体の能力をさらに強化した新兵器が開発中とも推測出来る」
「ここ数日のタロミ・チャチャの動向を見る限り、既に開発終了、完成に至った可能性もあると議長は読んでいる。それも、下手したら戦略兵器レベルのものが」タリアは淡々としていたが、シンはその言葉に戦慄を覚えずにはいられない。
「もしそんなものが完成したら……どうなるんですか」
「アークエンジェルやフリーダムなど比較にならないほどの脅威となることは間違いないわね。まさに、神を名乗るには相応しい兵器だわ──それと」
タリアの口調には一切余計な感情は混ざらない。「ヨダカ隊長の報告では、主力となる傭兵部隊は一斉にアマミキョから引き上げたそうよ。あの『白きブリッツ』もない今、アマミキョは丸裸も同然」
「でもあの船は、連合の管轄下にあるんでしょう?」シンはつい反論してしまう。オーブへとはやる心は、どうしても抑えることが出来ない。「連合が守るんじゃ……何も、俺たちがやらなくとも」
「シン。何故インパルスがミネルバに搭載されているか、その理由は分かるわね?」
突然自分に向けられたタリアの問いに、シンは一瞬目を白黒させてしまう。分かっている、オーブに行きたいのでしょう、シン。でも、まだ駄目よ。タリアがそう語りかけているような気がした。「インパルスの合体機構を100%効率的に運用出来るのは、ミネルバをおいて他にはありません。シルエットの射出及びデュートリオンビームの照射も、ミネルバ以外では不可能……ですか」
「その通り。それと同様のことが、例の白ブリッツでも言える──これはヨダカ隊長の推測だけど。
つまり、あの機体はアマミキョでしか運用出来ない。にも関わらず、遠く離れた人工島付近で機体は発見された。しかも恐らく、例の光を発振した直後の状態でね」
「要するに、アマミキョに代わる運用機構も同時に開発されたとみられる」レイはタリアと一心同体でもあるかのように言葉を継ぐ。「となれば、南チュウザン側はアマミキョを消しにかかるということですね」
「ど、どうして? 何で、あの船を消す必要があるの?」
「当然だろう、ルナマリア。議長が仮にタロミの立場であっても、そうする。
そうしなければ、ザフトや連合に船の秘密を掌握されることは火を見るより明らかだ」
ようやく納得がいき、シンはうなずいた。「じゃあ、船がぶっ壊される前に、俺たちでつかまえろってことか……」
「つかまえるという言い方は良くないわね、シン。脅威が現実となる前に、出来る限りのデータを収集・解析しておくということよ」
タリアの注意を聞いているシンの脳裏に、あのズタボロの機体の中で発見された少年の姿が蘇る。全身血まみれで傷口に海水が染み込み、ルナマリアの腕の中で激しい痙攣を続けていた少年。パイロットとは思えないほどか細い身体だった。
その光景はシンに、どうしてもステラ・ルーシェを思い起こさせた。俺もルナと同じに、あんなに必死でステラを助けていたのか──
「あのパイロットの少年が目覚めてくれれば、こんな面倒もなかったのかも知れませんが」アーサーがぽつりと呟いたが、ルナマリアが猛然と反論した。「無茶です! あの子、今も生きるか死ぬかなんですよ! 無理矢理何かを聞き出そうなんて……」
「い、いやルナマリア、誰も無理矢理聞きだすなんて真似はしていない! 第一、もう彼は輸送艦だ、我々は何も出来ないよ」
「だいたい私は、あの子を別の船に乗せること自体、嫌だったんです! 無理に移動させて、何かあったらどうするんですか!」
「落ち着きなさい、ルナマリア。戦場へ行くミネルバに、その子を乗せておけと言いたいのかしら、貴方は?」
タリアに指摘され、ルナマリアは口をつぐむ。何か言いたげではあったが、何とか唇を引き締めているルナマリア。その横顔を見ながら、シンは思った。
ルナは、あの子供にメイリンを見たんだ。俺がステラを見たのと同じように。
俺があの野郎と一緒に、はからずも討ってしまった、メイリンを。


南チュウザン軍は次第に連合軍を圧していき、さらにザフト軍もジブラルタルよりチュウザンへ部隊の展開を開始したという情報が入った。それにより、アマミキョの救助活動は一段と活発化していた。
「だけど連合が粘っていてくれるおかげで、予定より南チュウザン軍の進行速度は3日も遅くなってる。やっぱ2年前と違って、連合も強くなってんだなー」
山中の道路を地上作業用ミストラルで爆走しながら、運転席のオサキが上機嫌で言った。
「その分、現場は大変なことになってる。逃げてきた人たちによると、一般人の死者は既に1000人を超えたって話もある」サイはにこりともせず、助手席からひたすらミストラルの外の景色を見つめていた。フロントガラスに叩きつけられる雨は山に入ってさらに激しくなり、突風が木々を倒さんばかりに揺らしている。
「加えて、1週間も続いているこの豪雨だ。俺たちの予想以上に、こちらの救助活動も遅延してる」
「だからって、何もお前まで最前線出るこたねーだろーが。こーいうのはトニー隊長がやってくれるだろ!」
「そのトニー隊長が危ないんだ。それに、俺が行けば現場の士気も上がるし」
「船の危険度も上がるんだっつーの!」
オサキの心配を分かっているのかいないのか、サイはハンドルを握る彼女にふっと笑った。「優しいね、オサキちゃんは」
「はぁ!?」思わぬ一言に、一瞬オサキは運転を忘れそうになる。「あ、アタシはただ、ブリッジにずっといるのもつまんねーし、暇つぶしについてきただけだよ。べ、別にお前や隊長が心配になったわけじゃ……」
最後のほうは殆ど独り言だ。そんなオサキの言葉は、突然のサイの叫びでかき消された。「あ、トニー隊長! あそこだ、止めてくれっ」
激しく揺れる黒々とした木々の向こうに、真っ赤な作業用アストレイが2機見える。ミストラルが速度を落とすと、その10数メートル先で道路が寸断されているのが見えた。コンクリートの路面をほぼ真横に亀裂が走り、面白いほどにぱっくりと地面が裂け、その先が泥の河の中へと沈んでいた。
「ここもかよ!」
「やっぱりこの雨だ。ここまで降り続いたら、山中の急造の道路はこうなる」
「でも、避難ルート変更の連絡は入れたはずだろ!」
「住民全員に伝わってるとは限らないさ。事実、最南端のほうでは情報が混乱しまくって、ルート変更を知らなかった人たちも多かった」
サイたちのすぐ近くで、ごうごうと泥水のような川が濁流と化していた。元々は山あいを流れる小さな川に過ぎなかったが、雨で水かさが一気に増してしまったのだ。
その濁流の中にアストレイは立ちつくし、この山道を必死で歩いて登ってきた人々を救出していた。どの顔も泥だらけで、男か女かすら分からない者もいる。寸断された道路の下では、泥が渦を巻いて今にも川と合流しそうな勢いだった。
そんな中で突然、女の悲鳴が轟いた──「誰かぁ、お願い! 子供を、子供を助けてぇ! あの下に子供が、子供が!」アストレイから響く声。思わずオサキが振り返ると、避難民でいっぱいになったアストレイの掌から、母親と思われる泥まみれの女が叫んでいた。半狂乱になった彼女を、必死で人々が押しとどめている。
それを見た瞬間に、もうサイは行動を始めていた。「オサキ、もう少しミストラルを前進させてくれ。ぬかるみに落ちないように、それだけ注意して」
言いながらサイは、座席の下から命綱となるワイヤーを引っ張り出し、腰に装着して金具をロックした。元々船外作業用に、ミストラルにはあらゆる場所にワイヤーが取り付けられている。本来宇宙の作業用だが、地上でも十分役に立つ。サイは作業用ブーツの金具をもう一度確かめた。
だが、サイの装備らしい装備はそのブーツとワイヤーだけだ。それ以外の装備を何も持たず、ほぼブリッジの制服のままでサイは雨の中を飛び出した。オサキの制止も聞かずに。「サイ、ちょっと待っ……何する気だオイ!」
「子供たちを助ける! オサキは待機しててくれっ」
「バカ、ミストラルのアーム使えば……」「駄目だ、この前同じ状況でアーム使ったら機体ごと川に落ちただろ? 人の手で何とかするしかない!」
見ると、アストレイは2機とも両手いっぱいに避難民を抱え込んでいる。ぬかるみに落ちたか川に呑まれかけたかしたのだろう、人々は泥のかたまりのようになって雨に打たれ、震えていた。そんなアストレイに、サイは走りながら右手を振り上げて叫ぶ。「トニー隊長! 只今到着しました、皆をミストラルに運んでください!」
<サイ君! 君が来てくれたのはありがたいが……って待ちたまえ、何をする気だ!>
トニーの声を半分も聞かずにサイは嵐の中を突っ走り、寸断された道路の真下へ、一片の躊躇もなく滑りこんでいく。サイの腰あたりまでが、一息に泥へ飲み込まれるのがオサキの眼にもはっきり見えた。
「あの、馬鹿っ……!」オサキの怒声もサイには届かない。仕方なく彼女は、サイとミストラルを結んだ命綱の調整を始める。
ミストラルを恐る恐る前進させると、運転席からでも壊れた道路の下が見えた。数メートル下の泥の中でもがく三つの丸太のような物体を確認し、オサキはレバーをぐるぐる回してワイヤーをたぐり寄せる。やけにびぃんと張ったワイヤー、これ以上張ったらアイツの腹が切れちまうか──アストレイから運ばれてくる人々を後部ハッチから収容しながら、オサキはサイを見守る。
少しずつ、三つの丸太へ近づいていくサイの身体はもう、胸のあたりまで泥に浸かっていた。その上からさらに降りそそぐ雨。まるで、滝の中を泳いでいる修行僧のようにも見える。
やがて丸太に十分近寄ったサイは、ゆっくりとそのうち二本を抱え上げた──雨が丸太の泥を洗い流していくと、やっとそれが丸太ではなく、息も絶え絶えな5〜6歳の子供だということが判明した。やっと呼吸を取り戻した子供たちは、サイの右肩と背中にすがりついて大泣きを始める。
「大丈夫、大丈夫だよ。もう大丈夫、良かった」サイはそう励ましながら、残ったもう一人の泥の中の子供を左腕で担ぎあげる。
左腕は未だ自由にならないはずだ、大丈夫か? オサキは思わず身を乗り出したが、サイは多少時間はかかったものの、何とか子供を泥の上へと助け出した。
「大丈夫……あったかいミルクがあるから、早く行こう。なっ」三人もの泥まみれの子供を抱え、サイ自身もすっかり同じ泥の色に染まっている。それでも子供の不安を打ち消すようにサイは微笑み、冷え切った三人の身体を両腕でぎゅっと抱きしめた。子供たちは必死でサイの服を破れんばかりに掴み、自分たちの生存を確認するようにその胸で泣きじゃくっていた。
アストレイからミストラルへと助け出されていた母親たちは、自分が包帯だらけなのにも構わずミストラルから飛び出し、オサキが止めるのも聞かず寸断された道路へと走っていく。泣き叫ぶ親のもとへゆっくりとサイは泳ぐように近づいていくと、割れた道路の間から親の手へ、子供たちを渡していった。「泥を飲んでるかも知れない、中で治療を受けてください。あと、この子は右足にも怪我をしてます、すぐに消毒を」
サイの注意を聞いているのかいないのか、親子ともども泣きながら、何度もサイに礼を言っていた。
そんな光景を見ながら、オサキはふとため息をついてしまう。こういったサイの出動は、これが初めてというわけではない──
この長雨で、当初サイたちが予測した避難経路には、あちこちに綻びが発生していた。今回のように、増水による道路寸断が原因で避難民のみならず、食糧や医薬品の輸送ルートにまで影響が出始めていた。そのたびに、サイは自ら飛び出して現場へ行き、ある時は子供を救い、ある時はトラックを持ち上げ、ある時はぬかるみに落ちた荷をかき集めた。
おかげさまで、避難民の子供の間でのサイは「算数のお兄ちゃん」ではなく「泥んこメガネのお兄ちゃん」として伝説化していた。中には、サイに救われたことを自慢げに喋り散らす子供まで出てくる始末だ。
勿論、オサキやヒスイたちブリッジクルーはサイを止めにかかる──それはトニー隊長の役目であり、副隊長はかつてのリンドーのように、後方で構えている必要がある、と。
だが、サイが前線に出ることで現場の士気も大幅に上昇することを考えると、ブリッジクルーが無下に止めることも出来ない。それに、副隊長としてブリッジで行なうべき業務は殆ど、サイ自身がヒスイやディックにも引き継いでいた。
ただ、オサキ個人としては、ある程度の装備をしているならともかく、制服のまま現場へ向かうのは勘弁してもらいたかった。ベージュのワイシャツにきっちり紅のネクタイを締め、青く光るバッジを襟元につけて指示を出すサイの姿は、正直ちょっとカッコイイとオサキ自身思わないわけでもなかった。それだけに、その姿がどこぞの悪ガキと同じように泥んこのぐしょ濡れになって帰って来られるのは、かなり耐えられないものがあったのだ。
第一、装備なしではあまりにも危険すぎる。そのぐらいはサイも分かっているのか、殆どの場合作業用装備に着替えていったりパワードスーツを使用したりするのだが、今日は時間がない上に装備のストックも切れていたという理由から、そのまま出動となった──だからオサキもついてきたのだ、半分はサイのブレーキ役として。
アタシ、暴発娘すぎて軍をクビになったってのに、なんでアイツのブレーキ役なんか。しかも全然ブレーキになってねーし──オサキがぶつくさ文句を言いながらワイヤーをたぐり寄せ始めた時、またしても雨を切り裂くような絶叫が響いた。今度は男の声だ。
「家内が、家内がまだあそこにいる! 子供を助けようとして飛び込んだんだっ」
男が必死で身をねじり、ミストラルに詰め込まれた人々の間から飛び出そうとしている。その視線の先を見ると、今サイが子供を救出したぬかるみと、さらに勢いを増す川の濁流の間に、どうにかこうにかしがみついている泥の塊が見えた。
白い指が、ぬかるみの間から生えているわずかな草を必死で握りしめている。「おかあさん! おかあさーん!」助けられたばかりの子供が、父に支えられながら泣き叫ぶ。
この時点で、サイのとる次の行動はもう決まっていた。「オサキ! もう一度ワイヤーを伸ばせ、早く!」
サイの指示で、弾かれたようにオサキは一旦たぐり寄せた命綱を再び伸ばし始めた。トニーの怒声が響く。<馬鹿なことはやめろ、サイ君! アストレイに任せるんだ、こちらはもう手が空いている!>
「駄目ですっ」サイも声を限りに叫ぶ。「アストレイがあそこへ直接手を伸ばしたら、それだけでこの山道が全て崩落するかも知れません。人の手で助けるのが、一番いいんだ」
言いながらサイはもう一度、泥だまりに身体を入れていく。川はごうごうと唸りを上げ、飛沫を上げてサイの上にも襲いかかろうとしている。
暴走した濁流が氾濫し道路を押し流すのは、もう時間の問題だった。サイに波のような飛沫がかかるたびに、人々の間から悲鳴が上がる。それでもサイはゆっくりとペースと保ちながら泥の中を進み、やがて川からわずか30センチほどしか離れていないぬかるみで、決死の思いで文字通り藁を掴んでいる状態の母親の手首を掴むことに成功した。
「やった!」サイの顔から笑みがこぼれ、人々から歓声が上がったその瞬間──
濁流が、不意に勢いを増した。
泥の怪物のように、サイと母親の上に一気に覆いかぶさる水。「オサキ! ワイヤーを戻せ、早……!」サイの叫びが終わらぬうちに、サイと母親は激流にその身をうたれ、暴れ龍と化した川へと押し流されていく。
歓声が悲鳴に変わる。ワイヤーはもう限界まで伸ばされていたが、あまりの流れの強さでオサキの力では引き戻すことが出来ない。だからといって自動制御でワイヤーを戻したりすれば、今度はサイの身体が腹から真っ二つになる危険があった。あの馬鹿、だから装備をしとけって言ったのに!
そのまま川は今までサイのいたぬかるみを一息で丸呑みし、崩れた道路の残骸を轟音と共にさらっていく。水の流れが変化したことによる濁流の乱れは、そのまま激しい震動となってミストラルまでも揺り動かした。
「言わんこっちゃねぇ!」オサキは舌打ちしながら、びぃんと張られたワイヤーもそのままに、ミストラルを後退させざるを得なかった。震えるミストラルの窓からオサキは頭を出し、上半身が雨に打たれるのも構わず、サイの消えた川面を見つめる──
その時、トニーのアストレイが動いた。濁流に脚部を取られそうになるのも構わず、ミストラルから伸ばされたワイヤーの先をマニピュレータで探り始める。
急な傾斜でなおかつ滑りやすい為、モビルスーツでも下手をすれば流されてしまう危険がある。それゆえ、もう1機のアストレイがトニー機の腰部を掴み、しっかりと支えていた。
──サイ。こんなところで死んだら許さねぇからな。アタシは一生お前を許さねぇからな!
サイを探すアストレイを睨みつけながら、オサキは心で叫んでいた。実際声に出しても豪雨で消されてしまうだろう叫びを、何度も何度も繰り返していた。




 

 

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