山神隊母艦・タンバでは、艦長山神が固唾をのんで戦況を見守っていた。
隊の奮闘にも関わらず、次第に穴だらけになっていくアマミキョ。対してこちらの連合艦は、ダガーLに対空砲火をしかけるのみが手一杯だ。
漆黒のダガーLはまるで、自分の命など全く厭わないような攻撃をしかけてくる。ビームサーベルを投げつけ、武器がなくなればジェットストライカーを投げつけ、しまいには船に体当たりをかましてくる。こちらの正規ダガーLやウィンダムの部隊は、その物量と異常な攻撃性に圧されつつあった。
「山神艦長」不意に背後から声をかけられ振り向くと、そこにはキョウコ・ミナミが立ちはだかっていた。その長身を、恐らく特注であろうエメラルド色のパイロットスーツで包み、同系色のヘルメットを小脇に抱えている。「私もユークリッドで出ます」
「馬鹿を言っちゃいけない」山神は慌てて立ち上がった。「貴方はあくまで、我々のオブザーバーであって……」
だが、ミナミは山神に言葉を継がせなかった。「アマミキョで、次々に各ブロックが離脱準備を開始している模様です。目的は明瞭ではありませんが、恐らく自沈プログラムを遂行するつもりでしょう」
「なんと……まさか、アマミキョが!」
山神はあまりの事態に、思わず机上で両拳を握りしめた。奴らの目的が艦隊ではなくアマミキョであることは伊能からの通信で把握していたが、そこまで内部も逼迫していたとは。
「オーブの船とはいえ、民間人にこれほどの苦渋を強いる南チュウザン軍を、許すことは出来ません!」ミナミはきっぱりと言い切った。
「ありがたいお申出と言いたいところですが、ミナミさん。貴方、モビルアーマーの経験は?」
「ご心配なく」ミナミはまたも、顎をつんとそらして見せる。「モビルスーツこそ経験はありませんが、モビルアーマーの試乗で暴れまくって上司に嫌われて広報課配属になったんですよ、私」
ウィンクまでしてみせて、ミナミは颯爽とブリッジを出て行く。「私は本国より、正当防衛の為の武器使用を許可されております。艦長の了解を得る必要は全くないのですが、一応、ご報告まで」こんな捨て台詞も彼女は忘れなかった。
ミナミが去ってしまうと、取り残された山神はオペレーターのてきぱきとした通信を聞きながら、モニターを見つめるしかなかった。アマミキョ直上に静止したままの紅の機体を、山神はじっと凝視する。ダガーLの猛攻を眺めているままの、ストライク・アフロディーテを。「フレイ・アルスター……一体、何を考えている?」


アマミキョでは、サイの指示と同時に避難用BGM「オーバー・ザ・レインボウ」がゆっくりと流れ始めていた。ブリッジからは、サイによるフレイへの呼びかけがまだ続く。猛攻による船の激震も、止まっていなかった。
「フレイ! 今からアマミキョ各ブロックの分離、及び救命艇の切り離しを行なう。もし、君たちの軍が彼らに、一度でも攻撃を行なうようであれば──」
サイは息をつぎ、敢然と宣告した。「アマミキョ自ら、君たちに攻撃を行なう。
民間人だろうが何だろうが関係ない。戦闘行為を行なったことで咎められようと構いはしない。
言っていることの意味は、分かるね?」
サイは山神隊や連合艦隊にも届くよう、声を張り上げる。サイはこの言葉の裏に、もう一つ狙いを隠していた。山神隊、ひいては連合艦隊の士気の上昇である。
自分たちの目の前で、軍人でもない民間人が自ら戦うなどと宣言しようものなら、軍人としてのプライドが絶対に許さないはずだ。フレイたちに守られて、もしくは軍の強制的な指示で、やむなく銃をとってきた今までとは違う。
もっともサイが今まで見てきた軍人には、そんなプライドの欠片もないような連中もゴマンといたものだが、少なくとも山神隊に関して言えばそれはありえないと断言出来た。あの風間が、身を委ねた隊なのだから。
<自沈プログラムか。あのようなものは削除しておくべきだったな>一旦攻撃を停止し、ダガーLの集中攻撃をただ黙認していたアフロディーテから、フレイの声がこだました。
既に黒煙をあちこちから吐き出しているアマミキョを眺めながら、彼女は続ける。その言葉は、アマミキョクルー以上にミゲルやラスティを驚かせるものだった。<いいだろう。但し、救命艇の放出は海岸の艦隊に沿って行なえ。そうでなければ、ダガーLの馬鹿どもがいつ誤射するか分からんからな>
やっぱりそうか。やっぱりフレイの目的は──サイは確信しながら答える。「分かった。ありがとう、フレイ」
状況からしてとても礼など言えるものではないが、それでもサイの口からは自然にそんな言葉が出ていた。
次いで、サイは各ブロックの避難状況を確認する。医療ブロックは既にアマミキョコアからの切り離しを終え、その他のブロックも次々にアマミキョコアから離れていく。
サイの判断に、ブリッジクルーがすぐに納得したわけでは勿論ない。そんなに簡単にこの船を捨てていいのか──当然、その声はクルーから上がった。だが、フレイの目的を察するに、この方法が最もクルーの命が助かる可能性が高い。
フレイの目的が、アマミキョコアブロックの破壊であるなら。アマミキョのほぼ全てのシステムを一手に引き受けるこのブロックのみの破壊であれば、自沈プログラムで船の主機能を停止させ、クルーはその場から全員逃げおおせれば助かる。
アマミキョに組み込まれた自沈プログラムは、要するに船の自爆を促すものではあるが、クルーが全員避難を完了しない限り自爆を実行はしない。その自爆も、コアを除く全てのブロックを船から離脱させた上で、出来る限り周囲に危害を及ぼさず、船を効率的に破壊するよう計算されたものだ。船のシステムが狙われる、まさに今のような時の為にあるようなプログラムだ。尤も、プログラム実行が順調に行なわれるかを見定める為、最終権限を持つ管理者、つまりサイかトニー隊長のどちらかはぎりぎりまでブリッジに残っていなくてはならないが。
ただ、自沈プログラムの使用を促すようなことをフレイは言っていない。むしろ今の発言は、そのプログラムの存在を疎ましく思っているようだ。
だがそれは恐らく、「フレイ・アルスターが部隊を率い、アマミキョを攻撃し、破壊した」というポーズが欲しい為だ。フレイがアマミキョを破壊した、その事実が欲しい何者かの為に。あのフレイがあれだけ怯えていた、何者かの為に。
それにあのフレイが万一クルー全員を殺すつもりなら、これほど非効率的な作戦を取るはずもない。これだけのダガーLの大軍で、たかが救助船一隻を襲わせるなど。
賭けに近いサイの判断だったが、それでもクルーは納得は出来ないながらも行動に移っていた。サイが正面からフレイと交渉を行ない、もし約束が破られるようなことがあれば全力で戦う──サイがその覚悟を見せたことで、クルーも積極的に動いたのだ。
そして今のフレイの言葉から考える限り、サイは賭けに勝った。フレイは「人」には手を出さない、その賭けに。


<いいのか放っといて……フレイ、あいつらだって消去対象じゃ>
ラスティの声がコクピットに響いたが、フレイは切り捨てた。「あくまで目的はアマミキョコアブロックの消去。クルーにまで手を出すことはない。
避難中の救命艇への攻撃を行なったなどと知れたら、大衆の心を掴むのは非常に難しくなる。たとえ、どんな理由があったとしても」
<アマミキョ攻撃した時点で、大衆の心はヤバイと思うがね>今度はミゲルだ。<それでも「アイツ」だけは、見逃すわけにはいかないだろ?>
「船と内部データだけ消滅させれば良いとの命令だ」
<そりゃそうさ。だが、御方様の命令はいつだって裏がある。そいつを読めなければ、ミッションを遂行したことにはならない──そう自分で言ったじゃないか、フレイは>
ミゲルの突き放した声が無情に響く。<フレイ、やっぱりあんた、まだ迷ってるだろ>
「どうしてそう思う?」
<俺が船を攻撃しようとしたら止めた癖に、ダガーLは放っておくからなぁ>
「奴らにインプットした命令はアマミキョの破壊のみだ。ブリッジや人員を狙うようにはしていない」
<それでも、サイたちが傷つく可能性はあるだろ? あの攻撃じゃぁな>ラスティが脇から突っ込む。
<ま、これだけやっておけば御方様への忠誠の証にはなるだろうが……あんたはどう思うんだ、どうしたいんだ、フレイ?>
だがその時、アマミキョを凝視していたフレイの眉が、不意に顰められた。「少し黙れ、二人とも。アマミキョの挙動が──おかしい」


相変わらずのダガーLからの光の雨に耐え続けるアマミキョ。装甲部分が次々と引き剥がされ、真っ白かった船体は煙を噴いて汚されていく。
そのブリッジで、最初にその異変に気づいたのはヒスイだった。離れていく見慣れた居住ブロックや作業ブロック、着々と進行していく自沈プログラムに遂に耐え切れなくなったオサキが爆発し、「自爆する気かよ! みんなを逃がして、てめぇだけおめおめ死のうってのか、サイ! 答えろ!」──と、サイの襟ぐりに掴みかかろうとした時、ヒスイが声を上げたのだ。
「待って下さい、副隊長……自沈プログラムに、アクセス出来ない? ど、どういうこと?」
サイは即座にヒスイの手元のモニターを確認する。エラー音と共に出現する、無機質な「Access Error」の赤文字。ヒスイやサイが何度キーを叩いても、同じ表示が出るだけだ。
途端、ブリッジの反対側でディックが悲鳴にも似た叫びを上げた。「それだけじゃない! メイン航行制御システムにもエラーが出まくってる、システム周りにどんどん広がってる!」
「副隊長、こりゃホントマズイぜ! こっちもだ、エンジン制御機構にまで……畜生、こんなことって!」
各クルーがまるでタイピングコンテストでも始めたかという勢いで、コンソールパネルを弄り始める。しかしどの画面も繰り返し同じエラーの赤文字を叩きだすばかりで、その先には一歩も進めない。
こんな時に、船に何が起きたんだ。ダガーLによる損傷か? いや、システム周りの被害は報告されていなかったはず──サイは判断出来ないまま、叫ぶように指示を出す。今、最優先すべきことを。「マイティ、分離機構はまだ作動するか? 救助艇の脱出ルートの確保は?」
「まだそこまで被害は広がってないけど、でも……」時間の問題、と言いたげにマイティはややふくよかな頬を下げてしまう。
「もう一刻の猶予もない。システムが落ちる前に、みんなを可能な限り救助艇に入れて、脱出させるんだ。まだ残っているブロックは?」
ヒスイが答える。「全てのブロックは分離を完了して、コアブロックより後方約2キロの地点まで離れています。あと残された脱出手段は、救助艇だけです」
「残っているクルーは?」
「登録データ309名中、ブリッジクルー含めて現在45名。ですが、一人だけ行方不明者が……」
誰だ、と聞かずともサイには予想がついた。勿論、最悪の予想だったが。「カズイ、か?」
ヒスイは観念するように目をつぶり、無言でこくりと頷いた。何てことだ──真っ先に安全地帯に逃げていて然るべきカズイが、未だに行方不明だと?「部屋は?」「調べましたが、誰もいませ……」
ヒスイの答えが終わらぬうちに、突如縦方向の激震が船体全てを貫いた。
ダガーLの攻撃とはまるで違う、船体下部から猛然と突き上げられるが如き震動。無重力空間であれば全員の身体が天井と床を往復していたであろう。
一瞬ブリッジの照明が全て落ち、BGMも途切れ、船内中が悲鳴に包まれる。5、6回ほどの縦揺れの直後、ブリッジは右方向へ25度ほども一気に傾斜した。非常灯の赤い光が灯ったのは、その2秒後だった。
「状況は!」座席にしがみつきながら傾斜に耐えるサイに、目と歯を剥き出しながらディックが叫んだ。「右舷第1から第3までのメインエンジン、爆発!」
それの意味するあまりに絶望的状況に、ブリッジ内がしん、と水をうったように静まりかえる。今までにも度々アマミキョがパニックに陥ったことはあったが、今の状態は比べ物にならない。
こんな大規模な爆発は、自沈プログラムの実行ではありえないはずだ。少なくともエンジン爆発は、船の主機能が全て停止して、クルー全員が避難してからのはずなのに──サイは傾き続ける床で踏ん張りながら、同じように必死にコンソールで身体を支えるヒスイを振り返る。最早涙目となっている彼女だったが、それでも報告は怠らなかった。「右後方メインスラスター、作動しません……右舷第4から全てのメインエンジン、停止しました。
あ、アマミキョ、航行不能です……」
消え入るようなヒスイの声だったが、死亡宣告にも等しいその一言は、血のように赤く染まったブリッジ内により一層深く染みわたっていった。
ディックが無言でコンソールパネルを殴り、マイティが顔をおさえ、声を殺して泣き始めた。「ねぇ、どうして? どうしてこんな……どうして?」
つられたように、他のブリッジクルーからも次々と無念の呻きが漏れた。オサキだけは何の反応もせず、怒りの表情を隠さないままじっと操舵輪を握りしめている。
船内各所からの通信はまだ生きているようで、トニー隊長やハマーからの怒声が、何とか復活した避難用BGMオーバー・ザ・レインボウに乗って響いてくる。サイは崩折れそうになる身体を立て直しながら、それでもまだ信じていた──
アマミキョの命は、まだ潰えていないことを。
「ヒスイ、左舷E1から24までの全区画、監視システムは切れていないね? 人員が残っていないか確認してくれ」
「え……? は、はい」サイの突然の指示に戸惑いつつも、ヒスイは涙を袖で拭いながら、傾いたコンソールを操作する。「誰もいません。最底辺ブロックですので、この区画はもう誰も……」
「分かった。すぐにE区画に通じる隔壁を閉鎖。その後当該区画に海水を注入する」
サイの指示は決して冷静さを失っていなかった。海水注入による船体の立て直しは、本来は自動制御で行なわれる。だが思わぬシステムダウンの為、その制御機構も動かなくなっていたのだ。ならば、今すぐやるべきことは手動でのアマミキョ立て直しだ。
「まずは船体を立て直す。この状態じゃ、避難なんて無理だしね。
悪いけどみんな、もう少し頑張ろう!」
ぎこちないと自分で自覚してしまったが、サイは懸命に笑顔を作ってみせた。非常灯が赤から通常の光に切り替わり、ほんの少しだけブリッジに日常が戻ったように錯覚させる。
少しはサイの笑顔に希望を抱いたのか、完全に絶望の淵に追い込まれていたクルーも動き始めた。


アマミキョ右舷から突如噴き上がった盛大な火柱を、伊能ら山神隊は呆然と見守るしかなかった。
エンジン部への直撃は食らっていない、俺たちはしっかり守ったはずだった──なのに、何故勝手に爆発する、お前ら?
<内部からの爆発か? エンジンにそう負担をかけたわけでもあるまいに、何故……>
<時澤、まだ来るぞ! 前!>
ダガーL部隊のアマミキョ攻撃はそれでも止まる様子はない。再び山神隊に襲いくる、ビームカービンの雨。
一瞬だけ時澤機は、アマミキョの爆発に気を取られていた。その下を、まんまと3機のダガーLがくぐり抜けていく。まるで時澤を馬鹿にするかのように。
<なっ……しまった!>
時澤が思わず絶叫した時、全く予想もしなかった声がコクピットに響いた。<やっぱり甘いわね、おチビさん!>
その声と共に、海上を駆け抜けてきた閃光が、アマミキョに肉迫していたダガーLを3機とも、一瞬のうちに消し飛ばした。
ダガーLを光球に変貌させたその閃光の主は、波をかきたてて海上を滑りながら、あっという間に時澤機の直下へと追いついていく。他のダガーLからも次々にビームカービンの光が雨あられと降りそそいだが、閃光の主は機体前方に虹色の盾状の光板を2枚発生させ、ビーム攻撃を全て防ぎきっていた。
<陽電子リフレクターの力、舐めてもらっちゃあ困るわ!>
<ちょっと、まさか……ミナミさんっ?>呆れる時澤の叫びは全く相手にされない。キョウコ・ミナミの操る流線型の、昆虫にも似たモビルアーマー──ユークリッドから、再び閃光がほとばしる。瞬く間にダガーLが2機、何も出来ずに爆発していく。
<このキョウコ・ミナミがいる限り、アマミキョに手出しはさせませんよ! かかって来なさーい!>
ユークリッドをアマミキョのほぼ真正面に位置取らせたミナミは、その場の全員に見得を切ってみせる。もっとも、山神隊以外にそれをまともに聞いた者がいたかは、非常に怪しかったが。
<人のものを勝手にパクって、タダですむと思ってないでしょうね!>緊迫感があるのかないのか分からないミナミの叫びと共に、またしても光が閃く。
味方が増えたことに少しだけ安堵しながらも、時澤は頭痛も感じ始めていた。だいたい、バッテリー切れの概念を理解しているのか、あの女は。


ユークリッドの出現により、若干ではあるがダガーLの攻撃が弱まった。この間に、アマミキョは傾斜した船体をどうにか立て直すことに成功した。
だが、危機が去ったわけでは全くない。危機を「乗り越えられなかった後」の運命が、これからこの船には待ちうけている。それはクルー全員が理解していた。
船内のいたる場所で火災が発生し、攻撃に伴う浸水も起きている。船体を元に戻す為に船底に水を入れた為、船全体が半分がた、海面下に沈んでいた。
それでもカタパルトはまだ生きていた為、救助艇は次々とクルーを乗せて発進していく。船体が再び安定したことを確認しながら、サイは改めてブリッジクルーに向き直った。
まだアラートは鳴り続け、メインモニターの向こうでは山神隊とダガーLの激突が続いていたが、サイはゆっくりと話し始めた。
「みんな、ありがとう。よくここまで立て直してくれた」
サイが何を言い出すのか、この時点でもう全員が察していた。中にはマイティのように、再び泣き出す者まで現れた。
「さっき、トニー隊長を呼んだ。隊長の誘導に従って、全員速やかに船から脱出してくれ」
マイティは涙を隠さぬまま、黙ってかぶりを振る。ディックまでが男泣きを始めた。外で光弾が飛び交う中、ブリッジが静かな泣き声で満ちていく。
「嫌です。私……嫌です」ヒスイも涙を流しながら、激しく首を振る。「この船を見捨てたくない。ずっとみんなで、ここで苦労してでも過ごしてきたんです。それに」長めの黒い前髪の間から大きく目を開き、まっすぐサイを見つめながら、ヒスイは叫ぶ。「副隊長はどうするんです!? 逃げましょう、一緒に!」
その言葉に、サイは首をゆっくり横に振るしかない。「俺はもう少しここにいなきゃいけない。皆を完全に避難させたか、確認する必要があるからね。
それに……ヒスイさん。ハーフムーンを覚えてるだろう? この船も同じだよ。
船が沈んでも、みんなが生きていれば、必ずまたアマミキョは息を吹き返し、動き出す。俺は信じてる」
ただ一人、オサキだけは操縦桿を握ったまま、サイを見ようともしない。そんな彼女をちらりと見ながら、サイは続けた。「それと、一つだけ皆に謝らないといけないことがある。
アマミキョを、フレイたちが襲っている理由だ。みんなには多分、見当もつかないだろう。混乱させてしまって、本当にすまなかった」
「お前は知ってるってのか」オサキが全くサイを見ずに、ぼそりと吐き捨てた。
少しの逡巡の後、サイは静かに告げる。「直接、フレイから言われた。アマミキョが抱える秘密をね。
恐らくその秘密の為に、この船はフレイ自身の手で破壊されようとしているのだと思う。フレイ自ら、破壊しなければならないんだ。
ただ、それを皆に言うつもりはなかった。皆を混乱させるだけだし、恐がったり疑心暗鬼になるクルーも出るだろうから。
今この場でも、言うつもりはない。皆がアマミキョから無事脱出出来たら──
その時こそ、本当のことを話すよ」
もうこの時には、オサキを除くブリッジクルー全員が泣いていた。「俺……俺、ここから離れたくねぇよ」「サイ君、来てくれるよね? 絶対だよ?」「副隊長、俺ずっとあんたのこと馬鹿にしてた。ごめん……」「一緒に行こうよ! どうして駄目なんだよ、副隊長!」
口々にブリッジクルーから嘆願が飛んでくる。だがサイは静かに、笑顔で頭を振った。「そんなに心配しなくても、俺はすぐに行くよ。
すぐ会える、大丈夫だ。アマミキョは、みんな繋がっているんだから」
そう、繋がっている。この船とティーダの力で、みんなが繋げられている。その力によってこの船は今まさに、沈められようとしているが。
ブリッジの扉が開き、トニー隊長が現れた。「みんな、もう時間がない! カタパルトまで誘導する、すぐに救助艇に乗るんだ!」
その額からはどこで打ったのか、血が流れ出している。作業着は煤で真っ黒だ。そんな隊長の叫びにも、クルーたちは動こうとしなかった。
俺がしっかり説得しなければ。笑顔を崩さずにいるのはかなりの努力がいったが、それでもサイは声を上げた。「みんな……本当にありがとう。
こんな駄目なサブリーダーで、本当にごめん。船を沈めちまうなんて、最低だよな。
だから脱出したら、必ずまたアマミキョを再建する。約束する」
サイに続き、トニーが精一杯の音頭をとる。「みんながいないと、その再建もままならんぞ! 副隊長の意思を無駄にするな、ついてこい!」
隊長の勢いで、ようやくクルーたちは腰を上げた。
アラートとオーバー・ザ・レインボウが不協和音を醸し出し、モニターの外では飛び交う光線が古いディスコのようにブリッジ内を赤く白く染める。そんな不思議な空間の中、クルーたちは口々にサイに礼を言いながら、隊長の指示に従ってブリッジを後にしていった。
ヒスイ・サダナミもなかなか動こうとしなかったが、隊長に腕を支えられ、ようやく立ち上がった。そしてふと、彼女はあることに気づく。「オサキさんは? 一緒に行きましょう、オサキさん!」
「アタシはまだ無理だよ」オサキはヒスイを一瞥し、そのまま手を振った。「いざって時、手動でアマミキョを動かす必要がある。
左のエンジンとスラスターはまだ生きてんだ、いざとなりゃ全力でサイを助けてみせるさ」
「そんな、オサキさんまで!」ヒスイが酷く動揺し、サイもオサキを諌める。「オサキ、君もみんなと一緒に行くんだ。馬鹿なことを言っちゃいけない!」
「馬鹿言ってんのはどっちだ? この状態で、お前だけでアマミキョ動かせるわけねぇだろ」
こうなったオサキは梃子でも動かない。それを知っているヒスイは、涙と共にため息をつきつつ、説得を諦めた。「必ず、サイさんと一緒に来て下さいね。約束ですよ」
オサキの両手をぎゅっと握りしめたヒスイの手に、彼女の涙が落ちていく。それをオサキは笑い飛ばしながら、ヒスイの頬に軽くキスまでしてみせた。「バーカ、ヒスイはいつだって心配性だな〜。今生の別れみたいなことすんじゃねぇよ、くすぐったい」
サイもオサキの説得は諦めた。これだけ必死なヒスイの言葉でも動かないなら、俺の言葉で彼女が動くわけがない。
「だーいじょうぶだって! サイの首根っこ引っつかんででも、必ず合流すっからな!」
さっきの激昂はどこへやら、オサキはもういつもの元気を取り戻していた。カラ元気かも知れないが、泣いて叫ばれるよりはいい。
そのオサキの元気さとトニー隊長に支えられるようにして、ヒスイは後ろを振り返り振り返りしながら、ブリッジを去っていった。


<アマミキョが体勢を立て直した?><クルーの避難は、あらかた完了したみたいだな>
ダガーLとアマミキョの攻防を後方で見守っていたアフロディーテ。そのコクピットで、フレイは呟く。「何故だ……自沈プログラムの実行完了にはまだ早いはず、何故メインエンジンが爆発した?」
そこまで口に出してみて、フレイは顔を上げる。「まさか……!」
その時、電光石火の如きラスティの通信が轟いた。<フレイ! 10時の方向から敵影だ、これは……>
ラスティが言い終わらないうちに、アフロディーテとグフとスカイグラスパー、そして雲霞の如くアマミキョに集まっていたダガーL部隊に、鋼と閃光の嵐が降りそそいだ。
「やはり、ザフト……ミネルバか!」
緑の炎を放つ鳥のように空を舞う無数の光。いくつも飛び交うその光に翻弄され、アマミキョ直上にいたダガーLは次々となす術なく落とされていく。フレイたちアマクサ組3人も危うく直撃を食らう寸前だったが、何とか全員回避に成功した。
しかしその火の鳥の間を縫うように、紅に光る双対の刃が、波を貫いて真っ直ぐに飛んできた。
「ドラグーンに、フラッシュエッジ……遂に来たか」フレイは全てを悟ったかのように、舞い上がるアフロディーテの中で目を閉じる。「ダガーLとウィンダムの混成部隊を出させろ。覚悟を決めねばならん時が来たようだ!」
飛んできた紅の刃をビームサーベルで叩き払うアフロディーテ。だが光の刃──フラッシュエッジは怯むことなく、主の下へ旋回運動をしつつ戻っていく。
青空の下に舞い降りた、10枚もの紅の翼を誇るモビルスーツ──デスティニーガンダムのもとへ。


ヨダカ・ヤナセの操るジン・ハイマニューバ2型及びグーン部隊と合流後、ミネルバ隊がウルマ沖で見たものは、一瞬では信じがたい光景だった。
連合軍と南チュウザン軍の激突はまだ分かる。だが、南チュウザン軍の動きが明らかにおかしい。連合艦隊ではなく、その後方に控えている例の民間救援船、アマミキョだけを集中的に狙っているのだ。
連合軍の奮闘か、アマミキョは撃沈は辛うじて逃れているが、至るところから黒煙と炎を噴き出し、半分がた沈んでいる。船の上層に設置されているブリッジが何とか視認出来るという状況だ。
しかも、そのアマミキョを攻撃しているのは、かつてアマミキョを守る為に自分たちと剣を交えた、紅のストライク。
真っ先に疑問を発したのは、インパルスのルナマリアだった。<ねぇ、どうして? どうしてあのモビルスーツが、アマミキョを攻撃しているの?>
後方に控えるヨダカがそれに答える。<恐らく、奴らはアマミキョを無理矢理実験船として育て上げていた。データが揃ったので、不要となった船を自分たちの手で消す──そんなところか>
ヨダカの通信に、割り込んでくる少年の怒声。<何だよ……何だよ、それ! 無理矢理船を奪って、中の民間人をこき使って、いらなくなったら殺そうってのか? 何も知らない人たちが、どうなってもいいってのか!>デスティニーの中から、シン・アスカの怒りの咆哮が轟く。
<シン、落ち着け。それをさせない為に、俺たちが来たんだ>甲羅にも似た灰色の背部ユニットが鈍く輝くモビルスーツ、レジェンドガンダムから、レイ・ザ・バレルの落ち着き払った声が響く。
だがその声とは裏腹に、レジェンドの機動はデスティニーよりも若干早かった。<見ての通り、船は撃沈寸前だ。時間がない、まずはあの黒いモビルスーツどもを叩き落とすぞ! 先に行くっ>
先行していった漆黒の甲羅から、緑に輝く炎を帯びたハヤブサが一気に放出される。分離式統合制御高速機動兵装群ネットワーク「ドラグーン」──大気圏内では使用出来ないその突撃ビーム機動砲を、今レジェンドは6基全て、手足のように動かして固定砲台として使用し、ダガーLを砲撃していた。
それを追いながら、シンはダガーL部隊のやや後方に、紅のストライクを目撃した。
幾たびも激突を繰り返した、紅の女神。そいつがまるで、待っていたかのようにデスティニーをゆっくり振り返る。せせら笑っているようにさえ見えるその頭部意匠を見た瞬間、シンはビームブーメラン・フラッシュエッジを投擲していた。
<何であんたは……無力な人たちを……易々とぉっ!>


ミネルバ隊が交戦状態に陥ったその背後で、ヨダカは状況を慎重に観察していた。
アマミキョの損傷度合いは予想を遥かに超えている。黒ダガーLどもの捨て身の攻撃のせいもあるが、何より内部からのダメージが大きいようだ。先行して潜らせたグーン部隊からの報告では、船からはどうやら次々にクルーが脱出しているらしい。
「あの女……ここまでやれと命じた覚えはないのだがな」
ヤエセでの夜をヨダカは思い出す。あの時の彼女は、アマミキョについて話す時の彼女は、言葉では仲間を案ずるようなことを言っていたが、目は全く違う色をたたえていた。あれはむしろ憎しみに近い、獰猛な光だ。
──まぁ、いいだろう。最悪でも、船体のデータを手に入れられれば、それで良い。こちらには例の機体のデータもあるのだ。
後方から海中を直進してくるグーン3機を確認しつつ、ヨダカは唇を舐めた。
オーブ攻め直前の、しかも勲章授与直後で舞い上がっている若僧どもをこき使うのは気が引けるが、何度も戦った因縁の相手だ。今回は何かしらやってくれるに違いない。


アマミキョブリッジでただ二人だけ取り残されたサイとオサキは、船体の立て直しを行いながらも同時に、戦況のめまぐるしい変化に驚いていた。
「ザフトが、俺たちを守りに来た?」「何だか知らないけど、好都合だ。この隙に下がるぞ!」
オサキは元気よく操舵輪を振り回しながら、左舷のエンジンの様子を見ていた。彼女の、一見豪快だがきめ細かくもある操舵のおかげで、既に航行不能と思われたアマミキョは再び息を吹き返し、少しずつではあるが再度後退を開始していた。
「救助艇は?」「大丈夫。もうみんな、出発したようだ」まだ生きているモニターを確認しながら、サイはほっと胸を撫で下ろす。
オサキはそんなサイを、中央通路ごしに右隣に見ながら、ふと呟いた。「フレイのこと、やっぱり今でも、心配なのか?」
メインモニターでは、アフロディーテとデスティニーがビームサーベルでの斬り合いを始めている。サイは気づけば、その様子を見上げてしまっていた。
あの紅の翼のモビルスーツ──まるでフリーダムの青い翼と相対するような翼だ。それにあの武装──ビームブーメランに大型の対艦刀、ビーム砲にビームライフル、考えられる限りのありとあらゆる武器をアホのように詰め込んで、しかもパイロットはそれらの武装を巧みに使いこなしている。しかも、装甲はフェイズシフトだ。無謀極まりないダガーLが1機飛び出してジェットストライカーを投げつけたが、あのモビルスーツはかすり傷一つ負っていなかった。勿論そのダガーLは1秒後には火球になった。
いくらフレイでも、ビーム兵器やフェイズシフト装甲に対する武装に欠けるIWSPでは、劣勢にならざるを得ないだろう。実際、相手の攻撃を巧妙にかわしてはいるものの、ビームサーベル以外にまともな攻撃手段を持たないアフロディーテは防戦一方となりつつあった。
「やっぱり、どこまでも優しいんだな、サイは」その言葉にふと振り返ると、すぐ左隣にオサキの笑顔が見えた。「ここに残ったのだって、本当はフレイともっと話をしたいからだろ。あと、カズイの馬鹿を探すのもあるし」
大きな臙脂色のキャップの下から、癖のある赤毛が跳ねている。悪戯っぽい青い瞳が輝いている。オサキの笑顔はこんな時でも、溌剌としていた。さっきまであれだけ怒っていたのに、女というものはこんなにもくるくる変わるものか。
サイは図星をつかれ、思わず耳まで赤くなる。「そ、それだけじゃない。ちゃんと皆を避難させないといけないし、船の後始末もある」
「私情で動けないから、副隊長さんは大変だよなー。ま、アタシも似たようなもんだけどさ」オサキはウィンクまでしてみせる。
そんな彼女の気遣いに、サイは心底申し訳ないと思った。「本当にごめん。俺の勝手な思いに、君までつき合わせて……」
「だから言ってるだろ、アタシだって同じだって。アタシだって本当は」
オサキはそこで彼女には珍しく、口ごもってしまった。帽子の下の陰に隠れていても、その横顔ははっきりと赤くなっているように見えた。「お、お前と二人っきりに、なりたかったんだからさ」
こんな状況下での、あまりの思わぬ一言。サイはまじまじとオサキを見つめてしまっていた。眼鏡の下の自分の目がはっきりと丸くなったのが分かる。
あぁ──この娘も、ネネと同じだ。どうして今まで、俺は気づきもしなかったんだろう?
ハーフムーンの暖かなストーブの前で静かに涙を見せたネネと同じ感情を、この娘は俺に対して抱いてくれていたんだ。
ずっと隣にいて、俺を支えてくれていたのに。こんな時に至るまで俺は気づかないなんて──
しかもその感情の為に、彼女はここまで来てしまった。とても危険な所まで来てしまった、俺のせいで。
その上サイは、ネネの時と同じ答えを返さざるを得ない。自分の心は決まっている。「オサキ、ごめん。悪いけど、俺には……」
だがオサキは、決してサイに皆まで言わせなかった。「だああああもう、分かってる、分かってるって! お前が今でもフレイ一筋ってことぐらい、十分分かってるってぇ!」
操舵輪から両手は離さなかったが、オサキは照れ隠しにじたばたと足をばたつかせる。だがすぐに、ぽつりと呟いた。「分かってる。分かってるのに……ついてきちまったよ」
そう、ネネと同じに、オサキも分かっている。俺の気持ちは、フレイ以外の誰にも向かないことを。
分かっていながら、命までかけてついてきてくれた。理由は、二人っきりになりたかったから。
確かに、アマミキョの多忙な生活の中では、こんなことでもない限り静かに二人きりになどなるチャンスは滅多にない。この間の豪雨の日に無理矢理俺についてきたのも、それが理由だったのだろうか。なのに俺は、救出作業に夢中で彼女のことを全く気にかけなかった。
それにしたって……サイはオサキを改めて見つめる。当の彼女はそっぽを向きながら、何やらぶつぶつと呟いている。恥ずかしさのあまり、豊満な胸の中に首まで埋める勢いで肩をすぼめながら。「そりゃ、最初は最低なヤツだと思ったこともあったさ。だけどそれは誤解だった。ホント、あの時はごめん……それから、だよ。なんか、気になっちまったの。
だって、しょーがねぇじゃねぇか。お前、眼鏡の癖に妙にカッコイイし、優しいし、なのに叱る時は正直怖いし、しょっちゅう無茶ばっかするし、よりにもよってあのフレイ命だし、喧嘩弱い癖にしょっちゅう仲裁入るし、何やるにも危なっかしいし……この前の雨の日だって」
最後のあたりは最早聞き取れない。言葉に詰まり、オサキは真っ赤な顔のままサイを振り返る。大きな青い目はもう涙目だ。「……アタシ、やっぱ馬鹿かな?」
そのあまりの必死な顔を、サイは思わず、可愛いと思った。これを男子クルーに見せたら、半分ぐらいは参ってしまうであろう表情だ。着崩した制服の間からは大きな胸がチラと見えて、自分で破いたブラウスの裾の裏からは白い腹が見える。スカートじゃなくて常に作業用ズボンか短パンってのは彼女にとってマイナスだったな、脱出したら水着コンテストでも企画しよう、そうすれば彼女の魅力に気づくヤツも……などと一瞬考えた自分を、サイは恥じた。馬鹿か、何を考えているんだ俺は。
彼女につられるようにして、そんな自分を笑ってしまう。「そうだね。大馬鹿だ、俺と一緒で」
「う、うぅ馬鹿馬鹿言うな、サイの癖に! アタシだって、アタシだってなぁ、ちょっとは女なんだぞ!」
「分かってる。本当にありがとう、オサキ」
サイに笑顔でそう言われ、オサキは状況も忘れたように一瞬呆けてしまう。が、すぐに思いっきり笑顔になった。とても溌剌とした、力一杯の笑顔だった。
「そーだな。馬鹿同士、仲良く脱出しようぜ!」
その刹那──
ブリッジに、二発の銃声が轟いた。


オープンチャンネルになったままの回線から、その銃声はアフロディーテのコクピットにも確実に響いた。
瞬間、フレイははっきりと顔色を変える。まるで、自分が撃たれたかのような衝撃を覚えて。「……サイ? サイか!」
<おい、今のは何だ! フレイっ>ミゲルからの声も、既にフレイの耳には届いていない。<アマミキョで何が起きた? もうクルーは避難したんだろ!>
<いや、まだだ。まだブリッジに人影が確認出来るっ>ラスティの通信も虚しく反響するばかりだ。
フレイの両の眼は同時に、眼前のデスティニー、そして背後のインパルス、レジェンドを捉える。遥か後方の空に、グゥルに乗ったハイマニューバ2型が見えた。「そうか。何故このタイミングかと思ったが!」


溶けるほど熱せられた金属製の棒で思い切り左肩を殴られた、と思ったと同時に、眼前のオサキの程よく焼けた首筋から、真っ赤な血液が噴出した。
全身に衝撃を受けたかのように吹っ飛ばされ、サイは激しくメイン・コンソールに身体を打ちつけてしまう。目の前で、今の今まではちきれんばかりの笑顔を見せていたオサキことサキ・トモエが、その笑顔の痕跡を残したまま火山の如く血を噴き出し、ゆらりと倒れて操舵輪にまともに顔面を打った。
「オサキぃっ!」何が起こったのか全く理解出来ないまま、サイは彼女を助け起こそうと駆け出し、手を伸ばす。途端、三発目の銃声が響きわたった。
今度は、右足首がまるごと弾き飛ばされたような衝撃。サイはバランスを崩し、ブリッジ中央通路へ倒れこんでしまった。
左肩と右足首から、強烈な痛みがサイの身体中に広がっていく。目の前の床が血で染まっていく。それが自分の左肩から流れる血だと気づくまで、サイは数秒かかった。
右腕のみでどうにか上半身を起こすと、頭のすぐ上にオサキの顔があった。左膝をついて身体を起こし、震える右手でそっとその頬に触れてみる。勿論、まだ暖かかった。
さっきまで、あんなに笑ってくれていたはずなのに。もうその両目には、溌剌とした光は全くない。ただ、瞬きもしない青い眼球が二つあるだけだ。
「オサキ、しっかりしろ。しっかりしてくれ!」こんな現実は認めたくない。大丈夫、彼女はまだ生きてる、その証拠に、しっかり両手は操舵輪を握ってるじゃないか。俺の目の前で俺に好意を見せてくれた、俺に笑ってくれた、俺の力になろうとしてくれた、その直後にこれって、何の冗談だよ!
これじゃ、ネネと同じじゃないか。ずっと俺を支えてくれた、命がけで俺を助けようと決意してくれた、そんな強くて優しい娘が二人も続けて、こんなに呆気なく死ぬはずがない。「嘘だよな。嘘だって言ってくれよ。冗談だって、笑ってくれよ!」
サイの叫びも虚しく、オサキからの反応は全くない。鼻の穴と、ぼんやり開かれた口から血が流れ始めただけだ。きっとこんな顔は、死んでも俺には見せたくなかっただろうに。
よく見ると、オサキの首はただの銃弾一発で、首筋の部分がごっそりえぐり取られており、残った骨と皮だけで何とか繋がっているに等しい状態だった。かすかに煙を上げる首の肉。火の臭いが、少しだけ鼻をつく。
あまりのことに涙すら出ないサイの耳に突然、別の声が割り込んできた。「本当に馬鹿ね、二人とも。やっぱり貴方たちとは、分かり合えるわけがなかったのよ」
中央通路をゆっくりと歩いてくる、女の足音。瞬間、サイはオサキの身体をかばうようにして、左脚のみで立ち上がる。
声だけでもう分かった。あの女だ──!
サイの右手が、腰に装備されていた護身用の銃を抜いていた。心臓が激しく波打ち、息が上がっているのが分かる。左肩と右足からの痛みが全身を打つ。
「あら。それで、どうするの? 私を撃つの?
貴方に出来るわけがない。撃つどころか、銃口を向けることも出来やしないわ。
だって貴方は──とっても優しい、副隊長さんですものね」
俺が追い出したあの女が、俺がついに理解出来なかったあの女が、今俺の前でにこやかに笑っている。金髪を優雅に靡かせ、水色のフレアスカートをたくし上げ、少女のように目を輝かせながら、俺に近づいてくる。──今俺たちを撃ったばかりの、拳銃を片手に。
撃たれた左腕は全く動かず、銃を持ったはずの右手も震えるばかりで動けない。全くこの女の言う通りだ、何故ならこの女はあいつが──カズイが好きになった女性であり、アマミキョの元クルーだ。
俺に、撃てるわけがない。
サイは撃つかわりに、酷い憎しみをこめてその女の名を叫んだ。「アムル・ホウナ……!」



 


PHASE-32  愛、夢、流れる




 

 

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