黒い空に、炎が満ちる。
光が一閃し、地表の街が、ビルが、道路が、一瞬にして吹き飛ばされ、崩れ、溶け落ちていく。
悲鳴すらも、光の中へ呑まれて消えていく。
逃げ惑う人間たちをあざ笑うように、光がその身体を塵も残さず吹き飛ばす。
人々を集めて守るはずの避難所は殆どその意味を成さず、むしろ人の集まる場所は集中的に叩き潰されていた。
地獄の上空を舞う、その光の根源は──ストライク・フリーダム。
名の通りの自由奔放なる攻撃のもとに、その鋼鉄の妖怪はたった一機で、殺戮に殺戮を繰り返していた。
但しその機体は、よく知られたキラ・ヤマトのストライクフリーダムとは正反対の、血の紅で染められている。キラの機体の青い部分をそのまま血で塗りつぶしたらこのような感じであろうという、紅。
銀色に光る関節。闇夜に迸り紅蓮に燃える、10枚の光の翼。
ヴァリアブル・フェイズシフト装甲によって頑丈に守られた、そのコクピット内で──
「動くモノがなくなっちゃった。つまんなぁ〜い……」機体と同系色の、真紅のパイロット・スーツに身を包んだ少女が、うるさそうにヘルメットを脱いで、長い黒髪を解放する。「もうっ、汗だらけ!」
かなり切れ切れになりつつも、通信が入った。<良く言うぜ。さっきまでゲラゲラ大爆笑しながら撃ちまくってた癖に>
「黙れ、トール! フレイに言ったら殺すよっ」上空から接近してきたスカイグラスパーに向けて、少女は元気よく言い放つ。
<おおコワ……さっすがチグサ様ですなぁ>紅の機体のカメラアイから逃れるように、スカイグラスパーは二、三度バーニアを吹かしておどけるように旋回してみせた。業火の中を。
「ち、馬鹿にして」少女は一方的に通信を遮断しようとしたが、ふと手を止めた。「キラはまだなの? シン・アスカも? アスラン・ザラは? まだ誰も来ないじゃないか!」
<もうちょっとの辛抱でございますよ、お嬢様>
完全にからかわれている。その不快さに、少女の眉間がさらに険しくなった。「あんなのばっかり撃ち落としたって、つまんない!」
その眼下には、完膚なきまでに叩き潰され、真っ黒に焼け焦げたモビルスーツの残骸が山と積みあがる。「もう、とっくに重力には慣れたってのにさ……
退屈すぎるってんだよ〜! 早く来てよぉ、キラ・ヤマトぉ! お兄ちゃあんん!!」
少女の幼い怒りいっぱいの叫びが、炎と血と黒煙と、大量の黒ダガーLに埋め尽くされた天空に響き渡った。
 


PHASE-36  再会、トノムラ



「再会を喜びたいところだが、急がせてすまないな」
オーブ首都オロファト・内閣府官邸にて。
サイとカズイはカガリ・ユラ・アスハに伴われ、執務室裏に隠されたエレベータで地下へ降下していた。
「チュウザン周辺の国も、次々にタロミの侵攻を受けている。それも一方的にあの紅のストライクフリーダムと、大量のダガーLコピーにやられているという話だ。
ストライクフリーダムも脅威だが、一体どこからあんな大軍を呼び寄せているのか……」
「やはり、オーブも動きますか」だとすれば、キラやアークエンジェルも動くことになるだろう。サイは懸念しつつカガリに尋ねる。
「動かさざるを得ないだろうな。奴らの攻撃を黙って見ているわけにはいくまい……アジアが火の海になる」
「他国の争いに介入せず──じゃなかったのか」サイの後ろで、カズイがぼそりと呟いた。だがそれを聞き逃す今のカガリではない。
「理念は理念だ。律儀に解釈していたら、私はお前たちヘリオポリス住民も、オノゴロ住民も処刑しなければならなくなるぞ。
オーブは『他国の侵略を許さず』でもあるからな」
「つまり、解釈を変更すると?」
カズイの言葉にカガリは振り向きもせず、廃坑にも似た暗い地下通路をとっとと歩きながら吐き捨てた。「お前たちは悔しくはないのか。お前たちの努力が一瞬で、あの女に破壊されたんだぞ! お前たちまで殺されかけて……っ!」
背中を見ているだけで怒りが伝わってくる。この前アークエンジェルで会った時より、カガリは随分大きくなった気がする──もちろん体格的な意味ではない。アスランとはどうなったかなどと、とても聞ける雰囲気ではなかった。
「フレイがやったとは限りません」サイは冷静に口を挟む。「あの演説と、空襲の映像は同時配信ではありましたが、フレイの意図したものかどうかは分からない。大衆の心を掴む目的でフレイがあの演説を行なったのなら、空襲の映像を流すのは全く逆効果です」
「自分たちの力を誇示したいのだろう。威迫だ!」
「なら、どうしてフレイはそれを演説中に言わなかったんです? あれではむしろ、自分たちを攻撃しろと言わんばかりだ」
カガリはちらとサイを横目で睨んだだけで、歩みを止めない。「誰かがフレイを嵌めようとしていると言いたいのか? おめでたい奴だなお前も」
「もしくは、フレイ自身がそうさせようとしているか、です」
「はぁ?」カガリは初めてサイを振り向いた。「世界の敵意を自分たちに集中させようとしているだと?」
「信じられないかもしれませんが……あのフレイなら、ありえます」
そう──俺はずっと、「あの」フレイを見ていたんだ。
彼女が敢えて俺たちに見せつけようとしていた嫌な部分は、今にして思えばアマミキョ統率の原動力となっていた。彼女が悪役に徹しなければ、あそこまでアマミキョは成長しなかった。アマミキョはフレイが育て──彼女自身の手で壊した。俺ごと。
彼女が俺を含めた世界中を敵に回すとは考えたくないが──そうする可能性はある。そして、そこには必ず何らかの理由があるはずだ。
「それにしても、あの演説内容も不可解だ。ディスティニープラン以上に」カガリは二人を先導しつつ、曲がりくねった通路の最奥──洞窟の底にも似た場所へ到着した。金庫のドアにも似た、鋼鉄の重い扉が眼前にある。低い天井からは汚水が少しずつ漏れ出し、雫となってサイの首筋にも落ちてくる。カズイも同様らしく、彼はその冷たさに思わず悲鳴を上げていた。
「すまんな。先の戦闘で、一部地下水が漏れ出してる」カガリはカードキーを懐から取り出すと、石壁から若干突き出したセンサーに押し当てる。すると、人の手ではどうやっても開けられそうにない扉が音もなく奥へと開いた
──と同時に、サイにとってはこの世で最も鬱陶しい部類に入るであろう声がその場に響きわたった。
「アーガイルくぅ〜ん! 来てくれたんだねぇ〜、心配したんだよぉ〜!!」
ほの暗い洞窟の奥で、紫色の頭髪のミイラがベッドに横たわりつつ、こちらに向かって片手を振っている──ように、サイには見えた。カズイはあまりの不気味な光景に慌てて岩陰に隠れ、サイも思わず半歩後ずさった。さらに声は追いかけてくる。「つれない顔をしないでおくれよアーガイル君、いやサイ君! 僕たちは二人とも奇跡の生還を果たしたんだ、再会を祝おうじゃないか! あ〜僕に両脚と右腕があれば、今すぐ君を抱きしめられたのに!」
「うるさい、少し黙れ変態犯罪者がっ」カガリが反射的に腰から拳銃を抜き、ミイラを威嚇した。「警告したはずだ、サイに何かしたら撃つと!」
「嫌だなぁカガリ、君は相変わらず嫉妬深いねぇ。そういうところも可愛いよ、でもね許しておくれよ僕は君もサイ君も好きなんだよぉ〜!」
このおぞましい光景に、サイはいつしか半笑いになっていた。「代表、まさかこの方は……」
必死でこめかみを押さえつつカガリは答える。「その、まさかだ……
ユウナ・ロマ・セイラン。オーブを売りかけた、元・代表補佐だよ」
「落下したグフに押し潰されたけど奇跡的に右腕以外の上半身は無事で命を取りとめた神の子と呼んでおくれよカガリ〜」
「……追加しよう。元・代表補佐で現・変態妄想狂だ」


その、数時間前。
サイは実に久しぶりに、自宅へ戻っていた。勿論寝る為などではなく、父と母に会う為だ。
──もう一度、アマミキョを建て直す為に。
外務次官であったアルスター家と深いつながりのあった父から情報を得て、協力を取り付ける。これがサイの──ほぼ1年ぶりの、帰宅の目的だった。
サイは居間に着くなり、出来るだけ簡潔に父に用件を切り出した。
アマミキョで起こった事件。船に隠された秘密。ティーダに巻き込まれたナオトの運命。フレイとの再会、別離、彼女の正体──話は取り留めなく続きそうだったが、最終的に自分はアマミキョを復活させ、もう一度チュウザンに行ってフレイと話をしたい。その意思は、父に伝えることが出来た。
サイが話している間、父は必要以上の質問をせず、息子の言葉にじっと耳を傾けていた。母が時折紅茶と菓子を運びつつ、笑いながら「いいんじゃないの?」とサイたちに相槌をうってくる。彼女の口元には朝食の残りだろうか、ブルーベリージャムがついたままだった。潔癖症で行儀に厳しかったはずの母なのに。
──そりゃ、そうだろう。サイは思う。
2年前、殲滅戦争の地獄からようやく息子が帰ってきたと思ったら、脱走兵扱いになってしかも婚約者は死んでいた。その後家出同然で飛び出していったと思ったら今度は乗っていた船が撃沈。奇跡的に生きて帰ってきたと思ったら、次はまた死地へ行きたいと言い出す。しかも、死んだ筈の婚約者の為に。
おかしくもなるさ。母親なら。
「アマミキョのブラックボックスなら、噂レベルではあるが聞いたことがある」勘当されてもおかしくないと思っていたが、父の口から出てきたものは意外な情報だった。「タロミの一族がかなり深層まで絡んでいるらしいな。アルスター嬢があのような演説にうって出たのも、準備が整ったからだろう」
「準備……つまり、人の業を取り去るっていう力が、完成したってことか」
「アマミキョにティーダが、彼女の『力』を形作る為のツールとなっていたのは間違いない。
この記事を見ろ」
サイの前に突き出されたものは、2カ月ほど前の新聞記事だ。地方版に載った小さな記事らしく、手のひら半分ほどの文章しかない。だが、2、3行読んだだけでサイの背筋に冷たいものが走った。
「まさか──ナオトとマユの行った海域で?」
空中を切り裂いた謎の巨大な光の柱、としか書かれていない記事。不可思議な自然現象の一つのように扱われていたが、サイは明確に心当たりがあった。記事の日付は、ナオトたちが出発して数日後。あの時アマミキョで感じた妙な戦慄は、勘違いでも何でもなかった!
「これ以上は何も公表されていないが、オーブ官邸と連合本部からの情報をまとめると間違いなく、お前の言うギガフロートのあった海域だ。間違いなくそこにティーダ、そしてナオト・シライシたちもいたようだ。
ザフトが調査に入ったという情報もあるが、他は何も分からん。ティーダは勿論、ギガフロートの存在そのものが消失していたという他はない」


「そうだね、お父上の言う通り。ナオト君もティーダも、煙のように消えてしまった……一体、どこへ行ったんだろ〜ねぇ?」
半分茶化すように、サイの話を聞いているユウナ。そんな彼にまたしてもカガリが沸騰した。「貴様、よほどナオトが気に入らんようだな……あいつはオーブの報道にとっても大事な!」
「ハーフムーンで直接会うまでは僕もそう思っていたがね、あそこまでの恩知らずはいないよ。あんな偏見を恥ずかしげもなく主張する子供に、バラエティはともかく報道は任せられないね。どのくらい酷かったかって? カガリ、君よりよほど酷いといったら分かるかな?」
「どれだけの減らず口を!」「その点、サイ君は公正だったよ! ちゃんと僕に謝ってくれたし」
ユウナの熱い視線とますます猛るカガリをサイは辛うじて無視して、話だけを続ける。「それでは、官邸にもティーダの行方についての情報は、何も入っていないと?」
「そ〜んなことはないよ。僕が何の手土産もなく君に逢いたいなんて言うと思う?」ユウナは残された左腕、その袖口から器用に一枚の写真を取り出した。
どこかの森の中。巨大な紅の、宇宙船にも似た鋼鉄の物体──全貌は分からないが、おそらくモビルスーツの一部だろう。脚部か、乗降口か、腕部か。
その手前に、物体と同じ紅のパイロットスーツを着用した少女が写っている。少女と分かったのは、その人物がヘルメットを脱いで豊かな黒髪を晒していた為でもあるし、背後から撮影されたせいかその腰つきがやたら肉感的だった為でもあるが、何より──おぼろげにしか分からないが、この無邪気な、それ故残酷さを秘めた幼い表情にサイは見覚えがあった。
「……マユ、か?」信じたくない。写真だけでは分からないが、彼女が愛しげに関節駆動部らしき部分を撫ぜている、この物体は──
「今、世界を駆け巡るじゃじゃ馬、ストライクフリーダム・ルージュとそのパイロットだそうだよ。アングラ雑誌記者が撮ったヤツで、とある方面ではかなりの話題だよ〜。特にこの、大人になりきらない未熟なお尻の艶感が」
サイより先にカガリがユウナに掴みかかった。「ユウナ! 貴様いつの間にこんなものをっ……重大な情報を、よくも今まで黙って!」
「今報告したじゃないか」
「馬鹿者! 何の為にある程度貴様と外部との接触を自由にしていると思っている!」「あれ? 僕の男としてのストレス処理の為じゃ」「……奇跡的に残った股間まで潰されたいようだな」「カガリ〜、一国の女王ともあろう者がそんな言葉づかいは良くないなぁ」「穏便に言い直してやろう。貴様は自身に残された無駄すぎるローエングリンを処分されたいのか」「光栄だね。イーゲルシュテルンと言われたら正直判断に迷ったところだけど」
ゴミを見る目でユウナを見下げつつ、パキポキ指を鳴らすカガリ。そんな漫才の横で、サイはひたすら写真の少女を睨みつける。写真が語る事実を見つけ出そうとして。
このモビルスーツは──俺たちが守ろうとした街を破壊していた。そのパイロットが、マユ・アスカだと?
マユはナオトやアマミキョの出来事を通じて、痛みを理解する娘になったと思っていた。初めはいかにもこういうことをしそうな娘だったにせよ、彼女は変わったはずだ。アレに乗っているのが、この写真の少女がマユであるはずがない。
よくよく見れば、表情や雰囲気はマユのそれとは奇妙な違いがあった。無邪気そうな点は同じだが、眼はこんなに好戦的な光をたたえていたか? 少しでも刺激すれば咬みついてきそうな危険さは、マユにはなかったはずだ。
「何時間眺めていたって、マユちゃんは答えてくれないよ」ユウナとは別の、ひどく懐かしい声が響く。同時に肩を叩かれてサイは顔を上げ──思わず叫んでいた。「しゃ、社長! ご無事だったんですかっ」
「無事、でもないかな。腹の脂が特にね」数か月の間にげっそり痩せ細ってはいたが、その余裕たっぷりの声は間違いなく、アマミキョ最大のスポンサーであり文具団社長の──トレンチ・ムジカノーヴォだった。
ロゴスの一員であることが公表されて以降、行方をくらましていた社長。てっきりどこかの暴徒の手にかかったものと思っていた。
かつてより目方が半分以上減ったかに思える身体でありながら、社長は豪快に笑って見せる。「今は元・副隊長のご自宅にてお世話になっている身だよ。いや、僕のことはいい──
サイ君。君には早急にお詫びをしなければと思ってね」
サイは笑わず、身体を固くした。社長が何を語るつもりか──覚悟はしている。


場面は再び、アーガイル家。
「サイ。社長と話がついた──恐らく、アマミキョの真実は彼が語ってくれるだろう。アスハ代表の御前でな」
別室から戻ってきた後、父は静かに告げた。何でもないことのように言ってのける父だが、あのムジカ社長と堂々と渡り合うとは──自分の家柄や父の権力などには特に興味を持っていなかったサイは、今更のようにその力に驚愕させられた。
黙って頭を下げるサイに、父は言う。「どんな真実が待っていたとしても、彼を恨んではいけない。
私は旧キリスト教信者ではないが、ビジネス上重要なことだ。本気でアマミキョを再建するつもりならな。
今資金を出せるのは、まだ地下で勢力を保っているムジカ社長であるし、セイラン家の力も未だ侮れん」


サイは父の言葉を噛みしめつつ、社長の語りに耳を傾けようと努力したが──その心を砕くかの如き言葉が社長の口から飛び出した。
「最初から、全て計画済のことだったんだよ。
ウーチバラでの襲撃事件から、アマミキョの撃沈まで。
ザフトと連合が再び開戦に向けて動き出していたのも織り込み済みで、その中でティーダやアマミキョが激戦地でどう動くか。
それが、僕たちに用意された課題だった」
それは一体誰が。何のために。サイは冷静さをどうにか保ちながら拳を握りしめる。
「AD時代は、戦争とは非常に大きく経済が動くものと信じられていた。
だが今は違う。大量破壊兵器が惜しげもなく使用され、とんでもない額の損失が計上されまくる。モビルスーツを作っても作っても、鉄くずの山が出来るだけ。損にはなっても誰の得にもなりはしない。
費用をかけてモビルスーツを開発しても、工場が次々潰されたうえに土地まで使えなくなっちゃ、何の利益にもならない。
さて、どうするか──ロゴスだって一枚岩なわけじゃない。一部の人間は戦争での利益より、それによる損失の方がはるかに大きいと知っていた。
そこへ話を持ちかけてきたのが南チュウザン──タロミ・チャチャだよ」
「お前たちはっ……それに乗ったというのか!」カガリの金髪が激しく逆立つ。「その為にアマミキョを、サイたちを犠牲に!!」
今にも殴りかかろうとするカガリを、サイは黙って右手を上げて制した──代表に対して若干無礼かも知れない、と承知しながら。
社長はなおも滔々と喋る。「世界から戦いをなくす為のツールを作らないか──それが、彼らの提案だった。
報酬は約束されていた。何より殲滅戦がなくなることが相当の利益になる。アマミキョの計画は非常に順調に進んだよ」
「全くステキな話だねぇ」いかにも皮肉です、という口調でユウナが口を挟む。「人類から戦う意思そのものをなくす、それこそが実験船・アマミキョ開発の目的だった。ティーダも、パイロットも、アマミキョのクルーも、全員が崇高なる実験台だったんだ。
もっとも、僕がコレを知ったのはつい先日だがね。早くに知ってたら、ハーフムーンでサイ君たちにあんな醜態を晒さずにすんだのになぁ」
「アマミキョとティーダは連動する。君も既に勘づいているだろう、アマミキョが人の感情を束ねる船だということを」
そう──俺は聞いたんだ。フレイから、この真実を。サイは静かに正面から社長を見据え、言葉を継ぐ。
「南チュウザンでは、人の戦闘意思を消失させる効果のある兵器を開発している。アマミキョとティーダは救助隊の名を借りた試作兵器だった。どういう経過か詳しくは分からないがとにかく実験は成功した。恐らく、俺たちアマミキョクルーがアマクサ組の手で統率されてきたことによるものだと思いますが。
実験船としての価値を失ったアマミキョは不要なパーツとして処分され、南チュウザンは世界へと大きな一歩を踏み出した──そして文具団は報酬と、戦いのない世界を手に入れる。そういうことですね」
一切の感情を交えずに言い放つサイ。社長は笑みを崩さないが、その目には何の感情も見えなかった。「理解が早くて助かるね。君に殴られに来たと思ってるよ」
殴る価値すらないと思ってますよ。言いかけたその言葉を、サイはぐっと飲み込んだ。そのかわり、満面の笑みを貼りつけて社長に挑む。「であれば、自分にも報酬をいただければ嬉しいです」
ほんの少し計算上の利益が上回ったから、社長は俺たちをろくでもない運命の坩堝に放り込んだ。なら──「その権利はあるはずでしょう?」
その回答も織り込み済みだったか、社長の笑みは全く変わらない。「賠償として、アマミキョを復活させろ。
そう言うと思っていたよ」
サイは真顔に戻る。ここはストレートに押した方がいい。「再度アマミキョを建造・構成するだけの資金と技術、人員を自分に下さい。
それが、自分の求める唯一の報酬です」
「唯一とはいえ、少し高すぎやしないかい? 僕が君に力を提供することで、君は何を齎してくれる?」
このサイコパス野郎と心中毒づいたが、サイは全力で感情を伏せてなおかつ好意的な表情を貼りつけて話し続ける。「社長に、復興した工場や農地、道路や公共施設などのインフラを提供できます。いくら世界が平和になろうと、残された土地が今のように、破壊された荒地ばかりではどうにもならないでしょう?
アマミキョの再生が成れば、平和になった世界にいち早く農地や施設や住宅を用意できる。アマミキョの名声も社長の評判も上がります。損はしないと思いますが?」
「なかなか成長したね。感情論で来るなら席を立たせてもらうところだったが」
「そのお答えは、OKと考えてよいのですか?」「この騒動でこちらも結構資金繰りが危うくなっている中、軽々と約束は出来ない。だがせっかく君も私もここまで来たんだ、最大限の努力はしてみよう」
「サイ、お前……」カガリは信じられないといった面持ちでサイを見つめる。狐と狸の化かし合いを見ているしかないといった按配だろう。サイの後ろでひたすら気配を消して隠れるように縮こまっているカズイも同じだ。何せ一国の首長と元首長と大企業の社長相手の秘密会談である、一般人であるカズイは消えたくて仕方ないに違いない。
「話は早い方がいいでしょう。アスハ代表!」サイは半分強引に話を進め、カガリを振り返る。ここは勢いで持って行った方が勝つ。「今、分かっている分だけで結構です。アマミキョ全員の、現在の住所データを下さい」


「あ〜ん〜た〜達い〜っ!!」
社長からアマミキョ復活の約束を一応取りつけ、カガリからデータを拝借し、官邸を飛び出して意気揚々とアマミキョ乗員探しに乗り出したサイとカズイの前に立ちはだかったのは──社長よりユウナより何より恐ろしい怒りのオーラを全身から放散する、ミリアリア・ハウだった。
外に跳ねた髪をさらに逆立てて迫る彼女に、サイは引きつり笑いを返す以外の術を持たない。「や、やぁミリィ、久しぶり……元気?」
「すっとぼけてんじゃないわよ! キラたちはともかく、この私にも黙って出てくって一体どーいう了見かしら!?」
つい数週間前まで、傷ついたサイに抱きついて泣いていた少女と同一人物とは思えない。素直に謝るしかない。
「ごめん、ミリアリア。
ただ、君たちにはアークエンジェルの仕事があるだろ? みんなを巻き込むわけにはいかないよ」
「だからって、あんな書置きだけじゃ余計みんな心配するじゃないの! ラクスさんが大丈夫、って言ってくれたから良かったけどっ」と、サイと一緒に彼女は歩き出す。カズイの手から住所データの詰まったモバイルを奪って。
「お、おいミリアリア、何す……」「使えるものは何だって使うんでしょう? だったら私だって、サイに使われてあげたいのよ。三人で手分けすれば、もっと早くアマミキョだって復活出来るわよ」
立ち止まりながら早口で喋りつつ、片手でモバイルを操作しデータを眺める。「あ、この人たち今は駄目ね……プラントに行っちゃってる。今、大変だから。……この人もだわ」
「え」サイもカズイも驚いて彼女を見つめた。「そんなこと、一体どうやって」
「メイリンが教えてくれたの。オーブからプラントに向かった救助隊のデータをあの子が拾ってくれたのよ。
照合すれば一瞬で……あ、この人も」
「メイリンって、アスランと一緒にザフトから逃げてきたっていう娘か? 空恐ろしいな」
「だってあの子、元ザフトの情報エキスパートよ。個人情報覗くぐらい朝飯前」
エルスマン経由の情報じゃなかったんだ。そう言いたいのをサイはぐっとこらえた。今そんなことを口にすれば、俺は今度こそ殺されてしまう。
「みんな心配してるのよ、サイのこと。それを無碍にしたらバチが当たるわよ」
ミリアリアはふと真顔になり、歩きながらサイを見つめる。数か月前に、俺の手を拒絶した女──
わずかに覗いたそんなサイの感情を読み取ったのか、彼女は静かに言った。「私たちのやったこと、サイは軽蔑するかも知れない。
二年前と今とじゃ、サイと私の考え方に乖離があって当然だと思う。
だけど、信じて。私たち、サイを助けたいの」
「分かってる。ありがとう」サイは真剣にそう思いながら答えた。
キラやラクスに対して、少しでも何か思うところはないのだろうか。正直サイはミリアリアの心の内が以前にも増して読めなくなっていたが、とりあえず彼女の優しさには甘えることにした。そうしろと彼女が言っているのだから。
力を求めてアークエンジェルに戻った彼女は、世界最強の剣と行動を共にし──勝利を手にした。
それでいいじゃないか。
「それにしても、プラントを助けようって人がこんなにたくさんアマミキョにいたのね。それだけの意思と技術を持った人が」
「あぁ。多分、フレイとリンドー副隊長、トニー隊長のおかげだよ」
ミリアリアは首を振る。「また。勿論それもあるけど……
サイ、分かってる? 貴方がこの人たちを避難させていなかったら、おそらくこの人たちも……」
「俺の力なんて微々たるもんだよ。そもそもあの時のフレイは、クルーまで殺すつもりはなかった。
フレイは俺だけを殺せれば、それで良かったんだ。推測だけどね」
「自虐にならないでよ。あのフレイの心なんて、サイにも私にも誰にも分からないんだし。
そもそもあのフレイは……私に言わせれば、フレイの皮を被ったただの鬼よ」
「鬼、か。それも含めて、俺は確かめる。
行こう」


それから1週間というもの、3人はアマミキョクルー集めに奔走した。オーブ国内のみならず、連合領にまで飛び出して。
その過程で、サイはよく見知った顔数人と再会出来た。


女医──スズミ・トクシ。
サイもネネも失ったと思い込み、無力感にうちひしがれた彼女は自宅に引きこもり、かつてのハマーもかくやという程の酒浸りの生活に陥っていた。
サイと再び会えた瞬間、彼女は艶を失った金髪をふり乱してサイに抱きつきながら何度も何度も謝った。涙ながらに。そして責めた。サイの取った最後の行動を。頭の包帯や左腕の傷を精一杯労わりながら。


ブリッジオペレータ──ヒスイ・サダナミ。
彼女もスズミと同じく引きこもっていたが、自宅ではなくトニー・サウザン隊長の実家にいた。
細々とデータ入力の内職をしている彼女に再会した時、サイは最初に出会った時の無気力なヒスイを思い出した。髪はぼさぼさで目は落ちくぼみ、以前よりさらに痩せ細っていた。
再会のその時こそ涙が出るほど彼女は喜んでくれたが、オサキの顛末を話した瞬間──サイは、頬を張られた。
号泣しながらサイの胸を何度も殴り、サイをひたすら責めた。どうして、どうして、副隊長がついていながら。
涙でサイのワイシャツを濡らしながら、それでも最後に彼女は呟いた──「副隊長が生きていてくれて、良かった」。


隊長──トニー・サウザン。
ヒスイを宥めながら、彼は実に素直にサイの生還を喜んだ。ビールまで引っ張り出してくれたが、まだサイがギリギリ未成年であることに気づき、やめた。
再会したクルーの中で最も腰を据えて最初から最後まで話を聞いてじっくり感情移入してくれたのは彼だったと、サイは後から思った。


山神隊──伊能大佐。
たまたま休暇で戻ってきていた彼に、サイは思いがけない事実を知らされた。
ギガフロート・シネリキョに移送されたガンダム・ティーダを密かに追っていた広瀬少尉について、彼は言葉少なながらも語ったのだ。「帰ってこいって山神隊長が命令したはずなのに、2か月も3か月も行方知れずのまんまだ、あのトンチキ野郎──命令違反がどんだけ重罪か、思い知らせてやらァ」
「ナオトたちの情報は、何か掴めていないんですか?」サイが尋ねると、伊能は首を振った。「定時報告じゃ、ナオトはママと一緒に楽しくやってた。
──と、言いたいところだがな」
伊能はウイスキーのグラスを引っかけつつ、3センチほどの厚さもある報告書をサイに手渡した。「元は電子データで何重にも暗号化されて送信されたものだがな。内容が内容だ、こうして紙ベースにしてデータは廃棄処分にしておいた。だからこいつを知ってるのは俺と山神隊長だけだ。
上層部にも渡しちゃいねぇ。お前がお仲間引きつれて来たらお前にも話さなかったよ」
まず厚さに驚いたサイだったが、その中身は比較にもならぬほど驚愕ものだった。連合兵に未だに抵抗があるカズイとミリアリアを連れてこなかったのは、結果的に吉と出たのか。
マユ・アスカの真実──彼女は既に2年前のオーブ防衛戦で死亡しており、今までサイ達がマユだと思っていた少女はチグサ・マナベなる人物の「再生」の為の「入れ物」にすぎなかったこと。
チグサ復活の過程で、フレイが何をしたか。カイキが何をしたか。マユ・アスカという魂を使って──彼女を媒介として。
そして、マスミ・シライシの真相。ナオトにSEEDがあると知った母親が一体何をしたのか──
どうしようもなく震えだす手でページをめくりながら、サイは思いを馳せずにはいられない。「行かせるんじゃなかった……ナオト」
こんな母親だと知っていれば。しかも俺は、マスミ・シライシの危険性を薄々察知していながら!
報告書は次々に現実をサイに告げる。マユ──そしてカイキ。戦争さえなければ、ごく普通の仲の良い兄弟に見えたのに。「何で俺は、何も気づかずに……」
「気づけるわけねぇだろ、こんな精神異常者どもの所業!」伊能はグラスをあおりつつ吐き捨てたが、すぐに言い直す。「……いや、すまない。腐っても婚約者だものな、フレイ・アルスターは」
「元、ですよ。恐らく、彼女にとっては」「お前さんにとっては現、ってこったろ」
報告書はシネリキョの内部構造を明かし、ティーダの遠隔起動の可能性について触れた途中で終了していた。ちょうど、これからナオトに接触する予定というところで。
広瀬がシネリキョとティーダの全貌を把握しかかったところで、シネリキョであの事故は起こったのだろう。報告書の言葉を借りれば、『セレブレイト・ウェイブ』の暴走事故が。
「広瀬は几帳面な奴だ。何があっても最後まで報告を怠ることはない──こんな中途半端な報告書、奴が満足する訳がねぇや」
ナオトやマユたちの安否を思い黙りこくったサイに、伊能は不器用ながらも告げる。「必ず報告は完遂する、それが隊長命令だ。守れないようなら、俺は奴を隊員として認めねぇ」
「広瀬少尉は、生きていると?」「当たり前だ。そうでなくとも──必ず何かの形で残りの報告をしてくる」
伊能はまた勢いよくグラスをあおる。サイの頭の中で、ただただ雑多に混ぜ合わさっただけだったパズルピースが、かちりかちりと組み上がっていく。
ずっと疑問だったマユやカイキの挙動には全て理由があった。アマミキョとティーダ、俺たちが利用された理由も、もう少しではっきりと見えてくる。
ただ、その中心にあるものが未だにはっきりしない。ぽかりと空いたパズルの中心。──フレイ・アルスター。
彼女は周りのピースを混乱に混乱させて渦巻を起こし、その中で一人眠っているようにも思える。
サイは丁寧に報告書を伊能に返し、その日は帰路に着いた。持っているだけで背筋が寒くなる報告書だった。


「そうか。山神隊にも会ってきたか」
「お会いできたのは、伊能大佐だけでしたが──山神隊長以下、みなチュウザン方面の部隊に参加中とのことです」
自宅でリハビリ中のリンドー・エンジョウにも、サイは一人で会った。
カズイやミリアリアを伴って伊能からの話をするのは、二人にとって危険すぎる。そう判断したからであるが──
「ご存知だったんですね。アマミキョの本来の目的も、副隊長は……」
「元、だろ」重い義足を引きずるようにしながら、リンドーはリハビリ用に設置した通路の往復を続けていた。額の汗が妙に似合わない。「ちぃ……これがプラントなら、重力制御で少しは楽になるものを。地上は全く融通がきかんでな」
「副隊長っ!」惚ける相手に、サイは少しばかり声を荒げる。「俺は、本当のことが知りたいんです」
「知ってどうする? どうにもなりゃせんさ、儂らはみんな国の掌で動かされているだけだ」
そんなことは分かっている。サイはリンドーの細い眼の奥を必死で覗き込む。「二度と同じミスをしたくないんです。アマミキョを二度と、利用されない船にする為に!」
次第に高くなるサイの声。「フレイのこと、ナオトのこと、マユやカイキのこと、アマクサ組のことも!
今俺がつかんでいる事実を、貴方はどこまで知っていたんですか」
知っていながら俺たちにのうのうと講釈垂れてたのか。その言葉をぐっと飲み込む。
「アーガイル。言ったはずだがな……
どうあっても、抗えない流れがある。
儂がある程度の事実を知っていたとしよう。どの局面で、儂に何が出来たと思う?
あの頃のお前らに話したところで誰も信じやしないどころか、銃殺の上に全否定だ。
せいぜい、運命にみすみす呑まれないための説教をするぐらいが手一杯でな」
「弁解は、聞きたくありません」
「そう言うな。……といっても無理か。
だがおかげさまで、死ぬはずだったお前が生き残ったろう?」
サイはそれには答えず、手も貸さず、黙ってリンドーが床に腰を下ろすのを待った。「やれやれ。老体にこいつはキツイ……
ところでアーガイル。連れは?」
不意の質問に、サイは一瞬戸惑った。「え? ホテルで待たせてますが」
「いい判断だ」
何が言いたい。相変わらず思考の読めない親父だ──とりあえず一緒に腰を下ろしながら、サイは次の言葉を待つ。
「お前には、人を惹きつける習性がある。もうそろそろ自覚してもいい歳だろうが」
正直自覚は出来ないが、何人かに指摘されたことはある。カズイにはそれが原因で嫉妬までされた──本人の言葉によれば。
「人たらしは上に立つ者にとって不可欠の能力だが、時として禍を呼ぶこともある。
ティーダの力がアマミキョを沈めたように、どんな力にも正と負がある」
リンドーは何を言い出したのか──何となくサイには読めた。
脳裏でフラッシュバックする、炎と雪の中のネネの上半身。
首から血を流したまま操縦桿を握るオサキの死体。
指が半分ちぎれた手で自分に小瓶を渡すハマー。
「──連れがいないならちょうどいい。久しぶりの講習会をしてやろう」



サイがアマミキョ復活へ動き出して、2週間。
「良かったわよ、アスハ代表のテレビ演説! あれできっと、こんなひと昔前の刑事ドラマみたいなことしなくても、アマミキョにもどんどん人が戻ってくるって」
サイとカズイと喫茶店で落ち合ったミリアリアは、元気よく告げた。
伊能大佐という連合軍人や元副隊長だったリンドーと会って以降のサイは、どうも単独で行動しがちだった。少し前からカズイまで遠ざけて。
何故自分やカズイを頼らないのか──そんなサイが、ミリアリアにはもどかしい。
「演説? 代表が?」コーヒーには申し訳程度に口をつけつつ、サイは眼鏡の奥から訝しげに彼女を見つめる。
「えぇ。SUNテレビから代々的にね。あそこはナオトゆかりのテレビ局だし、色々と協力的だったみたいよ。
『チュウザンを救う為、意思ある者は集え、トニー・サウザンとサイ・アーガイルのもとへ!』ってね」
「な……」サイは一瞬絶句していたが、すぐに俯いてコーヒーに視線を落とす。喜ぶというより、むしろ逆の感情がその顔に現れている。怒りでもないが──諦念に近いものが。「あの人らしいな……俺に何の断りもなくいきなりか」
「それって……大丈夫なのかな」カズイが横から小声で口を挟む。
「大丈夫って?」ミリアリアには意味がつかめない。サイの代わりにカズイが説明した。「だって南チュウザンにしてみたら、サイは死んだことになってるはずなんだ。
フレイの手で、サイは殺された。アマミキョと一緒に。──そうなっているはず、なんだよね?」
確認するようにカズイはサイを覗き込む。ゆっくりサイは頷いた。「フレイが今のフレイになるには、恐らく俺を殺す必要があった。
アマミキョの他のクルーはともかく、俺だけは殺さなけりゃいけなかった」
「この前も聞いたけど、どうしてなの? 確証は?」
「フレイ自身が言ってたんだ。他の奴にも何度も警告された。
それに実際、俺だけを狙った奴だって……」そこまで言いかけて、サイは口ごもった。
ミリアリアの顔を一瞬凝視してしまい、強引に視線を引きはがす。
何だ? 今のは一体何だろう?
そんな仕草をされたら余計に気になる、それが分からないサイでもあるまいに。
サイは答えない。じっと右手の甲を口に当てたままそっぽを向いているだけだ。カズイも不思議そうにそんなサイを見ている──多分、サイしか知らないことなんだ。
「とりあえず、俺のそばにはいない方がいいよ」
サイはコーヒーの代金をさりげなくテーブルに置きながら、いきなり席を立つ。
何よそれ。コーヒーだって全然減ってもいないじゃない。バルトフェルドさんが見たらキレるわよ。
「俺、ホテルに戻るよ。ミリアリアも気をつけて」
視線も合わせずに立ち去ろうとするサイ。そんなことを言われて放っておけるわけがない。「冷たいこと言わないでよ! みんな、貴方の力になりたくて……」
思わずサイの右袖を掴むミリアリア。だが、思いのほか強い力でその手は振り払われる。怒声と共に。「触るなよ!」
全く似合わない冷たい声で、サイはミリアリアを見下げていた。「アークエンジェルを手に入れて、力を手に入れて、上から目線で俺を助けてあげますなんて言われたって、ちっとも嬉しくないんだ。
ジャーナリストになりたいって言ってエルスマンまで振った癖に、結局やったことと言えば自分たちの正義を振り翳して相手を一方的に叩き潰しただけだろ!」
一体サイは何を言い出したのか。何を突然怒り出したのか。コーヒーに毒でも入っていたのか?
「さ……サイ? 貴方何言ってるの? 本気で言ってるの?」
「あぁ、本気だよ。君の言うとおり、使えるものは何でも使わせてもらう。
けど、力こそ全てみたいな思想に迎合する気は微塵もないからな!」
「違う! サイ貴方分かってるでしょ、アークエンジェルはそんなんじゃ!」
「じゃあどんな船だよ、アークエンジェルは! 少なくとも俺には、戦いを止める船には見えないよ。
あれは戦いを混乱させるだけの船になっちまっただろ」
違う。サイはやっぱり何か隠してる。こんな奴がサイな訳がないんだから。
「サイ、みんなを侮辱しないで! みんなそんなつもりで戦ったわけじゃ!」
「結果的にはそうだろ。そして最強のキラ様と最強の歌姫様と最強の船は今日も戦いを止める為に出撃していくと!
良かったな、将来安泰で。いずれ世界征服でもするつもりかい?」
ああ、そうか。このお人よしの馬鹿は……
それにしても、ちょっと不器用すぎじゃない? 周りに人が結構いる場所なんだけど、その気遣いも出来てない。いつものサイならあり得ない。それだけ、必死なんだろうけど──
もうこの時点でミリアリアはサイの真意に勘づいてはいたが、とりあえず付き合ってみることにした。「サイ、お願いよ。私たち、みんなを守りたいだけなの」
精一杯、健気な少女の表情をしてみせる。わざとらしいほどに。その顔を見た一瞬、サイの眼鏡の奥に動揺が見えた。
気づかれた?って声が聞こえてきそうだ。気づいたわよ……馬鹿。
「……今更何だ、いい加減に離れてくれよ!
俺をいらないって言ったのは君だろ!」
唖然として立ち尽くした──ふりをしたミリアリアを尻目に、サイはさっさと店を出ていく。カズイも慌ててそれを追いかけていった。
しばらくは騙されててあげるけど、あとで覚えてなさいよ。
慣れないことして怪我したって、知らないから。犯人は伊能か、もしくはリンドーとかいうオヤジか。一体何を吹き込まれたらああなるのか。
それにしても──
──俺をいらないって言ったのは、君だろ。
そんな言葉を吐いた理由が薄々分かっているとはいえ、サイの今の言葉は何だ。胸に深々と刺さったまま、離れない。
「あんな言葉、言えるようになっちゃったんだ……」
胸元のモバイルが反応したのは、そんな時だった。メイリンからの緊急通信だ。
<ミリアリアさん、大変です! キラさんとラクスさんが……>




「………どうして?」
<───!!>
「………何で、そういうことするんだろう?」
<───、────! ───……!!>
「そう、分かった。すぐ戻るわ」
とんでもない状況にも関わらず、逆にミリアリアは妙に冷静になれたと言える。
全く、私の周りは何でこうも馬鹿ばっかりなのか。舌打ちと共に呟きながら、支払もそこそこに通りに飛び出した。
──まだ通りにいるはずと思っていたサイたちは、忽然と消えていた。
タクシーがなかなか来ない細い裏通りで、しかもホテルまではほぼ真っ直ぐな一本道のはず。なのに見渡す限り、道路のどこにもサイたちの姿は見えない。
何故? 今の、たった一分ほどの通信の間に?
まさか。ミリアリアの脳裏に、ある恐ろしい可能性が雷光のように閃いた。
<戻って下さい、ミリアリアさん! 多分サイさんたちもすぐに……>
「もう、遅いわ」
──貴方本当に馬鹿ね、サイ。
貴方があんなことを長く続けられるわけがないのに。あんなことをしたって貴方が傷つくだけなのに。
本当に馬鹿な上に、──運も悪い。下手をすると、アレを永久に続けないといけなくなる。


 

 

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