「今はどうにか、薬で落ち着いています」
「落ち着いたぁ? 無理矢理眠らせただけだろうが!」
厳重に外側から何重にもロックされたナオト・シライシの病室。その前で、ルナマリアはヨダカ・ヤナセに事情を説明していた。説明しながら、怒鳴られていた。シン・アスカも一緒に。
「分かっているんだろうな。彼は貴様らのオモチャではない!」
シンは既にヨダカから2発ほど修正を喰らっている。赤く腫らした頬を庇いもせず、シンは呟いた。「分かってます。大事なティーダのパイロット、でしょ」
「シン!」慌ててルナマリアがたしなめる。この物言いに呆れたか、畳みかけるようにヨダカは告げた。「青春ごっこで他人を傷つけるな。ミネルバJrは12時間後、出発する。準備を怠るなよ」
それだけ言うと、ヨダカはさっさと大きな背中を返して立ち去った。長い金髪の女性を連れて──その女はふとルナマリアを見やりながら、彼の後を追っていく。
何だろう、あの妙な冷たさは? ルナマリアは彼女を気にしつつも、置かれた状況に落ち込まざるを得なかった。
シンもルナマリアもそしてナオトも──はっきり言わずとも、最悪な精神状態だ。
ナオトは鎮静剤を打たれこんこんと眠りつづけ、ルナマリアはあの事件以降、シンともろくに話が出来ないでいた。二人は揃って廊下のシートに腰かけているが、その手と手は繋がらない。触れられもしない。
張られた頬を気にもせず、ルナマリアの頬のガーゼも見ないようにしながら、シンはふと呟いた。「あいつ、知ってたのか。マユのこと」
動かないままの横顔。もうこれは──話すしかない。「ずっと、一緒にいたそうよ」
「何だよそれ!?」瞬間、シンは吠えながらルナマリアを見た。何故言わなかったなどとルナマリアを責めるより先に、意味が分からないという感情が真っ先に顔に出る。紅い瞳がまじまじとこちらを凝視してくる。「だって、マユは──」
「知ってる。だけど確かにナオトは、マユと一緒にいたのよ。そう言ってた」
「ワケ分かんねぇ……」
そりゃそうだろう。私だって、メイリンとアスランが生きていると知った時、ワケが分からなかった。ましてやシンは、目の前で妹の──マユの死を、見ていたのに。
「最初は、同姓同名の別人だと思ってた。そんなはずないと思ったわよ。
でも──ナオトがあのケータイを見た時、そうじゃないんだって……」「やめろ!」
シンは思わず立ち上がり、そのまま駆けだそうとする。駄目だ、こんなシンを放っておくわけにはいかない。こんな状態で、モビルスーツに乗るなんて。──「ごめんなさい、シン、待って!」
ルナマリアは思わずシンの袖を掴む。だが彼はその手を敢然と振り払った。
「離せよ! ルナに俺の気持ちなんか分かるわけないだろ!」
彼女に絶対に言ってはいけない決定的な一言を、シンは吐いた。それこそが今のルナマリアにとっての、シンに対する最大の負い目だったから。──大切な存在を永久に失った者と、そうでない者。
「シン、何を……」「いい加減、俺への同情はやめてくれっ!
ナオトにだってそうだ、お前は傷ついた奴を見つけて慰めることで自分を慰めてるだけだ! 本当はまだ、アスランが好きな癖に!」
なんで。どうして、シン? どうしてナオトも私もみんな遠ざけるようなことを言うの? どうして?
あまりのショックに、ルナマリアは次の言葉が出てこない。シンはさっさと駆け去ってしまい、彼女は独り取り残された。
──確かに私、メイリンを失ったと思った時、シンの傷が少しでも分かると思った。
でもそれは、結局思い上がりにすぎなくて。
メイリンも、アスランも生きていた。私は何も失くしていない。何も失くしていないが故に──
今、シンを失いかけている。



「俺たち、どうなるのかな……」
黙ったままのサイにくっついて震えながら、カズイは呟いた。
今二人はトラックの荷台に乗せられ、ひたすら揺られ続けている。軍の旧式の補給用トラックに、無理矢理詰め込まれたのだ。
周囲には同じように連れてこられたと思われる人間が、ざっと20人ほどもいる。乗降口には銃を所持した連合兵が二人待機。乗客たちの顔は皆一様に、絶望の底に沈んでいるように見えた。
オロファトのホテル前から突然サイと一緒に車に詰め込まれ、次は何も言われないまま船に詰め込まれ、30時間ほど経過した挙句がこの状態だ。窓は通風孔程度の小さなものしかなく、ご丁寧にもその小窓にも金網が張られている。今自分たちがどこへどう運ばれているのか、どうしてこうなっているのか、全く分からないままカズイは酷い揺れに吐きそうになっていた。
実際嘔吐している者もおり、兵士らがそれを片づけるわけもなく、車内は異臭で満ちている。
そんな中サイは何も言わないまま、状況を静観している──ように見える。
アマミキョ復活の為にあれだけ奔走していたのに、もう一歩というところでいきなりこんな場所に入れられるとは。今、サイは何を考えているんだろう。何を感じているんだろう。──いやそれよりも、そもそも俺たちは一体どうなるのか?
体育座りで座らされ、パーソナルスペースなどという言葉が存在ごと消し飛ばされたかのように人で詰め込まれた空間。酸素を吸うだけでも精一杯だ。景色は何も見えず、小窓からの光で今が昼か夜かを判別するしかない。
何とか隣の中年男から聞き出せたのは──「連合の収容所」という単語。
心当たりは勿論ある。2年前、俺たちは連合の脱走兵という扱いになってしまったんだ。サイクロプスと共に犠牲になるはずだったアークエンジェルは、すんでの所で罠から脱出して逃げのびた──ザフトに背を向けて。オーブへたどり着いたアークエンジェルは、それ以降連合に反旗を翻した。
俺はオーブでアークエンジェルを降りたけど、サイたちは連合軍と戦う選択をして……
だけど、戦後自分たちの身には何もなかったから、アスハ代表が守ってくれたんだと思っていた。チュウザンに行っても、連合軍と遭遇しても何もお咎めはなかった──そのはずなのに。
「何で、今なんだよ……」カズイは両膝の間に頭を埋める。俺たちは一生、収容所で強制労働なのか。
横にいるサイは何も答えてくれない。何やら腹を決めている様に静かだが、カズイには何も読み取れない。
あの喫茶店でミリアリアを怒鳴った時から、正直カズイにはサイの心情が分からなくなっていた。あんな風に女の子を怒鳴る奴じゃなかったのに──
と、不意にカズイは手首を掴まれた。ほの暗い月光しか射さない闇の中、サイの青い瞳が眼鏡の奥でカズイをじっと見つめ、光っていた。何も言わず、サイは自分の指でカズイの手のひらをなぞる。
何やら文字を書きつけているようだが、カズイは何が何だか分からない。サイは辛抱強く、何度か同じ言葉をなぞる──
やっと分かったのは、「何があっても、俺を信じろ」。そんな言葉。
カズイが意味を掴んだと察したらしいサイは、ぎゅっとカズイの手を一度握る。それきり何も言わずに横を向いて黙り込んだ。
信じる。信じてるから、ここまで来た。だけど──
釈然としない思いを抱えながら、カズイはトラックに揺られているしかなかった。



数十時間にも及ぶ移動の末に、ようやくサイたちはトラックから降ろされた。
どす黒くしか見えない曇り空の下、枯れ果てて色を失くした草原が眼前に広がる。申し訳なさげに生えた林、その向こうに──
地平線の端から端まで続く高い塀と、鉄条網が見えた。無機質な灰のコンクリ。
どこからか川の音も聞こえたが、すぐにトラックの轟音で掻き消された。今トラックが走ってきたであろう道路はあの塀の中へと続いているように見えたが、カズイは気づいた──ここはもう、塀の中だ。
俺たちはもう、塀の中に入れられた。
次々に塀の向こうから入ってきては止まるトラックから降ろされる人々の列、列、列。それを銃と軍用犬で原始的に追い立てる連合兵。塀に通じている道路という道路は連合兵によってくまなく塞がれ、アリ一匹も逃がさない構えだ。
そして立ち塞がる塀の、こちら側に広がる景色を眺めてみる──見るからに粗末なバラックの建造物の集合体。ちょうど、アレに似たものを避難民用に建てたことがあるが、それよりも数段見劣りする。
今俺たちは、そのバラックに向かっている。カズイは身震いしながら、必死でサイを見上げた。もう俺にはサイしかいない。
こんなところに来てしまった以上、もう俺には──「サイ!」
だがサイは全くカズイを振り向きもしない。じっとバラックの小屋や人々を眺めているだけだ。どうしたんだ、俺の声が聞こえてないのか? もう一度呼びかけてみるが、サイはやはり答えない。カズイなどそこに居もしないかのように。
その時──連合兵二人を乗せたサイドカーつきのバイクが、こちらに爆走してきていきなり停止した。
「サイ・アーガイル。それにカズイ・バスカークだな」
サイドカー側に乗っていた連合兵が、てきぱきとした動作でサイの傍らに降り立つ。この声は──どこかで?
「貴方は……!」サイも気づいたのか、ふと表情をわずかに緩めて声の方向を振り返る。だが相手を見た時、その顔からはあっという間に感情が消えた。
メットを目深に被ったその兵士には、確かに見覚えがあった──カズイにとっては人生最悪の思い出の中に存在している人物ではあったが。この男は──「トノムラ軍曹……ですか」
アークエンジェルにおいてはCICで索敵担当をしていた、目立たないが仕事の出来る男。ノイマンやチャンドラと並んで、アークエンジェルの危機を何度も切り抜けてきた男。そういえば、サイクロプスの罠にかかった時に激昂したサイをあえて殴り、諌めたのもこの人物だった──ジャッキー・トノムラ元軍曹。だがその茶色い瞳に、かつての優しさと気弱さは微塵も見られなかった。
久しぶり、などという言葉ひとつもかけず、単刀直入に彼は切り出した。「二名には戦争犯罪者への支援及び情報漏えいの容疑がかけられている。アーガイルには3時間後、1800より尋問を行なう。第三ブロックに所長室がある」
サイやカズイには返答の余裕すら与えられず、トノムラは走ってきた兵士に呼び止められた。「所長! トノムラ所長ッ」
「第1903番トラックからインフルエンザ患者が出ました」「何……症状は」
「咳・発熱以外に既に下痢、嘔吐の症状が出ています」
トノムラはサイたちには目もくれず、兵士たちと走っていく。「すぐに1903番トラックの人間を戻せ! 全員、素早く動けッ」
寒空の下、よく通る声で命令するトノムラ。機敏に兵士たちは動き、カズイとサイたちのいたトラックのすぐ2、3台後ろの車輛に吸いついた。ようやく閉鎖空間から降ろされたばかりの人間たちが追い立てられ、また元のトラックに戻される。倒れかかっている女性や子供まで。
「よし、連れていけ」全ての人間が再びトラックに詰め込まれると、そのトラックはカズイたちの来た道とは別の分かれ道を走り、林の向こう側へ消えていく。サイとカズイはお互い黙ったまま、急き立てられる人々と共に歩き出すしかなかった。
その数分後──
突然、地鳴りにも似た爆発音が響きわたる。見ると、林の向こう──トラックが走り去ったあたりから、轟々と音をたてて火柱と黒煙が上がっていた。
カズイは思わずサイを見上げてしまう。何だ、何があったんだよ。トノムラさんは今一体何をしたんだよ!?
兵士たちは特に動揺する様子もなく、淡々と消火作業に向かう。サイはトノムラを見ながらぐっと奥歯を噛みしめていたが、決して何も言わなかった。
「さすが所長だ。病原菌の予防には、早めの駆除が一番だな」こともなげに言い放ったのは、傍らでトノムラを補佐していた兵士だった。
そんな。カズイは眩暈が抑えられない。
彼は──トノムラは、アークエンジェルで最後まで戦った、誇りある戦士じゃなかったのか。地味だったけど、気弱そうな人だったけど、いざという時には頼りになる優しい人だった。俺なんかと違って、逃げ出すことなく最後まで──それが、それが、今のは一体何だ?
「なぁサイ、どうしよう……俺たち、どうしたらいいんだよ」
兵士の眼を盗みながら、カズイはこそこそとサイに早口で喋りかける。だがサイは全くカズイに反応しない。ただ黙りこくり、すたすたと歩いていくだけだ。
すぐ近くにいるはずなのに、はるか遠くへサイが行ってしまう──ブラウンのスーツの背中が、明らかにカズイを拒んでいる。俺の声が聴こえてないのか? 俺の存在が分からないのか? サイ!
急激に胸を満たしてくる悪寒。カズイは思わずサイの左腕に縋った──が。
「離せよ!」突如雷のように鳴りひびく怒声とどもに、カズイの手が叩き払われた。
そこにいたのは、確かに、サイ・アーガイルには違いない。
だがカズイが全く知らない、想像すらしなかったサイが、そこにいた。眼鏡の奥からこちらを見下げる、ゴミを見るような冷たい視線。
何だ? どういうことだ、どうしてサイは俺を? カズイは全くもって訳が分からない。そんな彼に向けて、サイの唇から発された言葉は。「ずっと前から、鬱陶しかった。もういい加減にしろよ」
兵士たちにも聞こえるような大声で一言一言、ゆっくりとサイは言い放つ。「ずっとずっと俺にまとわりついて、一人じゃ何も出来なくて、何も判断出来ずに何でもかんでも人まかせで! どうでもいいことばかり心配している癖に自分では何もしない!
お前のこと、ずっと前から大っ嫌いだったよ」
何で。どうして。
何で、今? 
サイ、一体どうしちまったんだ?
カズイの足腰から一気に力が抜ける。サイの言葉の一つ一つが、冷たい刃となってカズイの心臓を抉る。今ここで、こんなところでサイに見捨てられたら。俺はもう──「やめてくれよサイ! 何言ってるんだ、お前そんな奴じゃ……」
「お前に俺の何が分かってるっていうんだ? 自分のことすら分かっちゃいないお前がさ、ちゃんちゃら可笑しいね。
お前自分がどんだけ卑劣で矮小な奴か、まだ分かってないのかよ? 
アマミキョが沈んだのは、お前のせいなんだよ!」
「何だよそれ……分かんねぇよ。サイ、何言ってんのか全然分かんねぇよ!!」
両拳を握りしめて思わず叫ぶカズイ。そんな彼の襟ぐりをサイは思い切り掴むと、ぐいと自分の方へ引き寄せた。助けを求めて、カズイは哀願をこめてサイを見つめる。嫌だ、嘘だと言ってくれ、あの時俺がいてくれて良かったって言ってくれたじゃないか──サイ。
だがサイの表情はそんなカズイを見て、歪む。見たこともないほどに眉間に険しく怒りの皺が寄り、白目が剥かれ、口の端が笑いの形にも見えるほどに引き攣った。「戦いは嫌だなんてほざいて、みんなを放り出してアークエンジェルから逃げた癖に。
今更どのツラ下げてアマミキョまでついてきたんだと思ってたら、まさか女探しだったとはなぁ。しかもスパイの女ときたもんだ。見事にその女に振られた癖に、未練がましくあいつを手引きしてその結果、アマミキョは沈んだ!」
嘲笑すら交えてサイはカズイを罵倒する。
「貴様ら! 私語は慎めとあれほどっ」兵士たちがわらわら集まってきたが、トノムラがそれを制した。言葉を発さず、じっとサイ達の様子を観察している。サイはそれに気づいているのかいないのか、まだカズイを怒鳴り続ける。
「ホント、ヤな奴だと昔っから思ってたけど……俺が構ってやらないとなんて余計な情けをかけてたらこのザマだよ。
元々信用なんかしてなかったけど、アマミキョが沈んだ上に収容所にブチ込まれるなんてな。
ホント疫病神だよ、お前は」
瞬間、頬を張る軽い音が一発響き、サイは乾いた地面に倒れる。殴ったのは勿論カズイではなく──トノムラだった。
「いい加減にしろ。次に私語を交わすならこの程度ではすまんぞ」
地を這いずりながら、張られた頬をじっとサイは押さえている。その目がやがて、じろりとカズイを睨んだ。
ずれた眼鏡の奥から、お前には恨みしか残っていないとでも言いたげなサイの視線がカズイを刺す。
なんで。なんで。なんで──カズイの中を、様々な過去の想いが駆け抜けては消えていく。
全部嘘だったのか? あの優しさは、全部嘘だったのかよ?
2年前、俺をアークエンジェルから降りた時に励ましてくれた言葉も。
もう一度一緒にアマミキョに乗った時も。
俺がアムルさんに裏切られた時も、アマミキョが沈んで二人で漂流していた時でさえ、サイは優しかったのに!!



サイとカズイが収容所に囚われ、48時間が経過した。
二人は別々のバラックに引き離され、それぞれが厳しい労苦の生活を強いられることになった──
ただカズイにとって救いだったのは、数少ない自由時間は意外に好きに動けることと、周囲の人物が比較的穏やかな者たちだったことだ。
中には子供が集団で生活しているバラックなどもあり、新人のカズイを興味津々で見に来る子供らなどもいた。カズイの心が晴れることは当然なかったわけだが、この環境は彼にとってかなり救いだったと言える。
だが、サイは──トノムラの所へ連行されてから、姿を見なかった。
サイに関する全てがカズイの中では粉みじんに砕けていたが、それでもサイを信じたい気持ちはどこかにあり──
結局カズイは自由時間を使って、子供たちから少しずつ情報を得た。
もっとも確実と言える情報は少なく、分かった事実はずっとトノムラのいる所長室に囚われていることだけだった。一日中両腕を縛られ天井から吊り下げられていたなどという、かなり信憑性に欠ける噂もあった。やはり子供の情報というだけのことはある──カズイはサイの件については、もう自分の目で見たこと以外、信じるのは止めることにした。
そのかわり、何故かトノムラの情報だけは多かった。何故、目立たないが好青年だった彼があのような男になってしまったのか──
「僕、聞いたことあるよ。妹が連合に連れてかれて人質になってんだって」
「え〜? 私は家族全員って聞いたけどな」
「俺ぁ恋人って聞いたぜー」「バッカでー、アイツに彼女なんかいるかよー」
……子供らの言葉をどこまで信じたものか。やっぱりカズイには判断がつかなかったが、ともかく話をまとめると。
2年前の戦いの後、連合領に家族を残していたトノムラはオーブに隠れ住む選択はせず、故郷に戻った。戻った理由は分からないが、恐らくその前後で家族か、もしくは大切な存在を人質にとられたか脅迫されたか──連合がやりそうなことではある。
連合は当然に彼を極刑に処すると思われたが、彼にとってはそれよりも重いであろう刑を連合は課した。つまりそれが、僻地の収容所における大量虐殺執行である。
平和な世界を望んで敢えて軍を離れ、命を賭けた兵に対して──あまりにも惨い。
だがそれが、連合流の見せしめでもあるのだろう。殺されるよりも遥かに酷な刑を課し、そんなトノムラの姿をある程度公にすることでアークエンジェル脱走事件の再発防止ともなる。──嫌な言葉だ。
しかし、改めてもくもくと「仕事」に邁進するトノムラを見かけるたび、カズイは思う。
女子供までも含めた戦争犯罪者を次々に収容し、不要な者は「処分」し、部下と軍用犬を使って収容者たちを過酷な労働へ追い立てる。時には、トラックで一定数の収容者を連行していったと思ったら例の爆発音が響き、数分後に悠々と部下を引き連れて帰ってくる。その横顔にはかつての優しさや気弱さは勿論、わずかな後悔や憐憫すらも見えない。
一体何故なのか。そこまで徹底した、冷たい演技を強いられているのか。
ただ──カズイにはトノムラの境遇に想いを馳せている余裕はそれほどなく。
サイがどうしてああなってしまったのか。そして自分は今後どうなってしまうのか──少しでも時間が出来るとそればかり考えてしまって、不安が止まらない。情けない。しかも自分は特に尋問されることもなく、長く不安な時間だけが過ぎていくのだった。



ただ一度だけ、カズイがサイに会わせてもらったことがある。サイが気になって所長室のあるバラックの前をうろつき、どうにも決心がつかず入れなかった時、トノムラがカズイを部屋に招き入れたのだ。
取調室にも似たその部屋には、机と二つの椅子以外にはほぼ何もなかった。天井付近の換気用小窓以外にはろくな窓もない。奥に少し広めの砂場に似たスペースがあり、そこに粗末な敷物を敷いてサイが横になっていた。
サイの囚われの部屋であると同時に、トノムラにとっての囚われの部屋でもある──そのような空気の漂う、陰湿な部屋だった。
サイは特に外傷らしい外傷はないように見えたが、その顔色は真っ青を通り越して白かった。ひどい汗をかき、たった数日でかなり痩せたようにすら思える。
恐る恐る近寄ってみると、ずれた眼鏡の下から憎しみのこもった視線がじろりとカズイを見上げた。「……何で来た?」
カズイは答えられないまま黙るしかない。答えは一つしかないが──サイが、心配で。
だがサイはカズイの心情を踏みにじるが如く、トノムラに呼びかける。「所長。こいつが何か知っているわけがないでしょう──
俺、さんざん言ったじゃないですか。この裏切り者の臆病者に、アークエンジェルやアマミキョの機密事項なんか話せるわけがないですよ」
「その愚弄は聞き飽きた」トノムラはつかつかと軍靴の音を響かせてサイとカズイの間に割り込むと、不意にサイの、後ろ手に縛られた腕を無理矢理に捩じり上げる。サイはその意図する処に気づいたか、必死で腕を引っ込めようとするがトノムラの力に勝てるはずもなく、その両手首はカズイの前に晒された。
そこにあったものは、明らかに爪の間に何かが深く突き刺されたとみえる、左手の薬指と小指。
トノムラはあくまで冷静に、事務的に言い放つ。「カズイ・バスカーク。貴様はアマミキョの基幹システムに携わった経験はあるか?」
「い、いえ……」目の前に見せつけられたサイの指。その酷さに、カズイはそう答えるのが精一杯だ。俺は使いっ走りをやらされているだけだった。アマミキョのシステムがどう動いているかなんて、知るわけがない。
「では、アークエンジェルもしくはその乗員と、この1カ月のうちに接触したことは?」
「サイの見舞いをした時に、ちょっとだけ……ですが」
「彼らと話なんて、こいつは殆どしようともしませんでしたよ。こいつはアークエンジェルが大嫌いで逃げ出したんだ!」
サイが悪態をつくが、トノムラはその腕を抑えたまま微動だにしない。「今はバスカークに質問している、黙っていろ。
現時点でのアークエンジェルとの通信コードは知っているか」
「知りません」知る気もない。
サイの爪をじっと見ていることしかカズイには出来ない。恐らく、針か何かを間に刺されたのだろう──赤黒く変色しつつある爪には、申し訳程度の消毒液しか塗られていない。薬液すらひどく染みるとみえ、カズイを嘲笑しながらもサイの表情は痛みに歪んでいた。
「俺は、知らない。本当に、何も知らないんです」カズイは呟く。その意味では、サイの言葉に嘘はない。
「分かった」それだけ言うと、トノムラは不意にサイを突き放す。力なく床に転がるサイ。トノムラはそんな彼には目もくれず、カズイに告げた。「帰れ」
その一言だけで、カズイは所長室から追い出された。サイとろくな会話をする余裕も与えられないまま。



二日後に事件は起きた。
収容者たちに課せられている開墾作業中に、カズイは何者かに背後から殴られ気絶した。
そして気づいた時には、同じ収容者らしき男が二人、カズイの周りを囲んでいた。場所は鬱蒼とした林の中──労務作業の場所とは離れているため、他に人の気配は全くない。二人がどうやってトノムラの眼を盗みカズイをここまで運んできたのか、彼には全く分からなかった。
一人は頭髪に白いものが混じった、やや彫りの深い西洋系の顔立ちの男。身体つきから、元軍人だったようだ。
もう一人は──その男より首一つほど高い身長と、1.5倍はあるかと思われる体重を誇る大男。常に舌をわずかに出しながら、口で息をしている。
これまで何度かこの二人を見かけたことはあるが、今この大男の息づかいはやたら激しくなっているように思える。明らかに、カズイを殴ったのはこの巨漢だった。
その赤い鼻先をぬっとカズイに近づける大男。ぎょろりと剥かれたままの二つの眼球は、それぞれが微妙に別々の方向をむいていた。口からは生臭いよだれが次々に流れ出している。熱い息。覗く虫歯。
──明らかに、大男の頭はイカれていた。
「やめろ。そ奴は無関係だ」元軍人風の男が静かに言うと、すぐに大男はカズイから手を引っ込めた。何が起こっているのか、意味が分からない。「念のため聞くが──」大きくない方の男はカズイに尋ねた。「二年前、貴様はアークエンジェルに乗っていたか」
「ハ、ハイ」カズイは恐怖のあまり、反射的にそう答えるしかない。「の、乗って、いました。途中で降りましたが」
「何処で」
「オーブで、です」「オーブ解放戦前か」「ハイ……」「ならばいい」
それだけ言い捨てると男は巨漢を引き連れて、縛った手を解きもせず、静かにカズイの前から立ち去った。



殆ど身動きが出来ないまま放置されたカズイがようやく発見されたのは、日が暮れてからだった。
自力での脱出を諦めて眠り込んでいたところを兵士たちに叩き起こされ、カズイは無傷で収容所に戻された。
その帰途で──カズイはトノムラを見かけた。泥の塊のようになっている一人の男を手錠で繋ぎ、連行してくるトノムラを。彼に繋がれて無理矢理にふらふら歩かされている男に視線を移し──カズイは息を呑んだ。
あれは──眼鏡が外れているから俄かには分からなかったが、あれは──「サイ!?」
カズイは慌てて駆け寄ろうとしたが、当然兵士たちに押しとどめられた。だがカズイの声に気づいたのか、男の視線がぼんやりとこちらを向く。
常夜灯の無情な光が、そのずぶ濡れの身体をはっきりとカズイの前に晒し出す。あれは確かに──サイだ。
ラクスから貰った服が全て見事に泥にまみれ、その泥を洗い流そうとして河にでも飛び込んできたかのような目茶目茶な有様だ。よくよく見ると顔は泥だけでなく、血で汚れている。
だがその眼はカズイを見た時──ほんの一瞬だけ、喜びと安堵の色で満たされた、ような気がカズイにはした。すぐにサイは目を背けてしまったが、あれは確かに本来の、サイの──優しい眼の色じゃなかったか。
このあまりの異常事態の中で、カズイは何故か安心してしまった自分を感じていた。と同時に閃光のように、とある思考がカズイの中で覚醒する。
俺の考えは酷く傲慢なものかも知れない。だけど、何となく分かった気がする──サイが何故、俺にあんな態度を取ったのか。
この推測は完全な誤りで、もしかしたら本当にサイは、俺に対して酷い嫌悪感を抱いているのかも知れない。だって俺は、あんなことを言われても仕方のないことをしてきたのだから。ずっとサイの優しさに甘えて、俺は自分で自分を許してきてしまった。
だけどもし、俺の予想が当たっていたら。むしろその可能性の方が遥かに高い。今まで俺はずっとサイを見てきたんだ。どう間違ったってあんな態度を取る奴じゃない。取れる奴じゃない。
カズイはようやく気づいた。俺は一体今まで、サイの何を見てきた? この状況下──頭が回りすぎるほど回るサイであれば、俺に対してあのような態度に出るのはむしろ必然なんだ。どんな状況でも他人を想い、自分を二の次にしてしまうあいつであれば。
サイに一体何があったのか。俺が縛られている間、サイに一体何が起こってしまったのか──むしろ俺が心配すべきはそっちだ。サイが俺を嫌いになったのかどうかなんて、今考えることじゃない。
もし本当に俺が嫌われたとしたって──それはそれで構わないじゃないか。今まで疎まれなかった方が不思議なんだ。



どこまでも青く輝く天空を駆ける、ストライク・フリーダム。
だがその翼はよく知られる自由の青ではなく、紅蓮に染まっている。翼だけではなくその姿は全て、血でも塗りたくったような紅に輝いていた。
武装のわりには華奢な、ルージュと名付けられたその機体に、まとわりつくようにスカイグラスパーが滑空してくる。
「ねぇ、その目的地ってのはどこなのさ」ストライクフリーダム・ルージュパイロット。マユ・アスカ──もとい、チグサ・マナベの可愛らしい声がコクピット内に響いたが、のらりくらりと逃げるような回答しかスカイグラスパーからは返ってこない。
<もうすぐだよ、チグサ。もうちょい辛抱だ、とっときのプレゼントがあるから>
「ちぇ。良さげな獲物なんて何もないじゃん」
チグサはメインモニターを軽く睨みつける。眼下には美しい緑の山岳地帯が延々と広がっていたが、その山の間から少しずつ、小さな色とりどりの折り紙のような家々が覗きはじめ、やがて市街地が露わになりだしていた。
当然、ストライクフリーダム・ルージュが見えた瞬間からこれらの街の人々は騒ぎ始めているわけだが、チグサにとってそんな事は知ったことではない。「早くドラグーンX、発射したいよぉ」
<さってと、低空飛行に移りますかね。お嬢様>
「相変わらずヤな言い方すんね、トールはさ」
チグサが素早く、なおかつリズムを取りながら軽快にレバーを操作しようとしたその時──アラートが鳴り響いた。
<来た!>スカイグラスパーからのノイズ混じりの叫び。同時に、紅のパイロットスーツに締め上げられたチグサの細いしなやかな身体は、激しく上下左右にコクピット内で撹拌された。さらに計器のあちこちから警報が狂奏曲を盛大に鳴り響かせる。サブモニターで確認すると、愛機の左腕が見事に関節部からぶっ飛んでいた。
ふぅん、やるじゃない。チグサは確信する。粋なプレゼントもあったもんだ。
ストライクフリーダム・ルージュの警戒システムとこの私の反射神経すらすり抜けてこの機体にダメージを与えられる奴なんて、教えられた限りでは4人しかいない。
一人はフレイだが、あと三人のいずれか──出来ればあいつか、お兄ちゃんに当たってほしいが。チグサはゆっくりと後方モニターを確認する──そして彼女の唇には、その幼さに見合わない歪んだ笑みが浮かんだ。
「大当たりぃ〜。やっと来てくれたんだねぇ──待ってたよ。キラ・ヤマト」


 

つづく
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