スカイグラスパー搭乗中のトール・ケーニヒは軽く操縦桿を押して機体バランスを調整しつつ、状況を静観していた。
彼の眼前には、太陽を映して輝く蒼のストライク・フリーダム。そしてその蒼とは対照的な紅蓮で塗られたストライク・フリーダム。
やはりフレイの言ったとおりだ、あそこまでやれば必ずキラ・ヤマトは動く。いや、御方様の勘と言うべきか。
トールは受信機の感度を最大まで上げ、両機から響く声を拾う。既に吹っ飛ばされた紅のストライクフリーダムの左腕は、うまいこと山中に落下していた。
<君は……誰?>
<アタシはチグサ・マナベ。ずうっとあんたを待ち望んでたよ>
<どうして、こんなことをしているの? チュウザンを……!>
<カンタンだよ、この時を待ってただけ。アタシたちには、あんたが必要なんだ>
<こんなことで人をおびき出すやり方は、嫌だな……>
<だったら来なけりゃいいじゃん。アタシが困るけどね、ふふ>
チグサが笑った瞬間、キラ機は素早く体勢を整える──武装全開放。いわゆるハイマットフルバーストモードに突入する気だ。チグサ機の手足をもぐつもりか。紅のストライクフリーダムの関節部と武装が瞬時にロックオンされていくさまが、何も見えずとも手に取るように分かる。だけど、そうはいかない。
<ちょーっと待ったぁああ〜!!>場にそぐわない、チグサの素っ頓狂な声が響いた。<下、見てみなよ。ここは市街地だよ?>
山に囲まれてはいるが両機体の直下には、寄り添うように家々が密集している。天空で突然起こったこの騒ぎで、おそらく今頃は──
この事実に、キラ機の動きが一瞬止まった。
<アタシの手足をもぐのは勝手だけどさ。
腕も足も全部、街に落ちるよ? 言っとくけど、このあたりって早期警戒システムとか殆ど機能してない。軍もろくに駐留してないから、多分今頃みんな逃げ惑ってるよ〜?>
通信の向こうでチグサがくすりと笑う。
卑劣は卑劣だが、仕方ない。恨むなら中途半端な覚悟をした自分を恨むんだな。
PHASE-37 オギヤカ浮上
「やはりそう来たか。タロミめ」
鬱蒼と茂る森。木陰から切れ切れに覗く空を見上げつつ、アンドリュー・バルトフェルドは舌打ちした。
その横から、地味な灰色のフードを目深に被った少女が呟く。「キラ……」
山の中腹。少し高台となった位置にあるその場所からは、青々と成長していく新緑の葉に遮られつつもまだ、ストライクフリーダム同士の対峙が肉眼で確認できた。
「ラクス、まだここは危険だ。ダコスタたちにも誘導させているが、どこまでもつか」
だからそもそもの最初から、こんな所に来るのはよせと言った。バルトフェルドはその言葉をぐっと喉元で呑みこみ、フードの少女──ラクス・クラインを見つめる。「あの方の目的は恐らく、私とキラです。ならば……」
「その真相を知る為にも、引くわけにゃいかないか」
フードとその横顔を見ていると、ふと3年前を思い出す。プラント中のお尋ね者として追われる身となった彼女を匿い、戦い続けた日々のことを。
自分は、ラクスにより命を拾われたようなものだ。あの時以来、自分は彼女によって生かされている。
だからバルトフェルドにしてみれば、彼女を護る為に戦うのは当然のことだった。だが──
自分はラクス・クラインをどこまで知っている? 自分はラクスがどうしてここまでわざわざ足を運んだかすら、正確には分からない。ラクスが幼いころに亡くなったはずの母親を探す、それしか知らされてはいなかった。
ただ、彼女を護る為には自分が必要だ。だから自分はここにいる──それは上空で戦うキラ・ヤマトも同様のはずだった。
「しかしなぁ。こんなに大勢引き連れてくることもあんめぇだろが」バルトフェルドは呆れたようにラクスの背後を見る。そこには何十人もの女子供が着のみ着のまま、ラクスに連れられて町から避難してきていた。「言い出したら聞かんからな、ラクスは」
「思ったのです。サイさんの姿を見て……」ラクスは空中のストライクフリーダムを凝視しつつ、呟き続ける。「私はこれまでずっと、市井の人々のもとに寄り添って考えることをしませんでした。
本当の平穏とは何かを考えることもせず、ただ漠然と平和を望みながら、今そこにある戦いを止める為に戦うばかりでした。私も、キラも」
「だから今、人を助けるって?」戦場じゃこんな連中はごろごろしてるんだ、そいつらみんな拾って歩くわけにゃいかない。
バルトフェルドも指揮官である以上、無駄に人命を損耗する戦闘は避けてきたつもりだ。だがどうやっても、民間人の犠牲が避けられない時はある。こんな時代であればなおさらだ。「んなもん、それこそアーガイル達みたいな救助隊に──」
そこまで言いかけて、バルトフェルドは気づいた。ラクスの視線がいつの間にかストライクフリーダムから離れ、あさっての方向──森の奥の闇を見つめていることに。「ラクス? おい、どうしたっ」
彼女はバルトフェルドには目もくれず、突然走り出す。「お母様!」の叫びを残して。
「ラクス!? ダコスタ、そっちは任せた!」この地域がニュートロンジャマーの有効範囲から少しばかり外れていて幸いだった。通信機に怒鳴りつつ、バルトフェルドはラクスを追って駆け出す。通信機の向こうにいる彼の腹心・ダコスタは今、市街地でM1アストレイを操りつつ住民を誘導中だった。後方には例の、ドムトルーパーの3人組も待機させてある。
人を助けたい。そして、母の真実を知りたい。そんなラクスの願いを叶える為の、バルトフェルドの準備。抜かりはない──はずだった。
だが今フード姿のラクスは何かに導かれるように、深い闇へと消えようとする。見失ってはいけない、見失っては!
一体何が起きた? こんなラクスをバルトフェルドは知らない。ラクスはいつでも、何が起こっても、冷静さを絶対に失わない女性だ。
どんな過酷な状況に陥っても、彼女は俯瞰の視点を忘れたことがない。何が最善かを常に見極める眼力を持つ、稀有な存在──だからこそこれまで、多くの人間がラクス・クラインに追従してきた。バルトフェルドもその一人だ。
なのに今、ラクスは取り乱している。ありえないことだった──今まで彼女を見守ってきた自分にとっては。
ラクスは一体何を見た。お母様? こんなところに母親が現れたというのか、どう考えても罠じゃないか!
ラクスの母親は随分前に亡くなったはずだ。ラクスから母親が生きていると断言され、しかもチュウザンの騒ぎの中心にその人物がいる可能性まで示唆された時は、さすがのバルトフェルドも面食らった。
だが、これまで彼女の勘が外れたことはない。あのディスティニープランのノートを発見した時もそうだった。ノート一つでデュランダルの企みを見抜いた彼女の怜悧な頭脳は賞賛に値するものだ。
それに最近、死んだはずなのに蘇った奴らの話をよく耳にする。マリュー・ラミアスの隣をまんまとぶんどってくれたあのハゲタカ野郎然り、サイ・アーガイルが話していたあのフレイ・アルスターも然り。かつてアスランのお仲間だったという、死んだはずのザフト兵の話もサイから聞いた。
もしや、ラクスの母親もか。そう思ったから堂々と反対も出来なかった。
だが、幾らなんでもこの状況はあまりにも迂闊すぎる。見えている地雷を踏みに行くも同然だ。血を分けた母親だからといって、ずっと会えなかった母親だからといって、あのラクスがこうも易々と心を乱されてしまうものなのか。
バルトフェルドは走りながら、ふと木々の向こうの空を仰ぎ見た。と──
「まさか、ドラグーンかっ!?」
紅のストライクフリーダムの背部から、全周囲攻防システム・ドラグーンに酷似した形状のミサイルが次々に発射されている。有線式のようではあるが、6つに分離してチグサ機を中心に直径1キロほども大きく円を描くように浮遊したそれらは次第に異様な光を帯び始め、中心に光が収束していく。紅蓮の炎を纏って輝き始めるストライクフリーダムの装甲。
「まずい!」
バルトフェルドは一目散にラクスに向かって駆け出す。彼女の灰色のフードがやっと見えたか見えないかのところで──
全ては光と熱に包まれ、爆ぜた。
<しょーがないじゃん。アンタちょこまかとすばしっこいんだから。
ま、このドラグーンXを壊さなかったのは正解だね。これ、一つでも壊したらこんなモンじゃ済まない。
アタシも死ぬけど、アンタも死ぬよ>
ストライクフリーダム・ルージュの決戦用必殺兵器とも言えるドラグーンXが、遂に炸裂した。
その威力がどんなものかというと──チグサ機の前方の地表を、幅は約1キロ以上、距離数十キロにもわたって光と熱に変化させて吹き飛ばしてしまう、およそ規格外のシロモノであった。
そしてチグサも言うとおり、作動中にドラグーンXを壊そうとすればそれ以上の破壊力をもって、ストライクフリーダム・ルージュは自爆する。当然、敵機も含めた周囲を巻き込んで。
全くもって、御方様考案らしい発狂兵器と言える。実戦では初めて目にするその威力に、トール・ケーニヒは苦笑を貼りつけつつもかすかな身震いを自覚せざるを得なかった。しかも虎の子のチグサをそんなものに乗っけてるんだから、ますますもってあの人は狂っている。
ただ、対キラ・ヤマト用としてはこれ以上を望めないシロモノだ。命を奪うことを最も忌み嫌うキラに対してだけなら、非常に有効な兵器だ。
<何故──……、君……は、──こんな……どうして──>
発生した膨大な電磁波のおかげで切れ切れになる通信から、ようやく微かなキラの呟きが聞き取れる。まさにキラ・ヤマトの為に実装されたが如き、鬼の決戦兵器。それが、このドラグーンX。
トールは素早く状況を確認した。──ラクス・クラインは。彼女の現在位置は。
ニュートロンジャマーの影響が少ないとはいえ、流石に今センサーは使えない。トールは肉眼で左手、山の中腹を眺めた。
よし、うまくいったようだ。予定通り、スカイグラスパーからでも確認可能な程度に大きい青の旗が掲げられている。実際に彼女がいたと思しき場所を見ると、相当ぎりぎりの所までドラグーンXの熱波が来ていたようだが。危ない危ない、あれは100メートルも離れちゃいないんじゃないか?
「まさかホログラムに騙されるとはねぇ。所詮ラクス・クラインも人の子か」
先ほどまで眼下に見えたはずの市街地は、全てが塵芥と化している。街から出ようと慌てふためいていた人々も含めて。
<アンタが強い力を持ったら、こっちもそれを超える力を持たなきゃいけない。
撃ったのはアタシだけど、撃たせたのはアンタ。戦うって、そういうことだよ。
この倍々ゲームはいつまでも終わらないよぉ〜。それこそ、人が進化を諦めない限りはね>
<──僕は……戦いたくない、だけ──……それでも>
まだキラの声は切れ切れだ。それに苛立っているのか、チグサは畳みかける。
<あのさぁ。多分アンタは、世界中から争いをなくしたい。そう思ってるんだよね?
だけど、んなこと無理なんだよ。そもそもアンタの存在そのものが、そいつを証明しちゃってんじゃん。
アンタ一人作る為にさ、どんだけ血が流れたと思ってんの?>
キラは答えない。ノイズがさらに高まるだけだ。逆にチグサの声はよく通る。<優秀な人間がいれば、それを超えようって人は努力する。それが人の進化を促す。
その欲望が極端になっちまったのが、今なんだ。今のアンタ>
<人は、そんなものじゃない……>
<そんなものだよ。だからアタシだってここにいられるんだ。
ホントなら、とっくに死んでるはずなのにね>
ノイズの向こうから、キラのかすれた声が届いてくる。明らかに動揺していた。<え……? 君は、一体──>
<ねぇ、それよりさっ。心配じゃーないの? ラクス様のこと!>
カズイが謎の事件に巻き込まれ、解決したかどうかも判明しないまま更に数日が経過した。
この環境にも大分慣れてきたカズイは、隣のブロックの子供たちと気さくに会話をする余裕ぐらいは出てきていた。そうしなければろくな情報交換が出来なかったということもあるが、何といってもやはりあの夜──サイの優しい眼を久しぶりに見られたことが大きい。
思い出すのは、ここに囚われる前夜のサイ。あの時、あいつが俺に伝えた言葉は何だったか。
──何があっても、俺を信じろ。
監視下の為、勿論肉声では伝えられなかった言葉。だからサイは俺に指でメッセージを残した。掌に。
サイにしてみれば、これだけは必ず俺に伝えなければいけなかった言葉だったろう。それを俺はあまりの混乱で、ずっと忘れていた。
おそらくサイには意図がある。俺を遠ざけなくてはならなくなった理由があって──だが、それは具体的には何なんだ?
「そういえば私、お父さんからこんな話聞いたことあるよ」
ある時自由時間に子供たちと話していたところ、ふと一人の女の子がお喋りを始めた。随分昔にもらったらしい、真っ赤なイチゴの色をしたキャンディの中に白いクリームが渦を巻いているおもちゃ。但し舐めて甘味を噛みしめることは出来ないそれを魔法のステッキのように振り回しながら、女の子は話す。
「昔々あるところに、仲の良い家族がおりました。
お父さんとお母さんとその娘。3人は貧乏ながらも仲睦まじく暮らしていました。
ところがある日、お母さんが病気になると、お父さんは家を出て行ってしまいました。
そのままお母さんは帰らぬ人となり、娘は親戚の家に引き取られ、お父さんを恨んだまま十数年を過ごしました。
ですが、成長した娘がある時森へ出かけた時、森の奥深くで奇妙なドクロを見つけました。
何故かそのそばにはお父さんのペンダントが落ちていて、周りには病気を治す薬草がいっぱいに生えておりました。
そう──お父さんは家族を見捨てたのではない。お母さんを治す為に薬草を探して森で迷いに迷い、そして──」
「帰らぬ人となっていた、か」カズイは年の割に意味深な話をする女の子をまじまじと見つめる。「すごい話をするお父さんだねぇ。それとサイと、何か関係が?」
「カズイとサイの話聞いたら、何となく思い出しただけ」そこまで言うと、彼女はうなだれる。「私のお父さんも、いつの間にかいなくなっちゃった。ここにいる子は大体そう、だから多分サイも……」
「ちょっと待てよ」隣にいた男の子が彼女をたしなめた。「それ、あんまり大声で言わない方がいいぜ」
「何故?」
さらにその奥にいた男の子が、見回りを続ける連合兵の方をチラ見しつつさらに小声になる。「何故って……もしカズイの言う通りだったらさ、今の話奴らに聞かれてみろよ」
「そうだよ。サイのやってること、全部無駄になっちまう」
ここの子供たちは年齢よりもやや大人びており、警戒心もそれなりに強い。そうしなければやっていけない場所だからであり、また彼らは生まれながらに、そうしなければ生きていけない境遇下にあった。多くは中立支持者及び戦争反対派の子供であり、中にはハーフコーディネイターの子供さえいる。だからこそ、カズイも彼らを信頼してサイの件を話すことが出来たのだが。
そして彼らは最悪、連合軍の施設に連れていかれて実験体にされるなどという、まことしやかな噂すらあった。
「だとしたら、トノムラはもう気づいてるんじゃないかな」女の子は呟いた。「私たちに分かることが、あいつに分からないとは思えない。そのぐらい、アブない奴だよ」
「昔はそうじゃなかったんだけどね」カズイはポケットからおもちゃではない本物の飴玉を取り出すと、お礼がわりに女の子に渡した。「考えるよ。どちらにせよ、このままじゃサイも俺も参っちまう。
アスハ代表の助けばかりを期待するわけにもいかないしね」
所はオーブ。オロファトの首相官邸。
「どういう事だ! 北チュウザンに、キラが……!?」
ラミアスからの連絡を受け、カガリ・ユラ・アスハは思わず勢いよく立ち上がる。キサカが落ち着くよう諌めたが、彼女は止まらない。「あれだけ誘いには乗るなと言っておいたのに……馬鹿が!!」
普段無表情なはずのキサカも明らかに困惑の面持ちで首を振る。「ラクス嬢、そしてバルトフェルド。配下のダコスタの部隊も北チュウザンに現れ──忽然と姿を消した。ウーチバラ周辺宙域に留まっていたエターナルも同様に……何という」
「全くこんな時に!」カガリは苛立たしげにドッカリ腰を下ろす。「キラたちの捜索を急がせろ。全くエターナルも……あの宙域で何をしていたんだ」
「南チュウザン経由の貨物が大量輸送されていたらしい。確認に向かっていたようだ」
「アークエンジェルは無事だな」目配せするカガリ。その時、不意に執務室の扉が開いた。
カガリの前に現れたのは、一組の若い男女。「ミリアリアに……アスラン? こんな処で何を」
「カガリ! すぐに俺を南チュウザンに行かせてくれっ」アスランは髪を激しく振り乱し、いきなりカガリにくってかかる。まるでカガリが親の仇でもあるかのような勢いだ。慌ててミリアリアが止めたが、彼はその手を振り払い机に両拳を叩きつける。「キラが……! あいつがどうして、チュウザンの争いに巻き込まれなきゃならない!? どうしてキラが!!」
ラクスの心配はしないのか。猛るアスランを前に、カガリは急に自分の頭が冷えていくのを感じた。やっぱりこの男は、どこまで行ってもキラにお熱なんだな。「キラとラクスは自ら現地へ向かった。それはラミアスからの報告でも明らかだ」
アスランと一緒に混乱したのでは、恐らく奴らの思う壺だ。考えろ。考えるんだ──今自分が為すべきことは何だ。そしてこれから起ころうとしていることは何だ?
「キラとラクスはバルトフェルドたちと共に、何らかのテロに巻き込まれた。恐らくエターナルやストライクフリーダムごと。
だがサイの情報から判断して、タロミ・チャチャがキラたちの力を利用しようとしていることは間違いない。特にラクス・クラインの政治力とカリスマはな。それを考えれば、キラたちは生存していると見ていいだろう。
それにアスラン。お前はサイの話を聞いていなかったのか?
お前が行けば、確実に奴らに絡めとられる。お前もターゲットの一人だろう」
「だから黙っていろと!?」意外にも冷静なカガリに、アスランはさらに沸騰する。「みすみす手をこまねいているわけには!」
「勿論、黙ってなどいない」カガリはつと立ち上がり、靴音を響かせながら部屋を横切る。「南チュウザンの動き──
どうにも散発的過ぎる。まるで指導者が複数いるかのような違和感がある」
ミリアリアが首を傾げた。「全体的に、統率が取れていないと?」
「フレイの演説と同時に行われたテロ映像の公開が典型例だ。それはサイも疑問視していた──というか、サイに気づかされたんだがな。
タロミの意思ではなく、その下で複数の勢力が絡み合っている印象すら受ける。そもそも、これまでタロミ・チャチャなる人物が表舞台に出たことがあるか?
『神の復活』宣言にしても、写真と文字ベースの報道で流れただけだ。映像や音声はどこにも出ていない」
「そんな訳の分からない場所に、アスランを行かせるわけにはいかない……そういうこと、ですか?」
「そうだ。それにサイたちのことも気になる──というよりも連合の動きが、だがな。
連合も大幅に力を失ったとはいえまだ絶対的勢力、このままチュウザンの横暴を見過ごしているとは思えない。だからこそ……」
ミリアリアはカガリの思惑に気づき息を呑む。「だから、フレイの婚約者だったサイを人質にした!?」
「私はそう考えている。これまで連合には散々、お前たちやサイを始めとするアークエンジェルの件で色々言われてはいたが、実力行使に出られたことはないからな。今になってサイを捕らえるなど──それ以外に目的は考えられん」
「連合はフレイの動きを待っている……か」「そうだ。だがおめおめと出てくる相手かどうか」
「私は、動くと思います。フレイは」妙な確信をもって、ミリアリアは言い放った。
「何故そう思う?」「女の勘です」カガリの問いに、即答するミリアリア。そんな彼女にカガリは少しだけ微笑んだ。
「奇遇だな。私の予測も、女の勘だ」
カズイたちが囚われて10日が経過したある日。
やっと長時間の農作業が終わった後の夕暮れ──狭いバラックの床で横になっていたカズイは、何やら酷い煙と石油の臭いに気づいた。
「火事だ!!」同居人たちの叫びに、カズイは転がるように外へ飛び出していく。あたりを見回すと、ひしめく粗末なバラックの一角から黒い煙がごうごうと上がっていた。炎の粉が花火の如く舞い上がっている。
あれは確か、子供たちが集団で住んでいたはずのバラックだ。反射的にカズイは走り出して彼らの元へ向かったが、既に燃えるバラックの周辺は何故か連合兵により立ち入り禁止となっていた。数日前、カズイが子供たちと言葉を交わしたはずの建物は妙に勢いよく炎を上げていた。まるで噴火でも起こしたように。子供たちの姿はどこにもない。
炎の周りを連合兵たちが、何者も逃がすまいとして取り囲んでいる。その兵士たちを先導していたのは勿論──トノムラ。
何故。何故。一体どうして──カズイの中で、壮絶な勢いで疑問だけがぐるぐる回る。
トノムラが何をしたのか、もうカズイには分かっていた。カズイの横から猛然と走り出て絶叫する一人の女。
「レイリィーーーーーーーッッ!!! どうして、どうしてエェ!! あの子は何処なの、レイリィーーーッ!!!」
炎の中へ突っ込んでいこうとする女。トノムラが無言で彼女に視線を向けると、兵士たちが一斉に駆け寄ってきて女を羽交い絞めにした。子供たちの誰かの母親であろうか、発狂寸前のその女はさらに暴れまくり、目を剥いてトノムラを罵る。「あんた何てことを! 子供たちが何をしたんだい、レイリィが一体何をしたっていうんだい!?」
まだ若いはずだが最早老婆の如く顔をしわくちゃにして、炎の前でひれ伏し泣き叫ぶ女。「これがヒトのやることか! レイリィ、あぁああああああああああ!!!」
「新型の病原菌がこの棟から発生した」トノムラは当然のように顔色一つ変えず告げる。「早急に確実な対応が求められる。貴様はこの収容所を壊滅させろというのか」
「レイリィを、レイリィを返せ! この人殺し!」当たり前だが女は全く聞く耳を持たず、暴れ狂うだけだ。そんな母親の額に、トノムラは冷たい銃口を突きつける。「抵抗するなら──」
「ま、待って!」カズイは思わず自ら声を上げていた。こんなところで声を上げるのは非常にまずい、そう自覚しながらも。
燃え上がるバラックの裏口のあたりでは、既に焼け落ちた建材が瓦礫の山となり、その下からはあのキャンディのおもちゃが煙の間から見え隠れした──あの渦巻き型のキャンディを持ったままの、女の子の腕も。どんなに舐めても溶けなかったはずのおもちゃのキャンディは今、熱で黒く醜く溶け崩れていた。
サイはいない。今頼れるものは何もない。大人たちは諦めたようにうなだれて状況を眺めているだけで、誰も抵抗しようとしない。子供たちもこうしてあっけなく死んでしまった。
人の命がまるで塵芥よりあっけなく吹き飛ばされていく世界。それが当たり前の世界。
俺たちの命はこんなにも軽い。子供たちも、俺も、サイも、この母親も、大人たちも。
トノムラや連合兵の命ですら、この世界にしてみれば紙屑より軽いだろう。
だけど。だからこそカズイの中で何かが燃える。──どんなに軽くたって、命は命だろ。
「ま、待ってくださいよ」カズイは自らの中に湧き出た、得体の知れない意思に押されるように進み出ていた。
それだけで連合兵の銃口が一斉に彼に向けられる。銃の音だけで、カズイは震えあがり立ちすくんでしまったが。
──銃口の奥には何もない闇。もし光が見えたら、その時が自分の終わりだ。
「抵抗するのか、貴様も」トノムラは兵士たちを制しつつ、ゴミでも見るようにカズイを眺める。「いいだろう。
カズイ・バスカーク。軍務妨害の罪により、尋問を行なう。連れていけ。
他の者はすぐに持ち場に戻れ!!」
トノムラが告げた瞬間、カズイは泣き喚く母親と同様に兵士たちに両脇と頭を押さえつけられ、思い切り地面に額を打った。
砂塵と煙のひどい臭いが鼻孔をつく。ほんの少し血の臭いが混じった、そんな気がした。
カズイはそのままトノムラの居室に連れられ──再び、サイと顔を合わせた。
部屋の隅で粗末な汚れた毛布を被せられ、サイはずっと横になっていた。ぱっと見て分かるほど衰弱しており、毛布から覗く手首は痩せこけている。ずれた眼鏡の奥から、やや飛び出し気味になった眼球がぐるりとこちらを向いた。
その眼には既に嫌悪も優しさも、何の表情もない。ふとカズイがサイの手に視線を移そうとすると、彼は素早くその手を引っ込めた。包帯だらけの指がちらりと見えた。
「カズイ・バスカーク。手短に行く」トノムラは机を挟んでカズイの真向かいに立ちはだかり、言い放った。「再度の質問になるが──
貴様は民間船アマミキョの基幹システムについて、何か知っているか」
先日とほぼ変わらない質問だった。違うのは──
質問をしながらトノムラがカズイの額に、真っ直ぐに拳銃を突きつけている点だけ。
その銃を見た瞬間、サイの右手と視線が僅かに動いた。唇が何かを言おうと動きかけたが、体力の消耗もあってか発声もままならないようだ。ただカズイはサイの様子を横目で何とか気づくことが出来ただけで、あとは多少の失禁をしつつ震えあがる以外に出来ることはない。
そんなカズイを前に。そしてサイを背後に、トノムラは続ける。「もう一つ。キラ・ヤマト及びラクス・クラインの所在について、何らかの情報を知っているか」
「し、知るわけありませんよ」カズイは恐怖のあまり、ひどい早口になって答えた。「お、おおお俺が知るわけない、キラはゼミの友だちだったけど、あ、あいつはもう俺のことなんか忘れてるし、俺だってそんな話なんかしたことない。俺は、俺はいつだってサイとかトールとかと一緒につるんでたけど、あいつは何か違ってて、俺はうまく話なんて」
「昔ではない、今を聞いている」
「い、今のキラなんか、知るはずないでしょ! ましてやラクスクラインとか、トノムラさんアンタ何考えてんだ!」
両手両足、身体全体をがくがく震わせながらカズイは叫ぶ。「サイだってそうだよ! いつだって俺には何も知らせずに自分で何でもためこんで……俺には、俺には何も!」
何で今、キラのことなんか。俺が何かを知っているはずがないじゃないか。
コーディネイターの上にモビルスーツまで軽々と操って、ザフトのモビルスーツまで蹴散らしてしまう。しかも自分の古い友達まで。
俺にキラの何が分かるってんだ。何もかも悟った風をして、戦いは嫌だと言いながら戦っていくあのキラを、俺が分かるはずないじゃないか。
「……言ったでしょう、軍曹。こいつは何も知らない、……知ろうともしない奴ですよ」
息も絶え絶えのサイの侮蔑もトノムラは一顧だにせず、ただカズイに銃を向けたままだ。
「ではアーガイル。貴様に尋ねる」彼は石より硬い表情を微塵も崩さず呟いた。「キラ・ヤマト及びラクス・クラインの動向について。及び、アマミキョのシステム構成について、分かっていることを全て……」
「ですからっ! それはお話した通りですっ」サイの枯れた声が裏返る。「アマミキョについては、俺たち末端にゃ何も知らされちゃいないまま、コトは進んでいた。常駐していた連合軍でさえ、詳細は何も知らなかった。知っているのはフレイたちアマクサ組と、社長ぐらいのもんです。
キラたちのことだって、俺たちは何も知らない。そいつの言うとおり、俺たちは……」
「では、この男をここで処分しても問題はないわけだな」
「……は?」
サイの表情が一瞬固まるのを、カズイは見逃さなかった。トノムラはさらに畳みかける。「この男は我々に抵抗し、軍務遂行を妨害した。通常ならその場で射殺しているところだ」
カズイの身体中の血管がざわざわと蠢きだし、やたらと甲高い耳鳴りまでが始まった。
サイ。俺やっぱり、ここで死ぬのか?
うっかり慣れないことしちまった俺がいけなかったのか? サイ、俺、やっぱりこんなトコで死にたくはないよ。どんなに嫌われようと、俺、死ぬのは嫌だ。
こんな時代に、こんな処で生きるのはつらいけど、でも、死ぬのは嫌なんだ!
「貴様もこの男をあそこまで嫌悪しているならば、ちょうどいいだろう。
学生時代のよしみで、死にざまぐらいは見てやるといい」
あそこまでって……サイ、トノムラさんに一体何を言ったんだ。トノムラさんのこの軽蔑の眼……サイはどこまで俺を罵ったんだろう。
いや、もう何でもいい。あの子たちみたいに、あんなに呆気なく死ぬのは嫌だ。あの母親もきっと殺されてしまった。
俺も同じなのか? いつのまにか世界から消されるのか!?
「……構いません」俯いたままのサイの呟きは、ともすれば消えそうなほどか細い。だがその言葉はカズイの心の絶叫を完膚なきまでに否定した。「そいつを殺したところで、俺からは何も出ませんよ」
「俺がやらないとでも思っているのか?」トノムラは拳銃を構え直し、サイとカズイの二人を静かに威嚇する。
「アーガイル──
人には出来ることと出来ないことがある。2年前、貴様は知ったはずだと思っていたがな」
「俺は心のままを言っただけですが」その頭は完全に伏せられ、カズイもトノムラも見ようとはしていない。
「いつまで意地をはるつもりだ? アスハ代表の救援を待っているのだろうが、1カ月やそこらの時間では済まんぞ」
「それは事実ですが、俺は意地なんかはっちゃいない」
「アーガイル、何度も言わせるな。
出来ないはずのことが出来てしまった結果が、この俺だ」
自虐も悔悟も何の感情もない言葉がその場に突き刺さったが、カズイはふと頭を上げる。トノムラは銃を構えたまま全く瞬きすら許さないほど無表情を保っていたが──
今の言葉は、どういう意味だ? サイは相変わらず地べたに伏せたまま動かない。
その瞬間だった──収容所全域に、けたたましい警報が鳴り響いたのは。
収容所上空では既に、国籍不明のダガーLもどきが群れを成して出現していた。曇天を覆い尽くすように。
「空襲! 空襲ーーーーーーッ!!」
絶叫しながら駆けずり回る連合兵。どうしようもなく逃げまどう収容者たちを、軍用犬が追い立てる。そして所長たるトノムラの居室では。
「──分かった。監視所からの報告は?」カズイへの尋問を強制中断させられたトノムラは、それでも殆ど動揺することなく有線通信機で外部からの報告を受け取りつつ指示を出す。「警備中のウィンダムが3機残っている筈だ、出撃を急がせろ。
……何? レイダーだと?」
その言葉に、サイがぴくりと肩を震わせた。すんでの所で命拾いしたカズイだったが、そんなサイの変化を見逃しはしなかった。
レイダー? 3年前オーブを襲った連合の後期GAT−Xシリーズの一つ、レイダーガンダムが? 何故? あれは戦争でなくなったはずじゃなかったのか?
カズイが疑問を感じている間にも、耳をつんざくほどのサイレンに混じって微かな爆撃音が雷の如く空気を震わせてくる。いつのまにか近づかれていたんだ、敵に。
この地域はニュートロンジャマーが非常に有効な場所だった。だからすぐそばに迫った危機も誰も分からなかったというわけだ──この、見捨てられた地の果てに相応しく。
トノムラはカズイたちには何も言わず、敏捷に外へ飛び出していく。しっかりと施錠の音が聞こえた。
ここが元から見捨てられた場所なのか、それともニュートロンジャマーが大量投下された為に捨てられた地となったのか。そんなことは今のカズイにはどうでも良いことだった。とにかく──
やっとこれで、もう一度サイと二人きりになれた。
爆撃の恐怖に慄きつつも、カズイはサイににじり寄る。「サイ。──逃げよう」
恐る恐る、サイに手を差し伸べるカズイ。だがサイは俯いたまま答えない。
ワイシャツもズボンもこの間の事件で泥まみれになったものを少しばかり洗ってそのまま着ているらしくボロボロで、緩んだネクタイの結び目には乾いた泥のかけらがこびりついている。襟の間から浮き出している鎖骨が青白く見えた。こけた頬には若干無精ひげが見え隠れする──3年前、アークエンジェルの独房から出てきた時もこんなだったな。
そんなサイがやっとのことで紡ぎだした言葉は、警報に掻き消されるほど小さい。「……行けるかよ」
この期に及んで何言ってんだ。カズイは思わず、サイの両手首を掴んだ。「このままここにいたら、二人とも死んじまう!
トノムラさんの目的が何か分からないけどさ、とにかく俺たちは逃げなきゃ!」
だがサイはその手に応えようとしない。黙ったまま、視線を合わせようとしない。畜生、そこまで俺が嫌いだったってのかよ、サイ!
──カズイがそんな絶望に囚われたその瞬間、キィンと耳の奥で何かが鳴った。空気が一息に膨張する。
こいつは、いつかヘリオポリスでもオーブでも感じた、あの──カズイがそこまで考えた時。
「カズイ! 伏せろっ!!」
久しぶりに聞いた気がするサイの絶叫。
凄まじき爆発音と共に、カズイは身体ごと吹っ飛ばされた。
「どう? 久しぶりの地上は」
ルナマリアは車椅子を押しながら、戦艦ミネルバJrの甲板に出た。車椅子での移動を余儀なくされている少年──ナオト・シライシを見やりつつ、彼女は溌剌さを装う。
「やっぱりプラントとは違うわね〜、この海の匂い! 潮の感じって慣れないって思ってたけど、少し前から悪くないって思えるようになってたのよ」
ナオトの両手両足は抵抗を抑える為、車椅子にがっちり拘束されている。がんじがらめに縛られ、車椅子を動かす者が他にいなければ何も出来ない状態だ。その両目は開いてはいるものの、何処も見ていないのは明らかだった。
「ほら、ナオトも久しぶりの太陽でしょ? 降下中も特に事故はなかったんだし、元気出してよ」
抜けるような青空、どこまでも広がる大海。カーペンタリアを目指して地球に降りたミネルバJrは、オーストラリア東沿岸近くの大洋に着水していた。
潮風に髪を乱されながら、ルナマリアは海を眺める。「ねぇ、ナオト。私がこんなこと言っても仕方ないかも知れないけど……
ヨダカ隊長の言うとおり、あの人の処にお世話になるの、ありだと思うのよ」
ナオトの肩がびくりと揺れる。明らかな拒絶で。
「……そりゃ、嫌だろうけど。でも、貴方に帰る処がなくなったわけじゃないのよ。
ヨダカ隊長は見た目はああだけど、実は結構話せる人みたいだし。貴方みたいなハーフの子でも、ちゃんと受け入れてくれると思う。あの人、子供いないし」
ナオトは無言ながら、何度も首を横に振る。ザフト自体が嫌で嫌でたまらないのだろうが──
「でもこのままだと、また貴方はティーダのパイロットとして酷い目に遭う。ヴィーノたちが徹夜で解析してるけど、今の所ティーダのパイロット登録が解除出来る見込みはないし。
その点ヨダカ隊長がついていれば、よく言われてる非人道的な行為は絶対反対な人だし、貴方を危険な目に遭わせることはないはず……」
彼女がナオトの前髪を撫でかけたその時──「ルナ!」
背後からの声。ルナマリアが振り返るとそこには赤服に身を包んだ紅い眼の少年が、怒ったように立ち尽くしていた。「シン。貴方、射撃訓練中だったんじゃ」
彼女とナオトを交互に見やりながら近づいてくると、シンは冷たく告げた。「カーペンタリアから入電だ。南チュウザンの海域から、国籍不明の大型艦船が移動中との情報だ。戦艦で間違いないらしい」
ずかずかとルナマリアとナオトの間に割り込むと、シンは車椅子の操縦権限をルナマリアの手から奪い取る。「ちょっとシン! 私はナオトとまだ話が」
「そんな話、まだ聞ける状態じゃないだろ」シンはそっけない。「それに、ヤバイ数の艦船が南チュウザンを出たらしい。ヨダカ隊長とトライン艦長が呼んでる、早く行けよ」
「分かったわよ……」シンとは目も合わせられないまま、ルナマリアは言葉に従うしかない。背を向ける彼女に、シンはさらに声をかけた。「それともう一つ、ヴィーノからだ。
インパルスの修理はまだだけど、ルナもティーダのパイロット登録をしといた方がいいとさ」
「え? もう直ったの、ティーダが?」
「直ったっていうか、アレは……とりあえず、サブパイロットの再登録はようやく可能になったらしい」
ミネルバJr・ハンガーにて。
「いやぁ、デスティニーもインパルスも何とか月面から回収出来て助かりましたよ〜!」ミネルバJr艦長として就任したアーサー・トライン。彼はヴィーノとヨダカ、そしてどうにか修理を終えたデスティニーガンダムを前に、単純に喜んでいた。
「とはいえ、左腕部は破損したままだし、両脚部の接合もうまくいかないんで関節がろくすっぽ動かないですが──
ま、カーペンタリアまで行きゃ何とかなるでしょ」
紅い前髪をくしゃくしゃ掻きむしる呑気なヴィーノに、ヨダカは告げた。「いや、早くに動いてもらわねば困る」
ヴィーノの言う通り未だに傷だらけで、左肩部から防護用カバーがすっぽり被せられているデスティニーガンダム。その威容を見上げつつヨダカは言う。「先の情報通り、南チュウザンは今も動いている。
場合によってはカーペンタリアでは最低限の補給のみで出発してもらうこともありうる」
「そんなぁ」
「いやいや、それほど性急にしすぎることは……あ、そうそう」逸るヨダカを必死で制しつつ、アーサーは話題を切り替えた。「ティーダはどうなってる、ヴィーノ?」
「今、ルナマリアにサブパイロット登録を依頼中です。ただ、機体そのものはすっかり変わっちまったけど」
「機体そのもの?」ヨダカが不審げに格納庫奥を見定めようとする。ティーダが改修されているであろう奥の防護扉は固く閉ざされたままで、ヨダカすらも確認が出来なかった。
「艦長、遅れました!」そこへルナマリアが走りこんでくる。「タロミが動いたって……」
「やっと来たか。また何処ぞで油売ってたか」彼女を見て早速愚痴るヨダカ。それを苦笑で制しつつ、アーサーは告げた。「ルナマリア、ブリッジで話そう。ここではちょっと……ヨダカ隊長もご一緒に」
と、そこへ突然アーサーの言葉を遮る女の声がハンガーに響く。「隊長!」
長い金髪を揺らしつつ、ザフトの緑服にその細身を包んだ若い女性が、つかつかとキャットウォークを軍靴で鳴らしてアーサーたちに近づいてきた。
「あぁ、紹介が遅れたな。申し訳ない」ヨダカは髭をさすりつつ、女性の背をさりげなく押して彼女を前に出した。「アムル・ホウナ──先日ヨダカ隊に配属された新米パイロットだ。
出身はオーブだが、純然たるコーディネイター。しかもモビルスーツ操縦の資質もかなりのものでな! 実地試験の結果、新型の搭乗権までかちえた程だ」
「ほぅ! ミネルバJrにも優秀な女性は多いですが、これはまた頼もしい助っ人が現れたものですなぁ!」
アーサーは満面の笑みでアムルと握手を交わす。「よろしくお願いします、トライン艦長」
彼女も慣れたように笑顔でアーサーに接していたが、何故かルナマリアには分かってしまった──その笑顔が完全に営業用のものであることを。
「よろしく、ホークさん。可愛い赤服さんね」同じ笑顔で、アムルはルナマリアにも手を差し出す。彼女も戸惑いつつもつられてその手を握る。冷たい感触がした。
「あ、あの」ルナマリアはアムルの薄く塗られた口紅を見ながら尋ねる。眼を見るのは怖い、そんな気がした。「オーブにいた時は、どちらへお勤めだったんですか? やっぱり、オーブ軍に?」
一度は敵に回した相手だ、出来れば軍人であってほしくはない。しかしそれを見透かしたかどうか、アムルは笑顔を剥がすことなく答えた。「アマミキョよ。貴方たちが撃ってくれた」
一気に場の空気が緊張する。アーサーの笑顔が凍りつき、ルナマリアはあまりのことに思わず手を振り払いかけてしまった。ヨダカがすかさず諌める。「アムル! その話は追い追いにと言ったろう!」
「いえ、隊長。話して困ることではありませんし」
相変わらずアムルは笑顔のままだ。やや白目の面積の広い眼が笑いながらルナマリアを眺めている。
すると何か? 彼女は自分の船を撃った相手と今、平気で握手を交わしたというのか? 仲間を殺した人間と?
反射的にルナマリアはキラ・ヤマトとシンのことを思い出す。シンは──あそこまでの境地になるのに、どれほど悩み抜いたか知れないのに。
「あの船は偽善の塊であるだけでなく、タロミ・チャチャの実験台でもあった。
こうして脱出して、ザフトに少しでもデータの提供が出来たこと、誇りに思っています。元々ザフトは私の憧れだったんですよ」
とうとうと語るアムルだが、ルナマリアはその言葉に偽りはないと感じた。彼女は自分が否と断じたものであれば、仲間であろうと何の容赦もなく撃てる女なのか。
──アスランがそうだったように。
「ヨダカ隊長、そろそろミーティングです。艦に戻りましょう──カオスγも待っていますよ」
「おぉ、カオスγ! 早速試乗してみたか!」ヨダカの声を背に、アムルは長い髪を押さえながらカタパルトへ視線を向けた。開放されて青空が眩しいカタパルトデッキには、やや暗めの桃色にこげ茶を混ぜたようなモビルスーツが着艦している。
「あれは?」ルナマリアにはその形状に、はっきり見覚えがあった。かつてミネルバに配属されるはずだったのに、コロニー・アーモリーワンでおめおめと連合に奪われ、敵となって自分たちを苦しめ続けた新型──カオス・ガンダム。
「カオスですか!? あれはベルリンで撃墜されたものと思っていましたよ」アーサーが素っ頓狂な声を上げると、ヨダカは補足した。「あれとは別物です。勿論、意匠や設計はカオスのそれを引き継いでいますが、まず乗り手が違う」
「嫌だ隊長、当たり前でしょう」アムルはヨダカの冗談に笑った。「機体の色も、僭越ではありますが私の好みのものに変えさせていただきました。新人たる私が出過ぎた真似かとも思ったのですけど」
その色はかつてのアスランの機体・セイバーガンダムの紅よりもさらに暗い。終わりかけの月のものがこんな感じか──何故かルナマリアはそんな発想をしてしまった。
気がついた時、カズイはサイの身体の下にいた。
いつかアマミキョでサイがそうした時と全く同じに、崩落してくる天井からサイはカズイを全身で庇っていた。
ぽかりと大きく開いた天井の穴。崩れかけている建物。穴から見えたものは、暗い曇天。
黒に近いグレーに染まった空に現れたものは、空より更に黒いダガーL、その編隊。
「あれは……!」アマミキョを襲ったあの漆黒のダガーLだ。「どうして、あいつがここに?」
「──フレイだ。来る」サイの微かな呟き。
カズイを庇っていたサイの背中には幾つも細かい破片が降り注いでいたが、幸い二人とも大した外傷はない。そして──爆撃で崩れたのか、建物が余程脆いのか。
閉ざされたドアとは反対側の壁にも、笑ってしまうほどに巨大な穴が開いていた。二人が軽く脱出出来そうな穴が。
「サイ。行こう!」一も二もなく、カズイは決断した。
逃げろ。逃げるんだ。生き延びる為に。
こんな場所で、あんな形で、人生を終わらせない為に。心まで破壊されない為に。
──あの時だって、3年前だって、俺はそうしたじゃないか。その背中を押してくれたのが、サイだった。
例えあの言葉が偽りだったとしても──
痩せ細ったサイの手首を、カズイはぎゅっと掴む。「走れるか?」
サイは一瞬両目を大きく見開きながらまじまじとカズイを見つめていたが、やがて意を決したようにこくりと頷いた。
──良かった。良かった、良かった!
サイが、やっとサイが戻ってきた。戻ってきたんだ!
カズイは大きな確信と共に、安堵のあまり涙が出かかった。ただ──
今は、走らなければ。逃げなければ。全力で。「走れ!」
カズイはサイの手を掴んだまま走り出す。瓦礫を飛び越え、崩れた壁の先に見えたものは、燃え上がるバラック。
血まみれになって倒れている連合兵に収容者たち。この機に乗じて脱出しようとする者も多いようで、炎の中で鍬を振り上げ連合兵と揉みあっている者までいる。煙と血の匂いが鼻孔を激しくついたが、それでもカズイは走ろうとあがく。サイを助ける為に。
──不思議だな。いつもなら俺が、こうして引っ張られる方だったのに。
空から灰混じりの雨が降ってくる。その時ふとサイが立ち止まり、カズイもつられて止まってしまった。
「トノムラ軍曹は……」炎と瓦礫の向こうをぼんやり眺めながら、サイは呟く。何言ってんだ、こんな時に!
「いないならちょうどいいさ。行こう!」
上空をかっ飛んでくる漆黒のダガーL。次々と地上を爆撃してはいるが、その目的がカズイにはまるで見えない。ここは軍需工場でもないし、軍の基地からも遠く離れているはずだ。ここには哀れな収容者と連合兵と、開墾しかけの荒地しかない。
その疑問に答えるようにサイが呟く。「間違いない。あれは南チュウザンの黒ダガーだ……だからあれだけ言ったのに、お前は!」
「何? 何言ってんだよ、サイ!」
「あいつらの狙いは多分俺だ。俺だけを殺す為に、アマミキョは沈んだんだ!」
「お前が何言ってんだか分かんねぇよ!」俯くサイをカズイは思わず怒鳴り散らすと、再びその手を取って駆け出す。サイもつられて転がるようによたよた走り出した。
崩れた鉄骨に挟まれちぎれた腕らしきものを踏み越え、二人は炎と雨の中をひたすら走っていく。背後で制止の声と銃声が聞こえたが、もうカズイもサイも振り向かなかった。
「サイ。俺は──死にたくないだけなんだ」
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