「アムル・ホウナ。あのもの言いはどうかと思うぞ」
母艦に帰るなり、ヨダカはアムルを諌めた。刻々と変わる艦内エレベーターの表示を眺めつつ、ヨダカは整えた黒い髭をいじる。
「例え自らの正義に則ったとはいえ、君の行動は他人から見れば裏切り行為だ。
かつて仲間を裏切った者と行動を共にすることを、快く受け入れる人間は少ない」
だがその言葉にも、軽く束ねた金髪を揺らしながらアムルは微笑んだ。「私は裏切りとは思っていませんが。
それに、私の行動を後押しして下さったのはヨダカ隊長ですよ」
「裏切りでなければ、何だね?」
「自分を貫く為です。
私は自らの道をザフトに見つけました。アマミキョやオーブは、その道探しの過程にすぎなかった。
自分の場所を見つけた今、アマミキョもオーブも私にとっては無用のもの。切り捨てて当然では?」
そこまで言い放つか。
ヨダカは彼女の微笑みを見ながら思い出す──あの惨劇の時、アマミキョに最後まで留まろうとしていた彼女を。
ヨダカが間一髪でブリッジに飛び込んで彼女を救い出さなければ、アムルはアマミキョと共に海の藻屑と化していた。
あの時、激戦の中で自機を失い、ヨダカ自身も負傷していたが、アムル・ホウナとアマミキョのデータだけは絶対に逃すわけにはいかなかった。
半死半生状態で彼がブリッジにたどり着いた時に目撃したものは──
血みどろのフレアスカートもそのままに、拳銃を構えたアムル。
彼女に銃口を向けられている、いかにも気弱そうな青年。
その彼を全身でかばっていた、これまた血みどろで身体のあちこちに穴を空けられた、眼鏡の青年。
──俺は、この女に渡してはいけない武器を渡してしまったのではないか。そんな悪寒がしたのを覚えている。
「お聞きにならないんですね、あの時のこと」
ヨダカの思考を読んだかのように、アムルがそっと尋ねる。
「聞かれたいのか、聞かせたいのか」
「いいえ。
ただ、ちょうどよいタイミングで助けていただけて、隊長には感謝しているんです──
本当ですよ」




一体どのぐらい経っただろうか。
炎と騒乱の収容所を、サイを引きずるようにして脱出したカズイ。彼らは今、広大な収容所敷地内の森の中に潜み、ダガーLの襲撃から逃れていた。
二人が今身を潜めているのは──濁流の渦巻く河の中。
つい先ほど、見張りの連合兵たちを乗せたジープがすぐ頭上の古い橋を通り抜けていった──
その直後、先に水中から頭を出したのは、カズイだった。
「ぶっはぁああああっ!! だ、大丈夫かサイ」
カズイに支えられるようにして、サイはようやく頭を起こす。
水が滴り続ける唇は完全に紫に変色し、全身ががくがく震えている。にも関わらず、カズイが触れたその手は猛然と熱を帯び始めていた。
一刻も早く、どこかで休まなければ。
粗末な包帯に覆われたサイの手を取り、カズイは重くなった身体を何とか引きずるようにして、橋の下から岸辺にたどり着いた。
砲撃音はまだやむ気配がなく、雷鳴のような紅の閃光が空を染める。
しとしとと雨まで降ってきた。



道は泥でぬかるみ、雨はいっそう強くなる。それでもカズイとサイの二人は何度も転んでは起き上がり、互いの肩を借りて歩き続けた。
──どこへ?
カズイはふと考える。この収容所は、当初の予想よりもよほど広大なものだった。
開墾用の土地を10キロ平方メートル単位で丸ごと囲っているのである──勿論、この森まで含めて。
それを考えると、混乱を利用してここから脱出するなど、至難の業のように思えた。
「だけどもし、あいつらが収容所を全壊させてくれりゃ……」
サイを半分背負うようにして歩きながら、カズイは河から少し離れた窪地にある洞穴を見つけた。爆撃音と雨から逃れるように、二人は慌ててほの暗い穴に潜り込む。
入口の狭さに反して中は意外と広く、人が5人ほどは休めるスペースがあった。
「とにかくここで休もう、サイ」
洞穴の壁にサイを降ろすと、彼はそのままぐったりと壁にもたれこんでしまった。カズイはその肩を支えるようにして、なけなしの励ましの言葉をかける。「もう少しすれば、奴らだって行っちまう。収容所も機能してないかも知れない、なら……」
二人とも、手持ちの荷物は何もない。そもそも収容所に来た時に、殆どの荷物は奪われてしまっていた。
どこかで車でも手に入れて、出来る限り遠くの町に移動出来ないだろうか。カズイがそこまで考えを回した時──
呻き声が、暗い穴に響いた。
地の底から漏れ出るような、怨嗟にも似た呻き。
穴の奥に幽霊でもいるのかとカズイは一瞬ぎょっとしたが、すぐに違うと気づいた。それは──
目の前にいる、サイが漏らしていた嗚咽。
「サイ? ……どうしたんだよ」
泥の塊のようになってうずくまり、顔を両膝の間に埋めたままのサイ。その背中が二度三度と、大きくしゃくり上げる。
明らかに泣き声だった。
──こんなサイを、見ることになるなんて。
俺の知っているサイは、いつでもしっかり者で、何があっても折れなくて。
物理的な力は弱いかも知れないけど、それを軽々と乗り越えていくほど心が強くて。
いつだって、周りを気遣って励まして。そんな彼はどんな時でも頼もしかったし、それに、そんなサイに──
俺は嫉妬までしていたってのに。
今、子供のように膝を抱えて泣いている男は、本当にサイなんだろうか?
カズイを見もしないまま、サイは呻き続ける。やっと聞き取れたのは──「ごめん」。その一言。
ひたすら泣きじゃくりながら、彼はカズイに謝り続けていた。
「……ごめん、カズイ。
本当に、すまなかった」
「聞こえねぇよ、サイ。
泣いてばっかじゃ分かんねぇし、今どき女子供でもそんな泣き方さぁ……」
カズイはほとほと困って頭を掻きながらも、心のどこかで大きな安堵を隠せない。「最初にサイが伝えてくれたじゃないか。
何があっても、自分を信じろって」
その言葉で、サイはようやく頭を上げる。
涙でぐちゃぐちゃになった頬に、壊れかけた眼鏡がどうにか引っかかっている。だがその奥の青い眼は、カズイの手に必死で言葉を伝えたあの時の瞳と、何も変わってはいなかった。



それからサイはぽつぽつと、カズイに少しずつ話し始めた。自分が収容所に入ってからこれまで、一体何を考えて行動していたのか。
「リンドーさんに会った時、言われたんだよ。
俺は確かに、誰とでもそこそこ仲良くなれるかも知れない。だけど今のこの状況じゃ、それは仇となることがあるって」
「何で……」
「思い当たることならいくらでもある。
オサキやハマーさんも、俺を助ける為に死んでしまった。
俺はナオトもマユも、ネネも助けられなかった。
アマミキョのクルー全員を危険にさらした。
フレイたちだって……あんな状況だ」
ゆっくり息を継ぎながら、サイは一旦唇を噛む。「キラたちにしたってそうだ。
俺には一時的に人をかき集める力はあっても、ずっと惹きつけて、なおかつ守り切る力なんてない。
お前が羨むほどの力なんて、ありゃしないんだよ。もしあったとしても、そんなものは誰かを守る力になんかならない」
「そう、言われたのか? リンドーさんに」
サイはこくりと頷く。「あの人の言葉は意外と単純だったよ。引き寄せてもどうせ守れないなら、突き放すのも手だ──
ってね」
「それ、真に受けたのかよ!? サイは」
思わず呆れ声を出してしまったカズイを見て、サイは自嘲するように寂しく笑った。「あの人の言うことは、たいてい間違っちゃいなかっただろ?
お前にとっちゃ最も忌避したい行動だろうが、敢えてやってみるのも手だ。本当に、仲間を守りたいのならば。
──って、リンドーさんは言ってたんだよ」
カズイは気づいた。いつのまにか、サイのリンドーへの呼称が「副隊長」ではなくただの「さん」になっている。
最早リンドーに肩書きなどないからか。それでもサイはずっと、リンドーのことは副隊長と呼んでいたはずなのに。
「でも、俺には出来なかった。
カズイを守るどころか、傷つけることしかね」
言いながらサイは肩をすくめて、おどけたふりをしてみせる。「びっくりしたろ?
ずっといい子ぶってた俺が、いきなりあんなこと言い出してさ」
折れそうな心を押し隠すかのように、サイは笑い続ける。カズイはその笑顔がどうにも非常に痛々しく、つい言ってしまった。
「でも……ある程度、少しは、本心もあっただろ」
「え?」
「ずっとサイにまとわりついて、一人じゃ何も出来なくて、何も判断出来ずに何でもかんでも人まかせで。
確かにそうだよ。それが俺なんだよ」
──お前のこと、ずっと嫌いだったよ。
あの時自分に叩き付けられたサイの言葉。眉間に寄せられた怒りの皺。嘲笑にも似た口もと。
今でも忘れられない。例えそれが、俺を守る為のサイの演技だったと分かった今でも。
サイの表情から、笑みがふっと消える。「……それは違う」
「違わないよ。まさに俺そのものを的確に表現してた。
あれ聞いた時はびっくりしたけど、よくよく後で考えて気づいたんだ。
初めてサイの本音が聞けたんじゃないかって」
そんなカズイの言葉を聞きながらも、サイはゆっくり首を横に振った。「……違う。カズイ、やっぱり違うんだ。
いや、一部は合ってるけど一部訂正しなきゃならない」
「何だよそれ」
いつの間にか、サイの傷だらけの手がぎゅっとカズイの腕を握りしめる。熱にうなされかかりつつも、その眼は真っ直ぐにカズイを見つめていた。
「確かにあの時、俺はカズイに酷いことを言った。それが本心じゃなかったなんて、今更弁解する気はないさ。
客観的に、第三者の目から今までのカズイの行動を見た場合、ひねた奴らならどう取るかって考えて出した言葉だった──
でも、全く本心がなかったなんてことはないよ。これは正直に言う」
カズイはそれを聞いて、思わず俯いてしまった。
自覚はしていても、他者から実際にこう言われると、やっぱりへこんでしまうものだ。「やっぱ、そーだよな。
誰だってそう思うよ。俺のやったこと考えりゃ、サイにああ言われて当たり前……」
「待てよ」顔を膝に埋めかけたカズイに、サイは言い放つ。「言ったろ、一部訂正しなきゃって。
俺は決定的に間違ったことを、一つ言っちまったんだ」
「……え?」
「カズイが何も自分で判断出来ないなんて、そんなことあるわけないんだ。
二年前だって、お前は自分の判断でアークエンジェルを降りたじゃないか。今だってこうして、カズイの判断があったから、俺はここまで逃げられた」
膝をかかえようとしたカズイの手首を、サイの右手がそっと掴み直した。包帯にくるまれたその指先は、茶色く乾いた血で染まっていたが、それでも。
「あの時、俺だってお前を見送ったもんな。 その俺が、お前を何の判断も出来ない人間だなんて言えるはずがないって──
見抜かれていたよ。トノムラ軍曹には、見事に」
え?
あのトノムラが? もはや、鬼か悪魔と成り果てたあのトノムラが?
「何も見ていないようで、ちゃんと見るとこ見てたんだ──あの人は。
あの人、俺を助けてもくれたんだよ」
「サイを助けた? アークエンジェルにいた頃のこと言ってんじゃないだろうな?」
サイはカズイの問いに、また首を横に振った。「違う。つい先日だ──
俺、殺されるトコだったんだぜ」
サイは口元に笑みすら浮かべながら言ってのけたが、カズイは初めて知る事実に驚かずにいられない。「もしかして、俺が変な二人組につかまった時の──!?」
何があったのか、ずっと疑問だった。
あの後、あの二人の姿はどこにも見当たらなかったし、ただ印象に残っていたのは、全身泥まみれでトノムラに拘束されたサイの姿だけだったから。
「死んだよ、あの二人は。
トノムラ軍曹が撃ったんだ」
意味も分からずカズイがぽかんとしていると、サイは少しずつ話し始めた。あの時起こっていたことを。
「あの二人は、元々連合の軍人。上官と部下だったらしくてね。
ヤキンの戦いで、モビルスーツで参加していたそうだ」
「じゃあ……」
「あの二人は部隊の中で、唯一の生き残りだったらしい。
何で、生き残ったと思う?」
カズイにはさっぱり分からない。「運が良かった?」
「そう、運が良かった──彼らは運良く、キラに助けられていたんだ。
正確には、キラの戦い方によって。話しただろ? それについては。
彼らの部隊のモビルスーツは全てキラの攻撃で武装を剥がされ、それ以上戦うことが出来なくなった」
カズイは思わず身を震わせる。「まさか……」
次に来たサイの言葉は──キラの戦い方を知った時から、カズイが懸念していたことそのものだった。
「お前の思っている通りだよ。
それ以上戦えなくなった彼らの部隊は、ザフトのいい餌食も同然だったそうだ。
次々に撃墜されていく部下を見ながら、自分も何も出来ないまま、見ていることしか出来ない。
一体、どんな心境だったろうね」
「母艦に帰れば、それでも──」
「もう、なかったそうだ。彼らの母艦は」
カズイはそれ以上何も言えない。では、もしや、彼らを待っていた運命は──
「救出部隊が到着したのは、行動不能になってから200時間をとっくに経過した後だったらしい。
その時生存していたわずかな部下たちも酸欠状態に陥り、静かに死んでいったそうだ。
唯一残っていたのがあの大男だけど、彼も酸欠状態のまま救出されて──完全に頭が狂っていた」
あの巨漢の異様な風体はそのせいか。
口元から流れ落ちる滝のような涎といい、別々の方向を向いた眼球といい、赤い鼻先といい、忘れられない。
「それで、部下たちの復讐のためにサイを? おかしいだろ、狙うならキラじゃないか」
「キラの居場所はそう簡単にはバレないよ。
キラとラクスさんたちは、オーブによって完全に保護されてる。なら、キラにそういう戦い方をさせるに至った、もしくはキラが戦う原因を作った奴に恨みが向くのは自然なことだ。
その為に彼らは、キラとアークエンジェルについて調べ上げて、ヤキンの時にアークエンジェルに乗っていたトノムラ軍曹を見つけ出して、わざわざここに潜り込んだ。
彼らの本来の狙いはトノムラ軍曹で、俺はたまたまそこに居合わせたに過ぎない──
だけど俺が来ちまったから、彼らは軍曹の前に俺を殺そうとした」
カズイは思い出した。あの時、あの元軍人風の彫りの深い顔の男が何と言ったか。
──二年前、貴様はアークエンジェルに乗っていたか。
──オーブ解放戦前か。ならばいい。
「俺が解放されたのは、ヤキン戦にはいなかったから……か?」
サイはかすかに頷く。声のトーンはいつの間にか、酷く落ちていた。「ずっと心配だったんだ、お前のこと。
あいつらに何もされてないよな?」
「一発殴られた以外は、特に何も……
オーブで降りたって言ったら、すぐ解放されたよ」
「そうか。良かった」
サイは心底ほっとしたように大きくため息をつくと、身体をちぢこまらせた。
ずぶ濡れになったワイシャツがその身にぴったりと貼りついて、左腕に刻まれた黒く深い銃創が、暗がりの中でも透けて見えた。
「皮肉なもんだよな。
俺たちを守ろうとしたキラの行為が、回り回って俺を殺そうとするなんてさ。
俺、生き埋めにされかけたよ。しかもあの大男、イカレてるなんてもんじゃなかった。
頭が幼児に戻っただけじゃなくて、誰かれ構わず襲いかかるとかね……全く」
努めて明るく言おうとしていたが、どうしても震えるサイの声。カズイはその言葉の裏の意味が、何となく読み取れてしまった。
そういえば、サイの右袖が肩から大きく破れているのは……ボタンも幾つか飛んでいるのは……
「襲いかかるって、まさか、その」
「ごめん。これ以上は、ちょっと俺も説明出来ない。無理だ」
「いや、いいよ! 分かったから……その、ええと」
顔を伏せてしまったサイを見ながら、カズイもおろおろとそれだけを言うしかない。
「大丈夫。本当にヤバくなる前に、軍曹が助けてくれたから」
透けたワイシャツに異様に映える黒い傷跡。このようなシチュエーションに欲情を覚える人間が少なからず存在するという事実は、カズイも知っている。ましてや札付きの狂人ともなれば──
サイの言動とあの日の状況から考えて、恐らく、単純な死の恐怖以上のものがサイを襲ったのは間違いない。
でも──「トノムラ……さんが? サイを?」
「一瞬だったよ。
二人とも、額に一発ずつ喰らってお陀仏だった」
無感情に答えるサイ。
そんな彼を気遣いつつもカズイは、最早この世にいない二人組を思わずにいられない。
その二人は──その上官は、狂った部下を引き連れながら、一体どれだけ迷走したんだろう。
キラばかりではなくアークエンジェル一派を恨みに恨みはしたが、やっとたどり着いたのはトノムラとサイと俺だけで、ようやくサイを手にかけて少しでも復讐を遂げるその寸前に、同じ仇のトノムラにあっけなく殺されるとは。
だが、二人組についてはもう触れたくないとばかりに、サイはトノムラについて話し始める。
「俺はずっと不思議だったよ。軍曹は厳しいけど、優しい人だった──カズイも知ってるだろ?
どうしてあそこまで変わっちまったのか。でも、その後から軍曹と一緒にいて、少しだけ理由が分かった気がするんだ」
「そういえば、家族を人質に取られたっていう話を聞いたことがある。それなのか?」
「それは確かに事実みたいだな。
だけど多分、それはただのきっかけにすぎない」
サイはじっと自らの左腕と、透けた傷跡を眺めながら話し続けた。「家族を守る為に、敢えて冷酷な連合の手先を演じているうちに──
いつのまにか偽物が本物になっちまった、ってトコだろうな。
死がぶちまけられたような収容所にいるうちに、軍曹は変わっちまったんだよ」
「朱に交われば、ってヤツか……」
「でも、俺はまだ信じたい。軍曹の中には、まだ昔の軍曹がちゃんと残ってるって。
その証拠に、尋問の時に軍曹はこの傷に、ひとつも触らなかったんだ。
俺を助けた時に、腕の傷も胸の傷も全部バレたのに、軍曹は絶対にそこには触らなかった。
そのかわり、爪が酷いことになったけど」
サイはまた乾いた笑いを見せながら、包帯だらけの右手を目の前に翳す。「トノムラ軍曹と話し合いながら、俺はずっと、ここから出る方法を考えてた。
今のアークエンジェルやアマミキョについて、知ってる限りのことは全部伝えたつもりだ。だけど軍曹は納得しなかった──
その結果が、さっきのザマだよ。俺はカズイを守る為に、何も出来やしなかった。
それどころか、多分軍曹には全部お見通しだった。さっきも聞いたろ、軍曹の言葉」
──出来ないはずのことが出来てしまった結果が、この俺だ。
何の感情もこめられずに放たれたあの言葉は、自虐だったのか。
「俺のそばにいたら、またアマミキョのようなことが起きる。俺は南チュウザンから狙われてるんだ、だから……
でも、やっぱり俺に偽悪者なんて無理だった」
またサイは小刻みに肩を震わせ、顔を伏せる。その頬は次第に紅潮し、言葉が奇妙に早くなっていた。「フレイの狙いは俺なんだ。
だからみんなを巻き込まないように、俺は副隊長として、みんなを突き放さなきゃならなかったんだ」
「え? サイ、おい……」
「悪者になってでも船をまとめるってのは、フレイもやってたことだ。
そんなこと俺には無理だって分かってたけど、でも、今のカズイを守るにはそれしかないって……」
「サイ……」
慌ててカズイはサイの伏せられた顔を覗き込む。「意味、分からない。何でフレイがサイを?」
「結局駄目だった。
カズイ一人も守り切れなかった、無駄に傷つけた上に危うく死なせるトコだった!
この襲撃でまた人が死んじまう。俺のせいで、俺がいたせいでみんな!!」
激しく嗚咽を始めるサイ。驚いたカズイがサイの肩に触れてみると、酷い熱を感じた。口調も次第に呂律が回らなくなってきている。
「サイ!」これは──明らかにまずい、非常に。
長期にわたる拘束と尋問が、傷の癒えたばかりのサイの身体を酷く痛めつけていたのは明白だった。半ば無理矢理に顔を上げさせてみると、激しい発熱で顔じゅうが真っ赤に染まっていた。
それでもサイはうわ言のように呟く──「怖かった。カズイを拒絶していくうちに、俺は本当にお前を嫌いになるんじゃないかって!
軍曹は完全に俺の演技なんか見抜いてたんだよ、付け焼刃の偽悪な演技なんか、軍人に通じるわけない! だから軍曹はカズイを!!」
「サイ、暴れるな! 大丈夫、俺だって分かってたさ!」
「何を分かってるってんだよ! おかげで俺は、お前を傷つけて傷つけて……」
なおも喋ろうとするサイの口をカズイは無造作に右手で塞ぎ、左腕で思い切りその両肩を抱きしめた。「大丈夫だって……
よく言うだろ。こういうのって、傷つけられるより傷つける方が、一番痛いんだって」
「……え?」
カズイの突然の行為が理解出来ないというように、サイは戸惑いの声を上げる。
「俺だって、サイに酷いこと言っちまった。覚えてるだろ」
そう──アムルに拒絶され、助けの手を差し伸べようとするサイを、これでもかと拒んだあの日のことを、カズイは今でも鮮明に覚えている。
──お前なんか、大っ嫌いだ。二度と、俺の目の前に現れるな!!
あの時の扉越しの罵倒を、一体どんな思いでサイは聞いていたのだろう。今なら分かる、あの時一番痛かったのは自分だ。
だからサイだって、俺を見捨てなかったんじゃないか。
あの時嫉妬に任せて酷い言葉を吐いた俺に、サイは何と言ってくれたか。
「それでもサイは俺を気遣ってくれた。俺なんかがいてくれて良かったって、言ってくれたんだ。
アークエンジェル降りた時だってそうだ。どんなにお前自身が自分の言葉を否定したって、いくら偽善と言われたって、その言葉だけで救われる奴がいるのも事実なんだ!」
サイとずっと一緒にいて分かったんだ。例え偽善だろうと、その偽善が誰かを救うこともあるってことを。
「だから……
だから、それをわざわざ投げ捨てるような真似はやめてくれよ。
リンドーさんの言ったことは、多分間違いじゃない。でも、別の方法でみんなを守ることだって出来るはずだ」
思わず涙声になっていくカズイ。そんな彼の体温を確かめるように、サイの右手がカズイの二の腕にそっと触れる。
「……そうだな。
やっぱり、俺、駄目だな……ただ、カズイを傷つけることしか出来なくて」
「まだそんなこと言うのかよ。
もしサイが俺を突き放してくれていなかったら、ここまで時間稼ぎも出来なかったかも知れな……」
カズイがそこまでいいかけたその瞬間──
雨音と砲撃音に混じって、銃声がどこからか響きわたった。



震えていたはずのサイがはっと身を起こし、咄嗟にカズイの口を右手で塞ぐ。
「え? さ、サイ……」「静かに!」
熱でぼうっとしかかる頭を振りつつ、サイは洞穴の外の気配を察知した。
雷鳴のような砲撃音の中で、軍靴と銃声の音が交互に轟き、それは徐々に至近距離まで近づいてくる。パララララ、という軽快な音と共に、空気を裂くような小さな悲鳴が聞こえた。
「まさか……もう、追っ手が!?」
「声を出すな」
全身雨と汗でびっしょりになりながら、それでもサイは冷静さを取り戻していた。複数の軍靴が泥を蹴り上げる音に混じり、てきぱきと指示を下す声が僅かに聞こえる。「トノムラ軍曹だ」
サイの言葉に、カズイは絶望のあまり眩暈を覚えた。「あの人、死んでなかったのかよ……」
そんなカズイからそっと手を離しながら、サイはよろよろ立ち上がる。
「サイ! お、おい何する気だよ!!」
「ここから出る」
「何言ってんだ、殺されるよ!」
「俺が先に出て、軍曹の注意を引きつける。
お前はその間にここから出て、何としてもアスハ代表とコンタクトを取れ」
雨でけぶる洞穴の外を睨みながら、サイはじっと息を潜めた。カズイの目の前で先ほどまで慟哭し嗚咽を続けていた青年の姿は、もうそこにはない。
「そんなこと、出来る相手じゃ……」
「やらなきゃ、二人とも死ぬぞ」
熱で頬を紅潮させつつもサイは小さく叫ぶ。その間にも、意外と早く靴音は近づいてきた──銃声も。
この付近には、人が何人か隠れることの出来る洞穴が他にもいくつかある。混乱に乗じて、自分らと同様にここまで逃げのびてきた脱走者も少なからずいるはずだ。奴らはそんな脱走者を探し、洞穴から引きずり出しては処刑しているのだろう──
そのぐらいのことは、音だけで分かった。銃声のたびに響く悲鳴と小さなすすり泣きが、何よりも鮮明にその事実を教えている。
それでもサイは出て行こうとする。そんな彼を止めるべく、カズイはその腰に全身ですがりついた。「やめてくれよ!
今のあの人が、俺たちを無事で逃がすわけないだろ!」
最早トノムラの声がはっきりと聞こえる位置まで、彼らは接近されていた。またも銃声──そして何やら、生肉が焼かれる嫌な臭いと音。
鼻をつく悪臭に、サイの足も思わず止まった。「まさか……人を焼いてる?」
「そうだよ!」カズイは小声ながらも叫ばずにいられない。「あいつの良心を信じたって無駄だ、サイ!
サイは知らないかも知れないけど、あいつは子供をまとめて焼き殺したんだぞ!!」
その言葉に、一旦は決断を下したサイの歩みが止まった。
握りしめられた拳から、汗とも雨雫とも取れるものが滴り落ちる。「そんな……」
そうして彼らが動けなくなっている間にも、足音はぐんぐん近づいてきて──あっという間に、洞穴の前で止まった。



カズイが身も凍る思いでこわごわ頭を上げると、洞穴の入り口には何人もの連合兵のベージュの軍服が見えた。
勿論、全員の銃口がこちらに向けられている。
隙を見て逃げ出す余地など、あるはずもなかった。機関銃を構えた兵士の後方には、防護マスクを被り火炎放射器を携えた重装兵の姿まで見える。
もう駄目だ、おしまいだ──カズイは目を瞑らずにいられない。だがその時、サイの叫びが響いた。
「軍曹!
自分はもう、逃げも隠れもしません。ただ、貴方ともう少し話がしたいんです」
両手を上げながら、トノムラたちの方向へ少しずつ歩みを進めるサイ。駄目だ、そんなもの通用する相手じゃない!
「軍曹! 俺たちは……」
そんなサイの願いを遮断するように。そして、カズイの予想を完全に肯定するように──
トノムラの冷たい声が、洞穴に反響した。
「貴様は犯罪者だ、サイ・アーガイル。
二年前、連合軍から脱走した時点で、その不名誉が生涯続くということは分かっていたはず。
しかも今また収容施設から脱走を企て、軍に反抗している。この時点で、貴様は刑を免れない。それは子供でも分かる理屈だ」
「待ってください」サイはそれでも食い下がる。「貴方はこれまで、俺からアマミキョとチュウザンの情報を引き出そうとしていた。
同時に、フレイ・アルスターに対する人質の価値も、俺に見出していたはずです」
その言葉で、カズイは気づく。
さっきサイは、フレイが自分を殺しに来ると言った。なのに今、自分をフレイに対する人質だと? 言ってることが目茶目茶じゃないか?
いや、違う。サイはどうにかこうにかトノムラとの会話を繋ぎ、時間稼ぎをしているんだ。未だにトノムラを信じながら。
死に瀕した人間の最後のあがき。でも俺たちは、結構何度もこういう状況に追いつめられている。
だからある程度、冷静にもなれるんだ。こんな俺でも。
「そうでなければ、連合軍が掴んでいる以上の情報を引き出せない俺たちは、すぐに処分されたはずです。
でも貴方はそうしなかった。考えられる線は一つ──
貴方は俺を利用して、フレイ・アルスターを引きずり出そうとしたんだ」
トノムラは答えない。ただ、冷たく銃口を真っ直ぐサイに突きつけるだけだ。
「そしてこの通り、彼らはやってきた。
ならば、俺を彼らに差し出せばこの空襲は終わります。俺たちを──」
「残念だな」トノムラの口調に一切の変化はない。背後に従えた兵士たちも、全く動きはしなかった。「貴様に人質の価値はない。
正確には、今朝の時点でなくなっていた」
「え?」
「軍が貴様を、南チュウザンに対しての贄として確保していたのは事実だ。その為に、何度か彼らと秘密裡に交渉も行なってきた。
その結果が、今朝の通信とこの襲撃だ。
要するに、貴様は捨てられた。一度捨てた男を、女がもう一度拾いに来ることは稀だろう」
サイはそれでも、ぴくりとも動かない。後ろで震えているカズイをかばうように両手を広げたまま、トノムラを睨みつける。
「ですが……」状況を必死で分析しつつ、なおもサイは食い下がろうとしていた。
サイはトノムラの最後の良心に賭け、同時に南チュウザンのフレイの良心にもまた賭けていたのだろう。勿論、オーブからの救援も。
その三者の手をひたすら待ちながら、サイはこれまで時間を稼いでいた。だからこそ、俺をも傷つける必要があった。
──だが今、その三者のうち二者が、サイの手を拒絶したことになる。ただ一つ残るオーブからも、答えは未だにないままだ。こんなの、無視に等しい。
「二年前、アークエンジェルに積極的に乗ってしまったことが、そもそもの貴様の間違いだった。
災難だったな、アーガイル」
トノムラの手にした拳銃が、カチリとロック解除音をたてる──
だがその時、カズイはふと気づいた。空爆音が、再び激しく鳴りだしたことに。
兵士たちの顔つきも、どことなく上空を気にしている風だ──
そんな中、サイはなおも叫ぶ。穴の外の空が、再び紅に染まり始める。「待ってください、トノムラ軍曹!
俺は、自分は、アマミキョを再建しなきゃいけない!
もう一度、フレイに会わなきゃいけない! 会って、話がしたい!
それまでは、隕石が落ちてきたって死ぬわけにはいかないんですよ!!」
あらん限りの声で絶叫するサイ。駄目だサイ、あいつはそんな情の通じる相手じゃない。
トノムラ軍曹は悪魔なんだ。変わってしまったんだ、あの人は──!!
両腕でカズイは全身を覆う。俺は何度も悪夢でうなされた、機関銃で身体をハチの巣にされる夢で!
あと数秒でそいつが現実になる。あと2秒で、1秒で……



だがカズイがいくら待っても、その瞬間は来なかった。高熱の弾丸で撃ち抜かれる感覚まで、この身体はとうに覚悟していたのに。
恐る恐る、カズイは片目だけ開いてそっと両腕の間から様子を眺める。
トノムラの銃は未だ火を噴かず、サイの眼前で止まっている──
その数瞬はカズイにとって恐ろしく長く、永遠に止まってしまった一枚の絵のように見えた。
当然、それは現実の時間にすればほんの数秒のことで──しかし結果的に、その数秒がサイたちの生死を分けた。
トノムラがサイに引き金を引こうとしたまさにその瞬間、
何かが空を破く、絹が裂けるが如き音が響いた。
その次の一瞬で、大地が砕かれる轟音と共に、洞穴は崩壊した。





気絶していたのはほんの少しの間だったらしく、カズイはもうもうと巻き上がる土煙の中、何とか身を起こした。
すぐそばには、同じように吹っ飛ばされたサイが倒れていたが、幸い外傷はそうでもないようだ。そして彼はこんな中でも、どうにか立ち上がろうとしていた。
一体何が起きた。降りそそぐ土砂の中で目を凝らし、ようやく見えてきたものは──
自分たちの身長のゆうに5倍はある、真っ黒い鉄球。
ご丁寧にも、漫画のようなトゲまでくっついている。その鉄球と、ぬかるんだ地面が接触した場所からは、黒い濁流が温泉のように湧き出ていた。
それが血だと分かるまで、カズイはやはり数秒かかった。そして鉄球の向こうに見えたもの、それは──
「レイダー……?」
カズイが頭を働かせるより先に、サイがぼんやりと答えを呟いていた。
最早カズイにとってもおなじみとなった、二つ目の双角の鉄巨人──ガンダムの名を持つモビルスーツ。だがカズイの知るそれとは違い、真っ黒に塗装されていた。
<あ〜ぶなかったねぇ、サイ! いい時間稼ぎしてくれたよぉ>
鉄の巨人から響きわたる声。その場にそぐわない脳天気な声に、カズイはどこか聞き覚えがあった。
──この声、まさか。
俄かには信じられないその可能性に、思わずカズイはサイを振り返る。彼はといえば、振りかかる土煙を払おうともしないまま、両の拳を握りしめてモビルスーツを睨みつけていた。「お前……よくも、軍曹を」
<あれ? 意外だね>パイロットの声が響き、同時に機体下部のハッチが雨の中、ゆっくりと開く。<俺はお前らを助けたんだよ? そんな眼で見るこたぁないじゃないか>
機体右側のマニピュレータがハッチ付近に移動し、細身のパイロットが姿を現す。と、素早く彼はマニピュレータの上にひらりと飛び移った。黒いパイロットスーツにメットが、曇天に映えた。
そのヘルメットに両手がかかる──サイが叫んだ。「やめろ! カズイの前で……」
そんな声にも構わず、彼は呆気なくメットを脱いだ。やっと息苦しさから解放されたとでも言いたげに頭を振る。
雨の中、その栗色の癖っ毛がふわふわと揺れた。
まさか──まさか、この髪の毛。絶対に見覚えがある。
その少年はカズイにふと視線を向ける。上空から不意に降りそそいだ光が、その顔をはっきりと照らし出した。
何だ、この無機質な白い光は? どう考えても太陽じゃないし、月の光でも勿論ない。
「久しぶりだね、カズイ。俺だよ、トール・ケーニヒ!
今日はこの機動要塞『オギヤカ』で、懐かしの仲間を助けに来ました〜ってワケ!」
──なぁ、サイ。教えてくれよ。
これは夢なのか? 俺たちが何とか今生きてるのも信じられないのに、トールまでがここにいる?
これ、天国から、トールが迎えに来たんじゃないのか?
「黙れよ!」カズイの視線を遮るように、サイは立ちはだかる。だがカズイには見えた──その背中ごしに、少年の姿が、はっきりと。
そして分かった。それが間違いなく、かつて自分たちを守ろうとして命を散らした友人、そのものであることも。
だが、その上空から近づいているもの──あれは何だ? 戦艦よりもはるかに大きい。
小さい頃パニック映画で見た、人間を滅ぼす巨大な宇宙船。あれにそっくりだ。
「カズイ……駄目だ、見るな」
あぁ、そうか──サイは多分、かなり前からこのことを知っていたんだ。そして、俺に隠していた。
多分、俺を守る為に。だって、フレイだけじゃなくトールまで生きていたなんて知ったら、俺がどうなっちまうか分からない。そう思ったんだろ。
「サイ。大丈夫だよ、俺は。
お前が思うほど、もう俺は弱くないつもりだから」
そんな二人の囁き合いを知ってか知らずか、トール・ケーニヒは妙な明るい調子で両腕を広げた。「さぁ、二名様ご案内!
我らが姫様の船、オギヤカへようこそ!!」


 

つづく
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