そう、君はとてつもなく大きな力を手にしてしまった。セレブレイト・ウェイヴなる、とんでもない力を。
それは恐らく、人の歩みを停滞させる力。
あの時君は、その力を使うか否か、俺に選択するように仕向けたのだろう。
人の命運を、平凡極まりない俺の選択一つに任せてしまうような君の心中が、俺には分からないけど。
それならば──
「俺が望むのは、進化だ。
俺は、人の成長を望むよ」
ドレスと髪を靡かせながら、フレイはじっとその答えを聞いていた。
そして数瞬の後、静かにサイに問う。
「何故、それを望む?
お前は、皆が土を耕し、自然に感謝し豊かに生き、寿命を全うする世界を望んだのではないか?」
「それが出来るならって、そう思ってた。
だけど、人が自然にそうなるのと、人を強引にそう変えてしまうのは、違うだろう?」
それを聞いて、フレイの眉が少しばかり顰められたと感じたのは、気のせいだったろうか。
「自然になど、ならぬ。
人がそこまで賢くないのは、お前も分かっているはず。
少なくとも、お前が生きている間は!」
「だったら、嫌でも成長を選ぶしかないんじゃないのか?
生きている限り、人は成長する。植物状態になったって、髪も爪も勝手に伸びる。
人って、そんなもんだろ」
「そのように奔放な成長を続け、制御を失った結果が、今の有様だ」
「でも、それが人の本質だろ?
出来なかったことが、出来るようになる。
例え出来なくとも、出来ることを探す。
それが成長で、それが人だろ?」
サイはそう話しながら、ふと瞳を閉じる──
そういえば、君は言っていたな。
ヒトがヒトでなくなっても、と。人間の定義から外れても、と。
あの時は、全く意味が分からなかったけど、今なら──
そんなサイの思惑とは全く無関係に、フレイの唇は動いた。
「あの男を捕らえ、レイラを保護しろ。
決して傷つけるな」
彼女の言葉に、トールと警備兵たちが再び動く。
一斉にサイに向かって、突進してくる警備兵たち。
カズイやレイラと共に、強引にでもコメットで飛び立とうかと、サイが逡巡したその瞬間──
艦全体が、激震に揺れた。
PHASE-39 クロス・オーバー
「敵襲! ザフトの編隊です!!」
オギヤカ全艦に、酷く鳴り響くアラート。
サイを捕らえようとしていたトールや警備兵たちも、完全にそちらに気を取られてしまっていた。
しかしそれでも、フレイが慌てることはない。それどころか、微笑みすらたたえて両腕を組んでいる。
「遂に来たか。
待ちわびたぞ、シン・アスカ!」
さらに続けざまに船体が揺れ、サイたちのいる床が僅かに傾き始める。砲撃まで受けているようだ。
自分たちの企みが全て露見している今、もう、ナイフをレイラにつきつけておく必要は微塵もなかった。サイはナイフを素早く懐へしまうと、レイラの首元をしっかりと左腕で支え直す。彼女が放り出されないように。
服ごと飛ばされそうになりつつも、雲の海を振り返ると──
果たしてそこには、こちらに向かって突撃してくる数機のモビルスーツが見えた。
そのうち2機に、サイは見覚えがあった。
──あれは、アマミキョが撃沈された時の機体か。
ストライクに似た意匠を持つモビルスーツ。何度もアマミキョを襲ったヤツだ。
そして、やはり似ているが、背部の巨大な紅の翼が血を連想させるモビルスーツ。
息も絶え絶えな俺の眼前で、フレイと激闘を繰り広げた機体。
サイは感じた。
紅の翼のMSに追いつけ追い越せとばかりに、雲を突き破り、こちらに突き進んでくるもう一つの機体──
その中に潜む、執拗な悪意を。
冷めたココアを思わせるカラーリングに、随分重量のありそうな双対のポッドをその背に負っている。頭部意匠はやはり他と同じ。
ガンバレルにも似たあの武装は、かつてスティング・オークレーが操っていたカオスガンダム、その機動兵装ポッドとほぼ同様だ。
弾幕をひらひらとかわし、あっという間にオギヤカに接近したカオスもどき。
そのポッドが、真っ赤な柘榴のように開く。
同時に発射されたものは、ファイヤーフライ誘導ミサイル。あれは確か、片側だけで12基搭載されていたはず──
サイがそこまで思い出した瞬間、その柘榴の中から、炎を纏った無数の種が飛び出した。
真っ直ぐに、サイたちのいるカタパルトに向けて。
「きゃあぁあああっ!!」「うわあぁああっ!?」
ファイヤーフライ誘導ミサイルが、至近距離で炸裂したコメットカタパルト。
レイラやカズイ、警備兵たちの悲鳴が交錯する。
空に向けて無防備に開かれたままだったカタパルトは、内部への直撃こそ逃れたものの、開閉口付近に着弾を喰らった。
「危ない! 伏せろ、カズイ!」
サイは思わずレイラを抱きしめ、着弾したと思われる方向から彼女を背中で庇った。同時に、カズイもサイの指示に従い素直に床に伏せる。
一瞬の後に来たものは、全身を焼き尽くすかという勢いの熱風。
サイは、どうにかコメットから弾き飛ばされないようにするのが精いっぱいだった。
無数に飛んできた炎の粉が、サイの頬や袖をもチリチリと焼いていく。細かな破片も幾つか、背中に当たった。
爆風に煽られながら、何とかフレイの方を見上げると──
彼女はドレスを大きくはためかせ、仁王立ちのまま、面白そうに空を睨んでいた。興味深い生物が来たとでも言いたげに。
「トール! 出撃だ。セイレーンの用意はいいな?!」
彼女の声に弾かれたように、トールも頭を上げる。
「はい!
し、しかし……サイたちの処遇は!?」
息せききったトールの言葉。
その問いに、一瞬だけサイとフレイの視線がかちあった。
どこまでも読めない、灰色の瞳。それは炎の光を映し、紅蓮に輝く。
──今フレイを見放したら、彼女とは二度と逢えなくなるかも知れない。
そんな想いが一瞬、サイの脳裏をよぎる。
幸か不幸か、コメットは殆ど傷ついてはいない。バーニアを噴射しさえすれば、今すぐに飛び立つことも可能だった。
──しかし、いいのか。本当にいいのか。
このままフレイから逃げ出せば、俺は2年前と同じように……
だが、サイが逡巡しかけたその時。
彼の迷いを断ち切るように、サイの腕の中からレイラが頭を出し、フレイに叫んだ。
「姉上!
どうか……どうかもう、遺伝子に惑わされるのはやめてください!
姉上の服従遺伝子は、完全なものではないはず!
お母様に操られ、サイ様を殺める愚を、今一度繰り返すおつもりですか!?」
──何?
今レイラは、何と言った?
服従遺伝子? お母様?
フレイの母は、大分前に亡くなったはずだが──?
わけの分からない単語の羅列に、戸惑うサイ。
その間にも誘導ミサイルは次々に着弾し、カタパルトを大きく揺らす。
炎が、カタパルトにも迫っていた。爆風に巻き込まれた警備兵が、何人か倒れているのが見える。
「時間がない。
サイを捕らえろ、トール。その後にルージュ、及びレイダーの準備だ!」
フレイは無情に指令を下すと、何の未練も見せずにさっとドレスを翻し、サイの前からあっという間に姿を消した。
大きく開いた白い背中と、靡く紅の髪。それを遮るが如くの炎の華。
それが奇妙に美しく見え、サイは一瞬動くことが出来ないでいたが──
トールが再び、サイたちに向かって飛び込んでくる。
「サイ、諦めろ! レイラも!!
御方様に目ぇつけられちゃ最後、どこ行ったっていずれ消されちまうんだよ……
だからフレイだって、お前を守ろうと必死なのに! それをお前は!!」
すかさずレイラは、トールの言葉を打ち消すように叫ぶ。
「サイ様、行ってください!
オギヤカは狂気の場所。ここに取り込まれてはなりません!」
彼女の言葉に弾かれるように、サイはコメットのバーニアを点火させた。
──そうだね、レイラ。
でも、外の世界だって、同じくらい狂気に満ちている。
ならば──
「俺も、君を危険には晒せない」
そんな呟きと共に──
バーニアに火が入るとほぼ同時に、サイはレイラを自分の腕から引きはがす。
「トール! 彼女を頼む!!」
噴射と共に、勢いよく滑り出すコメット。カズイの両腕が、サイの腰を折れよとばかりに絞めつけてくる。
凄まじい風圧に顔を叩かれながらも、レイラの小さな身体をサイはそのまま、トールのいる方向へ力まかせに投げ飛ばした。
「さ……サイ様!?」
驚愕のレイラの表情と、バスケットボールのように宙に放り出された彼女をしっかり抱きとめるトール。
それを確認出来たのは、ほんの一瞬だけ。
──ごめん、レイラ。
今のフレイには、恐らく君が必要だ。
それに、君を守ることが出来るのは、トールだ。俺じゃない。
次の瞬間には、サイとカズイを乗せた小型凧は、火線飛び交う天空へ飛び出していた。
「フン。全く予想どおりの動きだ」
フレイはドレスの裾を翻し、実にしなやかにコクピットに飛び乗る。
そこは、サイたちが先ほど目撃した、8基の砲塔を背負う紅の機体。
かつて、フレイ・アルスターを殺したプロヴィデンスガンダム──
紅に染まり蘇ったその機体に今、フレイを名乗る彼女は颯爽と乗り込んでいた。
コンソールパネルに浮かび上がった文字は──
“GUNDAM Sirene”
ガンダム・セイレーン。
漆黒の巨大な砲塔を背負いながらも、彼女の象徴とも言える紅蓮に染められた機体。
そのコクピットに、突如通信が入る。
<ねぇ、フレイ! 例のお兄ちゃんが来るの!?>
セイレーンのすぐ隣に待機していた、ストライクフリーダム・ルージュからだ。
同じ紅を持ち、まるで姉妹のように並び立つ2機。
ルージュの装甲は当初、全面紅になるようセッティングされていたが、現在は翼や胸部装甲の一部のみが紅に染められ、他の部分はほぼ純白に近い色彩となっていた。
これは、セイレーンとの区別を明確にする意味もあるが、パイロットの好みによる処が大きい。
フレイから見て右サイドに表示された小さなモニターの中で、マユ・アスカ──
否、チグサ・マナベが、面白そうにフレイを見つめている。これから遊園地に行く子供のように。
そんな彼女に、フレイは諭すように言った。
「そうだ、待たせたな。
キラ・ヤマトの按配はどうだった?」
<だいじょーぶ。最初は取り乱してたけど、だいぶ落ち着いたよー。
ちゃんと話せば、分かるヤツだった。あとはフレイの扱い次第だね!>
「……そうか」
チグサの言葉で、フレイの表情がやや曇る。
だが、その唇から発される言葉はあくまで穏やかだった。
「苦労をかけるが、あともう少しだ。
我に続け、ルージュ」
<アイアイー!!>
チグサの無邪気な声。
それと同時に、反対側のモニターに何かが光った──
コメットのカタパルト付近を映していたモニター。そこから、光る紙飛行機のように、何かが飛び出していく。
それが何か、フレイはとうに見抜いていた。
──サイ。
このままではお前は、キラと私を敵に回すことになるぞ。
誰にも悟られないほどの溜息をつき、一旦瞳を閉じるフレイ。
だが、それも一瞬。
「ガンダム・セイレーン、フレイ・アルスター、出る!」
邪魔なドレスの裾を跳ね除けるように、彼女は一息に操縦桿を押し込む。
パイロットスーツによる緩和効果を得られないその身体に凄まじい重力がかかったが、フレイの表情は微塵も変わらない。
頭部カメラアイを紅に輝かせたガンダム・セイレーンはそのまま一気にカタパルトを滑り、雲海へ飛翔した。
劫火を避けつつ、雲の中へ突入したサイとカズイのコメットだが──
雲海の下は強烈な嵐が吹き荒び、コメットは洗濯機に放り込まれた落ち葉のように、もみくちゃに引っ掻き回されていく。
何しろ、空中で生身剥きだしでサーフィンをしているようなものだ。細かなガラスの粒子の如き雨粒が、裂けよとばかりに次々とサイの身体を打つ。タキシードどころか、中のシャツまでが剥がされそうだ。
背中にくっついたままのカズイがひっきりなしに何やら叫んでいるが、あまりの嵐で何を言っているのだが、全く聞き取れない。
周りは全て白い闇。さらにすぐ下には、稲妻まで閃いていた。
それでもサイはハンドルだけをしっかり握りしめ、手元のナビを確認することを忘れなかった。
──この雲じゃ、たどり着けるものも着けなくなる。
そう判断したサイは、再びバーニアを軽く吹かす。
「な、何するんだよ、サイ!? 上は……うわぁあ!!」
カズイの叫びも、急激な方向転換によりかき消される。
雫で濡れた手がハンドルから離れそうになり、サイは慌ててスーツの袖ごとハンドルを握り直した。
──今この手を離したら、俺は勿論、カズイの命も終わる。
コメットはほぼ垂直に上昇を開始し、数秒もしないうちに雲の上へ戻っていった。
二人の眼前に再び、眩いほどの青空が戻ってくる──
と、同時に。
「サイ! 見ろ、あれ!!」
カズイの狼狽の声。
それは、初めてまともに目にする、オギヤカの威容。
かなり離れたと思っていたのに、その艦体の巨大さは未だ、サイたちを押し潰さんとするように眼前に立ちはだかっていた。
そこに取りついていこうとするザフトのモビルスーツが、小鳥のように思える。
だがそれ以上に、サイたちを驚かせたものは──
雲海のほぼ半分を覆い尽くさんばかりの、黒いモビルスーツの編隊。
それらは全て、オギヤカから次々と発進していた。
サイはそのモビルスーツ群に、見覚えがあった。
──あれは、アマミキョを潰そうとしたダガーLだ。
真っ黒に塗装され、紅蓮のカメラアイで相手を威嚇するその様は、忘れるに忘れられない。
どれほどの攻撃を受けようと、どれだけ装甲を破壊されても、どれだけ仲間を落とされようとも全く意に介さず、ただひたすらにアマミキョを破壊しにきた者たち。
確か、伊能大佐が言っていたな。
あれには、人が乗っている気がしないと──
ザフトのモビルスーツが小鳥なら、あいつらは蝗の如くだ。あっという間に相手にとりつき、一斉攻撃をかけていく。
例の紅の翼をもつ機体も、必死で応戦していたが、劣勢に追い込まれているようだ。
どうも最初から、機体の一部を破損していたらしい。マニピュレータの動きが、サイから見ても明らかに遅く、不完全だった。
──そんな武装で、このオギヤカに挑もうとしたのか、ザフトは。
ビームブーメランまで展開しつつ、次々と漆黒のダガーLを落としていく紅の翼。
だが、多勢に無勢で、次第に追い込まれていく。
ザフト側の援護も非常に乏しく、他にはあの、ストライクによく似た機体しかいない。こちらもまた、サイは見覚えのある機体だった。
──やはりそれだけ、南チュウザンは危険な兵器を有したということか。
ザフトがこうして、補修不全の機体すら使おうとするほど。
──サイがそこまで考えた、その瞬間。
一人の女の声が、何故かサイの脳に直接、飛び込んできた。
「生きていたか、サイ・アーガイル!!」
突然の事態に、サイは反射的にオギヤカとは反対方向へ振り返る。
彼らの眼前に、不意に現れたものは──
あの、カオスガンダムもどき。不味いココアのような色の機体。
それが、雲から出たばかりのサイたちの真正面に躍り出て、気味悪く紫のカメラアイを光らせる。
構えられた高エネルギービームライフルは、どういうわけか真っ直ぐにサイたちのコメットを狙っていた。サイたちだけを。
何故だ。何故、オギヤカではなく、俺たちまで?
あまりのことに、サイは一瞬、頭が働かなかった
──カズイの叫び。
「サイ! ぼさっとすんな!!」
そんなカズイの、彼にしては聊か乱暴な声のおかげで、サイは撃たれずにすんだと言える。
彼の声に弾かれるように、サイは咄嗟にバーニアを吹かした。
直後、ビームライフルの火線が、それまでコメットのいた場所を貫く。
それは一瞬雲を吹き飛ばし、ほんの少しだけ、雲の下で荒れる黒い海が露わになる。
身体中から、どっと汗が噴き出る。恐怖による汗が。
当たらなければ問題ないと分かっていても、これは──
その機体から放散される凄まじい怨念に、サイは覚えがあった。
──まさか。
彼らを撃ったのは勿論、カオスγパイロット──アムル・ホウナ。
そのコクピットで、彼女は激情と憎悪、そして何故か湧き上がる快楽に身をゆだねていた。
通信からは、ヨダカの怒声が響いている。後方から援護してくる、グフ・イグナイテッドからの指示だ。
<アムル! 前に出過ぎるな!
単独行動は危険だ、デスティニーとインパルスの援護へ……>
だが彼女は、その言葉にきっぱりと否定で応答する。「隊長、それは無理です」
<何!?>
「あの船から射出された飛行物体を発見しました。援軍を呼ばれる可能性があります。
これより当機は、追跡を開始します。必要とあらば撃墜いたしますので」
<撃つ必要はない。それよりも、あの艦を止めるのが最優先だ!>
「南チュウザンの艦から射出されたものですよ。奴らがどれだけ危険かは、隊長とてご存知のはず」
<待て! 無茶を……>
皆まで聞かず、アムルは一方的にヨダカとの通信を切断した。
改めて、メインモニターに捕捉したコメットの姿を、アムルは凝視する。
──やはり、生きていた。サイ・アーガイルは。
さすが、あの母の執念。どれだけ叩き潰しても、ここまで私を追ってくるか。
今度こそ、殺さなければ。いいえ、殺すだけではもう飽き足らない。
あれだけ叩き潰したのに、こうしてまだ生きているのだもの、あいつは。
ならば──
舌なめずりをしながら、アムルは呟く。
「捕まえて、辱めて、握りつぶす」
そう。殺しても殺しても、こうして蘇って私の邪魔をするのなら──
その魂ごと、叩き潰すしかないじゃない?
お前を屈服させて、お前を喰らって、お前が全部私のものになれば、私は──
母を超えられる。
カオスγの機動兵装ポッドが、再び開かれる。サイたちの眼前で。
サイは目を見張らずにいられない。あれを、俺たち如きを相手に使うつもりか!
「カズイ! 俺の前に回れ!!」
サイは咄嗟に、背中にくっついたままのカズイを強引に右腕で抱え込もうとする。自分の身体で庇うために。
だが、カズイはそれには頑固に応じなかった。
「だ、大丈夫……大丈夫だから。
俺、サイを守るって、決めたから!」
先刻と同じ言葉を、カズイはもう一度自らに言い聞かせるように叫び、サイの腰をぎゅっと掴む。その声は完全に震え、目も瞑ったままだったが。
ここで揉みあっても、仕方ない。
サイはカズイをそのままにしておくと、前だけを見据える。
とにかく、奴から逃げなければ──
そう思った瞬間、辺りが爆光に包まれた。
カオスもどきのメイン武装・ファイヤーフライ誘導ミサイル。その双肩に装着されたポッドがサイたちの眼前で、一斉に光の華を咲かせた。
──神様!!
サイは必死でコメットの操縦桿をたぐり、壊れんばかりにバーニアを吹かしてそのミサイルから逃れようとする。
とにかく、振りきれ。振りきるんだ。奴に囚われては駄目だ。
十何発ものミサイルが、一斉にコメットに接近しては、その周囲で花火のように爆発する。
まるで、サイたちの必死さを嘲笑うように。
いや、嘲笑うように──ではない。実際、嘲笑されている。あのパイロットに。
あの、カオスもどきのパイロットに。
あいつは恐らく、俺たちに当てようと思えばいつでも当てられる。だからこうして──
サイの推測は、全くその通りで。
四苦八苦しながら逃げ惑うコメットを、アムル・ホウナは満足げな表情で眺めていた。
──呆気なく散られては、困るわ。
私のもとで、私の手の中で踊りながら、息絶える。
それがお前の運命よ、サイ・アーガイル──
その時、コクピットにアラートが鳴り響いた。
爆光で目が眩みそうになりながら、サイは空を翔ける。
火の粉混じりの熱風に身体をじりじり焼かれながら、木の葉のように揉まれながら、彼はそれでも冷静に風を読んでいた。
時には、いつぞやのアークエンジェルのバレルロールもかくやという空中回転をかまし、巧みに砲弾を避けながら、どうにか墜落を免れている。
そしてカズイも、そんなサイの背中から、決して手を離そうとはしなかった──
しかしそんな彼らの眼前に、さらに立ちはだかるものが現れた。
それは、どこまでも冷酷な紅のカメラアイを持つ、黒ダガーL。その数、およそ3機。
「邪魔を、するなぁっ!!」
不意に現れた黒ダガーLの姿に、アムルは激昂を隠せない。
コメットを捕らえるかのように動くダガーLを、彼女は一瞬でターゲッティングする。
数瞬の後、無防備な黒い機体どもに向けて、ファイヤーフライが火を噴いた。
サイたちのコメットを撃墜しようとはせず、あくまで捕らえようとしてマニピュレータを伸ばしてきたダガーL。
その頭部に、ファイヤーフライが十何発と、凄まじい劫火をもって撃ちこまれる。
結果として、サイたちの至近距離でダガーLは爆砕された。
「わ、うわああぁあああっ!」
サイの代わりとばかりに絶叫するカズイ。
サイは咄嗟にコメットを反転させ、爆風から身を守ろうとした──
このような時、最も恐ろしいのは炎に巻き込まれることだ。それはこれまでの経験から、サイは分かり過ぎるほど分かっていたつもりだったが──
それでも、このような状況下では勝手が違ったのか。
「──!!」
突如、左の二の腕あたりに、酷く熱い衝撃が走る。
見ると、左肩あたりの布地が裂け、そこから噴きだした真っ赤な血が、空中に一筋の帯を作っていた。
爆散した機体の破片でも当たったのか──
だとすれば、この至近距離。銃弾を撃ちこまれたようなものだ。
「サイ!!」
彼に何が起こったのかをすぐに理解したカズイだったが、悲鳴を上げるしかない。
爆発の勢いで、コメットの台座からサイの両足も一瞬、宙に跳ねあがる。
それでもサイは激痛に耐えながら、操縦桿から決して手を離さなかった。
──今俺が手を離したら、二人とも死ぬ。
──アマミキョも、また、沈む。
じわじわと肩を濡らしてくる嫌な血の感覚に耐えながら、サイは必死でコメットの制御を続けた。
爆風の威力で雲に叩き付けられ、さらにサンドバッグか何かのように突風で左から右から身体を殴られながらも、サイは諦めなかった。
──ダガーLを盾に、奴を撒く。
幸い、あのダガーLはこちらを殺すつもりはないようだ。恐らくフレイの指示により、俺を捕らえろということなのだろう。
ならば、カオスもどきと奴らが揉みあっている間に、俺たちが逃げおおせれば、勝機はある。
破片に当たらぬよう、カズイを振り落とさぬよう、爆風に巻き込まれぬよう、とにかく風をつかまえてこの場から逃げおおせる。それだけをサイは考えた。
数時間にも思える何秒かの間、奮闘を重ねた結果──
危うく叩き落とされかかっていたコメットも、どうにか立て直しに成功し始める。
俺の左腕は少々傷ついたが、コメット自体の損傷はそこまでではない。少し、翼が炎熱で焦げた程度か。
──少しだけ胸を撫で下ろし、突風に身を任せて再び雲から出ようとした時、
操縦桿を握るその左手に、そっとカズイの手が乗せられた。
「カズイ?」
「……俺も、やる。
さ、サイにばっか、任せてらんないし……」
その腕力は、サイが思っていたよりも、強かった。
──そうか。
カズイだって、アークエンジェルの一員だったし、今は立派なアマミキョの一員だ。
この間なんか、あの収容所の地獄から、俺を救い出そうとすらしてくれた。
もしかしたらカズイの奴、俺よりも腕力はついたのかも知れない。少なくとも、左手の力は、今の俺よりはずっと強い。
左腕の傷が既にそのレベルまで悪化している事実が悲しくはあったが、それでもサイはほんの少しだけカズイに微笑み、改めて操縦桿を握り直しつつ言った。
「分かった。後ろは任せる、カズイ!」
炎に巻かれる寸前になりながらも、間一髪のところで閃光をかわしていくサイのコメット。
それを眺めながら、アムルはさらに嗤う。
「さて……どこまで逃げおおせるかしらね。
どこへ逃げようと、お前は私の手のうちだというのに!」
そんなアムルが駆るカオスγを前に、ダガーLは3機とも呆気なく爆散した。
しかし未だに、アラートは鳴りやまない。鬱陶しげにアムルが上空を確認すると──
ダガーLの爆炎に紛れて、いつの間に近づいたのか。
全身紅のガンダム・セイレーンが、彼女の直上から斬りつけてきた。
血のような閃光を放つ、双対のビームジャベリンで。
「甘いわ!」
そんなアムルの舌打ち混じりの呟きと共に、カオスγから再びファイヤーフライが撃ち放たれる。
しかし、誘導ミサイルの嵐を巧みにかわしながら、瞬く間にカオスγとの間合いを詰めてくるセイレーン。
懐に飛び込ませまいと、アムルはファイヤーフライの射出を一旦止め、咄嗟にカオスγを変形させた。
かつてのカオスガンダムと同様、この機体にも可変機構がある。ビームサーベルやファイヤーフライなどの武装を保持しつつ、モビルアーマー形態への変形が可能だ。
その機動力に任せ、カオスγは全力でセイレーンから一旦退く。
カマキリのようでアムル自身は好きにはなれない変形だが、この際仕方がない。この形になっていなければ、やられていた──
考えようによっては、あの忌まわしい男を捕らえるには、モビルアーマー形態がちょうどいいのかも知れない。アムルは体勢を立て直し、唇を舐める。
逃げ去ろうとするコメットを追わせまいとするように、セイレーンはカオスγの前に立ちはだかる。だが──
アムルが予想だにしなかった少年の声が、コクピットに響いた。
<どいてくれ! そいつは、俺が!!>
それは、ダガーLの集団を全て火球に変えて殲滅しながら、猛然とセイレーンに迫ってくるデスティニー・ガンダム。
そのパイロットたる、シン・アスカの声。
「その機体……
レイのもんだろうが!!」
怒りに燃えるシンの叫びが、天空に響く。
そんなセイレーンとデスティニーを、インパルスに乗るルナマリアは呆然と眺めているしかなかった。
「レジェンドの改造機……
もうそんなところまで、ザフトの情報が洩れていたというの?」
レジェンドガンダムは、かつてレイ・ザ・バレルが搭乗した最新鋭の機体だ。
インパルスなどと同様、ザフトのセカンドステージシリーズに当たる機体ではあるが、その性能から事実上、「サードステージ」に当たると言われるものである。
ニュートロンジャマーキャンセラーを始めとして、ユニウス条約違反の武装も積んでいる
──それが、外見だけとはいえ、こうも易々と技術を寝取られるとは。
「まさか、性能まで同じじゃ……」
彼女が戸惑っている間に、シンのデスティニーはセイレーンへと迫る。
シンにとって、かけがえのない友だったレイ。
彼の乗機だったレジェンドを、勝手に模された──それも、ザフトの最高機密に近い機体を。
それが、シンの怒りにさらに油を注いだのか。デスティニーは一直線に、紅の機体へ向かっていく。
しかし今のデスティニーは、メサイア戦で破損した脚部も腕部も、修復が完了していない。
一応パーツだけは揃え、何とか接合はしているが、それだけだ。通電機能が不十分だから無茶をするなと、ヴィーノも言ってたのに。
それでもデスティニーは、アロンダイトを手に斬りかかる。
シンの叫びを乗せて。折られた翼を、無理矢理に広げて。
そのビーム刃の光量は、ルナマリアが知るかつてのアロンダイトよりも相当落ちていた。
勿論シンだって、今のデスティニーがどういう状況かぐらいは分かっている。でも──
そうせずには、いられないんだ。
シンはまだ、あのメサイアでの悪夢から脱け出せていないから。
ナオトへのあの態度からも明らかだ。手にした力を使うべきところを、見失ったまま──
この時、ルナマリアはそれを痛烈に感じないわけにはいかなかった。
追撃体勢に入ったカオスγから、どうにか逃れることに成功したと思ったら──
皮肉にも、俺はフレイに助けられた形になったのか。
サイの眼前で、セイレーンのカメラアイが2、3度、紅に閃く。まるで、ウインクでもしているかのように。
逃げろというのか。それとも、戻れというのか。
サイはその意思が掴めぬまま、コメットをもう一度大きく飛翔させる。口から内臓を吐きだしそうになりながら。
今は、とにかく何も考えずに飛ぶしかない。この高度で何度も何度も、急旋回に急制動を繰り返したおかげで、俺もカズイも気絶寸前だ。
──俺は今、君に捕まるわけにも、誰に殺されるわけにもいかないんだ。アマミキョを救いだす為には。
それだけが、サイを突き動かしている全てだった。
幸い、あの紅の翼の機体が猛然とセイレーンに突っ込んで来てくれたおかげで、フレイの注意もそちらに逸れたようだ。
両の手に携えたビームジャベリンを連結させ、空中で回転させつつ構える。彼女は明らかに、相手を挑発していた。
一撃、二撃と、空中で衝突するビームジャベリンとアロンダイト。
デスティニーのパワーは明らかに落ちていたが、それでもその剣の勢いはセイレーンですらもやや上回っていた。
それとも、シンの強引さがそうさせていたのかも知れないが──
デスティニーは激しく叩きつけるように、アロンダイトでセイレーンに何度も斬りつける。
セイレーンはビームジャベリンでその斬撃を素早く払いつつも、次第に追い込まれていく。
それを凝視しながら、シンの心に僅かな隙が生まれた。
「へっ……
レジェンドを使いこなせるのは、レイしかいないんだ!」
だがその時、セイレーンのスピーカから、シンに直接響く声が届く。
<この動き……
成長したが、迷いがあるな。シン・アスカ!>
言葉と同時に、ビームジャベリンを両側の腰部に一旦マウントするセイレーン。
そして直接、デスティニーに掴みかかる。両腕部から、ビームシールドを展開させながら。
「その声……」
シンには、スピーカからの声に確かに覚えがあった。
忘れるはずもない。ミントンで、インド洋で、苦汁を舐めさせられたあの紅の機体──
終始、俺をからかうような挙動を見せていたあの機体。
デスティニーに突撃しながら、あいつは自爆したはずだ。
アマミキョを攻撃していたはずなのに、沈みゆくアマミキョと共に果てるかのように。
俺は最後まで、あの機体がナニをしたかったんだか、全然分からなかった。
あの声の正体を、俺は知っている。
フレイ・アルスター──
南チュウザン王妃を名乗り、演説していたあの女。あいつの声と同じだ。
同じような紅の機体に乗って、また俺の前にやってきたのか。
「お前もか!
お前も、蘇ってくるのかよ! 俺が倒したはずなのに!!」
シンは咄嗟にアロンダイトでその腕を薙ぎ払おうとしたが、それよりもセイレーンの挙動は恐ろしく速く、デスティニーの左腕関節部を強引に掴んできた。
──出力低下が、ここにきて響いてきたか。
こうも簡単に、間合いを詰められるとは。
シンは冷や汗もそのままに、すぐに右掌部の武装を起動させる。
それは、「パルマフィオキーナ」──掌部ビーム砲。
「ウルマの戦いで、ルナは心底傷ついたんだ!
あんたが何したかったんだか、分からなかったおかげでな!!」
シンの叫びと同時に、デスティニーの右掌から青白い閃光が溢れる。
それは、機体を掴んできたセイレーンのビームシールドと激突し、空を一瞬、深紅と純白の雷鳴で満たした。
セイレーンからの声。
<怨みはお互い様だ!
貴様の為に、私はラスティを喪った!
奴の借りぐらいは、返させてもらう!!>
その言葉で圧していくように、セイレーンのビームシールドはデスティニーの光を侵食していく。
同時に──
セイレーンの周囲で、ある変化が発生していた。
かつてのティーダと同様に、機体の装甲全てを光輝かせるセイレーン。
セイレーンの周囲の空気が、震えだす。
夥しい熱量を伴った見えない何かが、その砲塔から放射される。
不可思議な鐘の音と共に。
「これは……!?」
シンを救出するべく、デスティニーに追いつきかけていたインパルス。
その中でルナマリアは、何故か鐘の音を聞いた。
何度も聞いた、忌まわしき音。
こちらの神経を麻痺させてくる音。
しかも──
「以前よりも、ずっと力が増している!?」
この時の為に、あらかじめ整備班が調整していた遮光フィルタとVPS装甲。しかしそれだけでは、最早抑えきれない段階まで、あの不可思議な光は勢いを増していた。
「……っ!?」
突然わきあがってきた嘔吐感に、ルナマリアは思わずメットごしに左手だけで口を覆った。
決して右手は操縦を怠らなかったが、それでもこの吐き気はたまらない。
そんな彼女の眼前で──
セイレーンが、揺れた。
正確には、セイレーンの周囲の大気が、肉眼でも判別出来るほどに、揺れていた。
その光景は、荒れ狂う風をどうにか制御しようと奮闘するサイの目にも、はっきりと見えた。
戦闘中のセイレーンの装甲全体が不意に、紅の輝きを帯び始め──
機体の周りが、まるで急激に温度を上昇させたかのように、ぐらりと揺れる。
その背に負った8基の砲塔の先端で、雷にも似た紫の光が、微かに明滅していた。
「──!!」
襲いくる、強い吐き気。肌を直接突き刺してくる、軽い痺れ。
激しい滑空によるものかと思ったが、違う。
そして──鐘の音。
ティーダが黙示録を発動させた時、何度も聞かされた音。
この音が、あの機体から発せられているということは──
「ティーダと同じ……
いや、それ以上の機能が、あの機体に──!?」
その時、サイの両手を後ろからしっかり押さえていたカズイが、がくがく震えながら何事かを呟き始めた。
「……サイ。逃げろ、早く」
「もう逃げてる! 今更何言ってるんだ、カズイ!?」
「違うんだ。
あ、アムルさんが……アムルさん……
生きてたんだ、あの人」
その言葉に、サイは思わず、カズイの視線の示す先を振り返る。
この鐘の音がティーダと同じものだとすれば、カズイの言葉は間違いなく事実だ。
──アムル・ホウナ。忘れられるはずもない。
オサキを殺し、アマミキョ沈没の最大の要因となった女。
そして、サイとカズイの視線の先で執念深く彼らを追い詰めてきたものは、先ほどのカオスもどき。
そんな気はしたが、まさかと思っていた。
あそこに乗っているのか。アムル・ホウナが。
アマミキョ轟沈時、俺を傷つけながら叫んでいた、血塗れの彼女。
俺の血を浴びて高らかに笑い、勝ち誇っていた女。
アマミキョと一緒に、ハマーやオサキの命と共に、彼女も果てたかと思っていた。
しかし──感じる。
確かに感じる。アムル・ホウナの怨念を、あの中に。
「しつっこい……!
まだ、俺が憎いってのかよ! あんたは!!」
サイは思わず、カオスもどきに向かって絶叫する。
彼の背中に、カズイはしっかりとしがみついていた。殆ど泣き笑いのように、顔をくしゃくしゃにしながら。
その表情は、憧れの人が、生きていた嬉しさと──
自分が彼女を刺した時の、恐怖の記憶と。
サイを守らねばという意志が、ないまぜになっていた。
「しつこいのは、お前だ!
あれだけ叩き潰したのに、いつまでもいつまでも、私の前に現れて!!」
モビルアーマー形態のカオスγの中で、空に向かって咆哮するアムル。
彼女もまた、強烈な吐き気に襲われていた。
実際に吐くまでは至らなかったものの、その嫌な感覚と鐘の音は、彼女の苛立ちを倍増させた。
この空には、私にとって忌まわしいものが多すぎる。この鐘の音のおかげで、色々なものが見える──
サイ・アーガイルと、それにアブラムシみたいにくっついているナチュラル。
そして、フレイ・アルスター。
あのザフトのひよっ子どもも、だ。
大したこともない腕の癖に赤服なんか着ちゃって、結果、こうしてフレイに手玉に取られている。
特にあの、インパルスに乗ってる娘は何なのよ。ろくに射撃も当てられない分際で、私を生意気な目つきで睨んで──
そのルナマリアの声が、通信から轟く。
<アムルさん、危険です! それ以上の深追いは!!>
彼女の言葉を弾くように、アムルは怒鳴る。
「いいから、貴女はデスティニーの援護に!」
私に文句を言う余裕があるなら──と言いたいのを、何とかアムルはこらえた。
セイレーンと、激しい力の拮抗を続けるデスティニー。
そのコクピットではシンも、やはり猛烈な吐き気に襲われていた。鐘の音を聞いた瞬間から。
彼を嘲笑うように、セイレーンのスピーカから響く、女の声。
<どうした? そのままでは、メットの中が汚物で溢れるぞ?>
「ふ……ふざけるな!!」
<冗談ではない。密閉状態のメット内で吐けば、窒息の危険もある。
私はお前を、死なせるつもりはないのでな>
そうか。最初から、本気じゃなかったってことかよ!!
「……聞くか、そんなたわ言!!」
<そうか。
なら、あれはどうだ?>
コクピットに鳴り響くアラート。
咄嗟にシンは、上空を確認する──
そこで彼が目撃したものは、
太陽を背に、ビームサーベル1本のみでこちらに飛び込もうとしている、ストライク・フリーダム。
ただしそれは、シンが仇としていたあのストライクフリーダムとは違い、翼を始めとして、青かったはずの部分が真っ赤だった。
そして、飛び込んでくる声──
<おっひさー、「お兄ちゃん」!!>
あまりにも唐突なその声に、シンは一瞬、呼吸を止めてしまった。
どうして。
何故、ここに──あの子は、死んだはずなのに。
「マユ……!?」
汗だくになり、嘔吐をこらえるシンが幻視したものは──
紅のストライクフリーダム。そのコクピットで、紅のパイロットスーツに身を包み、自在に機体を操っている、幼い少女の姿。
それは、失ったはずの、愛する妹の姿でもあった。
──マユ……?
マユ・アスカなのか、これは?
戦闘空域より、数キロほどの距離を保ちつつ状況を見守っていたミネルバJr。
だが、反撃部隊たる大量のダガーLに襲われ、艦も安全とは言い難い状況となっていた。
敵の砲撃で、医務室までもが揺れている。
そこで、ナオト・シライシは奇妙な声を聴いた──
確かに、マユだ。
僕の知っている、マユだ。
チグサ・マナベに今は抑えられてしまっているけれど、まだ確かにマユはそこにいる。
しかもこの声は──ずっと、強くなってる。
そう感じた時はもう、ナオトはふらふらと医務室から出ていた。
ミネルバJrは今、南チュウザン軍と戦闘状態に入っている。多分、そこにマユがいるんだ。
頭の中で声はずっと響く。吐き気まで感じる。
どうやらその嘔吐感はナオトだけではないようで、そばを通りがかったザフト兵たちも同じようだ。
いつもならナオトを強引に医務室に押し込める彼らだったが、今はそれどころではなく、持ち場へ戻るので精一杯のようだ。中には、呻きながら倒れてしまった看護兵すらいる。
──でも、僕は、倒れるわけにいかない。
いつしかナオトの足どりはふらつかず、しっかりとした歩みに変わっている。
──あそこに、マユがいる。
──そしてもう一つの、この感覚。これは……
その瞬間、胸の中に感じたとても暖かな確信が、ナオトを覚醒させた。
──あの人が、生きている。
ずっと腕に巻きついていた点滴を引きちぎって投げ捨て、ナオトは通路を駆けだした。
吐き気も怠さも吹き飛ばすような、喜びと共に。
──生きていたんだ。
今にも消えてしまいそうだけど、今、確かに、あの人は生きている!!
その想いひとつで、ナオトの全身に、一気に力がみなぎってくる。
つい先ほどまでずっとベッドで寝たきりだった身体が、小鹿のように跳ねる。
殆ど裸足のまま、ナオトは全力で走った。
目的は、ただ──
もう一度ティーダに乗り、マユに逢う為に。
あの人を──
サイ・アーガイルを、助ける為に。
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