ミネルバJrのハンガー内──
ダガーLの攻撃が激化する中、ヴィーノ・デュプレはハンガー最奥部に配備されたモビルスーツ、その脚部に取りついていた。
整備長マッド・エイブスの怒声が、背中から彼を打つ。
「急げ! 
例のマイクロウェーブもどきが、敵艦付近から発振されたらしい!!」
戦闘の詳細はここからでは分からないが、最前線にいるデスティニーやインパルスが大混乱に陥ったことだけは、マッドの声の調子からヴィーノにも薄々分かっていた。
ヴィーノが今、脚部関節の最終調整を急遽行なっているモビルスーツは、勿論──
ガンダム・ティーダ。
システムの回収のみ何とか成功した、南チュウザンの機体。
修理中のセイバーガンダムにセットアップを行ない、もう少しで動かせるかというタイミングでの、出撃命令だった。
いくらなんでも、今回の戦闘での出撃はありえないだろう──
ヴィーノ自身はそう思っていたが、どうやらそうそう楽に事は運ばないようだ。
デスティニーもインパルスも、奴らの卑劣なマイクロ波の網に捕まりかけている以上、今の状況を逆転出来るのは、恐らくこのモビルスーツしかない。
ティーダの左脚部関節によじ登りながら、ケーブルの接合状況を確認していたヴィーノの背中に、さらにマッドの声が飛ぶ。
「もうすぐルナマリアが帰還する!
今、インパルスに緊急信号を送ったそうだ!」
「了解!」
他の整備士たちは全員、インパルスの帰還に備えてカタパルトへ走る。
相変わらずの激しい揺れに耐えながら、ヴィーノも接合部を閉じたその時──
彼は眼下に、信じられないものを見た。
正確には、そこにいてはならないはずの人物を見た。



それは、病院着のまま、何故かここまでたどり着いた少年。
包帯もまだ取れず、揺れの中よたよたと、ティーダに向かって歩いてくる子供。
ナオト・シライシ。



ヴィーノは彼を止めようと叫びかかったが、ひときわ酷い揺れがまたミネルバJrを襲う。
その途端、ナオトの身体も一息に吹っ飛ばされ、かなりの勢いで背中から叩きつけられた。
ティーダの足元へ。
慌ててヴィーノは彼を助けようと、つい大気圏外と同じ調子で飛び降りかかったが、すぐにその愚かさに気づいて自らを制止する。
クソ、地球の重力ってのは何でこう不便なんだよ。
ひょいって飛び降りて、あいつを助けることすらままならねぇ。
ヴィーノは唇を噛みしめながら、急ぎつつも慎重にステップを降りていこうとしたが──
その瞬間、先ほどまでよりもずっと強烈な地響きが、彼らを揺らした。
ほぼ同時に来たものは、凄まじい熱風。無重力下と同じように、自分の身体がふわりと浮く。
交錯する、整備士たちの怒号と悲鳴。
自分と同じ緑のユニフォームを着た男たちが数人、光や破片と共に、木の葉のように吹き飛ばされていく。



ヴィーノはその感覚に、覚えがあった。
忌まわしい、炎熱の記憶。
これは、ミネルバが墜とされた時と同じだ。
──ヨウランが、潰された時と。



同時にヴィーノは、光の向こうに見た。
ティーダとは正反対の、黒いカラーリングのモビルスーツを。
ティーダやインパルス、デスティニーとよく似た頭部意匠を持つモビルスーツが、真っ黒に塗りたくられ、まっすぐにこちらに突き進んでくる。
腕も足も砲撃でもぎ取られ、ほぼ胴体だけになっているのに。
紅に光るそのカメラアイは、何故か、酷薄に笑っているように思えた。
マッドの声。「畜生が!
奴ら、集団で特攻してきやがった!!」





「カタパルトが!?」
ミネルバJrがひときわ大きな火柱を上げる光景を、ルナマリアはサブモニターで確認することしか出来なかった。
自分たちがもたもたしている間に、続々と黒ダガーLの集団はミネルバJrやザフトの艦隊に襲いかかっていく。
しかし、どうすることも出来ない。帰還命令が先ほど出されたばかりだが、今は──
ストライクフリーダムを前に固まっているデスティニーが、目の前にいる。
こんなシンを放置するわけには、いかない。
ルナマリアは吐き気をこらえ、果敢にも操縦桿を握り直し、インパルスの体勢を立て直そうとする。
だがそれよりも、紅蓮と純白に彩られたストライク・フリーダムの動きの方が、遥かに速く──
ルナマリアの眼前で、デスティニーの胸部コクピットハッチが、斬り飛ばされた。





完全に無防備となったデスティニー。
コクピットハッチまでを失い、シンの身体は操縦席に縛り付けられたまま、空中に晒される。
座席から引き剥がされんばかりの突風を全身に浴びながら、それでもシンは、今なお現実を把握出来ていなかった。
──何故、マユが?
彼の脳裏を満たしていたのは、その疑問だけ。
そんなシンの目の前で、紅の機体のコクピットも、ゆっくりと開いていく。
戦闘中にも関わらず、勝利は確定したと言いたげに。
<ふぅ〜ん。
カイキ兄いほどじゃないけど、そこそこいい感じじゃん? 結構好み!>
全く緊張感のない脳天気な言葉と共に、現れたのは勿論──
紅のパイロットスーツにその細身を包んだ、マユ・アスカ。
シンの妹。
炎に吹き飛ばされたはずの、家族。
永遠に失われたはずの、大切な存在。
それが、メットすらも脱ぎ、悠々と操縦席から身を乗り出し、今、シンを不敵に見つめている。
暑苦しいメットから解放されてたなびくロングヘアは、シンの髪色と同じく、黒かった。
シンの脳裏で、失われたはずの記憶が疼く。



──あぁ。俺は一度、会っていたはずじゃないか。
いつか、アマミキョと遭遇した時の海戦で、マユに──
何故忘れていたんだろう。マユが、こうして生きていたことを。
──いや、待て。
違う。絶対に違う。
マユは死んだはずだ。
黒コゲの片腕だけになって、死んだんだ。父さんや母さんと一緒に!!
だから、だからこそ俺は、ザフトに来たんじゃないか!



目の前の現実に、シンの思考は混迷と衝突を繰り返す。
そんな彼に、マユ・アスカの姿をした少女は、微笑みながら右手を差し出した。
無垢な小さき唇から、漏れた言葉は。
「ねぇ──お兄ちゃん。
アタシ、ホントに嬉しいんだよ? お兄ちゃんに会えて。
アタシらには、お兄ちゃんが必要なんだ。
一緒に、来てくんない?」



シンは感じた。それが確かに、目の前の少女の、本心からの言葉であることを。
かつての妹の言葉とは違うが、妹の声を通じて紡ぎだされた、真実の言葉。
ここに何故、マユがいるのか。
死んだはずのマユが、何故。
少女の言葉により、シンの頭は逆に冷静さを取り戻しかかる。
俺の目は、記憶は、ごまかせない。
この少女は、マユとは違う。違うが──
マユと同じ声が、シンの心を根底から揺さぶってくる。偽りの言葉ではなかったからこそ。
──ザフトにいても、ついに見つけられなかった自分の道。
議長が失脚し、デスティニーもろくに戦えず、キラ・ヤマトとも和解してしまった今。
自分が戦ってきた意味の全てが、否定されてしまった今。
自分はどうすればいいのか、どこへ行けばいいのか、まるで分からなかった。
迷いに迷った自分は、ルナまで傷つけてしまった。
マユを名乗る少女の手は、自分を欲している。自分を必要としている。
何故マユの姿をしているのかは分からないが、その姿で俺を誘っていること自体が──
俺がその先で必要とされる、何よりの証左じゃないのか。
その向こうに、何らかの救いがあるのならば。



だがシンの中で、憎悪とも言うべき激しい情念が、その思惑を頑なに否定する。



いや、やめろ。やめるんだ。
その手を取ったら、俺はあのアスランと、同じになっちまう!
メイリンを連れてザフトを、俺たちを裏切ったあの野郎と!!



未だに燃えるその憎しみは、シンを縛りつけたまま、容易に離れることはない。
「ねぇ、どうしたの? 早く来てよ、お兄ちゃん?
もう、アンタらの負けは決まったようなモンなんだからさ」
先ほどよりぐんと近づいてきた、マユ・アスカの機体。
直接触れることが可能なほどに、彼女の指先が接近してきた。ただ真っ直ぐに、シンだけに向かって。
そして、彼女の背後から──
全身を紅に染めた機体・セイレーンが、ゆっくりと舞い降りる。
まるで、傷ついたデスティニーを包み込むように。
見えない焔でも纏っているかのように、セイレーンの周囲の空気は相変わらず揺さぶられ続けていた。
その向こうに──
シンは再び、そこにいるはずのない者の幻を見た。



「──嘘だ。
ステラ……?」



力を手にしながら、守れなかった少女。
守ると約束しながら、失ってしまった少女。
彼の腕の中で、その命の灯を儚く散らした少女。
誰にも脅かされることのない湖の底へ、眠るように沈んでいった少女。
ガーネットのように深い赤紫の瞳と、ふわりと靡く金色の髪。
未だにシンの中で大きな傷となっている、ステラ・ルーシェ。
彼女はセイレーンの背後から幻影となって現れ、天使のようにシンのもとへ舞い降りる。
「ステラ……
どうして、ここに?」
ものも言わぬまま、シンの手にそっと指を重ねるステラ。
その白い指はやがて、ぐんと近づいてきたマユ・アスカの手と重なる。



ここに及んで、シン・アスカは遂に、冷静な判断能力を失った。
マユ・アスカが現れてもなお、懸命に己を保とうとした彼だったが──
ステラ・ルーシェの幻影は、ぎりぎりで踏ん張っていたシンの精神に、とどめを刺したも同然だった。
勿論、ここにステラがいるはずがない。そんなことは分かっている。
でも、見えるんだ。あの紅の機体に寄り添うように、ステラが。
これは、あの機体が──フレイ・アルスターが見せている幻影なのか。





「痛ましいものだ……」
幻に踊らされるシン・アスカを眺めながら、フレイはセイレーンの中で呟いた。
セイレーンが発動させた、ブック・オブ・レヴェレイション。それはつまり、簡易型のセレブレイト・ウェイヴでもある。
かつてはガンダム・ティーダだけが発振可能だったこの兵器を、今、フレイは自在に操り、戦場を攪乱させていた。
セイレーンが謳う、黙示録。
それにより何を見ているのかは分からないが、シンは確かに、マユ・アスカの存在以外にも何かを感じとり、その結果、ああも精神を乱されている。
シンが見ているものが、恐らくステラ・ルーシェであることを、フレイは勘付いていた。
勿論、この場にステラは存在しない。しかし──
「やはり、『御柱』の影響……
あの力、既に地上にまで及ぶか」
フレイは唇を噛みしめつつ、それでも冷酷にセイレーンを機動させる。
裸同然となったデスティニーを、シンを、捕らえる為に。





「シン! しっかり!!」
ルナマリアの必死の叫びにも関わらず、デスティニーは完全にその動きを停止させてしまった。
かといって、彼女自身もろくに動けない。何しろ、インパルスの頭部をデスティニーに向けただけで、吐き気が酷くなってしまったのだから。
相変わらず鳴り響く鐘の音。眼球の奥が金槌で殴られているように、痛い。
瞼や唇が、軽い痙攣まで起こしかけている。
最早、戦闘など可能な状態ではなかった。何も出来ないインパルスの前で──
こちらを嘲笑うように、難なく動く紅のストライクフリーダム。
その右腕が、まんまとデスティニーのコクピットに伸び、抵抗できないそのパイロットを掴みとった。
──シン・アスカを。
ルナマリアはその光景を見つめながら、声が嗄れんばかりに叫ぶことしか出来なかった。
<戻れ、ルナマリア・ホーク!
今ここで、お前まで失うわけにはいかん!!>
通信からはヨダカによる撤退命令が虚しく鳴り響いていたが、今の彼女には最早聞こえなかった。





カオスγに翻弄されつつも、サイは気づいていた。
フレイの操るセイレーンが、今まさにザフトのエース機を鹵獲しようとしているさまを。
──いつだったか、ザフトと海で交戦した時と同じに。
あの時はオギヤカに助けられたが、今そのオギヤカから、俺たちは逃げている。なんという皮肉だろう。
ザフトはあのエース機のみならず、周囲の機体もまるで動けていないようだ。恐らく、空中で姿勢制御を行なうのが精一杯なのだろう。
攻撃がおさまったと見るや、セイレーンと、そして紅のストライクフリーダムは、息を合わせるようにデスティニーを両側から支える。
ザフトのパイロットがどうなったのか、サイの目からでは分からない。
そしてサイ自身、そこまでザフトに気を使っている余裕はなかった。
傷つけられた左肩が、じわりと痛み出してくる。操縦桿を支えている左手首にまで、血が浸みだしていた。
オギヤカで与えられた部屋の棚に痛み止めがあったのを、サイは今更のように思い出した。そして、そいつをこっそりくすねて懐に忍ばせたことも。
「カズイ……ちょっと、右、頼む」
「分かった!」
悲愴なまでの決意のこもったカズイの声。
同時に、彼の右手ががっしりと、サイの代わりとばかりに背後から操縦桿を掴んでくる。
おかげでサイは、右手を離して内ポケットの錠剤を取り出すだけの余裕が出来た。
包みを食いちぎり、そのまま奥歯で噛み砕き、水なしで飲みこむ。
身体に良くないとは分かっているが、仕方がない。こうしなければ、俺の左腕は肩からちぎられそうだ──
背中を少し丸めながら、右側のバランス制御をカズイに任せ、サイは右手で肩の傷口を押さえこんだ。
血に濡れた袖の嫌な感触に耐えながら、背後を確認する──
分厚い雲を突き破るように現れたのは勿論、紅の混じった焦茶のモビルアーマー。
カオスγ。
畜生、やっぱりだ。まだ、追ってきやがった。あいつは!!





「逃がさない。
何があろうとも、お前だけは、絶対!」
デスティニーの危機も知らぬまま、知ろうとしないまま、アムル・ホウナは未だにサイたちを追い続けていた。
通信そのものを遮断した彼女には、ヨダカの指令も、ルナマリアの叫びも、聞こえるはずがない。
彼女が白目を剥きだして見据えているのは、閃光の舞う虚空をよろよろと飛んでいく、小さな翼。
彼らが何故ここにいるのか、何故オギヤカから飛び出したかなど、彼女には何の関係もなかった。
ただ、アムルの脳裏にあるのは、未だに自らを苦しめる母親の呪縛を断ち切ること。
それは、鐘の音と同時にやってきた激しい嘔吐感と頭痛を蹴散らしてでも、絶対に完遂せねばならないミッションでもあった。
そんな彼女の両側から再び、黒いダガーLが2機、急襲をかける。
即座に撃ち落とそうとしたアムルだったが、激しい眩暈でロックオンすらもままならない。
それでも彼女は再び、気力だけでファイヤーフライを装填する──
カオスγから放たれた無数の劫火が、ダガーLを次々に、恐るべき的確さで直撃した。
彼女のターゲットがサイでなくフレイ・アルスターたちであったなら、まさかの大金星もありえたかも知れない。
妖しい鐘の鳴り響く中、ザフト勢でそれほどの攻撃衝動を保てていた者は、彼女だけであった。
この時、隊長たるヨダカですら、グフ・イグナイテッドに乗りながら後退を余儀なくされ、後方で母艦を護衛するのに手いっぱいだったのだから。
しかし、彼女自身は気づいていなかった──
サイへの執着と殺意が強まれば強まるほど、自らの内にある母親の影が大きくなっていくことを。





ダガーLの特攻を受けたミネルバJrカタパルトは、激しく炎を噴き上げる。
気が付いた時、ヴィーノは白く輝く機体・ティーダの足元で身を屈めていた。
病院着のままの、ナオト・シライシを庇いながら。
「やれやれ……
お前、何だって、こんな時にこんなトコに!?」
猛烈な煙に咳き込みながら、ヴィーノは思わずナオトを怒鳴り散らす。
だが、ナオトは素早く、そんな彼の襟ぐりに掴みかかった。
ヤバイ、こいつ意外と腕力はあるんだっけ。民間人とはいえ、一応モビルスーツ乗りではあるし。
ヴィーノを押し倒しかねない勢いで、ナオトは何かを訴えようと口を開き、喘ぐ。
分かってる癖に。お前の声、もう出ないこと──
しかしナオトは、少しはだけてしまった胸元から何かを取り出した。
それは、いつも彼が会話に使っているメモ。
そこには、前に見たものよりずっとしっかりした文字で、こう書かれていた。



──乗せてください。僕を、ティーダに。
──僕は、サイさんを助けたい。
──マユも!



反射的に、ヴィーノはナオトの顔をまじまじと見返す。
そして仰ぎ見る。炎が迫る中でも、未だに拘束を解かれず屹立しているガンダム・ティーダ──
ティーダ・Z(ズィー)を。
ナオトを乗せる? 冗談じゃない。
ここはルナを待つべきだ。
「馬鹿野郎!
お前、自分がナニ言ってるか分かってんのかよ!?
あれはルナの機体だ、お前なんか誰が乗せられるか!」
それでもナオトは首を横に振り続け、頑なにメモをヴィーノの鼻先につきつける。



──僕しか、乗れないから。
──ティーダには、僕しか。



灰でも入ったのか、ナオトの目からはかなり濁った涙が流れ出していたが、眼光は猛禽類のそれだった。
その黒い目に真っ直ぐ見つめられながら、ヴィーノは考える。
確かに、ここでルナが戻ってこられたとしても、すぐにティーダで飛び出せるとは限らない。むしろ、ティーダが起動すらしない可能性も高い。
幾度も徹夜してティーダのシステムに取り組んだ経験と、整備士の勘からか、ヴィーノはそう感じていた。
ならば、この状況を打開するには、既にこいつを動かした経験のあるナオト・シライシが──
そこまで考えて、ヴィーノは首を振る。駄目だ駄目だ、俺は何を考えている。
こんな民間のド素人に、最新鋭の機体を任せる気か──
しかしそれでも、ナオトは執拗にヴィーノの胸にしがみつき、必死でメモに追記した。



──このままじゃ、みんな死にます!
──もう僕は、そんなのは嫌なんだ!!



震える手で、不器用に綴られた言葉。
しかしその言葉は、ヴィーノにまたしても、あの日の悪夢を思い起こさせた。
目の前で炎上するダガーLの黒い姿が、仲間たちを一瞬にして圧し潰したインフィニット・ジャスティスのファトゥムと重なる。
──あの時と同じだ。
あの時もこんな風に、大勢の仲間が呆気なく押しつぶされ、身動き出来なくなって、焼かれた。
その中には──ヨウランもいた。
艦から脱出する時、俺はあいつの血まみれのグローブを握りしめて、情けなく涙を流すしか出来なかった。
あいつは何とか救出されたけど、でも──



あの時の俺は、あいつにも、仲間にも、何も出来なかった。
だけどあの時から、俺はずっと思ってる。
もう二度と、俺は、仲間をあんな目には遭わせたくない!



「来い! ナオト!!」
熱風に煽られながらも、ヴィーノはナオトの手を掴んで立ち上がった。
メモでナオトが必死に訴えてきた、サイやマユの名は、ヴィーノも聞いたことがあった
──ナオトの、かつての仲間。
既に死んでしまったはずの、仲間。
だけど、ナオトは確信している。すぐそばに、その大切な仲間が生きていることを。
奇妙なことに、ヴィーノもそれを、何の疑念もなく信じてしまった。信じこんでしまわせる何かが、ナオトの言葉にあったから。
それを自覚しつつ、ヴィーノは唇を噛む。
──敵艦から放たれたっていう、例のマイクロウェーブのせいかもな。
さっきから急に、謎の吐き気がこみあげてきているのも、そのせいか。
彼はナオトの手を引っ張り上げながら、もう一方の手をティーダ左脚部脇の整備用操作パネルに伸ばす。
慣れた手つきでパネルを開き、電光石火の速さでキー入力を行なうと、静かにティーダコクピットハッチが開いた。
中から乗降用ワイヤーが、するすると飛び出してくる。まるで、ナオトを招き入れるように。
その時──



「やめるんだ、ヴィーノ!
その子供を、またティーダの呪いにかけるつもりか!」



ミネルバJr整備班リーダー、マッド・エイブスの絶叫。
それにより、ヴィーノとナオトの動きも一瞬、止まってしまった。
全くの偶然にナオトが最初にティーダを機動させたことで、彼はティーダに縛り付けられ、結果、このような事態に陥った。
その事実は、ヴィーノも知っていた。ヨダカからの情報と、ティーダの内部システムの解析で。
今はかなり強引に、その厳重なセキュリティをこじ開けることに成功したとはいえ、もう一度同じことが起こらないとは限らない。ザフトの技術をもってしても、未だにティーダの起動システムはブラックボックス同然なのだ。
しかし、だからといって──
ヴィーノは逡巡したものの、それでも身体は動く。
当然、ナオトも意外なほど素早くワイヤーを掴んだ。その尻を持ち上げるように支えながら、ヴィーノは怒鳴る。
「仕方ないでしょ!
ここでティーダを出さなきゃ、みんな、あの波に呑まれちまう!」
「しかし、その子供は民間人だぞ!
ルナマリアを待つんだ、彼女なら……」
「んな時間、ありませんよ!
だいたい、ルナが動かせるって保障もない! あいつはあくまで、サブパイ登録しただけなんですから!」
マッドの怒声も聞かず、ヴィーノはそのままナオトと共にワイヤーを伝い、コクピットへ昇っていく。
「俺だってね!
もう誰も、死なせたくないんですよ!!」
そんな部下の反論に、マッドも一瞬おし黙る。
そりゃそうだろ。あの親父だって、ヨウランたちが潰されるのを間近で見ていたんだ。
ヴィーノが内心ほくそ笑み、ナオトをコクピットに押し上げた瞬間──



開かれたままのカタパルトの向こうに、彼は見た。
炎に包まれた黒ダガーLが1機、まっすぐにこちらに向かって突っ込んでくる光景を。
その右腕に装着されたままのビームカービンから、閃光が走っている。
そしてそいつは、先ほどのヤツと全く同じく、カタパルトに機体ごと激突しようとしている。
一発の、巨大な砲弾となって。
「退避だ、ヴィーノ!」
マッドの絶叫の直後──
ヴィーノとナオトは、激しい爆風によりワイヤーごと吹き飛ばされた。





「何故、あいつを逃がしたんです?」
外部で戦闘の続く、オギヤカ艦内。
当然だがオギヤカは全艦にわたり、ほぼ完全なマイクロウェーブ遮蔽が施され、内部の人間にはほぼ何の影響もなかった。
そんな中──
先ほどまでサイ・アーガイルを捕らえていた一室で、トール・ケーニヒはレイラと二人きりになり、対峙していた。
ベッドの上にレイラを座らせ、トールはそれを見下げて腕組みしながら質問する。
チュウザン王妃の妹に対する礼儀としてはありえないと自覚しつつも、彼はそうせずにはいられなかった。
そんな彼を真正面から見据え、レイラは切り返す。
「トールは、姉上を助けたいと思わないのですか?」
「質問を質問で返すのは、フレイの最も嫌うことだと思っていますが」
「質問者本人が答えを分かっているはずの問いに、わざわざ答える必要はありませんから」
あくまで平静なレイラに、トールは思わず両拳を握りしめる。
「いや、俺は全く分からんから聞いてるんですが。
何故、貴方があいつを逃がす必要があったんです?
貴方自身が、危険を冒してまで!」
最後の言葉は、本心から出たものでもあった。
こんな無茶をしていれば、いずれ彼女は消されてしまう。
いくらフレイの庇護下にあるとはいえ、レイラの行動が御方様の逆鱗に触れれば、それは彼女ら姉妹にとっても、非常に良くない結果を招く。
それは、レイラだって分かりきっているはずなのに。
「──今の姉上では、サイ様を守りきることは出来ません。
最悪の場合、姉上ご自身がサイ様を殺める愚を、もう一度犯してしまうでしょう。
それに……」
言い淀むのは、レイラには珍しい。トールは敢えて、突き放すように先を促した。
「それに?」
「姉上は、まるで自らを追い詰めるように動いていらっしゃる。
ご自分がいなくなることを、望んでいるかのように」
そのことは、末端の兵にすぎないトールも感じてはいた。
世界中に大々的に配信された映像といい、チグサを好き勝手に暴れさせていることといい。
しかし、それがフレイの指令であり、ひいては御方様の命令なのだから、仕方がない。
──俺たちアマクサ組は、彼女たちによって名と命を与えられたようなものだ。
彼女たちの意図しない方向に物事が進みそうな時以外に、俺たちが命令に背くわけにはいかない──
少なくとも、トール自身はそう考えていた。
例えフレイ自身が、自らを滅ぼすかのように動いたとしても。
「……レイラ。
それがフレイ・アルスターと御方様の意思であるなら、自分は背くことは出来ない。
背こうとも思いません」
「トール。
姉上の行動が、貴方自身を破滅させることになったとしても?」
「当然です。それが、彼女の意思である限り。
俺たちアマクサ組の存在意義は、そこにあります」
彼の言葉に弾かれたかのように、レイラは突然声を荒げる。
「私は、そんなことは望みません!
姉上も、貴方がたも、サイ様も──私は、皆の幸せを望んでいます」
「だから、サイを逃したとでも言うんですか」
「その通りです。
あのまま婚姻を進めれば、サイ様はいずれ消されてしまう」
「それでもフレイは、彼を守りきるつもりだった」
「守るつもりで守れなかった結果が、アマミキョの沈没ではないですか?」
レイラの発言に、今度はトールが口ごもる。



同時に思い出したのは、チュウザンで目にした、血みどろのフレイの姿。
あの時フレイは、身体を張ってサイを守ろうとしていた。
御方様は、サイを消し去れと、俺に命じたはずなのに。
考えたこともなかった。最初に聞いた時は、信じられなかった。
何故なら、あり得ないはずだったから。
フレイと御方様──
ラクス・クラインの思惑が、矛盾するなどと。
そんな、あり得ない『イレギュラー』を生じさせたのが、サイ・アーガイル。



「サイ様なくして、姉上の幸せはありえない。
姉上が破滅の道を自ら歩まれようとしても、サイ様がアマミキョを取り戻せたなら、きっと止めていただける」
その為に、サイをアマミキョに帰したとでも言うのか。
買いかぶりがすぎるのではないかと、トールは思ったが──
「それに──
姉上は、まだ何かを隠していらっしゃる」
レイラは酷く憂鬱そうな表情になり、トールから顔を背けた。
「隠していること、とは?」
「予感はありますが、はっきりとは分かりません。
恐らく今は、どなたにも打ち明けられていないのでしょうが……
その秘密がいずれ、姉上を壊してしまうような気がしてなりません」
それきりレイラは、固く口を噤んでしまった。
まだ微かな戦闘音がここまで響いていたが、どうやらそれも小さくなってきている。
不自然な沈黙だけが、二人の間を満たしていくのだった。





炎熱で吹き飛ばされ、今度こそ全ては終わったかと思ったが──
ナオト・シライシは、まだ生きていた。
そして奇跡的に、ティーダのコクピットに再び戻ってきた。爆風から咄嗟に逃げこむという形でだが。
眼前に迫る炎。網膜までを焼いてくるその熱から、今、ヴィーノが身体を張ってナオトを守っている。
ナオトに覆いかぶさるようにして、いつになく冷静にヴィーノは指示を下した。
「……いいか、ナオト。
ここまでやるからには、絶対にそいつを助けろ。
そんで必ず、戻ってくるんだ。ここに」
ヴィーノの左肩あたりに血が滲みだしているのを、ナオトは見逃さなかった。その赤がどんどん、彼の左上半身を侵食していくのも。
ヴィーノの身体に阻まれ、その向こうで何が起きているのかもよく分からなかったが──
それでも、僕は行く。行かなきゃいけない。
ナオトは、まだ乗り慣れないコクピットの状況を確認する。
メイン操縦席の後部にもう一つ、サブ操縦席があるのは元のティーダと同様だった。
かつてのコクピットよりも、若干両サイドが広い。ちょうど、両側に後一人ずつ人間が乗れそうな感じだ。
そして、ちょうど両膝の真ん中に当たる位置に、例のハロがちょこんと乗せられている。
ナオトにはすぐ分かった──
これは、ずっと僕とマユを導いていた、あの黒ハロだと。
黒かった塗装が完全に剥がれ、銀色と見まがうばかりの純白に塗り替えられてはいたが。
ハロに顎をしゃくりつつ、ヴィーノは淡々と説明を続ける。
「一番の秘密兵器たるアレに関しちゃ、どうなるか分からないが……
なるべく使うなと言いたいが、状況が状況だ。囲まれてどうしようもなくなったら、最終手段として使え。
起動手順は元のティーダとほぼ同じと考えていい。若干の変更はあるが、ハロがオートで調整してくれるだろ。
そのへんのデータと、お前のパーソナルデータの上書きだけはそいつ、断固拒否しやがってな。殆ど手は入ってない。
ただ、重心と基本動作パターンの設定は完了してる。自動制御システムはその右下パネルで──
そうそう、ニューラルリンケージネットワークもそいつで構築完了、あとは」
そんなヴィーノの指示に従い、ナオトは手早くメインコンソールパネルを起動させる。
コーディネイターらしくヴィーノの指示は早口だったが、ナオトは一つも迷うことなく手順を追っていった。
灰と煙と炎の粉の舞い散る中、新生ティーダの操縦席に次々と光が灯っていく。
前方270度を見渡せるメインモニターに、周囲の状況が一息に映し出された。



ナオトの手元に配置された小型システムモニターには、起動画面が輝いている。
そこに表示されていた文字列は、かつてのティーダと全く同じものだった。



Generation
Unilateral
Neuro-link
Dispersive
Autonomic
Maneuver



どうして。ティーダは、ザフトのものになったのではないのか。
何故、以前の起動画面と同じメッセージが表示されている? これは元々、連合製GAT-Xシリーズの起動画面ではないのか。
不思議に思うナオトに、ヴィーノは即座に説明した。
「元が、モルゲンレーテと連合のシステムだからな。しかもろくに手を入れられないときちゃ、OSがほぼそのまんまでもしょうがねぇ。
──まぁ、考え方を変えりゃ、ザフトの最新鋭機体がオーブと連合製のOSを使うっての、ちょっとしたロマンじゃないかと思うぜ。
あのチュウザンのカス共に対抗するにはな!」
そんなヴィーノの言葉に応えるがの如く、それらの文字列にクロスするように赤く表示される文字。



──T I I D A



さらにそこへ、画面いっぱいに大きく重なったのは、“Z”の文字。
全ての終わりを意味する、ラテンアルファベット最後の文字。
それを確認しながら、ナオトはモニターごしに周囲の状況を眺める。



炎を噴きだしカタパルトにめり込みながらも、未だに紅のカメラアイを明滅させる黒ダガーL。
熱風に呑まれかけながら、伏せたまま動けない整備士たち。
天井にまで黒煙の充満するハンガー。
さらに白い空の向こうから、迫ってくるダガーLの反応。
今、ミネルバJrの命運は、この空で尽きかけていた。



──いつか、ティーダに初めて乗った時と、何も変わらない。
フーアさんもアイムさんもいなくなって、たくさんの人が死んで。
だけどあの時僕は、マユを、サイさんたちを助ける為に、ティーダに乗った。
そして今も僕は、彼女を、彼らを取り戻す為に、ティーダに乗る。
いつも隣にいて当たり前だった人たちを、取り戻す為に。



最終確認を済ませると、ヴィーノは素早くワイヤーを手繰り寄せ、跳ねるようにコクピットから飛び降りた。
ワイヤー伝いにするするとその身を滑らせ、熱くなりかかった床に到達し何とか重力に耐えたと思うと、すぐに壁沿いの簡易操作パネルに飛びつく。
パネルが開かれ、彼の血みどろの左手がいくつかキーを操作した。すると──
一瞬にして、ティーダを拘束していた整備用装甲が爆砕され、強制的に解かれる。
防護用シートも外され、その全てがマントのように、ひらりとハンガーの床に落ちていく。
コクピットハッチも閉じられ、メインモニター全面に、カメラが捉えた周囲の状況が映し出される。
これでティーダは、いつでも出動可能な状態にはなった。だが──
目の前には、未だに燃えさかるダガーLの残骸。
そして行く手の空からは、同じ紅のカメラアイを光らせた黒の機体が、執拗に迫る。
バーニアは既に自動点火していたが、一瞬逡巡するナオト。
だが、ヴィーノの怒声が通信越しに飛んできた。
<大丈夫だ!
ダガーの火力如きで、このティーダ・Zは壊れやしない!
行け、ナオト!!>
その声と同時に、ナオトは胸ポケットのお守りの感触を確かめる。
フーアとアイム、メルー、ネネ。そして、マユ・アスカ。
多くの人々の魂と祈りがこめられたお守りに、ナオトが触れた瞬間──



ガンダム・ティーダの双眼が、再びエメラルドに煌き──
純白に輝く機体は勢いよく、ミネルバJrカタパルトから射出された。
ダガーLの残骸を、力まかせに蹴散らしながら。



病み上がりのナオトの身体に、急加速によるGが酷くのしかかる。
これも、初めてティーダに乗った時と同じ。でも、大分慣れてしまった。
それに耐えながら彼は、ふとサブモニターを確認する。
ヴィーノさんは──彼は、どうなった?
しかしその時には既に、ヴィーノの姿は炎に呑まれ、見えなくなってしまっていた。
ナオトの思考も追いつかぬままに、やがてティーダ自体が射出の凄まじい衝撃と共に、空中に放り出される。
同時に、背部の白い翼が、パラシュートのように勢いよく空へと広がった。
元のティーダにはなかった、十分に地球の重力に対抗しうる双翼が。





「何ですって?
ティーダが……発進?!」
その異変を最初にキャッチしたのは、ミネルバJrブリッジで通信任務にあたっていた、アビー・ウィンザーだった。
ただでさえ、マイクロウェーブの発振により、ブリッジは大混乱に陥っている。何名かは吐き気に耐えられず、医務室へ運ばれてしまった。
しかもデスティニーのシグナルまでがロストし、アーサーが真っ青になった、ちょうどその時のことだった。
珍しく声を上げてしまった彼女のモニターを、慌てふためいたアーサーが覗き込んでくる。
「今度は何だ。ティーダが、どうしたって?!」
「分かりません。
カタパルトとの通信が、先ほどから途絶したままで……痛っ……」
アーサーに急かされるように、アビーが頭痛をこらえつつ何度もパネルを意地になって連打し、5番目のバックアップ回線まで開いた結果──
ようやく、カタパルトとの通信が復旧した。
途切れ途切れの画面の向こうにいたのは、煤だらけになった整備班リーダー、マッド・エイブス。
<艦長、緊急事態だ。
ナオト・シライシが、ティーダで飛び出した!!>
「え、えぇええぇえぇえ!!?」
アーサー・トライン艦長のこの叫び、久々に聞いたような気がする──
アビーはそんなことを考えつつも、口では努めて平静を装いながら通信を続けた。頭痛による発汗は隠せなかったが。
「ブリッジではメインカタパルト、及び第3格納庫での火災発生が確認されています。
エイブス班長、詳しい状況説明をお願いします」
不安定に揺れて今にも途絶しかねない通信モニターが、カタパルトの状況を少しだけ映し出す。そこでは、整備士たちが決死の消火活動にあたっていた。
スプリンクラーの動作音をかき消すように、マッドの大声が響く。
<あの黒いモビルスーツどもめが、機体ごと突撃してやがった。
マイクロ波に対抗できるのはティーダしかないが、ルナマリアも帰投していない今、アレをまともに動かせるのはナオト・シライシしかいなかったんだ!>
そんなマッドの言葉に、アーサーは食らいつく。
「それは──
整備班が率先し、ティーダを……ナオト・シライシを、発進させたということか?」
唇を噛みしめるアーサーに、アビーはそっと告げる。
「仕方ありません。
先ほどまでブリッジとカタパルトの通信は途絶していましたし、やむを得ない判断だったのでは」
「そうは言ってもなぁ……こいつは厄介だよ。
ヨダカ隊長が聞いたら、何と言われるか」
<艦長、申し訳ない。責任は自分が全て……>
マッドは謝罪するが、それだけで事が済めば苦労はない。
このろくでもない事態を前に、困り果てたアーサーが思わず眉間を押さえた、その時。
<違います!
ナオトを出したのは俺だ、艦長!!>
マッドを押しのけるように通信に割り込んできたのは、ヴィーノの叫び。
<申し訳ありません! 
でも、俺、そうせずにはいられなかった!
ゆ、許してください! 懲罰房入りでも、便所掃除でも、なんでもしますから!!>
<バカ、お前! 寝てろっつっただろうが>
アーサーが答えるより先に、アビーは少しばかり息を飲んでしまった。
モニター向こうのヴィーノの左半身は真っ赤に染まり、額から右の頬あたりまで酷く焼けただれていたから。
そのおかげで、彼の象徴とも言える紅の前髪までも、すっかり黒く焦げていた。
「ヴィーノ、貴方……!?
すぐに救急班を」
アビーの気遣いを蹴飛ばすかのように、ヴィーノは絶叫する。
<そんなことより!
早く! ナオトの援護を!!>
その瞬間──
索敵担当のバート・ハイムの声が、ブリッジに響いた。
「艦長!
3時方向より、モビルスーツ接近。数2!
出撃したティーダに迫っています!!」
「何!?」
即座にアーサーは、メインモニターを振り返る。



そこに映し出されていたのは、今まさに天空を滑る純白の翼──ティーダ。
そして、必死で空を翔けようとする機体に向かって散開しつつ、ビームカービンの銃口を向ける黒ダガーLが、2機。
たった今、生まれたばかりの小鳥に群がるように。



<ある程度の操縦はあいつも出来るはずですが、実際の戦闘となると未知数です。
艦長! どうか、ティーダを援護願います!>
喉も裂けよとばかりに、血まみれの顔で叫び続けるヴィーノ。
しかし、今のティーダを援護することは、ナオトの出撃を認めたことになる。
艦長職を任されたばかりのアーサーに、その責任を取る覚悟はあるか。
しかもマイクロ波の影響で、アーサー自身もついさっき嘔吐しかけた。その状況下、正常な判断が出来るのか。
アビーはほんの少し逡巡しつつ、アーサーを振り返る──
だが、彼の決断は早かった。
「──了解。CIWS、イゾルデ起動。
ランチャー2、全門パルジファル装填!」
「艦長!?」
火器管制担当のチェンが思わず驚愕の声を上げたが、アビーはどこかほっとしている自分を感じていた。アーサーの敏速な決断に。
ブリッジの動揺も構わず、アーサーは的確に指示を送った。
「民間人の子供に、戦闘をさせるわけにいかん!
敵機を回避しつつ、迎撃行動に入る。絶対にティーダに当てるな!
ランチャー2、1番から3番、撃てェッ!!」





ティーダを駆り、ミネルバJrを飛び出して数秒も経たない頃合いで──
オギヤカから大量射出された黒ダガーL。そのうち2機に、ナオトは包囲されてしまった。
モビルスーツには、当然に人が乗っているはず。
そう思い込んでいる民間人たるナオトに、黒の機体を撃ち落とす判断がすぐに出来るはずもなく──
ものの数秒で、ビームカービンの閃光がティーダに襲いかかった。
コクピットに響きわたるアラート。
ナオトは咄嗟に、左腕部に装着された空力防盾でビームを防ぐ。
殆ど反射的な行動ではあったが、この盾は対ビームコーティングを施されているようで、カービンの光をほぼ完璧なまでに防ぎきった。
しかし、そんな小手先の防御がいつまで続くか。
雲の向こうからも次から次へと、紅のカメラアイを光らせた黒ダガーLが、ミネルバJrに向かってくるのが見える。
──他に、武器は?
ナオトが確認出来たティーダの武装は他に、高エネルギービームライフルと、両肩アーマーのヴァジュラビームサーベル。
そして背部に装着された、プラズマ収束ビーム砲。サブモニターで綴りを確認する限り、「アムフォルタス」と呼称するらしいが──
ナオトは頭を抱えたくなった。
──無理だ。こんなの、僕に扱えるわけがないだろ。
元のティーダの武装だって、殆どマユに任せっきりだったのに!
──いや、駄目だ。
ここで怯んでちゃ、サイさんも、マユも助けられない。
頭を振りながらどうにか自分を奮い立たせ、正面のダガーLを睨み返したその時。



空を切り裂くが如く、背後から飛んできた閃光。
その光が、見事にダガーLの頭部を直撃する。
サブモニターで鮮やかに青く輝くシグナルにより、ナオトはそれがミネルバJrからの援護だとすぐに理解出来た。
続けざまに、ティーダからダガーLを振り払うかのように、ミネルバJrからの艦砲射撃が轟く。艦自体が攻撃を受けてもいたが、ダガーLのビーム直撃だけは巧みに回避しながら。
その集中砲火に、ティーダに取りつこうとしていたダガーLは咄嗟に逃げていく。
──行けってことか。
ミネルバJrブリッジの意図が掴めないまでも、ナオトはとにかくティーダを飛ばすことだけを考えた。
──あの人のところへ。





サイとカズイを乗せたコメットは、未だにアムル・ホウナのカオスγによる追撃を振り払えずにいた。
ナビ通りに目的地に向かおうとするものの、激烈に襲いかかるファイヤーフライがそれを許さない。
まるで自分たちを弄ぶかのように、続々と至近距離へ撃ち放たれる劫火。
十何度目かにその炎を間一髪でよけながら、サイは激しい眩暈を最早抑えられなかった。
フレイが、オギヤカが、ザフトがどうなったのかもほぼ分からないまま、サイはひたすら飛び続ける。
幸い、雷鳴は少しおさまりつつある。雲に紛れて敵の目を眩ますことが出来れば、まだ何とか逃げおおせる。
だが、それを遮るように、またしてもサイたちめがけて、上空から突撃してくる者がいた。
「いい加減にしろ……ッ!!」
今度やってきたのは、あの黒ダガーL。単機だが、それでも追っ手には違いない。
口を塞ぐことも出来ないのにやってくる吐き気は、薬を水なしで飲みこんだことでさらに酷くなっている。そのかわり、左腕の痛みも引いてきていたが。
そんなサイの様子に背後から気づいたのか、カズイがそっと呟く。
「さ、サイ。具合悪かったら、吐いてもいいよ?」
「冗談じゃないよ。絶対に御免だからな!
二人して空中でゲロまみれなんざ……」
「いや、実は俺も、出来れば吐きたいんだよね……うぷ……」
「え?
あ、いや、お前こそ無理するな! 俺は全然構わないから」
畜生、どんな地獄だこれは。
喉元にせりあがってきたものを無理矢理に飲みこみながら、サイは前方だけを見据える。
今ここで油断したら、ゲロまみれどころの話じゃないだろうが。
背後にはカオスγ。前方にはダガーL。
完全に挟み撃ちだが、サイは未だ、希望を捨てていなかった。
モビルスーツに比べて人間はあまりにも小さいが、その分、小回りも効く。
奴らの死角にさえ回り込めれば、逃げるのは案外たやすい。
それは、最初にあのフレイ・アルスターと出会った時に、彼女が証明したじゃないか。
「カズイ。いくら吐いてもいいが絶対に、俺から手を離すなよ。
歯ァ食いしばれ、急加速する!」
「へ!?
さ、サイ、一体何を……うわぁあぁ!!?」
カズイの絶叫にも構わず、サイはコメットをそのままダガーLのカメラアイに向け、滑空させる。
スラスターが再び火を噴き、速度も一気に上昇した。
これは、サイの賭けでもあった──



眼前のダガーLには、人間が乗っていない。
少なくとも、人間と定義される命を持つ者は、乗っていない。
それは今、サイの中で確信に変わりつつあった。
まるで一定のプログラミングでもされたかのように、規則的で正確な射撃。
恐らく今も、サイたちを殺さぬようにと命じられているのであろうか。
銃口を向けはしても、直接サイたちに撃ってはこない。それどころか、ビームカービンを持たない方の腕部を差し伸べてくる。
──俺たちを、捕らえようとして。
今なお俺たちを執拗につけ狙うカオスγの挙動と比べ、ダガーLのそれには殆ど人間味が感じられない。
しかし、だからこそ恐ろしくもある。
ダガーLに人間が乗っていないとするなら、艦船への自爆攻撃を躊躇うはずもないからだ。
身を捨てるが如きあの攻撃により、アマミキョも甚大な損傷を負った。
巨大なモビルスーツは同時に、巨大な人型ミサイルにもなりうる。
奴らの回避行動が、機体に致命的損傷を与えない程度の最低限に留まっているのも、そのせいだろう──
乗っているのが、命を惜しまぬ何かであるなら。



そんなものに、命を奪われるのは絶対にゴメンだ。
だからといって、カオスγにいたぶられるつもりは微塵もない。
ならば──サイの行動は、一つ。



「両方とも、潰れてしまえぇえぇ!!」
サイの叫びと同時に、コメットは急制動をかけて空中に見事なカーブを描きつつ、巧みにカメラアイの死角へと回り込む。
そして、ダガーLの左腕部の内側──
人間で言うところの懐に、飛び込んだ。
案の定、追いかけてきたカオスγは一瞬の迷いを見せる。





「小癪な真似を!!」
もうお前は、私の手中だというのに──
アムル・ホウナは、カオスγの中で吼える。
夢中になって深追いしすぎたかも知れない。いつの間にか、正面からダガーLの接近を許していた。
その腕の中へ、誘い込まれるように飛び込んでいくコメット。
「小手先の抗いが、通用すると思うな!」
それでも彼女は、強引に飛行速度を落としそれによるGに耐えつつ、またしても黒の機体にファイヤーフライをぶちこんでいく。サイのコメットもろとも、墜とすつもりで。
今回の撃墜数だけなら、今の彼女はシンにも負けていなかった。
──さぁ、私に屈服しなさい。
お前は母なんかじゃない。ただの、素直で優しい、お人好しの男の子でしょう?
だからさっさと、私の前でボロボロになって這いずりまわって、土下座すればいいのよ。
「……もう一度、うんと、可愛がってあげるから」
アムルが舌なめずりをしながら、そう呟いた瞬間──
酷い衝撃と共に、メインモニターが爆光に包まれた。





カオスγは一旦制止したかのように見えたが、それでも執拗にファイヤーフライを撃ちこんできた。
ダガーLの装甲にそいつが着弾する寸前、サイは一気にスラスターを限界まで噴射。
コメットを上空へ、力任せに飛翔させた。
当然、頭の血管が一斉に5本は切れたかというほどの激烈な加速がサイを襲う──
でも、これで何とか、あの2機が相討ちになってくれれば。
そう天に祈りながらの、サイの行動だった。
コンマ数秒で上昇しきり、コメットのスラスターが限界を迎え自動的に噴射を終えた次の瞬間──
盛大な爆風が、コメットを吹き飛ばしてくる。
おかげでサイたちの身体は、海面に対してほぼ逆さになってしまった。内臓までが口から飛び出しそうだ。
カズイは気を失う寸前か、最早言葉を発していない。ただ、その手はしっかりとサイと共に、操縦桿を握りしめている。
背中から何やら胃液の臭いまで漂っていたが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
頭のすぐ下に咲き誇る、炎の華。
これ以上熱風に巻かれないようにしながら、サイは必死でコメットのコントロールを保とうとする──
しかし。



「サイ! 危ない!!」
少し体勢を立て直せたかと思ったその瞬間、気絶同然だと思っていたカズイが、背中にがばと縋りついてきた。
さすがに怒鳴ろうとして、サイは振り返る──
そして、目撃した。



夥しい血液が、カズイの背中から噴出していく光景を。
サイの目の前の空を、数瞬で染めていく赤。



ほぼ同時に、サイとコメットを支えていたカズイの腕から、一気に力が抜けていく。
「カズイ!!」
声を限りに、サイは叫ぶ。
──俺をかばったんだ。
俺の背を守って、恐らく機体の破片にやられた。
畜生! こういう事態は、十分想定出来ていたはずなのに!!
だから俺は、カズイを突き放そうとまでしたのに──



やがてカズイの全身から、血と共に力が失われる。
サイに力いっぱい縋りついていたはずの身体が、ずるりと後方に滑る。
その頬は既に表情を失い、青白く変色していた。
──こんなところで、カズイを失うわけにはいかない。
気力の極限まで耐えながらコメットをコントロールしていたサイの理性は、その時、その想いだけで吹き飛んでしまった。
反射的にサイの左手が、カズイを取り戻そうと操縦桿を離れる。



しかし、カズイの上着を強引に掴みかけたサイの左腕に、またしても酷い痛みが走った。
「───!!」
駄目だ。激痛で、力が入らない。
それでなくとも、俺の左腕はもう大分前から、神経がまともに通っているかすら、怪しくなってきている。
引力に任せて、自然落下を始めるカズイの身体。
それでもどうにか彼を取り戻そうと、サイはあらん限りの力を振り絞ったが──
無情にもサイの左手は、落ちゆくカズイを引き留めることが出来なかった。
そして、この時のサイの行動の結果として──



コメットはいともたやすくそのバランスを崩し、翼が海面に対して垂直近くまで、大きく傾いてしまった。
しかもカズイの重さに引きずられるように、サイの身体までもコメットから離れかかる。右手で操縦桿を掴むぐらいが精いっぱいだが、その状態でコメットのコントロールがまともに出来るはずもない。
二人をコメットに繋いでいた命綱がわりのワイヤーも、こうなっては最早、全くその意味をなさない。
ただ、二人の脆弱な身体が海面に叩きつけられ四散する、その時を待つだけだ。
ほぼ天空に投げ出される形になったサイの脳裏を掠めたのは、未だ瞼に焼きつく、ジャッキー・トノムラの死にざま。
レイダーの鉄球の下敷となり、黒い血の塊となって死んでいった、かつてのアークエンジェルの志士。



──あぁ。
俺はやっぱり、何も守れなかった。
トノムラ軍曹と同じように、俺はここで終わる。
フレイも、アマミキョも、何もかも放り出したままで。
一番近くにいたカズイさえ、こんな風に死なせてしまうのか。



上空約1500メートルから、自然落下を始めるサイの身体。
カズイのパーカーを掴んだ手は、今すぐ引きちぎれてもおかしくないほどの激痛に襲われていた。
額から左頬にかけて、酷く生暖かいスライム状の何かが、べしゃっと跳ねたのを感じる。それは一瞬だけ温度を保っていたが、すぐに冷たくなった。
それが、カズイの血が自分に跳ね返ってきたものだと気づくまで、そう時間はかからなかった。
その血はやがてサイの目にまで入り、激痛と共に視界全体が真っ赤に染まる。
紗がかかったような景色の中で──
先ほど吹き飛ばしたはずのカオスγが、何故かはっきりと見えた。
ダガーLの爆発などものともせず、こちらに向かって右腕部を伸ばしてくる──



それは明らかに、サイを助ける為などではなく。
こちらを一方的に嬲り、痛めつけ、完膚なきまでに屈服させようという意志を持つ者。
一体、俺の何が、あんたをそこまで追いつめた?
──アムル・ホウナ。



──でも、もういい。
俺は結局、カズイを振り払うことも守りきることも出来ないまま、死なせてしまう。
ナオトも、マユも、ネネも、スティングも風間さんもハマーさんも、アマミキョのみんなも──
俺は、誰も守れない。
フレイ、ごめん。
君の名を騙る偽者に翻弄された挙句、俺はあの娘に、何も出来なかった。
仕方ないのか──3年前、あれだけの力を持ちながら、キラさえも君を守れなかったんだ。
俺なんかが、何かを、誰かを、守りきれるはずが、なかったんだよな。



血液が目に入ったせいか、痛みのせいか、それとも絶望のせいか──
久方ぶりに、サイの眦から涙があふれ出した。
頬から離れ、宙に浮かぶ涙の粒。
そこにはカズイの血がわずかに混じり、ほんの少し紅に染まった透明の雫となり、空へと消えていく。




その時、涙の向こうの天空に、サイは何故か太陽を見た。
おかしいな。
あの分厚い雲からずっと落ちているはずなのに、陽の光がこんなに眩しく見えるなんて──




落下しながらも、サイはもう一度、しっかりと目を開いた。
違う。
あれは、太陽じゃない。
太陽だが、太陽じゃない。
正確には、「太陽」の名を持つモビルスーツだ。
機体の形こそまるで違うし、翼まで生えているが、俺には分かる。
あれは──




「……サ……イ、さ……!!」




声が、聞こえる。
必死で、喉から振り絞るように、叫ぼうとあがく声が。
散々泣き喚き呻いた挙句、最後に爆発するように絶叫する、あの声が。





「──イ……さん!!
サイ・アーガイル副隊長おぉおおおぉおぉおおおおおおッッ!!!!!」





「──ナオト!!?
ナオト・シライシなのか!?」
雲を突き抜け、太陽の光を燦々と浴び、銀に近い白に輝く機体。
それが一瞬、俺の目には太陽に見えた。
なんてこった──
あの日、母親やマユと一緒に連れられて、アマミキョを離れた時と、あいつは全く変わらない。
特に、あの突拍子もなさは。
なんで、どうして──全くもう、お前は!
一体どうやったら、コクピットハッチ開けたまま、俺のところへ飛んでこられるんだよ。
しかもノーマルスーツどころか、病院着のままで。
──ずっと、いなくなったとばかり思っていたのに!








叫んだ。
見えた瞬間、数か月ぶりの声で、叫んでいた。
メインカメラでその姿を確認するだけでは飽き足らず、ナオトは自らコクピットハッチまで開いた。
──目の前の奇蹟を、直接、肉眼で確かめようとして。



僕にはもう、誰もいなくなったと思っていた。
フーアさんたちも、母さんも、父さんも、メルーも、アマミキョも──
僕に優しくしてくれた人たちは、みんな消えたと思っていた。
──サイさん。僕、言いましたよね。
僕は必ず、ティーダでサイさんのところへ戻るって。
その約束は、もう永遠に守れなくなったと思ってた。
でも──!



数か月ぶりに出した自分の声は、以前よりかなり低く、くぐもっているような気がした。
それでも──
僕の喉なんか、何度裂けても構わない。
サイさんを、呼ぶんだ。
もう二度と、決して、手離さないように──



降下していくティーダのコクピットから、ナオトは思い切り身を乗り出す。
サイたちを捕らえようとしていたカオスγは味方機のシグナルを発していたが、そんなものが今のナオトに見えるはずもない。
病院着ごと身体が風で吹き飛ばされそうになっても、ナオトはサイから目を離さなかった。
空を割らんばかりの絶叫を、轟かせながら。
何故かは分からないが、サイさんは今、カズイさんと一緒に空から落ちている。
どういうことだかさっぱり分からないけど、タキシードで小型SFSに乗って、そこから落とされて。





そして、数瞬の後。
カオスγの鼻先を掠めるように、ティーダ・Zはサイたちの身体を、一息に包み込んだ。
彼らの落下速度に合わせて機体に制動をかけ、慎重に両腕を動かして二人を掌部でキャッチする。
怪我をした小鳥を、そっと抱きしめるように。
ハロによる自動制御も功を奏したか、ティーダは何とか二人にそこまでの衝撃を与えずに、彼らを救うことに成功した。
それでも、急降下した機体の速度をすぐに緩めるのは、流石に至難の技で──
雲を突き抜け、下界に飛び出してしまったティーダは、そのまま海面に激突寸前となる。
「サイさん、伏せて!」
黒い掌部に握りしめたままのサイたちに呼びかけながら、ナオトは慌てて操縦桿をいっぱいに引き絞る。噴射に噴射を重ね、スラスターも酷い悲鳴を上げていた。
鳴り響くアラート。
やがて、内臓までが跳ね上がるかという衝撃と共に、機体が海面に接触した。
盛大な波飛沫が、開け放したままのコクピットにまで襲いかかってくる。 ほんの一瞬だが、サイたちを握りしめた掌部までも、思い切り海の中に突入させてしまった。
──だが、そこでようやく、ティーダは静止することが出来た。





「サイさん!!」
波をかぶって咳き込みながらも、ナオトは必死でコクピットのもとへ、サイたちを抱えた掌をたぐり寄せた。
そして、中から海水を零しながら、ティーダの掌がゆっくりと開かれる。
そこには、頭から潮まみれになったタキシードの男が、全身で誰かを庇いながら、膝まで波に浸かりつつ、じっと伏せていた。
左肩が紅に染まり、服は灰で汚れ、髪にも眼鏡にも返り血らしきものがべっとりとついていたが、それでもナオトは──
コクピットを蹴飛ばすように飛び出し、物も言わずに彼に抱きついた。
「おい! ちょ……
こら、苦しいって、ナオト!」
眦から、熱い何かが溢れだす。



この感触。この声。
濡れて冷えきった服ごしでも伝わってくる、熱い鼓動。
確かに、サイさんだ。生きている。
──僕の、帰る場所。



感極まるあまり、ナオトは次から次へとサイの名を呼ぶ以外に、言葉を発することが出来ない。
あぁ、勿体ないな。せっかく、声を取り戻したのに。
サイはそんなナオトの行為に、一瞬呆然としていたが──
張りに張りつめていた緊張の糸がようやく切れたかのように、ほっと安堵の溜息を漏らした。
ナオトは顔を上げてみる。
ついこの間まで、当たり前にナオトのそばにあった、穏やかな笑顔。
やっと、やっと、取り戻した。
「ナオト……ありがとな。
約束、守ってくれて。
俺も嬉しいよ。お前のこと、死んだとばかり思ってた」
サイの右腕が、ナオトをあやすように優しく背中に回される。
そしてサイはゆっくりと彼の身体を引き離すと、若干厳しい視線でナオトを見つめた。
ナオトが久しぶりに見る、眼鏡ごしの青い眸。顔は血まみれなのに、その青はどこまでも澄み切っている。
だが、その眼ははっきりと語っていた
──これで全てが解決したわけでは、決してないのだと。
「だけど再会を喜ぶのは、もうちょっと後だ。
まず、カズイの治療をしたい。それと──」
サイがそこまで告げた瞬間──
モビルスーツの爆音が、またしても空から降ってくる。
複数のアラートが、再びコクピットに反響した。
ナオトは涙目もそのままに、慌てて顔を上げる。



空から襲いかかってきたのは、やはり例の、黒ダガーL。
それも、先ほどよりずっと数が多い。10機近くいるだろうか。
「乗って下さい、サイさん!
カズイさんと一緒に!!」
咄嗟にナオトはサイを抱えたままの体勢で、そのまま彼の身体をコクピットへ滑り込ませた。
サイさん、少し痩せたな──などと思いながら。
同時に、血まみれのカズイも、強引にコクピットに引きずり込む。幸い、まだ息はある。
流れ込んだ海水もそのままにハッチを閉ざすと、ナオトはすぐにティーダを再び飛翔させた。
カズイの傷を確認しながら急上昇に耐えつつ、サイは問いかける。
「ていうか……聞きたいことは山ほどあるけどさ。
とりあえず、お前コレ、どこのモビルスーツだよ!?
まさか、ザフトのじゃ」
「その、まさかですよ」
「え?」
サイの瞳に一瞬、酷く絶望的な色がよぎる。
それには全く気付かず、ナオトは得意げに言い放つのだった。
「大丈夫です。
この機体には、ティーダと同じ、とっておきの秘密兵器がありますから!」




 

つづく
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