ティーダからの光の嵐を完全に遮断したコックピットの中で、カイキは思い切りペダルを踏み込んだ。上空には既にアマミキョが迫っている。ティーダの光量が幾分か減少し始めたことを確認しつつ、ソードカラミティはティーダに突進した。
燃えさかる太陽の中心にいるような錯覚を覚えながら、カイキはソードカラミティにティーダの右腕を掴ませた。傍目には、くたばったティーダを抱き起こしているようにすら見える。
接触回線を利用して、カイキは叫んだ。機体同士が接触した際にこの回線を使えば、ニュートロンジャマーの影響下でも振動を利用してパイロット同士が通信できる。「スラスターを全開にしろ! アマミキョへ飛ぶぞっ」
しかし、ティーダからの応答はない。カイキはまたも舌打ちしそうになったが、その時ティーダが突然スラスターを噴射させた。返事はないが、パイロットはまだ生きている。明らかに素人の動きだが──
「マユはどうした! 返事をしろ」
自らの機体の推力も全開にし、カイキはティーダと共に空へ跳躍する。黒煙が渦巻く中、コロニー修復に出動したM1アストレイ数機がアマミキョの上を通過していくのが見えた。
「サイ、カタパルト見てきてくれ」副隊長がサイに呼びかけた。サイはその時ティーダとの通信を何回か試みていたが、電波干渉の影響がこんな時に限って強くなったのか、通信は繋がらない。ソードカラミティともだ。
「パイロット、応答してくれ、ナオト! マユ!」 ナオトに対して責任を感じていたサイは、その時うっかり副隊長の命令を聞きそびれた。社長がもう一度呼びかけ、サイはようやく自分が呼ばれていることに気づき、慌てて振り返る。「失礼しましたっ、もう一度お願いします」
「船内無線、傍受されてもつまらんからな。直接カタパルトに行って状況を確認しろ」あからさまに不機嫌な態度で副隊長が言った。「エアチェックは済ませてある。そのまま行ける、とっとと動け」
「了解」サイは副隊長の台詞が終わらぬうちに、一旦ディックにオペレートを任せてブリッジ奥のエレベータに向かった。その時社長と目が合い、サイは社長と副隊長の二人が意味ありげな視線をよこしたことに気づいた。
「彼女によろしく」社長が小声でサイに呟く。
言うまでもない、フレイの件だ。船内無線云々が半ば口実であることを、サイは悟った。
社長の温情だ。もしかしたら地獄に繋がる温情かも知れないが──
エレベータに飛び込み扉を閉めかけた時、サイはちらりとカズイとアムルを振り返った。カズイもまた、うずくまったままのアムルを何とか励ましながら、彼女と共にブリッジ外の廊下へ出て行く処だった。
「トニー隊長、船内の様子を頼む。特に損傷した区画の修復作業を見てきてくれ」副隊長のくぐもった声が響き、トニー隊長もブリッジから飛び出していった。副隊長が隊長に命令する、これがシュリ隊の組織の目茶目茶さを示しているとサイは思う。
その時、ブリッジに響いたディックの声を、サイは聞き逃さなかった。「ソードカラミティより発光信号! アマミキョへ着艦します!!」
重力制御がなされていないカタパルトでは、ノーマルスーツ姿の整備士たちが右往左往の大混乱の様相を呈していた。発進と同時にストライク・アフロディーテを収容し補給・点検作業を開始したと思ったら今度はティーダとソードカラミティが同時に着艦してきたのだ。ティーダの機体から発された例の光は、その時既に全く消失していた。
サイがカタパルトに到着したのと、大きく開いた甲板にティーダとソードカラミティが着艦したのは、ほぼ同時だった。但しそれは、着艦したというより激突したという表現が正しい。ティーダの方は全く姿勢制御がなされておらず、そのまま頭からなだれ落ちるようにカタパルトへ突っ込んできた。右脚部が誘導用ライトに衝突し、ガラス片が飛び散る。
バーニアを噴かせて懸命に姿勢制御をしたソードカラミティが、同時にティーダの姿勢も巧みにコントロールしたから誰も巻き込まれずにすんだものの、大きな衝撃がカタパルトを襲った。サイもまた、エレベータから飛び出した身体を上部デッキの手すりにぶつける処だった。
「ボケナチュラルが! ノーマルスーツぐらい着とけっ」何とか姿勢を保ったサイの上から怒声が飛んでくる。そこには、ややむっくりとした体格のノーマルスーツが浮いていた。彼はバイザーを上げながら、サイに向かっていきなりレンチを投げつけてきた。
コロニーのほぼ軸上を飛んでおり無重力に近いアマミキョのカタパルト内で、レンチはきれいな直線を描いてサイの右肩に当たった。
カズイが言っていた、恐怖の整備士のオッサンとはこの人か。その、やや唇のぶ厚い猿のような赤ら顔にはサイも見覚えがあった。ハマー・チュウセイ──ナチュラル嫌いのアル中で、あっという間にシュリ隊で有名人となった男だ。
サイが肩を押さえながらもハマーを無視し、上部デッキから降下してティーダのもとへ向かおうとした瞬間、カタパルト内に警報が響いた。開きっぱなしになっていた甲板の向こうの白い空から、モビルスーツ・ザクファントムとゲイツRが向かってくる。「ザフト機より発光信号! 着艦要請だ!!」「カタパルト空けろ、ボヤボヤすんな!」「だって、敵かもよ?」「それよかどうすんだよ、あの白いの!」ティーダのことだ。
ゲイツRの方もコントロールを失っている。ザクファントムがどうにかバーニアで両機の体勢を整えてはいるが、ティーダとソードカラミティはまだ甲板から移動出来ていない。カタパルトがさらなるパニックに陥った。
だいたい、誘導用ライトの点灯方法すらまともに覚えていない連中である。軍とは勝手が違う。
その時カタパルト奥から、凛と張った少女の声が響いた。「ザフトのジュール隊だっ、収容しろ!」
既に奥に固定されていたストライク・アフロディーテの外部スピーカーからの声だ。主は勿論、フレイ・アルスター──彼女はアフロディーテのコックピットに座ったまま、ハッチを開いて指示を出していた。
サイが思わず反応するより早く、少女の声は大きくデッキ内に反響する。「カイキ、ティーダを下げろ! 貴様は立てるっ、装甲が多少傷ついても構わん」
その声には、ノーマルスーツの作業員たち全員に冷水をぶっかける効果があった。素早く反応したソードカラミティがティーダを引きずるように甲板から退ける。同時に作業員たちも慌てて逃げ出した。数秒後に、ティーダが着艦したよりは幾分か丁寧に、ザクファントムとゲイツRが着艦を完了した。
直後、ザクファントムのコックピットからパイロットが飛び出し、叫んだ。「対応、感謝する! 自分はザフト・ボルテール所属ジュール隊隊長、イザーク・ジュール! 可能ならばこのパイロットの手当ても願いたいっ」
やや癖のあるその叫びに、サイはまたも振向いてしまう。バイザーを開いたその顔に、わずかながら見覚えがあった。あれは、エルスマンと同じ部隊の、銀髪の少年ではなかったか?
その時、アフロディーテ付近でちょっとした動きがあった。機体にとりついていた二人の整備士が、顔を見合わせる。二人ともノーマルスーツのバイザーを閉めており、その顔は殆ど見えない。メットを突き合わせ、何事かを会話した後で二人はイザークの死角になるように身体を隠し、アフロディーテの機体チェックを続行した。フレイがその二人に話しかける。「残り5分は遅い、2分でチャージは完了しろ。ハラジョウから予備のケーブルを持って来い、まだ奴らが退散した訳でもない」 言いながら、フレイもまたイザークの方を注意深く睨んでいた。
そんなことは露知らず、イザークはゲイツRのコックピット部分に取りつき、脇の操作盤をいじってハッチを開く。そこには、ぐったりとした痩身のパイロットの姿があった。外傷は認められないが、両腕が痙攣していた。イザークはそのパイロットを素早く抱き起こしたが、彼自身も左腕をうまく動かせないようだ。ティーダの方へ身体を流していきながらサイは、彼に呼びかける。「カタパルト脇の3番エレベータは医療ブロック直通だ、急いで」
「申し訳ないっ」「当然だよ、君たちは助けてくれた」
サイが呼んだ担架に、イザークはパイロットを運んだ。メットを取ってみると、パイロットはまだ幼さの残る、黒髪の少女だ。かなりの美人に見えたが、その瞼は今痙攣を起こし、いっぱいに見開かれている。唇は真っ白で、その間から涎がわずかに零れていた。そしてイザークも少女も、額から滝のような汗を噴出させている。
あの光の中で一体、このパイロットたちは何を見たんだ。リュウタン広場のモビルスーツの装甲は勿論、アマミキョの船体までもを貫き人間の神経に直接働きかけた光は──それに、イザークや少女はザフトのコーディネイターだろう?
サイはティーダを改めて睨む。ぐったりと倒れた白い機体のハッチに、ソードカラミティのパイロット・カイキが組みついていた。サイも床を蹴って上昇し、コックピットに向かう。ハッチが開かれる。
そこには、かぎ裂きだらけの背広のナオトと、左腕が血に濡れている制服姿のマユがいた。二人の姿を目撃するなり、サイは愕然とせざるをえなかった。
ナオトは胸元やら膝やらコンソール・パネルに思い切り嘔吐しており、その顔は血まみれだった。まだ意識はしっかりしているようで、その両手は操縦レバーを固く握り締めたまま震えている。吐瀉物と血にまみれた唇の間から、激しい呼吸が漏れていた。
その後ろのマユに至っては、目を剥いたまま気絶している。顔は何故か笑顔だ。その凍った笑顔が、この状況の異常性を象徴していた。
サイは、かける言葉を失った。
素人がモビルスーツを下手に動かした場合のダメージがこれほどとは、予想していなかったのだ。自分も、無謀にも素人の分際で出撃しようとした過去はある。その時はモビルスーツをろくに動かすことすら出来なかった──それは、不幸中の幸いだったのかも知れない。今のナオトの姿を見て、サイはそう思わずにはいられない。
キラ。お前は、これほどのダメージにもずっと耐えていられたのか──
サイは、心の奥からこみあげる思いを押し殺し、やっとナオトに声をかける。「大丈夫か、返事しろナオト!」
だがナオトが反応する前に、カイキの咆哮が轟いた。彼はナオトの肩を思い切り蹴り飛ばし、無理やりマユを抱き起こした。その目は既に、マユ以外のものを見ていない。ナオトの上半身がパネルに激突しかかり、サイが何とかそれを支えた。カイキはマユを抱いたまま、医療ブロックに直行していく。二人の姿はあっという間にエレベータに消えた。
「何なんだよ、アレ」サイは思わず怒鳴りつつ、ナオトの上半身を抱いてコックピットから離す。座席を見ると、黒い大きなシミがあった。ナオトの脚の間が濡れていた。サイの腕の中でぐったりしながら、歯をガチガチ言わせて震えている。その震えは恐怖か、羞恥か。
無理もない。たった14歳の子供が、戦場を体験したんだ。
「きったねぇな、半端なガキが。パネルの間にゲロが入ったら損害賠償な、SunTVに!」サイの後ろから嘲笑が響く。ハマーの声だ。サイは無視して通り過ぎようとしたが、その時上方から、彼にとって絶対無視できない声が降ってきた。
「黙示録を動かしたな、貴様?」アフロディーテのハッチの脇から立ち上がったフレイが、紅いストライクの顔面を背にしてサイとナオトを見下げる恰好で腰に片手を当てていた。真紅のパイロットスーツに包まれた細い肢体が、サイの目に色濃く焼きつく。既にヘルメットから解放されていた長い髪が、低重力の中で靡く。
フレイはハッチを蹴って素早くナオトとサイの方へ飛んできたと思うと、サイを押しのけるようにしてナオトの胸倉を掴んだ。その横暴さに、サイは思わず叫ぶ。「やめろ。彼はたった今、地獄を見たんだぞ!」
「お前には聞いていない」フレイはナオトを凝視したまま尋問する。「答えろ子鼠。作動させたのは貴様か?」
ナオトは震えながらも、意外なほどしっかりした口調で答えた。「あの機体は何なんです? 貴方、知ってるんでしょ。あの光で、マユは傷ついたんだ! それと僕は子鼠じゃありません、ナオト・シライシです」
サイはナオトの神経の強靭さに、内心驚いた。さすが、子供の身ながら大人の中で仕事をしていただけのことはある。上から、ハマーの嘲笑が降ってきてはいたが。「ゲロと小便まみれのカッコで威張っても説得力ねぇぞ」
だが次の瞬間、さらにサイが驚愕する事態が発生した。いきなりフレイの平手がナオトの頬を直撃したのだ。パイロットスーツの手袋ごしの平手はかなりキツイということは、サイも知っていた。「質問を質問で返すな。黙示録はマユ一人では動かせん!」
「マユが指示してくれたんです。彼女がいなければ僕は死んでた」ナオトは反射的に答えていた。平手と自らの声のおかげで、朦朧状態から少しばかり目覚めることが出来たようだ。
「フレイ! 君は一体なんなんだ」あまりの態度に、サイは無理やりフレイとナオトの間に割り込んだ。3人の身体が低重力の中で流れるように降下していく。
「正直、君と会うのは怖かった。でも、会って話がしたかった。あの後、チュウザンの色んな場所を回ったよ。だからこの船にも乗った。なのに、なんなんだよ、君の態度!」
3人はティーダの、投げ出されたままの右脚部に着地する。次第に大きくなっていく声を止めることも出来ぬまま、サイはフレイを睨んでいた。「何度も俺たちを助けてくれたことは感謝する、君がいなければ俺はここにいない」 作業員たちが数人、驚いてこちらを見る。
ナオトも血のついた唇をぽかんと開いていたが、サイの勢いは止まらない。「だけど、彼を叩くのは許せない!」
だが、その早口の前にもフレイは全く表情を変えない。「戦場が地獄は当然、知っていて子鼠はティーダを動かした。そして地獄と知りつつ、無用の励ましをしたのは貴様だ」
サイの頭に血が上った。思わずフレイの肩に掴みかかろうとしたが、サイは逆にフレイに素早く前腕を掴まれてしまう。片手だけでサイの手首を捕らえたフレイは、強烈な力をこめる。骨が砕けるかというほどの痛みが、サイの手首を襲った。
明らかに、通常のナチュラルの力ではない。少なくとも、サイの知っていたフレイの握力ではありえない。
「フレイじゃないなら、そう言ってくれ。誰も怒らない」サイは精一杯の皮肉をこめ、呟くことしか出来なかった。フレイは冷たい瞳でただサイを見返しただけでぱっと手首を離し、ナオトの身体をサイに押しつける。フレイがその時、ナオトの胸ポケットからメモをさりげなく盗み取ったことを、サイもナオトも気づくことはなかった。「医療ブロックに連れて行け、最優先で治療だ。それから子鼠のパイロットスーツを用意しろ」
ナオトが目を見開く。「待てよフレイ、また乗せる気か!」サイは再び突っかかろうとしたが、フレイは既に床を蹴ってティーダのハッチへ上昇していた。
「聞け! ティーダは、最初に黙示録を作動させた者以外を認めぬっ」
アマミキョ医療ブロックは負傷者の山だった。しかも先ほどの戦闘による衝撃で、あちこちに器具が散乱したままだ。
重傷者が区画外の廊下にまで詰め込まれ、血だまりが放置されていた。
その間をぬうようにして歩くサイとナオトを、救急隊員たちが跳ね飛ばすようにして担架をかつぎこんでいく。「急激な重力制御により桟橋から落下、10mを転落! 血圧60の脈拍120!」 駆け出してきたスズミ女医がその担架を治療室へ運ぶ。「写真の準備、頚椎側面、胸部腰椎っ! 血液は大丈夫?」
サイはとりあえず、ナオトを廊下の隅に座らせることしか出来なかった。腐っても緊急救助船、ベッドはかなり準備していたはずだが、もうこの時点でいっぱいとは。「ここで待ってて、今誰か呼んでくる」
ナオトはじっと身体を縮こまらせたまま、唇を噛んでいた。ここまではどうにか歩いてこられたが、もう動けないらしい。サイはそんな彼の肩を軽く叩いてみせる。「大丈夫、フレイの言葉を本気にするな。そんなものが兵器として成立するわけがないだろ」
「でも、試験機体ですよね。ただでさえ強奪事件は多いんです、そのぐらいの対策は」
「行きすぎのセキュリティだよ。尋常じゃない」
「だって、光を見たでしょう? ティーダ自体、尋常じゃないですよ。狙われて当たり前です」
「俺だってあんな機体は初めてだよ。神経を直接攻撃するなんて、卑劣だ」サイの言葉は、吐き捨てるような呟きに変わった。
自分たちが見たあの光はいったい何だ。光と同時に押し付けられた死のイメージは何だ。ティーダの周囲にいたパイロットたちのほぼ全員が受けた著しい影響は何なのか。唯一無事だったのは、寸前で遮光フィルタをかけたソードカラミティのカイキだけとは。
そして、フレイから明かされた、信じられぬティーダの秘密──
そこへ、看護士のネネが通りかかった。サイは急いで彼女を捕まえて事情を説明する。鬼のような忙しさの渦中にいた彼女だが、それでも笑顔を見せながらナオトの目線にしゃがみ、手早く彼の顔を拭いて絆創膏を貼った。「ごめんなさいね、今着替えを切らしてて」
「僕ならいいです、精神が問題ですから。マユは大丈夫ですか」
「アマクサ組とお兄さんが血液を用意してくれたから、助かったわ。もう目覚めてる」
ナオトはほっと安堵のため息をつく。そこには多少、淋しげな響きがこめられていたが。「お兄さんか」
「ナオト君、上着だけでも洗ったげる。気持ち悪いでしょ」ネネがナオトの袖に手をかけた時、ナオトはポケットの中のものを思い出し、身体を硬直させた。
おそるおそる、ナオトはポケットを探る。その手の動きはどうにも鈍重で、つらそうだ。額から玉の汗が噴き出ている。
取り出されたものを見た瞬間、サイもネネも絶句した。
それは、美しい月が描かれた、女性の爪。一瞬貝殻のように見えたが、その裏には数時間前まで指先だった肉が付着していた。
「フーアさんです」
その名は、サイも知っていた。つい数時間前までブリッジで社長につっかかっていた女性。
ナオトは砕ける寸前の宝石を握りしめるように、フーアの指を両手で包む。「昔からこうなんです。普段はドン臭い癖に、いざって時は自分でも信じられない力が出る。でも、直後に脱力してしまう。
そんな僕を、ずっとフォローしてくれたんです。フーアさんとアイムさんは」
それが、ハーフコーディネイターとしての血か。サイはふと、ナオトの境遇に思いを馳せていた。
この子供は一体、どんな環境下で育ってきたのだろう。
ナチュラルとコーディネイターのあいの子、俗称ハーフコーディネイターがオーブ以外で生活することは難しい。連合からは汚れた存在として疎まれ利用されるであろうし、プラントでは禁忌の存在とされている(ラクス・クラインの父でありプラント元議長・故シーゲル・クラインは、ナチュラルと結ばれることによりハーフ、クォーターを増やし、徐々にナチュラルへ回帰することがコーディネイターにとって最も望ましいとの主張を提示していたが)。
たとえオーブ国内であっても、ナチュラルとコーディネイター同士の小競り合いが絶えない今、ハーフコーディネイターはひどく肩身の狭い思いをして生活せざるを得ない。サイは反射的に、チュウザンに初めて行った夜に出会った少女を思い出す──
半分コーディネイターの血を引いているが為に、暴力の下に晒されていた少女を。
その少女とナオトと、いったい何が違うのだろう。同じハーフの子供でありながら、ナオトは比較的健やかに育てられたように思う。過去の出演番組内でのナオトの笑顔を見ればそれは一目瞭然だ。彼の明るさは、オーブ国内での評判もよい──勿論ハマー・チュウセイのように、半端な存在として露骨に彼を嫌う者も少なくはないが。
そして、先ほどの戦いで見せた意志力の強さは何だろう。いくらマユの補助があったとはいえ、戦闘の中で実況を始めるなど──早い話、大馬鹿野郎だ。
「貸してくれる? いい方法があるわ」ネネがナオトの手を、フーアの指ごと優しく両手で包み込んだ。ガーゼを取り出し、彼女は丁寧に桜色の爪をくるむ。「貴方のお守りにするの。このままじゃ、彼女に申し訳ないでしょ? ちょっと待っててね」
ネネはさっと立ち上がると、ウインクしながら喧騒の中へ舞い戻っていった。ブリッジ組の制服のサイを見つけた人々が、彼を次々に問い詰める。「この船、どこ飛んでるのよ?」目を血走らせる女性。「母ちゃんがいないよぉ」泣き喚く子供数人。「この野郎、無理に動かしやがって!」拳を固め、サイにくってかかる男。
そこへさらなる悲鳴が響く。「誰か来て、トイレで出産!!」
コロニー内部では、作業用M1アストレイによる太陽光ブロック修復作業が続いていた。アマミキョからも数台のミストラルが出動していた。作業用アームを装備したモビルアーマーである。ミストラル自体は地球連合の開発だが、今使用されているのはムジカノーヴォ社長がアマミキョ用に購入したものだ。7割方ジャンク屋から買い取り修復したものであるが。
コロニーを飛行中のアマミキョは、数隻の救助艇を牽引しつつ、外装してあった救助用ブロックを切り離して地上へ降ろし、残されていた被害者の救出にあたっていた。勿論、チュウザン・オーブ合同軍と協力体制をとりつつの作業である。
補修作業を斜め上に見つつ、ディアッカ・エルスマンのザクウォーリアが港口からウーチバラに進入してきた。
彼はコロニーの外側から、ティーダの光を目撃していた。イザークとシホの合流予想地点のあたりで光を見たディアッカは、他のゲイツRを全てボルテールに帰投させ、単身で直接ウーチバラへ向かっていた。宇宙を照らす蛍光灯のようなコロニー、その中が爆発したかのような光に、さすがのディアッカも肝をつぶしたのだ。まだ燻り続ける黒煙が、モニターごしにディアッカの視界を包む。
「早速の作業、お疲れさん」濁る空気の向こうにアマミキョの船体を発見し、ディアッカは呟いた。イザーク機を探索しつつ、発光信号を出す。
「助けてくれたのはザフトだろ」「じゃあ、黒いジンは何だ?」「ミサイルまで積んで、冗談じゃないわよ。最初からコロニー壊す気だったんでしょ」「ウィンダムだって言えたことか、中立のテレビ局を空襲する馬鹿がどこにいるよ」
ブリッジは、襲撃をかけたのが連合側かザフト側かで、再び一触即発状態になっていた。マイティが不安げに、サイの出て行った方を見やる。「それに、さっき彼が言ってた条約違反の戦艦って」
さらに、ディックが嫌味ったらしく続ける。「連合もやってくれるよなぁ! おみそれしやした、ナチュラルにも出来る奴はいるってねぇ」
社長は一言注意しただけだ。「そういう言い方、嫌いじゃないけど空気読みなさいね」
操舵席に座っていたサキが苛々して言う。「にしてもトニー隊長にサイに、ブリッジ出る奴多すぎだろ! 敵殲滅したわけでもねぇのに」
副隊長がぼそりと呟いた。「船内無線は傍受されると何べん言えば分かる? 今頃走りまわっとるよ」「でも副隊長、カズイにあの女は? 他にもいただろうが、ここから逃げた奴」
その時、カタパルトからのエレベータが開いた。
「愚か者どもが! それがアマミキョを委任された者の姿かっ」
ブリッジ中の空気が、その声により水を打ったように静かになる。そこにいたのは、紅い髪の少女──ストライク・アフロディーテのパイロット、フレイ・アルスター。彼女は社長と副隊長のもとへつかつかと歩み寄っていった。「社長、一概にザフトだの連合だのと決めつけることは危険すぎます。どちらも一枚岩ではありません、特に連合は」
社長はフレイのパイロットスーツ姿を惚れ惚れとしたように眺める。「素晴らしい戦いだったよ、アルスター隊長。貴方の言うことも尤もだ、チュウザン本国の状況から見ても、連合の末端がいかに腐ってるか知れようってもんだしね。連合がブルーコスモスの完全支配下だったら、僕は今頃絞首刑だよ」
副隊長がそれに応えるように含み笑いを浮かべた。「大型の組織ではよくある末期症状だ。大西洋にユーラシア、南アフリカに我らが東アジア、星をひとつに纏めようって魂胆がそもそものアホの元でな」
「恐らく狙われたのはアマミキョの装備でしょう。民間の救助船とはいえ、モルゲンレーテのイズモ級、その改造型です」フレイはブリッジ中に敢えて聞こえるように言い放つ。「それに敵は、PS装甲パーツ狙いの単なる脱走兵どもでもない」
「さっきの実戦で確信した?」
フレイは静かに頷いた。「連合の特殊部隊の情報もあります。ミラージュコロイドを使用した艦、そしてナチュラルとは思えぬ運動能力を備えた兵士を実戦配備している部隊──これは噂ではありません、社長。
現に、先ほどの戦闘で現れたウィンダムとダークダガーLの動作は、その情報の確実性を立証しています」
「ヤキンやオノゴロでもいたっていう、薬づけの子供のことかい?」
「明らかにバージョンアップしとるがな。持続時間が違う」副隊長はぶすっと呟いた。
その会話に、ブリッジクルーたちが不安を露にしてフレイたちを眺めていたが、フレイは視線一つで彼らの口を閉ざさせた。
フレイの言葉の一つ一つが、この船の行く処全て、戦場になりうる可能性があるということを示していた。
「ザフト側も似たようなもの──今でこそ表面的には穏健派のデュランダル議長が仕切っていますが、彼にしても何を考えているやら。あの白面、気に喰わぬ」
皮肉たっぷりの少女の言動に、リンドー副隊長は笑う。「同族嫌悪かねぇ、アルスター嬢? ザラ派の残党も気になるわな。可能性は幾らでもあるってこった」
社長はきまり悪げに頭を掻いた。「マスコミ工作は失敗だったってことか。中立国の緊急救難船の存在を大々的にアピールしておきゃ、テロはないと読んだんだがな。アスハ代表のバックアップもあることだし……だが逆に、テロリストを大分引き寄せちまった」この一言はクルーに聞こえぬように呟いている。
「社長、ご自分のコロニー一つを賭けに使用しないで頂きたい。最近のテロリストどもは世間体など気にしない下賤が多い……逆に、残虐行為を敢えて見せつけることにより脅威を示すパターンが増加する一方です」フレイは腰に片手を当てて堂々と言い切る。紅いパイロットスーツに締められた腰まわりの線は、クルーの男たちの目を惑わせていた。
「現場にマスメディアがいりゃ余計に好都合ってわけな」副隊長が歯の間から息を出し入れし、唾をちゅっちゅと鳴らした。苛立った時の彼の癖だが、勿論この癖はクルーのほぼ全員から嫌われている。
フレイは付近のモニターを自ら操作した。カタパルトで整備中のティーダとアフロディーテの姿が映し出されるのを確認しながら、彼女は会話を続けた。「民衆を押さえつける暴力行為は、時に緊急避難として必要な事態もあります。しかし長続きはしない、敵がザフトにしろ連合にしろその後を考えているとは思えません。勿論、双方示し合わせての示威行動ということも考えられますが」
「どちらでもないとも言えるよ、身内かも。アマクサ組斬り込み隊長としてはどう?」社長の目が、一瞬鋭く光りフレイを見据えた。が、彼女はそっけなく答えるだけだ。
「いずれも推測の域を出ませんね。それより今後の敵の動向です。次のポイントで下船されると聞きましたが、社長?」
「L4のコロニー、ミントン2だ。その隣の1でプラントとの事業提携の交渉予定でね、コーディネイターの技術者たちの引き抜きも考えてる。オーブからはどうもコーディネイターの技術者が流出してるらしいじゃない?」
「2って例の、太陽光ブロック半壊コロニーか」サキが話に割り込んだ。
「色々とお忙しい身、お察ししますが」無表情だが、フレイの口調は皮肉混じりだ。「場合によっては、予定航路の変更もやむを得ません」瞳はじっとモニターの中のティーダ、そのコックピットに取りつく整備士を見据えている。やがて白いノーマルスーツの整備士が、モニターごしにフレイに合図を送ってきた。両腕を大きく交差させ、×印を作っている。
「失礼、やはりティーダに問題が発生しています」フレイはさっと社長のもとを飛びのき、エレベータに向かった。その時、ディックが外部からの信号をキャッチした。「接近中のザクウォーリアより発光信号。着艦要請が出ていますが」
「許可しろ。それからザクファントムとゲイツRを収容ずみと伝えておけ」リンドー副隊長が指示を出している間、フレイは素早くブリッジクルーの表情を一人一人横目で観察していた。フレイがその場から離れた隙に、クルーたちはもう騒ぎ出している。
「民間人とはいえ、何たる現状認知力の弱さだ」その呟きに気づいた者は、誰もいない。
数分後。
アマミキョ・カタパルトデッキでは、またしてもひと騒動が発生していた。
治療もそこそこに、医療ブロックから無理やり連れてこられたナオトが、ティーダの前に引きずり出されている。強引に連れてきたのはカイキであったが、勿論その後ろからサイも追いかけていた。
そして、ティーダの前ではフレイ・アルスターが整備士に指示を出しながら、ナオトを待っていた。
「偶然最初に触った人間しか動かせないなんて、モビルスーツとしてどうなんだよ!」
サイはナオトの代わりにフレイに怒鳴ったが、途端にカイキに殴られた。さっき医療ブロックでも被災者に何度か殴られていたが、カイキの一撃はそんなものと比較にならなかった。ちなみにカイキはナオトをここまで連れてくる間に、若干抵抗したナオトを2発殴っていた。顔と腹を1発ずつ。
ティーダに取りついている整備士二人と顔を見合わせつつ、フレイが言う。「またお前か。試験機体だったと何度言えば理解するのだ、さっさとパイロットスーツを持って来い、でなければまた子鼠を背広で乗せることになる」
フレイに整備士の一人が近づき、注意深くバイザーを上げて小声で囁く。赤茶けた巻き毛が印象的な少年だ。「駄目だフレイ。解除にはどうやっても40時間以上かかるって、ニコルが」
もう一人の整備士の方は、バイザーを上げないままフレイに叫ぶ。「ティーダを今すぐ使いたいなら、ハードから交換するっきゃねぇ!」
「交換パーツは?」フレイがカイキに聞いたが、彼はぶっきらぼうに呟くだけだった。「襲撃でなくなっちまったよ」
そしてカイキは強引にナオトの髪の毛をつかみ、ひきずり上げる。「マユが動けない以上、こいつが動かすしかねぇんだ、ティーダは!」
フレイはなされるがままのナオトを冷静に見つめたまま、言い放った。「着替えてコックピットでマニュアルを確認しろ。貴様を出すような事態だけは避けるが、戦況によっては分からん。何しろ相手は不可視戦艦だ」
それだけ言うと、フレイはすぐ奥のアフロディーテの方へ流れた。赤茶髪の整備士がそれについていく。「アフロの首回りはどうだ?」「いつものことだけど、無茶して使いすぎだよフレイは。ダガーLとIWSPとの相性は、社長が言うほど悪くないけどね」「モビルスーツは人型だが人間ではない。関節が人間のそれと同様に動くわけではない。その理論を最大限に活用するのがパイロットの務めだ」
「待てよ!」サイがナオトを庇いつつ、なおもフレイにくってかかった。「情報漏洩防止措置にしては無茶すぎる。ナオトとマユ以外受けつけない兵器なんてあるかっ」
「心外だな」フレイはカタパルト全体に響くが如き強い声で言う。「ヘリオポリスのモビルスーツ強奪現場に居合わせた者からそのような戯言を聞くとは!」
ちょうどその時、カタパルトに既に着艦していたザクウォーリアからのハッチが開き、ディアッカ・エルスマンが顔を出した。
彼は少し離れた場所にアフロディーテを発見する。そしてその下に、サイの姿を見て仰天することになった。元々敵同士でありながら、アークエンジェルで共に戦った仲間──
ミリアリアの顔が頭の隅をよぎったが、次の瞬間のフレイの言葉に彼は身体を硬直させた。無理もない、かつての自分のことを言われたのだから。
「何であいつら、ここにいんだよ?」
イザークのザクファントムとシホのゲイツRが奥に固定されているのを確認し、ディアッカはほっと胸をなでおろす。機体の損傷は酷くはない。サイに声をかけようと考えたが、あまりの張りつめた雰囲気に、ディアッカは喉まで出かかった声を抑えた。「空気読むこと、覚えなきゃあ」
そんなディアッカを見た赤毛の整備士が、急いでバイザーを下げたことには誰も気づかなかった。
作業員たちがサイの姿を、ある者は好奇心をもって、ある者は嫌悪感をこめて見つめる。オーブの英雄的存在・アークエンジェルにサイが乗っていたことは、ほぼ全てのアマミキョ乗員に知れ渡っている。それだけに──
サイの行動は、必要以上に注目の的になっていた。
しかしサイは自分に注がれる視線を意識しながらも、フレイに反論せずにはいられない。「最初に乗った人間が強奪犯だったらどうする気だった?」
「ロールアウト直後にマユが乗り込み、一人目の登録はすませてあった」フレイは無感情に答えるだけだ。
カイキがナオトを突き放しながら付け加える。「つまり、マユがいなきゃティーダは動かねぇってこった。尤も、黙示録を作動させないという条件下なら、こいつだけでも操縦はできる」ナオトを見下げるその目に、優しさは全くない。
「要するに、マユ・アスカが認めた者でなければ乗れないということだね」サイが冷静さを保つよう努力しつつ言ったその言葉に、カイキは一瞬顔をそむけた。そのまま彼はソードカラミティの方へと身体を流していく。ソードカラミティは、破損したパンツァーアイゼンのワイヤーの付け替え作業中だったが、カイキはその整備士たちに声をかける。「今の作業を中断してもらうかも知れん。次は砲撃戦装備で出る可能性が高い……それより左腕の修理を最優先だ」
サイはそんな彼の背中を眺めながら、殴られた頬を押さえてフレイに言った。「分かったよ。君たちアマクサ組はアマミキョを絶対的に護る──君の言葉と力は、さっき証明されたばかりだ。俺は信じる」
サイが言い切った時、奥に待機していたザクウォーリアから声が響いた。「俺も出るよ。安心しな、お嬢さん方」
ディアッカ・エルスマンだ。ザクウォーリアが着艦していたのは知っていたが、フレイやナオトに気を取られたサイは彼に礼を言うことを忘れていた。思わず駆け寄ろうとしたサイだったが、ディアッカは目くばせとジェスチャーだけで彼を下がらせる。「先に着いたはずのジュール隊長らの安否確認をしたいが」
サイはディアッカの心遣いを思い、心底頭を下げたくなった。いくら助けてくれたとはいえ、ザフト兵と懇意にしている場面を大勢の人間に目撃されては、サイを取り巻く状況がどうなるか分かったものではないのだ。特に今は。
「二人とも無事だ、ただ女性兵士が負傷している。医療ブロックに収容ずみだ」サイがそれだけ言うと、ディアッカは礼を言いつつハッチの内側に姿を消した。
フレイはその様子を注視していたが、やがてアフロディーテの方へ戻っていく。
その時、「僕、乗ります!」ナオトの声がサイの背中を打った。
「運が良ければ、マニュアル読みながら座ってればすむんでしょ。パイロットスーツ、取ってきます」
サイが慌てて呼び止めようとしたが、ナオトはもう走り出していた。「あの機体で、もっと出来ることがあるような気がするんです!」
時は、コズミック・イラ73年、4月。
ユニウスセブン落下の日まで、残り半年のことであった。
つづく