ウーチバラから離れること──オーブのイズモ級戦艦ならおよそ30分といったあたりのデブリ帯。
無数に散らばる隕石のうち一つ、その裏側に。
地球連合第81独立機動軍・ファントムペインの母艦、ガーティー・ルーが取りついていた。
ユニウス条約で禁じられたはずのミラージュコロイドで艦全体を覆い、隠密行動を得意とする特殊工作艦である。つまり──
この船こそ、アマミキョとウーチバラを襲撃した連合の特殊部隊であった。
そのカタパルトには既に、先ほどの戦闘で中破したダークダガーLが収容されている。そしてたった今、ウィンダムが仲間の同型機に助けられつつ、艦に激突せんばかりの勢いで着艦してきた。
カタパルトの奥で待機していたもう一機のウィンダムのコックピットでは、一人の少女が不安げにその様子を見守っていた。既に、パイロットスーツに身を締めつけられ、大きな瞳をバイザーの下で見開いている。
「ネオ! アウルが泣いてるっ」
着艦したウィンダムから、ぐったりとしたままの少年が引きずり出されてくる。
怯えて中空を睨み、何事かを叫んでいる水色の髪の少年の痛々しい姿が、少女の目に焼きついた。既に着艦していたダークダガーLからは、先ほど血みどろになった少年が担架に乗せられ運ばれていったばかりだ。ダークダガーLは、左腕と左脚部を失い無様な姿で倒れ、ちぎれた血管のようなケーブルを切断面から何本も露出させたままだった。
黒いダガーLに取りつきバイザーごしに怒鳴りあう整備士たち。その間で時折走る小さな閃光が、少女の不安を倍増させる。「スティングもいないのに」
少女の乗るウィンダムの隣では、紫に染められた流線型のモビルアーマー・エグザスが待機していた。4基の分離式兵器・有線ガンバレルを装備した麗しい姿の機体から、通信が入る。<ステラ、アウルから伝言だ>
流々と指示を伝えるその声に、彼女は徐々に落ち着きを取り戻していく。「ネオ、分かった。光に気をつける!」
<遮光フィルタの調整をしておくように。いざとなればモニターを切る事態になるかも知れん。
大丈夫だステラ、俺がついてる。心配するな>
言葉が切れた時には、もう少女の唇には微笑みが浮かんでいた。「安心して。私、許さない。アウルとスティングを傷つけた奴ら」
紫のモビルアーマー・エグザスの内部。
無邪気にコックピットに響くステラの声を聞きながら、ネオ・ロアノーク大佐は唇を噛んだ。若干窮屈に締まり気味の仮面が軋む。
<2機を残して全滅か。計画を死守すべく、奴等も必死というわけだ>
ガーティー・ルー艦長、イアン・リー少佐の声が響く。ネオもまた一人ごちた。「──メンデルの皇女、か」
これはネオ自身が勝手に「彼女」につけた通称である。これから敵となる相手に。
いかにウィンダムやダガーLが量産機とはいえ、これほど簡単に撃墜されるとは。しかもそのうち2機は、連合によって強化されたパイロット──通称・エクステンデッド──が搭乗しているというのに。
「チュウザンのお嬢さん方……いるのは分かってるんだ。可愛い部下を傷つけられた怒り、思い知れよ」
開かれたカタパルトの向こうの闇を見据える。静かな星空が広がっていたが、そのさらに向こう側にいるものをネオは仮面の下から睨んでいた。視界は良好。誘導灯が次々に点灯し、エグザスのスマートな機体が、震えた。
「ネオ・ロアノーク、エグザス、出るぞ!」
PHASE-04 ドジっ子、出撃
ガンダム・ティーダ。型式番号MBF-T03。
かつて地球連合で製造されたブリッツガンダム、その改造型としてコロニーウーチバラにて、文具団とモルゲンレーテ社共同で開発された機体だ。
ロールアウト直後、傭兵部隊アマクサ組一番隊隊員、マユ・アスカがテストパイロットとしてこの機体に乗り込み、同時にティーダのデータバンクに、彼女が一人目のパイロットとして登録された。
ティーダは複座式であり、基本的には2名で操縦する機体であるが、二人目のパイロットはその時点で未定だった。
マユの兄であるカイキ・マナベがその第一候補として挙げられていたが、彼はナチュラル故にティーダの「黙示録」をうまく作動出来ず、また、マユと同機体内にいたのでは彼女を外部から守れぬという理由から、カイキ自身が二人目の登録を辞退。
他に候補がおらず、ティーダは二人目の操縦席が空白となったままだった。
この機体を搭載予定のアマミキョはそのまま出航の日を迎え──テロリストの襲撃に遭遇する。
この時負傷したマユの代わりに、偶然居合わせたSunTVレポーター・ナオト・シライシがティーダに乗り込み操縦を行なうも、素人ゆえに窮地に陥り、マユの咄嗟の判断により、マユとナオトの2名で「黙示録」を作動させる。
ナオトがハーフコーディネイターだったからこそ可能な芸当だったが、これによりナオト・シライシの指紋・声紋・虹彩データがティーダの中枢に記録され、彼が二人目として登録されるに至る。
登録解除にはハードレベルでのパーツ交換か、登録データの書き換えが必須だが、前者は既に代替パーツが破損した為不可。後者は、コーディネイターによる解析技術をもってしても最低40時間以上かかる。
「黙示録──それを作動させた者が、太陽(ティーダ)を動かす」
──それが、サイたちがフレイから聞かされた、ティーダの概要だった。
「つまり、40時間以内に何もなければ大丈夫なんですよね」
ティーダのコクピットで、慣れないパイロットスーツを身につけたばかりのナオトが呑気に言う。
サイはティーダに取りつきながら、思わずナオトをしげしげと見つめた。素直すぎる。
「君、信じるのか?」
「あの人が言うなら、信じるしかないでしょ。アストレイの操縦ならやったことありますし、その時結構素質あるって言わ」
脳天気に笑顔まで見せるナオトを、サイは遮った。「索敵チェックモニターの位置は大丈夫だろうな?」
デッキの上からハマーの声が響く。「間違って照明弾撃つなよ!」
ナオトは真面目に反応してしまう。「バカにしないで下さい、これでもジンの最新型とやりあったんです!」
「マユちゃんが、な!」ハマーの侮蔑がデッキ中に響いた。クハハハ、という笑いと共に。
イザークが医療ブロックからカタパルトへ、慌しく戻ってきた。ディアッカがそれに気づく間もなく、彼は固定されていたザクファントムを確認し、まっすぐディアッカの方へ向かってくる。「ディアッカ! ハーネンフースは無事だ、確認したっ」
その苛立った様子に、ディアッカは遠慮なく吐き捨てる。「動きすぎだって、隊長らしくしろ」
だがイザークはその言葉を無視しつつ、ディアッカの胸ぐらを掴むようにして会話を始める。ただし小声で。「覚えてるだろうな?」
「やりにくい船だよ、知り合いがいた」
「さっきの女か」
「アークエンジェルのダチだ」
サイをそう呼ぶのに全くためらいはなかった。ディアッカはだいぶ前から、「ナチュラル」という呼称を使わなくなっていた。イザークも、それに突っかかるほど野暮ではない。
それよりも、自分たちの任務だ。逸るイザークを、ディアッカは制する。「あの機体に関する会話は記録してある、十分報告材料にはなる」
「心情的に引けるか! 貴様はあの光を見ていないッ、部下が傷つけられたんだぞ!」
アフロディーテのコクピット付近では、ハラジョウの整備士に混じってハマーが取り付く。フレイをナンパでもしようかという雰囲気だ。
コーディネイターとナチュラルとで、彼の態度は面白いほど変わっていた。第三者から見れば面白いというだけの話だが。
「お嬢さんもこの機体も素晴らしいっ! 元がダガーLたぁ驚きだ、しかもあの機動ッ! あのGにゃ並のナチュラルは即死だぜ、シビレるね!」
その息がフレイの髪にかかったが、彼女はそ知らぬ顔だった。「酔っ払いが、アフロディーテに触れるな」
「酒は命だ、あんたの口紅と同じだよ。心配せんでくれ、これでもクソナチュラルよりは大分マシだぜ」
ブリッジに、ディックの叫びが響く。「モビルスーツ隊捕捉! デブリ帯からこちらへ向かっています、距離600、インディゴ1、5、2、マーク03デルタ!ウィンダム6機、残り1機は……ライブラリ照合不能! 機種不明!?」
ディスプレイには、機影を示すマークが黄色表示で示される。明確な敵ならば赤で表示されるが、この時点でアマミキョにとって、彼らは敵かどうか不明なのだ。そもそもアマミキョは、「敵」が存在してはいけない、中立国の、民間の緊急救助船だ──
カタパルトにもその警報は響いた。
既にアフロディーテに乗り込んでいたフレイは、冷静に指示を出す。「ソードカラミティは砲撃戦用にして待機だ、コロニーに侵入される前に叩く!」
その下から、マユが走り寄ってくる。顔色はまだ青いが、笑顔だ。
彼女に気づいたナオトは仰天したが、マユは元気にナオトに向かって手まで振っている。負傷していた方の手を。
「フレイ、またナオトと一緒に乗れる!?」
サイはまだ、ティーダのハッチに取り付いたまま、ナオトとマユを見守っていた。「女の子が喜ぶなっ、戦場なのに!」
「ティーダは待機だ、指示あるまで出るな! カラミティを先行させるっ」フレイの声はよく響く。メットをしてバイザーを閉じる仕草は慣れたもんだ、とサイは思った。ナオトのヘルメットの通信状態を確認していたサイの背後で、いきなり警告灯が点滅し、砲撃装備となったカラミティが発進していく。
連合製のカラミティガンダムの、本来あるべき姿である。これほど早く砲撃戦装備に戻せるとは、ソードカラミティとはまた違うタイプなのかも知れない──
一体、アマクサ組とは何だ?
サイの思考を遮るように、カイキの捨て台詞が外部スピーカから投げつけられた。「マユを出したら許さねぇ!」
安全確認もままならぬまま、警告表示が明滅し続けてカタパルトは混乱する。まだ負傷者も十分収容できていないというのに。
ディアッカのザクウォーリアが、砲撃装備で発進位置についていた。「伝えとけよ、俺らも援護する!」
サイがその声に振向く。明らかに自分に向けての言葉だった。
その「伝える」相手は誰だ、エルスマン?──ブリッジか、それとも──
両方の意味だろうと、サイは解釈した。
イザークもまた、ザクファントムに乗り込み待機中だ。「ティーダは出させんぞ、あんな危険物をッ」
一方でブリッジからはマイティの悲鳴が響く。<待って、勝手な行動をしないで!>
イザークが応える。「残念だが、自分らはこの船の指揮下ではない。ディアッカ、行けっ!!」
その声と共に、ザクウォーリアは勢いよく発進していった。
「もうちょっと発進指示、どうにかならなかったんですか」
たまりかねたサイがブリッジに駆け込んだ。
マイティが叫ぶ。「なるわけないでしょ、逃げたクルーだっているんだし!」
サキも舵を握りながらサイに怒鳴り返す。「てめぇこそ何してたんだよ、色眼鏡野郎!」
そこへ、アムルが駆け込んできた。「私、オペレート経験あります。やらせて下さい」
一緒にいたカズイはトニー隊長を呼びにいったらしい。随分と立ち直りの早い女だ──サイが眉を顰める間に、警報音が高まる。リンドー副隊長は、サイからカタパルトの状況報告を聞きつつ、アムルにオペレータ席を顎でしゃくった。
彼女は素早く席につく。「トニー隊長は?」
社長が剃ったばかりの顎鬚を撫でつつ、答えた。「船内行ったきりだ。ブリッジ向きじゃないよねぇ、あの人」
船内は相変わらずの大混乱の中にあった。トニー隊長はサッカーコーチの経験を生かし、大声で喚き散らしつつ各ブロックを走り回り全員に警戒を促していたが、効果は芳しくない。逆に問い詰められ、答えに窮する場面もしばしば見られた。
「詳しいことは調査中だが、皆頑張ってくれ! 私も頑張る!!」
「ナニをどう頑張れっつーんだよッ」
そんな問答を続けるトニー隊長の背後で、救助艇が数隻、また被災者を乗せてやってきた。何人かはハッチからはみだしかけている。アマミキョからワイヤーが射出され、救助艇を牽引していく。その後ろの空では、作業用アストレイが低重力の中を飛んでいく。
敵か味方か。それすらはっきりしないまま、コロニーの壁ごしに戦端は開かれた。
急いでアムルの横に陣取ったサイは、ディスプレイを素早くチェックする。同時にさりげなくアムルの手つきも見たが、彼女はひどく冷静だった。本当にこれが、ついさっき親を殺された娘か?
ブリッジ正面の大スクリーンには、コロニー管制から転送されてきた戦闘空域の映像が逐次入っている。デブリの中を飛ぶアフロディーテとカラミティ、そしてウィンダム隊の激突が見えた。その後方からディアッカのザクウィーリア、アストレイ隊が援護する。
若干、電波干渉によるノイズが入ってはいるが、コロニー外──フレイからの通信回線もほぼ正常だった。
聞こえてくるフレイの声。しかしそれは会話ではない。
「その六十二週のあと油注がれた者は 不当に断たれ 都と聖所は 次に来る指導者の民によって荒らされる」
それが聖書の一節、ダニエル書第9章の一部であることに気づくまで、サイは時間がかかった。
CE30年パレスティナ公会議以来権威を失っていたはずの「神」、その存在を示す書物。それを、フレイが知っている?
またしても彼女に関する疑問が増えた瞬間、コロニー外宇宙を映し出していたスクリーンに、閃光が散った。
フレイのストライク・アフロディーテが、ウィンダム隊と交戦状態に入っている。
先に攻撃を仕掛けてきたのは相手側だった。ならば、やるしかない。
ウィンダムのビームライフルを右へ左へ自由自在に次々とかわし、幾筋もの火線をIWSPの翼から放つアフロディーテ。
ブリッジから見るそのさまは、墨を溶かした水中に咲く光の華だった。干渉により映像が乱れ、それが水中という錯覚を起こさせる。
──綺麗だ。
サイは不謹慎と感じながらも、アフロディーテに対して思わずにはいられない。ナチュラルどころか、生半可なコーディネイターすら相手にならないだろう。
翼をひらめかせ、バーニアを噴かし、宇宙に光を描いて真紅のストライクが舞う。
光跡に、巨大な火球が2つ生まれた。ウィンダムとそのパイロットが生命を散らした証だ。
「その終わりには洪水があり 終わりまで戦いが続き 荒廃は避けられない」
その間にも、フレイの朗唱はやまない。敵も味方も、この空域全体を呪詛するようなフレイの声は。
「ウィンダム2機、撃墜確認!」
ブリッジが歓声でどよめいた。が、サイはその声にはどうしても同調できない。
フレイが、人を殺している。
救助船たるアマミキョが、人殺しをしている。
もう、戦争は終わったはずなのに。俺は人を助けるために、この船に来たんじゃなかったのか──
次の瞬間、炎の向こうから紫の流線型のモビルアーマーが現れる。そしてそれに付き従うような動きのウィンダムも視認できた。
「まだだ、まだいる!」リンドー副隊長が、間髪入れず叫ぶ。
紫のモビルアーマーに搭載されていた有線式ガンバレルが4基全て、水面を跳ねる魚のように舞い上がった。
2連装ビーム砲に一対のビームサーベルを装備した、ガンバレル──あのモビルアーマーと似たものを、サイは確かに見覚えがあった。今は亡きムウ・ラ・フラガ少佐の愛機は、タイプのよく似たメビウス・ゼロだった。あれを操ることができるのは──
そのガンバレルが今、フレイに襲いかかる。アフロディーテを取り巻き、オールレンジ攻撃を開始するガンバレル。
星屑の海に、閃光の荒波が生まれた。
さしものアフロディーテも、無数の光条を回避することは困難だった。絹布を織るように光の糸を伸ばしてくるガンバレル、その間をかいくぐりながらも巨大なIWSPの翼は何箇所か破損する。それでもフレイは負けていない。
そこに、カラミティが支援に入った。カラミティのバズーカ砲(トーデスブロック)がガンバレルを襲い、さらに後方からディアッカのガナーザクウォーリアのビーム砲が追い討ちをかける。
空域を覆う、圧倒的な光の洪水。その間を、アフロディーテは素早く離脱。
あの機動は、ハマーの言うとおりナチュラルでは確実にGで即死だろう。良くて内臓破裂だ。悔しいが、サイは認めざるを得ない。
モビルアーマー・エグザスの内部で。
ネオ・ロアノークは、珍しく焦っていた。オールレンジ攻撃が思うようにいかない。コロニーに近づけない、中にアマミキョがいるというのに!
あの紅いストライク。パイロットも、機体も知っている。記憶は確かに、ある。
メンデルの皇女。彼女の俗称。
──俺は逃げ出した、彼女から。目覚めた時に、彼女はいたのに。
そして、その前の記憶──はるか昔のように思える記憶。その痕跡は、自分の脳の中枢からきれいに消されている。
だが、消された記憶の中にも、彼女はいた。あの紅い髪の少女。
それに付随するはずの記憶は、呼び起こそうとすれば激しい頭痛を伴った。
あの機体。ストライク。俺は知っている。
ネオは我を取り戻す。迫ってきたカラミティとザクウォーリアもまた、脅威だった。首筋に冷気が走る。回避行動。
この感覚は嫌いではない。「俺の記憶、返してもらう!」
と、通信が入った。<ネオ! 私に任せてッ>
ステラの乗ったウィンダムが、エグザスに右腕を接触させつつ通過していく。「いけない、ステラ! お前では無理だっ、性能差がありすぎる」
だが、ステラは聞かない。ファントムペインの中でも、ガーティー・ルーでも、彼女はだだっ子で有名だ。
「ここは戦場だぞ!」
<だから、ネオを守るんだもんっ>
ステラのウィンダムが、一気に先行していく。あの直線的な戦闘スタイルでは、3秒でやられるがオチだ。
いかに強化人間とはいえ──ステラの血気にはやった言葉が、ネオを貫く。<私だってできる、あの紅いの程度!>
真空の宙に、光の織物が突如生まれた。サイは錯覚した。
今度は何だ。フレイは何をやったんだ。コロニー内部ゆえ、戦闘空域とは隔絶されているアマミキョブリッジで、サイはもう一度戦闘状況を確認する。
「投げ飛ばしたのかよ、アフロがカラミティを!」
サキの叫びがごく単純に、今起こったことを説明してくれていた。
胸部、両肩、腕、持てる火力を全開にしたカラミティの機体ごと、フレイのアフロディーテが真横に一直線にぶん投げた結果の、光の帯。
カラミティから発射された膨大な火線とほぼ垂直方向に、アフロディーテはカラミティを投げたのだ。それが無音の炎の、凄まじき咆哮となる。
IWSPの推力だからこそ可能な芸当だった。
ウィンダムはステラ機を除き全て一瞬にして撃墜され、エグザスもガンバレルを2基、壊滅させられた。散らばっていたデブリが光で粉砕される中、ステラ機もまた、両脚部が破壊され動きが鈍化していた。
そんなウィンダムに、今度はフレイが一気に近づいていく。
ディアッカのザクウォーリアも、危うくその光に飲まれる処だった。
コロニー方向やアストレイ隊に全く被害がなかったあたりを見ると、フレイはきちんと火線の方向まで計算してカラミティを投げ飛ばしたと見える。
持てる推力を最大限利用し、空中でくるりと回転してカラミティの巨体を投げた、その凄まじき機動。
本当にアレは元が量産機なのか? ディアッカは、俄かには信じられない。おそらく元のダガーLの機体には相当の負荷がかかっている、機体保持の為の電力消費量も大きいのだろう。豪快、かつ繊細な動きに耐えうる為の──
「俺のザクじゃなくて良かったぜ」
きっとこの攻撃方法は、何度も実戦で行なっているのだろう。投げられたカラミティは、慣れた様子でスラスターを全開にし、体勢を立て直していた。
サイの拳が、震えていた。ディスプレイを叩き割ろうかというように。
フレイの戦闘を見せられるのは、3度目。
まるでこちらに見せつけるように、フレイはひどく派手に動く。フレイと名乗りつつ、フレイの姿を借りて、それでいてフレイとは全く異なる振る舞いをする。
君は一体、何だ? 何が目的だ。何が欲しいんだ。何故、蘇った。よりにもよって俺の前に!
──キラ・ヤマト?
サイは急いでその名を頭から振り払う。何故今、キラの名が出てくる。どうかしている、俺は。
アムルが相変わらず冷静に状況を報告しつつ、サイの様子を覗き込んでいた。
その間にもフレイ機は動きを止めない。脚をもがれたウィンダムも、まだライフルを下げようとはしなかった。
数条の光の筋が交錯し、2機が激突する──ように見えたのは、一瞬だった。
傷ついたままろくに動けぬステラのウィンダムは、あっさりとビームライフルを弾き飛ばされた。
エグザスから放たれるビームをかいくぐり、アフロディーテはがっちりとステラ機を羽交い絞めにする。
両腕を後ろから取られ、ウィンダムは全く動けなくなる。フレイは素早く相手の通信状態をチェックした。
「接触回線は開いたままか、都合がいい」
フレイには、動けない機体の中で怯え、泣き、叫び、狂ったようにコクピットに拳を叩きつける相手の身体の震えまでが、手に取るように分かる。のたうつ心臓の動きまでが読めている。激しすぎる闘争心と、人工的に植えつけられた強迫観念による力の振動。
フレイは、そんな相手に対しても全く容赦はしない。
開かれた回線に向け、フレイは息を静かに吸い込み、一言一言言葉を区切りながら、はっきりと言い放った。
「貴様の、か弱き母親は、死んだ!」
その通信は、ステラ機の回線を通じてネオのエグザスにも伝わっていた。
フレイの放った言葉は、ステラに致命的な精神的ダメージを与える言葉──「ブロックワード」。
その台詞から判断するに、ウィンダムのパイロットがステラということまでは判別されていない。しかし確実に、ガーティー・ルーに乗るファントムペインの存在、そして彼らを構成する強化人間(エクステンデッド)、さらに彼らの暴走を抑制するブロックワードまで、情報が漏れている。あの紅い魔女に。
あの言葉は、彼女が入手した情報から構成したものだろう。「弱い」「母親」「死」。
ステラ・ルーシェは「死」に反応するエクステンデッドだ。ブロックワードに反応すると、強化の代償として不安定になった精神は、暴走する──
茫然とするネオの耳に、ステラの悲鳴が轟いた。その叫びの間をぬって、冷徹極まる少女の声が流れる。
<残念だったな、ネオ・ロアノーク。アマクサ組の情報網は天下一品なものでね>
フレイはゆっくりとアフロディーテを操作し、アサルトナイフでウィンダムのハッチを切り開いた。
中にいたのは一人の、か細い桜色のパイロットスーツ。完全に怯えていた。
バイザーごしでは表情は分からないが、身体が硬直しきって痙攣まで起こしている様子を見れば、素人でも異常と分かるだろう。
「このような子供に頼るとは。堕ちたものだな、連合も」フレイの声に、わずかに嘲笑が混じった。
ネオがフレイの動きに反応し、残されたガンバレルを彼女に向けかかったがフレイはそれより早く、パイロットの身体をアフロディーテの掌で掴んでいた。
「分かる。分かるぞネオ・ロアノーク! この女の肋骨の感覚までが!!
抱くには、いささか痩せぎすだな」
血のストライクの手中で、極度の恐怖に震えるステラの身体。その無惨な姿は、ネオの仮面ごしの肉眼でもはっきり確認できた。
あいつは、完全にこちらの手を読んでいる。
あの女ならば、やりそうな事だ。かつて自分の記憶を奪い、自分を操ろうとしたあの女どもならば。
こんな卑劣な戦法を、厭うことはなかろう。
ネオが逡巡している一刻一秒の間にも、ステラの精神は恐怖に汚染されていくだろう。無重力下の真空中で、モビルスーツに生身を掴まれる感触は、どんな屈強な戦士とて経験したくはないものだ。しかも彼女の脳はブロックワードにより、錯乱状態にある。
判断を遅らせれば、彼女は二度と使い物にならなくなる危険性すらあった──
使い物。モノ。
自分の脳裏に浮かんだ言葉に、ネオは憤怒する。
ネオにとって、彼女はモノだった。というより、モノとして扱わなければならない少女だった。
血のストライクの指の圧力で、ステラの身体が反り、細い首元が露になる。勿論声は聞こえないが、ネオには彼女の叫びが伝わっていた。
痛い、苦しい、この女は怖い、スティング、アウル、ネオ、ネオ、ネオ、ねお!
血塗られたストライクのカメラアイが二度、煌いた。それがステラの恐怖を倍加させ、ネオの憔悴を誘う。
「要求を聞こう」ネオは感情を押し殺し、ただそれだけを答えた。
アフロディーテはステラを捕らえたまま、中破したウィンダムを牽引しつつこちらへやってくる。その腕部が、エグザスの機体と接触した。
通信が入る。<優しいのだな。撃つのが当然の状況だが>
「俺は君ではないのでね。分かってるんだろ、俺の心」
<怒っているか? 今の貴様にはふさわしくない感情だな。こともあろうに、貴様が子供の記憶を奪い、生命を操るとは>
回線の向こうから、くすりと笑う声が漏れた。一気にネオの怒りは爆発寸前になるが、反論はできない。事実だから。
「何がおかしい」そう呟くのが精一杯だ。
<当たり前だ。記憶遊びをされた貴様が同じことをやる、これを笑わずして何を笑えと?>
戦闘が一時中断している中、サイは目の前で公然と行なわれた卑劣な行為に、さらに怒りをかきたてられていた。
「民間船が、軍に対して人質作戦かよ」
隣のアムルは冷たい。「優等生ぶるの、やめたら。あいつらは私たちを殺そうとしてるのよ」
自分の母親と恋人を、と彼女は言わなかった。
「先にやったのはあいつらだ。当然だろ」サキも同調する。社長は黙したまま状況を眺めているだけだ。
かつてフレイは言った、アークエンジェルで──「この子を殺すわ! パパの船を撃ったらこの子を殺すって、あいつらに言って!!」
皮肉にも、フレイの行為は昔と一緒だ。アマミキョを撃てばパイロットを殺す。あの少女を殺す──
その時、フレイの要求が入った。
モビルスーツデッキ、ティーダコクピットで。
ナオトが、怒りに全身を震わせて叫んでいた。「女の子を人質になんて、救助船のやることか!」
自分の鼻息の荒さを自覚しつつ、ナオトはバイザーを閉じ、続いてティーダのハッチを閉じる。
その行動を、下にいたマユとハロは面白そうに見上げているだけだ。外の状況をキャッチしたのはハロで、それを教えてナオトを爆発させたのはマユだった。
ナオトはマニュアル通りにコンソールパネルを操作し、モニターのスイッチを入れた。下で手を振るマユの姿がモニターに映る。
「しかも、マユと同じくらいの娘って! どうなってんだよ、戦争は終わったのに」
この異様な事態に、ハラジョウの赤毛の整備士が気づいた。「ちょっと待てティーダ! おいミゲル来い、奴を止めろっ」
ちょうどイザークのザクファントムはコロニー内部の守備に出ており、この場にはいない。ハラジョウからもう一人の整備士が飛び出し、ティーダに取り付こうとするが、既にティーダは固定を外して自ら発進位置に出ていた。ハマーの怒鳴り声もナオトには聞こえない。
「下がってください! 慣れてないから、吹き飛ばしちゃうかも知れませんよ!!」
フレイの要求は、アマミキョ及びウーチバラからの完全撤退。さらに、モビルアーマーのパイロット、ネオ・ロアノーク自身の身柄の拘束。
これにより、エクステンデッドや不可視戦艦の情報も得ようというのだろう。
しかもフレイは、こうも言ったのだ。
──こちらにはオーブのマスメディアもいる。少女の正体が公になれば、連合とて立場がなかろう。
自分を子鼠と呼びながら、一方では自分をダシに使う。そのやり方をナオトは許せなかった。
「自分こそ、マユをパイロットにしてる癖に!」
ティーダの動きを察知したブリッジで、アムルが叫んだ。「ちょっと待ちなさい! 発進許可なんか出してないわっ」
回線の向こうでは、ナオトの代わりにマユが答えていた。<おばちゃんの許可なんて、イヤなんじゃないかなー>
アムルの唇がほんの一瞬、強張った。一見何気ないように装っているが、次の句が思い浮かばないで困惑しているアムルの横顔──
そんな彼女を押しのけて、サイが叫んだ。「冗談じゃない! ナオト、遊びじゃないんだぞッ」
勘弁してくれ。一体何が起こった、今度は!
<分かってますよっ。ナオト・シライシ、ティーダ、出ます!>
あの馬鹿、まさかこの台詞言ってみたかったんじゃなかろうな。「何をどう分かってるんだよ!」
サイが叫ぶ間に、カタパルトではティーダが加速をつけ、一気にコロニーの空へ飛び出していく。
真っ白い雪のような機体を煌かせ、ティーダは地上のハッチを開いた。まだ慣れていない動作。
ナオトの目的が、サイには手に取るように分かる。分かりやすいほどに。何と無謀な。
「ティーダが出たぁ!?」 コロニー地上でザクファントムを操り、テロ部隊の残存勢力を警戒していたイザークはその通信に仰天した。見ると、アマミキョからひとひらの雪のような機体が舞い降りていくのが確認できた。
黒のハイマニューバ2型の捜索を続行したかったが、イザークは致し方なくティーダを追う。「あの機体の情報、確実とは思えん! 勝手な行動をさすわけにはッ」
<待ってくれ!>アマミキョから必死の声が響く。<まだテロ部隊が内部に潜んでいる可能性がある、貴方は地上にいてくださいジュール隊長!>
この声は、さっきシホを助けた青年だ。よく考えたら、それ以前にも聞き覚えがある。彼がディアッカの言っていた、アークエンジェルの──
<ティーダはアマミキョの機体だ、こちらで何とかします。パイロットがド素人なんだ!>
本日50回目の歯噛みが、イザークの口腔内で起こった。必死なのは分かるが、こいつらはティーダの危険性を理解していない。
「お前らもな! 何とかできるなら、発進前に何とかできたハズだろうが!!」
申し訳ない、という相手の声を聞きながら、イザークはコロニー外部のザクウォーリアに通信を送る。
「ディアッカ! 聞こえるか、ティーダがそっちに行った!」
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