北チュウザン首都ヤエセより、南東に約500キロ地点。
そこでは現在、ザフト軍の手により、速やかに前線基地の建設が進められていた。
目的は当然、南チュウザン軍の動向監視である。
建設が始まってまだ間もないが、基地は既にメガフロート級の規模となっていた。
これには勿論南チュウザンもプラントに対し抗議声明を出していたが、プラント側は東アジアの平和維持とのお題目のみを唱え、後は無視を決め込んでいた。
これはデュランダルが失脚した今も、同じであったが──



上空では激しい風雨が吹き荒ぶ、まだ設備も整わない手狭な基地。
その中核となるメインコントロールルームで、とあるオペレーターは、不意に飛び込んできた通信に戸惑っていた。
それは勿論──
南チュウザンによる、広範囲マイクロウェーブ発射の情報。
まだうら若い乙女と言ってもいい彼女は、突如受信したミネルバJrからの通信をすぐには信じられなかったが、上官の指示に従い、とりあえず出来る限りのチャンネルを使い、友軍に伝達する作業を続けていた。
彼女はもとより、その場の誰も、情報を俄かには信じられなかったが──
今は殆ど何の警告もなく、プラントにレーザー砲が撃たれる時代である。
だからこそ、少しでも友軍の危機を示す情報であれば、とにかく速やかに手短に伝達する。信憑性は二の次だ。
それが、通信士たる彼女の役割でもあった。
──とはいえ。
彼女はひととおりの作業を終え、うーんと伸びをする。
天井から、わずかに覗く小さな窓。そこから見えるものは、ただどす黒い雲。
外では横殴りの雨がひっきりなしに降り続けている。もう何日目になるだろうか。


──何で自分は、まだ大して設備も整わないこんなところに、派遣されてしまったのだろう。
いくら能力が平凡とはいえ、まだハタチにもならない乙女に、この地上の果てみたいな場所は、あんまりじゃない?
上官はオジサンばかりで、いい男なんていやしない。
あぁ、早くプラントに戻りたいな。ヤヌアリウスとディセンベルの復興作業が、どれだけ進んだのかも気になるし──
今、プラントも大変なことになっているのに、自分は地上でこんなに呑気にしていて、いいんだろうか。
ここの気候は今みたいに雨ばかりだし、晴れたと思ったら酷い熱射だし、湿気は酷いし
──母さんの世代は地上の自然がとか色々言うけど、やっぱり、天気が調整出来るプラントは快適よね。


そう思いながら、彼女が今日何度目かの欠伸をしかけた時。
遥か雲の向こうで、僅かに何かが光った。
──何、アレ?
ほぼ同時に、彼女のモニターがけたたましい警報音を鳴らす。
反射的に画面を確認すると、そこには敵襲を示す真っ赤な警告表示が大きく点滅していた。
慌てて上官を呼ぼうとした彼女だったが、何故かその時、頭の中で何かが響き出した──



それは、鐘の音。
天空から鳴り響く、祝福の鐘。



彼女のみならず、周囲の同僚たちも異変に気づき、咄嗟に警戒態勢に入る。
どす黒かったはずの空が、次第に光で満ちていく。
しかし彼女は──
どういうわけか、動くことが出来なかった。
動こうという意思が、わかなかった。
南チュウザンが開発したマイクロウェーブがどういうものかは、上官からの報告である程度は知っているつもりだった。
しかしせいぜい、人間の動きを多少阻害する程度のものだろう。
大量殺戮兵器でないのなら、そこまで問題にはなるまい──
前線のパイロットならば非常に危険だろうが、自分は後方支援の通信士にすぎないし。
彼女は、そう認識していた。
そんな甘さは彼女のみならず、周りの者や上官さえも同じだったが──


今、件の光をまともに浴び、彼女は改めてその恐ろしさを思い知っていた。
いや、素晴らしさを知ったと形容した方が正しいのかも知れない。
彼女が感じたのは恐怖ではなく、むしろ、これまで感じたことのなかった平穏。
母の腕に抱かれた幼き日のような、暖かさ。


私はどうして、戦おうなんて思ったのだろう?
そもそも何故、ザフトに入ろうなんて思ったのだろう?
友達がみんなそうだったように、普通の会社に就職するでも、進学するでも良かったんじゃない? 
いや、それすら必要ない。
誰かいい人見つけて、ずっと好きな絵を描いて、唄を歌って、ゆっくりのんびりと──
そう、フレイ・アルスターも演説で言っていたじゃない。
ただ、平穏のみを求めればそれで──



強烈さを増す光と、鐘の音。
彼女の周囲の者たちも彼女同様、全く動けず銅像のように固まっていく。



明日、ううん、今すぐにでも除隊届を出そうかな。
一応、机の引き出しの隅にいつも──
そこまで考えた時、彼女の意識は消失した。




 


PHASE-41 雨と太陽の交わる処




 

「酷いものだ……」
マイクロウェーブ照射から、数時間後。
悪天候の中、ミネルバJrは、ザフト軍メガフロートへ到着していた。
南チュウザンが開発した新兵器たるセレブレイト・ウェイヴ。地上における初めての犠牲となったはずの、前線基地へ。
艦長たるアーサー・トラインは直接現場へと降り立ったが、その時の第一声がこれだった。
一見、物理的被害はほぼ皆無に思える。
アーサーたちがこれまでよく目撃したような、元の形状が想像できないほどの絶望的な破壊ではない。
しかし、人が動く気配が全くない。
否、人は確かに存在している。だが──


「艦長! こちらも駄目です」
「東棟の第三発電機、作業中だったのがそのまま放置された模様。
火災が発生しています」
「食堂でも、オーブンの中でパンが炭になって放っとかれてましたぜ……」
偵察に向かわせた人員が何人か戻ってくるが、いずれも希望の見えない報告ばかりだった。
ガス漏れを警戒しつつ、アーサーは基地の基幹たるメインコントロールルームに入っていく。
まだ若いオペレーターたちが、白く明滅するモニターの前で、全員倒れていた。
その中の一人、緑服の女性の前にしゃがみ、アーサーはゆっくりと首筋に手を伸ばして脈を診る。


──生きている。しかし……


確認した限りでは、基地内の人間たちは外傷もほぼなく、ただ、その場に倒れていただけで──
死亡に至った者はいなかった。3名ほど、建設作業中に落下したと思われる者を除いて。
だが、殆どの人間は、アーサーらが呼びかけても目を覚まさない。応答もしない。
脈はあるが、脈があるだけだ。
まるでおとぎ話の氷の城の如く、全員の時間がそこで停止させられたかのように、人間としての活動をストップしてしまっている。
それでもどうにかしてアーサーは、ここから一人でも無事に帰還させようと考え──
眼前の、通信士らしき女性の肩を、少し強めに揺さぶった。
通信室内で彼女の席は、あまり日光の届かないところにある。照射されたと推測される光はそこまで届かないはずだ。
とはいえ恐らく、セレブレイト・ウェイヴは光のみならず、振動によっても攻撃してくる。光の届かないはずの地下にいた人間でさえ、全員倒れてしまっていたのだ。
それはもう、アーサーも分かっているが──
「おい!
起きてくれ。ここで何があったんだ、教えてくれ!!」
わずかな希望に縋らずにいられず、彼は通信士を揺さぶり、呼びかけ続ける。
部下たちはそんな彼を、完全に諦めの表情で見つめていた。中には、無駄だとばかりに首を振っている者もいる。
しかし、アーサーの懇願に応えるかのように──
彼女の瞼が二、三度、僅かにピクピクと動いた。
やがてその瞼はゆっくり開き、大きめの黒い眸が真っ直ぐに、かなりの無遠慮さを伴ってアーサーを見つめる。
思わぬ奇蹟に、アーサーの声が跳ね上がった。
「君!
大丈夫かね、意識は……そうだ、担架を」
彼は慌てて我に返り、部下たちに指示を下した。
そして彼女はそんな彼の前で、何故か泣きそうな表情で声を出す。


だが、発されたその言葉は──
彼女に一縷の希望を見いだしかけたアーサーを、絶望の底に突き落とすものだった。


「あ、あの。
私、除隊届を出さないといけなかったはずなんですけど……
じょたいとどけ、って、何でしたっけ?
ていうか、ここ、どこですか?
私、がっこうに、いた、はずなのに。はやく帰らないと、かあさんに怒られちゃう……」





ミネルバJrハンガーでは──
急遽、ティーダ・Zのコクピット周りの改修が進められていた。
勿論、ナオトとルナマリアだけでなく、サイを乗せられるようにである。
それに伴い、サイ自身も普通にハンガーに出入りしていた。
当然整備士たちはいい顔をしなかったが、事情が事情だけに仕方がない。


セレブレイト・ウェイヴ発射の衝撃。
それが、ティーダ出動の緊急度をさらに高めていた。
人間から、最低限の生命活動以外の全てを奪い、一瞬で基地の機能を麻痺させる恐るべき兵器──
新兵器の脅威を目の当たりにして、艦長たるアーサーは帰還してからも動揺を隠せず、それは自然と乗員たちにも伝わっていた。
一瞬の爆光による、メガフロートの壊滅。
しかも基地そのものの破壊を殆ど伴うことなく、命も奪わず、ただ、機能だけを停止させる。
それが、セレブレイト・ウェイヴの正体。
サイ・アーガイルの齎した情報は、決して偽りではなかった──
アーサーやアビー以外の乗員は殆どがサイをろくに信用していなかったが、この事態を前に、慌てて動かざるを得なくなっていた。
一刻も早く、チュウザン方面に残されたザフトの友軍、及び住民たちを、新兵器の脅威から避難させる為に。


整備士たちが忙しなく動き続けるハンガー。
ティーダコクピットでは、ヴィーノが補助席を装着している横で、ルナマリアがナオトのパイロットスーツの様子を確認している。
ザフトのパイロットスーツが慣れないようで、ナオトは少々不満そうではある。
しかもモニターで確認する限り、今向かっている北チュウザン方面の天候は、これ以上を望めないほどの激しい雷雨ときた。
「チュウザンの雨はもう慣れましたけど……
こりゃ、一段と酷そうだなぁ」
そんな時、キャットウォークを経由しながら、サイが彼らの前に現れた。
「ごめん、遅くなった。よろしく」
そんなサイの声に、ヴィーノは何気なく振り返った──が。
「おう、準備出来たか……
って、え!?」
サイの姿を一目見て、絶句するヴィーノ。
気付いたナオトもルナマリアも、目を剥いてしまう。
「え、えっと、サイさん?」
「ちょ、ちょっと! そのカッコで出るつもりなの!?」


サイは別に、これといっておかしな恰好をしていたわけではない。
それまでと同様、グレーのタキシード姿のままだった、というだけである。
しかし、これからモビルスーツに乗って戦場に出ようという時に、タキシード姿とは──
驚く三人をよそに、サイは両手に嵌めた黒いグローブの具合を確認しながら、淡々と話す。
「大丈夫。
防弾チョッキは中に着たし、靴もマグネット入りのに変えてる」
「だから、そーいうことじゃないわよ!
貴方、戦場ナメてるの!?」
思わず怒鳴るルナマリアにも、サイは冷静だった。
「そう思われても仕方ないけど、舐めてなんかいない。
ただ、ザフトのノーマルスーツや制服を着ていると、住民救出の時に支障になることがあるんだ」
「な、何それ……」
「どの地域に降りるかにもよるけど、チュウザンはまだ、コーディネイターやザフトを恐れる住民も多い。
救助の手を差し伸べたにも関わらず、ザフトの恰好をしていたというだけで、住民側から激しく拒絶されたって例も、少なくないんだ。
中には発砲された、なんて事件もあったりね。
だから、出来れば君たちも、ザフトだと分かる装備は避けてほしいんだけど……
そこまですることは出来ないから、せめて俺だけでも、ね」
理路整然としたサイの説明に戸惑いながらも、ヴィーノも反論する。
「だからって、タキシードのまんまはねぇだろうが!!
ノーマルスーツがダメなら、俺の服でも何でも貸してやっから!!」
「それ、タキシードより丈夫だっていう保証はあるかい?」
即座にこう返され、何も言えなくなるヴィーノ。俺の服、結構ヒラヒラな奴が多いからな。
「タキシードって意外と、どんな気候にもある程度は耐えられるんだ。
モノがいいと、ヘタにノーマルスーツ着るより動きやすい。
それに、俺がこの恰好で戦場に出ていくことで人目にもつくだろうから、住民の誘導もやりやすくなる」
その言葉で、ヴィーノもルナマリアも絶句しかけた。
「え……?
ちょっと待て。お前、それ……」
「まさか、外に出る前提で言ってるの?」
今更何を当然のことをとでも言うように、サイは二人を眺める。
「基本、そのつもりだけど。
でなきゃ、住民の誘導及び救出なんて出来ないだろう?」
「だ、駄目ですよサイさん!」
さすがにナオトも止めに入る。「普通の天候ならともかく、今のヤエセ付近は特に酷い嵐です! 無茶ですって!」
問題はそれ以外に山積みだと思うけど、と言いたげなルナマリア。
しかしサイは、聊かも態度を変えないどころか、多少おどけた仕草まで見せながら言った。
「いいじゃないか。
アークエンジェルに乗ってたオーブの俺が、アマミキョと住民たちを助ける為に、ザフトの艦に乗って、オギヤカの花婿衣装で、ザフトとチュウザンとオーブの手で造られたモビルスーツで飛び出す──
これって、なかなかロマンがあるんじゃない?」
「馬鹿なこと言わないで! 私たちは真面目にやってるのよ!?」
「言っておくけど、艦長には許可を取ったよ」
「えっ?」
アーサーがこれを許したというのか。あまりの意外さに、ルナマリアも沈黙せざるをえない。
「今俺が言ったことをそのまま説明したら、納得してくれてね。
連合では許されないだろうが、ザフトはそのあたり柔軟だから、って。
それでも私服を何着か勧められたけど、サイズが合わなくて無理だった」
それを聞きながら、ヴィーノは一旦ティーダコクピットから離れた。
ボソリと突っ込みつつ。
「……死んだって、知らないぜ」
「分かってる。
俺の目的は、まだヤエセ停泊中のアマミキョと、その周辺住民を助け出すことだ。
それまでは、絶対に死ぬつもりはない」
場を離れかけたヴィーノに、敢然と言ってのけるサイ。
思わず反論しようとしたヴィーノだったが、不意に背後からその肩が、強引に掴まれる。
彼を止めたのは、同じ整備士の仲間らだった。
「おい、もうよせよ。
そいつがそうしたいって言うなら、すればいいだろう」
感情をどうにも抑えられないヴィーノ。「無茶だって! あいつ、このままじゃ……」
しかし、そんな彼に対する仲間の返答は、酷く冷淡なものだった。
「死んだって構わなくね? 
どうせあいつ、多分ナチュラルなんだろ」
一応、サイたちには聞こえないよう、ぼそりと呟かれた仲間の言葉。
その一言で、ヴィーノは我に返る──


──そう。
死んだって関係ない。だってあいつは、ナチュラルなんだから。


数日前までの自分だったら、そう思っていただろう。
しかし、今はそんな仲間たちの言葉に、違和感を覚えずにはいられない。
実際にナチュラルと接する前と後で、こうも違ってしまうものか。
多分、仲間たちにとっては今の自分のほうが、よほどの異物だろう。大勢の同胞を殺した下劣なナチュラルなのに、何故──
下手にヴィーノを責めたりしない分、彼らは人間が出来ているという見方も出来る。
そりゃそうだよな。俺、ちょっと前まで、冗談半分だったにしろ──
地上が焼けてしまえばいい、とまで言い合っていたんだから。


おし黙ってしまったヴィーノの耳に──
突然、マッド・エイブスの叫びが轟いた。
「おい、全員モニター見ろ!
例の基地の映像が出回ってる!!」
思わぬ事態に、ヴィーノもルナマリアも、そしてサイもナオトも一斉に、ハンガー中央付近に設置された共用モニターに注目した。
そこでは──
数時間前、艦長らが目撃したばかりの基地の様子が、何故か克明に映し出されている。
それも、テレビニュースといった形で。


物理的な破壊はされていないものの、ゴーストタウンに近い様相となってしまった基地内部。
無傷に見えるのに、倒れたままぴくりとも動かない、ザフト兵たち。
鎮火がなされず、延焼が広がっているボイラー付近。
目を覆うような流血は殆どないものの──
僅かな呼吸と脈があるだけで、他の生命活動をほぼ停止させられている人間たち。


サイたちが初めて目にする、セレブレイト・ウェイブの惨状。
その映像は、オーブ経由の報道によるものだった。
光が照射された直後、ミネルバJr以外に、基地に立ち寄った者がいたのか。
サイは食い入るようにその映像を見ながら、歯噛みする。
「まさか……ミリアリア?」





「これで、良かったんですよね?」
「そうね。ありがとう」
同時刻。
既にヤエセに停泊中の、アークエンジェル内ブリッジで。
メイリン・ホークは、おずおずとミリアリアに確認を取っていた。
彼女の眼前のモニターには、先ほどミネルバJrに流されたものと全く同じ映像が流れている。
ある人物からミリアリアに齎された、セレブレイト・ウェイヴ照射の情報。
それを受けて、半信半疑ながらも彼女は持ち場を一旦離れ、カメラマンとして現場へと向かった。
情報は正確だった。物理的破壊を伴わないが、より深く強烈な衝撃を伴う兵器──
人の尊厳を奪う兵器。
何とか意識を取り戻した人間も数人いたが、彼らは全員、それまでの記憶を失い、自分が何者かすら分からなくなってしまっていた。
ミリアリアは忘れられない。目覚めはしたが、意味不明な言葉を発し続けていたザフト軍の兵士たちを。
恐らく当分──
いや一生、彼らは戦場へは戻れまい。下手をすれば、日常生活にも。
撮影中にザフト軍が来た為、逃げるようにその場を離れたものの──
そんな彼女の取材の成果も、きちんと公共の電波に乗せられている。
凄惨な映像を再び前にしながら、ミリアリアは思い出す。最初にこの情報を齎してきた人物の声を。
懐かしいはずの、永遠に喪ったはずの、あの声を。



──君がカメラマンとして久々に活躍出来る、絶好の機会だと思うけど?



カメラマンを目指すきっかけを作っておいて、よく言うわね。
思わずぼやきそうになるのを、ミリアリアはどうにかこらえ、メインモニターごしに空を眺めた。
もうすぐ戦場となるやも知れぬヤエセの空は、昼のはずなのに夜より暗い闇に覆われている。
港には、アークエンジェルとそう離れていない距離に、新生アマミキョが停泊していた。
あそこには、サイが必死で集めた仲間たちがいる。
あの、奇妙な通信ごしに齎された情報──
「彼」によれば、サイたちは連合の施設に捕らえられていたが、どうにか脱出したらしい。その後の消息は分からないそうだが。
そして、キラたちは──
ミリアリアは必死で頭を振る。
いや、そんなことがあっていいはずがない。キラとラクスともあろうものが、既に──
しかし、「彼」が言っていたセレブレイト・ウェイヴの情報は確かだった。
「彼」が本物かどうかは、とりあえずこの際考えないことにした。今問題なのは、「彼」の言葉が信用に足るかどうかだ。
彼の言葉を丸ごと信用するならば、これからチュウザン本島周辺を中心に、次々にセレブレイト・ウェイヴの照射がなされるという。
北チュウザンの制圧が成れば、次はどこへ標的が移るか。
「彼」からの情報を、ミリアリアはひととおりマリュー・ラミアスにも伝えていた。恐らく、彼女を通じてアスハ代表にも情報は行っている。
結果、オーブ経由でミリアリアによる映像が報道されている。この新兵器による世界の危機を伝えながら。
「彼」の情報が全て正確なら、最早キラたちは──


アークエンジェルに再搭乗して以来、殆ど恐怖を感じたことのなかったはずのミリアリア。
弱い自分と訣別するべく、アークエンジェルに戻ったはずの彼女。
だが、ミリアリアは今再び、恐怖を感じていた。
その恐怖は、「彼」の声を聞いてしまったことで、さらに増幅されたと言える。


どうして、今なの?
どうして、今、そういうことを言うの?
何故今、貴方は私のもとへ現れたの? 
サイのもとに現れ、サイを混乱させたフレイのように。
声だけじゃ分からない。せめて、姿を一目だけでも──


しかし、ミリアリアの心が混乱しかけた、その時。
「御手柄だな、お嬢ちゃんたち。
これで南チュウザンの悪行も、全世界に轟くというわけだ」
そんな軽い言葉と共に肩を背後から叩かれ、ミリアリアもメイリンも慌てて振り返る。
彼女らのすぐ後ろでは、最早見慣れた金髪の男、ムウ・ラ・フラガが悠々とウインクまでかましていた。
「も、もう! 急に出てきてびっくりさせないで下さいよぉ」
「そうですよ、一佐。
それに、そろそろまたちゃんと名前で呼んでもらえませんか? いつまでもお嬢ちゃんは……」
「あぁ、スマンスマン。それじゃ、ミリアリアお姉様がた」
やたら軽いノリのフラガ一佐に、張りつめていたミリアリアの気分が少しばかり解れた。
そんな彼女に微笑みかけながら、フラガは言う。
「まぁ、そう心配するこたぁないさ。
キラはちゃんと生きてるよ。だから俺も、結構余裕かましていられる」
「え? わ、分かるんですか?」
メイリンが驚いて、フラガに尋ねた。


そうか、メイリンは知らないのか。フラガ一佐の、奇跡的なまでのカンの良さを。
詳細はミリアリアにもよくは分からないが、ラミアス艦長の説明によると、彼は通常よりも空間認識能力が優れているのだそうだ。
それと、キラの無事が分かるというのが、何の関係があるのかはよく分からないが──
彼が言うなら、大丈夫。
キラやラクスの言葉にもよく似た、理由なき力強さを、フラガにはよく感じる。
それもあって、彼はキラたちが不在の今、より一層頼りがいのある存在となりつつあった。
実際、このヤエセ近郊までアークエンジェルが全くの無傷で降りられたのも、彼とアスランのおかげである。ついでに言えば、ミリアリアが無事撮影に成功し戻ってこられたのも、だが。
「この雨のせいかどうかは分からんが、俺の頭、いつもより冴えわたってる気がするんでね。
だから、大丈夫だよ。あの坊主も──
そんで多分、眼鏡君もな」
言いながら、ふとフラガはどす黒い空を睨んだ。


「……随分とヤバイのは、間違いないが」


そんな彼の呟きを、ミリアリアは決して聞き逃さない。「何がですか?」
「さっき、艦長から聞いたんだが。
どうも南チュウザンの奴ら、マイクロウェーブと同時に、相当不味いモンを持ちだしたらしい。
世界中の戦場から分け隔てなく兵器を盗みコピーしまくる、条約無視のチート野郎どもだ。何が来てもおかしくはないが」
その言葉に、メイリンが青ざめる。「まさか──
デストロイ、なんてことはないですよね?」
先ほどと違い、フラガは笑みの欠片も見せない。それは、メイリンの想像が決して飛躍ではないことを物語っている。
「さすがに数は少ないだろうが、ありうる。
その情報はここだけじゃなく、連合軍にも出回っているらしい。さっき、山神隊の連中に確認した」
「そんな──」
もしそうなら、連合軍もアマミキョも住民も、完全に追い詰められたということじゃないか。
その情報が回っただけで、今の連合軍は前線が混乱してしまう可能性すらある。
動揺する二人の女性の前で、フラガは固い表情のまま、何かを探ろうとして空を睨み続けていた。
「かつてフレイ・アルスターは、命を賭してこの土地とアマミキョを守ろうとした。そいつは俺も知ってる。なのに──
何を考えてやがるんだろうな……あの嬢ちゃんは」



「何を考えてやがるんでしょうね、ネオ・ロアノーク……
いや、ムウ・ラ・フラガの野郎は」
アークエンジェルから、距離にして300メートルほど離れた、ヤエセ近郊港湾内。
新生アマミキョのブリーフィングルームで、山神隊・伊能大佐はため息を禁じ得なかった。
「かつての連合の暴挙によるものとはいえ──
あんたも同罪なんですよ。マリュー・ラミアス」
「あら。私は、マリア・ベルネスと申します」
「何を今更。
こっちが連合のはぐれ者部隊だからって、舐めてもらっちゃあ困りますよ。
それに、例えホントにあんたが、ラミアスじゃなかったとしてもだ──」
「あ、あの、お二人とも?」
伊能大佐とマリュー・ラミアスは、アマミキョ・シュリ隊隊長たるトニー・サウザンを間にして、静かに睨み合っていた。
連合軍に属する伊能にとって、アークエンジェルのマリュー・ラミアスとムウ・ラ・フラガは裏切り者である。
アークエンジェルが連合上層部の罠に嵌まり、サイクロプスに巻き込まれかけて何とか脱出したところまでは伊能も十分分かっているし、同情さえしている。
その後連合に牙を剥いた点に関しても、彼らが逃げ込んだオーブやその周辺の状況を鑑みれば致し方ないと言えるし、結果的にパトリック・ザラの暴走を止められたのも、アークエンジェルの功績あってのことだろうと──
伊能もどうにか、そこまでは納得している。
しかしこの女は、ラクス・クライン共々、何故また戦場に出ようとしたのだ。
しかも戦場を荒らすだけ荒らして、争いを止めるどころか混乱させるばかりだった。
こいつらを追っていた最中、風間も命を落とした。彼女の直接の死因はアークエンジェルではないと、分かってはいるが──


風間の死を最初に伝えてきた時の、広瀬の慟哭。
彼女の顛末を努めて冷静に報告してきた時の、サイの疲れきった表情。
サイの報告を受けて部屋を静かに出て行った、山神隊長の背中。
それらを思い出すと、自然と怒りがわいてくる。


「サイ・アーガイルは健気な男だ。
奴の顔に免じて、ここは敢えて協力するが……
こっちにはあんたらへの恨みが山ほどある。それは、覚えておいてくれ」
「承知しています」
「確かに、あんたらがいなきゃ、デュランダルの暴走も止められなかったかも知れんが──
それとこれとは別問題だ。あの男にも伝えておいてくれよ」
言いながら、伊能はドアの方向を睨む。
ラミアスに先だって、伊能から逃げるように飄々と部屋から出て行ったあの男。
伊能は既に見抜いている。彼が、かつてファントムペインの子供たちを率いてチュウザンにもやってきた、ネオ・ロアノークであり──
ラミアスと共に連合を裏切った、ムウ・ラ・フラガであることを。
「子供らがどうなったかも聞かずに、よくもまぁしゃあしゃあと俺らの前にツラを出せたもんだ」
ヤエセ到着の直前、偶然ではあるが、フラガの駆るアカツキと伊能は見事な連携を見せ、南チュウザン軍を撃退した。
彼の実力は伊能も認めるところであるが、やはりそれとこれとは別問題である。
そんな伊能に、マリア・ベルネスを名乗るマリューは静かに言った。
「……どうかもう、触れないであげてください。
ファントムペインの顛末については、彼も既に知っています」
「触れないであげろ、だと?」
彼女の、状況に似つかわしくない穏やかすぎる言葉に、伊能は遂に怒りを抑えきれなくなる。
──彼女の言葉は、フラガが隠している苦悩を知っているからこそのものだ。
しかし、そんなもの知ったこっちゃない側がそう言われたら、怒るしかないだろう。
「年端もいかぬ子供を薬づけにして、記憶まで操作してモビルスーツにぶちこんでおいて!
当然のように塵となって死んだら、もう触れるなってか?
下っ端が何も知らないわけじゃねぇぞ。俺はこれだけは我慢ならねぇ」
「ま、ま、まぁちょっと!! 
落ち着いてくださいよ、伊能大佐」
あまりに険悪になった二人の間に、慌ててトニーが割って入った。
「今は、目の前に迫った事態にどう対処するかのほうが先です。
お願いしますよ」
言いながらトニーも、じっとマリューを軽く睨む。「我々もアークエンジェルを追っている最中、貴重な仲間を失った。
貴方がたに、怨みがないわけではありません。
しかし……しかしです!」
大げさと思えるほど腕を振り回し、トニーは力説する。
「船を失い離散した我々を、再びこの地に集結させたサイ君ならば言うはずだ。
今は、過去の怨恨に拘泥している時ではないと!」
「分かってるよ、隊長。
だから俺も、あの男に殴りかからなかった。そこは認めてほしいなァ」
伊能はトニーの心意気に応えるかのように、わざとらしく肩を竦めてみせる。
確かに、トニーの言うとおりなのだが──
「分かっちゃいるが……
そのサイ君は、ちゃんと戻ってくるかね」
「それは……」
さすがのトニーも、すぐには答えられない。自分が聞きたい、という顔をしながら。
伊能にもトニーにも、何となくではあるが、サイは生きて戻ってくるという確信がある。
しかし、その確信がどこからくるのか、彼ら自身にもよく分からない。
彼がカズイ共々、連合の施設に捕らわれたという話は聞いてはいたが、その後の消息は全く不明だ。
既に殺されたか、一生出ては来られないか──
混乱を避ける為、トニーも伊能もその情報を決して周囲には洩らさなかったが、どういうわけか彼らはサイの生存を確信していた。
ただ、何故なのかがはっきりとは言えない。
サイを信じているから──などという、漠然とした感傷に起因するものではないことは確かなのだが。
しかしその時、思わぬところから声が響く。
「──副隊長は、帰ってきます」
部屋の隅から、遠慮がちながらも発された声。
それまでずっと、ブリーフィング内容をモニターに記録し続けていた、ヒスイ・サダナミの声だった。
彼女はトニーらから視線を外し、じっとモニターを見つめながらも、はっきりと言った。
「必ず、帰ってきます。
私が言わなくても、隊長はお分かりのはずでしょう?」
そんなヒスイに──
トニーも伊能も、勿論マリューも、返す言葉を持たなかった。





「大変、申し訳ありません。
マユ様は、ちょっと地上でまだお仕事があるとのことで。
かわりに私が、シン様をご案内に参りました!!」
意味の分からないままオギヤカに収容され、注射を打たれて眠らされ。
ようやく目覚めた時、シン・アスカは個室で横たわっていた。


この子は、誰だ?
──レイ?


目を開けてすぐ視界に入ったものは、無邪気な笑顔をこちらに向けながら早口でお喋りしてくる、年端もいかぬ金髪の少女。
何故彼女を、かつての親友──レイ・ザ・バレルだと勘違いしたのか、シンは自分の思考がよく分からなかったものの。
すぐに、彼女の正体に気づいた。
「君は……
確か、フレイ・アルスターのそばにいた……?」
「あら! 覚えていてくださったのですね、姉上の演説を!」
花のように朗らかな、少女の笑顔。
薄い水色を帯びた大きな瞳が、まっすぐにシンを見つめている。
「申し遅れました。私はフレイ・アルスターの妹、レイラ・クルーと申します!
これからウーチバラまでしばらく、シン様と行動を共にさせていただくことになりますわ。
よろしくお願いいたします!!」
ぽかんとしたままのシンに、勢いよく自己紹介しつつウインクまでしてみせるレイラ。
言いながら彼女は、シンの枕元すぐ近くに配置されていたキャビネットから、慣れた手つきで服を取り出した。
それは、何とも見慣れない、黒い制服らしきもの。
しかしよく見ると、ザフトの赤服と形状が似ている。赤服の紅と黒の部分を、そのまま反転させたような感じだ。
「シン様のためにと思いまして、用意させていただきました。
我が南チュウザン軍の制服ですわ。もっとも、きちんと着用している者は少ないのですけど」


南チュウザン軍だと。
何を言っているんだ、この娘は?


「俺は、南チュウザン軍に入ったつもりはないけど?」
「あら。
貴方は自ら、マユ・アスカの手を取られたのではないですか?」
「そうだけど、俺は真実を知りたかっただけだ。
妹が何故生きているのか。
死んだはずの妹を使ってまで、俺を誘ったのは何故なのか。
事と次第によっちゃ、ぶん殴る準備は出来てる。妹を弄んだ奴を」
レイラはじっとシンを見返していたが、やがてふと笑みを消す。
──やはりこの仕草、どこかレイを思わせる。
「今は、そういうことにしておきましょうね」
「どういうこと……だよ」
レイラの物言いに若干腹が立ったものの、相手にどういう言葉遣いをしたものやら分からず、つい語尾を濁らせてしまうシン。
「しかしながら……
その恰好のまま外に出られるのは、多少問題があるのでは?」
「え?
って、う、うわぁ!?」
言われて初めてシンは、自分が下着姿同然で寝かされていたことに気づいた。
着用していたはずのパイロットスーツはどこへやら。アンダーシャツさえも脱がされ、新しいものに替えられている。
若干赤くなりつつも、シンはボソボソ呟いた。
「……他の着替え、ないの……ですか?」
敬語を使うべきかどうか考えあぐねるシンに、思わずレイラは軽く吹きだしてしまう。
「失礼。用意できたのはこれだけですわ……
ま、お気になさらず! 特にここオギヤカでは、軍服などあってなきが如きもの。
外を回れば、お分かりになると思います!」



レイラ・クルーと名乗る少女の、どうにも逆らい難い雰囲気に呑まれ。
シンは言われるがままに南チュウザン軍服を着用し、彼女の案内で外に連れ出された。



部屋から出た瞬間の軽い浮遊感で、シンはすぐに分かった──
自分のいる場所が、既に宇宙であることを。
レイラによれば、ここは宇宙空間へと出発した戦艦・オギヤカ内部。
もっと正確に言えば、分離した巨大戦艦オギヤカの、航宙用パーツにあたる部分らしい。
恐らく自分は、あの時地上のオギヤカに収容されてから、何らかの方法でこの宇宙艦まで運ばれたのだろう。
南チュウザンが隠し持っていたマスドライバーによってか、それとも地上のオギヤカから直接宇宙に撃ちだされたか。
いずれにせよ、今のシンには些細なことではあったが──


いくつものエレベーターを乗り継ぎつつ、どこまでも広く複雑な艦内を見て回るうち、レイラの言葉が嘘でないことはすぐにはっきりした。
ザフト艦の内部とそう変わらない内装の通路を、忙しなく行き交う人々。
その服装は白衣やら整備服やらコックやら学校の制服らしきものやら実に様々で、中には明らかに私服の者もいた。
いや、それより何より、シンが驚いたのは──
「何で……
ザフトの緑服と、連合のヤツが会話してるんだ?
アレ、確か連合の少年兵用の制服じゃ」
考えられない。
シンの目と鼻の先で、見慣れたザフトの緑服の少年と、青い連合軍服の少年が、普通に言葉を交わしている。
それを聞いて、レイラは当然というように胸をそらした。
「これが、オギヤカ流というものですわ。
オギヤカ内部ではザフトも連合も、ナチュラルもコーディネイターも……
もっと言うならば、年齢も男女も美醜も出生も、一切関係ないのです」
「完全に実力主義の世界ってことか」
「それも、ちょっと違いますが……」
「違う?」
レイラは少し黙り、シンの先を足早に歩く。
その小さな背中には、先ほどの朗らかさは感じられない。
やがて、彼女は静かに言った。


「私たちが目指すものは──
人が人に優劣をつけない世界、です」


彼女の横顔に、何故か再び、レイ・ザ・バレルが重なる。
単に髪や肌、瞳の色が似ているという以外の何かを、シンは感じずにはいられない。
眼前の、連合兵服の少年に話しかけるレイラ。
「トール、お勤めご苦労でした。
短時間であの任務をこなすのは、骨が折れたことでしょう」
栗色の癖毛が目立つその少年は、ため息をつきながら言う。
「……フレイに言われましたよ。
レイラをきちんと見張っていなかった罰だって」
「そうだぞ、レイラ」ザフトの緑服を着た金髪の少年が、トールという名の連合兵の肩を無遠慮に抱きながら、不満げに唇を突きだした。
「サイに肩入れしたい気持ちは分かるさ。俺らだってそうだった。
だが、既に匙は投げられちまったんだ。一発目の祝砲は放たれた──
フレイも御方様も、もう止められない。
どちらもな」
その金髪はやがて、シンの方へ視線を向ける。
「だからフレイは、無茶してでも連れてきたんだろ。
デスティニーごと、彼をさ」


デスティニー?
俺の機体も、ここへ収容されたのか。


訝しむシンを横目に、レイラはその背の高い金髪を見上げる。
「ミゲル──
私はまだ、姉上は希望を捨てていないと思っていますよ。
サイ様を逃がした私に、そこまでのお咎めがなかったのが何よりの証拠。
姉上がシン様を先にこちらに呼ばれたのも、お考えがあってのことでしょう」
「俺も、そう思っていたいさ。
俺たちの姫が軛から逃れ、本当に想いを全うするつもりだとな」
ミゲルと呼ばれた金髪は片手を振りつつ、そそくさとシンたちのそばを通り過ぎていく。
連合軍服の少年も、ちらりとシンを見定めるように眺めつつ、ミゲルの後を追っていった。
レイラは彼らを見送りながら、改めてシンに向き直った。
「さ、シン様。こちらです──
私の姉、フレイ・アルスターが、貴方を待っています」
そう言ってレイラが指し示したのは、メディカルルームらしき場所に繋がるエア・ロックだった。


シン様、か。
なんか、慣れないな。そう言われるほどのモンじゃないってのに、俺は。


レイラの言葉に若干くすぐったさを感じながらも、シンは彼女についていく。
ザフト艦で聞き慣れたものとそう変わらない空気音と共に、開かれる扉。


まず目に入ったものは、
眩いほどの白い部屋に、延々と連なっているガラスの箱。
縦横20メートルはあろうかという広さの部屋に、整然と並べられているガラスの列。
一瞬ベッドかと思ったが、少し違うようだ。棺桶のようにすら見える。
「な、何だこれ……
ここ、医務室かなんかじゃないのか?」
「一応、メディカルルームという位置づけにはなってます。
恐らく、シン様の知る治療とはちょっと違うものが施されておりますが」
シンがすぐ見おろせる位置のガラスの箱は、中のほぼ全てが青い水で満たされている。
何の液体かは、シンにはまるで分からない。
しかし、無数にあるガラスの箱のうちいくつかには、何かが入れられていた。
よく見ると、それは──


幾重ものチューブに繋がれた、人間の裸体。
口には人工呼吸器らしきものに繋がれ、小さな泡をたてながら、水中で僅かに鼓動している、人間らしき何か。


「──これ、人間なのか」
「当然です。
シン様は初めてですから、驚かれるかと思いますが──
これは元々、連合軍が開発した医療装置なんですよ」
「連合が? 南チュウザンじゃなく?」
「一般的に、ナチュラルはコーディネイターに比べ、肉体が脆弱です。
しかし、だからこそ医療が発達する。
こちらにある装置は、通常の治療では全治半年はかかる負傷を、1カ月で治せるものです。
連合軍の中枢に近い基地なら、このような医療機器は珍しくないはずですわ」
氷の宮殿の如く、ひんやりと静まりかえった白い部屋。
まるで凍ったように動かず、装置の中で泡だけを吐き続ける人間たち。
いるだけで身震いを禁じ得ない、そんな部屋の中央に──


紅い髪を肩まで降ろした女が、独り、立ち尽くしていた。
雪の壁に囲まれたが如き室内において、その髪色は余計に鮮明に映る。
シンと同じ軍服を着用しているその女に、彼は確かに見覚えがあった。
あれは──


「姉上!」
シンがその名を口にする前に、レイラが彼女へと駆け寄っていく。
足早ではあるが、何故か先ほどまでの朗らかさはないように思えた。
「シン様を、お連れしました」
女は当然のようにレイラを振り返り、低い声で答える。
「苦労をかけた。
ごく短期間での地上との往復は、さすがに堪えただろう?」
レイラは若干肩をすくめ、囁くように言った。少し不真面目な態度を故意に装って。
「姉上の愛しの御方を逃がしてしまった、罰ですもの。
その程度は、我慢しますわ」
明らかに作り笑いと分かる、レイラのぎこちない表情が彼女を見上げる。
「サイの件は、今はいい。
お前の意見も一理あったからな」
彼女は全く笑わず、かわりにレイラの金色の頭にそっと、片手を軽く乗せた。
その行為にレイラは少しばかり驚いたようだが、頭を撫でられてちょっと気持ちよくなったようだ。
しかし、女の口調は変わらない。
「確かに、ここは歪んだ場所だ。
サイを公に手中にすることで、奴を守るつもりだったが──
それだけで、あの方が止まるはずもない」
「情報は存じております。
既に、キラ・ヤマトとラクス・クラインは……」
「だからこちらも、急ぐ必要があった」
紅の髪の女は、そこで初めてシンを振り返り、じっと彼を凝視し──
やがて、静かに口を開いた。
「特に怪我もなさそうで、何よりだ──
シン・アスカ。面と向かって話をするのは、初めてだな。
私は、フレイ・アルスター。
タロミ・チャチャ第三王妃として、南チュウザンの軍務を任されている」


聞きたいことは、山ほどあった。
何故、一介のザフト兵に過ぎない自分を、機体ごと攫ったのか。
自分が会ったあの「マユ・アスカ」は、何者か。
何故、自分やマユが……


「聞きたいことがありすぎて、何を聞いていいのか分からないという顔だな」
いきなり思い切り図星をつかれ、シンはさらに黙らざるを得ない。
「まぁ、よい。
質問があれば、私は全て正直に答えるつもりだ。
だが、お前は──
最終的には自ら、あのマユ・アスカの手を取ったのだろう?」
先ほどレイラにも言われたが、それは否定しないシンだった。
訥々とながら、シンは正直に心のうちを明かす。
言葉選びに一瞬迷ったものの、シンは日常の言葉を使うことにした。
相手が本当に、素直に心を打ち明けるつもりなら──
「自分は……俺は。
ただ、あんたたちが何をしたいのか、知りたいだけだ。
マユを使ってまで、俺を捕まえて。
多分あんたは、俺を必要としてくれるんだろう。だけど──
俺はもう、ただ利用されるだけなのは、嫌なんだ」


議長失脚による、あの敗北。
それによる心の傷も癒えぬまま、失われたものの代わりとなる存在も見つけられず。
どうすればいいのか分からないまま、俺はここまで連れられて来た。
答えがここにあると少しでも感じたのは、何故だろうか。


ふと、すぐ下のガラスの箱を見おろしながら、フレイは言う。
「力を持つ限り、それは誰かに利用される。
だが、翻弄されるのと、自らの意思で動くのは違う。
お前は、何故自分が必要とされるか知るために、ここに来た。
ならば、その意思に従えばいい」
そのガラスの中にも、確かに人間が入れられていた。
筋肉がないわけではないものの、どう見ても15歳程度の子供にしか見えない、華奢な身体。
薄いエメラルド色の髪が、水の中でふわふわと揺れている。
だが、最もシンの目を惹いたのは、
臍の下の全てを覆い隠すように、まるで下半身全体から生まれ出たかのような無数のケーブル。
そのせいでシンは、この人物が男か女かも一瞬判別出来なかった。
多分、胸の薄さからすると間違いなく男であろうが──


レイラがそれを見て、思わず声を上げる。
小さくはあったが、先ほどまでの彼女からは想像できない、痛みに満ちた悲鳴を。
「あぁっ……!
姉上、またニコルを使ったのですか!?
もう無理だと、あれだけ言われていましたのに!!」
「本人が言った。
他の者を使うくらいならと」
「それはそうです!
ニコルは姉上のためなら、どうにでも動く子なんですよ!
人の意思を、思うがままに利用した結果が──」
「それも含めて、私の真実だ」
激情を露わにしたレイラを手で制しつつ、フレイはシンに向き直った。


「シン・アスカ。
私はこれよりお前に、一つの事実を見せる。
それを見て、事実を知った上で、判断するがいい。
今ここで、自分が何を成すべきなのかを」


シンが答える前に、レイラが叫んだ。
「姉上……?
まさか、御柱を!?
まだ、シン様には危険です!!」
しかし妹の言葉にも構わず、フレイはシンを、部屋のさらに奥の扉へと招く。
恐らく、ごくわずかの関係者以外は絶対に立入を許されない、白い無機質な扉。
フレイが扉脇のモニターに視線をやり、さらに左手を触れたことで、その扉は開いた。
その奥はエレベータとなっており、下の階層へ向かうようだ。
「姉上!」
「気にしないで。
行くよ、俺は」
懸命に止めようとするレイラを押しとどめ、シンはフレイの後についていく。
ああまで堂々と言ってのけるんだ。だったら俺も、堂々と事実を受け止めようじゃないか。
例え、どんなものが待っていたとしても──





数分後。
またしても幾度かエレベータを乗り継ぎ、最深部に近いと思われる目的地に到着した、その瞬間に。
シンは、自分の覚悟が多少甘すぎたことを思い知らされた。
まず目に入ったものは、宇宙艦内という割にはいやに高い天井から吊り下げられた、巨大な試験管のような形状の強化ガラス筒。
筒の中は、やや紅を帯びた液体で満たされている。
その中に──
裸の人間が、眠っていた。
先ほどのガラスの中の患者と同じように、いやそれ以上の量のチューブに繋がれた状態で。


しかし、何よりシンの心を奪い、一瞬だけ言葉さえも失わせたのは──


見間違えるはずのない、肩まで伸びかけたふわりとした金髪。
透きとおるような白い肌。どこまでも華奢な身体。
その大きな眼は、今は動くことなく静かに閉じられている。その奥には、ルビーにも似た瞳が輝いていたはずだ。
でも──!



何故、彼女がここに?
俺の腕の中で息絶えたはずの──ステラが!



あまりの動揺に絶句してしまったシンに、フレイは淡々と告げる。
「お前は覚えているはずだ。ステラ・ルーシェを。
デストロイガンダムに乗せられ、破壊の限りを尽くし、その結果命を落とした彼女のことを」



そうだ。
ステラを止めようとしたのに結局それは叶わず、フリーダムによってデストロイは落とされ。
ボロボロになった彼女は、俺の目の前で──



「彼女に、デストロイガンダムへの類稀なる適性があることを発見したのは連合軍だ。
その能力は貴重なものだったようだな。ベルリンの惨劇後、多くの兵士がデストロイに乗せられたが、彼女ほどの戦績を残した者は皆無だった。
そこに、我らがタロミ・チャチャも目を付けた」



俺は、二度とステラを戦場に出したくなかった。
だからこそ、反乱を起こしてまでステラをあの男に託したのに、結局その約束は果たされなかった。
そのせいで、ステラは──
俺はもう、彼女をこれ以上戦争に利用されたくない。
彼女をこれ以上、苦しめたくない。
だからせめて、静かな湖の底で、誰にも見つからずに眠っていてほしい。
そう思って俺は──



「南チュウザンの新たなる力。
人を革命する光たる、『セレブレイト・ウェイヴ』。
その『御柱』となる能力を持つ者として、タロミはステラ・ルーシェに注目した。
そして私は命じられた。彼女の確保を」



『御柱』……って、何だ?
そんなものに、ステラは選ばれたってのか?
死んでしまった、その後にまで?



「残念ながら、私が確保する直前に彼女は死亡した。
だが、比較的良好な状態で回収出来た。お前が彼女を湖に沈めた、その直後だ。
死体となっても、破損状況がそこまで酷くなければ、現在の南チュウザンの医療技術ならば、『御柱』に必要となる脳波の再現は可能だからな。
その点も感謝しているぞ。シン・アスカ」



破損状況? 回収?
こいつが一体何を言っているのか。何故、俺に感謝しているのか。
俺には全く分からない。
目の前で眠るステラは、とっくに死んでいるはずなのに──
何故かまだ、息をしているようにさえ見える。口から際限なく吐き出されている泡のせいだろうか。
やや豊満な胸も、少しばかり脈をうっているように思える。



「まさか……」
シンはありえない憶測を口にしてしまう。それは願望にも近かったが。
「生きてる、のか? ステラ……」
その言葉に対し、即座にフレイは返答する。
「違うな。
彼女は既に死亡した──これは間違いない」


断固たる否定で返され、シンは酷く落胆する自分を感じた。
ステラは死んだ。俺が確かめたんだ。確かだったはずなのに。
それでも俺は──
彼女の生存を、一瞬でも信じたかった。


フレイは声色を全く変えることなく、冷淡に告げる。
「今、お前の目の前にあるものは、かつて彼女だった物にすぎない。
タロミ・チャチャは彼女の遺体を利用してまでも、彼女を『御柱』に仕立て上げるよう命じた。
そして、その命令を実行したのは私だ」



だとしたら。
死んでしまったステラまでも利用して──
どこまでもステラを汚し、蹂躙し、貪り尽くそうってのか。こいつらは!



自分の中で、酷い怒りが燃え上がるのを感じながら、シンは眼前に立つ女をその紅の瞳で睨みつける。
だが、そんな彼に対しても微動だにせず、フレイは語り続けた。
「これから南チュウザン軍は、セレブレイト・ウェイヴを使って革命を起こす。
そのたびに、ステラは『御柱』として使用されることになるだろう。
連合軍が彼女を、デストロイパイロットとして使い続けたようにな」
「そんなこと……っ!!」
思わずシンは叫びかかる。
そんなことは、絶対にさせない。
ステラをこれ以上凌辱など、絶対にさせるものか。
その叫びが、途中で止まったのは──
フレイの強い視線と相対したせいだろうか。


「お前ならば、どうする?
今すぐ私を殺して、ステラをここから解放するか?
妹を力ずくで取り戻し、ステラをもう一度埋葬するか? 以前、お前がステラを強引に連合に返したように?
ここはもうミネルバではない。私を殺しても状況は変わらぬばかりか、お前が殺されるだけだ」


そんなことは分かっている。
だけど、じゃあ、どうしろってんだ。
死体になっても利用され続けるステラや、得体の知れないパイロットとして蘇ったマユを、放っておけっていうのか。
両拳を握りしめたまま、シンは動けない。
目の前の女を一発ぶん殴ってやりたいが、それすらも出来ない。
フレイの視線の強さもあるが、何を考えているのか全く読めないのが、シンにとっては恐怖でもあった。


わざわざ自分の罪を俺に曝け出して、俺に何をさせる気だ?
まさか、俺に自分を殺してほしいとか言うのでもないだろう。
なら──


ゆったりとした呼吸をしながら眠っているようにしか見えないステラを前に、フレイは言い放った。
「シン・アスカ。
今から話すことは、事実でしかない。
その上で誰を怨むか、怨むならどうするか、己の意思で判断しろ。
自分で考え、自分自身で決めるがいい」


ガラスの前でふと視線を落としながら、フレイはさらに続ける。
ちょっと待ってくれよ。
今起こっていることですら、俺の脳は処理出来ていないのに──
そんなシンの心の叫びを、ほぼ意に介さず。
「このオギヤカを中心として構成される、南チュウザン軍。
それを率いるは私だ。私はタロミ・チャチャの命のもと、軍を動かす。
だが、とある事情から、タロミ・チャチャは滅多に外部へ顔を晒せない」
「それは、どうして……?」
「理由を話せば長くなるが、今のタロミは傀儡にすぎぬ。
実質、軍を統制しているのは……」


そこで一瞬、フレイが大きく息をついた。
酷く苦しげに胸を抑えたように思ったのは、シンの気のせいだったろうか。


「対外的には、私の姉を名乗る者。
実質、私の母であり──南チュウザン第二王妃。
真なるラクス・クラインだ」


 

 

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