北チュウザンにとどまり、防衛作戦を展開していた連合軍。
南チュウザンの暴虐を抑止するという名目のもと、北チュウザンに攻め入ったザフト軍。
セレブレイト・ウェイヴの脅威が現実のものとなった今、対立する二つの軍は双方とも命令系統が乱れ、トラブルが続出していた。
──連合の山神隊など、チュウザンの情勢には慣れているわずかな例外を除いて。
撤退か否かすらもろくに決定出来ず、情報も伝わらず、連合・ザフト共に、大変な混乱に陥り──
比較的狭い島の中で運悪く衝突し、互いに交戦状態に陥ってしまった部隊も少なくなかった。
ロゴス壊滅により終結したかに思えた、連合とザフトの争いも──
ここチュウザンでは、未だ執拗に続けられていたのである。
一つの組織が壊滅しただけで、幾年月も積み重ねられたナチュラルとコーディネイターの憎悪と遺恨が消えるはずもなく。
また、中立国たるオーブがどれほど介入したところで、限界があった。
それを好機とばかりに容赦なく攻め入ってくる、南チュウザンの偽ダガーLの強襲部隊。
勿論その中には、自らの命などお構いなしに敵陣に自爆攻撃まで仕掛ける、いわゆる特攻部隊も少なからず存在した。
降りしきる豪雨の下、次々に炎に巻かれていく小さな村や集落。
犠牲になるのは常に、力を持たない民衆であった。





「なんて無様な……」
十数機目ともなる敵機を、どうにか撃墜しながら──
フォースインパルスガンダムのコクピットで、ルナマリアは呟かずにいられなかった。
夜の闇と豪雨に紛れ、連合軍に襲いかかろうとしていた南チュウザン軍の偽ダガーL。
黒雲を裂くようにして現れたその3機を、彼女は苛立ちを振り払うように無我夢中で撃った。
ビームライフルの一撃を避けようともせず、まともに閃光を喰らって墜ちていく偽ダガーL。
そんな彼女のコクピットに、怒声が響く。
<やめてくれ!
言ったろ、この森は幹線道路が通ってる! 人が避難している可能性があるんだ、出来るだけ空中での交戦は避けて……>
「んなこと言ったって!
襲ってくるものは、仕方ないでしょうっ!!」
なんでいちいち、あんたの命令聞きながら戦わなきゃなんないのよ。
そう怒鳴りたくなるのをルナマリアはこらえながら、すぐ右側のモニターに映りこむ味方機──
ティーダ・Zを見据える。
真っ白い機体は豪雨をものともせず、悠々とインパルスの隣を飛翔していた。
さすが、元が空戦能力の高いセイバーガンダムだけはあり、地上の重力に負けることなくインパルスに追随している。
白く輝く装甲に雨が跳ね、ティーダは全身が霧に包まれているように見える。
今の怒声は、そのティーダの右掌部からスピーカーを通して流れてきた、サイ・アーガイルのものだった。
心底呆れながら、ルナマリアは改めてその掌を眺める。
掌部の上には、戦場には全く相応しくないタキシード姿のサイが、片膝をつきつつ嵐に耐えながら、じっと前方を見据えていた。



このサイの行動に関してだけは、ルナマリアやヴィーノがいくら文句を言おうと、サイは頑なに聞き入れようとはしなかった。
ティーダとインパルスがミネルバJrから飛び出して間もなく、サイはティーダの外へ出て機体の掌部に乗りながら、自ら住民の避難誘導を開始したのである。
チュウザンの地理や適切な避難場所、港へ通じる最短ルートを熟知しているからこその行動であったが──
ナオトはともかく、ルナマリアとヴィーノは閉口せざるを得なかった。
彼のやりたいことは、ルナマリアも分かっているつもりでいる。
しかしここは、戦場のど真ん中となってしまっているのだ。現に、サイが住民を誘導している最中も、すぐ上空でビームが飛び交い至近距離の森にまで着弾した時もあったくらいだ。
そんな中で、そんな恰好で、避難誘導?
こっちにどれだけ負担がかかってると思ってるのよ。あんたたちに流れ弾が行かないように、戦闘で余計な気を配らなきゃいけないのに──
文句で頭が一杯になりつつあったルナマリアだが、一方で、サイの言葉と行動を認めずにいられない現状にも気づきつつあった。



まず、サイの恰好が意外にも、この状況においては適していた点だ。
夜の雨でも、うっすらと輝くティーダ・Z。
機体だけでも目立つ上、高速移動を行なうモビルスーツの掌にわざわざ生身で立っている、タキシードの男とくれば──
人々の目に留まらないわけがない。
しかもサイは以前から、アマミキョを率いる副隊長として顔が知られている。アマミキョ復活のニュースは、北チュウザンでも大きなニュースとなっていた。
彼を知る住民たちは一にも二にもなくサイを信じ、ザフト機であるにも関わらず、ティーダやインパルスの掌に一斉に乗り込んできた。
反面、ルナマリアやヴィーノが住民の前に積極的に顔を出そうとすると──
ザフトのマークに気づかれ、明らかに怪訝な表情をする住民が殆どだった。子供でさえも。
中には酷く抵抗し、ちょっとした騒ぎになりかかった時さえある。
ナイフまで持ちだされた時は、さすがにルナマリアもサイの言葉を認めざるを得なかった。
サイとナオトが必死で説得した為、その時は何とか大事に至らずすんだが──
地上で今なお厳然として存在する、ザフトやコーディネイターへの偏見。
ルナマリアもヴィーノも、それを痛感せずにはいられなかった。



サイやティーダ・Zが北チュウザンに到着し、救助活動を行っている──
その情報が次第に知れ渡ったのか、ティーダを支援するべく、オーブのアストレイ部隊も次々に集まってきた。
中にはアマミキョ所属の作業用アストレイまでおり、サイの顔見知りが何人もいた──
しかし再会を喜ぶ余裕はなく、サイたちは助け出した避難民を彼らに託しては、即座に次の避難民の救助へ向かっていく。


──空の彼方から攻撃してくるもの相手に、救助も避難もあるだろうか。


ルナマリアはふと、そんなことを考えたが──
サイやナオトの行動を見ているうちに気づいた。彼らはただ単に、見つけた避難民を片っ端から救出しているだけではないことに。
度重なる争乱で破壊され尽くしたかに思えた、北チュウザンの各港湾施設だったが、アマミキョを始めとするオーブの強力な支援により、少しずつその機能を回復し始めていた。
当然その情報を入手していたサイたちは、特定の港に住民を集中させないよう、分散しての避難を指示していた。
もし一つの施設に住民が殺到すれば、そこが次のターゲットにされる危険性がある。そう考えての、サイの誘導である。
ナオト・シライシの操るティーダ・Zもまた、そんなサイの指示に応えるように、誰よりも何よりも早く避難民を発見し、付近で活動していたアストレイやオーブ軍に彼らを引き渡していく。
これは、人の存在を感知出来るティーダ・Zだからこそ出来る芸当であり──
そして、北チュウザン情勢を身体に叩き込んでいるサイ・アーガイルだからこそ、可能な働きだった。



彼らを守りながら無我夢中で動いているうちに、ルナマリアは気づいた。
ティーダ・Zの装甲から発される光が、次第に強くなっていることに。
白い機体は今やほんのりと銀色に染まっているように見え、装甲に激しく跳ねる雨の一粒一粒が光を反射し、機体全体は勿論、周囲の大気までもがうっすらと輝き始めていた。
掌に乗り強風に耐えているサイの姿も、夜のように暗い霧の中に、くっきりと浮かび上がる。
激しく煽られているグレーのタキシードは、雨を跳ね飛ばしながらもティーダの光を受け、天空に靡く銀の旗のようにさえ見えた。
それがまた良い目印となり、助けを求める住民たちが集まってくる。


──サイとナオトの想いが、ティーダの力を増幅している?


そんなありえない妄想に、一瞬ルナマリアは囚われかかり、慌てて頭を振った。
──私、疲れてるんだな。きっと。
しっかりしなければ。シンがいない今、ミネルバJrを支えられるパイロットは、私しかいないんだから。





そうしているうちに、何時間が経過しただろうか。
夜が明けたかどうかすら分からない、闇のように深い曇天の下──
救助活動がようやく一段落したと判断したナオトらは、森の奥にティーダ・Zの機体を降下させていた。
但し勿論、軍の撤退と住民の避難が全面的に終わったわけではない。まだ都市部近郊の住民たちが数多く残されており、むしろ本番はこれからと言えた。
自機をゆっくりと大地に降ろしたルナマリアは、ほうっと一息ついた。
モニターごしに、つい一時間ほど前まで彼女が乗り込んでいたフォースインパルスが、不慣れな動作ながらも森の空き地へと着地していくのが見える。
今、フォースインパルスに乗っているのはヴィーノだ。つまりルナマリアは現在──
ナオト・シライシと共に、ティーダ・Zを操縦していた。
ルナマリアは前席、ナオトは後席で。
ナオトらの様子を常に気にかけていたルナマリアは、戦闘がそこまで至近距離で行なわれてはいないと判断出来た時、ヴィーノとたびたび操縦を交替していた。勿論、交替の余裕がある時のみだったが。
それで分かったのだが──



ティーダを操縦している際、ナオトは小声ではあるが明瞭に、周囲の状況を逐一言葉に出していた。
誰も聞いている者がいないのに、ナニをし始めたのかと思ったが──
ナオトに聞いてみると、「あれ、言ってませんでしたっけ?
僕は、オーブのレポーターです。戦場をレポートするのは、当たり前でしょう?」
と、快活に返答された。
そしてヘルメット内部にきっちり仕込まれた小型レコーダーを彼女に見せながら、ナオトは得意げに笑っていた。
それだけでも、ルナマリアは開いた口が塞がらなかったが──



やがて、嵐の吹き荒れる外からコクピットに戻ってきたサイを見た瞬間、彼女は久々に盛大にキレかかった。
頭からつま先まで、酷い濡れ鼠状態なのは当然として。
溺れた住民の救助の為、腰まで川に浸かったのも一度や二度ではなかった為、膝のあたりまでが泥で変色していた。
遠目からでは分かりにくかったが、どこでやらかしたのか、全身の至る所に掠り傷が出来ている。当然、タキシードもあちこちが小さく裂けていた。
右の前腕のあたりなど特に酷く、大量の泥がこびりついた上に、かなり広範囲に血が滲んでいた。
怒鳴りつけたくなるのを何とかこらえながら、ルナマリアは尋ねる。
「ど、どうしたのよその腕!? 早く手当てを……」
「大したことないよ」そんな彼女に、サイは笑ってみせた。
頭からも眼鏡からも、滝のように雫を垂らしながらではあるが。
「君たちも見ただろ? ずっと酷い状況の人たちが、ここにはまだ大勢いるんだ。
おちおち休んでいたくはないけど……」
「駄目。休んで」
舌打ちしそうになりながら、ルナマリアはサイにタオルを渡した。
それで無造作に頭を拭きつつ、サイはルナマリアの手元、メインモニターを無遠慮に覗き込んでくる。「それより──
今、この近辺にアストレイは何機いる? 
六時の方向にも、あと二か所避難所があったはずだ。何とか救援を頼みたい」
「え、ちょ、待っ……」
ずいと身を乗り出し、ルナマリアとモニターの間に割って入るサイ。
濡れそぼって身体に張りついたスーツ。その背中が、彼女の眼前に迫ってくる。
熱気を伴った匂いが、少しだけ鼻をついた。それは、雨と血と泥の匂いだけではなく──
多分、汗も混じっている。
彼の顎から滴る雫が、ルナマリアの膝まで濡らした。
「ちょっと!
そのカッコでコクピットに寄らないで! ちゃんと身体拭いてよ!!
コンソールパネル壊れたらどーしてくれんの!?」
思わず叫んでしまったルナマリアに、すかさず背後からナオトが突っ込んだ。
「耐水はバッチリだって、ヴィーノさん言ってましたけど……」
「そ、そーいう問題じゃないの!
とにかく、早くそこからどいてよ!!」
「そう言われてもな……」
感情的になる彼女を、ふと振り返るサイ。
解けかけたネクタイと、若干乱れた襟の隙間から、引き締まった首筋が見える。
濡れたワイシャツから透けた肌を通して、身体の熱がルナマリアのパイロットスーツにも伝わってくる。
吐きだされる息と共に、何故か心を見透かされたような気がして──
ルナマリアは無意識に、サイから視線を外した。


──ナニを考えているんだ、私は。こんな時に。


そう思った時、サイは自分の体勢にやっと気づいたのか、慌てて身体を彼女から離した。
「あ……!
そうか、そうだったよね。ごめん!」
──何よ、そうだったって?
そういえば君も女の子だったよねとか、ふざけたこと言うつもり?
これが同僚だったら張り飛ばしていたかも知れないが、ルナマリアは何とか別の言葉を絞り出す。
「貴方、少し寝た方がいいわよ。
20時間以上もろくに飲まず食わずで、寝てもいないでしょう」
「大丈夫、ちゃんと休息は取ってるよ。
君がヴィーノと交替している時とかに、適当にね」
「それでも、せいぜい10分ぐらいでしょ」
「そうだけど、問題ある?」
「ありすぎでしょうが……」
ため息をつきながら、ルナマリアはつい本音を出してしまった。
「あのね。起きていられるから大丈夫って問題じゃないわよ?
ちゃんと睡眠をとらないと、どうしても判断能力や効率は落ちるの。それはザフトだって一般人だって同じ。
貴方が、一切眠らなくても普通に生きていけるようコーディネイトされてるなら、話は別だけど」
「それはないけど、でも俺なら大丈夫。
学生時代から、こういうことは慣れてたし」
笑って言ってのけるサイだが、ルナマリアは思わず、そんな彼の襟ぐりを掴んでいた。
彼女の唇から、酷く低い小声が流れる。
サイに見せつけるように、右の拳がぎゅっと握りしめられた。
「どうしても寝ないってなら、今すぐ強制的に寝かせてあげてもいいんだけど?」
そんな彼女の態度に、さすがにサイもぎょっとして視線を逸らす。
「……あ、あぁ、うん。
でも、まぁ、君の言うことももっともだね。
もう少ししたら、またちょっと寝るよ。あはは……」
髪の先から落ちる雫もそのままに、サイは決まり悪げに笑った。
しかしルナマリアはとても笑う気にはなれず、ため息を隠せない。
「もう……
サイドシートの空調強めにしておくから、座ってて」
「ありがとう」 そう礼を言いながら、サイは素直に彼女の言葉に従い、急ごしらえのシートに身体を預けた。



それから数十秒もすると、サイのかすかな寝息がコクピットに響いてきた。
一時的に強くしたファンから流れる乾いた風が、彼の身体を一気に包んでいく。
それを横目に、ルナマリアは何とはなしに空を見上げる。
ごうごうと降り続いていた雨は、いつの間にか小降りになっていた。
しかし恐らく、一時的におさまっているだけだろう。これまでの雨の凄まじさを思えば、宇宙育ちのルナマリアでもそれぐらいの予想は出来た。
彼女はそっと、後席のナオトを呼ぶ。
「メディカルセット、取ってくれる?
ちょっと、サイの手当てをしたいから」
「は、はい……」
やや緊張したルナマリアの声に少々びくつきながらも、ナオトは指示どおりにシートの横に備え付けられた応急セットに手を伸ばしかけ、ふとモニターを見る──
その瞬間だった。


「る、ルナさん!?
七時の方向に、巨大な熱源反応を確認!」
ナオトのその叫びは、けたたましく鳴りだした警報よりもよく響いた。
彼の声に、ルナマリアは勿論、眠りかけていたサイも飛び起きる。
「距離は!?」
「約7000!」
「そんな……あのあたりはニュー・ナンジョウ市だ、まだ避難所が!」
サイが青ざめる間もなく──
南の空全体が一瞬、やや紫を帯びた白い爆光で、カッと染まった。
それは、全てを焼き尽くす炎。
雷光よりもさらに激しく、空も大地も破壊せんばかりの天の炎。



同時に、ルナマリアは感じた。
今、確かに、何かが、消えたことを。
それが何かは分からない。でも──
頭の奥が直接鈍器で叩かれたような痛みと共に、奇妙な確信が心に入り込んでくる。



確かに、何かが、タクサン キエタ。
トテモ タイセツナ タクサンノ モノガ



「ぐ……ッ!!」
ルナマリアのすぐ後ろで、ナオトが酷くえずいた。
操縦桿から手を離し、メットごしに口を覆っている。
サイの方を見ると、彼も少し苦しげにうずくまり、眉間に皺を寄せこめかみを押さえていた。
「ヴィーノ! 伏せて!!」
反射的にルナマリアは、通信ごしにインパルスへと呼びかけた──



そして間もなく、
強烈な地響きが機体ごとルナマリアたちを揺さぶり。
彼女は一瞬、叫ぶことすら出来なくなる。
それでもルナマリアは操縦桿から手を離さず、すぐにティーダを再起動させた。
森の遥か向こうから襲いかかってくる、爆発により生まれた嵐。
爆心地から相当離れているせいか、炎を伴う風ではなかったものの、その強烈な風圧はインパルスとティーダの機体すら吹き飛ばしかねない。
酷い揺れの中、サイがコクピットにしがみつくようにして叫ぶ。
「これは……
まさか、デストロイの!?」
「知ってるの?!」
そんなルナマリアの問いに、サイのかわりとばかりにナオトが答えた。
「この光、間違いないです!
感覚も、あの時と同じ……うっ……!!」
えずきを抑えながら、ナオトも必死で操縦桿を握ろうとするが、襲いくる酷い頭痛に耐えられず、身をよじらせる。
そんなナオトの左腕を、サイが思わずぐっと掴んだ。
「ナオト! 
しっかりしろ、自分を見失うな!」
それはナオトを励ますのと、自分の揺れを何とか抑えるのと、両方の意味があったのかも知れないが──



ナオトの腕をサイが掴んだ、その瞬間。
サイの脳裏に、一度に大量の情報が、光と共にどっと流れ込んだ。
──それは、死のイメージ。
多くの命が、叫びの一つも上げられず、ただの灰塵となって消滅していくイメージ。
サイがいくら理性でそれを退けようとしても、圧倒的な物量をもって、そのイメージはサイの中へと直接侵入していく。
身体全体が裂けるような痛みまで伴って。



自分が永久にこの世の存在ではなくなったことすら自覚できず、
恐怖すら感じる余裕もなく、消えていく命のイメージ。
一瞬噴きだしたはずの血すら、熱と光となり、灰も残さず蒸発していく。
──何度経験しても慣れないな、このおかしな現象には。



しかしそんな混乱の中でも、サイは気づいた。
これが、今、ナオトが感じているイメージと、ほぼ同じものであることに。
そして恐らくナオトは、これよりも酷い苦痛を感じている。
そう直感したサイは、ナオトの腕を掴んだ自分の右手に、敢えてさらに力を籠めた。



──理屈は分からない。
だけど、こうすることで、ナオトの痛みはほんの少し、軽減されるような気がする。
ナオトの痛みが、俺自身にも流れ込むことで。



サイは激しい揺れに耐えながら、そのままナオトの腕を掴み続けた。
傍から見れば、揺れの恐怖に怯えてナオトに縋る、情けない男に見えるかも知れない。
だが、構うものか──!



激震と共に、メインモニター向こうの空が何度も煌く。
爆光によるものか、モニターそのものの異常か、サイには分からない。
身体に流れ込む痛みとイメージの奔流に耐えるだけで、サイとナオトは手一杯だった。
彼らがそうしているうち、通信ごしにヴィーノの声が聞こえてくる──
<おい、大丈夫か!? ルナ、ナオト!>
やや怒気のこもったその声で、サイは気づいた。
インパルスが、爆光から可能な限りティーダを守ろうと、立ちはだかっていることに。
その右腕部が伸ばされ、今にも倒れかかろうとするティーダを支えていた。
接触した装甲を通して、ヴィーノの震え声がさらに響く。
<こいつはヤバイぜ……
ルナ、すぐに艦に戻ろう! この光、デストロイだ!!>
「そんなこと言ったって……!」
ルナマリアが思わず、サイとナオトを振り返る。



──これでもあんたは、救出活動を続ける気なの?



口に出さずとも、ルナマリアの表情は雄弁に、サイに問いかけていた。
迷いつつも厳しさを湛えた彼女の瞳に、サイは逡巡する。



このまま住民の救出を続ければ、インパルスもティーダも無事ではすまない。
だが、あの光の先にいる、俺たちが救出すべき人々はどうなる?
まだあのあたりには避難所も残っている。逃げ遅れた人々も大勢いるだろう。
それに、その救出に向かったアマミキョの仲間たちも、少なからずいるはずだ。
しかし──



サイが決断を迷ったその時、ナオトの腕を掴んでいたサイの手が、そっと握り返された。
それは、ナオトの手。
吐き気を抑えながら、ナオトは呟く。
「……行きましょう、サイさん」
抑え気味ではあるが、はっきり通る声がコクピットに響く。
「まだ、あのあたりに生き残っている人がいるはずです。
ティーダが僕に、そう教えてくれてます」
「馬鹿! 何言ってるのよ」
サイが反論するより早く、ルナマリアが怒鳴ったが──
それでもナオトは、頑なに意志を曲げようとしなかった。



「それに──
これも、僕の役目ですから。
あそこで何が起こっているのか、この目で真っ直ぐに見て。
生きて帰って、それを伝えることが」



その言葉で、サイは思った──心の中で苦笑しながら。
これはどうやっても、俺たちは行かなきゃいけないだろうな。
俺たち全員でナオトを止めても、こいつは一人でも行くと言い出すに違いないから。



そんなサイの心情を代弁するように、ヴィーノの通信が響く。
<……ったく、しょーがねぇな。
危なくなるのは俺らなんだぞ?>
「すみません。でも……」
「ちょっと! ヴィーノまで何言ってるのよ!」
ナオトの謝罪を中断し、すかさずルナマリアが突っ込む。
死地に向かう気満々の男どもに、彼女は必死で抗い始めた。
「あのね、あんた達! どういう状況か分かってる!?
相手は──」
しかし、彼女がデストロイの危険性を改めて口にしようとしたその瞬間、
再びけたたましいアラートが鳴り響いた。
すぐにモニターを確認すると──



森の向こう、炎の燃え盛る空の彼方から、またしても黒の機体が群れをなして滑空してくるのが見えた。
それは当然、南チュウザン軍の、偽ダガーL──
容赦ない自爆攻撃を躊躇なく仕掛けてくるがゆえに、無人の可能性すら疑われつつある機体。
「ちぃっ……!」
ルナマリアは盛大に舌打ちするとバイザーを下ろし、改めて操縦桿を握り直した。
「しょうがないわね!
ヴィーノ、ナオト、行くわよ!」
<おい、待ってくれよルナ!
こっちはすぐには飛べない、木も邪魔だし……>
「分かってる。
迂闊に飛んだら奴らのいい標的よ、地上から迎撃する!」
ルナマリアの声と同時に動き出すティーダ・Z。
だが、敵機の動きは予想以上に素早く、あっという間に森の中にいるティーダとインパルスを捉え──
不慣れなインパルスがライフルを構えるより先に、黒い機体が3機ほど、真っ直ぐにインパルスに襲いかかった。
空中から雨あられと、インパルスに注がれるビームカービンの光。
当然、ヴィーノの悲鳴が通信ごしに響きわたる。
<う、うわあぁああぁ!!>
「ヴィーノ!
あいつら、こっちの弱いところを……!」
いきりたったルナマリアは、空中を躍動する敵に向けてビームライフルを乱射するが──
彼女の腕では、やはり思うように当たらない。
こちらの攻撃をひょいひょい避けていくダガーLを凝視しながら、サイは怒鳴らずにいられなかった。
「闇雲にビームを使うのはやめてくれ!
いくら対策がなされているったって、ビームが人体や環境に及ぼす影響はまだ無視できないんだ。
近くに住民がいる可能性だって……!」
そんなサイを振り向きもせず、ルナマリアは迎撃を止めずに叫ぶ。
「あんたも、コーディネイターは環境無視の大馬鹿者って言いたいワケ!?」
「そうじゃない!
ただ、ビームを使うのは出来るだけやめてくれって言ってるんだ!」
「コロニー内でもあるまいし!
気にしてたら、こっちが死ぬわよ!?」
「だけど……!」
反論しかけたサイだが、今はもうそれどころではない。
サイが何か言おうとする前に、またしても機体に衝撃が走る。
ナオトの悲鳴と、ヴィーノの絶叫が交錯する。
モニターを確認すると、轟音と共に右肩部あたりが爆炎に包まれるインパルスが見えた。
「ヴィーノさん!?」
「──まさか、スティレットにやられたか?」



サイは思い出す。
いつだったか、自分があの武器を使っていたことを。
作業用アストレイにスティレット・投擲噴進対装甲貫入弾を無理矢理積んで、単独出動したことを。
今思えば、無謀にもほどがあった、あの時の自分の行動。
あの兵器は、捨てられていたものを子供たちと一緒に集めて修理した中古品ではあったが、それでも、ザフトの最新鋭モビルスーツの装甲を揺さぶるぐらいのことは出来た。
今ダガーLがそのスティレットを使ったのだとすれば、インパルスとはいえ無傷ではすまないだろう。
<ち、畜生!
こんな、連合の武器なんかで……!>
ヴィーノの意地と共に、何とか立ち上がろうとするインパルス。
見ていられず、ルナマリアが叫ぶ。
「ヴィーノ、駄目っ!
あんた、ただでさえ怪我してるでしょ!?」
<こっちだって、意地ってもんが!!>



そこへ、折り重なるように鳴り響く複数のアラート。
インパルスとティーダを攻撃し始めた偽ダガーLの数は、さきほどより倍増しているように思えた。
「無駄に戦う必要はないだろう!
ここは、離脱を考えたほうが……くっ!!」
思わず叫んだサイの言葉も、ティーダに向けて放たれたビームカービンの衝撃で中断されてしまう──
それでもルナマリアはサイを無視し、ビームライフルを無我夢中で連射する。
ヴィーノとインパルスを狙われた怒りが、彼女から冷静さを奪っていた。



──まずい。
このままじゃ、住民どころじゃない。
俺たちまでが、やられてしまう。



「サイさん、ルナさん!
黙示録、使いましょう! 今しかないですよ、アレを使うなら……」
前席中央に配置された白ハロを後席から覗き込みながら、ナオトも叫ぶ。
しかし、戦闘中のルナマリアのかわりにサイがそれを止めた。
「駄目だ。
この状況で無理矢理黙示録を発振しても、隙を狙われるだけだ」
「なんでですか!?」
「恐らく、奴らにはそこまで黙示録の効果は及ばない。
黙示録が最も有効なのは中のパイロットだ、物理的なダメージはそこまで大きいものじゃない」
「そんな……」サイの言葉に、ルナマリアも驚きを隠せない。
「やっぱりあのモビルスーツには、パイロットがいないって言いたいの?
馬鹿なこと言わないでよ!」



彼女の言葉も尤もだ。
Nジャマーにより、ありとあらゆる電子機器が地上で使用不能になったことで、レーダーも使い物にならなくなった今──
人の肉眼による索敵は、絶対不可欠のものであり。
だからこそ、直接乗り込んだ人間によって動かす機動兵器たるモビルスーツが生まれたのだから。
今まさに命を賭してモビルスーツに乗り込んでいるルナマリアにしてみれば、無人のモビルスーツなどという概念は、自らの覚悟を嘲笑われたに等しい。



そんな彼女の心情を考慮しつつ、サイは続けた。
「無人だとは考えにくいし、考えたくない。
だけど、攻撃衝動を持たない人間、という可能性もある」
「攻撃衝動……ですって?」
「俺の感覚が正しければ、黙示録は恐らく、人間の攻撃衝動に対し異様に強く反応する。
戦おうとする意思、相手を叩きのめそうとする感情。
誰かを守ろうとする勇気まで含めて。
怒り、憎悪、怨恨。言い方はいろいろあるけど──
俺は何度もティーダの光を見てきた。この推測は、結構近いと思ってるよ」
あくまで冷静さを保とうとするサイに、今度はナオトが噛みついた。
「そんなもの、人間じゃないですよ!」
揺れで舌を噛まないようにしながら、サイは必死でシートにしがみつきつつ、ナオトを説得にかかる。
「いずれにせよ、こちらの黙示録発動に、ある程度の対策が講じられている可能性は高い。
向こうだって、既にティーダ以上の兵器を有しているんだ!」
「でも、今のティーダだって強化されたんですよ!?
黙示録も、パイロットだけじゃなく機体にダメージを与えるように……」
「EMPだろう? 分かってるよ。
避難民を乗せた車に影響が出たらどうする!」
そう言われると、ナオトも自分の提案を却下せざるを得ない。
「……畜生。
でも、このままじゃヴィーノさんが!」



ナオトが叫んだ瞬間──
モニターに映し出されていたインパルスが、さらなる爆炎に包まれた。
絶叫と同時に切断される、ヴィーノの通信。
それでもなお、インパルスは立っていたものの──
最早、立っているだけだ。
ただひたすらに、こちらを殺す為だけに空から機動してくる凶器──
黒のダガーLは徒党を組み、傷だらけのインパルスになおも襲いかかっていく。
ビームライフルの先端から放たれた熱線が、無数の光条となってインパルスとティーダを貫こうとする──



その時だった。
アラートばかりが飛び交っていたコクピットに、不意に別の通信が割り込んだのは。
<伏せろ、坊主ども! お嬢ちゃん!!>
サイにとっては何故か懐かしさを覚える、そんな男の声と共に──
モニターの隅に、闇の空には似つかわしくない金色が閃いた。
天空を切り裂いて飛んできたその金色は、敢然とティーダとインパルスの前に立ちはだかり──



「あれは……!?」
やや怪訝な声で、ルナマリアもその光景に目を見張った。
よく見ると、それはストライクのフォルムにもよく似た、全身を金で彩られたモビルスーツ。
下手に凝視すると目が痛くなるほどの、金色。
噂には聞いたことがあるが、あれはまさか──
サイの思惑をよそに、ナオトが身を伏せながら絶叫する。「あ、危ない!」
恐らく、自分たちを庇ってくれた金色の機体に向けての叫びだろう。



しかし次の瞬間、サイたちは信じがたいものを目にすることになった。
彼らを庇った金の装甲は、雨あられと集中してきたビームを全て防ぎ──
その上、ビームの反射までやってのけたのである。
当然、真っ直ぐに反射し弾き返されたビームは、撃ったダガーLの機体を次々と貫いた。



「……まさか、アカツキ!?」
サイは思い出す。
モルゲンレーテで一時モビルスーツ開発の手伝いをしていた頃、話だけは聞いたことがある──
オーブの元首長だったウズミ・ナラ・アスハが、娘カガリに遺したモビルスーツが存在することを。
さすがにその恐るべき性能までは、当時のサイには知らされなかったものの──
つい先日のオーブ防衛戦や、メサイヤ攻防戦の前後において遂に実戦投入され、敵味方にその脅威をまざまざと見せつけたという。
最も驚くべきは勿論、ビームすらも弾き返すその鏡面装甲、「ヤタノカガミ」。
ビーム回析格子層と超微細プラズマ臨界制御層から成り、機体をビームから完全に守り切る装甲は、陽電子砲の直撃にすら耐えたそうだ。
そんな化物の如き機体が開発されたのが、2年前──
オーブにアークエンジェルが寄港した時には既に完成していたと聞かされ、さすがにサイは怒りを隠せなかったものだ。
その事実を知ったのは、アマミキョ復活の為に久々にモルゲンレーテを訪ねた時だったか。


──どうしてそれを、オーブ防衛戦で使わなかったのか。
──どうしてそれを、宇宙に逃がれざるを得なかったアスハ代表に託さなかったのか。
──そんな機体があったのなら、キラだってあそこまで苦しまずにすんだかも知れなかった。
──もっとたくさん、助かる命があったかも知れなかった。
──フレイだって!!


エリカ・シモンズ主任からは懇々と説明された。
当時はOSも装備も、ヤタノカガミも未完成で、実戦で使える状態ではなかった……と。
それでもサイは、どうにも納得出来なかったものだ──
その時反論出来なかったのは、冷静に説得を続けるエリカ主任自身の表情にも、無念の想いが現れていたからかも知れない。



そんな因縁の機体が今、俺たちを救った?
アスハ代表が直接、俺たちを?



だが、あの動き。
カガリ・ユラ・アスハが乗っているにしては、随分敏捷に感じる。
アカツキは、あれだけ接近していたはずのインパルスとダガーLの間に、いとも簡単に、ひょいと割って入った──
そんな技術が、カガリに可能なのか。
それに今響いた声は、明らかに彼女ではない。



サイの思惑をよそに、ルナマリアはアカツキを睨みながら唇を噛んでいた。
言いたいことが山ほどあるが、助けられてしまったからには何も言えないという顔だ。
それはそうだろう──
ザフトはついこの間まで、オーブと敵対関係にあった。
エース機を操っていたルナマリアだって、アカツキに痛い目に遭わされたのかも知れない。
彼女の心情を代弁するかのように、ヴィーノからの通信が響いた。
<畜生……!
あんなヤツに、助けられるなんて!!>



コクピット内で交錯する思いとは全く無関係に、事態は進行する。
上空で交戦を開始したアカツキ。
それを援護するかのように、ジェットストライカーを背部に負ったウィンダムが1機、飛来した。
その肩部にでかでかと黒く刻まれた文字は、旧漢字ではあったが、サイにもはっきり読み取ることが出来た
──「天海」と。
「──山神隊!?
時澤軍曹ですか!!」



ヴィーノの切れ切れの通信とは別のチャンネルから、また懐かしい声が響いた。
<伊能大佐から連絡は受けたが、驚いたよ!
まさか君たちが、ザフトと共に行動しているとはね!>
クナイの如くスティレットを構えながら、時澤のウィンダムは偽ダガーLどもと空中戦を開始する。
不意に現れ、攻撃を反射までする敵に虚を突かれたのか──
明らかに相手の部隊は怯み、サイたちへの攻撃をやめていた。
「時澤さん!
僕です、ナオト・シライシです!
僕は山神隊の皆さんに、何としてもお伝えしないといけないことが──!!」
ティーダの中から、ナオトが叫ぶ。サイよりも先に。



確かにそうだ──
ナオトは、広瀬少尉の顛末、そして彼が最後まで調査していたものが何なのかを全て、山神隊に報告しなければならない。
マユ、チグサ、カイキ、母親、ティーダ──
そして、フレイ・アルスターの件も。



しかし時澤は、ウィンダムでダガーLに喰らいつきながらも返答した。
<広瀬少尉のことなら、隊全員、とっくに覚悟は出来てるさ。
ナオト君。今は、生き延びるんだ! 
生きていたら、その時にしっかり聞かせてもらうよ。
君たちがどうしてザフトと共にいるのか、君たちの乗るそのモビルスーツは何かも込みで、全てをね!>
言いながら時澤のウィンダムは、左腕部に装着された対ビームコーティングシールドの先端で、力まかせにダガーLを突き飛ばす。
空中で接近戦を挑まれると予期していなかったのか、明らかに怯むダガーL。
隙だらけとなったその機体を、アカツキのビームサーベルが無情に一刀両断する。
<行くんだ、サイ君、ナオト君!
すぐ南西にまだ集落がある、もしかしたらそこにも……っ!!>
爆散していくダガーL。
だがその炎の幕を突き破り、また2機の黒い機体が時澤たちに向けて飛び出してくる。
──仲間の死など、どうでもいいと言いたげに。



「……行こう、ナオト。
俺は行くよ、一人でも」
またしても空に閃く爆光を見つめながら、サイは呟く。
その呟きを聞いて、ナオトが頷くより早く、ルナマリアがため息をついた。
「貴方一人でなんて、行かせられるわけないでしょ。
全く、世話の焼ける人ね」
「申し訳ない。
……えっと、ホークさん」
そんなサイの返答に、ルナマリアは思わず噴きだしかかった。
こんな呼び方されるのなんて、どれぐらいぶりだろうか。
「言わなかったかしら?
ルナマリア、でいいって。ミネルバではずっとそれで通ってたんだから。
今更そう呼ばれても困っちゃう」
「そうですよね。僕なんか、最初からルナさんって呼んじゃってましたし!」
「それよりも……」
ナオトの言葉をほぼ無視し、ルナマリアはインパルスを確認した。
ダガーLの猛攻からどうにか逃れたインパルスだが、機体のあちこちから煙が噴き上がっている。
「ヴィーノ、大丈夫? 飛べそう?」
<……人づかい、荒いよねぇ>
通信にどうにか応答している感じの、ヴィーノの声。
<緊急でメンテしてるけど、今の俺じゃちょっと、インパルスを動かすのは無理かも……
メインモニターは無事だけど、サブカメラが数か所、ぶっ壊れちまったし>
「分かった。
今から私がインパルスに乗る。ヴィーノ、交替しましょう」





上空で時澤たちが交戦している間に、ルナマリアとヴィーノはどうにか無事、互いに機体を交換することに成功した。
ヴィーノ自身も頭部を負傷し、メットの中が血塗れになっていたが──
致し方なくルナマリアは、ナオトをティーダの前席に移動させ、ヴィーノを後席で休ませることで対処した。
ヴィーノの応急治療にあたったのはサイだ。
男に治療されるなんてとヴィーノは文句を言ったものの、処置されるうちに、意外なほどのサイの手際の良さを認めたのか、それ以上不平は洩らさなかった。
ひととおり彼の治療が終わってすぐ、インパルスとティーダ・Zは再び、空へと飛び立った。
勿論、敵から目立たない程度の低空飛行で、ではあったが。
今、ダガーLどもは時澤たちが全力で相手をしてくれている。特に、アカツキによる防御は非常に頼もしかった。
ティーダとインパルスも何度かビームで狙われかけたが、そのたびにアカツキが素早く割り込み、ビームごと攻撃を弾き返す。
そうしているうち、次第にダガーLの攻撃はアカツキ、そしてそれを援護するウィンダムに集中しつつあった。



「ナオト、ハッチ開いてくれ。
行ってくる」
再び風に乗って滑空を始めたティーダの中で、サイは言い放った。
「はい」
最早それが当たり前のように、ごくごく自然にコクピットハッチを開くナオト。
雨は一旦やんでいたので豪雨が吹き込んでくることはなかったが、そのかわりに異常な湿気を伴った風が、一瞬でコクピットに充満した。
「え? 行くって?」
戸惑うヴィーノは、まだ痛む額を押さえながら尋ねる。「まさか、また救出活動かよ?」
「時澤軍曹も言ってたけど、この方角にまだ集落がある。
ティーダも捉えてるみたいだ。少ないけど、人の存在を」
「少ないって、どのくらい?」
サイドモニターのデータを確認したナオトが、サイのかわりに答えた。
「多分、2、3人ってところですね。
今までより少ないですけど、確かにいます。逃げ遅れたんでしょうか……」
そんな彼の言葉を耳にしつつ、サイはハッチから外へ飛び出した。
いつまでも夜に閉ざされたが如き闇しかない、外へ。



ヴィーノが止める間もなく、ティーダの右掌部に飛び移っていく、タキシード姿のサイ。
何がサイをそこまでさせるのか、ヴィーノには全く分からない。
それはヴィーノだけでなく、ルナマリアも同様だったのだが──
北チュウザンにサイを送り届け、アマミキョに危機を知らせるという目的自体は、既にほぼ達成しているのだ。
上陸後すぐにアマミキョに向かい、サイとナオト、そして未だにミネルバJrで昏々と眠っているカズイ・バスカークを収容させることだって、出来たはずなのに。
あれほど執着していたアマミキョに行かず、サイはすぐに住民の救出に向かった。
住民の安全が第一ったって、サイとナオトの体力にも限界がある。
ナオトだって病み上がりだし、サイだって、あれでも左腕を負傷しているんだ。
ティーダ・Zにしてもそこまで万能じゃない。機体の発光のおかげで、アマミキョの部隊や住民を集める力はあるにせよ、逆に敵をおびき寄せてしまってもいる。
危険に晒されるのはサイや俺だけじゃない。ルナマリアやナオトだって危ないのに。
そんなことは、サイだって分かっているはずなのに。
いくら、バカなナチュラルだろうと──



ヴィーノの思考を無理矢理断ち切るように、ナオトの声が響く。
「サイさん!
多分、あそこです! 小さいけど、建物が!」
ヴィーノもつられて後席からモニターを確認すると、ナオトの言葉どおり、鬱蒼と広がる黒い森の中に、申し訳なさそうに白い建造物が一つ、佇んでいた。
見たところ、特に何の変哲もない、やや古ぼけたコンクリート建築。
上空から見ると、豆腐のようにも見える建造物。
そこに寄り添うように、木造らしき古い家がいくつか建てられている。
「確かに、あそこにいます。
もしかしたら、10人以上は……」
ナオトの言葉に、ヴィーノは思わずくってかかった。
「おい。さっき、2、3人って言ってただろ!?」
「赤ん坊か病人だと、よほど接近しないと、ティーダの力でも捕捉できないことがあるんです。
前もそうだった。結構参りましたよ、これ」
ナオトが唇を噛みかけた、その時──



再び、酷いアラートがコクピットに反響する。
同時に、インパルスからのルナマリアの怒声も。
<ヴィーノ!
気をつけて、また来る!!>
見ると、先ほどの編隊から脱け出てきたのか──
黒のダガーLが2機、まっすぐにティーダとインパルスを狙っているのがモニターでも確認出来た。
何の迷いもなく、最短距離で空を駆け抜けるその黒い機体は、血を求める魔物のようにすら思える。
「ちぃっ……どこまでも、しつっこいぞてめぇら!
サイ! 戻れ!!」
乱暴に声を荒げながら、ヴィーノは叫んだが──
ほぼ同時に、ティーダの右脚部をビームが掠め、コクピットに衝撃が走った。
ナオトの叫び。
「駄目です! 
今、とてもサイさんを収容する余裕は……うわぁっ!!」



酷い轟音が、機体全体に走ったと思った瞬間──
サイドモニターに、何かが落ちていくのが映し出された。
まさかとヴィーノが咄嗟に振り向くと、それは、
見間違えるはずもない、先ほどまでティーダの掌にいたはずの、タキシードの男の影。
「サイさん!」
空を裂くかの如きナオトの悲鳴と共に、その身体が木の葉のように吹き飛ばされ、森へと落ちていく。
命綱たるワイヤーはしっかり確認したはずだと思ったが、無茶に無茶を重ねた為か、それすらも今は千切れて宙に舞っていた。
「だから言わんこっちゃねぇ……!
ナオト、掴まってろ!」
反射的に、ヴィーノは機体を反転させようとする。勿論、サイの救出のために。
だが──
<ヴィーノ! 避けて!!>
通信ごしに叩きつけられる、ルナマリアの怒声。
同時にモニターに映し出されたのは、ティーダに襲いかかろうとしたダガーLを、咄嗟に体当たりで突き飛ばすフォースインパルスの姿だった。
<この、バカどもぉ!!>
サイが落とされる瞬間を、ルナマリアも見ていたのだろうか──
憤怒に満ち満ちた彼女の叫びと共に、インパルスはヴァジュラビームサーベルを抜き放つ。
そして一瞬ののちには、光の刃は空中でそのまま、ダガーLの胸部を貫通していた。





身体中を、棍棒で殴られまくるような衝撃がしばらく続いた後──
サイはぬかるんだ地面にしたたかに腰を打ち付け、思わず悲鳴を上げてしまっていた。
「……い、痛たたた……」
腰をさすりながら見上げると、空を覆い尽くすかのように鬱蒼と繁る木々が見えた。
この地域に特有の、横に広がり何重にも枝を広げ、森となって大地を覆う樹木が。
自分が助かったのは、ティーダがかなり低空飛行していた為もあるが、この深い森のおかげでもある。
身体を散々殴られたと思ったのは、落ちる途中で枝に衝突しまくったせいだろう──
サイは服についた落ち葉を払いのけ、いつのまにか外れていた眼鏡を拾い上げた。
途端、頭上から滝の如く降りそそぐ、大量の雨水。
サイが落ちたその衝撃で、樹木の枝葉に溜まりに溜まっていた水が、数秒遅れでぶちまけられたのか。
おかげで、せっかく少し乾きかけていたタキシードも、また一瞬でずぶ濡れになってしまった。
おまけに、落ちた場所がかなりぬかるんでいたせいで、腰から背中にかけてが泥まみれだ。
枝にでも引っかけたのか、ただでさえかぎ裂きだらけだった服はさらに裂け目を増やし。
かすり傷と思っていたはずの右前腕部の負傷も、無視できないほどの痛みが広がり、赤黒い血が袖を染めていた。


──何やってるんだ、俺は。
そりゃ、こんな姿を見たら、ルナマリアだって誰だって呆れるだろう。
俺一人で出来ることなんて、限界があるぐらい、分かっているのに──


自分で自分に溜息をつきながら、サイは眼鏡をかけ直す。
改めて周囲を見渡してみると──
先ほど見えた白い建造物が、すぐ近くに見えた。
距離にして、10メートルも離れていない。
歩みを進めてみると、聞こえてきたのは──赤ん坊の泣き声。
しかもよくよく聞いてみると、どうやら赤ん坊を宥めているらしき子供の、必死な声まで響いてくる。
それを掻き消すかのようにさらに泣き喚く、複数の子供の絶叫。
何を叫んでいるかまでは分からないが、間違いない。
子供があそこで、助けを求めている。


なんてこった。
やっぱり、まだ逃げ遅れた住民がいたのか。
デストロイの脅威も迫っている、この空域に。


サイは痛みも忘れて走り出そうとしたが──
その瞬間、巨大な炎の弾が、流星のように空から落ちてきた。
それは、胸部から火花を放ち炎を噴き上げる、ダガーLの黒い機体。



「──!!」
声を上げる暇もなかった。
子供の悲鳴がまだ響いてくる建物に突き刺さるように、
爆光と共に、ダガーLが墜ちていく。



一瞬遅れで、サイの眼前に炎が溢れた。
荒れ狂う爆風が、彼の身体を吹き飛ばしかける。
咄嗟に低い姿勢をとって何とかそれに耐え、飛んでくる木々の破片から身を守ったが──





数秒してサイが頭を上げた時、
目の前に展開されていたのは、いつかの悪夢の光景だった。





「あ……あぁ……」
眼前の炎熱を凝視しながら、思わず嗚咽するサイ。
その脳裏に閃いたものは、
凍てつくような寒空の下、炎に巻かれる小さな診療所。
その屋根に突き刺さる、ディンの砕けた翼。
巨大な十字架にも似た黒いシルエットは、サイの記憶に焼きついて、決して消えることはない。
自分の両腕に残る、生暖かな血の感触と共に。



──同じだ。ネネが死んだ時と。



天の黒雲を焼かんとばかりに、激しく燃え盛る炎。
ネネ・サワグチが死亡した瞬間と同じ光景が、サイの眼前で展開されていた。
あれだけよく聞こえていた、子供の泣き声は──
完全に途切れている。
聞こえるのは、バチバチと木々が燃え、葉が灰になり、焼失していく音だけだ。



自分を狂気に走らせかけたほどの無力感が、またしてもサイを襲う。
やっぱり、何をやっても。
やっぱり、どこまで行っても──
俺は、何も出来ないのか。



あの時のように、銃を持ちだし騒ぐことも出来ず──
サイはひたすら、炎の前で立ち尽くすことしか出来なかった。
救出活動など、出来るはずもない。今の一撃だけで、古びた小さな建物は完全に倒壊してしまっていたのだから。



そんな彼を嘲笑うように、天を舐める炎。
ほんの僅かな間だけやんでいた雨が、再び降り始めていた。
灰を含み、黒く濁った大粒の雨が。



 

つづく
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