──それが、僕たちの望む、最後の革命だ。



そんなキラの言葉にも、アスランは納得出来ない。
飛沫をあげて湖に降りつつ、ストライクフリーダムと対峙するインフィニットジャスティス。
アスラン機の脚部で蹴られたチグサ機は、キラ機に庇われつつも何とか体勢を立て直している。
彼らに向かって、アスランは吼えた。



「それは欺瞞だ!
ヒトの意思を捻じ曲げてまで、することじゃない!
傷つく覚悟があるからこそ、お前は議長とレイ、グラディス艦長を……っ!!」



しかし、ストライクフリーダムから流れるキラの声は、それでも冷静さを失わなかった。
<アスラン。君は……
ラクスが傷ついても、同じことを言えるの?>
その言葉に、アスランは一瞬息を飲む。
「ラクスが?
ラクスに、何があったんだ!」
アスランの問いに、しばし沈黙するストライクフリーダム。
答えたくないと言いたげにアスラン機からカメラを逸らし、突っ立ったままのティーダZに向かおうとする。
そこへ、チグサの叫びが響いた。
<お前なんかが知ってどうする、アスラン・ザラ!
誰も助けられず、裏切るばかりだったお前に!
お前がシン兄ぃたちにナニしたかぐらい、とっくに知ってるんだ!>



──シン兄ぃだと?
この娘は、シンのことも知っているのか。
だとすれば、まさか……



言い知れぬ悪寒に苛まれながら、アスランはそれでも叫ぶ。
「ルナマリアたちにあんな真似をしたお前に、言われたくはない!
キラ! 答えてくれ。
お前はどういうつもりでそこにいる!?」
キラはそれでも黙したまま答えず、ティーダZに──
剥き出しのコクピットでぐったりしたままのナオトに、ストライクフリーダムの右腕を伸ばす。
ティーダを守ろうと必死でライフルを向けようとするインパルスなど、存在しないかのように。





インパルスのコクピットで、ヴィーノは迷っていた。
今すぐルナマリアたちを救出に行くべきか。それとも、ナオトを守るべきか。
彼が逡巡している間にも、ぐんぐんとティーダに迫るストライクフリーダム。
今やナチュラルよりも憎いアスラン・ザラが、何故俺たちの救出に入ったのかは分からない。
ただ、ヴィーノにとって、その場にいるモビルスーツはティーダ以外全て、味方とは思えなかった。
よりにもよって、ルナマリアとサイを殴り飛ばしたあの紅いヤツは当然として。
何度もミネルバの前に立ちはだかったストライクフリーダムも。
かつてミネルバを裏切り、ヨウランを人事不省にしたインフィニット・ジャスティスも──



なら、俺がティーダを守るしかないじゃないか。
これはヨウランがずっと弄っていた機体なんだ。絶対にお前らなんかに渡すか!



震える両腕で操縦桿を握りながら、ヴィーノは叫ぶ。
「う……動くな!
ナオトに、ティーダに、手は出させない!!」
同時にインパルスのライフルが持ち上がり、その銃口がキラ機を狙う。
だが、インパルスに全くカメラを向けぬまま、ストライクフリーダムから声が流れた。



<ここから逃げるんだ。
君を、殺したくない>



その言葉を聞いて、ヴィーノは感じた。
──完全に馬鹿にされている。
実力の差など、ストライクフリーダムの威容を見ただけで分かる。例え俺が怪我してなくても、万に一つも勝ち目はない。
黄金色に輝くカメラアイは酷く冷たく、触れただけで凍えてしまいそうな気迫をたたえていた。
警告はした。それ以上動けば撃つ──
キラの言葉を、ヴィーノはそう解釈した。そうとしか解釈出来なかった。
それでも、とヴィーノは気力を振り絞る。
「むざむざ、ティーダを奪われるわけにいくか!!」





「やめろ、インパルス!
ここは俺が……!」
ライフルを下げようとしないインパルスを見て、アスランは叫ぶ。
今のインパルスに誰が乗っているのかは分からないが、これ以上キラに手を汚させてはならない。
そう判断したアスランは、瞬時に機体を突進させようとする。
しかし、キラの反応の方が明らかに早く──
キラ機から放たれた光を咄嗟にアスランが避けた時には、インパルスのビームライフルは一刀両断され、マニピュレータごと爆発していた。



──最小出力での、ビームサーベルか。



キラ機が一瞬で二刀のビームサーベルを抜き放ち、片方でインパルスの腕を斬り飛ばすと同時に。
背後から迫ったアスラン機に、もう一方の刃で攻撃を加えようとした──
アスランがそう理解した時には、衝撃で吹っ飛ばされたインパルスは、湖岸の森へと轟音をたてて倒れていた。
「キラ……
本気で、俺たちとやるつもりか!」



かつて、二度もキラと敵対した時。
一度目は二人とも、状況に流されるままだった。
二度目は、結果的にキラとラクスが正しかった。少なくとも、カガリを、オーブを守るという点においては。
今は──どう判断するべきなのか。



そんな彼の脳裏をよぎったのは、カガリの言葉。
そして、アスランの知らない間に成長した彼女の、大人びた優しい微笑み。



──大丈夫だ、アスラン。
私はオーブの為に、北チュウザンとアマミキョを守る道を探っているにすぎない。



そう。
少なくとも、北チュウザンの人々を救う為に奔走した民間人のサイたちを──
容赦なくモビルスーツで殴りつける行為。
そしてそれを黙認し、新生したティーダを奪おうとする行為は、間違いなくカガリを激怒させ、オーブに敵対するものだ。



──勝てるかどうかは分からない。
だが、キラ……俺は、俺の正義に殉じる。



アスランの想いに呼応する如く、ジャスティスが再び飛沫を上げて飛翔する。
同時に、キラ機のカメラアイが真っ直ぐにジャスティスを睨み──
妖しく煌いたかと思うと、ビームサーベルの光が飛んでくる。
そこに一瞬遅れて、コクピットに響いた通信は。



<すまない、アスラン! 遅れた!>
モニターを染め上げる金色と共に、頼もしい声が響く。
それは、南チュウザンのダガーL軍団を振りきり、補給の為アークエンジェルに一旦帰還していた、ムウ・ラ・フラガのアカツキ。
アスランの意思に応じたかのように、カガリの想いを託されたオーブの機体が、敢然とストライクフリーダムの前に立ちはだかっていた。





 


PHASE-43 命の声




 

「うぅ……
い、いたたたた」
ガンガン痛む頭を押さえながら、ルナマリアはようやく身体を起こした。



──死ぬかと思ったのは、久しぶりだ。
しかもパイロットの癖に、コクピットじゃなく、生身で死にかけるなんて。



ゆっくり首を回して状況をよく観察してみると、どうやら自分は湖岸の崖に身体を叩きつけられた後、そのすぐ下の森に落ちたらしい。
鬱蒼と繁った葉と、雨で酷くぬかるんだ地面が相当クッションになったようで、思ったほどのダメージは受けていない。腕も脚も、特に問題なく動く。
雨は先ほどよりかなり強くなり、泥にまみれたパイロットスーツの表面を洗い流していく。



──そうだ。サイは!?



あの時、サイはどういうわけか、私をかばった。
パイロットスーツに護られているわけでもないのに、殆ど躊躇することなく。
慌ててルナマリアは、周囲を見渡した──



ほどなく、彼女の倒れていた場所からそう離れていない大樹の根元に、雨ざらしになって横たわっている黒い何かが見えた。
それがずぶ濡れのタキシードだと分かるまで、ほんの少し時間がかかった──
ルナマリアのパイロットスーツよりも遥かに泥まみれで、半分以上地面に埋まっているようにすら見えたから。
「サイ!」
思わず彼女は叫び、痛みも忘れて立ち上がった。
泥に膝まで埋まりかけながらも、ルナマリアはなんとかサイの元へ駆け寄っていく。駆けると言っても、泥水のせいで歩くよりも遅くなってしまったが。
「しっかり!」
うつ伏せで倒れこんでいたサイ。その身体の下に片腕を潜らせ、引きずるようにして上半身を抱きかかえる。
──大丈夫。まだ息はある。
ルナマリアが少しほっとしかけた時、彼女の視線のすぐ先に──
どさりと音をたてて、焼けただれた枯れ枝のような何かが垂れ下がってきた。



それは、袖の部分の殆どが引きちぎれ、剥き出しになったサイの左腕。
どこかで激しく引きずったのか、衣服どころか皮膚も見えないレベルに擦り潰され、血まみれの腕。
肉の部分まで大きく剥き出しになったその傷口を、容赦なく侵食する汚泥。



そんな状況でもまだ微かに意識はあるのか、サイは激しく息をつきながら、左の前腕あたりを右手で押さえていた。二の腕は傷が酷すぎて、触れることすら出来ないようだ。
あまりの光景に、思わず叫ぶルナマリア。
「バカ!
何で、私をかばったのよ!?」
ザフトのパイロットスーツは、薄くは見えるものの実は相当の衝撃に耐えうるように出来ている。いや、ザフトに限らず連合でもオーブでも、パイロットスーツはそれなりに丈夫なはずだ。少なくとも、タキシードよりは。
そんなことは、サイだって分かっているだろうに──
しかもサイはナチュラルで、私はコーディネイターなのに。男女差があるとはいえ、身体はパイロットとしての適性を認められた、私の方が丈夫なはずなのに。
だが今の彼はその疑問にすら答えられず、ただ激しい痛みに呻くことしか出来ない。
傷を叩き続ける雨すら痛むようで、傷の表面を雫が流れるだけで、サイの喉から微かな悲鳴が漏れた。
傷口を改めて確認するべく、ルナマリアはサイを仰向けにしてその背中を片腕で支える。
「ぐ……っ! あ、あぁ、う……」
それだけでサイの呻きは絶叫に変わり、痛みの強さを彼女に伝えた。恐らく、どこか骨折もしているに違いない。
半分以上泥と血で汚れてはいたが、その顔は完全に血の気が失せていた。
彼のトレードマークとも言える眼鏡はどこかに吹き飛ばされ、泥水を吸い切ったタキシードは酷く重く、左袖以外もあちこち大きく裂けて肌が露出している。



──とにかく、すぐに治療しなければ。



ルナマリアは反射的に、湖へ視線を向ける。
目に映ったものは、先ほど彼女らを助けたインフィニットジャスティスが、盛大な飛沫を上げてストライクフリーダムに飛びかかっていく光景。
ずっとミネルバと敵対していたはずのオーブの黄金の機体も、アスランを援護し、何故かティーダZを守っている。
ナオトがどうなったのか──ここからでは分からない。
その大分手前で、黒く生い茂った林を半分破壊しながら、仰向けで転倒しているインパルスが見えた。
右腕部をライフルごと吹き飛ばされたようだが、ぱっと見たところそれ以外の破損はない。
「ヴィーノ!」
そんなルナマリアの叫びに気づいたのかは分からないが、インパルスのカメラアイが彼女に答えるが如く、二、三度素早く点滅した。



──良かった。ヴィーノもまだ生きている。



ルナマリアは素早く頭を巡らせた。
このまま森の中で息を顰めているわけにはいかない。サイの治療も出来ないし、何より、あの規格外のモビルスーツ同士の戦いのすぐそばだ。いつどこで被弾してもおかしくはない。
ならば──
このままインパルスにサイを収容して、様子を見るしかない。
そう判断したルナマリアは、傷ついたサイを半ば強引に右肩に担いだ。
「どう? 歩ける?」
獣のように間隔の短い呼吸を繰り返しながら、歯を食いしばってどうにか痛みに耐えるサイ。
その頭が、微かに縦に振られた。
水を吸ったタキシードの重さにも構わずサイを担ぎあげると、ルナマリアはまっすぐインパルスの方向へと歩きだす。
「あ……ぐっ……!!」
彼女におぶさるようになりながらどうにか立ち上がることに成功したサイだが、泥を踏みしめようとした瞬間、またも酷い呻きが響いた。
確認すると、右足首が少し内側に捩じれすぎているように見える。
──脚もやられたのか。
まだ比較的無事に見えるサイの右腕を自分の両肩に回させ、彼の上半身の体重を自分で負うようにしながら、彼女は慎重に歩みを進めた。酷くぬかるんだ地面に足を取られないように。
そうしているうちに──
重く垂れこめた漆黒の雲から、カラスのような何かが群れを成して飛来するのが見えた。



また、あの偽ダガーどもだろうか。



ルナマリアは唇を噛みしめながら、身を屈める。
その予想はわずか2秒も経たぬうちに現実のものとなり、空を突き破るようにしてやってきた黒い鋼の一団は、湖に向けて光の矢を放ち始めた。
目が眩むほどの閃光が、あたりに溢れる。
その火線が狙うものは──インフィニットジャスティスと、アカツキ。
ルナマリアたちを庇い、ストライクフリーダムに真っ向から対峙していた2機はすぐに応戦。瞬く間に湖面から飛翔し、気づいた時にはアスラン機は既に3機の偽ダガーLを斬り飛ばしていた。
アカツキもまた、その特殊装甲で光条を次々に跳ね返していく。
空中で爆発四散し、落下していく黒の機体。
熱い蒸気を伴った激しい飛沫が湖面に舞い、激しくなる雨もあいまって、戦闘の様子はルナマリアからは殆ど見えなくなってしまった。勿論、ティーダの様子も。
そんな彼女を救うかのように、インパルスからのヴィーノの声が森にこだまする。
「ルナ! こっちだ!」
見ると彼は、機体が横倒しになった状態でありながらコクピットハッチを開き、必死で手を振っていた。
機体が倒れたおかげでハッチの位置が、比較的地表に近くなったのは不幸中の幸いだった──
そんなことを考えながら、ルナマリアはサイをもう一度支え直し、歩みを進めていった。





昇降用ワイヤーを使って何とかインパルスのコクピットまで辿りつくと、ルナマリアはすぐにサイの身体を操縦席に横たえた。
その血まみれのタキシードを目の当りにして、ヴィーノも息を飲む。
それにも構わず、ルナマリアはメディカルセットを座席下から取り出し、サイの治療を始めた。
泥と血をタオルでとりあえず拭い、最も出血の酷い左腕を診るべく、皮膚に張り付いていた布地の残骸を剥ぎ取っていく。
当然、その下の傷はほぼ全てが露出し──



「……!?」
あまりの惨状に一瞬、声も出せなかったルナマリア。
覗き込んだヴィーノまでも、彼女の心情を代弁するかのような呻きを漏らした。
「お、おい。何だよコレ……?」
医者の診断を待つまでもなく、ルナマリアもヴィーノも気づいた──
サイの左腕が、オギヤカ脱出時や今ここで負わされたものだけではなく、
それよりずっと以前から、酷く負傷していたことに。



大小様々な古いかすり傷や痣があちこちに散見され、明らかに後天的なものであろう不自然な歪みや凹凸が腕自体にあり、それだけでも目を覆いたくなるが──
最も目立ったものは、真っ黒に抉られた、弾傷の痕。
その部分を中心に、左肩から二の腕あたりまでの肌がどす黒く変色している。



「ヴィーノ。
インパルス、すぐに動かせそう?」
サイの傷口に視線を落としたまま、ルナマリアは出来るだけ冷静に尋ねた。
すぐミネルバJrにサイを搬送したいが、ティーダが囚われかけている今の状況では難しい。
インパルスさえ動いてくれれば、母艦に救援を乞うことも可能だし、もしかしたら援軍も来るかもしれない。
ヴィーノの考えも同じだったのか、すぐに答える。
「メインエンジンは損傷ないし、マニピュレータの駆動系をちゃちゃっと応急処置すりゃ、何とかなるよ。
だけど、ティーダはどうする? シンと同じように、奴らに攫われたら……」
不吉なことを口にするなと言いたげに、ルナマリアはキッとヴィーノを睨んだ。
それを目にして彼は肩を竦めたが、決して引き下がりはしない。
「……分かったよ。
でも、ティーダとナオトは放っとけないだろ?
今は、『あいつら』が何とかしてるけど──」
アスランの名を口にしたくもないのか、ヴィーノは憎々しげにモニターを横目で睨みつけた。
今も湖では戦闘が続き、黒い機体の総攻撃からティーダを庇う形になりながら、インフィニットジャスティスとアカツキが応戦している。
その爆光は時たま、血の気の失せたサイの頬を青白く染めた。
それでもルナマリアは手を動かしてサイの傷を消毒しながら、ヴィーノに指示する。
「何をするにしてもまずは、インパルスを動かせなきゃ話にならない。
修理、頼める?」
「分かった。けど──」
ヴィーノは少し戸惑いながら、サイに──
露わになった左腕の傷跡に、視線を向けた。



数多くの人間に傷つけられたと思われる、左腕。
その中には、ヴィーノ自身が与えた傷も混じっている。
ルナマリアがガーゼでほんの少し傷に触れるたびに、サイの瞼がぴくりと動き、呼吸が荒くなる。
それを見つめるヴィーノの目には、明らかに悔悟の念が見てとれた。



そんな彼に、ルナマリアは少しだけ声を和らげて言い直した。
「いいから。早くインパルス、直して。
このままでいたら、何も出来ずに死ぬだけよ?」
静かだがはっきり響いたその言葉に、ヴィーノはそれ以上何も言えず──
こくりと頷き、黙ってコクピットから外へ出て行った。





二人きりになったコクピット。
激しい戦闘音を出来るだけシャットアウトするよう、ルナマリアは改めてハッチを閉め直し、サイの傷口と向き合う。
左腕以外も、あちこちが血に染まっているタキシード。特に、胸元から腹あたりまでの出血は酷かった──
灰混じりの雨に濡れてほぼグレーに変色していたワイシャツが、今はどす黒い赤へと染められている。
とにかく、出血箇所を何とかしなければ。
シャツの襟ぐりにルナマリアは慎重に手をかけ、手早くボタンを外していった。
肌に張り付いていたアンダーシャツも、ほぼ無理矢理引きちぎるようにして剥がしていくと──



「……何よ、これ」



先ほどのヴィーノとほぼ同じ言葉を呟いたきり、ルナマリアは絶句してしまった。
その下から露出した胸には、明らかにさっきの負傷によるものではない、地割れにも似た古い裂傷があったから。
それはサイの右鎖骨から、一番下の肋骨あたりに至るまでを大きく裂き、決して消えない焼印のように肌に刻まれている。
さらにそこより下へ視線を移すと、右腹部のあたりにもう一つ、酷い銃創があった。
治療は施されているようだが、先ほどの墜落の衝撃で傷口が開いたのか、じわじわと出血している。
百戦錬磨のベテランであれば、この程度の負傷はよくあることだと、アカデミー時代に偉そうな教官から威張られたことはある。
しかし、サイは民間人のはずじゃないか。アークエンジェルに乗っていたとはいえ、今は──
そんなルナマリアの疑問を見透かしたかのように、掠れた声が流れた。



「……びっくりしただろ?
色々あったんだ。アマミキョで」



声に打たれたように、ルナマリアは思わず顔を上げる。
──目の前にあったものは、どこまでも透き通った晴空にも似た、蒼い瞳。
泥にまみれた顔で、その瞳だけが僅かにまだ光を湛えていた。
それがサイの目だと分かるまで、彼女は少し時間がかかった──



あぁ、そうか。眼鏡がないと、彼の顔ってこんな感じなのか。



そんなことを考えつつも、ルナマリアは努めて冷静さを装いながら尋ねる。
「色々あった、じゃないでしょ……
一体どうしたら、民間の船でこんなことになるわけ?
この傷、尋常じゃないわよ。白兵戦何回やったの?ってレベル。
特にこの銃創は……」
その問いに、サイは怒りも笑いもせず、ただ事実だけを答えた。
「撃たれたんだ。
アマミキョが、沈んだ時に」
「──!?」



ルナマリアはわけも分からず、思わず手を止めてサイを凝視してしまった。
「撃たれたって、誰に?
まさか……」
忘れもしない。あの時、血まみれになってブリッジに倒れていたのは、間違いなくサイだった。
そして、満身創痍の彼に馬乗りになっていた、金髪の女は──
「アムル・ホウナ?」
ルナマリアが思わず口にしたその名に、今度はサイがほんの少し目を開いた。
こんな時でなければ、思わず眼鏡がずり落ちかけるほど驚いていただろう。
「何故、君が彼女を……?」
「ついこないだ、ザフトの新人として乗り込んできたパイロットが、そう名乗ったの。
アマミキョにいたって言ってた。
船のデータを売り渡したことを、臆面もなく言いふらしてたのよ。新型に乗れたのは、多分そのおかげもあるんでしょうね」
酷くキツイ口調になっていると感じながらも、ルナマリアは言わずにいられない。
そんな彼女の言葉に、サイの蒼い瞳が酷い苦痛に歪む。
「そっか……やっぱり、そうだったんだ。
結局、彼女は夢を叶えちまったんだな。ハハ……ぐっ……」
乾いた笑いを上げながらも、全身から突き上げる痛みで呻くサイ。
どうやら熱まで出てきているらしく、呼吸も異様に熱い。慌ててルナマリアは彼の身体を抑えつけ、額から噴き出る血まじりの汗を拭き取った。
「ヘタに動いちゃ駄目よ! もう無理しないで」
それでもサイは、荒れる息の中でルナマリアに尋ねる。
「君は……
どうして、ここまでしてくれるんだ?
我がまま言いまくる俺なんか置いて、インパルスで艦に戻っても良かったのに」
「それが出来れば、とっくにしてる」
「ここまで付き合わせてしまって、本当に申し訳ないと思ってるんだ。
しまいには、キラとのことにまで巻き込んで……
キラとラクスさんがチュウザンに来て、あんなことをしてくるなんて、全然予想もしてなくて……」
「あの人たちの突飛のなさには、ミネルバ隊の方が慣れてるかもね。
だからあの時、私を庇ったの?
本当に馬鹿ね。私はパイロットスーツを着てるから少しは耐えられるのに、貴方は……」



そこでルナマリアは一つ、大きくため息をついた。
自分が今の今まで、何だかんだ言いながらもサイについてきた理由。
ずっとサイに告げることが出来なかった、自分の罪。
今こそ、懺悔するべき時だ。
「──アマミキョを撃ったのは、私なのに」



サイの瞳が、痛々しいまでに大きく見開かれる。
その表情の変化を受け止めるのも懺悔のうちだ。ルナマリアはそう思いながら、彼の目をしっかり見つめ、一言一言はっきりと言った。
「何を言っても、弁解にしかならないけど──
あの時ミネルバは、アマミキョを保護するよう、指示されていた。
だけど南チュウザン軍の攻撃で、みんなが混乱して……
その中で、私は──味方を助けようとして、アマミキョのブリッジを、撃った」
「助けようとして、撃った?
何故……」
「勿論、ブリッジを撃つつもりなんてまるでなかった。
狙いが外れたの」



サイはただ茫然としながら、ルナマリアの告白を聞いていたが──
やがて、息を整えながら静かに言った。
「あの時、アマミキョは殆どの人員が船外に避難していてね。
船に残っていたのは俺と、あとはほんのわずかな最小限の人数だけだった。
そして……
船に致命傷を与えたのは、君の射撃じゃない。
アムル・ホウナの手で仕掛けられた、船のメイン航行システムエラーによるものだ。
君が撃たなくても、いずれアマミキョは沈没していた」



──そうだったのか。
そういえばあの時、アマミキョはどういうわけか、既に火を噴いていた。
南チュウザン軍の攻撃によるものかと思っていたが、あれは……
あの女が仕組んだのか。



「だからって……!」
だからといって、自分の罪が消えるわけではない。
ルナマリアはそう言おうとして、つい口ごもった。
──少しだけ、安堵しかけた自分に気づいて。
そんな彼女の心中を見透かしたかのように、サイの言葉は続く。
「だが、君が撃ったことによって、船の沈没が早まったのは確かだ。
それがなければ、助かっていたはずの命もあったよ」
「…………」
当然だ。
君のせいじゃないなんて言葉、期待などしていない。
むしろ、そう言われたら、却ってサイを軽蔑したかも知れない。
そんな彼女の思惑を知ってか知らずか、サイは無駄にルナマリアを庇うような言動は取らず、痛みをこらえて話し続ける。
ただ、事実だけを。
「ハマーさんっていう、コーディネイターの整備士がいてね。
ナチュラルに家族を殺されて、ナチュラルを激しく憎みながらもアマミキョに乗り込んだ人だった。
俺も彼に、酷くやられたことがあって──
この胸の傷は、その時のヤツだ」
「…………」
「でも、アマミキョに乗って色々あるうちに、彼も少しずつ打ち解けていくようになってた。
酷い酒飲みだったけど、何とかそれを治すよう努力もしててね。
本当に腕のいい整備士だった。
だけどあの時──彼は船内の混乱で負傷して。
俺とカズイを脱出させてくれたけど、彼は力尽きてそのまま船に残った。
船が沈んだのは、その直後だったよ」
自分が撃たなければ、もしかしたらその整備士は生き残っていたのかも知れないのか。
サイが明言することはなかったが、ルナマリアは言外にそのようなニュアンスを感じ取った。
──はっきりと自分を責めてくれた方が、どれだけ楽か。
じりじりと苛まれるような痛みを感じながら、それでも彼女はじっとサイの言葉に耳を傾ける。
そんな彼女に、サイは内ポケットから、乾いた血が黒くこびりついた小瓶を取り出した。
「彼は最期に、俺にこれを渡してくれたんだ──
こんな、俺なんかにさ」
震える右手で取りだされた、親指ほどのサイズの小瓶。
カラカラと乾いた音をたてるその小瓶の中には、小さなヒマワリの種が数粒確認出来る。
意味がよく分からず首をかしげるルナマリアに、サイは言った。
「彼の娘さんの形見だよ。
ずっと身に着けていて離さなかったこれを、ハマーさんは俺に託した」





倒されたインパルスの胸部付近で機体の状況を確認していたヴィーノも、有線通信でコクピットのその会話を耳にしていた。
サイたちを脱出させて亡くなったという、見ず知らずの整備士の話は──
何故か、ヴィーノの胸に奇妙に響いた。
そいつもきっと、俺と同じくらいに……
いやそれ以上に、ナチュラルを怨んでいたはず。
かつてのシンがオーブを憎んだのと同じレベルに、ナチュラルを憎んだはず。
なのに何故、最期に彼はナチュラルたるサイを救い、殺された家族同然の形見を渡したのか。



──それはもう、俺自身もなんとなく分かってるじゃないか。
サイが、そこまで悪いヤツとは思えないから。
むしろ、ヨウランと同じくらい、憎めないヤツだから。



小型モニターで手早く故障個所のチェックを続けながら、雨音で掻き消されがちになる回線ごしの声に、ヴィーノは耳を澄ます。
ルナマリアの、酷く息を殺したような謝罪が、かすかに響いてきた。



<本当に……ごめんなさい。
謝ったところで何もならないのは分かってる。だから、せめて……>
<……でも、もういいんだ。
君はちゃんと仕事をしようとして、たまたまミスをしただけなんだから。
元をただせば、結局、俺が無力だったせいなんだよ>
痛みと熱にうなされているのか、サイの声は次第に荒ぶり、言葉も支離滅裂になっていく。
<こんな大事なものを、俺は託されたのに──
俺は、何も出来ていない。
ハマーさんだけじゃない。他にもたくさんの仲間を、俺は守れなかった。
ネネもオサキもメルーも風間さんもスティングもカイキも、絶対に守りたかった人たちを、俺は守れなくて──
トノムラさんのことだって、俺にはどうしようもなかった。
今も俺は、フレイを止められない。ナオトもマユも助けられない。カズイも傷つけてしまった。
キラとラクスさんが一体何を考えているのか、さっぱり分からない。
結局俺は……チグサって娘の言う通り、無能なんだ>



半分以上が、ヴィーノやルナマリアの知らない名前。
しかし、大事な仲間を失った上、仲間と思っていた者に裏切られた無念は、回線を通してヴィーノにも伝わってくる。
<でも、サイはアマミキョを再建したじゃない!>
必死でサイを励まそうとするルナマリアの言葉。
手を動かし続けるヴィーノも、ひたすら黙り込んだままそのやりとりを聞いていた。
カメラのフラッシュのように、湖でまだ光り続ける砲撃。
爆発音にかき消されそうになりながらも、ルナマリアの声は何故か響いた。





「アビーから、少し聞いたの。
アマミキョはハーフムーンだけじゃなく、色々な場所で多くの人を助けていたって。
今はプラントも大変なことになってるけど、アマミキョの隊員が大勢駆けつけて復旧作業をしてるって。
犠牲はあったかも知れない、でもそれは──」
「仕方のなかったことだって、やっぱり言うのかい?」
「違う。
同じくらい、いえ、それ以上にたくさんの人たちを、アマミキョは助けているってことよ」
幾枚ものガーゼを使って左腕の出血を消毒しながら、ルナマリアはサイを励まし続ける。
心身共に深く傷つけられたサイは、痛みと慟哭で絶望しかかっていたが──
そのルナマリアの言葉に、ほんの僅かに光を取り戻したような気がした。
傷による発熱でうなされながらも、サイは少しずつ両脚を動かしてみる。


──まだ動かせる。


左腕は酷く重たく感じるものの、それ以外はまだ大丈夫そうだ。
大丈夫と言っても、動かせないことはないという程度で、激痛がないわけではない。それでも──
ナオトを助けることぐらいは、まだ、出来るかも知れない。



しかしサイの中で、先ほどのマユの──
否、チグサ・マナベの言葉が蘇る。



──キラをずっと心配してるふりして、ホントは自分が助かりたかっただけ。
──あんたに、何かを守ることなんて絶対に出来ない!



そうだよな。
俺が何かするたびに、誰かを助けようとするたびに、それは裏目に出て。
俺を信じてついてきてくれた人間を守れず、何も出来なかった。
だからカズイを振り払おうと思ったけど、全然うまくいかずに。
結局カズイは傷つき、フレイには裏切られ。
俺が否定したかったアムルは、アマミキョを踏み台にまんまと自分の望みを叶えた。
今また、キラが──



痛みに満ちた呻きを喉から漏らしながら、サイは叫ぶ。
「分かってた。
ずっと分かってたんだ、俺はあまりにも無力だってことぐらい!
君の言う通りだ。一人でみんなを助けられるわけがないって……
結局それは、俺が甘かったせいなんだ。
みんなを助けたいなんて、そんなもの、偽善にすぎない!
フレイに認められたくて、どうしようもない自分を何とかしたくて、必死になってアマミキョに乗って、がむしゃらにここまで来たけど──
誰かを傷つけては裏切られて、守れずに失って、その繰り返しだ。
そのたびに、それ以上に多くの人を助けようとして、また失敗する。
結局俺の人助けなんて、そんなもんだ。偽善の塊なんだよ!」
「サイ!
落ち着いて、傷口が広がっちゃう!」
とめどなく感情を露呈し出したサイ。そんな彼の両肩を、必死でルナマリアは抑える。
だがサイの吐露は、もう止まらない。
「そうだよ……
俺、昔、ラクスさんやキラにも酷いこと言ったんだ。
あのきれいな歌声も、遺伝子弄ってそうなったんだろって、キラに……」
「──!!」
その言葉で、ルナマリアの手が、一瞬止まる。
当然だ。彼女だって、コーディネイターだものな。
そう分かっていながらも、さらにサイは言葉を継いだ。
「チグサは何も間違ってない、彼女の言う通りだ。
君だって、俺がラクスさんにそんなこと言ってたって知ったら、軽蔑するだろ?
彼女は今でも、プラントの平和の象徴なんだから」
「……要するに。
自分の優しさなんてうわべだけのものだから、何も出来ず、誰も助けられなかったって。
そう言いたいの? 貴方は」
ほうっと一つ溜息をつきながら、少しだけ軽さを装って肩を竦めてみせるルナマリア。
「じゃあ、私がこう言ったら、貴方は軽蔑する?
私が、誰かを慰めることで自分の無力さを忘れるようにしてる、って言ったら」



サイは一瞬、意味が分からなかった。
自分の為に、誰かを慰めてる?
ぽかんとしてしまった彼に、ルナマリアはさらに言う。
その言葉には若干、自虐も含まれていた。
「私ね。昔から、弱っている人や立場の弱い子を励ましたり、慰めたりすることが多くて。
それは単に、自分が世話焼きなせいだと思ってた。
でもね。私が慰めたり世話を焼こうとした人たちは、みんな離れていった。
アスランも、メイリンも……シンも。
シンに言われて、気づいたの。お前は誰かを慰めることで、自分を慰めてるだけだって」
「でも君は、とても一生懸命にナオトの面倒を見てくれたじゃないか。
今だって、俺を──」
「ナオトだってそう。
声が出ない間はずっと、私が介抱していたようなものだった。
でも、ナオトが声を出せるようになって、分かったの。私なんかがいなくても、ナオトは一人で十分やっていけるんだって──
それからずっと、私、自分でもはっきり分かるくらい、ナオトに冷たくなった」
「そんなことは……ないだろ。
君は本当に、ナオトを気にかけてくれてる」
「じゃあ、私が今、貴方を慰めることで自分が満足してるって言ったら?」



サイは思わず、ルナマリアの目を凝視してしまう。
彼女の視線の先にあるのは、剥き出しになった自分の胸の傷。
雨と泥で濡れそぼったスーツは肌に張り付き、薄暗いライトの光の下、身体の線がくっきりと見えている。
自嘲するように唇を舐めるルナマリア。その表情と重なるものは、自分に婚約を迫った瞬間のフレイの顔。
はっきり言われずとも分かった。彼女は自分に──



「軽蔑するでしょう?
私が貴方のこと、ナチュラルにしてはカッコイイ男の子だなって思ってる、なんて言ったら。
しかも私、ホントに本心から、好きな奴がいるのに!」
次第に吐き捨てるような口調になりながら、ルナマリアは呟く。
そんな自分を、心の底から汚らわしいと感じているようだ。
しかし──
サイは、全く彼女を軽蔑しようという気にはならなかった。
汚いとも、陰湿とも感じなかった。
多少がっかりしたことも事実だが、それはあくまで、「他に好きな男がいる」の部分のみ。
そうだよな、ナオトが言ってたっけ。この娘にはちゃんと、シンっていう彼氏がいるって。



「俺は、君に感謝しているよ。
ナオトをずっと世話してくれたことも、俺を助けてくれたことも。
例えそれがどんな感情によるものだとしても、君の行動で俺たちが救われたのは、事実だから。
君が慰めたことによって救われた人も、大勢いるはずだよ。少なくともナオトは、君にずっと支えられてた。
君が気づいてないだけ」
「え?」



思わぬ言葉に、顔を上げるルナマリア。
そんな彼女を見て、サイは思い出す──
自分が追い詰められていた時に懸命に呼びかけてくれた、カズイの言葉を。



──どんなにお前自身が、自分の言葉を否定したって。
いくら偽善と言われたって……
その言葉だけで、救われる奴がいるのも事実なんだ!



ごめんな、カズイ。
俺、また大事なことを忘れて、一人で勝手に落ち込んでた。
分かってたはずじゃないか、お前に必死で教えられて。
お前の言葉、そのまま彼女に使っちまった。バカだな、ホント。



ルナマリアはやがて、泣きだしそうになりながらも吹きだしてしまう。
「ふふっ……なあんだ。
貴方、自分でもとっくに分かってるんじゃない。自分は全然、無力なんかじゃないって。
その言葉、そっくりそのまま、貴方に返すわよ」
声を殺して笑ってはいるが、その両目にはやがて涙が滲み、泥にまみれた頬を汚していく。



──そうだな。
今俺がすべきことは、こんなところで彼女に愚痴ることじゃない。
今、やるべきことは。



「ごめん。
事情を殆ど知らない君に、こんなに愚痴ってしまって……」
「ううん、いいの。
おかげで私も、なんだか吹っ切れた」
優しく頭を横に振りながら、ルナマリアは呟く。
「貴方のおかげで、思いだせたから。
私がホントに好きなヤツのことを」
「え?」
「アカデミー時代から一緒にいて、なんだかずっと、放っておけなかったヤツがいるの。
家族を殺されたせいでずっとオーブを憎んでいたけど、本当はすごく素直で、バカみたいに優しくて、子供みたいに不器用で。
それでいて、私と同じで何故か世話焼きなところもあって……」



サイにはすぐ分かった。
恐らくそれは、ナオトから聞いたルナマリアの恋人──シン・アスカなのだろうと。
死亡したマユ・アスカの、本当の兄。



「今、あいつは南チュウザンに捕らえられてるけど──
私はずっと信じてる。あいつは、まだ大丈夫って」
「そうだね……
俺もそう思うよ。フレイの元にいるなら、彼は絶対に大丈夫だ」
そう声に出して言ってみて、サイはふと気づいた。
するりとその言葉が自分の口から出てきたことに、自分で驚いて。
──俺はまだ、フレイを信用しているのか。
フレイたちが探し求めていた、SEED能力者。
広瀬の報告書どおり、シン・アスカがSEEDを持っているのならば、確かにフレイが彼を殺すはずはない。
そう理論的に考えても無理のない話だったが、それ以上にサイの中では、まだフレイへの信頼が強く残っていた。
サイを必死で守ろうとした、フレイの必死な姿が──



──貴様は私が守る。だから私に従え。



フレイが俺に呼びかけたあの時の言葉は、今でも俺の胸に焼きついている。
アマミキョにいた時も、アマミキョを裏切った時も、オギヤカで俺を捕らえた時も──
フレイは常に、何かに抗うように俺を守ろうとしていた。
その「何か」は、未だに分からないけど。



その時、サイの思惑を見透かすかのように、ルナマリアは敢然と告げた。
「なら、決めた。
私、シンを助ける」
しっかりした彼女の言葉に、サイは思わずルナマリアを見つめ返してしまう。
目の前にあったものは、覚悟を決めた人間の顔。
「あいつとは、喧嘩したままだったもの。
必ずあいつを南チュウザンから助け出して、もう一度ちゃんと仲直りする。
おせっかいだ偽善だって何度言われたって、私はあいつと一緒にいたい」



そんな彼女の言葉に、サイの中で何かが再び、激しく鼓動を始めた。
それは、自分の身を賭しても貫き通したい、否、貫かねばならない願い。



3年前も、俺はフレイときちんと話をしないまま、一方的に彼女を突き放し、そのままフレイはいなくなってしまった。
その魂を受け継ぐかのように蘇ったフレイとも、俺は事情もろくに聞かないまま、ここまで来てしまった。
キラとも、フレイのことをきちんと話し合いもせず。
あいつとラクスさんに、何があったかも分からずに……
ナオトのことだってそうだ。ナオトがあの夢の世界に浸ってしまった理由も理解出来ないまま、あいつまで取り込まれようとしている。
なら、俺がやるべきことは、目の前の彼女とほぼ同じ。
違うのは、助けたい相手だけだ。



だが、サイがその決意を口にしようとしたその瞬間──
ずっとテレビ画面の点滅のように光り続けていた湖が、ひときわ強い光を放つ。
通信からのヴィーノの叫びと共に。
<ヤバイ、二人とも! 伏せろ!!>





水面から若干離れた天空で激戦を繰り広げていた、アスランとフラガ。
ほぼ動けないチグサ機とティーダZを守るかのように、彼らと対峙するストライクフリーダム。
何を考えているか読めないキラ──その機体の背後から追随してくる、無数の黒ダガーL。
何度撃墜しようと、水場に湧き出る虫のようにどこからともなく飛来しては、インフィニットジャスティスとアカツキに向けて斬りかかってくる。
必死で呼びかけるアスラン。
「やめろ、もうやめるんだ、キラ!
いくらお前でも、俺とアカツキ相手では……!」
ダガーLのビームを器用に空へ向けて跳ね返しながら、フラガも負けじと叫ぶ。
<諦めろ、キラ!
お前が何を考えているか知らんが、アークエンジェルももうすぐここに来る!>
<そう……>
アークエンジェルという単語を聞いても、キラは殆ど動揺を見せない。
ストライクフリーダムの腰部にマウントされた双対のビームサーベル──シュペールラケルタを二刀で携え、容赦なくアスラン機に斬りかかる。


──速い!


その動きに、迷いは全くない。既に腹を決めたキラの攻撃だと、アスランは感じた。
だが俺だって、そう簡単にやられるわけにはいかない。
キラの冷たい刃に、何度も機体が触れられかかる──それを紙一重で躱しながら、邪魔をしてくるダガーLを撃墜しつつ、キラに呼びかける。
「答えろ、キラ!
お前とラクスは、何故……っ!!」
<後ろだ、アスラン!>
今眼前にいたと思っていたキラ機が消え失せ、いつの間にか背後を取られるアスラン機。
フラガの絶叫がなければ、アスランはそのまま背中から斬られていたかも知れない。
そのフラガ機──アカツキは、大気圏用航空戦闘装備「オオワシ」のブースターを燃え尽きよとばかりに全開にしながら、亜音速に近いスピードで闇の雲海を滑空していく。ミサイルのように飛来するダガーLを次々と斬り飛ばしながら。
<クソっ……こいつら、どれだけ機体を無駄にする気だ!
ムジカ社長も泣き喚くレベルだぞ!>
フラガの精一杯の軽口を聞き流しながら、アスランは全速で一旦高空へと離脱した。
それを追いかけるように、ストライクフリーダムがまたしてもインフィニットジャスティスに斬りかかる。
アスランの心を抉る言葉と共に。



<僕はもう二度と、大切な人を失いたくなかった。
大切な人を、傷つけたくなかった。
それなのに──!!>



その言葉で、アスランは確信した。
間違いなく、ラクスに、何かが起こった。
キラと共に行動していたのなら、大丈夫だと思っていたのに。
しかも同行者はあの砂漠の虎・バルトフェルドだ。キラと彼がついていながら、一体何が起こったというのか。
チュウザンに潜入したラクス・クラインに尋常ならざる事態が発生し、それが原因でキラは南チュウザン側についたということか。しかし、ならば何故──
アスラン機を追うストライクフリーダムの刃。
どういうわけかその双対の閃光は、以前のような鋭さが欠けているような気がした。
セイバーに乗っていた頃の俺を、一瞬で撃墜した時のような冷たさが、ない。


──キラは、迷っている?


そんな疑惑がアスランの脳裏を掠めた、その瞬間。
フラガからの通信が再び響く。けたたましいアラートと共に。
<気をつけろ、アスラン!
七時の方向に、広範囲の熱源反応!>
「何? まさか……!」
<まさかも何もない、デストロイだ!>
瞬時にアスランはメインモニターを確認する──
どんよりと闇に包まれていたはずの南西方向の空に、やや紅を帯びた白い光が満ちた。
その光の中心で、まっすぐこちらに高エネルギー砲を向け、燃える森をメキメキ踏み潰しながら、重い駆動音をたてて向かってきている、鈍重な鋼の塊。それが、確認出来ただけで、3体。
「クッ……!
どこまでも、しつこい奴らだ!」
そう吐き捨てながらアスランは、全速力で機体を上昇させる。
同時に、まだ大分離れているはずのデストロイ──アウフプラール・ドライツェーンの砲口から、全てを焼かんばかりの閃光が放たれた。
まるで湖そのものを喰らい尽くそうとでもするように、大地へと牙を剥く火閃。
コクピットに光が溢れ、一瞬遅れで、雷撃が数十発一斉に落ちたかの如き轟音が、空気をビリビリ震わせる。
白い炎に吹き飛ばされ、飛沫を上げて蒸発していく湖。





「──ルナ!
おい、ルナマリア!! 大丈夫かよ!?」
突然の光と、続けて襲いかかってきた酷い衝撃で、ルナマリアは一瞬だけ気絶していた。
気がついた時目の前にあったものは、心配そうに自分を見つめて揺さぶり続ける、ヴィーノの瞳。
少し頭を回してみると、インパルスのコクピット内部の照明は殆どが落ち、正面のメインモニターは左側のあたりが半分近く破壊され、亀裂まで入っていた。
勿論そこには何も映し出されてはおらず、激しい雨が直接コクピットに入り込み、ルナマリアの頬を叩いている。


──サイは!?


暗闇の中で、彼女は慌てて状況を確認した。
コクピットに寝かせていたはずのサイの姿は、何故かどこかに消え失せていた──
そのかわりに座席に寝かされていたのは、ルナマリア自身。
思わず身を起こそうとして、両手をシートにつく。すると、手からべっとりと粘着質のものが付着する感覚が伝わってきた。
慌てて右手を引き抜き、パイロットグローブを見ると──
手のひらにこびりついていたものは、固まりかけている黒い血。
確かにサイがそこにいたと証明するように、その血はルナマリアのグローブの殆どを黒く染め上げていた。
「な、何よこれ……
ヴィーノ、何が起きたの?」
そんな彼女の問いに、ヴィーノは間髪入れず答える。
「デストロイだ。
あいつら、ここを焼き尽くしてもティーダを奪うつもりだよ!」
彼は悔しげに言いながら、湖の方向を顎で指し示す。
──そこは湖というよりも最早、火山の噴火口か間欠泉とでも形容した方が良い地形に変貌していた。
熱線によって巻き上げられた土煙と霧によってあたりの視界は非常に悪くなり、ともすれば粉塵が喉に入り込んでくる。
先ほどまで静かに水を湛えていた湖は半分がた分厚い蒸気となり、泥の斜面を覆い尽くしている。
閃光に大きく抉られた大地は熱せられたクレーターを形成し、そこに汚泥が勢いよく流れ込んでいた。
熱い霧の向こうに、微かに紅い光が幾つも蠢いている。森が燃えているのだろうか。
戦闘がすぐ上空で行なわれているはずだが、何故かその音は酷く遠く聞こえる。爆音で一時的に聴覚が鈍くなっているのか、まるで水の中にいるような感覚だ。
壮絶な有様を食い入るように見つめながら、ルナマリアは尋ねた。
「サイは? あいつ、一体どこに……」
「分からない。俺がここに戻った時にはもう、いなかったんだ」
「そうなの……
インパルスの状況は?」
「……ゴメン。
修理がもうちょっとで何とかなりそうな時に、デストロイが来て──
何とか直撃は免れたけど、地盤が崩落して機体ごと落ちてさ。
俺もインパルスと一緒に吹き飛ばされて、しばらく意識なかったし、多分その時にあのバカ……」
その状況では、VPSを展開していなかったインパルスが、コクピットが壊れるほどのダメージを受けても致し方ないといったところか。
まだ分析はしていないが、ヴィーノの口ぶりからすると恐らく、他の部分もかなりの損傷を受けたに違いない。全身泥まみれになりながら、彼はしょんぼりと肩を落としている。
しかしそれでも、彼らのすぐ上空では未だに戦闘が続いているようだ。
ルナマリアが確認出来たのは、隼の如く自在に天空を飛び回るストライクフリーダム。
その斬撃を紙一重で躱し続けながら隙を窺う、インフィニットジャスティス。
彼らに蝿のように群がろうとする、無数の黒ダガーL。
それを次々に撃破しながら、南へ向かおうとするアカツキ。恐らくデストロイをどうにかしようというのだろう。
爆光が雷のように轟き、もうもうとあたりに満ちた蒸気をエメラルドに染める。
「ティーダは……?」
そんな中、すぐにルナマリアは湖へと再び視線をやった。ティーダZがあったはずの場所へと──
何かの理由で動けないのか、その場にうずくまるように上体を落としている紅のストライクフリーダム。その向こうに、依然として棒立ちになったままのティーダZが見えた。
その付近へ次々と落ちてくる、ダガーLの残骸。
ティーダZの白い機体にも、何度かその鋼の塊は激突していたようだが、どうにか機体は倒れることなく奇跡的に姿勢を保っていた。
デストロイの光の被害も殆ど受けたように見えないのは偶然か、意図的なものか。ルナマリアには判断が出来なかったが──
ごうごうと音をたてながら、上空の闇に吸い込まれていく蒸気。
森が燃える炎、そして戦闘の光を反射し、その濃い蒸気は緑、紅、碧と様々な色に鈍く光り続ける。
激しい嵐のどん底に落とされたとしたら、そこから眺める雲はこのような感じなのだろうか。
ルナマリアはそんなことを考えながら、湖の岸辺あたりにふと視線を移した。
岸辺と言っても既にデストロイの砲撃で溶け崩れ、四方八方から泥水が流れ込んでいる場所だったが──
「……!?」
ルナマリアは思わず身を乗り出した。ありえない、あってはならない光景を、そこに目撃して。
「サイ……そんな!!」
燃え残り煙を噴きだしつづける木々の間に彼女が見たものは、
よろよろと立ち上がり湖へと向かおうとする青年の、細い影。
再びあたりを照らし出した一瞬の爆光により、その姿は一層鮮明になる。吹き荒れる雨風の中、激しく煽られるタキシードの裾が見えた。
ボロボロにちぎれ、元の長さの半分近くまで裂かれたその裾は、敗走を続けながらも立ち上がろうとする軍の旗のようにも見える。
「サイ、やめて! 戻って!!」
即座にサイの目的に気づいたルナマリアは、全身で叫ぶ。



彼は──この状況下でもなお、ティーダを、ナオトを、取り戻すつもりだ。
私がシンへの想いを改めて口にした時、彼の目から迷いが消えた気がする。
サイは何も言わなかったけど、あの時、恐らく──
そんなルナマリアの叫びが届いたのか、サイはほんの少しだけ、こちらに振り向いた。
熱い蒸気と閃光を背景にして、ほぼ黒い影にしか見えないサイの姿。その中で、あの青い瞳だけが、静かな輝きを湛えているようにも見える。



──ありがとう



サイの唇が、そう動いたような気がした。
瞬間、ルナマリアは思わず駆けだそうとする──
「サイ、やめて! 何をする気なの!?」
そんな彼女を、慌てて羽交い絞めにしながら止めるヴィーノ。
「待てよ! 今あそこに行ったら、ルナまで死んじまうぞ!!」
「お願い、離して!
彼、たった一人でナオトを助けるつもりなの!? あの身体で!」
必死でもがき、ヴィーノの手から逃れようとするルナマリア。しかし意外に彼の力は強く、決してルナマリアを離そうとはしなかった。
「だからってルナがいなくなったら、ミネルバJrはどうなるんだよ!?
シンもナオトも、戻ってこられねぇぞ!!」
その言葉で、ルナマリアははっと我に返る。


──そうだ。私はミネルバJrに残された、唯一のまともなパイロットなのだから。
私がいなくなったら、みんなはまた、あの時と同じ痛みを繰り返すことになる。
メサイア戦で味わったのと、同じ痛みを。


そう気づいてようやく暴れるのをやめた彼女は、力を落としてへたりこむ。
そんな彼女を、ヴィーノは必死で励ました。
「さっきやっと、ミネルバJrとも連絡が取れたよ。
多分もうすぐ、みんなここへ来る。うまくアマミキョとも連携出来れば、きっと……」
それでもルナマリアは、湖へと立ち向かうサイの後ろ姿を見守らずにはいられない。
鈍く光る雲の中へ消えていくかのような、小さい微かな影を。
彼の向かう先で、依然として悠々と屹立するティーダ・Z。
その白い機体は、炸裂する爆光の中、どういうわけか先ほどまでよりさらに輝きを増しているように思えた。


 

 

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