「君は確かに、アークエンジェルに乗っていた。
アークエンジェルに帰りたがっていた! 俺はあの時確かに、この耳で君の声を聞いたんだ!!」
あの時とは勿論、2年前──メンデル付近でフレイの乗った救難ポッドを発見した時のことだ。もう太古の昔のように感じる出来事。
特に今のフレイを知った後では、必死でアークエンジェルの救いを求めて宇宙を彷徨っていた彼女のか細い叫びなど、笑い話にしかならない。
だが俺は、それでもあの時の君を覚えている。
冷厳なる態度をこれっぽっちも崩さないフレイに、サイは叫んだ。デッキの天井にまでその声を懸命に響かせる。彼女の威容に負けないように。
すぐ近くにいるはずなのに、遙か上空から見下ろされているように感じる。一体何だ、彼女の尊大さは?
聴衆がさらにざわめいたが、サイはもう構わなかった。ナオトが穴の空くほどフレイとサイとを見比べているのは分かっていたが、構わなかった。
そんなサイに噛みついたのはカイキだ。「貴様、隊長に恥をかかすか!」
「あんたは黙っててくれ! 俺にとっちゃフレイは隊長でもなんでもないっ」
「だったら何だというんだ貴様っ!」
カイキがサイの胸倉を掴みかけたが、フレイがカイキを片手だけで制した。
彼女はサイを見据えたまま、言い放つ。「アークエンジェルは好きだ。撃沈したいほどな」
サイの感傷など一息で地面に叩き伏せるかのような、断言だった。
彼女の台詞の意図をまるで理解できず、サイはナオトを庇った体勢のまま茫然とするしかない。その腕の中のナオトはといえば、痛みを一瞬忘れたように、大きな眼を丸くしてフレイを見ている。
そしてその周りの観衆も、ナオトとほぼ同じ目線でサイとフレイの言い争い(あまりに一方的な争いであるが)を見守っていた。
さきほどまでナオトだけに集中していた興味本位の視線が、一瞬でこの二人に注がれる。
そんな視線を浴びてもフレイは不快になるどころか、満足しきっているようだ。彼女は唇に薄笑いを浮かべ、さらに言う。サイにだけでなく、その場の全員に聞かせるように。
「本来、貴様らに答えを提示する義理はないが、答えてやろう。
私が目指すものは、よりよいアークエンジェルだ。
このアマミキョを、さらに輝かしき大天使とする──それが我ら、アマクサ組に課せられた使命だ。
かの大戦を停止させる大きな力となったアークエンジェル。オーブの船クサナギ、ザフトの船エターナル。
彼らを率いる、ウズミ・ナラ・アスハの忘れ形見でありオーブの次期指導者、カガリ姫。ザフトの平和を護る女神、ラクス・クライン。
それを護るは、オーブ伝説の英雄──キラ・ヤマト。ザフトの英雄、アスラン・ザラ。連合の英雄、ムゥ・ラ・フラガ。
平和の理念をかかげた、まさに理想の軍だ。
いささか自己中心的な正義を押しつける傾向があった処が、彼らの欠点とも言えたが──それを補ってあまりある力と想いが、彼らにはあった。それゆえ、ザラ派の暴走を阻止できたのだろう」
フレイのこの言葉は、クルーたちの心を刺激した。
オーブ出身者が大多数を占めるアマミキョクルーの中には、伝説的英雄であるアークエンジェルとその船団に憧れ、アマミキョに乗り込んだ者も数多い。そうでなくとも、オーブの人間の大多数はカガリ代表の支持者である。
そして、伝説の中心であるキラ・ヤマト、ラクス・クライン、さらにアスラン・ザラや他のアークエンジェルクルーを神話の主人公として担ぎ上げる者も少なくない。しかも彼らのほぼ全員が厳重にプライベートを伏せていたり偽名を使ったり行方不明になっている為に、神話はさらに膨張していた。
大戦後に発売された暴露本の類をサイは何冊か読んだが、カガリは勿論キラ、ラクスも過剰なまでに英雄化・女神化されて描かれており、サイはカズイに見せられて思わず爆笑した覚えがある。アスラン・ザラについては名前、写真、ほぼ全てのデータが公表されていない為に噂だけが先行し、三流マスメディアによる神格化が余計に進み、彼の所在を政府にしつこく問い合わせる女性ファンまで現れる始末だった。
ゆえに、アークエンジェルに搭乗していたサイやカズイは必要以上に注目されることにもなったのだが……
明らかにその心理につけこんだ、フレイの言葉だった。
「私の心に、彼らのことは常に在る」フレイは恍惚とした表情で宙を見上げ、両腕で何かを抱きしめるような仕草をしてみせる。
サイは思わず目を背けた。その目つきがまるで、キラを抱きしめている時のそれに思えて。
一体、俺がどんな思いでキラのことを話したと思っているんだ、君は!?
サイは喉まで出かかった罵声を、懸命に抑えた。それだけは言ってはならない言葉だ。
言えば、俺は負ける。決定的に、フレイに負ける。
「うまいこと言うぜ、さすがフレイだ」フレイを見ながら、カイキがマユにだけ呟く。マユはにっこり笑ったままだ。
「その為には、貴様らにも協力してもらう。社長ともアマミキョ運用計画を再検討中だ。
今のアマミキョには力も、想いもない。ヘタにアークエンジェルを真似、自分こそが正義と名乗ろうとする愚か者しかおらぬ!」
それだけ言うと、フレイは紅いパイロットスーツの細身を翻し、堂々とデッキから出て行った。カイキ、そしてマユも共に。
「素晴らしい……!
彼女こそ、我がアマミキョ、そしてシュリ隊の掲げる目的そのものだ!」クルーの中から、一人飛び出してきた者があった。トニー隊長だ。
「誰がてめぇのだ! いくらなんでも、こんな暴力沙汰ありえねぇっ」サキが叫ぶが、その罵倒を酒瓶の割れる音がかき消した。今度はハマーだ。「やかましい、ナチュラルの雌犬は黙ってろ! 非常事態を認識しやがれ」
「んだと、アル中の遺伝子も改造できねぇエセコーディネイターの癖に!」サキが負けじと怒鳴りかえし──
「黙れ雌豚が、俺をこうしたのは貴様らナチュラルだろうが!」「そうよ言いすぎ、いくら自分たちが無能だからって」「無能はどっちだ、てめぇはただ震えてただけだろうが」「あんたのヘタな操縦のせいで酔っちゃったのよっ」「君らちょっと冷静に」「うるせぇ! どうせ俺たちを襲ったの、てめぇら連合だろっ」「ザフトだよ! ジンが港を壊したっ」「自分はオーブの民間人だ、連合でもザフトでもない!」「やめてくれよ、戦争はとっくに終わってるんだ」
フレイたちが退場した後は、大騒動となった。

 

PHASE-05 支配の始まり



「おっはよーございまーすっ!!」
おどけて敬礼してみせるナオトの笑顔が、目覚めたばかりのサイの眼前にあった。
「ウーチバラ時間でもう午前4時ですよっ。早く集合しないと社長に怒られますよ、サイさん!」
まだ横になっているサイの上から、ナオトは腰に手を当てて呼びかける。元気な大声が、サイの脳髄をガンガン叩いた。
サイは真っ暗な狭い自室の中で、制服のまま寝ていた。昨日の騒動を止めようとして殴られ、蹴られ、しまいにはナオトを抱えて自室へ逃げ帰るはめになり──結果、埃まみれの制服も乱れたネクタイもそのままだ。
アマミキョ襲撃から何時間と経過していないはずなのに、もう3ヶ月ほどが過ぎたような気がする。それほどに、あまりにも多くのことが起こりすぎた。
ナオトに視線を向けると、彼は昨夜サイが渡した予備の制服をきちんと着込み、にこにこ笑っている。ただし、顔は奇妙な形に膨れ上がり、頭には包帯が巻かれている。ガーゼで覆われた左目のあたりは、青あざが色濃い地図を作っていた。
あれだけの目に遭遇したというのに、この少年の何ら変わらない元気さは何だろう? サイは内心呆れたが、それをナオトの強さだと結論づけるには早急すぎることぐらいは判断出来た。
おそらく今まで、このようにナオトは生きてきたのだ。痛々しいまでの笑顔を武器に。
「君は元気だな。こっちは2時間しか寝てないよ」
「起こせって言ったのサイさんです」ナオトはおどけたふくれっ面を作ってみせる。「それと、アマクサ組が全員の朝礼やるそうですよ。ただでさえサイさん目つけられちゃってますし、遅刻したら大変でしょ?」
「また、あいつか」名前を口にするのもうんざりだった。
サイは頭をかきながら立ち上がり、備えつけの洗面台でおざなりに顔を洗い始めた。幸い、サイたちのいる居住ブロックには今のところ、重力制御や配水システムに問題はないようだ。そんなサイに、ナオトは矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「フレイさんて、サイさんの何なんですか? 一緒にアークエンジェルに乗ってたって本当ですか?」
サイは懸命に冷静さを保とうと努力したが、どうしても気持ちがてきめんに顔に表れてしまった。自分の顔が青ざめるのが、鏡で分かる。「寝起きに質問攻め、さすがプロのマスコミだね。ベッド貸したの、少しは感謝してくれてるかい?」
「はい、ありがとうございます! 今晩もよろしくお願いしますねっ」満面の笑顔でナオトは言ってみせたが、その時左頬のあざが痛んだらしく、つい顔を押さえた。
「無理して笑うことないよ」
「いえ、これも自分の仕事ですし!
オーブのことわざにもありますよね。笑う門には福来たる、災い転じて福笑いです!」サイに向かってナオトは元気良くピースサインまでしてみせる。顔が腫れていなければウインクもしていただろう。
「そうだっけ? なんか違うような」「すみません、今のは僕の造語です」


アマミキョは既にウーチバラ空域を離れ、その一方でコロニーウーチバラはオーブ・チュウザン合同軍の手で何とか沈静化していた。
例の不可視戦艦──ネオ・ロアノーク率いるファントムペインである──再襲撃の予兆も今のところ、見られなかった。
ザフトのジン部隊(ナオトの話ではヨダカ隊と名乗ったらしい)の行方が知れない以上油断はならないが、残存していると推測されるのが隊長機のジンハイマニューバ2型以外はないことから、アマミキョ側はこのザフト脱走兵部隊に関しては楽観視していた。
それよりも、昨日の騒動によるアマミキョ内部での小競り合いの方が問題だった。フレイたちアマクサ組と社長はブリッジ脇のブリーフィングルームにこもったままで、肝心のブリッジは副隊長一人が取り仕切っている。シュリ隊隊長であるトニーは、全員をまとめあげるべく船内を走り回っていたが、ただ走り回って小突かれるだけだった。
一度は静かになったものの、またいつクルーたちの爆発が起こるか分からない。しかも船体後方周りを取り囲むように建造された居住ブロックには、既に定員を大幅に超える避難民が収容され、しかもさらに大人数の救助艇をアマミキョは牽引していた。
その数、確認されただけで2223名。
到底、一人の努力で対処可能な人数ではありえなかった。


「サイさん、聞かせてくださいよ。フレイさんって一体何者なんです?
元大西洋連邦国務次官=故ジョージ・アルスター氏のご令嬢という処までは調べがついてます。ただその後、どうしてもデータが探し出せなくて」
「あの大戦はメチャクチャだったからな。ザフトも連合もオーブも関係なく、膨大な量の人物データが損失してる。仕方ないよ」
廊下を出たサイに、なおもナオトはくっついて離れない。
彼女が既に死亡しているはずだという事実を、サイは明かさないことにした。これ以上心に踏み込まれることは、いかにサイでも我慢がならなかった。にも関わらず、ナオトは喋り続ける。
「だからって、理解不能です。ご令嬢が大戦中に行方不明になって、2年後には傭兵部隊のボスですか?」
「君の尊敬するカガリ代表だって、砂漠でゲリラのボスやってたって話は聞いてるはずだけどな」
「ええ。あまり報道するなと釘さされてますけどね」
リフトグリップで低重力の廊下を渡っていくと、しばらくしてカズイと合流した。モビルスーツデッキにて徹夜で作業を手伝わされたらしく、頬がげっそりとこけている。それでもカズイはサイとナオトの会話を聞いていたらしく、半ば強引にそこに参加してきた。
「さすが報道、調査早いね。
フレイはアークエンジェルにいたけど、降りたんだよ。連合のプロパガンダに利用されそうになって」
「カズイ!」サイが斬り捨てるように制した。その勢いに、カズイは思わず肩をすくめ「ごめん」と反射的に答える。
リフトグリップで廊下を移動しつつサイは背後のナオトに真っ直ぐ向き直り、後ろ手でグリップを掴みながらあえて厳しく言った。
「君、もう一度自分の両親のこと聞かれたい?」
「すみません」それを言われると、ナオトも一旦黙らざるを得ないようだった。不貞腐れたように横を向くナオトを見て、サイは自分で自分の傷口を露呈したことに気づく。今の一言は、フレイの件はサイにとって、ナオトの両親と同程度の過去だと暴露したようなものだ。
しかしナオトはそこまでは理解出来なかったのか、すぐに口を開いた。「でもね、キラ・ヤマトとアークエンジェルって言ったら、オーブの全マスコミ、いえ全国民にとって伝説なんです! 知りたいのは当然でしょ?」
「そうそう、そういや」カズイが何とか空気を変えようと、大げさに手を叩く。「君はラクス・クラインに憧れてるって、どっかで言ってたよね!」
その単語に反応し、ナオトの笑顔が戻った。「はい! 僕の理想の女性なんですっ。
大戦の中に自ら飛び込んで、伝説の戦士キラ・ヤマトと共に戦場を駆け、人々の心を戦乱から救おうとした平和の歌姫! 
素敵ですよね、僕あの人に憧れて報道目指したようなものなんですよ。カガリ代表が大地の女神なら、彼女はまさしく天上の女神です! 一見ぼーっとしてそうな処がまた親近感そそるんだよなぁ〜」
「俺も好きだよ、彼女の心根は」ナオトの脳天気さを見ていると、昨夜の一件がアホらしく思えるサイだった。
「それに比べて、何なんでしょうあのフレイさんって。令嬢だかなんだか知りませんけど、僕にした暴行はやりすぎだと思いませんか?
ティーダの件にしても、人質の件にしても不可解すぎです。一度でいいからあの人ギャフンと言わせてやりたいですよ。
サイさん、知り合いなら弱みの一つや二つ知ってるでしょ」
「今となっちゃ俺が知りたいね」
ナオトはそれでもしつこく食い下がり、しまいにはグリップに乗りながらサイの肩に食いつくような体勢になった。
「よせよ、グリップ壊すぞ」
「ごまかさないで下さい! アークエンジェルで絶対何かやらかしたでしょあの人、例えばキラ・ヤマトとスキャンダラスな関係にあったとか!」
ちょうどそこは、リフトグリップが切れる曲がり角だった。サイは思わず次のグリップを掴み損ねかかったが何とか体勢を保った。が、ナオトとカズイは仲良く壁に激突するハメになった。


重力制御のされた医療ブロックにサイたちがさしかかった時、看護師のネネが仕事の手を休めて駆けつけてきた。「ナオト君、お待たせ!」
ナオトの包帯の様子を確認しつつ、ネネはナオトに小さな包みを渡す。中には首からかける形の、布製のオーブ風お守りが入っていた。紅い刺繍のされた外袋を開くと、脱脂綿の中にきれいな桃色の月が見えた。
それは爪だった。今はもう、何処にもいない女性の。
「フーアさん……か」ナオトは中身を大事そうにしまうと、一度きゅっと握り締める。
「大丈夫。彼女も、アイムさんもいつでも貴方のそばにいる。だからあんまり、無茶はしないで」ネネはナオトの頭を軽く撫でてから、すぐにサイを振り返った。「大丈夫ですか、殴られた処?」
「ナオトよりはずっと軽いよ。君たちは朝礼には?」
「出られる状態に見えます?」医療ブロックの状態は相変わらず目茶目茶だった。まだ放置されている患者、泣き喚く子供、怒鳴り散らす中年。血だまりは徹夜の清掃で何とかなったが、今度は隅に座り込んだ老人から何かが垂れ流されている。悪臭と共に。
「こちらのことは気にしないで下さい。それより」ネネはくりくりした大きな目をサイに向けた。その視線は、昨日までの彼女とは微妙に違っている。明るさは変わらないが、こちら側を探ろうとする興味本位の眼──
そう感じたのは、自分が意識しすぎなのだろうか。サイは自分が嫌になりそうだった。
「フレイさんのこと、気をつけてくださいね。狭いし人がいっぱいいますから、ここ」
「噂なら、慣れてるさ。何をどう言ってもいいけど、俺とフレイはアークエンジェルでは何もなかったよ。哀しいくらいに。
これが真実」
その時、スズミ女医がネネを呼ぶ怒鳴り声が轟いた。ネネは飛ぶように反応し、中へと駆け込む。その時、彼女はサイに向けて念を押すように叫んだ。「私、何も言ってませんからね!」
そうだろう。自分は何も悪くないと思いたいのは、人の習性だ。そういう人間に限って、噂を面白がって聞きたがる──ネネがそうだとは言わないが、別に否定すべきことでもない。
「サイ、遅れるよ!」カズイとナオトはとっくに先を急いでいた。
アマミキョのクルーたちがサイを見る目は、明らかに変化していた。アークエンジェルにいて、しかも「あの」フレイ・アルスターとただならぬ関係にあった男──サイが噂の種となるまで、大して時間はかからないだろう。


モビルスーツデッキでは、集合可能とみなされたアマミキョクルー──シュリ隊メンバー全員がひしめきあっていた。奥には、ストライク・アフロディーテがしっかりと固定され、堂々とメンバーを見下ろしている。紅の巨大な人型兵器の持つその威容は、人の心を服従させる力があった。しかも、オーブ人にとっては伝説の「ストライク」の顔と名前を持つモビルスーツだ。
そして今、右腕の掌部分──マニピュレータが水平に持ち上げられ、そこにフレイが立っている。
巨神が、少女を掌に乗せている。この光景だけで、十二分に人の心を捉える威力はあった。
フレイの後方に控え、同じくアフロディーテの掌に乗っているのはカイキだ。アフロディーテのまた後ろでは、ティーダの真っ白な機体が輝いていた。そのおかげで、アフロディーテに後光がさしているようにすら見える。
「何もここに重力制御かけることはっ!」「ティーダまで動いて……マユ?」サイたちが喚きながら飛び込んでくるや、カイキの怒声が飛んだ。「遅いぞ!」
構わずに、サイは叫んだ。「今度は何だ、フレイ!」
アフロディーテの掌の上で振り返ったフレイが、腰に手を当てたポーズで言い切る。「時間すら守れぬ分際でいっぱしの口をきくな」
サイはそのフレイの姿を見た瞬間、心を一気に逆なでされる感触を味わった。
フレイは、連合の少年兵の制服を着用しており──つまり、サイが最も思い出したくない時期のフレイと全く同じ容姿をしていたのだ。自分を裏切り、キラを傷つけていた時と同じ──
何のつもりだ!
カズイはクルーの中にアムルの姿を見つけ、そちらに寄っていく。彼女の横顔に表情は無かったが、カズイに気がつくと途端に笑顔を見せた。
ナオトはマユの姿を探すが、見つからない。ティーダを見上げても、答えはない。
と、その時フレイの声がアフロディーテのスピーカーを通じ、デッキ全てに響きわたった。
声は船内回線を通じ、宙域を征くアマミキョ全艦に轟く。モニターのある場所では、半ば強制的に彼女の姿が映し出されていた。
「アマミキョ乗船中の諸君、挨拶が遅れた。
私はフレイ・アルスター。緊急援助隊シュリ隊、及びこのアマミキョ護衛の任に当たる、アマクサ組一番隊隊長である!」
スカートから伸びた長い脚。その下の聴衆を見下ろし、フレイは言い切る。人々のどよめきを、心地よさげに聞きながら。
「先日のウーチバラ襲撃事件を鑑み、本日よりアマクサ組は、シュリ隊及びアマミキョ管理の任を兼務することとなった。
これはムジカノーヴォ社長よりの、直々の要請である」
デッキに備えつけられた何台かのモニターに、ブリッジにいるムジカノーヴォ社長の笑顔が映し出された。<皆さん、突然のことで申し訳ないが、よろしくお願いしますね〜
僕も色々と忙しい身、アマミキョ周辺も色々と騒がしいようだし、餅は餅屋と判断しました。ご了承願いたい>
「そんな無責任なっ」「契約の時には何も!」
カズイとアムルを皮切りに人々が騒ぎ出したが、トニー隊長がアフロディーテの脚部の裏から飛び出した。
「無礼を言うな! 彼女が我々の為にどれほどの戦いぶりを見せたと思っているっ」


ブリッジではその様子を、社長とリンドー副隊長が満足げに眺めていた。
社長が回線に向かって笑う。「規約にはきちんと明記されていますよ。運営管理規程第11条、アマミキョ運営管理責任者は自薦・他薦に基づいて、文具団幹事が任命する」
ブリッジには他に、操縦と警戒の為、最低限の要員が残されていた。全員、不安げな面持ちでフレイの声を聞く。
アフロディーテのそばにひっついて喚くトニー隊長をモニターで眺め、自動操舵の調整をしながらサキが呟いた。「早速、犬かよ」


「本来その予定はなかったが、周辺状況がアマミキョの放置を許さぬ。
従って、この船を本来の目的──救難船としての目的を完遂できるよう、我々が統率する!」
フレイは人々の遙か上から、宣言を続ける。
あまりのことに怒りを通り越して笑いが出そうになったサイの後ろから、ナオトが飛び出した。
「卑劣です! アマミキョは民間の船ですよ、こんな軍人みたいなこと!」
ざわめきの中でも、ナオトの鍛えられた声は響いた。しかしすかさず、ハマー・チュウセイの笑いがそれをかき消す。「さすが、わざとミスる半端ガキは違うな!」
「関係ありませんよ! 全員の問題でしょっ」ナオトが激怒してくってかかろうとしたその瞬間──
奥で不気味な輝きを放っていたティーダが、動いた。
とはいえ、ただ単に右腕部を動かし、装備されていた攻盾システム・トリケロスの威容を知らしめただけなのだが、それでも十分にナオトやクルーを圧する力はあった。
「マユ……?」ナオトは絶句する以外にない。彼の上に、マユの声が響く。ティーダの外部スピーカーからだ。
<ナオト! あんまり言うと、今度はこれで殴っちゃうよっ>
ティーダはわずかにトリケロスの先端部分を稼動させ、人々の上にちらつかせる。内側には3連装の貫徹弾、ランサーダートがしっかり装着されていた。もしこれが腕から落ちれば数十人単位で圧死者が出るだろう。悲鳴があちこちから飛び出した。
顔色を全く変えずに、フレイはなおも言い放つ。「きれいごとで片がつくなら私も苦労はしない。
320名のシュリ隊隊員に2237名の避難民、大量に人間が集まる処で騒動は必然……
一つになる為の、求心力が必要だ」
お前がその求心力になるってのか。ナオトを下がらせながら、サイは一人呟く。 
「このアマミキョ、そしてシュリ隊。ひいてはチュウザン本国の危機を救うには、皆の一致団結と隊員のさらなる成長が不可欠だ。
先の戦闘におけるモビルスーツデッキ、ブリッジ、その他各所で発生したシュリ隊隊員どもの騒動──
あの情けなさ、到底人を救うべき者どもの行動ではありえん!」
フレイの言葉に怒気がこもり、ざわめきが一瞬、消える。さらに朗々と響くフレイの言葉。
「ブリッジ、デッキ、整備班、救護班、居住区担当、配給担当、その他各ブロックでしかるべき者たちを選び、安全にアマミキョを航行させ救助活動を滞りなく行なうべく、再教育及び統制の必要ありと見た。
従って、まずは航行スケジュール、各人の配置、行動計画、兵装、物資配送作業全ての再編成を行なう!」
フレイはそこで一旦言葉を切った。訪れる静寂。
しかし直後、堰を切ったかの如くクルーたちは口々に彼女に罵声を浴びせかける。
「冗談じゃねぇぞ」「仕方ないかも知れないけど!」「正式な手段を踏んでからに」「大事なことは、みんな密室かよ」「たかがパイロットが、統制なんかっ」「どうせお前らコーディネイターだろ! 目つきが奴らそのものだ」「力でアタシらを支配できると!?」
これらの言葉を発し騒ぐだけの人々を、フレイは予想の範囲内とでも言いたげな表情で見回していた。彼女は黙ったまま手を伸ばし、社長が映し出されている背後のスクリーンに向かって指を鳴らす。
と同時に、マユの可愛らしい声が響きわたった。<みんな、心配ご無用!>
スクリーンが切り替わり、ティーダのコクピットに乗るマユの笑顔が大映しになる。途端、ナオトが思わず足を踏み出した。
「おかしいよマユ。どうして笑っていられる」
ナオトの震える呟きは、しっかりサイにも聞こえた。
無理もない。マユはあの笑顔のままティーダを操り、人を殺し、ナオトを罵り、蹴とばした。今もその笑顔を振りまき、フレイのやり方に何の疑問もなく従っている──
<無期限ってわけじゃないからね。アマミキョが安全に本来の救援活動が出来るって、確認できるまでだから!
それまでは、ちょーっとだけキツイことやつらいことがあるかも知れないけど、その代わり私たちも、全力でみんなを守るから!
みんなと、みんなに助けを求めている世界中の人たちの為なの。マユ・アスカからの、お願いです>
マユはウインクまで交えて聴衆に呼びかけ、しまいには両手を合わせるポーズまでしてみせた。
その軽妙な声と笑顔により、緊迫した場が一旦、ほぐれた。
「そこまで言われちゃ、仕方ないか」「あんな娘が俺らを守ってくれる、まで言ってりゃなー」「いつまでもってわけじゃないしね」
これらの言葉は主に若い男性クルーから飛び出していた。アムルはそれを聞きながら、一人吐き捨てる。「単純野郎……」
カズイはやはりそれには気づかぬまま、マユの言葉に疑問を提示した。「つまり、半永久的に支配状態ってことか」
カズイの呟きは、サイの予測と見事一致していた。マユの笑顔を前に逡巡するナオトの背中を押しのけ、サイは一息に飛び出す。
後ろではナオトがまた驚いているだろうが、関係なかった。
「傲慢すぎるっ! フレイ!」またもサイは叫ぶ。叫んでしまう。
フレイはサイに視線を投げかける。全く動じていなかった。
決して溶けることのない、氷の目。その唇から、サイにとって致命的な一言が飛び出した。
「ストライクを土下座させるしか能のない阿呆が、ほざくな!」
サイの心臓には勿論、艦内全てに、この一言は轟いた。
中途半端に駆け出した処でサイの動きは止まってしまう。2年前、なけなしのプライドが見事に崩壊したあの時の傷を──
よくも、この女は!
激しい後悔がサイの胸を満たす。言うんじゃなかった。キラのことも、アークエンジェルでの出来事も、俺とのことも、何もかも。
記憶喪失かなんだか知らないが、フレイがこのような女になって帰ってきたと知っていれば、何も言わなかった。俺は!
ゲタゲタと下卑た笑いが流れる。嫌味のハマーがこのような瞬間を見逃すはずがなかった。「聞いたか、おい、ナチュラルども!」
「ストライク? キラ・ヤマトの最初の搭乗機を? サイさんが?」ナオトが仰天して、サイの背中を穴があくほど見つめているのが分かる。
アムルはカズイを見やり、そっと微笑む。「色々とあったみたいね、アークエンジェルって」
カズイはどうしていいか分からず、慌ててアムルから目を逸らした。彼にしても、まさかフレイがここでサイの傷を露呈させるような発言をするとは、想像すらしていなかったのだ。
昨日のナオトといい、今のサイといい──「人の傷口暴くの、得意なんですよフレイは。昔っから」
人々の反応を確認したフレイの唇に、残酷な笑みが浮かぶ。
間違いない。この女は、分かっていて傷をえぐる。
昔のフレイは、言葉が人を傷つけるとは思わずに他人を傷つけていた。しかし今は──
「無能の分際で勝手に突出する者は、全体の結束を乱す。
悪くすれば全体を巻き込み、多大な被害を及ぼす。
特に現在のような一触即発の状況でそのような行動は、時に命すら奪う」
フレイの言葉と共に、アフロディーテの左腕部が、大きく上へと動いた。フレイを乗せているのと反対側のマニピュレータが、人々を威圧するように掲げられる。
すぐ下に位置していた者たちが、反射的に逃げようと騒ぎ出した。
「軍に何故軍規があるか、考えたことがあるか。命のやり取りの場ゆえだ!
アマミキョは確かに軍ではない。しかし、命のやり取りに関わるという点において、軍も同然!
よって、その統率を乱す者あらば──」
アフロディーテのマニピュレータが、一息に振り下ろされる。明確に、サイの方向へ。
「危ない!」ナオトの叫びが飛んだ。人々が、クモの子を散らすように逃げていく。
血の色のストライクの両目部分が、ギラリと光る。
途端、サイの身体が反応した。恐怖にひきつった手足が暴れだし、サイは一目散に逃げ出す。
理屈ではない。あんな巨人に生身の人間が睨まれたら、いくらそれが無機物と理解していても、巨大な人間の形は無意識からの恐怖を呼び起こす。ナチュラル・コーディネイター関係なく、全ての人間の遺伝子に太古の昔から刻まれてきた恐怖だ。モビルスーツが人型をしている理由は、こういう処にもあるのだろう。
おそらくアマクサ組の誰かが代わりに操縦しているのだろうが、何という演出をする、この女!
デッキの空気を押しつぶし、迫ってくる黒いマニピュレータ。サイはのけぞり、つんのめり、しまいには無様に尻餅をついた。
そのすぐ上で、アフロディーテの黒い掌は停止した。倒れたサイの丁度30センチほど上で。
自分を押しつぶさんと、目前に迫っていた鋼鉄の掌。その指の間から、あの女の相変わらずの微笑みが見えた。
その場の全員が、この光景を息を詰めて見守っていた。勿論、嘲りの目で見ていた者も少なからずいた。


 

 

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