フレイたちアマクサ組が統制宣言を発表して、数日が経過した。
その間、アマミキョはアマクサ組の主導により、何度かデブリ帯に巻き込まれながらも航行を続けていた。
「ミントン2はどんな具合で?」ラグランジュポイントの一つL4にさしかかり、ブリッジで待機していた社長は副隊長・リンドーに尋ねる。現在のブリッジは無重力下にあったが、社長は既に慣れた手つきで副隊長にゼリーパックを手渡した。
「取引所との連携は取れてる、受け入れ準備も順調だ」副隊長が腹をさすりつつ、鼻毛を抜いた。そのまま鼻毛を宙に弾き飛ばそうとするが、無重力ということに気づき副隊長はそれを口に入れて処分した。
「助かるねぇ、管理まで任せられるってのは」社長は頭をかきつつ笑顔を見せる。勿論、アマクサ組のことだ。「いきなり力を示すってやり方もどうかと思うけど、あれが彼女の方法だから」
「ワシゃ好かんがな、アズラエルを思い出すよ。尤も、阿呆どもに説教垂れるのは意外に快感だ」
と、社長は副隊長の手元のモニターの片隅が明滅するのに気づいた。
「その特別通信は?」
ウーチバラ襲撃により予想外に大量の避難民を収容した為、アマミキョの食糧の備蓄が予定より3か月分以上も早く消費されると計算されたことが、最大の問題だった。
それを焦点として発表された、アマミキョ統率計画は以下のようなものだ。
まず、艦内及び艦外の救難活動全てを明確に区分し(医療・衛生・整備・食糧配給・災害支援・教育開発・艦内生活管理など)、全てを業務コード化してアマミキョのデータバンクにインプット可能にする(そのコード数、実に4000以上)。そして各業務コードごとに、処理件数と所要時間をシュリ隊全員にこと細かにレポートさせ、そのレポートにより業務の効率を算出する。医療・ブリッジ業務・モビルスーツ運用・整備、そして救援活動などは高めに効率が算出されるように設定されている。
レポートと言っても勿論好き勝手に記入できるものではなく、各人の行動をチェックした上で15分単位で自動的に記録されるものだ。
これはアマミキョに搭載された、全艦監視システムにより可能な芸当だった。例えば、誰がいつどの区画で何リットルの水を使用したかは勿論、誰が現在何リットルの酸素を消費しているかまで自動記録される、最新式の代物だ。そしてこのデータは全て、アマミキョのデータバンクに記録されていく──要するに、隊員全員のデータがアマクサ組の徹底的な管理下に置かれたということだ。
算出された作業効率により、各人にポイントが割り振られる。ポイントが多ければ多いほど──つまり作業効率が良ければ良いほど、配給される食糧は多くなり、生活必需品も手に入れられるという寸法だった。
15分ごとに効率が計算されることから、スケジュールは当初より一層厳しくなり、遅刻者には厳しい修正が加えられた。
さらに、シュリ隊が老若男女分けへだてなく再テストされ、殆どの者がそれまでとは別の場所へ再配置されることとなった。
能力の高い者はブリッジなど、重要な(高ポイントの)業務を割り振られ、低い者は衛生管理(要するに便所・風呂・配管掃除など)や食糧配給に回された。
必然的に、コーディネイターは高ポイントの業務に回り、ナチュラルは雑用と言っても遜色ない仕事を回される。これにより、艦内のコーディネイターとナチュラルとの見えない壁の存在が、一層顕著になった。
ポイントを多く獲得すると配置転換が出来る仕組みにはなっていたが、高ポイントを獲得できるのがコーディネイターである以上、ナチュラルの不満は増大するばかりだった。
そして、毎日全員に45分の講義出席と1時間の運動が義務づけられ、無断でそれを怠った者はポイントを引かれた。講義は主にリンドー副隊長によるもので、戦争報道・救難活動・銃器の扱い方・モビルスーツの変遷・コロニーでの行動の注意点など多岐に渡った。
「無茶苦茶ですよぉ、患者さんまで数値化するなんて」
医療ブロックでは、またもネネが文句を垂れていた。搬送用ベッドと共に走り、点滴を押さえながら。走るベッドの上の患者は、血を吐き散らして何事かを叫ぶ。
ネネの反対側から、スズミ女医が患者に酸素マスクをあてがいながら言う。「効率化は必要よ、特に感傷に左右されやすい時はね。薬も器材も血液も有限なの。良かったじゃない、私たちには大した異動がなくて」
「患者さんを扱うには、免許がいりますからね。大事にされてて結構ですけど」
医療ブロックの狭い通路では、まだ治療待ちの患者が大勢座り込んでいる。怪我人は少なくなったものの、今度は避難民の中からストレスと疲労による病人が続出していた。今彼女らが運んでいる患者も、元々肺の病気を患っていたのが一気に悪化した中年男性だ。
「数字は如実にモノを語る。胸部のポータブル写真オーダー!」スズミは意見と指示をほぼ同時に口にし、両手は搬送用ベッドをコーナーでターンさせていた。
「遺伝子も、ですか?」ネネがそれに手を貸しながら不満げに呟く。彼女はナチュラルで、スズミはコーディネイターだった。他の看護師3人が付き添い、患者を支えて合図と共に手術台へと乗せた。
「違うわ。その遺伝子の出す結果が、ということ。血算、血液型クロスマッチ4単位」 スズミたちは悲鳴を上げつづける患者を押さえる。
「命を救うのに……」患者がまた盛大に吐血する。ネネの上着に、大量の血液がかかった。スズミも、他の看護師たちも同じ状況だ。「命を救うからこそ! 挿管、いくわよ」
「優秀者の溜まり場、モビルスーツデッキにも活気が出るってもんだ!」低重力に制御されたデッキの中、ハマーの笑い声が響いた。
ティーダ、カラミティ、そしてストライク・アフロディーテにはアマクサ組の厳重な監視のもとに整備士がつき、当初からアマミキョに配備されていた作業用M1アストレイ、虎の子のスカイグラスパーにも、選び抜かれた整備士が取りついている。アストレイを見ながら、ハマーは満足げに喉を鳴らした。
「ナチュラルでも使える外道モビルスーツだが、それでも作業効率7%アップが目標だ! おいそこ、アンテナは丁寧に扱えよ! 極上アプリかました奴ぁ一杯ぐらいは奢ってやるっ」ハマーは飲料水用パックを振り回す。それを見て、整備士の一人が叫んだ。
「もう勘弁してくださいよ、工業用アルコールは。今度やったら瞑想室行きじゃすみませんって!」
「アホ言え、こいつは正規ルートから獲得した、れっきとしたオーブ原産調味料・みりんだ!」
整備士全員がうんざりした顔をし、ハマーがぐびりとパックから一口やった瞬間、彼が最も聞きたくないであろう大声がデッキに轟いた。
「うわぁ、すごいや! これが統合兵装ストライカーパック……よくダガーLにつけられましたね!」
鬼の形相に変化したハマーが声のした方向を振向く。彼の敬愛するフレイの乗機=ストライク・アフロディーテに、こともあろうにあのドジレポーター=ナオト・シライシがくっついているのだ。
あれだけ殴られ未だに包帯が頭から取れないにも関わらず、ケロっとした面でブリッジ組の制服を着て、しかもマイクまで持っている。さらにカメラマンまでくっついていた。アマクサ組の金髪の少年、ミゲル・アイマンだ。
「頭部だけストライクと同じなんですね。フレイさんって、よほどキラ・ヤマトやカガリ代表にご執心なのかな」
ナオトはちょうどアフロディーテの頭部のすぐ下へ流れつつ、憧れと不満の入り混じった表情でそれを見上げていた。「ストライクを血の色にするなんて、悪趣味だな。中身はダガーLときた」
「量産機をバカにしちゃいけない、ストライクやフリーダムが化物なだけさ」ミゲルがカメラを持った左腕でさりげなく、ふらつくナオトを支えた。ミゲルのノーマルスーツに包まれた右腕には、中身がない。しかし彼は、その状態にとっくに慣れているようだ。
「このダガーLを使う理由は、他にもある。新品使えって言うのに、フレイは強情だから」
ミゲルはナオトを誘導しつつ、アフロの顔を見上げる。ハッチは今、厳重に閉ざされていた。
ナオトがその理由とやらを思案している間に、ミゲルの言葉が流れる。
「その代償に、整備の労力がバカにならないがね。無駄な部分に電圧がかかるわCPUのエラーも多いわモーターのトラブルは日常茶飯事だわ。
だからダガーLにIWSPなんざ通常は考えない。装備に対して機体が脆すぎるからな。普通にやったら、ザフトの赤服だってすぐ壊しちまう」
「フレイ様だから扱える、ですか」
ナオトの皮肉に、ミゲルは黙ってにっこり笑った。
「コンバインドシールドはないんですか? あれってビームブーメランもついてるんでしょ、Nジャマーの干渉下でも使えるし」
「いいかいナオト、世の中には予算という概念があるんだ。IWSPの使用をモルゲンレーテ側が許可してくれただけでも、ありがたいこったよ」
ナオトは不安定に低重力の中を浮かびながら、整備中のアフロディーテの左肩に触って体勢を立て直す。ミゲルが一旦カメラを宙に放し、慌てて左腕でナオトの腕を掴み、下がらせた。もう一度左腕で浮いたカメラを捕らえる。「そこはダメダメ、アフロは映しちゃいけないからな」
「賛成できませんけど、しょうがないですね。ティーダとカラミティもですか?」「当然だろ」
ナオトはマイクを調整しつつ、ミゲルの持ったカメラに向き直り、彼の本業を開始した。「先日襲撃を受けたアマミキョですが、現在もシュリ隊の方々は必死の救助活動を行なっています。
只今アマミキョはウーチバラからの避難民約2237名を収容し、L4の中立コロニー・ミントン2へ航行しています。ミントン1はご存知の通り、速やかに太陽光ブロック修復が必要とされるコロニーでありますが、隣接して港湾施設の充実したミントン2は物資の補給・避難民の収容が可能です。しかし、アマミキョ自体の食糧事情など、状況はさらに困難を……」
「うるせぇ、何で貴様がここにいる、小僧! デッキとブリッジの出入りにはフレイの許可が必要だ! しかもレポートだと!?」
ハマーの邪魔が入り、ナオトとミゲルはレポート中断を余儀なくされた。
「俺らが許可したんだよ」すかさずミゲルが言い返す。「生中継ってわけじゃない。ヤバげな点はあとで編集するし、心配ご無用」
「そういうことです」ナオトもミゲルの後ろから、ハマーにくってかかった。「邪魔はしません、文句ないでしょ」
「そのキンキン声だけで十分邪魔クセーんだよ!」飛んできたハマーがナオトの肩を飲料水用パックで小突く。パックの口からアルコールが飛び出し、ナオトの顔を濡らす。白いティーダの方から、別の整備士の怒鳴り声も響いた。
「だったらティーダの整備も手伝うんだな! てめぇが散々デブリにぶつかってくれたおかげで、苦労してんだ」「トランスフェイズだって万能装甲じゃねえんだぞ」「言っても無駄無駄、また乗れるわきゃねぇし」
次から次へとナオトに罵声と嘲笑が飛ぶ。それは明らかに、半分ナチュラルのナオトをからかう口調だった。明確な悪意ではないが──
しかしナオトも負けず、怒鳴り返す。「言われなくたって!」
低重力の中、作業用アストレイの間を縫ってナオトはティーダに近づいた。ミゲルもまたそれを追う。
「おとといは食堂で蹴られ、昨日は医療ブロックで殴られ、今日はここで怒鳴られ。散々だなレポーターも」
「構いません。アマミキョの報道は僕の使命です!」ナオトは包帯だらけの顔で笑い、ピースサインをしてみせた。
そんなナオトの様子を、作業艇ハラジョウの中でモニターごしに見つめる者たちがいた。
腰から下を失っているニコル・アマルフィに、赤毛の少年ラスティ・マッケンジーだ。
「マスコミのご機嫌取りは今んトコ成功、か」ラスティが軽い口調で呟く。
ニコルはモニターから眼を離し、肩をほぐすような動作をしてみせた。車椅子がかすかに動く音。その動きも表情も、全く普通の少年と変わらない。「報道業務はポイントにつながりにくい設定にしてありますし、彼以外に誰もやる者はいないでしょう。大丈夫ですよ」
「ナオト君の口さえ塞げば、オーブ本国に俺らの件は漏れない、ってね」
「ザフトにも、です。僕らは、漏れたら困るような悪事はしていません」
「捉え方によるさ。どう報道されるか分からんからこそだろ」
ニコルはすぐにモニターに向き直った。「しかし、ハラジョウへの侵入を許したのは失敗でしたね」
「あんなに暴力的にする必要もなかったけどな。いやしくも先輩だろう?」ラスティはニコルの肩を持ち、笑いかけた。
「それは貴方も同じでしょう。必要があるからです。忘れました?」即座に、かつ冷静にニコルは答える。
「分かってるよ。アスラン・ザラの為に……だろ」
モニターの中では、レポートを終えたナオトがティーダに取りつき、顔を油まみれにして左脚関節部の整備を行なっていた。
ブリッジの陣容は、一瞬で変わった。
アマミキョの命ともいえるブリッジには当然成績優秀者たちが集められ、その結果、元々少なかったブリッジ勤務のナチュラルは、オペレーターのサイ・アーガイルと操舵手サキ・トモエの2名だけとなった。後は全員コーディネイターである。
しかもサイにとって都合の悪いことに、隣席のオペレーターにアムル・ホウナが正式につくことになった。
暫くは沈静を保っているブリッジで、アムルは冷徹なまでにデータを監視し、航行ルートを探っていた。彼女の本来の業務は数学教育だったが、今はそれどころではない。カズイによれば、そもそも彼女が目指したかったのは戦艦のオペレーターだったというのだ。
ここにも、戦いを好む女性がいる。サイはデブリの状態とアマミキョの各ブロックの運行状況と隣席の彼女を見比べながら、心中で舌打ちをする自分に気づいた。
アムルはサイには目もくれずモニターを見つめたままでいたが、やがて唐突に口を開いた。「知り合いだったの? 彼女と」
サイは沈黙を守る。フレイのことは絶対に話すべきではない。
「随分な因縁に見えたけど」
「F56区画の配線状況、大丈夫ですか。先の戦闘で破損して、電圧がかかりにくくなってる。回線も切れやすいし」サイも、彼女を振向きもしない。
「ごまかさないの。噂になってるわよ、貴方」アムルはコンソールパネルから手を離し、いつのまにかサイに顔を寄せていた。
「知ってます。嬉しいですよ、船に余裕が出てきて」アムルの、白目の面積の若干多い眼がサイの前で瞬き、長い金髪が揺れた。
「優秀なナチュラルって、それだけで興味の対象だしね」アムルは微笑んだ。サイも笑ったが、勿論心からの笑みではない。
家族や恋人の死を願ったかも知れぬ女──自分の勘違いであろうと信じているが、そのような疑いのある女に心を許せるほどの余裕は、サイにはなかった。
「貴方がまだここに残れるなんて、正直思わなかった。あまり無理しないでね」微笑んだアムルの目元の皺が、さらに深くなった。
サキ・トモエ──通称オサキは、その会話を背後に聞きながら、精一杯黙していた。しかしその手は、今にも自動操縦用パネルを打ち壊さんばかりに震えている。
アムルの言葉は、捉えようによってはナチュラルに対するコーディネイターの、無意識からの侮蔑だ。
明らかに自分を避けているサイに対し、アムルはさらにモニター内の、別のウィンドウを開いて話しかける。「貴方の知り合いらしき人が、もう2名ほどいるんだけど」
サイはちらりとそのウィンドウを覗き──途端、眼鏡がずり落ちるほどに心臓が跳ねた。
ブリッジから出て船体後方へ通路を進むと、ブリーフィングルームがある。そこはフレイたちアマクサ組とムジカノーヴォ社長の溜まり場だった。
壁に大きなモニターがかけられたその部屋には今、ナオト・シライシが呼び出され、驚くべき指示を受けていた。
「二度と、ティーダには乗れないと思ってました」さすがのナオトも、フレイ、カイキ、でんと座る社長、の前では萎縮せざるを得ない。さらに、相も変わらずにこにこ笑うマユ・アスカが、カイキの後ろからナオトに向かって顔を突き出しているのだ。
すかさずフレイが叩きつけるように言う。「私とて、史上最低パイロットの誕生は避けたかった」
冷たい言葉に、ナオトは喜ぶより先に肩を落す。そんな彼に、マユが遠慮なく抱きついてきた。
「よろしく、ナオト! ミゲルは操縦無理だし、ラスティとも相性悪かったんだ」
マユの無邪気な態度に眼を白黒させつつも、ナオトは社長に問わずにはいられなかった。「本当にいいんですか?」
前髪をかきあげ、社長は指を鳴らした。背後のモニターのスイッチが入る。「君をティーダに乗せることにしたのは、僕でもアルスター隊長でもない」
モニターに映し出された人物、それは──
「アスハ代表!?」
ナオトが、この世で最も尊敬する女性二人のうち一人。それが、今モニターの中からナオトを凛々しく見据える。
カガリ・ユラ・アスハの深い金色の瞳。それは、ナオトの眼と心を同時に撃ち抜いた。
フレイが冷徹に呟く。「カガリ『姫』だよ」
嫌味なほどに「姫」の部分を強調した言葉にムッとして振向くナオトだが、そんなやりとりとは無関係に、モニターの中のカガリ姫──アスハ代表は語り始めていた。
<アマミキョ乗員の諸君。出発に先立ってのウーチバラの惨事、誠に遺憾である。私も、心ない者たちへの怒りを禁じえない。
だが、突然の災難に対する諸君らの奮闘、尽力、私は感動した!
一部はムジカノーヴォ社長よりの映像で見せてもらった。諸君らの力、想いは今後の世界に絶対不可欠なものとなろう。
このように、大幅に時間を隔てた形での協力しか出来ぬこと、許してほしい>
まだ不慣れな為か、若干緊張気味のカガリの表情と言葉だった。
「こりゃまた抽象的な単語をお使いのようで」小さく嘲るカイキを、フレイがさりげなく肘でつついて黙らせた。マユもクスクスと笑う。
しかし、ナオトは眼を輝かせてカガリの言葉を聞いていた。
「俺は、こうなって初めて気づく──
宇宙こそ、最も孤独な空間だと思っていた。
果てのない闇を漂い、八方からの火線に怯え、コクピットの中たった独りで死の恐怖に耐える。これ以上の孤独はないと思っていた。
──だが、大きな間違いだった。
大勢の中に押しつぶされ、息も出来ずに存在を抹消されていくこと、それこそ」
「さっきからブツクサブツクサやかましいぞディアッカ! この程度の試練、誇りもて耐えぬけ」
アマミキョの後方には、船体周りを360度囲むようにして居住ブロックが造られている。無重力空間を想定して設計されたブロックだが、さらにそのブロックを守るようにして食糧・生活物資貯蔵庫がある。
その第12貯蔵庫の奥に、天井がかなり低い、通勤電車1両分ほどのスペースがあった。そこは船体の中でも最も装甲の脆い区画の一つ──通称・瞑想室だ。
アマクサ組の統制が始まってからそこは、命令違反者の謹慎場所となっていた。暴行、乱闘、盗難騒ぎを起こした者は勿論、遅刻や些細な違反を重ねた者がクルー、避難民関係なく次々と放り込まれた。
格子状の柵で囲まれた部屋には今、100名を超す違反者が詰め込まれ、息も絶え絶え、汗と悪臭に満ちた地獄と化している。
流石に男女で部屋は別になっていたが、殆どの人間は立ったままびっしりと詰められ、座るどころか息をする余裕すらない。勿論、この部屋は厳重な監視下にあった。
そんな場所に、イザークとディアッカは仲良く押し込まれていた。
周囲の立ちっぱなしの人間はもはや、言葉を発する気力も失せている。発すればそれは愚痴か怒声になるしかなかった。
「空調もろくなもんじゃなし、酸素来てんの?」ディアッカは暑さのあまりパイロットスーツを脱いでおり下着同然の状態だったが、それでも汗だくだ。イザークもパイロットスーツは脱いでいたが、あくまでそれは周囲に身分を明かさぬ為だ。衝撃吸収インナーはかっちり着込み、顔を真っ赤にしている。二人とも当然、携帯していた銃は奪われている。
脇を掻こうとして動こうとしたディアッカはまたも周りに小突かれる。見知らぬ大の男同士、心音がお互いの身体に響きあうほど背中合わせになり、肌と肌をくっつけあい汗を流すなどという状況は、いかにコーディネイターとはいえ気持ちのいいものではない。安全の為にもイザークと離れ離れにならぬよう気をつけていたが、この壮絶な混雑では身動きが取れず、何とか手を触れ合える距離を保つのが精一杯だった。
「宇宙漂流とどっちがマシかな、こりゃ」
「貴様それでも元──」赤服かっ、と叫びそうになってイザークは何とか喉元で抑えた。
この場でザフト兵などということがばれては、何が起こるか分からない。ある程度冷静さを持つ普通のクルーたちならともかく、短期間に騒ぎを起こした者どもの集まり。そしてこの中に、連合寄りの者がいないとは限らない──今右腕がくっついている隣人が、ブルーコスモス信者でないという保証はないのだ。
何より、ウーチバラを襲ったのがザフト脱走兵だという事実を、忘れてはならなかった。
「勘弁してくれ、詰め込まれて20時間だ死んぢまうよぅ」「俺は50時間だ!」「最高の拷問だぜ、こりゃあ」「おい、もう下痢は勘弁」「違う、ゲロだ」
あちこちから男どもの情けない声が響く。トイレは部屋の隅に設置されているものの、たどりつける者はごく少数だった。結果として──
瞑想室の床は、言葉にするのも憚られる状態となっていた。重力制御がきちんとかかっていたのが、不幸中の幸いといえる。
イザークとディアッカがこの状態になってからかれこれ100時間以上は経過していたが、そこはコーディネイターの中でも選び抜かれたザフトの戦士である。イザークは白服の誇り、ディアッカは元赤服の意地をもって、ほぼ直立不動で耐え抜いていた。
しかしその我慢も、いい加減限界に達しようとした時──
瞑想室の閉じられた格子の扉、その向こう側の暗い通路、さらにその向こうの自動扉が開いた。
「説明願いたい! 何故我らジュール隊がこのような恥辱を!?」
勢いよく飛び込んできた者がいる。りんと張りつめた女の声に、律儀な青年の声。
「申し訳ない、自分にも事情が……エルスマン! ディアッカ・エルスマン!」
ディアッカよりも、イザークの反応の方が早かった。「ハーネンフース! 貴様、よく無事でっ」
厳重にロックがかかった格子の隙間から見えた姿は、右腕に包帯を巻いたシホ・ハーネンフースに、サイ・アーガイルだった。
偶然自分たちが扉のそばにいて良かった。ディアッカは、サイが扉のすぐそばまで走りこんできたのを見、小声で叫ぶ。
「バカ! 見られてる、聞かれてるぞ」
サイは今とっさに、ディアッカの名を叫んだ。この状況下でそれはまずい──
だがサイは、さらにディアッカを驚かせる行動に出た。ロックに取りつき、覚えている限りのパスコードの入力を始めたのだ。
「構わない。構うもんか、こんな事ありえない!」
今にも扉を引きちぎらんとする勢いで、サイは次々にロック解除の為にパスコードを入れていく。それに気づいた周囲の者たちが、扉側に寄ってくる。ガタガタと鉄製の格子が鳴った。
「おい、解放してくれんのか!」「出してくれぇ、頼むぅ」「お前、あの女のツレかっ」「ブリッジ組なら、しっかりしてくれ!」格子の幅がもう少し広ければ、サイは男たちの腕に掴みかかられていただろう。
シホは悪臭に耐え切れず反射的に口を塞いだが、サイは罵声の中必死に入力を続けた。中の熱気が扉ごしに伝わり、サイもあっという間に汗まみれになる。しかし、ロックが解けることはない。
見かねたディアッカは、観念してサイに声をかける。「もういい。俺らがドジったんだ」
「だからって、許せないんだよ」
「よせ。こっち側に来たいのか?」
「君たちは、助けてくれたのに」
「やめろと言ってるんだ」
「これは虐待だっ」
「聞けよ!」
なおも入力を続けようとするサイ。ディアッカの叫びに呼応する如く動いたシホが、無言でサイの肩を強引に押さえた。
「すまん、ハーネンフース。無様な姿を…」イザークがシホに向かい、目を伏せる。それから先は言葉にならない。
「そのようなこと、気になさらないでください隊長。必ずお助けします」
ロックの反応はない。サイは憮然として唇を噛む。「フレイに言うしかないのか」
「そのようで。貴方では悪戯にここの人数を増やすだけです。それは隊長の苦難だ」シホはばっさりと言い放った。
屈辱的な言葉だが、事実だ。
サイは無言のまま踵を返し、駆け出そうとする。だが、「待てよ!」ディアッカが彼を呼び止めた。
格子の狭い隙間から、ディアッカはサイに小さな布切れを渡す。それは、ディアッカの下着の切れ端だった。
そこには、おそらく血で爪を濡らして書いたものであろう文字があった。かなり乱雑だが、サイには読めた。
──気をつけろ、幽霊船だ──
サイはその意味を読み取ろうとディアッカを見たが、彼は黙って顎をしゃくるだけだった。
「すまん、ハーネンフース。貴様もあらぬ疑いを…」「大丈夫です、隊長」身動きが取れたならば、イザークはシホに土下座をしていたかも知れない。
「機会あらば貴様は先に戻れ! 自分らも必ず脱出するっ」イザークの声が、汗みどろの地獄の中、きいんと響いた。
<ナオト・シライシ。君の活躍、私は嬉しいぞ>
カガリの特別通信は続いていた。録画されたものと分かっていても、ナオトにとってその笑顔は、女神そのものだった。
<ウーチバラでの奮闘を聞いた。君のご同僚は大変不幸な目に遭われたが、君は負けなかった。
人々を護る為、火ではなく自らの言葉を使った君の姿勢、私は見習いたい。
戦いの火種が未だ燻り続ける世界でこそ、人と人をつなぐ言葉が必要だ。
私はオーブ全てに、君の戦い方を広めたい。言葉を発することこそが、戦いを止めると!>
「アマクサ組、ほめられないねー」マユはカイキの左腕に寄り添い、じっとモニターのカガリを見ている。
カイキがマユの手を撫でつつ、無表情で答えた。「報告はしてない。当然だ」
一方フレイは腕を組みながら、嘲りを押し隠せぬといった笑みを見せる。「あの女、大戦で何を学んだのやら」
ナオトに勿論、この呟きは聞こえていない。
<君はオーブの……我が父上の想いを、見事ティーダで表現してくれた!
ナオト・シライシ。君がティーダに乗り続けることは、オーブSunTV局本社の意向でもある。君の活躍が報じられるや、オーブにも活気が増している。報道後わずか2日だが、大変な反響なんだ。
私からも、頼む。
危険なことは百も承知だ。ゆえ、君自身がもし望めば、で構わぬが……ティーダに、乗り続けてほしい。
君の方法は、私たちの希望だ>
「──以上」
紅い頭を軽く振りつつ、フレイは強引にビデオを止めた。
見るとナオトは、泣いていた。感激で。
「ありがとうございます……アスハ代表!」フーアのお守りを握りしめ、ナオトは嗚咽する。しまいには座り込んで泣きじゃくり始めた。
マユはそんなナオトをぽかんと見つめながら、カイキの袖を引っ張る。「変なの。ナオトまた泣いてる」
答えぬカイキの代わりに、社長が笑った。「嬉しい時にも、人は泣くんだよお嬢ちゃん。
さて、ティーダのマニュアルの洗い直しをしようか、ナオト君」
「ねぇ教えて! フレイが元売春婦ってホント!?」
居住ブロックの調理場で、大量のニンジンをミキサーにかける作業を終えたばかりのカズイのもとに、何人か同じ第三食糧配給班の人間が集まっていた。無重力下の食事用パックに入れる食糧を作る班だ。
主に噂好きの少女ばかりで構成された班で、勿論ナチュラルばかりである。
「えぇ? 私はヤクザの情婦ってきいたけど」「違うってば、きっとヤクザの組長だよ〜。だからアマクサ「組」なんじゃないの?」
カズイは女の子たちに囲まれ、きまり悪げに慣れないエプロンと三角巾を直した。
「ごめん、本当に俺にも分からないんだってば」今のフレイに関しては、何を言われても否定も肯定もできないカズイだった。
「後生だから教えてよカズイ君。サイさんのことだけでもいいから」「黙ってるの、かえってあやしい!」「きっとフレイって、サイさんに振られたんじゃない? 復讐の為に乗り込んできたんだよ!」「だとしたらすっげ迷惑なんだけどぉ」
彼女らの剣幕に押されたカズイは、当たり障りがないと自分だけで判断したことを喋ってしまう。「当たらずとも遠からず……ってとこかな」
サイとフレイとキラの件にさえ触れなければ、良いだろう。どうせ似たような形で、アムル・ホウナにディアッカとサイのことも話してしまったのだから。大丈夫、サイが心配するほどのことじゃない。中立国の、しかも救援隊のクルーだ。
それに、サイはブリッジ勤務。自分はこんな場所だ。少しぐらい──
その時廊下から、トニー隊長の怒鳴り声が聞こえた。「お前ら、スープ詰め作業はどうした! ここは効率が悪いぞ、ポイントが低かろうと命を維持する場所ということを忘れるな」
「フレイ! 何故ジュール隊を捕らえた!!」
激しい足音がブリーフィングルームに響くや、殴りかからんばかりのサイとシホが飛び込んできた。
ナオトがサイの出現に驚き顔を上げるより早く、サイはカイキに掴みかかられ、両腕を押さえられる。シホが社長に顎を向け、叫んだ。「義に徹した者に危害を加えるが、アマミキョの管理手段か!」
「スパイ容疑だ」フレイは当然、とでも言うように斬り捨てる。
「彼らは、船を護ったんだぞ! 正気に戻れよフレイっ」離れようともがくサイの顔面に、カイキの拳が飛んだ。「口をつつしめ! 貴様もお仲間と一緒になりたいかっ」
そのまま、サイは床に吹っ飛ばされる。思わずナオトはサイに駆け寄ったが、その上からフレイの言葉が響いた。正面に立ちふさがるシホ、そして倒れたサイにも言い聞かせるように。
「彼らはハラジョウへ無断侵入した上に、乗員に危害を加えようとした。
例のヨダカ隊とやらの件もある。通じている可能性は考えられよう」
シホが、必死で激情を抑えこみつつ反論する。「侮辱だ。我らが脱走兵と内通していると?」
「貴女がとは言わぬ、ハーネンフース嬢。しかし、侵入した者たちは分からん」
「隊長はそのような御方ではないっ」
唇から流れる血を押さえつつ、サイも叫ぶ。「君だって、彼らの戦いぶりは見たはずだろう!」
「ウーチバラ内部でのザクファントムの動きに関しては、報告のみにとどまっている」フレイは頬にかかった髪をよけ、腕を組み直す。
シホの眉間に、さらに怒りの皺が刻まれた。「隊長が、奴らを故意に逃がしたと。ほう……」
「俺は見ていた、ジュール隊長とエルスマンは奮闘していた!」シホを押しのけ、サイは噛みついた。
「貴様の目などあてになるか」フレイの表情は変わらない。紅い髪を掴んで泣かせてやりたいほどの衝動がサイを襲う。
「ナチュラルの目だからってのかよ!」
「貴様の目だからだ」
「何処まで人を喰えば!」「サイさんっ」またもフレイに掴みかかろうと立ち上がるサイを、ナオトは必死で押さえた。
「落ち着きなさい、これだから若者は! せっかくアスハ代表からお褒めの言葉をあずかったばかりだというのに」社長が手を叩き、サイたちとフレイの間に入る。
「サイ君は人を信じすぎる。ジュール隊との友情を大切にしたい気持ちは分かるがね、もう少し状況を読みなさい。僕らは君ほど彼らを知らない」
「知り合いなんですか、ザフトとサイさんが?」今更のように明かされた事実に、すかさずナオトが食いつく。
その時、必死でサイを押さえていたナオトの手から、ほんの少し力が抜けた。
それだけで、サイはひどい失望を感じた。
こういうことだ。ザフトと、オーブの人間との埋められない溝とは。
いかに中立国といえども、オーブはナチュラルの人間が大多数を占める。どれだけコーディネイターとナチュラルの融和を唱えていようと、双方の偏見は未だに消えることはない。さらに、ザフトは地球にジェネシスを向けたのだ──問題は、単にコーディネイターとナチュラルの違いに留まらない。
その溝の深さは、戦後のディアッカとミリアリア、その周囲を見ていれば嫌でも思い知らされる。だからこそサイもディアッカも、お互いの関係をあからさまにすることは避けていたのだが……
だが、改めてサイは衝撃だった。こともあろうに、コーディネイターとナチュラルのハーフであるはずの──しかも、融和を推し進める象徴であるはずのナオトが、動揺を見せたのだ。ザフト兵と懇意にしている自分に対して。
「アークエンジェルでの戦友だそうだ。彼らのご友情は遺伝子を超える」カイキがサイの代わりに、皮肉混じりに吐き捨てた。
社長の言葉はまだ続いていた。「申し訳ないが、ハーネンフース嬢。同じザフトである以上、疑いは当然かかる。しかも作業艇に侵入されたのでは、弁解の余地はないでしょう」
「しかし、ジュール隊の扱いは虐待です! あのような場所に」
「船の人数から考えて、瞑想室の状況は必然だ。食事は与えてある、心配あるまい」シホの激し方に対し、フレイは冷酷だった。
「結果的にあのようになったと!?」
「それで納得してもらえませんかね。早急に手はうちます」社長の柔らかい口調にも、シホは納得できない。勿論、サイも。
つづく