「ひどいですよ!」処はアマミキョブリーフィングルーム。
サイとシホ、そしてフレイの口論に乱入してきたのは、ナオトだった。
「ジュール隊は助けてくれました。マユ、君も見てたろ? ザクファントムの斧サバキ!」
マユはぽかんとしてナオトを見つめたままだ。ムジカ社長も困ったように唇をすぼめる。
「何度言えばっ!」カイキがすかさず憤ったが、「作業艇の件は理由あってのこと──」シホが先を制した。
「あの白いモビルスーツだ!」
彼女は右腕の包帯を忌々しげに見やり、次いでカイキとフレイにまっすぐ顎を向けた。「あの光は一体何だ!?
生涯忘れえぬぞ、あの忌まわしき光と痛み!」
「あ…!」瞬間、ナオトが何かに気づいたようにシホと、彼女の包帯を振り返った。シホはなおも抗議を続ける。「事と次第では、プラントへの報告もやむを」
そこへ突然、ナオトの大声が響いた。「すいませんっ! それ、やったの僕ですっ」
シホは思わず振向いてしまう。見ると、ナオトが彼女に向かって床にぶつかるほど頭を下げ、必死で謝罪していた。「ごめんなさい。ゲイツRのパイロットさんですよね。あの時はありがとうございました」
頭を下げたまま、上目づかいにシホを見るナオト。突拍子もない少年の言葉に、さすがのシホも唖然とする。「ゆえの、素人動作だったのか」
「そーだよっ」またも子供の声が響く。今度はマユだ。「アマミキョに乗る為だったの。仕方ないじゃん」
しれっとしながら開き直るマユ。サイは頭を抱えたくなったが、半笑いになるしかなかった。
「だから、ティーダのことは心配しないで!」
「だから、の意味が分からん……」サイは呻きを押さえられず、「ごめんで済むなら戦争など起こらぬ」シホは諦めたようにため息をついた。
なおも抗議が続きそうな雰囲気に、ナオトがぴょんと飛び上がり、強引にその場を治めようと怒鳴る。「だからぁ! たった今決まったんですよっ、僕とマユが正式にティーダに乗るって!」
サイは反射的に、フレイと社長を振り返る。
フレイは相変わらず、濃い睫毛をほんの少し震わせる程度の反応しかしなかった。


PHASE-06 ミントン・ランデブー


オーブ連合首長国首都・オロファト。
日の落ちかけた内閣府官邸。会議室の中で、ヨーロッパ風の古い造りの窓から外の森を見つつ、カガリ・ユラ・アスハは逡巡していた。
「これで良かったのか?」
彼女の後ろに控えるは、ユウナ・ロマ・セイラン。オーブ宰相ウナト・エマ・セイランの息子である。
「見事だったよ、カガリ。アスハ代表の志を受け継ぐオーブの希望の星が、また一つ増えたというわけだ。
太陽と形容すべきかな」
それでもカガリは、ユウナを振り返ろうとはしない。
自分の言葉により、あの年端もゆかぬ少年をモビルスーツに乗せてしまう──
その危険性を承知していながら、ユウナの口車に乗せられ、あのようなビデオをアマミキョに送信してしまった自分が、カガリは歯がゆかった。今頃あの少年は、無邪気に浮かれていることだろう。
「ナオトの行動は好きだ。偶然だったにしろ、平和を愛するあの元気なハーフの少年にこそ、ティーダはふさわしい。確かにユウナの言うとおりだ……しかし」夕陽の中で輝く金色の前髪を、カガリはいらいらとかきむしる。
「心配しなくても、ティーダは戦闘用じゃないよ。オーブ国民のうけも良いようだし、今更覆せるものじゃない」テーブル上には、SunTVから送られてきたオーブ市民の反応、アンケート、及び視聴率などのデータが何枚か揃っている。いずれもナオトの報道を支持する声ばかりだ。
「ティーダの性能も悪くないだろう……だが」
「さすがはモルゲンレーテと言うべきだね。文具団のムジカノーヴォの力が不可欠だったとはいえ、この再起は素晴らしい」
カガリは歯を剥いてユウナを振り返る。「素人がモビルスーツで前線に出るということがどれだけ危険か、分かっているのか!?」
「何を今更」ユウナはやれやれというように両手を軽くあげた。「貴女が言うことじゃないだろうカガリ。それに、彼が積極的に乗ったのは、無意識下の貴女への尊敬もあるだろうし」
一瞬言葉につまるカガリだが、すぐに矛先を変えた。「しかし、あのIWSPの件は解せない! 何故あれがアマミキョにある!? ソードカラミティにしても!! パイロットは何者だ!?」
「自分が使えないのを嫉妬はいかんなぁカガリ。文具団側にモルゲンレーテの許可は出してあるよ」
「そうではない! 何故あんなものが必要だ、救援隊に!?」
「カガリ! きれい事だけでは支援活動など不可能だ。貴女が最も分かっているはずだと思ったがね。
それに、サイ・アーガイルらヘリオポリスのご学友の件もある。貴女の力だけでは、彼らもあれほど自由に動けないはずだよ?」
ユウナはカガリに強引に自分の顔を近づけ、軽くウインクまでしてみせる。
それを言われると、カガリはもう口をつぐむ他はない。
さりげない言葉で自分の権力を暗示するやり方は大嫌いだが、そんな手腕の一つでもなければ政治家としては失格であることも、カガリは嫌というほど思い知らされていた。
そんな彼女を、10メートル以上もの長さを誇る会議用テーブルの向こうから、サングラス姿で見守る青年がいた。
アレックス・ディノ──伝説のザフトの英雄=アスラン・ザラである。
しかし彼にしても、今のカガリとユウナに口を挟むことは出来なかった。勿論、アマミキョの動向にも。


ブリーフィングルーム奥のエレベータに、通路のリフトグリップを離れる勢いを利用して、サイが素早く乗り込んだ。
それにナオト、マユ、シホが続く。勿論、ナオトが一番不器用だ。もう少しでエレベータの扉に挟まれる処だった。
窓から外側が見えるタイプの、定員20名のエレベータだ。音もなく船内を上昇し、その次に横滑りしていく箱の中から、スポーツジムが見えた。数十名のクルーたちが、必死で器具にとりついて汗を流している。勿論趣味でやっているというのではなく、アマクサ組の指示による強制運動である。
サイの手には、ディアッカの伝言が握られていた。窓の外からの照明と、時々それをさえぎる構造物のおかげで、「幽霊船」の文字がひときわ紅く明滅する。
フレイのことか。それとも、ウーチバラ空域で聴いたフラガの声だろうか。いずれも、サイには十分不気味だったが……
違う。わざわざこれを書いてよこしたということは、他に伝えたいことがあるんだ、エルスマンは。フレイや、フラガ少佐の件以外に。
まさか──フレイの他にも、生死の概念を覆すほどの存在があるというのか?
ハラジョウに侵入して、ジュール隊は捕らえられた。あの作業艇に何があるのか?
乗員はフレイ、カイキ、マユ。それから、右腕を失ったミゲル、屈託のない明るい青年ラスティ。その他整備士が何名か。そして、下半身を機械化された少年、ニコル。
勿論、フレイと共にいるという時点で普通の連中ではないことは分かる。ニコルの、ケーブルだらけの車椅子姿を最初に見た瞬間は、確かに幽霊かと思ったものだ。
ナオトはそんなサイの思惑も知らず、はしゃぎながら話しかけてくる。「心配しないで下さい。僕が乗るからには、ひどいことにはしませんよ!」
「君だから心配なんだがな」サイは何とか笑顔になろうとしたが、出来なかった。
「僕、前からモビルスーツ見てて思ってたんです。あれって本来、災害の救助活動用に使うものでしょ?」
「ジョージ・グレンの宇宙服が起源だ」シホがそっけなく突っ込んだ。
「ど、どっちにしろ、戦争目的じゃありませんよ。指先にカメラはついてるんだし、倒れたビルだって運べるし、だから今度のミントンでも……ちょっとサイさん!」
既にエレベータは避難民用居住ブロックに到着していた。人の忙しく行きかう通路に出ながら、サイはナオトを無視し、ノートパソコンで作業スケジュールの確認を始めていた。重力制御がかかっていないので、全員でリフトグリップにとりつく。
マユはシホを後ろにしながら、サイとナオトを追う形になった。そのまま笑顔でシホを振向く。「ね? ナオトと私が乗るから大丈夫。ナオト、優しいもん。嘘つきだけど」
シホはまだ納得できない。「子供が二人で……」
サイはその言葉に反応した。ノートパソコンを見ながら、振向きもせず言う。「貴女も子供でしょう」
「違う。私はザフトの栄誉ある戦士だ!」
シホの反論に、サイは首だけ強引にそちらへ向けて言った。「子供は利用される。ナオトもマユも、貴女も同じだ!」
さらに、ナオトが噛みついた。「変ですよ、サイさん。せっかくティーダのパイロットに決まったんだから、少しは応援してくださいよ」
「どうしてはしゃげる」サイは手早くノートパソコンをしまい、体重をうまくグリップに乗せてナオトの正面に向いた。「あんな思いをして、まだモビルスーツに乗りたいのか?
俺は後悔してる。君を乗せてしまう手助けをしたこと!」
「分からないな」ナオトは不満げだ。「うれしいんですよ、僕は。マユと一緒だし」
「分かってないから言えるんだ。大きすぎる力は、君を壊す」


ウーチバラの宙域を少しばかり出たあたりのデブリ・ベルト。その間をぬいつつ航行する、ローラシア級モビルスーツ搭載艦があった。
ヨダカ・ヤナセを救出したミネルバ隊を乗せた、ミネルバJrである。
アーモリーワンで就航予定の新造艦・ミネルバ。その搭乗予定者たちとモビルスーツなどを輸送する艦だ。クルーの訓練も兼ねての運用である為、「Jr」の名がつけられている。そして、「Jr」の名がこの船につけられた理由はそれだけだった。
見たところ、とてもその名にはふさわしくない老朽艦である。何せ、プラント創設間もないC.E.46年の就役だ。勿論当時は違う名だったが、2年前偶然にも連合軍に同名艦が現れザフトに甚大な被害を与えた為、現在はこの通りに改名されている。
何度か改修もされているが、いい加減基礎構造にガタが来つつある船である。船内のトイレや食堂の使いづらさから、クルーたちの不満も多い。
「乗っ取りですってぇ!?」そのブリッジで、今素っ頓狂な叫びをあげたのは、ミネルバ副艦長就任予定のアーサー・トラインだ。
それに反して、ミネルバ艦長のタリア・グラディスは冷静だ。ゆっくりと、そこに集まった面々──シン・アスカ、ルナマリア・ホーク、レイ・ザ・バレルの若き赤服たち、そして黒々とした腕をむき出しにしたヨダカ・ヤナセ──を眺める。
「確実な情報でしょうね、ヨダカ隊長?」
「デュランダル議長よりの要請です」ヨダカはもっさりと生えた髭を動かしつつ、堂々と答えた。「必ずや、無傷でアマミキョ及びその人質──乗員・避難民を救出せよ」
ルナマリアがふと首を傾げる。「救助船の救出? 矛盾してる」
シンがヨダカの背を睨みながら、後方の壁を拳で叩いた。「ややこしい事しやがる、オーブってのは!」
「この船は会議中の私語を許すのですかな、タリア艦長?」ヨダカはじろりとシンたち2名を睨む。「赤服も堕ちたものだ」
シンは反論しようと唇を尖らせたが、タリアの視線だけで黙らざるを得なかった。ヨダカは堂々とディスプレイの前へ進み、データバンクからの情報をその上へ転送する。3機のモビルスーツのCGが現れ、ヨダカはそれを指揮棒でなぞった。
「ウーチバラも、奴らにより被害甚大だ。紅のストライクに、接近戦可能なカラミティ。そして」
「忌まわしき光のブリッツ」レイが先を継いだ。「遮光フィルタの損傷は、ブリッツの発光によるものですね?」
ヨダカがほう、と唇をすぼめ、改めて彼を見る。「命こそ助かったが、しばらく神経がイカれたよ。光だけじゃない、装甲から発振された振動も影響してる。視覚、聴覚、末梢神経……百聞は一見にしかず、君たちも一度見てみるといい」
肩をさすりながら語るヨダカを見ながら、シンは腕を組んで呟いた。「そいつらが支配したってんだな? 救助船を!」
紅い瞳がぎらついている。隣のルナマリアが心配げにそんな彼を見やったが、シンは全く意に介していない。
タリアがシン、そしてヨダカをけん制した。「まだ決まったわけではないわ。このモビルスーツのパイロット、及び犯人の情報が判明しない限りは動けません」
アーサーも慌てて言う。「この船は、アーモリーワンまでのつなぎなんです。運用も未だにままならないし、とても戦闘には」
「重ねて言います」ヨダカは強引にさえぎった。ディスプレイを指揮棒で叩く。あくまで軽い仕草だが、鋭い音が響いた。「議長じきじきの要請だ、タリア艦長!」
尊大すぎる。タリアの胸は不満で煮詰まったが、言葉では何も言わなかった。勿論、この状況にはいくつも疑問があったが──
一体何を考えている、ギルバートは?
「い、いずれにせよ、こんなモビルスーツを放っておくわけにいかないのは分かります」アーサーがタリアの思考に割り込んだ。「神経に直接入り込むなど……」
「技術を悪用されては、核以上に大変なことになる。議長の判断は正しい」レイがきっぱりと言い放った。
「もうひとつ」ヨダカが指を立てて、軽妙な口調のままで言った。「ジュール隊が奴らに捕らわれた。彼らの救出もついでに頼むよ、ボルテールも支援してくれる」
「あの、ヤキンの英雄がでありますか!?」シンが思わず身体を乗り出した。動揺が見事に表情に現れている。
だがそれは、他のクルーも同じだった。「あの」ジュール隊が? そんな化物を相手にするのか、自分たちは?
「何て奴らだ」中でもアーサーの歯ぎしりはひどい。
「決まりね。メイリン、ミントン1への到着予定時刻は?」タリアが通信管制のメイリンに素早く訊ねた。メイリンはコンソールパネルを慣れない手つきでいじりながら、必死で回答する。「デブリ帯が多く、遅延が予想されます。現在の軌道のまま航行しますと、到着は56時間後に」
「待ってられん。奴らはもう到着するぞ」
ヨダカの野太い声に、メイリンが思わず反論した。「無理ですよぉ、この船通信も索敵もCICもアプリが通常のローラシア級よりバージョンが古いんです、このデブリ帯だって通過できるか」
「ミントンがどうなっても良いのか、貴様!」上官に堂々と口答えとは、この船の教育はいったいどうなっている──いや、ザフトそのものの教育体制が問題なのだ。ヨダカは震え上がるメイリンをひと睨みし、そして一同をぐるりと見回す。
そもそも何故、このような年端もゆかぬ娘が艦の通信などを担当し、しかも同じような年頃の娘までが、モビルスーツに乗っているのだ? プラントでは出生率の低さがさらに問題となっているこの時に、女や若者が重宝されるべき時に!
暗澹たる気持ちが噴出したかのような、ヨダカの怒声だった。


ヨダカの予想どおり、アマミキョはL4空域のミントンへ接近しつつあった。
フレイたちに監視される中でも、ナオトはちょくちょくモビルスーツデッキに入っては、ティーダの改良案を出していた。それはまず、外部スピーカの調整。そしてティーダの指先──つまり、マニピュレータの先端のカメラをさらに高感度のものに替えることだった。
勿論、主に作業を行なうのはミゲル・アイマンにラスティ・マッケンジーだったが、彼らは特に文句も言わずナオトの案を採用していた。
「にしても、ティーダって凄いですよね。ニュートロンジャマー下でも通信できるなんて……」
ナオトは低重力に制御されたデッキを漂いつつ、ティーダの頭部アンテナに触れようとする。
「ドアホ! 汚れた手で触るんじゃねぇ」即、ハマーの怒号が飛んだ。
半端者の分際で、よく神聖なるデッキへ入れる。それが、ハマーの怒りの理由だ。ラスティがそれをなだめ、ミゲルがナオトに答える。
「ヤキンでも使われた、ドラグーンシステムの応用でね。今じゃザフトでも連合でも、秘密裏にこれを採用して……って、こりゃオフレコな」
「分かってます。量子通信、ってやつですね」ナオトはマニピュレータ部分へ身体を流し、カメラの動作状況を見た。「ドラグーンみたいに兵器として使うより、ティーダみたいな使い方のほうが、よほど平和的だけどなぁ」
突然ティーダのハッチが開き、ブレザー服姿のマユが跳んできた。かなり短いスカートがひらひらしているが、マユは全く気にしていない。「ナオト、普通のカメラじゃだめなの?」
細く頼りなげな脚がナオトの眼前で踊り、彼は思わず真っ赤になる。慌ててナオトは顔をそむけ、ティーダの右掌の人差し指にあたる部分を抱きしめ、作業中のふりをした。「瓦礫の下の人を助けるには、もっと感度が必要だと思うんだ。赤外線スコープも必要だろうし」
マユはナオトの様子にも気づかず、彼の真上から降りてくる。「どうしてそんなに必死なの?」
無防備すぎるマユに、ナオトはとっさに対応できない。ナオトもブリッジ制服のままゆえ人のことは言えないが、低重力下での作業はせめてズボンでお願いしたいものだ。ミゲルがクスクス笑っているじゃないか。
「人が死ぬの、そんなに嫌なんだ」ナオトの横に降りてきたマユ。黒髪がすぐ目の前にあった。「そんなことじゃ、自分が死んじゃうよ」
「これ」ちらりと見えたマユのスカートの中を気にしながらも、ナオトはふと思いついたように、胸元からフーアのお守りを差し出す。「僕の理由。あんなものを見るくらいなら、自分が死んだほうがマシだ」
マユは訳が分からないらしく、じっと大きな瞳でフーアのお守りを見つめていた。さらにナオトは言う。「君だって、カイキ兄さんが死んだら、悲しいだろ?」
しかしその瞬間、なんとも驚いたことに、マユは首を振ったのだ。しかも大きく、即座に、笑顔で。
「全然!」
ナオトはしばらく、二の句が継げなかった。
一体何者だ、この娘は。最初に出会った時から、マユの感情は異常だった。
フレイの話では、彼女もカイキもナチュラルだという。だったら何故、ティーダの「黙示録」を起動させられた? そもそも何故、ティーダに乗っている? アマクサ組に何故くっついている?
カイキ兄さんは何者だ。何故、姓が違うんだ。カイキ・マナベにマユ・アスカ──
最後の問題が、ナオトにとっては一番大きい。兄ちゃん兄ちゃんと呼んでいるから、今まで実の兄だと思い安心していたが、姓が違うとあらばそうはいかない。兄妹に見せかけて実は恋人同士──
「手がお留守だぞ、色ボケ!」いつの間にか流れてきたミゲルに後頭部をひっぱたかれ、ナオトの思考は中断された。
だが今、マユはカイキを否定した。あれだけ懐いているのに。カイキはあれだけ、マユの為に必死なのに。


「こっちが助けて欲しいのに、ウンザリだよ」
食堂では、カズイがサイに愚痴をこぼしていた。今度のミントン1の件だ。
コロニー内の平均気温が摂氏44度を超えたとの報告を受け、ただでさえ消沈気味だったクルーの気力は、さらに萎えていた。
「やっと本来の仕事が出来るんだ、感謝しないと」サイは淡々と、ランチプレートに水を乗せる。重力制御は正常だ。
食堂は班分け関係なく、クルー全員が集まることができる場所だった。尤も、そのおかげでトラブル発生率も高いが。
「それに、ノーマルスーツ着て出ればかえって涼しいって話だ」
「残ってるわけないだろ、俺に。パワードスーツだってろくにないってのに……サイなら知らないけどさ」
サイに割り振られた食事の量を見て、カズイはため息をつく。どう見ても、自分の配当量より多い。しかも、カズイのプレートにはないキャンディーまでがあった。
「じゃ、アストレイにでも乗ってれば」サイにしても、そんなカズイの気分に構っていられるだけの余裕はない。つい、カズイを余計に刺激する言葉を吐いた──案の定、カズイはくってかかる。
「何怒ってるんだよ。謝ってるだろ、あいつらのことは」
勿論、ジュール隊の件だ。
サイを取り巻く視線が、少しずつ異様なものになってきたのは間違いない。元アークエンジェルクルーで、ナチュラルの癖に優秀なブリッジ組。フレイとの因縁。さらに、ザフト兵と懇意にしていたという噂が広まっていた──主に、カズイが食糧班の少女たちに漏らした言葉が原因で。
この食堂も例外ではなかった。集まっているクルーたちは一見笑顔を装っているが、サイが横を通過すると、何とはなしに視線がそれ、話し声が小さくなる。勿論本人の目の前で堂々とナイショ話をする馬鹿はいないが、自分とクルーたちとの間にヘドロのようなものがたまり始めていることを、サイ自身感じずにはいられなかった。
「おい!」と、突然サイは後ろからむずと衿を掴まれた。「ザフト野郎とどういう知り合いだ」
力まかせに後ろへ引っ張られるサイ。手からランチプレートが落ち、床にチャーハンが散乱した。振向いてみると、どう見ても瞑想室を出たばかり、という風情の男二人組が立っていた。
「その言い方はないだろう、彼らはこの船を助けた!」
「関係ねぇ! あいつらとてめぇが良からぬ相談してたことぐらい知ってるっ」「俺らをザフトに売る気か!」
カズイは反射的に2、3歩後ずさっていた。それを責めることは誰にも出来ない。何故なら、他のクルーたちは殆どが、見て見ぬふりをしていたのだから──関わり合いになればたちまち瞑想室。読書を始める者、あさっての方を向いて談笑する者、寝たふりをする者──
食堂の隅のあたり、一人でパンをかじっている女性が見えた。あれは確か、ウーチバラ襲撃のさいブリッジから逃げ出したオペレータ、ヒスイ・サダナミじゃなかったか? どうして一人で……
「だいたい生意気なんだよ、ナチュラルがブリッジ組なんぞ!」
男がサイを絞める力がさらに強くなる。2発頬を張られ、ネクタイがもう一方の男に思い切り引っ張られる。
その時、サイの頭から背筋まで冷水が入り込んだ。頭からコップの氷水をかけられた──
からかわれている。俺の無様な姿を、こいつらは忘れていない。フレイの前で腰を抜かしたあの時の姿を。
「やめろ、何してる!」ちょうど食堂に入ってきたオサキが、一声叫んで止めに入った。途端、サイを掴んでいた男どもの手が離れた。
オサキの怒りのせいではない。彼女の背後から偶然入ってきた、ムジカ社長を目撃して、だ。
「瞑想室はご存知の通りいっぱいなんだ、これ以上騒ぎを起こされては困るよ」
一瞬だけ、食堂がしんと静まる。視線という視線が、騒ぎの中心──茫然と座り込んだサイと、男たちと、社長に注がれた。
「そ、そうだよっ。俺ら救助船のクルーだろ!」カズイが、彼にしては珍しく大声で主張しだした。
それに呼応するように、周囲もサイに加勢する。「そうよ、今のはひどい」「人として最低じゃね?」「瞑想室も効果なしか!」「サイさん、大丈夫? 代わりのランチ持ってくるから!」
「お前らっ」調子のいい、と怒鳴りたげなオサキを、社長が手で制した。それでも彼女は我慢がならず、食堂を見回す。隅の方で、騒ぎから逃げるようにプレートを片付けるヒスイがいた。オサキは彼女を呼び止めようとしたが、ヒスイは黙って立ち去った。
社長はハンカチを取り出し、サイの頭にぽんと乗せる。「君もしっかりしなさい。もーすぐ僕とはお別れなんだから」


その言葉どおり、ムジカノーヴォ社長はミントン2到着と同時に、アマミキョを後にした。
ミントン1と2は、双子の中立コロニーである。
しかし数週間前、テロリストの攻撃によりミントン1の採光ミラーが一部損傷し、その為に自動調節機構が破壊されたミントン1はそれ以降、時間が停止していた。夕暮れの時間に。
水の都として有名だったミントン1には、人工的に造られた湖や河川が多かった。しかし現在は、その殆どが泥の沼地と化し、摂氏40度を超える熱と湿気がコロニーに密封されている。
地上にいた住民は殆どが隣のミントン2に逃れていたが、勿論富俗層が優先で、貧困層はコロニー地下へと押し込められる結果となっていた。飲料水もなく、光もなく、プライバシーも何もないスラムへ。
アマミキョは社長と、牽引してきた救助艇、下船希望を出した避難民をミントン2で降ろした。これで船内の人数がようやく減ったとクルーたちが胸をなでおろしたのもつかの間、その後港口からミントン1コロニー内部に進入し、彼らはさらなる地獄を目撃することになった。
サイとアムルとカズイがブリッジ上の甲板に出てコロニー内の熱にその肌をさらした瞬間、「外壁の冷却効果も役立たずってこと!?」アムルが文句を垂れた。
真っ赤な血で満たされたようなコロニーの空。身体じゅうに灼熱の湿気がまとわりつき、サイたちは魂の2割がたが持っていかれそうな気分になった。サイとアムルのブリッジ組制服が汗まみれになる。
彼らを生身でブリッジから外に出るよう命令したのは、勿論フレイだった。アムルの薄いベージュのブラウスが汗で濡れ、彼女は衿のネクタイを緩めてわずかに鎖骨を出す。夏服の、大きく広がる袖から二の腕が風でむき出しになる。それを見て、カズイの顔がメットの中、空と同じ真っ赤になった。
カズイは緊急時用のノーマルスーツを装着していた(本来は反則である)。冷却システムが働き、サイたちよりは気楽なようだ。
「いくら内部の空気を吸う為ったって、頭おかしいんじゃないのあの女」アムルの息が早くも上がっている。チョコレート色のプリーツスカートまでもが湿気と汗でふにゃけ、彼女はスカートを甲板上で思い切りはためかせた。勿論、下着は見えない程度にだが──ストッキングが実に暑そうだ。「神経が煮えたら、どうしてくれるのよ!」
「俺に言ったってしょうがないでしょう」ネクタイを緩めるサイにしても、アムルと状況は似たようなものなのだ。夏服とはいえ、やはりノーマルスーツをつけていたほうがマシだ。皮膚や内臓に直接押しつけられるような熱はたまらない。さらに──
「一体何なの、この臭い」
「下水だよ。あそこだ、湖は」
コロニー軸上を航行中のアマミキョ・コアブロックの目と鼻の先に、人工湖があった。ただし湖といっても、この熱気で半分以上が干上がり、その代わりに湖だった場所は下水管の破裂で汚泥の池となっていた。その泥が市街地にまで流れ込んでいる場所さえある。
女性ならおそらく、生理の血がさらに腐ったと表現するだろうその臭いは、カズイのメットの奥までは届いていないようで、彼はきょとんとサイたちを見ていた。「どうしたの?」
「バイザー上げてみりゃ分かる」蒸気をたっぷり込めた暑さは無条件に人を苛つかせる。サイはカズイに対する自分の言葉が暴力的になっているのに気づき、軽く自省した。
「もうちょっと時間がたってれば、湿気もなくなってただろうに」アムルが苛ただしげに長い髪をかきあげた。
「俺たちが来る意味もなくなってたよ。太陽光ブロックの修復には時間がかかるし、その間に配水システムの修理、市街地からの排水、民間人の一時避難。ミントン2からの援助だけじゃ無理がある。もう一度人が暮らすためには、今こそアマミキョが必要なんだ」
サイたちの目の前で、アマミキョはその船体を空中で分散させていく。ブリッジやモビルスーツデッキのあるコア(指令)ブロックから、居住用ブロックや医療ブロック、緊急救助ブロックが離散していき、真っ赤なコロニーの空に、アマミキョの船体が広がる。コアブロック以外は、100m下の地上に降下していく。
この分離機構こそが、アマミキョが地上でなくコロニー内で建造された理由だ。一部、地上では使用不能な機構もあるため、大気圏突入の直前には該当する宇宙用ブロックを切り離し、オーブ所有のイズモ艦に収容される予定となっている。
その様子を甲板から眺めながら、サイは奇妙な不安にとりつかれていた。
ジュール隊の件、フレイたちアマクサ組の件、そして社長の下船──
副隊長がいるとはいえ、あれでも要所要所ではシュリ隊をしめてくれていたのだ。企業のトップがいつまでもアマミキョにいるのは危険とはいえ、社長がいないというのは今のシュリ隊にとって不安要素だ。なんといっても──
社長がいなければ、誰がフレイたちの暴走を止めるというのだ?


そのフレイは、早速地上に降り立ってアストレイ隊やミストラル隊を主導し、アフロディーテで救助作業にかかっていた。今はIWSPを装着していない、素のダガーLである。それが、ソードカラミティのカイキや作業用アストレイと共に、泥の廃墟と化した市街地に降り立った。細かく入り乱れた路が特徴の街でもあったが、それが作業を阻害しているともいえた。地盤の崩壊と暑さにより、殆どのビルが傷んでいる。
「あ……今レンガが落下し、泥に落ちる音が聞こえました。至る処で配水管が壊れ、水が流出しています……
かつての水の都・ヴェネチアの再来と言われたこのミントン1は、現在我々の前に無惨な姿をさらしています。運河が縦横に走り、美しい景観を誇ったこの観光コロニーも、今では」
「泥の山っ。いっそのこと、全部沈んだほうがマシ!」
「マユ……頼むから黙って」
ナオトはマユと共にティーダに乗り、ミントン市街地のレポートを始めている。抹茶色の専用ノーマルスーツを与えられたナオトは、上機嫌だった。ナオトの身体には少々大きめだったが、だぶついている処が可愛いと、医療ブロックでネネたちに褒められてもいた。
熱せられ、開かなくなった地下へのハッチを強引に開くティーダ。避難民がいるはずだったそこには──
「きゃはっ、腐ってる」
マユの笑い声が響く中、ナオトは目を凝らしてその物体を見る。一瞬、それが何なのか理解できなかった。
そして直後、ナオトの胃が全力でその事実を拒絶する。まずい。ノーマルスーツの中に吐いたら、どんな罰を受けるか分からない。
ハッチを閉じて作業していて、良かった。周囲に漂う悪臭はどれほどだろう?
それは、熱気のこもる地下街に閉じ込められた、大量の人間たちの死体。
密閉された熱気と湿度の中、完全に白骨化することもできず、膨張した腐乱死体。一箇所に押し込められていたものらしく、半ば溶解した肉同士がくっついているものさえある。
「何してる、グロレポはなしか?」後方から様子を見に来たソードカラミティから、カイキの嫌味が響いた。
ナオトは胸の圧迫感に耐えながら、レポートの文句を呟く。「髪の毛で、ようやく人間と分かります……」


サイもまた、作業用M1アストレイで配水システムの修理に出ていた。泥の河と化した、もはや流れぬ運河をアストレイで慎重に進みながら、サイは壊れた下水管を見つけた。テロ前後の混乱で薄い地盤が崩れた時に切断されたのだろう、管の中に乾燥しきった汚物が詰まっているのが分かる。
倒壊した建造物がその上を覆っており、サイはミストラルの応援を数台呼んで壊れたビルを押しのけにかかった。ミストラルの作業用アームが建造物にとりつき、慎重に配水管の上から除去していく。
サイは、ハッチを開いたまま作業していた。不慣れゆえ時々ハッチから振り落とされそうになるが、戦闘ならともかくこのような作業は、できれば肉眼でやりたかった。よほど危険な状況でない限り、実際に空気を感じたかった。
アストレイをゆっくり跪かせ、アサルトナイフで管に詰まった泥を取り除く。
作業をしながらも、サイの頭ではジュール隊とフレイのことがぐるぐる回っていた。
助けてくれたんだ。何とかしなければならない。
サイの思考は、ごく単純だった。どうにかして、フレイとアマクサ組の監視を逃れ、ジュール隊を逃がす方法は。アマミキョ全艦監視システムとて、死角はあるはずだ。
何より、フレイにこれ以上の無茶はしてほしくなかった。
今のフレイは、何を考えているのかさっぱり分からない。彼女の行動には一定の理もあるが、サイにしてみれば到底受け入れられぬものばかりだ。アークエンジェルから降りる時、すがりつくような瞳で自分を頼ってきたあの時のフレイは、一体どこに行った。だいたい、何故彼女はコーディネイターなのだ。
思考をめぐらせつつ、何度目かにナイフで管をえぐった時──
中に詰まっていた水が、一気に空中に噴出した。
勿論、きれいな冷水などではない。汚濁しきった熱湯だ。
ハッチを開いたままだったサイは慌てて機体をどかそうと焦ったが、自分の身体ほど早くは反応しない。もう少しで熱湯がコクピットに直撃しようとした時──
アストレイが、後方へ大きく引っ張られた。両肩をシートベルトで切断されるような感覚がサイを襲う。しかしベルトがなければ、泥の中にサイは弾き飛ばされていただろう。
「ハッチは閉じろ。常識だ」アストレイの右腕部を強引に後ろから引っ張り上げたのは、フレイの乗るダガーL──アフロディーテだった。
茫然とアフロディーテの頭部を見つめるサイを、ミストラルに乗ったシュリ隊員たちが嗤っていた。


ナオトが死体の山のおかげで帰還後に吐きまくり、サイが作業中のミスで3発殴られポイントを大量に引かれてから、2日が経過した。
フレイたちアマクサ組の叱咤もあって、早くも隊員たちは作業に慣れてきていた。
地下へ逃げのびた人々は予想外に大量にいた。汚水と腐臭に満ちた暗がりの中から、サイたちは必死で人々を救出していた。
最初は、下水の臭いがしみついた避難民に触ることさえ抵抗を示したクルーもいたが、半日もすれば自ら地下の下水管に頭を突っ込み、素手で詰まりを取り除けるようにまでなった。
アマクサ組はそういった汚い作業をもきっちりチェックし、それなりの高ポイントを与えていた。この統制のおかげで、思いのほかアマミキョの支援活動は順調に進んでいた、といえる。
フレイが自らアフロディーテで最前線に出て、陣頭指揮を取っていたことも大きかった。勿論、その為に瞑想室直行処分を喰らった者も多数いたわけだが。
だが、真っ赤に染まったままの空にトリコロールカラーのモビルスーツが飛来した瞬間──
熱気に満ちた時間は、終わった。

 

 

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