アマミキョのブリッジには、チュウザン並びに周辺の被害状況がひっきりなしに流れ続けていた。フレイたちの破砕作業のおかげで岩盤の直撃は免れたようだが、周辺海域に落下した岩石の為に津波が発生し、島国で海に面した土地の多いチュウザンは、多大な被害をこうむっている。
アムルを初めとするオペレーターたちが冷静さを保とうと努めながら、被害状況を報告していく。「ヤエセ東地区、住宅地は80%以上が壊滅状態」「海岸線が変わってますよ!」「住民の避難状況は4割にも満たないそうです」「フェンサやマブミ、ウラソエの状況は?」「フェンサから連絡がありました、港湾施設の被害は75%。入港は無理ですね……」「文具団の工場は無事なのか?」「直接の被害は何とか免れたけど、電気が完全に止まったらしい」


混乱の中で、サイは独りブリッジ裏の第3ブリーフィングルームに隔離され、必死のティーダのTPシステム解析を続けていた。
北チュウザンのいずれの港湾施設もユニウスセブン落下の被害を受け、どこの港もアマミキョを収容する余裕はなさそうだ。それはサイにとっては不幸中の幸いと言えた。チュウザン到着までの時間が少し延びたのだから──到着までに何としてでもサイは、ティーダのエラー原因を突き止めなければならないのだ。
サイはかれこれ20時間ほどもぶっ続けで、腫れのひかない頬を押さえつつTPシステムチェックを繰り返し行なっていた。それに協力しようという者は、誰もいない。ブリーフィングルームとは名ばかりの、電気もろくにつかない冷たい部屋の中で、サイはたった独りだった。
サイはアムル・ホウナの行動を思い返す。ごめんなさい、本当にごめんなさい──彼女はそう連呼しながらも、保身に走った。その心情は理解出来ないわけではない。カイキからあれほどの暴行を受けたサイを目撃すれば、自分も名乗り出ようという気はなくなって当然だ。堂々と名乗り出てくれただけでも、彼女には感謝すべきなのかも知れない──
いや、違う。サイの中で、何かが激しく叫ぶ。
彼の前のモニターに、結論は既に出ていた。膨大な量のプログラムの文字列の中、幾つかの数値が紅に染まっている。再テストを重ねに重ねた結果、暴き出された数値ミスだ。
自分がその部分を入力及び設定した記憶は──ない。
俺の記憶が確実なら、入力時刻、入力ポイントから考えて、これはアムルのミスだ。
しかし記憶だけでは、あのフレイが納得するわけがない。それにサイ自身、睡眠不足による自分のミスでないとは言い切れない。畜生、こういう時の為のアマミキョ全艦監視システムじゃないのか!
アマクサ組に監視システムを解析してもらえればさらに決定的になるはずだが、勿論監視システムはアマクサ組以外に誰もいじることは出来ない。
とうに結論を出していながら、サイは逡巡に逡巡を続けていた。
アムルは、自分がミスを犯したという事実を分かっていたのかも知れない。だからサイが薬剤を浴びせられた時、積極的に自分が出ようとしたのか。他人からミスを糾弾されるよりも、自分から認めてしまった方が、遥かに楽だから。だとすれば、彼女は相当のタマとしか言いようがない。あの時彼女は、自分自身のプログラミングのミスではなく、サイのミスをチェックし切れなかった、と傲然と言い放ったのだから。つまりやったのは自分じゃなくサイだと、彼女は言ったのだ。
いや、本当に彼女は知らないのかも知れない。自分がミスをしたという事実を。そうであってほしい。
どちらにしろ、サイはアムルを呼び出す必要があった。ミスを犯したのは自分だったと知った方が、よほど楽だ──サイの頭と胃が、同時に痛み始めた。


医療ブロックに収容されたナオトの目覚めは、早かった。
酸素マスクを口に被せられ、包帯とチューブだらけになった自分に気つき、ナオトはようやく生還を知った。そして、心地よいほどに感じる重力。
──フーアさん、アイムさん。僕は、地球に戻れました。
二度とこの重力を感じることのない同僚を思いながら、ナオトは未だに左の掌にあったお守りを、強く握り締めた。大きな目から涙が一滴流れ落ちて、マスクの中を濡らす。
しかしその時ふと頭を傾け──ナオトは、現実を突きつけられた。
薄いエメラルドグリーンのカーテンで仕切られた向こうのベッドには、マユが寝かされていたのだ。いや正確に言うと、すぐにマユだとは分からなかった。包帯に包まれた細い両腕、両肩がはっきり見える。しかも包帯の間という間から血が滲み出していた。
顔はカーテンのおかげでよく見えなかったが、顎のあたりは確実に包帯のお世話になっている。まさか、顔が傷ついたのか、マユは?
マユだと分かった理由は、そのすぐそばにカイキがじっと頭を垂れ、彼女の手を握りながら座っていたからだ。しかも、カーテンの隙間からちょうど彼が見える。ナオトは急いで視線を逸らそうとしたが、脊髄に突き刺されたチューブのおかげで、首も思うように動かなかった。
そんなナオトの動きを察知したのか、カイキは頭を上げた。涙の跡が見えたような気がした。
「もうお目覚めか。さすがコーディネイター様の血だな」
まずい、とナオトが感じた時にはもうカイキは立ち上がり、カーテンを強引に開いていた。「見ろ。貴様のお陰で、マユの身体はボロボロだ」
半分以上が包帯に包まれたマユの顔が露になる。マユだと説明されなければ、ナオトはそれが彼女だとは分からなかっただろう。何せ鼻も目も唇も、頭のてっぺんまでが包帯にくるまれているのだ。汚れた包帯の下から、妙に濃いピンクに染まった皮膚が見える。少し割れていて、その奥に見える黒い水晶体のようなモノ──あれは、左目か?
マスクの中で、ナオトの呼吸が激しくなった。そんな彼の上に、カイキの影がゆらりと覆いかぶさる。「いいご身分だな。マユをこんな姿にしておいて、てめぇは降下の感傷に浸りっぱなしか」
途端、カイキの一発が毛布の上から、ナオトの腹を直撃した。マスクのせいで、喉からは悲鳴すらも出ない。代わりに、その身体に繋がれている医療モニターが一斉に叫びだした。だがそこは船内でも多忙を極める医療ブロック、容易なことでは人は来ない。カイキはモニターや点滴台を殴り倒し、さらにベッドからナオトを無理やり引きずりだし、張りついているチューブを引きちぎる。繋いであった尿の袋が落下し、床を汚した。
「どうした。マスクでいつもの口答えは出ねぇか?」投げ出された無抵抗のナオトの手術着が剥がされ、肋骨と肺の上にさらに容赦ない拳が飛んだ。その首に、カイキは黒い手をかける。手の甲で浮き出る静脈。「これぐらいされたって、コーディネイターは平気なんだろうが!」
ナオトの首の動脈に激しい圧迫がかかった──その時。
「やめなさい! 殺す気っ」かけつけたスズミ女医により、ナオトは災難を逃れた。舌打ちひとつで、カイキはその場を脱兎のように駆け去っていく。
咳き込みが止まらなくなった身体を数人の看護師に介抱されながら、ナオトの目に容赦なくマユの無惨な姿が映し出される。袋から流出した自分の尿の上に座っていることにも気づかないまま、ナオトはその胸に湧き上がる怨みを、抑えることが出来なかった。
──サイさんさえ、しっかりしていれば。
 


PHASE-09 最悪の選択



「ごめんなさい。でも、私でもないわ」
サイに呼び出されたアムルの返答は、予想通りのものだった。
「ティーダ稼動中に、マユちゃんかナオト君がシステムをいじったのかも知れないし」
第3ブリーフィングルームが、二人の間の張りつめた空気で満たされていく。
「システムを読み出した形跡はありますが、書き換えまではされていません。つまりこのミスを犯したのは俺か、貴方です」
「だからそれは、貴方も私も罰を受けることで責任を取るって、あの時言ったでしょう」
「俺は事実をはっきりさせたいんですよ」あの時と言われて、サイの頬の痛みがぶり返した。
「どうあっても犯人探しをしたいわけ」アムルは上目遣いにサイを見据えた。この人の白目の面積は、これほどまでに広かったのか──ふとした時に出てしまうこの白目を剥いた表情のおかげで、彼女は結構苦労したのだろうな。
そんなことに思いを馳せながらも、サイはきちんと言うべきことは言ってのける。「違います。原因をはっきりさせておかないと、また誰かが同じミスを犯す。それは危険なんだ」
「二人で責任を取るって言えば全部丸く収まるでしょうに」
「収まりませんよ。それじゃアマクサ組が許してくれない、俺の気もすまない」サイは冷静さを保とうと努力しながら、まっすぐにアムルを見返そうとする。「お願いします。どのような経過をたどって誤りが発生したのか、詳細を教えてください。今後の為です」
だがアムルはすぐに視線を逸らした。「私、ミスはしてない。したとすれば、貴方のミスを見逃したことだけよ」
「それをはっきりさせる為にも、貴方の協力が必要なんだ。俺だけじゃ原因が分からない。数値入力ミスか、システム構造自体が悪かったのか──プログラムはあらゆるミスを想定して組まれる必要がある、わずかな設定ミスで今回の事件が発生したならシステム構造に問題がある可能性が高い。となれば、システム担当者を呼ぶ必要がある。それは分かるでしょう」
「嫌よ!」突然、アムルは船内中に響くかという声で叫んだ。「私がどうして教える必要があるの、私は違う」
「今後の為に協力してくださいと言っているだけです」言葉が通じても話が通じない──そのもどかしさに、サイは思わずアムルの左腕を掴んだ。「今は皆で協力していかなければ、危険なんですよ」
「だから、協力して責任を負えばいいじゃないの。貴方のミスを私が見逃した、それだけなんだから」
「堂々巡りだ」サイの頭にも血が上った。「それじゃフレイが聞かない」
「いつもいつでもフレイ、フレイって……貴方は自分可愛さで、私を無能扱いしたいだけよ!」アムルはサイの手を振りほどく。「言いがかりもいいところだわ。自分の過失を私のせいにするわけ」金髪が激しく乱れ、白目がさらに剥かれる。そこに走る毛細血管までが見えそうだ。
サイはようやく分かった。この女性は、自分のミスを知りながら、必死で認めまいとしている。自分が嘘をつきそれを主張し切ることで、自分自身にすらもミスを認めさせまいとしている。
要するに、彼女は自分が無能だということを、絶対に自分で認めたくないのだ。
しかしそのように自分を騙し続けても、いずれ手痛いしっぺ返しが来るということもサイは既に知っている。アムル自身の為にも、ここははっきりさせておくべきだ──
その思いがあまりにも強すぎたか。サイは今度はアムルの両肩を掴み、大声で怒鳴っていた。「俺は貴方に、フレイと同じ思いをして欲しくないんですよ!」
あまりの大声に、アムルは思わず顔を背けて悲鳴を上げる。俺の台詞の意味はきっと、1割も理解されなかったに違いない──サイが絶望した、その時。
「何をやっているっ、貴様!」言い争いを聞きつけたトニー隊長が、自動扉を開いて乱入してきた。その後ろでは、カズイが小さな瞳をいっぱいに見開いてこちらを見ている。
何というタイミングで入ってくるんだ。サイは自分の行為に気づいて慌ててアムルから手を離す。いや、呪っても仕方がない。カズイは常に憧れのアムルの後ろをついて回っていたのだし、そのアムルがサイに個室へ呼び出されたとなれば、気になって様子をうかがいに来るのも無理なからぬことだ。そしてカズイは最近、トニー隊長に吠えられながら仕事をすることが多い。必然的に招かれた事態でもあった。
アムルはそのままカズイに抱きついていく。「カズイさん、助けて!」彼女は涙まで流していた。
憧れの女性に突然抱きすくめられたカズイは顔を真っ赤にしていたが、すぐに状況を悟った。
「一体何をしたんだ、サイ」決して叫びはしないながらも、カズイは疑惑に満ちた目でサイを睨む。さらにアムルがカズイの肩でむせび泣いた。「サイさんが、私がミスした張本人だって言うの」
「カズイ、違う!」サイは叫ぶが、トニー隊長の怒声がそれをかき消した。「いい加減にしろ! 貴様……恥を知れっ」
「やめてください、隊長」カズイはアムルとトニー隊長を後ろに下がらせ、サイに向き直る。「サイ。今、船内がどういう状況だか分かってるのか」
「カズイ、聞いてくれ。俺は本当のことをはっきりさせたいだけだ」
「サイのそういう姿勢は正しいと思う。だけど、正しいだけじゃやっていけない時がある、今がその時だ。みんなが団結してチュウザンを助けなきゃいけない時に、お前は何をやってるんだよ?」正面から話していてもいつの間にか視線が逸れ、呟くような声になるのは、カズイのいつもの癖だ。だがそれは今のサイにとって、エキセントリックに叫ばれるよりも痛烈な言葉だった。
「俺は、お前の心意気に感動したから一緒にここまで来たつもりだ。そりゃ戦闘もあるかと思うと、恐かったさ。実際、あったし。
だけど、今度は俺は逃げるまいと思っていた。今度は俺もサイと一緒に、出来ることを探したいと思っていた。なのに……このザマは何だよ」
床に落ちるように呟かれる言葉が、深くサイの心を刺していく。カズイの両の拳が、震えていた。
「お前は俺たちのことなんか考えもせずに、フレイにとっついたりジュール隊を逃がしたり、ナオトとマユにおせっかいして怪我させて、挙句にその責任をアムルさんに押しつける?」
「違う、カズイ……俺はアマミキョの今後の航行が不安なんだ」
「その程度の反論しか出来ないなら黙ってろよ! 俺がアークエンジェルを降りた時のお前は、どこ行っちまったんだよっ」カズイは感情を抑え切れず、遂にサイに怒鳴ってしまう。その時よほどサイの表情が歪んだのか、カズイはすぐに下を向き、それきり黙りこんでしまった。
代わりにトニー隊長が猛然とサイを睨む。「シュリ隊の大失態だ、これはっ……フレイ嬢に全て報告する!」


その数時間後。
自室に戻ろうとしたサイが通路にさしかかった時、部屋から次々に何かが投げ出されている光景が見えた。急いで駆け寄ってみると、それは全てサイの私物だった。本や服、手紙や文房具や記録媒体が廊下に乱雑に散らばっている。
「信じてたのに!」部屋の中から、ナオトの泣き叫ぶ声が聞こえた。医療ブロックを飛び出したナオトが包帯だらけの姿のまま、ちぎっては投げるようにサイの物を放り出しているのだ。
「やめろ、落ち着けナオト!」一体何度目だろうか、ナオトにこの台詞を言うのは。ナオトはサイに気づいてもなおも暴れるのをやめず、顔を涙と鼻水でグシャグシャにしてサイに辞書を投げつけ、寄せつけようとしない。「僕もマユも、サイさんのこと信じたからギリギリまで作業をしたんです、それなのに貴方は裏切った!」
「落ち着け、傷が広がる」サイは何とかナオトの攻撃をくぐりぬけ、右腕を掴む。あまりの暴れようで、新しい包帯の下から血が滲んでいた。
「離して下さい、貴方がつけた傷でしょ」ナオトはサイの手を叩き払う。「僕の怪我なんかどうでもいいんです、マユに謝って下さいよ! 彼女、まだ意識が戻らないんですよっ」
ナオトの興奮の理由が、マユの怪我にあることは明白だった。サイに裏切られたこと以上に、マユが傷つけられたことがショックなのだろう。
「俺に当たることが出来るほど元気で、安心したよ」サイは精一杯笑顔を作って、散らばった本や書類を拾い集めようとする。だがナオトは聞かず、そんなサイの上から決定的な言葉を浴びせた。「いい人ぶったごまかしならもうたくさんです! サイさんがコーディネイターだったら、こんなことにならなかったのにっ」
サイにとってその一言は、これ以上ない侮蔑だった。プライドを大いに傷つけると同時に、トラウマをも深くえぐる言葉。いくら子供とはいえ、細心の注意を払って言葉を使うべき職業に就いているはずのナオトがこのような言葉を吐いて良いものか。サイは床の上で思わず両の拳を握りしめる。
だがナオトの興奮は止まらない。「本当は、コーディネイターが憎かったんでしょ!」部屋を照らしていたデスク用ライトスタンドを無理やり引き剥がし、サイに投げつける。電球部分がサイの肩に当たり、熱せられた薄いガラスが粉々に砕け散った。
そして、物理的暴力より遥かに凶暴な子供じみた横暴が、サイを襲う。肩を押さえるサイを見下げるナオトの目に、もはや憐憫はない。「ポイントが欲しくてしょうがなかったから、パイロットになろうとしたんでしょ。だからわざと、ティーダをおかしくしたんだ」
「何を言ってる……支離滅裂だぞ、ナオト!」
「サイさんが強化しようと言い出さなければ、ティーダは元のままだったんだ。
僕とマユに大怪我させておいて、アムルさんは邪魔だから全責任を押しつけて、自分はちゃっかりパイロットになろうとしたんでしょう! カズイさんまで傷つけて……素晴らしい計画ですよね」
サイの目の前が、真っ暗になった。もうまともに視線が上がらない。全身の力が、一気に抜けていく。
守ろうとした気持ちだけは、ナオトなら理解出来るはずだ。利口な子供だ、話せばきっと分かる──そんな自分の考えが実に甘かったことを、サイは思い知らされていた。「誰がそんなことを……」
「みんな言ってますよ」当然、とでも言うようにナオトは言い捨てた。「僕も今まで色々サイさんの噂聞きましたけど、出来るだけ信じないようにしてきました。こう見えてもジャーナリストですからね」勿論、「ジャーナリスト」の部分は嫌味なほどに強調させてのナオトの言葉。
「でも、限界です。正しいのはサイさんじゃなくて、他の人たちでした」
ナオトの頭からは、大気圏突入時サイが何度も自分に警告したという事実は、きれいさっぱり消え去っているようだ。それどころか今のナオトは、今までのサイの行動の全てを否定してかかる勢いだ。ウーチバラでナオトを励ましたことも、フレイたちから敢然とナオトを庇ったことも、無重力下に慣れないナオトを何度も助けたことも。
──いや、違う。覚えているからこそ、ナオトはこれほど荒れているんだ。裏切られたと思い込んでいるから。
床に散らばった本を、サイはただ意味もなく見つめることしか出来ない。何故俺の言葉は、この船ではこうも通じない? 何故、俺のやることなすこと全て裏目に出る?
しかしその時、一枚の写真が本から飛び出しているのに気がついた。そこに写っていたのは、かつてのフレイと自分だった。ヘリオポリス崩壊前──まだ、何も知らなかった頃の。
うつむいたままのサイの唇から、精一杯の言葉が零れ落ちた。「信じてくれ、ナオト。
俺は、本当に君たちを守りたかった。それが君をティーダに乗せてしまった、俺の責任だと思ってた」
フレイの写真を、ちぎれるほどに握りしめるサイの手。それを見て、ナオトの激情がわずかに治まった。振り絞られるようなサイの言葉も勿論だが、フレイの写真もまた、ナオトを鎮める効果があったのだ。その写真のフレイ・アルスターは、今では信じられぬほどの笑顔を見せていたから。
今更のようにナオトは、自分のした暴力の跡に気づいて呆然と部屋を見回す。それでも彼は、サイへの敵意を翻そうとはしなかった。「フレイさんに、認められたかったんですか」
「違う。フレイに認められたいなら、こんなミスをするものか! ましてや、故意になんてっ」
部屋の外には、騒ぎをききつけた大勢のクルーや避難民が遠巻きに彼らを見ている。ナオトの大声でこれだけ喚かれては、人が集まらない方がおかしい。カズイもその中にいたが、二人を止めようとはせず、ただ斜め下へ視線を逸らしていた。
ナオトに向かって土下座に近い体勢を取りながら、サイは必死だった。
「信じてくれ。頼む……ナオト」
「僕が信じたって」ナオトの大きな目からまたも涙が流れ、喉からは痛みに満ちた呻きが溢れた。「もう誰も、貴方のこと信じませんよ」


半日後。
チュウザンへの入港が遅れ続ける中、サイはブリーフィングルームで、クルーの面々に取り囲まれフレイの尋問を受けていた。その中にはアムルやリンドー副隊長にトニー隊長、ブリッジクルーは勿論、ナオトやカズイもいる。自動操縦に切り替わっている為、操舵士のオサキもいる。ただしカイキはマユの看護の為に欠席していた。
その全員の視線が、サイに針金の如く突き刺さる。外では激しいスコールが、アマミキョの装甲を叩き続けていた。ちょうど雨期でもあったが、おそらくユニウスセブン落下による業火の影響もあるのだろう。この雨は例年よりさらに激しく洪水が頻発しているとの情報が入っていた。
「TPシステムプログラム・熱量調整第38プロシージャ、及び第17、22、54ラインの数値設定ミス。これらは全て貴様自身の過失である──」
独り断頭台に立たされたも同然の状況のサイを前に、フレイは報告書を手に淡々と読み上げる。「認めるか? サイ・アーガイル」
冷徹かつ無感情なフレイの言葉と共に、サイの中でカズイやナオトの態度が蘇る。自分をはっきりと否定したあの二人を。特にナオトの最後の一言は決定的だった。
もう無理だ。あの二人までが俺を否定する以上、俺が何を言っても、誰も聞かないだろう。
度重なる災難と疲労で、サイの精神も半ば自暴自棄になっていた。冷静でいようと努めていたが、異常事態の連続の中で彼の判断力も正確さを失いかけていた。
自分さえ我慢すれば、自分さえ責任を取れば、全ては丸く治まる。自分さえ全てを耐え抜けば。
アムルの言う通りだ。自分だけが罪を被り、それでナオトやカズイが納得し、アマミキョが平和に活動出来るというのなら──いかに納得がいかなかろうと、それは正しいことだ。今は異常事態なのだから。
2年前、キラやフレイにしたのと同じ過ちを、サイはもう一度繰り返そうとしていた。自分を裏切ったキラとフレイを許し、決着をつけずその罪を看過してしまったが為に、キラもフレイも壊れていった──その痛ましい記憶を、この時のサイは無理やり頭から追い出していた。
「認めます」
この瞬間、フレイの眉間に微かな間ではあるが深い亀裂が走った。ざわざわと騒ぎ立てるブリッジクルーたち。アムルは心ここにあらずといった表情を装い、けだるげに外の雨を見ていた。
「他の者がミスったということはないんか?」リンドー副隊長が、珍しく苛立ちを露にしてオーブ西方訛りを出してしまう。サイはすかさず答える。「ありません」
無機質なルーム内に、外部回線から入ってくる状況報告の声、そしてわずかな雨音だけが流れた。その間を見逃さず、アムルは尋問に割って入る。「私のチェックミスです。申し訳ありませんでした」
執拗に保身に走るアムルの心意気にサイは怒りを通り越して感動すら覚えたが、フレイはぴしゃりと撥ねつけた。「私はこの男に聞いている」
それきり、アムルは黙り込んだ。そばにはカズイとトニー隊長がつき、心配そうに彼女を見ている。この場ではアムルは既に、サイに責任を押しつけられた被害者ということになっているのだ。
「アーガイル通信士」フレイはいつもの呼び捨てをやめ、サイを所属つきで呼んでいた。「ここでの偽証は船外投棄処分に値するぞ」
だが、サイは頑固だった。「責任は全て自分にあります。パイロットを危険に晒し、クルー全員に迷惑をかけた件、重ねてお詫びします。大変申し訳ありませんでした」
それを聞いた瞬間、後ろで見守っていたナオトが思わず視線を逸らした。隣のカズイは最初から俯いたままだ。フレイの表情は変わらず、サイを睨んでいる。他に言いたいことはないのか、とでも言うように。
恐ろしい沈黙の後、リンドー副隊長が深々とため息をつき、冷めたバーガーを乱暴にほおばった。「結論は出たな。これほど他人に失望したんは、『コペルニクスの悲劇』を止められんかった時以来だ」
フレイは改めて腰に手を当て、宣告した。「サイ・アーガイル。現時刻をもって、貴様のアマミキョ通信士の任を解く!」
予想と全く違わぬフレイの決定を、サイは直立不動のまま受け入れていた。オサキが無言で壁を殴りつけ、サイを睨む。これでブリッジのナチュラルは彼女一人ということになったのだ。
さらにフレイは続ける。「これより、貴様は第13作業ブロックに移れ。アマミキョ・ポイント集計作業勤務を命ずる」
「第2瞑想室かよ」後方から笑い声が上がったが、フレイが視線を向けるとその瞬間に静かになった。
「まだある」フレイは室内をぐるりと見渡す。「今回の事件の重大さを、貴様らは未だに把握していないものと見える。チュウザンの被害状況が今なお報告されている時に、地上に降りたからといって好き勝手に甲板に出たり喫煙をしたりする者が後を絶たぬ。
今回この男は、アマミキョ全体の和を乱し、大気圏突入及びユニウスセブン破砕という事態を前に、パイロット及びクルー全員の命を危険に晒したことを認めた。
一つの手抜き、一つの注意力散漫は積み重ねられれば全てを崩壊させる。そのことを身をもって、責任者全員が知る必要がある」
この言葉に、その場の全員が息を飲んだ。サイだけじゃないのか、罰は?
「サイ・アーガイルと同班の者、及び同じナチュラルのクルーは勤務内容を問わず、全員15日間のポイント半減処分とする」
一斉にざわめく室内。コーディネイターで良かったと胸をなでおろす者もいれば、即刻フレイに食らいつく者もいた。先鋒はオサキだった。「ちょっと待てっ、どうしてナチュラルが関係あるんだよ!」
しかしフレイは当然という表情だ。「今回の事件はナチュラルの無能さと嫉妬により発生したとの見方も可能だ。それ以上私に無意味な反論を続けるようなら、貴様もブリッジを降りてもらうぞ」


「アークエンジェルに乗って正義ヅラしてたからって、自分まで正義と勘違いしてやがる」
フレイの決定により、サイの部屋もナオトやカズイとは離され、モビルスーツデッキ隣の倉庫へ移動になった。おそらく寝心地は船内で最悪だろう。何せ、常に金属音が縦横無尽に鳴り響く場所だ。
しかも整備士たちの声まで、容赦なく響いてくるのだ。
「ザフト野郎を逃がしたのだって、勝手な正義感以上の何物でもなかったのさ」「人、それを偽善という」笑い声。
「大体、あいつのことキラ・ヤマトとラクス・クライン関連本に、少しでも載ってたか? 俺ぁあの勘違い野郎の名なんか見たことねぇ」「二等兵だもんな。巻末の名簿ぐらいがせいぜいだ」
聞かないことにして寝袋を引きずりながら、サイは制服を整える。ブリッジを降ろされようと、ブリッジクルーの制服はきちんと着るつもりだった。それがフレイやアムル、他の連中への精一杯の抵抗だった。あのような好き勝手を言う連中への。
第一、フレイとて未だに連合少年兵の制服じゃないか。今では誰もそれに突っ込む者はいないが、当初は連合嫌いのクルーが散々たてついたものだ。ミゲルやラスティ、ニコルがザフトの制服であった為に余計に混乱したものだが、今はクルー全員が黙認している。それだけ、フレイたちの実力と統制力はモノを言ったのだ。
ハマーの酔っただみ声が響く。彼はフレイの連合制服に関しては全く気にしていないようだ。フレイが最強の実力を持つコーディネイターだと思い込んでいるからだろう。「俺ぁな、あのアークエンジェルって連中自体が気にいらねぇ」
「また始まった」「いいのかな、ハマーさん。まだ信者いますよ、結構」
「構うか!」ぐびりと酒を飲み干す音。「冷静に考えろ。アークエンジェルは連合の脱走兵どもの巣窟、エターナルはザフトのお尋ね者の巣窟じゃねぇか。しかも主だった連中は全員40歳以下の子供ときた、そんな奴らが戦場に出た処で、被害拡大がオチだ」
「まともなのは我らがカガリ代表のクサナギだけってことですね」
「自爆野郎ウズミの娘なんぞ! セイラン家がなきゃ、オーブは今頃滅んでるよ」ハマーがレンチで床を叩く音が響く。「ハマーさん、飲みすぎっす!」「うるせぇ、せっかくの地上だっ」
サイは寝袋にくるまり、少しでも眠ろうと努める。しかし、出来なかった。


2時間ほど何とか眠った後、サイは新しい勤務場所へと向かった。
そこはアマミキョの最底辺の作業部屋とも言うべき空間だった。長い作業机が何台も所狭しと並べられ、人がひっきりなしに忙しく行きかっている。体育館一つ分が入りそうは広さではあるが、天井は低い。奥の数台のベルトコンベアが轟音を立てている。潤滑油とインクと汗の臭いが混じり、息が詰まりそうだ。そこに詰められている人員はほぼ全員がナチュラルで、女性が多かった。仕切り一つ与えられない机で、封筒の切手貼りやら救援物資のラベル確認、報告書の確認印の確認、学校用の教材折りなどをやっている。見るからに、与えられるポイントは激烈に少なそうだ。
全員の目がやさぐれ、活気はなかった。10台ほど並べられた作業机の右端ではグループリーダーが作業を監視しているが、彼らにしても仕事を真面目にこなしているとは言い難かった。
そんな部屋の真ん中あたりの作業机の一角が、サイに与えられた場所だった。粗末な端末が2台、向かい合わせに置かれている。
リーダーへの挨拶をすませてサイはそこへ向かう。右の端末には既に人がいた。女性だった。それも、知った顔の。
「ヒスイ・サダナミさん?」サイはベルトコンベアの音にかき消されぬよう、声をかける。呼ばれた女性はかなり遅れた反応で顔を上げた。伸びすぎた長い前髪から、眼球が見えた。
間違いない。ウーチバラ襲撃時にブリッジでパニックを起こした、あの女性だった。
「よろしくお願いします」サイの言葉にも、ヒスイの態度は何処かそっけない。目は完全に死んでいる。サイにどんな言葉を言えば良いのか、頭の中で必死に探っているようにも見えた。
業務を始めてみて間もなく、サイにはその理由が分かった。ここが「第2瞑想室」と呼ばれている所以も。
室内クルー60名だけでなく、作業の為に他のグループのクルーたちがここを通ることも多い。ひっきりなしに室内を往復し周囲を行きかうクルー、そのほぼ全員の好奇の視線に晒される中でひたすら入力作業を続けなければならないのだ。中途参加・下船含めておよそ320名を超えるアマミキョクルーの労働時間と業務処理件数を監視システムのデータから集計し、ポイント計算の元になるデータを作成して作業艇・ハラジョウへ送信する──それが、サイとヒスイに与えられた作業だった。
頭を使う必要は全くなく、ただ与えられた膨大な数値を入力し、簡単な規則に則ってデータを作成すれば良い。やろうと思えば、4才程度のコーディネイターでも出来てしまうだろう。
周囲から、くすくす笑う女たちの声が聞こえる。手元、指先、足元、表情、全てが見られているというこの屈辱感はたまらない。しかもこの業務にはポイントはろくにつかない、せいぜい今日の夕飯が確保出来る程度だ。
入力を開始して1時間もした時にはもう、サイは怒りにかられていた。
俺たちに罰を与える為に、わざわざこの作業を設けたとしか考えられない。アマミキョの全艦監視システムのデータを直接ハラジョウに送れば、こんな作業はいらないじゃないか。ニコルの技術をもってすれば、こんなデータ集計など手で行なわずとも、一瞬で可能だろう。
サイは思わず顔を上げ、端末ごしにヒスイを睨んでいた。そう考えたことはないのか、この女性は?
その視線の強さを鋭敏に感じ取ったのか、ヒスイは目を上げた。こういった作業を延々と行なう者の常か、左右の黒目が若干寄り気味になり、広げた目も右の方に力が入りすぎ、左右の目の大きさが違うという異様な表情になっている。彼女自身もそれを分かっているのか、サイとまともに視線を合わせようとせずに前髪で目を隠そうとしていた。彼女はさらに、サイと自分との間にダンボール状の仕切りを立てる。
「すみません。視線、気になるでしょう」消え入るような声が、黒い前髪の間から漏れた。長いこと発声を忘れていた人間のような、たどたどしい言葉だった。
「同班でしたよね。今回の件では、ご迷惑をかけて申し訳ない」サイは何とか彼女と言葉を交わそうと努める。そういえば、同じグループなのに殆ど顔を見かけなかったな、彼女。
「いいんです。仕方ないことですから」ヒスイの呟きは、注意して聞いていなければ周囲の騒音にあっという間に飲み込まれてしまいそうだ。これでもウーチバラ襲撃前はしっかりオペレータをやっていたというのに、何という変わりようだろう。
「俺のこと、色々と聞いていると思うんですが……」
「いいえ、貴方がここに来るということ以外は何も」周囲の人間がヒスイをどう扱っているかは、その一言だけで想像がついた。噂話の類からは完全に外れた場所にいるのだろう。
「気をつけて下さい。ここは、人と一緒にさせられながら人と隔絶される場所です」


 

 

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