「いいんですか? 曲がりなりにも元・婚約者でしょう」
作業艇・ハラジョウ内部からサイたちの作業部屋を監視しながら、ニコルが言った。車椅子のニコルの前には他にも何台かの端末が置かれ、アマミキョ各部の様子がすぐ分かるようになっている。
その後ろには、フレイが堂々と立っていた。監視システムのサイを凝視しながら。
「責任を取るということがいかなることか、理解させる必要がある」
ニコルは車椅子を揺らし、軽くふくれっ面を作ってみせた。「ホント、強情なんだから。このままじゃあの人、自殺しますよ。知ってるでしょう、船内の状況」
ニコルの下半身と化している無数のケーブルを撫でながら、フレイは視線をサイから離さない。「子供の貴様には分からんか……これは大人数を効率的に統率する上での手段の一つだ。特定のターゲットを作り、敵意を一方的に集中させ、現体制への不満やストレスを減少させる」
「常套手段ってのは知ってますけど。しかし耐えられますかねー、彼」
そう言いながらも、まるでゲームを楽しむ子供のようにニコルは画面内のサイをマウスポインタでなぞってみせた。ちょうど作業が終了したらしく、サイは立ち上がっている。それより先に、ヒスイ・サダナミは挨拶もせず、逃げるように作業場から立ち去ろうとしていた。どうやらサイはヒスイとろくな会話を交わしていないようだ。
と、カタパルトにカメラが切り替わる。ティーダの前で、ミゲルとラスティが暴れるナオトを諌めていた。ニコルはつまらなそうにその光景を眺める。「彼も、どうします?」
「ニコル。その前に、肘をついての作業はやめろ」フレイが注意し、ニコルがはっとして肘を下ろした瞬間──警報が鳴り響いた。


「何あれ、港が燃えてる!?」ブリッジにアムルの叫びが響く。何しろ入港シークエンスに入ろうとした時に、目の前のナンザン港に既に火の手が上がっていたのだ。港が襲撃されている!
<こちらナンザン港管制、アマミキョへ緊急連絡! 正体不明のモビルスーツ群により港が攻撃を受けています、港湾施設の40%が被弾、第1から第5までのドック使用不能! 軍が応戦中で>
管制との連絡が矢のようにブリッジ中を飛び交ったが、向こうのパニックが手に取るように分かる声だ。日が暮れたばかりの港に炎は瞬く間に広がり、係留中の船から重油が漏れ、海を汚していく。さらにその油に引火し、海が文字通りの火の海となる。未だにこのような燃料を使う時代遅れの船が、チュウザンには多かったのだ。
モニター画像が拡大される。と、炎上する空の中を、大きな黒い虫が羽ばたいているのが見えた。あれは──「ダガーLが飛んでやがる! ブルーコスモスかよっ」操舵を邪魔されたオサキが単純に、全員の予測を代弁してみせた。その数、確認されただけで5機。
「ワシらを待っていたってか」管制からの連絡が遮断される。繋がらなくなった通信機を叩きつけるように置いたリンドー副隊長は、暴挙とも言える決断をした。「あいにくワシらはもう待てん、燃料も限界だ! 着水を強行するっ」
「しかし、港があれでは……」
オペレータたちの反論にも、リンドーは余裕だった。「何の為のヘルダートだ! それに、アレを見ろっ」
リンドーが顎をしゃくった先──拡大されたモニターの炎の中から、ダガーLに向けて必死の対空砲火が上がっている。「あいつらを助けずして、何が救助船か」


雨のやまない甲板では、トニー隊長が作業中の全員に怒鳴り散らしていた。「敵襲だ! 総員、第一種戦闘配置っ」
その言葉を聞き、炎に背を向けて雨の中を走り出しながら、カズイは苦々しかった。空が赤い。砲の音が光とはやや遅れて飛んでくる。地鳴りのような砲音で、未だ宙に浮いているはずのアマミキョも震動している。
また、戦闘だ。しかも、アークエンジェルにいた時最も聞くのが嫌だった言葉を、ここでもまた聞くことになるとは。こんな調子で、アマミキョは戦艦になっていくのか?
「アイツ、戦闘配置の意味分かってんのかよ」「言ってみたかっただけだろ」カズイの横を、作業員たちが足早に駆け去っていく。どんな時でも誰かへの陰口は決して忘れないのが、アマミキョのクルーたちであった。
カズイは船内に逃げ込みながらも思わずサイの姿を探す自分に気づき、そんな自分を呪った。こんな時までサイを頼ってどうするんだ、アムルさんを裏切ったアイツを。


警報が鳴り響く中、フレイはIWSPを装備したスカイグラスパーに乗り込んだ。アフロディーテは未だに脚部の損傷が修理しきれていない。「私が先行する、カイキは砲撃戦用でアマミキョを援護だ、絶対に奴らを近づけるな」
手早くメットを被りスカイグラスパーのエンジンを入れるフレイの上から、ミゲルが身体を乗り出す。「ティーダは?」
「パイロットがあの状態で、出せるわけがなかろう」
と、スカイグラスパーの下から、包帯だらけのナオトが走りこんできた。「僕、行きます! 行かせて下さいっ、フレイさん」
「何やってやがる、テメェの居場所は医療ブロックだろうが!」ハマーがナオトに掴みかかったが、ナオトは遮二無二その手から逃れる。だがフレイはメットのバイザーを閉じ、そのままスカイグラスパーのハッチも閉じてしまう。ナオトの叫びは、完全に無視されていた。
「こんな時こそ、僕の出番でしょうっ」ナオトの悲鳴がBGMであるかのように、フレイのスカイグラスパーが出動していく。続いて、カイキのカラミティもカタパルトから上部甲板へ、モビルスーツ用エレベータで移動していった。


リンドーの指示通り、アマミキョブリッジでは今、ナンザン港付近への着水が強行されようとしていた。「こんな処で引き返したら、何の為に地上に降りたか分からんぞ!」
オサキが面舵をルーレットの如く威勢良く回し、それでいながら慎重に操舵システムを睨む。海面まで、残り10メートルもない。付近の漂流物まで、はっきりと見えていた。転覆した小船も見える──人が何人も取りついて、こちらに向って救助を求めていた。巻き込んではいけない、操舵技術が問われる瞬間だ。サイは駄目野郎に成り下がっちまったが、ナチュラルの女をなめるな──オサキは唇を噛み続ける。
「着水します、全員衝撃に備えて!」アムルの叫びが響く。


業務を終えたばかりのサイとヒスイを、着水の激震が襲っていた。
既にアマミキョの存在を嗅ぎつけたのか、炎の中から飛んできたダガーL2機が攻撃を仕掛けているのが、作業部屋のモニターからも確認することが出来た。
もうこのような状況には慣れたのか、作業員たちはそれほど慌てずに衝撃から立ち上がり、所定の避難場所へ向かう。アマクサ組の統制は、こんな処でも効いていた──サイは腰をさすりながらも身を起こす。「そんなに中立が憎いか、ブルーコスモスは!」
現在港を襲撃しているのが、北チュウザンの中立体制に不満を抱く過激派であることは、チュウザン軍からの情報により確定していた。別にアマミキョが来たから襲撃されたというわけではなく、最初からこの港はテロリストたちの攻撃目標にされていたのだ。俺がヤエセに行った時もそうだった、ブルーコスモスはコーディネイターがいるというだけで、街を焼き払った!
続いて、くぐもった轟音と共に内壁が僅かに震動する。アマミキョのヘルダートが火を噴いた、その特有の震動だった。見ると、作業机の陰でヒスイがしゃがみこみ、膝の間にボサボサの頭を押し込んでいる。その両手は、胸を押さえていた。
サイが駆け寄って肩を叩くと、彼女は3センチほど床から飛び跳ねたかのように驚き、恐怖に満ちた目でサイを振り向いた。「ごめんなさい。心臓が破れそうで……」
その手に触れてみると、完全に冷え切っていながら激しく脈を打っていた。呼吸が浅い。パニックの時特有の症状だ。自分でどうにかしようと思っても、心臓や肺が言うことを聞かないのだ。こういう時は、近くにいる者の体温が何よりも役に立つ。
「大丈夫です、ここでは俺たちは死にませんよ」サイは言い切ってヒスイの手をしっかり握る。サイの手を感じたヒスイは、少しだけ本来の呼吸を取り戻した。
おそらくこの女性も、他の多くのナチュラルたちと同様、獲得ポイントが少ないが為に心の不調からも回復出来ずにいるのだろう──サイは彼女を立たせると、一緒に内壁側の避難場所へと向った。この作業場は外壁に近く、直接被弾すれば被害は甚大だ。それ故に、最底辺の者たちが作業を強いられているのだろうが……
「それに、こういうことは考えたくないけど」サイはヒスイの様子を確認すると、ひとつ前置きをして言った。「ポイントゲットのチャンスかも」


ジェットストライカーを装備したダガーLに向け、対空機関砲ヘルダートで応戦しつつアマミキョは着水する。波が激しく立って一瞬アマミキョ前方を遮ったその時、炎を噴いたダガーLがアマミキョの前方を掠めて落下していった。上部甲板で待ち構えていたカイキのカラミティが、見事撃墜してみせたのだ。
「チュウザン軍の防衛はまだ堅固だ、落ち着いて救護に向かえっ」
着水後、半壊したドックからでも上陸可能であることが確認され、トニー隊長は救難活動隊・シュリ隊──アマミキョクルーたちの正式名称である──へ上陸を命じた。その指令と共にカタパルトが開かれ、アストレイ隊、ミストラル、作業用トラックが次々に港へ降りていく。隊員たちにとって、久しぶりの陸地だ。
但し、今にも壊れそうな沈みかけの橋梁を伝っての上陸である。うまく上陸出来ず、はしけや橋梁から海に転落した者も少なくなかった。そして上空には砲火が飛び交っている。既に海に流れ出した死体も大量にある──港近くの広場から聞こえるものは、閃光に晒される人々の悲鳴だった。
さらにその上から、この地域特有の豪雨も降り出している。そんな中を、シュリ隊員たちは消火作業用ミストラルやトラック、バイクなどで飛び出していく。勿論ほぼ全員が怒りと使命感に燃えていたが、その一方でポイントを獲得したいばかりに救難作業に参加しようという者も多かった。
何台目かのミストラルに詰め込まれたサイも、そのうちの一人だった。「何でテメェがここにいんだよ!」などと十数人の同乗者から罵声を浴びせられつつも、サイは黙って制服の上から作業用ジャンパーを着け、メットを被った。稲妻のような火線があたりを照らす中、彼らを乗せたミストラルは炎をかいくぐり港を抜け、街の方向へと走る。ダガーLの部隊は港への攻撃を一旦中止し、街の広場へと飛んでいた。
その上を、フレイのスカイグラスパーが滑空していった。IWSPを装着したスカイグラスパーは、かつてアークエンジェルで使用されていたものより数倍、頼もしく見えた。


着水の衝撃で、モビルスーツデッキにいたナオトは幸か不幸か、ハマーたちの手から逃れることに成功した。カタパルト付近のモニターからでも、港付近での戦闘が見える。対空砲火が徐々に弱体化しているのが、素人のナオトの目にも明らかだった。
ハマーたちの身体が吹っ飛んでいる間に、ナオトは手術着のままティーダ搭乗用タラップに取りついた。痛みや包帯など、もう関係なかった。自分を振り向きもしなかったフレイへの怒りで、ナオトの腹は煮えくりかえっていた。
「マユもサイさんもフレイさんもいなくたって、僕は出来るんだ!」ナオトはタラップを素早く操作し、ティーダのハッチを開いてそのまま乗り込んだ。
ティーダ、発進。治っていない身体に地上の重力がかかり、内臓全てが背中から後ろへ飛び出していく感覚がナオトを襲う。それでもナオトの幼い怒りは、止まらなかった。


「やめなさい、またっ!?」ナオトの無断出動を感知したブリッジでは、アムルが叫ぶ。だがもう時遅く、ティーダは豪雨と閃光の中へ飛び出していった。
しかしティーダに構っていられる余裕はブリッジ側にもなかった。アムルの驚愕とほぼ同時に、アストレイ隊の作業をモニターしていたディックが悲鳴を上げる。「アストレイ隊、敵機と遭遇! 交戦状態ですっ」


地上では、ビームカービンの音が空気と雨を切り裂く。煙と血の臭いで鼻が詰まりそうだ。そんな中を、サイたち作業員はミストラルで懸命の救出作業を行なっていた。
転覆した船からの救助、建造物内部にいて被爆した人々の救出、未だ勢いを止めぬ業火の消火作業。やるべきことは山ほどあり、トニー隊長の指示のもと、隊員たちは次々に分散していく。モビルスーツが加速度的に進化を遂げた現在の戦闘では標的にしかならないが、船外作業艇であるミストラルはこういった地上作業には貴重だった。作業用アームを上部に持ち、下部は物資運搬用トレーラーとしても使用出来るのだ。サイたちが乗ったものは上部の作業用ポッドを切り離したものであったが、それでも十分作業の役には立つ。
サイの担当は、港と街を繋ぐ運河、そしてその先の広場だった。しかしもう既に運河はその原形を留めぬほどに破壊され、水が大量に流出している。やや旧式の石造りの建物が運河沿いに建てられ街の形をなしていたようだが、今やそれらの建造物も全て炎を噴き出していた。
何よりサイたちを驚かせたのは、川とその先の広場を埋めた、無数の死体の山だった。橋が壊れて進めなくなりミストラルから飛び出した時、炎の照り返しと豪雨の為によく見えず、サイは穀類のつまった麻袋を蹴ったかと思ったものだ。
その麻袋が、炎の下、無数に河を埋め尽くしている。
「オイ、子供がいるぞ! 埋まってるっ」「母親は!?」「とっくに死んでる、その下だ!」
泣き声に気づいた隊員は泥を押しのけ、死体の中から子供を二人救出した。一人は赤ん坊だった。彼らを守るように覆いかぶさっていた母親を、隊員が引き上げる。母親のふくよかな右腕が、肩からぼろりと落ちた。
膝までしみこんでくる水は、運河としてこの街を守っていた水だ。それが今、血に変わっている。サイの制服の膝が、泥混じりの血で染められていく。迫る炎をよけて人々は、川沿いの道路に逃げたんだ。それを、ダガーLが狙った?
広場上空では未だにダガーLが飛んでいる。人々の悲鳴と騒乱が場違いな交響曲を響かせていた。
脱出が間に合わなかった人たちが、広場に逃げ込んでいるんだ。運河ぞいからも逃げられずに、ダガーLに上空から攻められて、人々は街の中心部である広場に、無理やり追いつめられている!
サイがなりふり構わずミストラルに飛びつき、広場へ向かおうとした瞬間──
ダガーLが2機、急降下して広場へビームカービンの一斉射撃を開始した。
50センチ先の大木に落雷したような衝撃に、サイは思わず死体の上に腹這いになる。ビームの粒子で、空気が焼かれる。街が焼かれていく。「退避だ、退避!」「退避って、何処にっ」作業員たちの悲鳴と怒声が交錯し、さらに広場の狂騒が一気に空中を揺るがせた。
頭を上げた時サイに見えたものは、焼けて崩れた銀行の向こうの、炎の中のダガーL。そのマニピュレータが、何かを掴んでいる。鉄くずではない。あれは──
サイがはっきりと確認する前に、ダガーLのマニピュレータが、拳を作るように握り締められた。片手で肉団子を作る時というのは、あのような感じだろうか? 
「認めない。認めるか、こんなこと……」サイは立ち上がることが出来なかった。チュウザンに初めて来た時、ダガーLは人間を直接狙った。今自分が再びチュウザンに降り立った瞬間に、ダガーLは、一体何をした? 
俺の視力が悪くて良かったのかも知れない。あのダガーLの手の間から落ちる手袋や、靴、ブーツ、ちぎれたシャツの袖、それ以上のものを見なくてすむのだから。こんな光景を、もしキラが見ていたら──見てはいけないものまで見て、発狂してしまうに違いない。あいつは、優しいから。
本来なら、俺たちが助けるべき人たちだった。今ここで死んだ人たちは!
サイの放心を見透かしたように、フレイのスカイグラスパーがサイのすぐ上を通過した。怒りの閃光を、そのレールガンから発射させながら。広場からダガーLが2機飛び立ち、フレイを追撃する。閃くビームカービンの火線。同時にサイたちの身体が、水面の死体の群れと共に吹き飛ばされた。


「飽きない奴らめ、またハンティングか!」追いついてきた3機のダガーLを振り切り、フレイのスカイグラスパーは広場の真上で急上昇する。炎熱を帯びた機体に豪雨が叩きつけられ、搭載されたIWSPのレールガンが前方へ、そして砲塔式バルカン砲が後方へなおも火を噴く。そして垂直急降下。フレイの身体はこんな急加速にも全く支障はないが、スカイグラスパーはコクピット内でも分かるほどの異音で震えていた。エンジンに無理をかけすぎなのだ。
にもかかわらず、スカイグラスパーは巧みに低空を飛行し、煙と炎に紛れてダガーLの目を眩ます。サイたちのいる運河付近、建造物の間を見事に通過してみせたのもその瞬間だった。燃えあがる建造物のガラスがさらに叩き壊され、地表へ降りそそぐ。
地上スレスレを飛行しつつ、フレイは再びトリッキーな動きでダガーLを翻弄しにかかる。再び急上昇をかけ、ダガーLの一隊の間をすり抜け、そのうち2機のジェットストライカーの翼を正確に撃ち抜いた。火線が滝のようにスカイグラスパーに浴びせられるが、スカイグラスパーは急旋回、急降下を繰り返しつつ砲火をすり抜け、追い抜きざまにダガーLを撃つ。
「兄弟たちは、子羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。このゆえに、もろもろの天と、その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、お前たちのところへ降っていった。残された時が少ないのを知ったからである」


ヨハネの黙示録第12章11-12節が、アマミキョのブリッジにも流れる。ニュートロンジャマーの影響はあったが、フレイの呟きが聞こえないほど酷くはない。
そして通信がややクリアーなおかげで、アストレイ隊やスカイグラスパー、ミストラルからの映像も逐一、不鮮明ながら入ってきている。どれも、それまでオーブで暮らしてきた多くのクルーにとっては、信じられない光景だった。
「どういうことですか、ハンティングって?」アムルのリンドー副隊長への質問は、その場の全員の当然の感情だった。
「国際法に則った正当なやり方、だそうだ」リンドーは前方から迫るダガーL、それを迎撃するカラミティをモニターで睨みつけながら答えた。「ユニウス条約のおかげで、モビルスーツは小規模の火器装備しか出来ん。あの英雄フリーダムやジャスティスなぞも違反機体だ。大規模な掃討作戦が出来ず、街に潜む不穏分子を駆逐出来なくなり、やむを得ずあのような事態になる」
「冗談じゃねぇ、あいつら殺人を楽しんでる!」オサキは怒りに任せ、操舵輪を危うく引きちぎる処だった。
「毒ガスや細菌兵器を使わぬだけ人道的だというのが、奴らの主張だ。上空から攻撃するのなら、人の姿は見なくともすむ。気の弱い兵士にはもってこいの方法だ。それに忘れちゃならん──奴らはジェネシスと同じ痛みを、モビルスーツで味わわせたいのさ。コーディネイターとつるむ者たちに」


「信じられないよ、人間がそんなに馬鹿だなんて!」痛む傷を押さえながら、ナオトは街にティーダを降下させた。白い機体はあっという間に目標となり、ダガーLに取り囲まれる。しかしナオトは怯まなかった。
モニター横を流れる、灰混じりの雨。その向こうで燃える炎。ティーダの下には血の河が見える。ティーダ自身もかつて人だったモノを踏んでいるが、ナオトは気づかなかった。警告音。上空からダガーLが1機、迫る。
「こんなこと、僕は絶対許さない!」ナオトは夢中でレーザーライフルの引き金を引いた。だが相手は軽くかわし、ティーダにさらに攻撃を続ける。煙でくすぶり続ける空を、何条もの光が虚しく切り裂いていく。それでもナオトは荒っぽい射撃をやめない。彼の中では、何度もむさぼるように見たストライクやフリーダムの戦闘映像が蘇る。
「僕は貴方たちとは違う! キラ・ヤマトと同じように、ちゃんと武装を狙ってやるっ」何度も何度も無我夢中で撃ち続け、ティーダの閃光はようやくジェットストライカーの左翼部分をかすめることに成功した。
空中でバランスを失った敵は、それだけで燃えるビルの向こうに消えていく。墜落したかどうかまでは、分からない。爆発はしてない──「死んでない。殺してないよね」
その一瞬の隙を取られたか。がら空きになったティーダの背後から、もう1機のダガーLが組みついた。メットも被っていなかったナオトは、またもコンソールに頭をぶつけかかる。
「やめて下さい! こんなことをして、地球が清浄になるはずがないことぐらい分かるでしょう」
ストライクとほぼ同じトリコロールにカラーリングされた機体が、こんな非道を繰り返している現実が、ナオトには許せなかった。本当は、地球を守る正義の戦士ともいうべき機体なのに!
接触回線が繋がっていれば、この体勢で相手と会話が可能だ。そう考えてのナオトの叫びだったが、返ってきた言葉は。<コーディネイターは化け物だ! かつて国を焼き尽くし、今もプラントを落とした! この国に怪物を招いた文具団を、俺たちは許さんっ>
「そんな。やっぱり、人が落としたっていうんですか!?」
<貴様もナチュラルなら分かるだろう! ジョージ・グレンが異形として現れたその瞬間から、この星は間違った進化をしてしまったのだっ>
「僕はナチュラルじゃありません、コーディネイターでもないんです。オーブから来ました、SunTVのレポーターです、戦闘をやめて下さい!」
ナオトは夢中で言葉を発していた。相手がティーダを掴んでいる為に響く不協和音が、微かに小さくなった気がした。僕の言葉が通じたのか?
しかし現実は、ナオトの楽天的妄想とは真逆の方向へ突き進む。
  <禁忌の子供か……汚れた血は、いよいよ俺たちと融合しようというのか>
状況に似つかわしくない、諦念に満ちた笑い声が響いた。相手の顔は勿論見えないが、おそらく子供もいそうな歳の男性だろう。<ならばここで消えた方が、貴様も楽であろう。子供が、このような世界にいてはいけない!>
見るとそのモビルスーツは、エンジン部分を損傷していた。内部で広がる炎が僅かに見える。その意図は素人のナオトにでも、すぐに見破ることが出来た。既に致命的損傷を負っている機体、自暴自棄になったテロリストの取る道は──
ナオトが咄嗟に回避行動を取るとほぼ同時に、ダガーLはティーダを巻き込み、大爆発を起こした。


街がひときわ大きな火球に包まれるその端では、アストレイ隊とダガーLが必死の攻防を繰り広げていた。ダガーLは僅か1機だったが、何せM1アストレイは作業用の装備しかしていない。頭部バルカンや手榴弾で攻撃を防ぐのが手一杯で、ダガーLのビームカービンに対しては成す術もない。おまけにパイロットは、土木作業のプロでも戦闘では全くの素人だった。結果──
無謀にも、頭部バルカンを連射しつつ相手を撃破しようと正面から突っ込んでいったアストレイが1機、あまりにもあっさりとビームカービンでエンジン部を狙撃されることになった。
功を焦った女性パイロットが、声を上げる暇も与えられぬまま一瞬で焼かれていく。紅と白で勇壮にカラーリングされたオーブの戦士が、業火に包まれ飛び散っていく。
残されたアストレイ隊から、一斉に怒号が上がった。「シャロン!」「地上に降りたら、デートしようって約束だったろうが!!」


サイが気を失っていたのは、ほんの数秒だったらしい。あまりの轟音の連続で、鼓膜がびぃんと張りつめている。ろくに音が聞こえない。
見ると、ミストラルが運河の中へ横転していた。他の作業員たちは、それを見捨てて豪雨の中を逃げようとしていた。何をやっているんだ、貴重なミストラルを!
サイは叫んだつもりだったが、自分の声もよく聞こえない。作業員たちは振り返り──この状況で、笑っていた。明らかに、サイを笑っていた。僅かずつはっきりしていく聴覚が捕らえた言葉は。
「元アークエンジェルなら、何とかしてみせろ」「引き上げりゃ、ポイント増えるぞ。感謝しろよな」
激しい戦闘の中で仲間との絆がより強固になる、などという伝説は嘘っぱちであることを、改めてサイは知った。そこに亀裂が存在した場合、戦闘はそれをさらに拡大させる結果にしかならない。
雨がひどくなる。空はほぼ灰にまみれて真っ黒だ。真っ暗、ではない。それにしても、さっきから街の端でたびたび発生しているモビルスーツの爆発らしい音響、そして火球は何だろう? ダガーLの爆発であれば良いが、もし──
サイはそれ以上考えないことにした。考えたら、自分も、他人も、人間全てを呪いかねなかった。腰のあたりでは未だに死体が沈み、その上を鼠や虫が大量に逃げていく。猫が数匹、発情期でもなかろうに奇声を散々上げ、呪われた街から脱出していく。
ミストラルは機体をきっちり45度ほど斜めにして、運河に突っ込んでいた。泥から足を引き上げるようにしてミストラルに乗り込むと、サイはエンジンを始動させる。どうやら機体そのものは大丈夫なようだが、下部に取り付けられた車輪が、河に嵌まりこんでいる。サイはすぐに飛び降りると適当な鉄骨を拾い上げ、ミストラルの下へ突っ込んだ。豪雨がやむ気配は全くなく、死体を押し流す水量は増えていく。しかもダガーLの攻撃は続いていた。未だにすぐ上を、ジェットストライカーの轟音が掠める。幸い、救出した生存者は全員、トラックで運ばれたらしい。
てこの原理の要領で機体を動かせれば──たった一人で、地上用トレーラー3台分ほどもあるミストラルの重量がどうにかなるとは思えなかったが、サイは無我夢中だった。
「俺だって、もう大根で水増しした粥なんか嫌なんだ!」


あれほどの閃光に包まれながら、ナオトは未だに生きていた。
自爆に巻き込まれて、無事なわけがないのに──ナオトは信じられぬ思いで、モニターを凝視する。ティーダも、まだ僅かながらエネルギーが残っている。しかも爆散していない。
周囲の街路樹やビルは薙ぎ倒され、仰向けに倒れたティーダを中心に火炎が巻き上がっていたが、コクピット内のナオトは、少なくとも息はしていた。勿論、吹き飛ばされた衝撃でナオトの身体はろくに動かなくなっていたが。
朦朧としている頭を上げながら、ナオトはコンソールパネルを見た。TPシステムの作動を示す緑の表示が、元気良くティーダのCGの上で点滅していた。関節部分が熱で傷んでいるようだが、どうやら致命的損傷は何処にもない。
「サイさんが、守ってくれた……?」
思わず口走った言葉に、ナオトは自分自身で驚いた。そして慌てて、激しく首を振る。「今更動作したって、遅すぎるよ!」
そんなナオトの目に次に映し出されたものは、さらに信じられぬ光景だった。未だに上空を占拠していたダガーLが、さらなる高空から次々に撃ち落されていくのだ。
墨で塗りつぶされたような空に、燦然と輝く青と白のフォルムが飛来する。ダガーLと同様にジェットストライカーを装備し、人の顔を持つモビルスーツ。それが4機、5機と飛びこんできてはフレイのスカイグラスパー以上の速さでダガーLを撃ち抜いていった。
絶望しかなかった炎の街を背後にした彼らの威容は、ナオトの目にはまるで天使のように映った。「あれは……ウィンダム!」


同時刻。サイの上にも、同じモビルスーツが滑空してきた。ただしサイはナオトのようには、素直に受け止められない。「連合の新型が、何故ここに?」
まるで時空の狭間から突然現れたような異常な印象が、そのモビルスーツ隊にはあった。チュウザン軍に、既にこれだけの数のGAT-04、ウィンダムが配備されていたというのか?
しかし未だに50センチも動かずにいるミストラルと格闘中のサイには、すぐそばに降りてくるウィンダムをどうすることも出来ない。と、ウィンダムの外部スピーカーから声が響いた。
<アマミキョ隊員ね? 助ける!>
サイが何か言う間すらも与えず、ウィンダムは両側のマニピュレータを伸ばし、サイごとミストラルを運河の中からすくい取った。<下手に動かないで、落ちるわよ>
その女性の声は、未だ砲音の鳴りやまぬ街の中で、妙な安堵感をもってサイの心へ響いた。見ず知らずの声に励まされただけで安堵してしまうとは、一体自分はどれほど人間不信の中にいるのだろう?
またサイは、ミストラル一台すら満足に動かせない自分の無力さを痛感させられていた。俺がどれほどやっても動かせなかったミストラルを、このウィンダムは軽々と持ち上げている。考えてみれば当たり前のことだが、その当然のことがサイは悔しかった。


泥だらけのままウィンダムから降り立ったサイとミストラルを、アマミキョカタパルトでは誰も歓迎はしなかった。ウィンダム隊のおかげでダガーLの部隊は撤退したが、アマミキョは相当数の負傷者が運び込まれ、ウーチバラでの最初の襲撃時もかくやという大混乱に陥っていたのだ。
サイがようやく一人でミストラルを搬入し終え、使い物にならなくなったジャンパーを脱ぎ捨てた瞬間、モビルスーツデッキから一発、高いビンタの音が聞こえた。見ると、帰還したフレイがまたもや、ナオトを修正していた。熱で関節部を損傷し、乾いた泥に塗れたティーダの白い機体もそこにある。
「これが僕の仕事なんです! 僕しかティーダを動かせないんだっ」
またやったのか、ナオト──サイのため息を聞く者は誰もいなかった。
「思い上がりも大概にしろ」フレイの再度の一発がナオトの叫びを中断させる。紅いパイロットスーツの掌が、まるで血の翼のようにナオトを叩いた。「分かっていないようだな。降下時にTPシステムに狂いが生じたのは、貴様の出すぎのせいでもある!」
「だって、あの時はもっと砕かなきゃいけなかったでしょ」
「黙れ子鼠! 自らの過失を自覚しろっ」
さらに一発。カイキもハマーたち整備士も、尻もちをついて抗議するナオトを冷たく見下げている。ティーダを点検しているミゲルとラスティもまた、ナオトを庇おうという素振りも見せない。フレイは今の彼女にしては珍しく、怒りを露にしていた。
「自分の責任を全て他の者に押しつけ、命令を無視して戦場を荒らし、キラ・ヤマトの猿真似をした挙句に何の成果も挙げられず、ただティーダを損傷させて帰還するなど──論外もいいところだ。
貴様など、ティーダは勿論、アマミキョにも必要ない」
「僕をティーダから降ろしたら、ティーダはもう動きませんよ!」ナオトはそれでも負けずにフレイに当たり散らす。だが、フレイの冷たい宣告はその上から、容赦なく降りそそいだ。
「地上に降り、ティーダの代替パーツの準備は整った。今までご苦労だったな、ナオト・シライシ」
「ご苦労はこっちだがな」ハマーが後ろから突っ込みを入れる。フレイの言葉の意味を咄嗟には掴めず、ナオトの眼球はいつもよりさらに大きく剥かれた。陰から見守りながら、サイはその姿の痛々しさに思わず目を背けた。ナオトの左腕の包帯の下からは、未だに血が滲んでいる。首から肩にかけてのあざがさらに色濃くなっている。またパネルにぶつけでもしたのか、額からも血が流れていた。そんな彼に、フレイは憐憫の欠片すら見せずに言い放つ。
「マユ・アスカの負傷の責任を取ってもらうぞ──今後、ティーダへの搭乗及びカタパルト、ブリッジへの進入の一切を禁ずる」


 

つづく
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